中村俊三 ブログ

中村ギター教室内のレッスン内容や、イベント、また、音楽の雑学などを書いていきます。

タレガ : タンゴ




タンボラートやラスゲアード、ハーモニックスを用いた面白い曲

 「タンゴ」の話だったのですが、前回は前フリで終わってしまいました。 今度は本当にタンゴの話をしましょう。 この曲はタレガの曲の中でも人気のある曲で、なかんか面白い曲で、タンボラートやハーモニックスを効果的に使っています。 比較的シンプルな曲ですが、3連符と付点音符の組み合わせを正確なタイミングで弾くのはなかなか難しいです(たいていの人はアバウトに弾くが)。




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タレガのタンゴ  最初の出版は1909年前後と思われる。 タンボラートやハーモニックスなどが効果的に用いられたタレガの人気曲だが、3連符と付点音符のカラミを正確なタイミングで弾くのは難しい。 




二重奏曲のパート譜?

 このタンゴの出版はタレガの死の前後、つまり1909年前後と思われますが、この曲はガルシア・トルサの二重奏曲「ハバネラ」の1stパートとほぼ同じになっています。 トルサは1905年に亡くなっているので、必然的にトルサの二重奏曲のほうがタレガの出版譜よりも早いと言うことになります。




椿姫やグラン・ホタなどから考えれば

 となれば、先の事情から、このタンゴも椿姫幻想曲やグラン・ホタ同様に他のギタリストの作品がタレガ作となってしまったのか、と誰しも思うでしょう。 実際にCDなどの解説ではそのように書いてあることが多いです。 私自身もそのように認識していました。




なんとなくタレガらしくない曲

 さらに、アラビア風綺想曲は、ラグリマ、マリエッタなどの作品と比べると、確かにこの曲は趣が異なり、タレガの作品らしくないところもあります。 セゴヴィアがこの曲を弾かなかったのはそういったところもあるかも知れません。




有罪確定だったが

 いろいろな点で ”真っ黒” と思われていた、つまり有罪が確定していたこの曲ですが、2012年に現代ギター誌に書かれた毛塚健旨氏の記事では、1894年にタレガは、当時流行った民謡を基にこの曲を書いていて、その日付なども書き記されているそうです。




タレガの独奏譜のほうが先?

 つまり、トルサの二重奏曲の1stパートを、タレガが自らの独奏曲として出版したのではなく、その逆でトルサがタレガの独奏曲に2ndパートを作曲して二重奏曲にしたものだそうです。 つまり冤罪を晴らす証拠が出てきたと言うことになります。

 また、このタンゴがあまりタレガらしくないというのも、当時流行していた曲の編曲だとなれば、合点がいきます。 エンターティメント性を大事にしていたタレガは、流行っている曲や、一般に人気のある曲は、とりあえずギターにアレンジしなければ気が済まなかったのでしょう。   ・・・・・ウン、ウン、何となくよくわかる。




感動の逆転勝訴!

 と言った訳で、このタレガのタンゴは足利事件や何とか事件同様、長年にわたる裁判闘争の結果、無罪を証明する確たる証拠の発見により、逆転無罪となりました。 法廷から走って出てきた弁護団の持つ「逆転勝訴」 の垂れ幕に、本人はじめ、関係者の皆さんは喜びと感動で沸き返っています・・・・・・・ 




今後はこのようなことが起きないために

 ・・・・・・・感動中ではありますが、無罪を告げた裁判長から、タレガ氏に 「あなたの無罪は証明されましたが、今後はこのようなことが起きないために、編曲の場合は編曲、また、他の音楽家の作品の一部などを引用した場合は、必ずそうしたことを明記するように」 との注意がありました。
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偽作の名曲いろいろ 5 ~濡れ衣編



フランシスコ・タレガ : タンゴ




「椿姫幻想曲」がアルカスの作品であることは知られているが

 最近では皆さんもご存じと思いますが、タレガには偽作とされるものが結構あります。 特に有名なものとしては 「椿姫幻想曲」 で、これはタレガの先輩にあたるスペインのギタリストのフリアン・アルカスの作品と言われています。

 とはいっても、そのアルカスの書いた原曲の譜面を私自身では持っていないので、どの程度タレガが書いた譜面とアルカスの原曲が近いのかは、よくわかりません。 ・・・・いろいろがんばればアルカスの原曲の譜面も入手できるのかな?




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 フリアン・アルカスはタレガ以前においてはスペインで最も高く評価されたギタリストで、この曲を始めとしてヴィルトーゾ的な作品を多数残しています。 かつては ”谷間の時代 (暗黒時代だったかな?)” と言われた19世紀半ば頃のギタリストですが、最近ではタレガに劣らない優れたギタリストとして、その偉業を再評価されています。




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マリア・エステル・グスマン演奏のフリアン・アルカス作品集のCD  この「椿姫幻想曲」は収録されていない




 この曲が一般に知られるようになったのは比較的最近で(比較的最近タレガの名の入った譜面が再発見された?)、私の知る限りでは1980年代にカルロス・ボネルの録音で知られるようになったのではと思います。  また、その時点でこの曲がアルカスの作品であることも、ほぼ同時に言われていたような記憶があります。 





冤罪が晴れることも?

 しかし今現在では、アルカス作曲とされる場合もありますが、堂々と ”タレガの傑作” として表記されたり、解説されているものも少なくありません。 アルカスのためにも、その辺ははっきりしておいた方がよいのではと思います。  ・・・・・・最もいろいろ研究した結果、この作品は紛れもなくタレガの真作だったなどという根拠が出てくる可能性もなくはないかもしれませんが。

 



タレガがリサイタルの際に必ず演奏したという 「グラン・ホタ」 も

 タレガがリサイタルの時に必ず演奏したと言う 「グラン・ホタ」 もフリアン・アルカスがスペインでよく知られた旋律(ホタ)を基に作曲した 「ホタ・アラゴネーズ」 を改編した作品で、アルカスの書いた変奏のうち、いくつかのものはそのまま使用されているようです。 また、1910年頃のアリエール社の出版譜(現代ギター社版と同じ)に付いているイントロは、同時代のスペインのギタリストのホセ・ヴィーニャスの作品の一部だそうです。




今現在なら違法行為?

 こうしたことは、今現在だったら偽作というより ”盗作” ということになってしまい、違法行為となりますが、当時はそうした著作権的なことはあいまいだったのでしょう。 タレガにはこうした他の音楽家から引用した作品がかなりあり、そしてその出典を明記しないこともしばしばあったようです。

 こうした件について、決してタレガは悪気があって他の音楽家の作品を盗用したわけではないと言われていますが、19世紀といえど、ある程度は著作権といった概念も出来ており、大半の音楽家はこのようなことはしてはいなかったので、タレガが他の音楽家の作品を使用することについて、ややルーズだった点は否めないでしょう。




過去の大作曲家はリスペクトしていたが

 タレガはもちろんギターのための作品を残していますが、作曲より演奏の方に主眼が置かれていたという点もこうした事が起きた理由の一つかも知れません。 ただ、タレガはベートーヴェンやシューマンなど、過去の大作曲家に対する尊敬の気持ちは強かったようで、自らの作品よりも重要視してた印象があります。

 その反対に同時代のギタリストの作品をリスペクトする気持ちは多少薄れていた可能性もあります。 特にフリアン・アルカスはタレガにとって師匠とも言える存在だったはずで、実際にタレガは師の作品(一部分だとしても)を演奏していたわけですから、自らの作品のタイトルなどにその名が現れてもよいはずなのですが、そうしたものは一切ないようです。




師というより越えるべき存在

 タレガにとってアルカスの存在は大きかったはずですが、師というよりライバルで、越えるべき存在だったのかも知れません。 これと同じ関係はタレガとリョベット、 あるいはリョベットとセゴヴィアの間にもありそうですが、この話はまた後にしましょう。 でもこれらのスペインの大ギタリストたちの相関図は、なんだか面白いですね。


 


 
偽作の名曲いろいろ 4 ~濡れ衣編



ヴィターリ : シャコンヌ




以前にも書いたが

 以前、当ブログの 「シャコンヌ再考」 でも書いた曲ですが、このバロック時代のイタリアの作曲家、トマソ・アントニオ・ヴィターリのシャコンヌは、シャコンヌとしてはバッハの作品と並ぶバロック時代の人気曲です。 知名度などではアルビノーニの「アダージョ」には一歩譲るところもありますが、CDなどにもよく録音されています。




ちょっと聞いた感じではバロック時代のの作品と思えないほど濃厚

 この曲をウンチクなしで聴いた場合、多くの人はおそらくブルッフやビオッティなど、ロマン派のヴァイオリニストの作品のように思えるのではないかと思います。 それくらい、この曲はドラマチックで、濃厚なロマン派の作品のような味わいがあります。

 もっとも、そう聴こえる理由の一つとして、もともとはヴァイオリンのソロ・パートに通奏低音が付いているだけのものでしたが、現在聴かれるものは、ほとんどの場合、その低音を基に19世紀的なオーケストラ伴奏を付け加えていることもあります。

 


メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を初演したダヴィドの演奏で知られるようになった

 この曲が一般に知られるようになったのは、ダヴィドという19世紀のヴァイオリニスト (メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を初演したことでも知られている) が演奏したことによります。 ダヴィドはこの曲の原曲については、あまり明らかにしなかったようです。


 そして、この曲があまりにもロマンティックな感じがするため、本当はバロック時代の作品ではなく、ダヴィドのオリジナル、つまり偽作ではないかと疑われたりもしました。 実際にダヴィドには偽作、つまり過去の音楽家などの名で作曲した作品があるようです。





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20世紀半ば頃活躍したジノ・フランチェスカッティのCD。 この演奏だとヴィターリのシャコンヌは19世紀のヴァイオリン協奏曲のように聴こえる。





大胆な和声で、転調もしている


 聴いた感じがロマンティックな感じが強いだけでなく、和声的にもバロック時代としてはかなり進んだもので、また通常シャコンヌは変奏曲である関係上、転調はしないのが普通ですが、この曲では大胆な転調もあります (転調好きなバッハでさえ、シャコンヌでは転調を用いていない!)。 




やはり有罪?

 つまり、この曲がバロック時代に書かれたとすると、かなり ”進んだ” メロディの作り方や、和声法となっているということで、いわば当時としては ”前衛的” な音楽と言うことになるでしょう。 そう考えると、この曲はかなり疑わしいですね。 状況証拠により有罪確定?




本人のものではないが

 ・・・・・いや、ちょっと待ってください。 確かにヴィターリ自身が書いた譜面は残されてはいないのですが、1710年~1720年頃、ドレスデンの音楽家のリンダーによって写譜されたと言う譜面が残されているのは確かなようです。


 下の譜面はネットでダウンロードしたもので、詳しい説明がなかったので、これがそのリンダーが写譜した譜面だという確証はないのですが、ヴァイオリンのソロ・パートに数字付の低音、つまり通奏低音が書かれています。 見た感じでは、やはりバロック時代に書かれた譜面と言った感じで、リンダーの譜面である可能性はあるように思います。



 

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ヴィッターリのシャコンヌの原曲と思われる譜面(ダウンロードによる) ヴァイオリン・ソロと通奏低音の形で書かれており、見た感じでは典型的なバロック時代の譜面。




 もっとも、19世紀以降の誰かが、いかにもバロック風の譜面に似せて書いたとなれば、話は違いますが、そこまで手の込んだことをやる人も、そうはいないのではないかと思いますので、 このシャコンヌが間違いなくヴィターリの作曲であると言う確証はないものの、少なくとも19世紀の作品ではなく、バロック時代の作品であると考えてよいのではないかと、素人ながら思います。




150年ほど作風が進んでいたため

 因みに、CDなどの解説では、偽作としているものが多いですが、真作としているものもあります。 専門家の中でも、まだ意見は分かれているようです。 要するに、ヴィターリの作風が150年ほど進んでいたために、あらぬ疑いをかけられてしまったと言うことでしょうか。




単なる印象や思い込みで決めつけるのは

  ・・・・・・結審!  「当法廷は被告の無罪を証明する証拠は確実に存在すると判断し、よって被告を無罪といたします。  余談ながら、単なる印象や思い込みで判断することは、何人も慎まなければなりません、特に何らかの法律上の権限を有する人々は。 そうしたことが、往々にして冤罪という、法治国家としてはあってはならぬ悲劇を生みだすきっかけとなります。   ・・・・・・以上もって閉廷!」
 
偽作の名曲いろいろ 3 ~濡れ衣編




坊主憎けりゃ

 バロック時代を代表する名作が実は20世紀の作品だったり、ハイドンの人気曲が全くの別人の作曲だったりとなると、世の中、何を信じればと言う気になります。

 正真正銘のその作曲家の名作であっても、この曲もしかしたら偽作じゃないの? とか。  この納豆、国産大豆100%、遺伝子組み換えなしって書いてあるけどホント?  国産牛って表記されているけど、値段からしたら輸入ものじゃないの? なんて気になりますね。

 こういうのを、なんていうんでしょうね、 「坊主憎けりゃ、袈裟まで憎い」 ちょっと違うな、 「熱さに懲りて、なますを吹く」 かな?  それもちょっと違うな、ともかくついついいろいろなものを疑ってしまいますよね。




疑いをかけられた気の毒な作品たち

 そんなわけで、今回は本物であるにも関わらず、偽作の疑いをかけられてしまった気の毒な作品についての話となります。 それらの中には関係者の努力により冤罪が拭われ、晴れて本物と認められたものや、まだ裁判で係争中のもの、あるいは疑わしい点はあるものの、証拠不十分で、とりあえず無罪みたいな曲もあります。 






J.S.バッハ : トッカータとフーガニ短調BWV565




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誰もが知っているバッハの名作だが

 この曲は、バッハのオルガン曲としては 「小フーガト短調BWV578」 と並ぶ人気曲で、一般的にはバッハの代表作の一つと言われています。 「バッハの曲はこの曲しか知らない」 とか 「バッハにはあまり興味ないが、この曲だけは好き」 といった人もいるのではと思います。 特にこの曲の 「タ↓ラ↑ラ~~  (ラソラー )」  という部分は有名で、ちょっとした効果音的にも使われます。



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バッハのオルガン曲としてはたいへん人気のある 「トッカータとフーガニ短調」  モルデントによる最初の音は有名で、効果音てきも使われる。 ただし内容がバッハらしくないということで専門家の評価は低い。 このページを見ても確かにバッハらしくないオクターブ・ユニゾンが目立つ。





いかにも軽率、展開がない、ともかく内容がない?

 そんな誰でも知っているといったバッハの人気曲ですが、これが ”その筋の人” いや、一部のバッハの専門家たちからはたいへん評判が悪い。 「オクターブ・ユニゾンが続くなど、バッハの作品としてはありえない」 とか 「減7の和音の強調の仕方がいかにも軽率」 「全くバッハのフーガらしい展開がない」  「ともかく内容がない」 など散々です。




自筆譜などは残されていない

 この作品については、曲の内容からすると、バッハの若い頃の作品と言われていますが、バッハの自筆譜は残されてなく、18世紀半ば頃、つまりバッハの晩年の時期に写譜されたと思われる譜面が残されているだけのようです。 つまり絶対的にバッハの真作であるとは言いきれない部分もあるということになります。

 また、そうしたこと以上に、前述の通り 「この曲はバッハの真作ではない、バッハがこんなつまらない曲を書くはずがない」 、とその内容から真作を疑う人も少なくないようです。 そうしたことで、この曲は弟子、あるいは親族など、バッハの近親者の作品ではないかという説もあります。




ヴァイオリン曲からの編曲という説も

 また、この作品はヴァイオリン的な部分が多く、バッハが自ら、あるいは別の音楽家のヴァイオリン曲からの編曲ではないかという説もあります。 どうやら今現在はこのヴァイオリン曲からの編曲説がやや有力なようです。 確かにこの曲には部分的にヴィヴァルディの協奏曲のようなパッセージも出てきます。





フーガは内容が濃ければ濃いほど、一般の人にはわかりにくい

 専門家たちによる 「オクターブ・ユニゾンが多い」 「減7の和音の多用」 「展開が貧弱」 といったこの曲への評価は、裏を返すと、一般の人にはこの曲がシンプルで、たいへんわかりやすく、共感を持ちやすいと言った点にもつながります。 フーガという形式の曲は、その内容が優れていれば、優れているほど、逆に一般の人には理解しにくい傾向があります。





同じ 「トッカータとフーガ」 でも、ヘ長調というのもある

 同じ 「トッカータとフーガ」 でも 「ヘ長調BWV540」 はメンデルスゾーンも絶賛したほど、専門家からは評価の高い作品ですが、確かに一般の人には印象に残りにくいところもあります。 フーガはテーマが二つある二重フーガになっていて、最初のテーマは半音階的なものですが、声部も多く、各声部の音を耳でトレースしてゆくのはなかなか難しい感じです。





わかった上で作曲?

 この 「ニ短調」 の方は出だしが仰々しい割には中身がないということで専門家たちから不評なわけですが、表面的な効果やシンプルな部分が多いということは、前述のように一般の人には音が追いやすく、また何といっても ”つかみ” というか冒頭のインパクトの強い作品となっています。

 と考えると、あえてバッハは一般の人の気持ちを掴むために、このようなわかりやすく、聴きやすい曲を作った、などという深読みも出来なくもないかも知れません。 




他人の演奏は嫌いだが、自分で弾くのは好き?

 ところで、前述の ”一部の専門家” の中に、我が国ではバッハ演奏の第一人者とされている、オルガニスト兼指揮者の鈴木雅明氏も含まれます。 鈴木氏はその著作の中で 「鈴木さん自身では、この曲を弾かないのですか」 と聴かれた時、 「いえ、自分で弾くのは結構好きなんです、弾いていると気持ちが乗ってくるし。 でも他の人の演奏を聴くのはまっぴらですけどね」 と答えていました。

 言っていることがよくわかりませんが、要するにこの曲(トッカータとフーガニ短調)は結構ウケルということなんでしょう、ともかく音楽家という職業の人は ”ウケル” という言葉に弱い。 確かに、クラシック音楽といえど、 ”ウケルもの勝ち” といったところもありますからね。



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証拠不十分につき、無罪

 それで、結局この曲はどうなの、有罪なの、無罪なの? もちろん私にはそんなことわかりませんが、少なくとも今現在の音楽界では、偽作、あるいは他の音楽家からの編曲もあり得るが、はっきりそう言える根拠は特にない。 したがってとりあえずバッハの作品としておこう・・・・・・    といった感じです。

 つまり、 「その内容に疑わしい部分もあるが、証拠不十分につき、被告は無罪!  ただし当法廷はさらなる審理の必要もあると考えますので、原告には上告することをお勧めいたします。 以上で閉廷!」

偽作の名曲いろいろ 2


ハイドン : セレナーデ(弦楽四重奏曲第17番ヘ長調作品3-5 第2楽章)




ハイドンのセレナーデとして親しまれてきた曲だが

 「ハイドンのセレナーデ」 として親しまれている曲で、私の教室でも独奏曲に編曲して教材として用いたり、またギタ―合奏で演奏したりしています。 シンプルですが、なかなか美しい曲です。

 この曲の正確なタイトルは 「6つの弦楽四重奏曲作品3 第5番 第二楽章 アンダンテ・カンタービレ」 となります。 弦楽四重奏曲が6曲セット、しかも作品番号までついているというわけですから、曲のタイトルを見た限りでは偽作などとうていあり得なさそう・・・・・   しかし、これがまぎれもなく別人の作曲・・・・・・   本当に世の中、何を信じれば。




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ハイドンの弦楽四重奏曲 「セレナーデ」 「5度」 「皇帝」 が収録されたCD。 解説ではしっかりと「ハイドン作」となっている。 聴いている感じでは他の2曲と全く遜色ない。 ただ残念ながら最近のハイドンの弦楽四重奏曲のアルバムには、この「セレナーデ」は含まれなくなった。  ・・・・・かつては、あんなにもてはやされたのに。 スキャンダルをおこしたアイドル同様、世間は冷たい?



解説では「ハイドンならではの作品」

 私の持っているCD(1980年代のもの)の解説では、この曲が偽作などということは全く書いてなく、それどころが 「ハイドンらしく機知に富んで、楽しい ・・・・・・いかにもハイドンならではの作品の一つ」 と書いてあります。

 この曲(6つの弦楽四重奏曲作品3)がロマン・ホッフシュテッターと言うハイドンの同時代の人物の作品であることは1960年代くらいからわかっていたようですが、そういった話が出てからもこの曲をハイドンの真作として疑わなかった音楽関係者は多かったようです。 このCDの解説を書いた音楽評論家も、おそらくそうだったのでしょう (それで 「ハイドンらしい」といったことを強調した?)。




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ギター独奏版  わりと弾きやすい




そんな言いがかり、誰が付けとるんじゃ!

 この5番(セレナードを含む)以外の曲は聴いていませんが、この第5番ヘ長調を聴いた限りでは、確かにまぎれもなくハイドンの曲と言った感じで、ハイドンの真作以上にハイドンらい曲とも言えます。 「この曲が偽物だって? そんなの何かの間違いじゃ、変な言いがかり、誰が付けとるんじゃ」 なんて思うのも無理からずかなとも思います。




真の作曲家はハイドン・オタク?

 この ”真” の作曲者のロマン・ホッフシュテッターはアマチュアの音楽(修道士)だったそうですが、ハイドンにあこがれ、ハイドンの音楽を研究し、ハイドン的な作品を書くようになったそうです。

 その自らの作品を出版社に持って行ったのですが、ホッフシュテッターのような無名の作曲家の出版は出来ないと断られ、その代わりにハイドンの作品として出版することを同意させられたそうです。 その結果「作品3」の番号が付いたわけです。




出版社が勝手に出版する

 今では考えられないことですが、こうした事は当時よくあることだったそうで、似たような形で偽作になってしまった作品もかなりあるそうです。 もっともその作曲家の真作でさえ、出版社が勝手に出版して販売すること(いわゆる海賊版)もよくあったそうです。 

 特にハイドンは当時抜群の知名度だったようで、ハイドンに関してはそうしたものがかなりあり、同じ作品番号の曲が複数あったりすることもありました。 また楽譜の出版がお金になるほど、一般の音楽愛好家も増えた時代だったのでしょう。




モーツァルトやベートーヴェンにはこうした偽作はあまりない

 同じ時代でもモーツァルトにはあまりそうしたものがありませんが(ヴァイオリン協奏曲など若干はある)、はやりネーム・バリューとしてはハイドンのほうがずっと上だったのでしょう。 モーツァルトが本当に評価されるようになったのは20世紀以降と言えます。

 またベートヴェンにも偽作は少ないですが、ベートーヴェンの時代になると、作曲家も、また出版社も作品の管理をしっかりするようになったのでしょう。




ソナタ形式の確立が偽作を生んだ?

 それにしても、このホッフシュテッターは全くハイドンの真作に見劣りしない作品を書いたわけで、称賛すべきところもあるのではと思いますが、ハイドンの作曲法はソナタ形式など、ある程度公式化されていて、そこにいくつかの楽想を代入すると作品が出来上がるという点もあったのではと思います。 これがモーツァルトやベートーヴェンとなると、偽作はなかなか難しくなってくるのでしょう。