中村俊三 ブログ

中村ギター教室内のレッスン内容や、イベント、また、音楽の雑学などを書いていきます。

<バッハ・シャコンヌ再考 36>


勝手に選ぶバッハ・チャコーナCD・ベスト4  ~ヴァイオリン編





私の主観によるセレクション

 このタイトル(バッハ・シャコンヌ再考)のまとめとして、この何回かの記事で紹介した、バッハのチャコーナのCDから、ベスト4を選ぼうと思います。 ただし都合上、原曲通りのヴァイオリンでの演奏に限定します。 もちろん私の主観によるセレクションなので、皆さんのお気に入りのCDが上位にランキングされなかったとしても、苦情等は一切受け付けません、ご了承下さい。

 さて、テレビなどでは、こういう時に下位のほうから発表してゆくのですが(視聴率の関係?)、そのような姑息なことはせず、堂々と第1位から発表してゆきましょう。   それでは、栄光の第1位は・・・・・・




<バッハ・チャコーナベストCD 第1位>

五嶋みどり (2013年録音、 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ、パルティータ全曲)




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最も新しい録音

 私の持っているバッハの無伴奏ソナタ、パルティータ集の中で、最も最近録音されたものです。 入手して間もないCDで、全曲通しては2回程度しか聴いていないので、このCDを1位にするのはちょっと冒険かなとも思いますが、でもとてもすばらしい演奏で、強く印象付けられました。 感動したといってもよいでしょう。

 演奏スタイルは前にも書いたとおり、最近のバッハ演奏のトレンドである、オリジナル楽器系の演奏と言えます。 こうしたことは、今現在ではあえていうまでもなく、この21世紀になってからバッハの演奏を録音するヴァイオリニストはほとんど、このスタイルといってもよいのかも知れません。

 21世紀になってから、バッハの曲を、譜面に書かれた音符の長さいっぱいに音をのばし、たっぷりとヴィヴラートをかけて演奏するヴァイオリニストなど絶滅してしまったのかも知れません。



聴こえてきたのは予想外の音

 しかし、五嶋などは最初からバロック・ヴァイオリンを勉強したわけでなく、幼年期から少女時代(この頃にはすでにヴァイルトーゾとして活躍していたが)にかけては従来の、いわゆる近代ヴァイオリン奏法で育ってきたはず。 前にも触れたパガニーニの「24のカプリース」を始め、バッハ以外のすべての曲では、その近代ヴァイオリン奏法で演奏していて、そういした奏法が体に染みついているはずです。

 しかしこのバッハのCDから聴こえてくる音は、全くそうしたものを感じさせません。 プレヤーから出てきた最初の音からして予想と全く違う音だったので、たいへん驚きました。




本当の美人はスッピンの方が美しい?

 ただ、聴き進めてゆくと、そうした奏法の違いなどこの演奏にとってはきわめて些細なことだと感じられてきます。 五嶋の演奏技術が非常に高いことは皆さんもご存じと思いますが、 この演奏は極めて美しい! 

 ヴィヴラートなどの化粧を取り除いてしまったからかも知れませんが、五嶋のヴァイオリンの音はたいへん美しい。 まさに ”素” の音の美しさが聴こえる感じです。 確かに本当の美人はスッピンのほうが美しい・・・・・・・



音の消え去り際が言葉にならないほど美しい

 特にソナタ第1番の「アダージョ」などでは、音の消え去る際が言葉にならないくらい、とても美しい。 だんだん小さくなって、音が聞こえなくなるその瞬間までヴァイオリンの音を完全にコントロールしている。 ヴァイオリンは弾いたことがないので、よくわかりませんが、これは人並み外れた技術と感性、特に右手の完璧なコントロールがなければ、到底出来ないことなのではと思います。




日本的美感

 でも、音の消え去る際の美を追求するなんて、何か、とても日本的ですね、幽玄の世界か、武士道と言った感じがします。 もちろん音楽に国籍はありませんが、文化の違いはあるでしょう。




全く困難さを感じさせないのが唯一の欠点

 この演奏に唯一欠点があるとすれば、この難曲を、難曲とは全く感じさせないで演奏しているところでしょうか。 バッハとしてはこれらの曲技術的な困難さからくる緊張感といったものも、一つのスパイスとして曲の中に織り込んだと考えられるでしょうから。







<第2位>

ギドン・クレーメル  (2001~2002年録音 全曲)



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クレーメル2度目の録音

 21世紀になってからのクレーメルの録音も、ノン・ヴィヴラートで、オリジナル楽器的な演奏で、”確信に満ちた演奏” と言ったことを書きました。 まず、テーマからして非常に力強く演奏していて、バッハの音楽の緊張感あふれるところや、エネルギッシュな部分はこれ以上ないくらいに表現されています。



現代のバッハ演奏の最高峰、なぜ2位?

 まさに今現在のバッハの演奏の最高潮と言えるものといえるでしょう。 ではなぜ2位? もちろんそれは私個人が五嶋みどりの演奏に魅了されたからに他ならず、客観的にどちらが優れた演奏かなどということは私にはわかりません。 しかし一般的考えれば、このクレーメルの演奏を取る人の方が多いのでは、とも思います。



技術はハイフッツ、魂はシゲティ?

 クレーメルの演奏は、どこかシゲティの演奏をおまわせるところもあります。 一つ一つの音をクリヤーに発音し、その意味を考え、各変奏の特徴をはっきり弾き分け、また変奏どうしの関係を考えるなど、共通する点はいろいろあるように思われます。 しかし堅固で、透明感のある美しい音、および完璧な演奏技術は、むしろハイフェッツを彷彿させるところもあります。

 五嶋と同じくノン・ヴィヴラートのオリジナル楽器的な演奏スタイルなのですが、クレーメルの演奏は、五嶋と同じく、そうした外見的なことはあまり感じさせず、ただクレーメルの音楽が聴こえてくる感じです。 こうしたすぐれたヴァイオリニストにとっては、演奏の様式感などいったことはそれほど大きな意味を持たないのかも知れません。



柔と剛

 五嶋の演奏が ”柔” なら、クレーメルの演奏はまさに ”剛” 。 五嶋のノン・ヴィヴラートは極めて純粋な美しさを、クレーメルのそれは力強さをあらわしているようです。   ・・・・・”あはれ”の源氏物語と、神々しくそびえ立つパルテノン神殿・・・・・ なんて例えは、ちょっと陳腐かな。






<第3位>

ヨゼフ・シゲティ   (1955年録音 全曲)




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60年経っても名演は名演

 シゲティの録音は60年経っても、「技術を超えた内容がある」 と専門家などから今現在でも絶大な評価を得ている演奏です。 そうした一般的な評価に影響されたことは完全には否定出来ませんが、 私がこのシゲティの演奏を第3位にしたのは、やはりこの演奏に感動したからです。  ・・・・・なぜ3位になってしまったかと言う理由はちょっと難しいですが、上の2つが良すぎたということでご了承を。



かつては良さがわからなかった

 この演奏はLP時代から持っていましたが、録音も悪く、また技術的にもそれほど高いとは思えず、正直あまり聴いていませんでした。 その後CD化されて音質もかなり良くなったのですが、それでもあまり聴いていませんでした。

 今回、ほぼひと通り記事を書いてから、久々にこのシゲティの演奏を聴いたのですが、よく聴いてみると、私がこれまでチャコーナについて考えてきたことを、そのまま音に表しているような感じがしました。 私がこの演奏に接してから40年経って、ようやくこの演奏の意味と価値が解ったのかも知れません。




先見の明

 バッハのチャコーナについて、「細胞から組織、そして器官、さらに生命体へ」 といったことを以前の記事で書きましたが、シゲティの演奏はまさにそのように聴こえます。 またテンポなどを別にすれば、ヴィヴラートや、若干のポルタメントなどは聴かれるものの、その演奏法は現代のオリジナル楽器的な演奏と共通する部分もあります。 またクレーメルなど、多くのヴァイオリニストに影響を与えたとも考えられます。

 この1950年代といったことを考慮すると、シゲティと言うヴァイオリニストは、本当に先見の明があったのだと思います。 確かに、今現在でも多くの音楽家や愛好家に聴かれるべき演奏ではないかと思います。






<第4位>

ヘンリク・シェリング  (1967年録音 全曲)



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多くのバッハ・ファンに聴かれた演奏

 2001年の音楽之友社のランキング1位で、最も多くの評論家に師事されたCDです。 多くの愛好家がこの演奏でチャコーナを知り、またイメージを形成したのではないかと思います。 当記事ではこのシェリングの演奏は、「1960年代的演奏の代表」 と位置付けました。

 ”バッハの音楽に忠実な演奏” というコンセプトながら、実際にこの曲が当時どのように演奏されたか、というより、バッハの書いた譜面に忠実にといった演奏法です。 演奏法も近代ヴァイオリン奏法を用い、譜面の読み方も19~20世紀的な読み方で行っています。



今時流行らないスタイルだからといって

 21世紀になった今日では、こうした手法でバッハの演奏を行うことは少なくなり、文字通り ”ひと時代前の演奏法” と言えるかも知れません。 しかし改めて聴いてみると、やはり素晴らしい演奏で、バッハの音楽の一つの面を表しているのは確かでしょう。 今現在の潮流に合わないからといって、決して切り捨てるべき演奏ではないでしょう。



ベームやリヒターの演奏と共に

 以前の紹介でも書いた通り、シェリングのような演奏スタイルは、1960~70年代に非常に評価の高かったカール・ベームのモーツァルトや、カール・リヒターのバッハなどと共通するものがあります。 当ブログではそうしたものを ”1960年代的演奏” としたわけです。

 確かにベームのモーツァルトは堅く、重たいもので、そこにモーツァルトらしいユーモアや軽快感、疾走感はありません。 人によっては退屈なモーツァルトと聴こえるかも知れません。 しかしベームの堅牢で気高い、神々しさの漂うジュピター(交響曲第41番)などは最近の ”様式感を踏まえた演奏” では聴くことの出来ないものです。 リヒターの「マタイ受難」についても同様なことが言えます。



大事なのは器ではない

 本当に優れたものは時代を超えたものがあります。 また、様式感とかと言ったものでは測れないものがあるのでしょう。 何といっても演奏様式というのはあくまで ”器” であって、決してその中身ではないのですから。 

 と言いつつ、実はこのCDかなり前から持っていて、一般的な評価も非常に高いことも知っていたのですが、個人的にはあまり好きなものではなく、それほどよく聴いたものでもありませんでした。 今回改めてじっくりと聴き、その良さを感じたわけです。








<次点>

①アルトゥール・グリュミオー   1960年録音 全曲



個人的に愛着のある演奏

 私個人としては、最初に聴いたチャコーナで(全曲ではなく、チャコーナとパルティータ第3番のガヴォットのみ)、最もたくさん聴いたものです。 それだけに愛着もあり、好みの演奏でもあるのですが、客観的に考え(主観的の決めているはずだが?)、残念ながら ”次点その1” となりました。 

 ハイフェッツの録音から10年と経っていませんが、ヴィヴラートはかけているものの、ポルタメントなどは一切かけず、まさに1960年代的な演奏となってます。 おそらくこうした演奏の先駆け的なものでしょう。 清潔感漂う、美しい演奏です。





②チョン・キョンファ  (1974年録音 パルティータ第2番、ソナタ第3番のみ)


ファンにはたまらないCD

 「ヴァイオリン好き、あるいはチョン・キョンファ・ファンにはたまらない1枚」 と紹介しました。 残念ながら全曲演奏ではありませんが、こうした演奏はあってもよいのではないかと思います。 私自身でもたいへんよく聴いた演奏です。





③ラチェル・ポッジャー  (1997~1999年録音 全曲)


意外な演奏

 ブックレットには「バロック・ヴァイオリン」と明記されてあり、ノン・ヴィヴラートで、半音低いピッチ、 と明らかにオリジナル楽器系の演奏。 とすればヴァイオリンの音というより、バッハの音楽の再現に力点を置き、音も短めに区切って弾くタイプと思いきや、前にも紹介したとおり、ポッジャーはそれぞれの音の後ろのほうを膨らませるような音の出し方をしています。 

 結果的にヴァイオリンの音をたっぷりと聴かせる演奏となっていて、短い音符はより速く弾くというような、ヴィルトーゾ的な演奏でもあります。 一般に、こうしたオリジナル楽器系の演奏は音楽を考えるといった方向、つまり知的なアプローチが目立ちますが、このポッジャーの演奏はオリジナル楽器による演奏でありながら、情感のほうが表に出ているように感じます(知的ではないというわけではないが)。

 適度に装飾音なども加わり、意外と(?)面白い演奏で、聴く人によっては結構 ”はまる” のではと思います。 ・・・・・こうした演奏なら、特にピッチを下げる必要もないのではと思うが。 




・・・・・・・・・・・・・・・・・・



最終回となります。 ありがとうございました。

 今回をもって 「バッハ・シャコンヌ再考」 の記事を最終回とさせていただきます。 このタイトルの記事を書き始めてからそろそろ1年近くとなり、計36回に及ぶ記事となりました。 これらをすべて読んだ人などいるはずもないと思いますが、仮にいたとしたら、感謝に耐えません。 数回、あるいは1回でも読んでいただけましたら、とても嬉しいことです。 たいへんありがとうございました。

 世の中に役に立つ記事かどうかわかりませんが、私自身はこの記事をかいたことにより、いろいろな発見が出来ました。 特に同時代のバッハ以外のチャコーナなどの知識が広まったのは大きいと思います。 まさに 「将を射んとせば、まず馬を射よ」 とか 「外堀から埋める」 といったことでしょうか(武士道的にはこういったことは卑怯な方法とされている)。

 自分自身で10年後くらいにこの記事を読んで 「ずいぶん浅はかなことを書いているな」 なんて思うかも知れません。 でもそれも悪いことではなさそうです、それだけ成長したとも言えるでしょうから。

 さて、そろそろ5月15日に予定しているギター文化館でのリサイタルも近づいてきました。 次回からはそれに関連した記事を書いてゆきます。   ・・・・・・・そろそろ練習に集中しないと ・・・・・ちょっと遅いかな?
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<バッハ・シャコンヌ再考 35>


ラチェル・ポッジャー  1997~1999年録音


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半音低いピッチ、音の後の方を大きくしている

 ポッジャー(Rachel Poger) の録音は ”バロック・ヴァイオリン” と明記してあり、ピッチもクイケン同様に半音程度低くなっていて、オリジナル楽器を意識したものとなっています。 

 ノン・ヴィヴラートなのは他のオリジナル楽器奏者と同じですが、他に、はっきりとした特徴としては各音、特に長い音の後の方をクレシェンドしている点でしょう。 これはオーケストラではノリントンなどがやっています。 当時はそうした習慣もあったのでしょうか。

 テンポは13分台と中庸で、ほぼイン・テンポです。 多くのヴァイオリニストが長い音符はより長く、短い音符はより短く演奏する傾向がありますが(各部分の特徴をはっきりさせるため)、ポッジャーは、そうしたことはあまりやっていません。 アーテキュレーションは控えめですが、適宜に行っています。 装飾音も、また控えめに加えられています。 

 なぜかトラック順がBWV番号通りでないので個別の曲を聴く時に迷ってしまいそうです。 特にゆっくり弾いている訳ではなさそうですが?


  



ベンヤミン・シュミット  1999年録音

 

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なんとなくギターぽい

 シュミットの演奏もノン・ヴィヴラートで、やはりバロック時代の演奏様式に従った演奏といえます。 ただしピッチはほぼ442で、私たちが行っているものと同じです。 同じようにオリジナル楽器系の演奏といっても、前述のポッジャーの演奏とはかなり違い、一つ一つの音は比較的短く奏され、もちろん後の方を大きくするようなことは全くありません。

 音の出だしを強く弾いて、短く切るような弾き方で、何となく私たちのギターの演奏に近い感じです。 もしかしたらリュートをイメージしているのかも知れません。 テンポも速め(12:43)で、きびきびとした演奏で、 ”さっぱり系” のチャコーナといえるでしょう。 

 しかし中間部(ニ長調)のテーマでは音量をおとし、音を切らずにレガートに歌わせており、また、ヴィヴラートもしっかりとかけているところもあります。 シュミットの演奏は、オリジナル楽器系の演奏と言えるのは確かですが、それほど型どおりと言う訳ではありません。






ギドン・クレーメル  1981年、 2001~2002録音


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1980年の録音



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2001~2002年の録音




2度録音しているが、全く違った演奏

 クレーメルは1980年と2001~2002年と2度、このバッハの無伴奏ソナタ&パルティータを録音していますが、2001~2002年のほうを中心にコメントします。

 1980年の時の録音は ”従来の演奏法” を踏襲したような感じで、テンポの速い、きびきびとした演奏でしたが、特徴などはそれほどはっきりしていませんでした。 しかしこの20年後の録音はまるで違う演奏になっています。

 その後、オリジナル楽器系の演奏が一般化し、その影響を受けたのは間違いありませんが、それ等をただ受け入れるだけでなく、あくまで自らの感性と考えに照らし合わせた上で演奏しているように思えます。
 


個性的で確信に満ちた、非常に強い表現

 音は比較的短く区切られるだけでなく、非常にはっきりと発音され、それぞれに音が極めて強い存在感を感じます。 また各部分に応じて音質や強弱は、非常にはっきりと弾き分けられ、それ等の意味合いを聴き手に強く印象付けようとしている感じです。

 聴いた印象としてはシゲティに近いような気もします。 個性的で、確信に満ちた演奏といえるでしょうか、間違いなく21世紀のバッハの名盤の一つでしょう。






イサベル・ファウスト  2009~2011年録音


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なんとなく中性的なビジュアルだが、名前が哲学的


今やバロック的演奏が標準となっている

 21世紀になるとバッハの演奏はオリジナル楽器系の演奏が標準となってきたようですね。 2000年以降はヴィヴラートをたっぷりとかけ、音を書いている音符いっぱいにのばし、朗々とヴァイオリンの音を聴かせる演奏のCDは新たに発売されないようですね。

 これからはあえあ ”オリジナル楽器系” とか ”バロック時代の演奏様式を踏まえた演奏” などという前書きは不必要なのでしょう。 そうでない時だけ ”20世紀的演奏” とか ”近代のヴァイオリン奏法による演奏” などと形容すればよいのかも知れません。
 
 と言った訳で、この演奏もノン・ヴィブラートで、音を区切り、やや速めのテンポで弾く、オチジナル楽器系の演奏です。 しかしピッチの方は半音下げずに、だいたい442くらいのようです。 



ノン・ヴィブラートだが美しい

 ノン・ヴィブラートですが、音はたいへん澄んだ美しい音です。 ノン・ヴィブラートの音はゴマカシがきかないだけに、そのヴァイオリストの持っている音が素直に出てしまいます。 つまり本当に美しい場合は澄んだ美しい音が出るが、そうでない場合は、そうでない音が出る、まあ、スッピンみたいなものでしょうか(例えに問題があったかな?)。

 テンポは表示を見ると12:26と、確かに速めですが、テーマのような長い音符も、32分音符のパッセージも同じテンポで演奏しているので、聴いた感じではもっと速く感じます。 強弱や音色の変化はほとんど付けていませんが、装飾音も適度に加えています。 あくまでも ”バロック時代” 的な演奏法に徹していますが、美しい演奏です。





五嶋みどり  2013年録音


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予想は完全に裏切られた

 2913年録音ということで、私が聴いたCDの中で最も新しいものです。 発売は去年か、今年でしょう。 聴き出して、まずは予想を完全に裏切られました。 五嶋みどりの演奏は、これまでパガニーニのカプリースで知っており、無意識にそのパガニーニでの演奏の音を予想していました。 あるいは同じように女流天才ヴァイオリニストのチョン・キョンファとか、加藤知子とかの演奏をイメージしていたかも知れません。

 よく考えれば ”今やバロック的演奏が標準” と私自身で言っている訳ですから、当然のことなのでしょうが、 プレーヤーから聴こえてきた音は、ポッジャーやファウスト同様、ノン・ヴィブラートのオリジナル楽器系の音です。




近代的奏法を全身に受けてきたはずだが

 五嶋みどりは、当然のことながら幼少時から ”近代的ヴァイオリン奏法” で育って来て、頭から尻尾までその演奏法が染み渡っているはずです。 それ等を否定してこのような弾き方でバッハを演奏するのは、そんなに簡単なことではないのでは、つい、余計な心配をしてしまいます。

 こうしたことを、何の問題もなくたやすくやってきたのか、それとも血のにじむような努力をしたのかは、全くわかりませんが、 このCDから聴こえてくる演奏の印象は、こうしたことを極めて自然にやっているということだけです。



清潔感や透明感だけではない

 ノン・ヴィブラートの音も、ただ清潔感や透明感が取り柄といったものではなく、音のふくらみもあり、また色彩感、色気、セクシーさ(同じ言葉かな?)といったものも伝わってきます。 12:20 と速めのテンポで弾いていますが、前述のとおり、ふくらみのある音と演奏なので、あまり速さは感じません。

 テンポや音量は、目立つようには変えていませんが、重要な音と軽い音でそれぞれウェイトを変えていて、バス・ラインから音楽を構成するといった感じも聴こえてきます。



客にだされるのは、ただおいしい料理だけ

 このオリジナル楽器の演奏が普及しだした頃(1980年頃)のクイケンの演奏では、内容の前に、その演奏様式感のほうが全面に出てしまっていたのですが、この五嶋みどりの演奏では、基本的には同じことをしながらも、その様式感は厨房の中だけに留まり、来店客(聴き手)の前に出されることはありません。 客に提供されるのは、ただおいしい料理だけということになります。

 この ”バロック時代の演奏様式を踏まえた演奏” と言うものが始まってから30年を過ぎ、今やバッハの演奏もここまで進化したのかなと思いました。
バッハ・シャコンヌ再考 34

シギスヴァルト・クイケン(1944~ )   1981年録音



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オリジナル楽器の演奏の草分け

 1970年代後半からバロック音楽の演奏では、 ”オリジナル楽器による演奏” が一般化してきます。 これは当時の楽器(レプリカも含めて)を使用するだけでなく、演奏様式もなるべく当時のものに近づけるといった演奏法です。 このクイケンなどはその草分け的なヴァイオリニストの一人といえるでしょう。

 この演奏でこれまでのものとの大きな違いといえば、まずピッチが半音ほど低いということでしょうか。 それとヴィブラートをほとんどかけないということでしょう(もちろんポルタメントも)。 聴いている感じではさらに音程の取り方も微妙に違うようにも聴こえます。

 一つ一つの音を区切って弾くところは、前述のシゲティと同じですが、演奏全体としてはかなり違ったものです。 別の見方鵜をすると、こうした今日のバッハ演奏のスタイルを60年以上前に予測していたようなシゲティには、先見の明があったのではないでしょうか。

 演奏時間は 11:12 とかなり速めで、テーマの付点4分音符の後の8分音符は短く、16分音符のように演奏されています。 たいへん引き締まった演奏と言え、 確かにバッハの時代にはこのように演奏されていたのかも知れません。

 しかし、個人的な感想としては、この演奏は演奏様式の方が全面に出過ぎてしまっているようにも感じます。 こうしたオリジナル楽器系の演奏は、まだまだこれから進化してゆくのでしょう、 クイケンの演奏はそうしたものの先駆的な役割として、大きな意味合いがあります。






シェロモ・ミンツ(1957~ )


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安定した演奏だが、跳んだりはねたりはしない

 上記のクイケンよりも10歳以上若い、モスクワ生まれのヴァイオリニスト、シェロモ・ミンツの演奏は、クイケンとは正反対の従来型の1960年代的と言えるものです。 音は書いてある音符いっぱいに伸ばし、もちろん音価も譜面に書かれた通りです。

 シェリングの演奏に近いものがありますが、それをさらに徹底した感じです。 音程が非常に安定しているのも(今日的な意味で)特徴で、おそらくかなり技術の高いヴァイオリニストなのではないかと思います。

 どの音符もかなり長く奏されるので、必然的にテンポも遅めですが、”書かれていないことは何もやらない” といった60年代的な考えで演奏しているように思えます。 確かに落ち着いては聴けるのですが、どうも ”すり足” 的な演奏で、常に重力で体が地面に押し付けられ、跳んだり、はねたりは出来ないような印象があります。

 




Mark Lubotsky  1987年録音


バッハ大全集の中のもの

  Lubotskyというヴァイオリニストのことはよくわかりませんが、このCDはブリラント社の「バッハ大全集」の中のものです。 ガダニーニ使用と記されおり、おそらく弦や弓など当時のもの、あるいはそれに近いものを使用した、”オリジナル楽器による演奏” の一つと言えるのでしょう。



オリジナル楽器系だが、ピッチは低くない

 しかしピッチはクイケンのように半音低くとることはなく、測ってみると445と、現在の一般的なものtほぼ同じと言えます。 確かに昔は常にピッチを今現在より低く取っていたと単純に言えるものでもなく、 場合によっては高いこともあったようです。

 またオリジナル楽器では、ピッチを半音低くするというのも、かつてそれが標準だったというより、 「ちょうど半音低くした方が都合がようから」 といった今日的な理由が大きいとといった話も聞きます。

 クイケン同様にヴィヴラートはかけていませんが、ポルタメントは若干入っているように聴こえます。 ポルタメントを徹底して嫌うというより、 「自然にかかってしまうものは、しょうがない」 と言った感じなのではと思います。

 テーマの8分音符の長さの取り方については8分音符しては短く、16分音符にしては長いと言った感じです。 音の伸ばし方については、書かれた音符いっぱいに音を出すところもあれば区切るところまあるようです。



折衷派?

 要するにシェリングなどの60年代的な演奏とクイケンなどのオリジナル楽器系の演奏との折衷的な感じがあります。 オリジナル楽器使用と思われるので、音色はやや曇った感じですが、演奏はかなり自然です。 抑揚なども自然についていて、好感の持てる演奏ではないでしょうか。






加藤知子  1999~2000年録音


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スキップくらいはする

 加藤知子の演奏は近代のヴァイオリン奏法によるもので、ヴィヴラートもしっかりとかかっています。 音価もほぼ書かれたとおりに取るといった、オリジナル楽器の演奏とは異なる従来型の演奏といえますが、ミンツなどのように常にすり足的な演奏ではなく、軽い音や、重たい音など、音のウエイトはいろいろ変えられています。 飛び跳ねまではしませんが、ゆっくりあるいたり、ちょっとスキップ気味になったりくらいはします。

 どちらかと言えばチョン・キョンファのように、バッハを聴くといよりヴァイオリンを聴くといった演奏といえるかも知れませんが、そういった意味ではたいへん魅力的なヴァイオリンの音色と言えるでしょう。  
 
 聴いた感じではかなりゆっくり目に弾いているように感じますが、タイミングを見ると 14:30 とすごく遅い訳ではないようです。 音をたっぷりと鳴らしきるので、そう感じるのでしょう。



<バッハ・シャコンヌ再考 33>



ヘンリク・シェリング(1918~1988)  1967年録音



1960年代的な演奏の代表

 バッハの演奏は、20世紀になってから出来るだけ客観的に考えるようになりました。 今現在(21世紀)では、バッハの時代にはどのように演奏されたかということを最も重んじますが、1960年代では、前回お話したとおり、バッハの残した譜面に出来るだけ忠実にといった考えが一般的で、その代表が、このシェリングの演奏でしょう。 


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 シェリングは、ウィスキーのCMではありませんが、「何も加えず、何も引かず」 と、譜面に書かれていないことは、一切やらないといった姿勢です。 前回のグリュミオーの演奏もそうしたものですが、 このシェリングの演奏などは、さらに徹底しているようです。



ランキング1位

 このシェリングのバッハの演奏は、録音当時から現代まで、音楽雑誌のランキングでは、常に1位、または上位にランキングされており、 専門家からも、一般愛好家からもたいへん高く評価されています。 

 シェリングの演奏は、1音1音を書かれた音符の長さいっぱいに響かせ、短い音符もおろそかにすることなく、しっかりと鳴らしています。 テーマの付点4分音符の後の8分音符も短くすることなく、しっかりと半拍分伸ばしています。

 そう言えば、この8分音符に低音を添えて弾くヴァイオリニストと、そうでないヴァイオリニストがいますが、 シェリングはこの8分音符にも低音を添え、重厚さと力強さを出しています。


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肉厚で美しい音、威厳に満ちたバッハ演奏の標準形

 強弱やアーテキュレーションなどを全く付けていないわけではないのですが、たいへん控えめで、ちょっと聴いた感じではどの音も同じように発音されています。 演奏時間は 14:24 と、中庸、やや遅めといったところですが、聴いた感じではもっと遅く感じます。 1音1音をしっかりと鳴らしているせいでしょう。 また音色も肉厚でたいへん美しい音です。

 久々に聴くと、やはり素晴らしい演奏で、感動的でもあります。 おそらく私たち世代のバッハ・ファンにとっては、バッハのシャコンヌの標準形、この演奏によってバッハのチャコーナのイメージが作られたのではと思います。 まさに威厳に満ちたバッハの音楽の象徴のような演奏です。 

 このシェリングのような演奏スタイルは、今日ではやや影を潜めていますが、やはり不朽の名演奏といってよいでしょう。





 
ナタン・ミルシテイン(1904~1992)  1973年録音

 ミルシテイン69歳の頃の録音ということで、ミルシテインとしては晩年の録音ということになります。 演奏の基本スタイルとしては前述のシェリングと同じですが、ミルシテインの場合はやや自由に弾いています。 


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無骨で硬派な演奏

 音色はあまり美しいとは言えませんが、力強く、また躍動感も感じます。 あまり極端ではありませんが、シェリングに比べると短い音符は短く、速いところはより速く、つまりややヴィルトーゾ的な方向性といえるでしょう。 アーティキュレーションもやや自由に行っています。 無骨で硬派な演奏といえるでしょうか。






チョン・キョンファ(1948~ )  1974年録音

 韓国出身のヴァイオリニスト、チョン・キョンファ は無伴奏ソナタとパルティータの全曲は録音していませんが、このチャコーナが含まれるパルティータ第2番とソナタ第3番を、20代で録音しています。 


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しなやかなヴァイオリンの音

 この演奏の特徴は、何といってもヴァイオリンの美しさと、歌心でしょう。 長い音符などは音の出だしよりも後の方を膨らすと言った感じで、楽器の音を美しく響かせると言ったことに重点が置かれているようです。 

 強弱やの変化やアーテキュレーションも積極的に付け、各部分の表情の変化をしっかりと表現しています。 どちらかと言えば、バッハを聴くというより、チョン・キョンファのヴァイオリンを聴くといった録音ですが、ヴァイオリンの好きな方、あるいはチョン・キョンファ・ファンにはたまらない1枚でしょう。 かく言う私も20代の頃、彼女のヴァイオリンの音に酔いしれた一人です。

 




ジャン・ジャック・カントロフ(1945~)  1979年録音


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爽やかで美しい音

 カントロフのヴァイオリンの音は、透明感のある美しいものと言えるでしょう。 特定の音を強く弾いたり(弱音はあるが)、スタッカートを使ったりなど極端なことはあまりせず、全体にレガートに、また品よく演奏しているといった感じです。

 その分、やはりどこか ”ひ弱さ” のようなものを感じてしまうのは私だけでしょうか。 音楽の内容もちょっと伝わりにくいような気もします。 ・・・・個性的な演奏を聴き過ぎたせいかも知れない。  

 カントロフの演奏には気負った感じが全然しませんが、そう聴こえるのは技術的には非常に高いものを持っているということでしょう。  爽やかで、なめらか、肩の凝らないバッハといった感じで、好みに合う人は決して少なくないでしょう。
 
バッハ・シャコンヌ再考 32


<ヴァイオリンでの演奏>


 順序が逆になってしまいましたが、最後にオリジナルのヴァイオリンでの演奏、録音ついてコメントしてゆきます。 バッハの無伴奏ソナタ・パルティータは名曲中の名曲ですので、録音は数知れず存在するでしょう。 もちろん私の手元にあるのはその中のごくわずかですが、それでも⒑数種類ほどあります。 それらを録音古いものから順に紹介してゆきましょう。

 



ヤッシャ・ハイフェッツ(1911~1972)   1952年録音


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卓越した技巧で知られた往年の名手

 ハイフッツは20世紀半ばに活躍したヴァイオリンの名手で、その卓越した技巧と堅固な音楽で知られています。 メンデルスゾーンやチャイコフスキーの協奏曲の録音は今でも名盤に数えられています。



テンポは速いのに、1音1音は長く聴こえる

 それ等の協奏曲の演奏と同じく、テンポは全体に速めですが、32分音符など、細かい音符になるといっそう速くなり、”凄さ” を感じさせます。 またアルペジオなどは、テンポが速いのに1音1音が長く聴こえます。 まさに名人芸の極みといえるでしょう。 

 また、和音を弾く時は、通常では低音弦から高音弦に向かって弾きますが、ハイフッツの場合、上(高音弦)から下(低音弦)だったり、上から下に行って、さらに中央に戻るとか、かなり複雑な弓使いをしているようです。 ヴァイオリンの演奏技術のことはよくわかりませんが、ハイフッツの弓使いは特別なもののようです。




バッハにポルタメントなど、もっての外?

 さらに特徴的なのはヴィヴラートとポルタメント(グリサンド)でしょう。 ヴィヴラートはバロック時代でも用いられたと言われていますが、今現在バッハの曲にポルタメントを用いて演奏する人はいません。 おそらくバッハの時代でもあり得なかったでしょう。 

 「バッハにポルタメントなど、もっての外!」 と憤る方もいるかも知れませんが、逆に言えば、こうした往年のヴィルトーゾ的な演奏スタイルでバッハを演奏する人はいませんから、たいへん貴重な演奏とも言えます。 あまり目くじらを立てずに、 「こうした演奏をした時代もあったのかな」 と名人芸を楽しむのも一つかなと思います。



改めて聴くと、やはり凄い

 ハイフェッツのバッハは後述する同世代のヴァイオリニスト、ヨーゼフ・シゲティに比べると、音楽評論家などの評価はイマイチですが、改めて聴いてみるとなかなか面白く、凄い演奏だと思います。 モノラル録音ですが鑑賞するには十分なもだと思います。

 




ヨーゼフ・シゲティ(1892~1973)  1955年録音


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今まで理解出来なかったが

 シゲティのバッハの演奏は大変評価の高いもので、その精神性まで語られています。 またその一方では技術の不足や音色の美しくない点などが語られこともあります。

 私もこのCDはだいぶ前から持っていたのですが、買った当時はあまり理解出来なかったのですが、今回、改めて聴いてみると、確かに素晴らしい演奏だと思いました。

 演奏時間 15:59 と、かなり遅めですが、聴いていて冗長さは感じられず、一つ一つの変奏やフレーズが新鮮に感じられます。 シゲティは1音1音区切りながら弾く感じで、そうした点は現在のオリジナル楽器系の演奏者と共通する点があります。 ハイフェッツと同じくポルタメントを使用しているのですが、その使い方は限定的で、使うところは使うが、使わないところは使わないと、はっきり意識的に使い分けているようです。




非常によく考え抜いて演奏している

 聴き進めてゆくと、シゲティは各変奏の、特徴、各変奏の関連性、さらに曲全体の構成などを、非常によく考えて演奏しているようで、場当たり的なことはほとなどなさそうです。 私のことで恐縮なのですが、これまで私がこのチャコーナについて述べてきたことと近いことを、音で表現しているようにも感じます。




バッハの音楽を深く追究すれば

 多くの著名なヴァイオリニストが ”バッハの作品を用いて、ヴァイオリンの音楽を行う” といった感じなのに対し、シゲティの演奏は、まさに ”ヴァイオリンを用いて、バッハの音楽を行う” といった感じがします。

 「このヨレヨレの演奏のどこがいいんだ」 と思う方もいるかも知れませんが、バッハの音楽を深く追究すれば、こうした演奏になるのかなと思います。 ハイフェッツの演奏とは全く逆の方向で、凄い演奏でしょう。 このチャコーナを演奏しようとする人は(その楽器によらず) ぜひとも聴かなければならい演奏のような気がします。







アルトゥール・グリュミオー(1921~1986)  1960年録音


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ハイフェッツの演奏スタイルとは全く違う

 グリュミオーのチャコーナは私が最初に聴いたヴァイオリンの演奏なので、個人的にも愛着があります。 世代的にはハイフェッツとあまり変わりませんが、演奏スタイルは全く違います。 20世紀半ば頃から、過去の作曲家の作品を演奏する場合は出来る限りその作曲家の意図に沿った演奏をしなければならないといった考えが一般的になり、このグリュミオーの演奏もそうしたものの一つと言えます。



グリュミオーは新時代のヴァイオリニスト?

 最もわかりやすいことでは、ハイフェッツの演奏では目だっていたポルタメントは一切ないということでしょう。 この時代(1960年代)からみると、ハイフェッツの演奏は旧時代のヴィルトーゾ的な演奏で、グリュミオーは新しい時代のヴァイオリニストといったところでしょうか。



書かれた ”譜面” に忠実

 この時代(1960年代)ではよく ”原典に忠実に” ということが言われていました。 しかし ”原典に忠実” といっても、今現在の21世紀的な考えとはだいぶ異なります。

 この時代の原典に忠実ということは ”譜面に忠実” と言った意味が強く、演奏者の主観を排して完璧に楽譜通りに、といった意味が強かったようです。 特に ”楽譜に書いていないことはやってはいけない” といった考えも強かったようです。

 勿論冒頭のテーマの付点4分音符も完全に1拍半で演奏していて、また、バッハの書いた譜面では、スラーやスタッカートなどの記号は非常に少ないのですが、グリュミオーは独自の解釈でアーテキュレーションを付けることはしていません。



カラヤンやベームも同じ演奏スタイル

 こうした演奏スタイルはカラヤンやカール・ベーム、バッハの演奏には定評のあったカール・リヒターなどにも共通するものがあり、いわば ”1960年代的演奏スタイル” といえるでしょう。



現代では、当時どのように演奏されていたかを考えて演奏する

 現代(21世紀)でも ”原典に忠実” という考えは同じなのですが、ただ、今現在は、書かれた譜面に忠実というより、 ”バッハの時代にはどのように演奏されたか” ということ第一義的に考えています。

 つまり18世紀に書かれた譜面を20世紀的な読み方をして演奏したとしても、当然のことながら、当時演奏されていたものはだいぶ違ってしまいます。 18世紀に書かれた譜面は18世紀的な読み方をしなければならない、それが現代的、あるいは21世紀的な演奏スタイルと言えるでしょう。 その”現代的” な演奏については後でまたお話します。