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映画「アマディウス」
20年近く前でしょうか、「アマデウス」という映画が話題になりました。アマデウスとはもちろんヴォルフガング・アマデウス・モーツアルトのことです。
映画館には滅多に行かないほうですが、久々に家族といっしょに見に行きました。 それまでモーツアルトといえば、「高貴で、天心無垢な天才音楽家」といったイメージだったのですが、この映画でのモーツアルトは、ちょこまか動き回り、甲高い声で大笑いし、下ネタ連発の、お世辞にも上品とは言えないキャラクターに描かれています。
子供の頃、音楽の時間にならったのとはずい分違ったモーツアルト像ですが、いろいろな本を読むと、まんざら当たってなくもないようです。
「下ネタ」の根拠となっているのは、やたら「ウンチ」とか「お尻」を連発している、従妹の女の子にあてた手紙によるものですが、モーツアルトの親族や周囲の人たちの間では、それは普通のことだったと言う説もあります。 言ってみれば親密さを表すものだったのかも知れません、モーツアルトの母親も同じような手紙を書いているそうです。
この映画の中ではイタリア出身のオペラ作曲家のサリエリがモーツアルトの才能に嫉妬して毒殺したとなっていますが、文字通りこれは根も葉もないこと、サリエリにはモーツアルトを毒殺する動機が全くありませんし、嫉妬する理由もありません。
当時のサリエリは押しも押されもしないハップスブルグ家の宮廷作曲家で、むしろ嫉妬するとすればモーツアルトのほうかも知れません。
また性格的にも私欲にとらわれない高潔な人らしく、才能ある若い音楽家には無償でレッスンをしていたようです。 その弟子にはベートーベン、シューベルト、リストなど後の音楽界を担う人たちの他、後にヴォルフガング・アマデウス・モーツアルト2世を名乗ることになるモーツアルトの末の子のフランツ・クサヴァー・モーツアルトなどがいます。 またモーツアルトの才能も認め、モーツアルトの作品もよく演奏していたようです。
モーツアルトはいろいろな女性にもちょっかいを出していたなどと言う話もありますが、実は奥さんのコンスタンツェ一筋だったという話もあります。
一方で、前述の末の子、フランツ・クサヴァーは実はコンスタンツェとモーツアルトの弟子のジェスマイヤーの間に生まれた子供という話もあり、いろいろな状況からするとほぼ確かなようです。 なお且つモーツアルトはそれを十分知っていたようで、その名の 「フランツ・クサヴァー」 はジェスマイヤーのファーストとミドル・ネームだったわけですから。
その後、といってもその子の誕生から半年弱でモーツアルトは他界しますが、3人の関係はすくなくとも表面上は変わらなかったようです。
モーツアルトもその後、さすがに妻に愛情あふれる手紙は書かなくなったようですが、相変わらずジェスマイヤーを助手として使い、晩年の作品の「皇帝ティートの慈悲」や、「クラリネット協奏曲」などにはジェスマイヤーの手が入っています。
モーツアルトの死後「レクイエム」や「ホルン協奏曲」を仕上げたのもジェスマイヤーです。 モーツアルトもある意味、「大人の対処」 をしたのでしょうが、自分の名前を「実の子」に付けられたジェスマイヤーの気持ちや、「実の父親」の名をもらったその息子の気持ちはどうだったのでしょうか。
モーツアルトを毒殺したのは、実はそのコンスタンツェなんていう説もあるようで、確かにサリエリよりは動機がありそうですが、これもまた根も葉ももないこと、少なくとも私はそう思いたいです。
と言う訳で、当家のCD棚で一番枚数が多いのはモーツアルトで約180枚、次にベートーベン、バッハ、ブルックナーなどの順になっていて、ギター以外のクラッシク音楽が約900枚、ギター関係が約300枚、その他100で、合計1300枚くらいあります。

映画館には滅多に行かないほうですが、久々に家族といっしょに見に行きました。 それまでモーツアルトといえば、「高貴で、天心無垢な天才音楽家」といったイメージだったのですが、この映画でのモーツアルトは、ちょこまか動き回り、甲高い声で大笑いし、下ネタ連発の、お世辞にも上品とは言えないキャラクターに描かれています。
子供の頃、音楽の時間にならったのとはずい分違ったモーツアルト像ですが、いろいろな本を読むと、まんざら当たってなくもないようです。
「下ネタ」の根拠となっているのは、やたら「ウンチ」とか「お尻」を連発している、従妹の女の子にあてた手紙によるものですが、モーツアルトの親族や周囲の人たちの間では、それは普通のことだったと言う説もあります。 言ってみれば親密さを表すものだったのかも知れません、モーツアルトの母親も同じような手紙を書いているそうです。

当時のサリエリは押しも押されもしないハップスブルグ家の宮廷作曲家で、むしろ嫉妬するとすればモーツアルトのほうかも知れません。
また性格的にも私欲にとらわれない高潔な人らしく、才能ある若い音楽家には無償でレッスンをしていたようです。 その弟子にはベートーベン、シューベルト、リストなど後の音楽界を担う人たちの他、後にヴォルフガング・アマデウス・モーツアルト2世を名乗ることになるモーツアルトの末の子のフランツ・クサヴァー・モーツアルトなどがいます。 またモーツアルトの才能も認め、モーツアルトの作品もよく演奏していたようです。

一方で、前述の末の子、フランツ・クサヴァーは実はコンスタンツェとモーツアルトの弟子のジェスマイヤーの間に生まれた子供という話もあり、いろいろな状況からするとほぼ確かなようです。 なお且つモーツアルトはそれを十分知っていたようで、その名の 「フランツ・クサヴァー」 はジェスマイヤーのファーストとミドル・ネームだったわけですから。

モーツアルトもその後、さすがに妻に愛情あふれる手紙は書かなくなったようですが、相変わらずジェスマイヤーを助手として使い、晩年の作品の「皇帝ティートの慈悲」や、「クラリネット協奏曲」などにはジェスマイヤーの手が入っています。
モーツアルトの死後「レクイエム」や「ホルン協奏曲」を仕上げたのもジェスマイヤーです。 モーツアルトもある意味、「大人の対処」 をしたのでしょうが、自分の名前を「実の子」に付けられたジェスマイヤーの気持ちや、「実の父親」の名をもらったその息子の気持ちはどうだったのでしょうか。

