<バッハ・シャコンヌ再考 36>
勝手に選ぶバッハ・チャコーナCD・ベスト4 ~ヴァイオリン編
私の主観によるセレクション
このタイトル(バッハ・シャコンヌ再考)のまとめとして、この何回かの記事で紹介した、バッハのチャコーナのCDから、ベスト4を選ぼうと思います。 ただし都合上、原曲通りのヴァイオリンでの演奏に限定します。 もちろん私の主観によるセレクションなので、皆さんのお気に入りのCDが上位にランキングされなかったとしても、苦情等は一切受け付けません、ご了承下さい。
さて、テレビなどでは、こういう時に下位のほうから発表してゆくのですが(視聴率の関係?)、そのような姑息なことはせず、堂々と第1位から発表してゆきましょう。 それでは、栄光の第1位は・・・・・・
<バッハ・チャコーナベストCD 第1位>
五嶋みどり (2013年録音、 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ、パルティータ全曲)

最も新しい録音
私の持っているバッハの無伴奏ソナタ、パルティータ集の中で、最も最近録音されたものです。 入手して間もないCDで、全曲通しては2回程度しか聴いていないので、このCDを1位にするのはちょっと冒険かなとも思いますが、でもとてもすばらしい演奏で、強く印象付けられました。 感動したといってもよいでしょう。
演奏スタイルは前にも書いたとおり、最近のバッハ演奏のトレンドである、オリジナル楽器系の演奏と言えます。 こうしたことは、今現在ではあえていうまでもなく、この21世紀になってからバッハの演奏を録音するヴァイオリニストはほとんど、このスタイルといってもよいのかも知れません。
21世紀になってから、バッハの曲を、譜面に書かれた音符の長さいっぱいに音をのばし、たっぷりとヴィヴラートをかけて演奏するヴァイオリニストなど絶滅してしまったのかも知れません。
聴こえてきたのは予想外の音
しかし、五嶋などは最初からバロック・ヴァイオリンを勉強したわけでなく、幼年期から少女時代(この頃にはすでにヴァイルトーゾとして活躍していたが)にかけては従来の、いわゆる近代ヴァイオリン奏法で育ってきたはず。 前にも触れたパガニーニの「24のカプリース」を始め、バッハ以外のすべての曲では、その近代ヴァイオリン奏法で演奏していて、そういした奏法が体に染みついているはずです。
しかしこのバッハのCDから聴こえてくる音は、全くそうしたものを感じさせません。 プレヤーから出てきた最初の音からして予想と全く違う音だったので、たいへん驚きました。
本当の美人はスッピンの方が美しい?
ただ、聴き進めてゆくと、そうした奏法の違いなどこの演奏にとってはきわめて些細なことだと感じられてきます。 五嶋の演奏技術が非常に高いことは皆さんもご存じと思いますが、 この演奏は極めて美しい!
ヴィヴラートなどの化粧を取り除いてしまったからかも知れませんが、五嶋のヴァイオリンの音はたいへん美しい。 まさに ”素” の音の美しさが聴こえる感じです。 確かに本当の美人はスッピンのほうが美しい・・・・・・・
音の消え去り際が言葉にならないほど美しい
特にソナタ第1番の「アダージョ」などでは、音の消え去る際が言葉にならないくらい、とても美しい。 だんだん小さくなって、音が聞こえなくなるその瞬間までヴァイオリンの音を完全にコントロールしている。 ヴァイオリンは弾いたことがないので、よくわかりませんが、これは人並み外れた技術と感性、特に右手の完璧なコントロールがなければ、到底出来ないことなのではと思います。
日本的美感
でも、音の消え去る際の美を追求するなんて、何か、とても日本的ですね、幽玄の世界か、武士道と言った感じがします。 もちろん音楽に国籍はありませんが、文化の違いはあるでしょう。
全く困難さを感じさせないのが唯一の欠点
この演奏に唯一欠点があるとすれば、この難曲を、難曲とは全く感じさせないで演奏しているところでしょうか。 バッハとしてはこれらの曲技術的な困難さからくる緊張感といったものも、一つのスパイスとして曲の中に織り込んだと考えられるでしょうから。
<第2位>
ギドン・クレーメル (2001~2002年録音 全曲)

クレーメル2度目の録音
21世紀になってからのクレーメルの録音も、ノン・ヴィヴラートで、オリジナル楽器的な演奏で、”確信に満ちた演奏” と言ったことを書きました。 まず、テーマからして非常に力強く演奏していて、バッハの音楽の緊張感あふれるところや、エネルギッシュな部分はこれ以上ないくらいに表現されています。
現代のバッハ演奏の最高峰、なぜ2位?
まさに今現在のバッハの演奏の最高潮と言えるものといえるでしょう。 ではなぜ2位? もちろんそれは私個人が五嶋みどりの演奏に魅了されたからに他ならず、客観的にどちらが優れた演奏かなどということは私にはわかりません。 しかし一般的考えれば、このクレーメルの演奏を取る人の方が多いのでは、とも思います。
技術はハイフッツ、魂はシゲティ?
クレーメルの演奏は、どこかシゲティの演奏をおまわせるところもあります。 一つ一つの音をクリヤーに発音し、その意味を考え、各変奏の特徴をはっきり弾き分け、また変奏どうしの関係を考えるなど、共通する点はいろいろあるように思われます。 しかし堅固で、透明感のある美しい音、および完璧な演奏技術は、むしろハイフェッツを彷彿させるところもあります。
五嶋と同じくノン・ヴィヴラートのオリジナル楽器的な演奏スタイルなのですが、クレーメルの演奏は、五嶋と同じく、そうした外見的なことはあまり感じさせず、ただクレーメルの音楽が聴こえてくる感じです。 こうしたすぐれたヴァイオリニストにとっては、演奏の様式感などいったことはそれほど大きな意味を持たないのかも知れません。
柔と剛
五嶋の演奏が ”柔” なら、クレーメルの演奏はまさに ”剛” 。 五嶋のノン・ヴィヴラートは極めて純粋な美しさを、クレーメルのそれは力強さをあらわしているようです。 ・・・・・”あはれ”の源氏物語と、神々しくそびえ立つパルテノン神殿・・・・・ なんて例えは、ちょっと陳腐かな。
<第3位>
ヨゼフ・シゲティ (1955年録音 全曲)

60年経っても名演は名演
シゲティの録音は60年経っても、「技術を超えた内容がある」 と専門家などから今現在でも絶大な評価を得ている演奏です。 そうした一般的な評価に影響されたことは完全には否定出来ませんが、 私がこのシゲティの演奏を第3位にしたのは、やはりこの演奏に感動したからです。 ・・・・・なぜ3位になってしまったかと言う理由はちょっと難しいですが、上の2つが良すぎたということでご了承を。
かつては良さがわからなかった
この演奏はLP時代から持っていましたが、録音も悪く、また技術的にもそれほど高いとは思えず、正直あまり聴いていませんでした。 その後CD化されて音質もかなり良くなったのですが、それでもあまり聴いていませんでした。
今回、ほぼひと通り記事を書いてから、久々にこのシゲティの演奏を聴いたのですが、よく聴いてみると、私がこれまでチャコーナについて考えてきたことを、そのまま音に表しているような感じがしました。 私がこの演奏に接してから40年経って、ようやくこの演奏の意味と価値が解ったのかも知れません。
先見の明
バッハのチャコーナについて、「細胞から組織、そして器官、さらに生命体へ」 といったことを以前の記事で書きましたが、シゲティの演奏はまさにそのように聴こえます。 またテンポなどを別にすれば、ヴィヴラートや、若干のポルタメントなどは聴かれるものの、その演奏法は現代のオリジナル楽器的な演奏と共通する部分もあります。 またクレーメルなど、多くのヴァイオリニストに影響を与えたとも考えられます。
この1950年代といったことを考慮すると、シゲティと言うヴァイオリニストは、本当に先見の明があったのだと思います。 確かに、今現在でも多くの音楽家や愛好家に聴かれるべき演奏ではないかと思います。
<第4位>
ヘンリク・シェリング (1967年録音 全曲)

多くのバッハ・ファンに聴かれた演奏
2001年の音楽之友社のランキング1位で、最も多くの評論家に師事されたCDです。 多くの愛好家がこの演奏でチャコーナを知り、またイメージを形成したのではないかと思います。 当記事ではこのシェリングの演奏は、「1960年代的演奏の代表」 と位置付けました。
”バッハの音楽に忠実な演奏” というコンセプトながら、実際にこの曲が当時どのように演奏されたか、というより、バッハの書いた譜面に忠実にといった演奏法です。 演奏法も近代ヴァイオリン奏法を用い、譜面の読み方も19~20世紀的な読み方で行っています。
今時流行らないスタイルだからといって
21世紀になった今日では、こうした手法でバッハの演奏を行うことは少なくなり、文字通り ”ひと時代前の演奏法” と言えるかも知れません。 しかし改めて聴いてみると、やはり素晴らしい演奏で、バッハの音楽の一つの面を表しているのは確かでしょう。 今現在の潮流に合わないからといって、決して切り捨てるべき演奏ではないでしょう。
ベームやリヒターの演奏と共に
以前の紹介でも書いた通り、シェリングのような演奏スタイルは、1960~70年代に非常に評価の高かったカール・ベームのモーツァルトや、カール・リヒターのバッハなどと共通するものがあります。 当ブログではそうしたものを ”1960年代的演奏” としたわけです。
確かにベームのモーツァルトは堅く、重たいもので、そこにモーツァルトらしいユーモアや軽快感、疾走感はありません。 人によっては退屈なモーツァルトと聴こえるかも知れません。 しかしベームの堅牢で気高い、神々しさの漂うジュピター(交響曲第41番)などは最近の ”様式感を踏まえた演奏” では聴くことの出来ないものです。 リヒターの「マタイ受難」についても同様なことが言えます。
大事なのは器ではない
本当に優れたものは時代を超えたものがあります。 また、様式感とかと言ったものでは測れないものがあるのでしょう。 何といっても演奏様式というのはあくまで ”器” であって、決してその中身ではないのですから。
と言いつつ、実はこのCDかなり前から持っていて、一般的な評価も非常に高いことも知っていたのですが、個人的にはあまり好きなものではなく、それほどよく聴いたものでもありませんでした。 今回改めてじっくりと聴き、その良さを感じたわけです。
<次点>
①アルトゥール・グリュミオー 1960年録音 全曲
個人的に愛着のある演奏
私個人としては、最初に聴いたチャコーナで(全曲ではなく、チャコーナとパルティータ第3番のガヴォットのみ)、最もたくさん聴いたものです。 それだけに愛着もあり、好みの演奏でもあるのですが、客観的に考え(主観的の決めているはずだが?)、残念ながら ”次点その1” となりました。
ハイフェッツの録音から10年と経っていませんが、ヴィヴラートはかけているものの、ポルタメントなどは一切かけず、まさに1960年代的な演奏となってます。 おそらくこうした演奏の先駆け的なものでしょう。 清潔感漂う、美しい演奏です。
②チョン・キョンファ (1974年録音 パルティータ第2番、ソナタ第3番のみ)
ファンにはたまらないCD
「ヴァイオリン好き、あるいはチョン・キョンファ・ファンにはたまらない1枚」 と紹介しました。 残念ながら全曲演奏ではありませんが、こうした演奏はあってもよいのではないかと思います。 私自身でもたいへんよく聴いた演奏です。
③ラチェル・ポッジャー (1997~1999年録音 全曲)
意外な演奏
ブックレットには「バロック・ヴァイオリン」と明記されてあり、ノン・ヴィヴラートで、半音低いピッチ、 と明らかにオリジナル楽器系の演奏。 とすればヴァイオリンの音というより、バッハの音楽の再現に力点を置き、音も短めに区切って弾くタイプと思いきや、前にも紹介したとおり、ポッジャーはそれぞれの音の後ろのほうを膨らませるような音の出し方をしています。
結果的にヴァイオリンの音をたっぷりと聴かせる演奏となっていて、短い音符はより速く弾くというような、ヴィルトーゾ的な演奏でもあります。 一般に、こうしたオリジナル楽器系の演奏は音楽を考えるといった方向、つまり知的なアプローチが目立ちますが、このポッジャーの演奏はオリジナル楽器による演奏でありながら、情感のほうが表に出ているように感じます(知的ではないというわけではないが)。
適度に装飾音なども加わり、意外と(?)面白い演奏で、聴く人によっては結構 ”はまる” のではと思います。 ・・・・・こうした演奏なら、特にピッチを下げる必要もないのではと思うが。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
最終回となります。 ありがとうございました。
今回をもって 「バッハ・シャコンヌ再考」 の記事を最終回とさせていただきます。 このタイトルの記事を書き始めてからそろそろ1年近くとなり、計36回に及ぶ記事となりました。 これらをすべて読んだ人などいるはずもないと思いますが、仮にいたとしたら、感謝に耐えません。 数回、あるいは1回でも読んでいただけましたら、とても嬉しいことです。 たいへんありがとうございました。
世の中に役に立つ記事かどうかわかりませんが、私自身はこの記事をかいたことにより、いろいろな発見が出来ました。 特に同時代のバッハ以外のチャコーナなどの知識が広まったのは大きいと思います。 まさに 「将を射んとせば、まず馬を射よ」 とか 「外堀から埋める」 といったことでしょうか(武士道的にはこういったことは卑怯な方法とされている)。
自分自身で10年後くらいにこの記事を読んで 「ずいぶん浅はかなことを書いているな」 なんて思うかも知れません。 でもそれも悪いことではなさそうです、それだけ成長したとも言えるでしょうから。
さて、そろそろ5月15日に予定しているギター文化館でのリサイタルも近づいてきました。 次回からはそれに関連した記事を書いてゆきます。 ・・・・・・・そろそろ練習に集中しないと ・・・・・ちょっと遅いかな?
勝手に選ぶバッハ・チャコーナCD・ベスト4 ~ヴァイオリン編
私の主観によるセレクション
このタイトル(バッハ・シャコンヌ再考)のまとめとして、この何回かの記事で紹介した、バッハのチャコーナのCDから、ベスト4を選ぼうと思います。 ただし都合上、原曲通りのヴァイオリンでの演奏に限定します。 もちろん私の主観によるセレクションなので、皆さんのお気に入りのCDが上位にランキングされなかったとしても、苦情等は一切受け付けません、ご了承下さい。
さて、テレビなどでは、こういう時に下位のほうから発表してゆくのですが(視聴率の関係?)、そのような姑息なことはせず、堂々と第1位から発表してゆきましょう。 それでは、栄光の第1位は・・・・・・
<バッハ・チャコーナベストCD 第1位>
五嶋みどり (2013年録音、 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ、パルティータ全曲)

最も新しい録音
私の持っているバッハの無伴奏ソナタ、パルティータ集の中で、最も最近録音されたものです。 入手して間もないCDで、全曲通しては2回程度しか聴いていないので、このCDを1位にするのはちょっと冒険かなとも思いますが、でもとてもすばらしい演奏で、強く印象付けられました。 感動したといってもよいでしょう。
演奏スタイルは前にも書いたとおり、最近のバッハ演奏のトレンドである、オリジナル楽器系の演奏と言えます。 こうしたことは、今現在ではあえていうまでもなく、この21世紀になってからバッハの演奏を録音するヴァイオリニストはほとんど、このスタイルといってもよいのかも知れません。
21世紀になってから、バッハの曲を、譜面に書かれた音符の長さいっぱいに音をのばし、たっぷりとヴィヴラートをかけて演奏するヴァイオリニストなど絶滅してしまったのかも知れません。
聴こえてきたのは予想外の音
しかし、五嶋などは最初からバロック・ヴァイオリンを勉強したわけでなく、幼年期から少女時代(この頃にはすでにヴァイルトーゾとして活躍していたが)にかけては従来の、いわゆる近代ヴァイオリン奏法で育ってきたはず。 前にも触れたパガニーニの「24のカプリース」を始め、バッハ以外のすべての曲では、その近代ヴァイオリン奏法で演奏していて、そういした奏法が体に染みついているはずです。
しかしこのバッハのCDから聴こえてくる音は、全くそうしたものを感じさせません。 プレヤーから出てきた最初の音からして予想と全く違う音だったので、たいへん驚きました。
本当の美人はスッピンの方が美しい?
ただ、聴き進めてゆくと、そうした奏法の違いなどこの演奏にとってはきわめて些細なことだと感じられてきます。 五嶋の演奏技術が非常に高いことは皆さんもご存じと思いますが、 この演奏は極めて美しい!
ヴィヴラートなどの化粧を取り除いてしまったからかも知れませんが、五嶋のヴァイオリンの音はたいへん美しい。 まさに ”素” の音の美しさが聴こえる感じです。 確かに本当の美人はスッピンのほうが美しい・・・・・・・
音の消え去り際が言葉にならないほど美しい
特にソナタ第1番の「アダージョ」などでは、音の消え去る際が言葉にならないくらい、とても美しい。 だんだん小さくなって、音が聞こえなくなるその瞬間までヴァイオリンの音を完全にコントロールしている。 ヴァイオリンは弾いたことがないので、よくわかりませんが、これは人並み外れた技術と感性、特に右手の完璧なコントロールがなければ、到底出来ないことなのではと思います。
日本的美感
でも、音の消え去る際の美を追求するなんて、何か、とても日本的ですね、幽玄の世界か、武士道と言った感じがします。 もちろん音楽に国籍はありませんが、文化の違いはあるでしょう。
全く困難さを感じさせないのが唯一の欠点
この演奏に唯一欠点があるとすれば、この難曲を、難曲とは全く感じさせないで演奏しているところでしょうか。 バッハとしてはこれらの曲技術的な困難さからくる緊張感といったものも、一つのスパイスとして曲の中に織り込んだと考えられるでしょうから。
<第2位>
ギドン・クレーメル (2001~2002年録音 全曲)

クレーメル2度目の録音
21世紀になってからのクレーメルの録音も、ノン・ヴィヴラートで、オリジナル楽器的な演奏で、”確信に満ちた演奏” と言ったことを書きました。 まず、テーマからして非常に力強く演奏していて、バッハの音楽の緊張感あふれるところや、エネルギッシュな部分はこれ以上ないくらいに表現されています。
現代のバッハ演奏の最高峰、なぜ2位?
まさに今現在のバッハの演奏の最高潮と言えるものといえるでしょう。 ではなぜ2位? もちろんそれは私個人が五嶋みどりの演奏に魅了されたからに他ならず、客観的にどちらが優れた演奏かなどということは私にはわかりません。 しかし一般的考えれば、このクレーメルの演奏を取る人の方が多いのでは、とも思います。
技術はハイフッツ、魂はシゲティ?
クレーメルの演奏は、どこかシゲティの演奏をおまわせるところもあります。 一つ一つの音をクリヤーに発音し、その意味を考え、各変奏の特徴をはっきり弾き分け、また変奏どうしの関係を考えるなど、共通する点はいろいろあるように思われます。 しかし堅固で、透明感のある美しい音、および完璧な演奏技術は、むしろハイフェッツを彷彿させるところもあります。
五嶋と同じくノン・ヴィヴラートのオリジナル楽器的な演奏スタイルなのですが、クレーメルの演奏は、五嶋と同じく、そうした外見的なことはあまり感じさせず、ただクレーメルの音楽が聴こえてくる感じです。 こうしたすぐれたヴァイオリニストにとっては、演奏の様式感などいったことはそれほど大きな意味を持たないのかも知れません。
柔と剛
五嶋の演奏が ”柔” なら、クレーメルの演奏はまさに ”剛” 。 五嶋のノン・ヴィヴラートは極めて純粋な美しさを、クレーメルのそれは力強さをあらわしているようです。 ・・・・・”あはれ”の源氏物語と、神々しくそびえ立つパルテノン神殿・・・・・ なんて例えは、ちょっと陳腐かな。
<第3位>
ヨゼフ・シゲティ (1955年録音 全曲)

60年経っても名演は名演
シゲティの録音は60年経っても、「技術を超えた内容がある」 と専門家などから今現在でも絶大な評価を得ている演奏です。 そうした一般的な評価に影響されたことは完全には否定出来ませんが、 私がこのシゲティの演奏を第3位にしたのは、やはりこの演奏に感動したからです。 ・・・・・なぜ3位になってしまったかと言う理由はちょっと難しいですが、上の2つが良すぎたということでご了承を。
かつては良さがわからなかった
この演奏はLP時代から持っていましたが、録音も悪く、また技術的にもそれほど高いとは思えず、正直あまり聴いていませんでした。 その後CD化されて音質もかなり良くなったのですが、それでもあまり聴いていませんでした。
今回、ほぼひと通り記事を書いてから、久々にこのシゲティの演奏を聴いたのですが、よく聴いてみると、私がこれまでチャコーナについて考えてきたことを、そのまま音に表しているような感じがしました。 私がこの演奏に接してから40年経って、ようやくこの演奏の意味と価値が解ったのかも知れません。
先見の明
バッハのチャコーナについて、「細胞から組織、そして器官、さらに生命体へ」 といったことを以前の記事で書きましたが、シゲティの演奏はまさにそのように聴こえます。 またテンポなどを別にすれば、ヴィヴラートや、若干のポルタメントなどは聴かれるものの、その演奏法は現代のオリジナル楽器的な演奏と共通する部分もあります。 またクレーメルなど、多くのヴァイオリニストに影響を与えたとも考えられます。
この1950年代といったことを考慮すると、シゲティと言うヴァイオリニストは、本当に先見の明があったのだと思います。 確かに、今現在でも多くの音楽家や愛好家に聴かれるべき演奏ではないかと思います。
<第4位>
ヘンリク・シェリング (1967年録音 全曲)

多くのバッハ・ファンに聴かれた演奏
2001年の音楽之友社のランキング1位で、最も多くの評論家に師事されたCDです。 多くの愛好家がこの演奏でチャコーナを知り、またイメージを形成したのではないかと思います。 当記事ではこのシェリングの演奏は、「1960年代的演奏の代表」 と位置付けました。
”バッハの音楽に忠実な演奏” というコンセプトながら、実際にこの曲が当時どのように演奏されたか、というより、バッハの書いた譜面に忠実にといった演奏法です。 演奏法も近代ヴァイオリン奏法を用い、譜面の読み方も19~20世紀的な読み方で行っています。
今時流行らないスタイルだからといって
21世紀になった今日では、こうした手法でバッハの演奏を行うことは少なくなり、文字通り ”ひと時代前の演奏法” と言えるかも知れません。 しかし改めて聴いてみると、やはり素晴らしい演奏で、バッハの音楽の一つの面を表しているのは確かでしょう。 今現在の潮流に合わないからといって、決して切り捨てるべき演奏ではないでしょう。
ベームやリヒターの演奏と共に
以前の紹介でも書いた通り、シェリングのような演奏スタイルは、1960~70年代に非常に評価の高かったカール・ベームのモーツァルトや、カール・リヒターのバッハなどと共通するものがあります。 当ブログではそうしたものを ”1960年代的演奏” としたわけです。
確かにベームのモーツァルトは堅く、重たいもので、そこにモーツァルトらしいユーモアや軽快感、疾走感はありません。 人によっては退屈なモーツァルトと聴こえるかも知れません。 しかしベームの堅牢で気高い、神々しさの漂うジュピター(交響曲第41番)などは最近の ”様式感を踏まえた演奏” では聴くことの出来ないものです。 リヒターの「マタイ受難」についても同様なことが言えます。
大事なのは器ではない
本当に優れたものは時代を超えたものがあります。 また、様式感とかと言ったものでは測れないものがあるのでしょう。 何といっても演奏様式というのはあくまで ”器” であって、決してその中身ではないのですから。
と言いつつ、実はこのCDかなり前から持っていて、一般的な評価も非常に高いことも知っていたのですが、個人的にはあまり好きなものではなく、それほどよく聴いたものでもありませんでした。 今回改めてじっくりと聴き、その良さを感じたわけです。
<次点>
①アルトゥール・グリュミオー 1960年録音 全曲
個人的に愛着のある演奏
私個人としては、最初に聴いたチャコーナで(全曲ではなく、チャコーナとパルティータ第3番のガヴォットのみ)、最もたくさん聴いたものです。 それだけに愛着もあり、好みの演奏でもあるのですが、客観的に考え(主観的の決めているはずだが?)、残念ながら ”次点その1” となりました。
ハイフェッツの録音から10年と経っていませんが、ヴィヴラートはかけているものの、ポルタメントなどは一切かけず、まさに1960年代的な演奏となってます。 おそらくこうした演奏の先駆け的なものでしょう。 清潔感漂う、美しい演奏です。
②チョン・キョンファ (1974年録音 パルティータ第2番、ソナタ第3番のみ)
ファンにはたまらないCD
「ヴァイオリン好き、あるいはチョン・キョンファ・ファンにはたまらない1枚」 と紹介しました。 残念ながら全曲演奏ではありませんが、こうした演奏はあってもよいのではないかと思います。 私自身でもたいへんよく聴いた演奏です。
③ラチェル・ポッジャー (1997~1999年録音 全曲)
意外な演奏
ブックレットには「バロック・ヴァイオリン」と明記されてあり、ノン・ヴィヴラートで、半音低いピッチ、 と明らかにオリジナル楽器系の演奏。 とすればヴァイオリンの音というより、バッハの音楽の再現に力点を置き、音も短めに区切って弾くタイプと思いきや、前にも紹介したとおり、ポッジャーはそれぞれの音の後ろのほうを膨らませるような音の出し方をしています。
結果的にヴァイオリンの音をたっぷりと聴かせる演奏となっていて、短い音符はより速く弾くというような、ヴィルトーゾ的な演奏でもあります。 一般に、こうしたオリジナル楽器系の演奏は音楽を考えるといった方向、つまり知的なアプローチが目立ちますが、このポッジャーの演奏はオリジナル楽器による演奏でありながら、情感のほうが表に出ているように感じます(知的ではないというわけではないが)。
適度に装飾音なども加わり、意外と(?)面白い演奏で、聴く人によっては結構 ”はまる” のではと思います。 ・・・・・こうした演奏なら、特にピッチを下げる必要もないのではと思うが。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
最終回となります。 ありがとうございました。
今回をもって 「バッハ・シャコンヌ再考」 の記事を最終回とさせていただきます。 このタイトルの記事を書き始めてからそろそろ1年近くとなり、計36回に及ぶ記事となりました。 これらをすべて読んだ人などいるはずもないと思いますが、仮にいたとしたら、感謝に耐えません。 数回、あるいは1回でも読んでいただけましたら、とても嬉しいことです。 たいへんありがとうございました。
世の中に役に立つ記事かどうかわかりませんが、私自身はこの記事をかいたことにより、いろいろな発見が出来ました。 特に同時代のバッハ以外のチャコーナなどの知識が広まったのは大きいと思います。 まさに 「将を射んとせば、まず馬を射よ」 とか 「外堀から埋める」 といったことでしょうか(武士道的にはこういったことは卑怯な方法とされている)。
自分自身で10年後くらいにこの記事を読んで 「ずいぶん浅はかなことを書いているな」 なんて思うかも知れません。 でもそれも悪いことではなさそうです、それだけ成長したとも言えるでしょうから。
さて、そろそろ5月15日に予定しているギター文化館でのリサイタルも近づいてきました。 次回からはそれに関連した記事を書いてゆきます。 ・・・・・・・そろそろ練習に集中しないと ・・・・・ちょっと遅いかな?
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