中村俊三 ブログ

中村ギター教室内のレッスン内容や、イベント、また、音楽の雑学などを書いていきます。

バッハ:平均律クラヴィア曲集 35


グレン・グールド 5





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カンタービレなプレリュードと重厚なフーガは

 グールドは 」第1巻の第4番嬰ハ短調」 や、 「同第8番変ホ短調」、 「第2番の第14番嬰へ短調」 のような、声楽的なプレリュードとフーガの曲は、比較的速いテンポで、やや淡泊とも思える弾き方で弾いています。 こういったこともグールドの平均律曲集に於ける演奏の特徴といえます。




一般的にはプレリュードは気持ちを込めて歌わせ、フーガは重厚に弾く


 これらの曲は、以前紹介したとおり、プレリュードはたいへん美しいアリアのように出来ており、またフーガもやや古風に声楽的なテーマで、どちらかと言えばオルガンが似合いそうな悠々とした曲となっています。  従って、一般にこれらの曲は、ゆっくり目のテンポで美しく歌い、また堂々とした落ち着いた感じで演奏されるのが普通です。




第2巻第14番嬰へ短調などは典型的

 グールドはこうした曲では、まさに一般的な弾き方とは真逆な弾き方をしていると言えます。 これらの中で、特に美しいメロディをもつ 「第2巻第14番嬰へ短調のプレリュード」 などは顕著に表れています。




あたかも感傷的な表現を毛嫌いするかのように

 スタッカートを多用するグールドですが、ことさらこのプレリュードでははっきりとしたスタッカートで弾いています。 歌わせるとか、気持を込めるといった感じはなく、メロディをポツリ、ポツリといった感じで弾いています。 まるで 「感傷的な演奏なんて、最低さ!」 とでも言っているかのようです。



グルードは情感で表現するピアニストでなく、あくまで客観的で知性的!

 確かにこの平均律曲集全体として、感傷的な表現は避けられているようです。 そして、私たちは 「なるほど、グールドというピアニストは音楽を個人的な感情などでは表現せず、あくまでも客観的に捉える知性派なのか」 と改めて納得する訳です。 




でも、ちょっと待った!

 しかし、そう断言するのはちょっと待ってほしい! 以前紹介したグルードの1950年代の録音をまとめたアルバムに、4曲ほど平均律曲集からの録音があります。 1954年に録音したもののようで、ライブ録音、もしくはラジオ放送用の録音と思われます。




50年代の録音は、まるでリヒテルのよう

 その4曲の中にこの第2巻14番嬰へ短調があります。 これを聴いてみると、まさに驚きです、スタッカートなどは全く用いず、ゆっくり目のテンポで、もちろんレガートに、しかもテンポも多少揺らしながら、まさに「歌っている」ではありませんか! 

 速めのテンポでポツポツと音を切りながら、全く歌わない1960年代の録音とはまさに真逆の演奏です。 黙って聴いているとリヒテルか、なんかの演奏じゃないかと思うくらいです。 もっとも、たくさんの平均律の曲集の中からこの曲選んだ時点で、もともとこうした曲が好きなのではと考えられます。




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50年代の録音を集めたアルバムには、1954年に録音した4曲の平均律曲集からのプレリュードとフーガが収録されている。 これらの録音は後の全集盤とは全く異なる演奏で、ちょっと聴いたら同じ人が弾いているようには思えない。




こっちの方が本物のグールド?

 ゴールドベルクのところでも話しましたが、やはりグールドはもともとこうしたロマンティックというか、感傷的というか、じっくりと気持ちを込めて音楽を歌わせるタイプだったのでしょう。 前にも言った通り、この1960年代(全集の方)の録音は、まさにこうしたロマンティックでセンチメンタルな自分の音楽へのアンチテーゼといえるでしょう。




永遠の反抗期少年? しかも天才!

 確かに全く歌わせないように弾いているこの60年代の録音を聴くと、自分自身が底なしのセンチメンタリズムに陥らないように、必死に抵抗しているようにも聴こえるかも知れません。

 まあ、例えると、心優しく、本当はとても母親想いの子が、友達が家に遊びに来た時など、声変わりしたばかりの声で、 「うぜえな! あっちに行ってろよ! おふくろ! 」 なんて突然悪態をつく思春期の中学生みたなものかな?  グールドは永遠の反抗期少年? しかも天才!




メルヘン・チックな情感が漂う

 さらにこの50年代の録音の4曲の中に第22番変ロ短調も入っています。 この22番のプレリュードも以前紹介しましたが、何か懐かしさを感じる素朴で美しい曲です。 これもこの50年盤ではグールドは気持ちを込め、メルヘン・チックとでも言えそうな情感を添え、美しく歌わせています。 



 
 

 
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バッハ:平均律クラヴィア曲集 34




グレン・グールド 4  




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グレン・グールド バッハ:平均律クラヴィア曲集第1巻、第2巻 1962~1971年録音





およそ10年間を費やして

 またいろいろ遠回りをしましたが、やっと本題のグールドの平均律曲集の話に戻ります。 グールドは第1巻を1962~1965年に、第2巻を1967~1971年に録音しています。 約10年かけてこのバッハの作品を慎重に録音したと言えます。





残響などを排し、中音域中心の音質

 10年の開きがあるので、録音機器の進歩により音質などは年代と共に若干変わっていますが、基本的な音質はほぼ統一されています。 グールドにはこうした録音された音質などにも強いこだわりがあるようです。

 グールドの録音は、聴いてすぐにグールドの音だとわかるように、他のピアニストの音とはかなり違うものになっています。 グールドの録音は残響がほとんどなく、また高音域を増幅させず、中音域が中心の音となっています。

 これは、まずペダルを全く使用しない(私はピアノを弾かないのではっきりとはわからないが)ということと、コンサート会場のような残響のある環境ではなく、スタジオでの録音であること、もちろん電気的な残響も付けていません。

 また専門的なことはわかりませんが、グールドの使用するピアノ自体の音も、そう言った音なのでしょう。




一般的な美しいピアノの音とは違うが

 従って、一般に聴かれるような豊かなピアノの響きにはなりませんが、その代りに一つ一つの音が濁らずに明瞭に聴こえてきます。おそらくそれがグールドの狙いなのでしょう。 グールドのピアノの音をクリヤーで美しい音と聴くか、なんかボソボソとして、味気ない音と聴くかは、もちろん聴く人次第です。




スタッカート奏法はグールドの専売特許?

 グルードの演奏の最大の特徴と言えば、何度か話に出てきた”スタッカート奏法” ですが、これは第1番のプレリュードによく洗われています。 この第1番のプレリュードはアルぺジオで出来ています。

 通常の考え方であれば、「アルペジオである限り、アルペジオ、つまり和音として聴こえなければならい。 当然音を切って弾くことはあり得ない」 となります。




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グールドはアルペジオの後半4個の音をスタッカート奏法で弾いている。 通常こうした箇所はスタッカートで弾くことはあり得ないので、たいへん目立つ。  ”グールド=スタッカート奏法” ということを一般に植え付けた演奏とも言える。




通常ではスタッカートでは弾かないところをスタッカートで弾くのがグールドの真骨頂

 実際、グールド以外のピアニストの場合はほとんどこの第1番のプレリュードに関してはスタッカートで弾いてはいません。 バッハの曲にスタッカート奏法を用いることは別に特別なことではなく、バッハ自身の演奏も特にレガートには弾かなかったとも言われており、バッハの作品をスタッカート、あるいはノン・レガートで弾くことはよく行われることです。 しかしグールドの場合は、通常ではあり得ないところでスタッカート奏法を用いていることが特徴です。




スタッカートを用いない3小節がある

 グールドがこのようにアルペジオの音をスタッカート奏法で弾く理由として、「個々の音が和声の中に埋没してしまうのではなく、それぞれの音に独立性を持たせた」 と言ったような解説も読んだことがあります。 ただ不思議なことに、このプレリュードの25、28、29小節に限ってはスタッカート奏法は用いていません。




ライブ録音であれば何の不思議もないが


 これがライブ録音とかであれば、そうしたことは別に不思議でもなんでもありません。 予定と違う弾き方、普段とちがう弾きなどは誰でも行うことではないかと思います。 しかしこの録音は1回限りのライブ録音ではなく、スタジオで録音され、おそらく何度もプレー・バックを行い、時間をかけて編集されたものです。 グールド自身も何度も自らの演奏聴き直し、最終的にスタッフにOKを出したものと思われます。

 上記の3小節は、どう考えても、なにか特別な個所とは思えません。 なんとなくレガートになってしまった、それはいいとしても、こだわりやのグールドが、なぜここを編集しようと思わなかったのかが、なんとも不思議です。 





理詰めで弾いている訳ではない?


 もっとも 「こだわりや」 と言うタイプの人は、普通の人が全く気にしないようなことをすごく気にして、その代わりに普通の人が気になるようなことには全く無頓着、ということがよくあります。 グールドにとっては、このようなことは 「別にどっちでもいいよ」 ということなのだろうか。

 一つの結論として、グールドと言えども、理屈だけで弾いている訳ではないということなのでしょうか。




スケールの場合でも

 第1番のフーガのように8分音符と16音符で出来ている曲の場合、通常8分音符のほうはスタッカート、あるいはノン・レガートで弾くことはあっても、16分音符はレガートに演奏されます。 実際に他のピアニストの場合、すべての音をレガートに弾くか、あるいは8分音符や付点8分音符はスタッカート、もしくはノン・レガートで弾いて、16分音符はレガートに弾いています。



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主に8分音符と16分音符によるスケールで出来た第1番のフーガ。 グールドは一般の弾き方とは逆に16分音符の方をスタッカートで弾いている



 グールドの場合は8分音符などはややノン・レガート(結構レガートに近い)に弾き、逆に16分音符のほうは誰が聴いてもわかるような、はっきりとしたスタッカートで弾いています。

バッハ:平均律クラヴィア曲集 33


グレン・グールド 3


ゴールドベルク変奏曲



1981年盤 ~世を去る1年前の録音

 グールドは亡くなる1年前の1981年に再度ゴールド・ベルク変奏曲を録音します。 まさに白鳥の歌といったところでしょうか。 CDジャケットで見る写真は、まだ年齢が50歳に満たないとは思えないほどだいぶ変わっていました。 

 もちろん演奏もだいぶ変わり、55年盤とは正反対と言ってもよい演奏かも知れません。 特にテーマはかなり遅く、55年盤では 1:53 でしたが、81年盤では3:05 となっています。 繰り返しを省略していますから、他の演奏者と比べてもかなり遅い方といえます。



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81年録音のゴールドベルク変奏曲  55年盤では38分ほどだった演奏時間も50分を超えている(一部のへんそうでは前半のみリピート) 風貌もだいぶ変わった。




これ以上小さく弾けないくらい

 録音なので絶対的な音量のことはわかりませんが、雰囲気からすれば、テーマは遅いだけでなく、かなりの弱音で弾かれているようです。 もともと音量が大きいとは言えないグールド、これ以上小さな音では弾けないというくらい小さな音で弾いているようにも思えます。

 第1変奏以降も55年盤に比べるとかなり遅いですが、一般的にはこれくらいのテンポで弾く奏者も少なくないので、普通と言えば普通です。 この81年盤には55年盤では一切行っていなかったリピートを、いくつかの変奏では前半のみ行っています。




間を取らずに次の変奏に移る


 55年盤では速い変奏と遅い変奏の差が大きかったですが、この81年盤では全体が遅めなので、その差は大きく感じません。 音量なども変奏によってかなり変えていることは同じですが、この81年盤では変奏と変奏の間を全く取らずに次の変奏に移るので、そうした差はより大きく感じます。

 このゴールドベルク変奏曲ではそれぞれの変奏は独立しているようになっているので、ほとんどの奏者は変奏と変奏の間は、少し空けて演奏しています。 グールドも54年盤、55年盤ではそのように間をあけて演奏していますが、この81年盤では、全体で一つの作品ということで、全く間を取らずに演奏しているのだと思います。




さらに遅く、小さく

  変奏30のクオドリベットのあとに再度テーマが現れる訳ですが、グールドはこの最後のテーマを、冒頭よりもさらに増して遅く、またさらに小さな音で、本当に消え入るような音で演奏しています。 まさにグールド・ファンへの、また現世との惜別の歌と言った感じです。


 
グールドのバッハ演奏は

 グールドのバッハの演奏を簡単にまとめるとすると、まず、19世紀ロマン派的な演奏スタイル(エドウィン・フィッシャーに代表されるような)から脱し、また、当時浸透し始めていた厳格主義(ヘルムート・ヴァルヒャに代表されるような)からも距離を置き、さらに当時、コンサート・ピアニストには当然のごとく必要とされていたヴィルトージティも拒否するもので、自らの知性と感性に従って演奏すると言ったものであると言えます。



アンチテーゼなピアニスト

 別の言い方をすれば、グールドというピアニストは ”アンチテーゼ” からなっていた、とも言えます。 ロマン派的な演奏、 厳格主義、ヴィルトーゾ偏重、そうしたものへのアンチテーゼとしてグールドの演奏はあるのかも 知れません。




アンチテーゼの対象は何といっても自分自身

 しかしそのアンチテーゼは、何よりも自分自身にむけられているように思います。 1960年頃に録音されたブラームスの間奏曲集には、私たちがバッハやベートーヴェンで知っているグールドの姿はありません。 非常にロマンティックに、またレガートに演奏しています。 これが本当のグールドの姿だと言う人もいます。



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1960年録音のブラームス間奏曲集  ここには私たちがゴールドベルクや平均律で知っているグールドとは全く違うグールドがいる。




81年盤は55年盤のアンチテーゼ?

 とすれば、溌剌としたテンポ、情感を込めるよりもクリヤーに発音するためのスタッカート、不自然な流れも厭わない変奏ごとの極端なテンポや音量の変化、こういった55年のゴールドベルクは、浪漫的であり、感傷的な、そうした自分の音楽へのアンチテーゼとも考えられます。

 また、音楽を感じる自分と考える自分。 演奏中の自分とプレーバックを聴く自分。 昨日の自分と今日の自分。 グールドにはこうしたそれぞれ対立した”自分”がいるようです。 この81年録音のゴールドベルクは、この世への惜別の歌とも考えられますが、単に55年盤へのアンチテーゼであるだけとも考えられます。
 



情熱の全くない「熱情」?

 グールドはバッハ以外にもモーツァルトやべーとーヴェンのソナタも録音しています。 全く優雅でも軽快でもないモーツァルト、全く情熱を感じさせない「熱情」、 ヴィルトージティを完全に否定した「皇帝」。 こうしtら録音を発表して世間を驚かせました。 これらも、やはりバッハの演奏同様、これまでの演奏習慣や価値観への反抗ともいえます。

 グールドのバッハは前述の通り、発表と同時に世界にセンセーションを巻き起こし、また多くのピアニストに影響を与えました。 しかしこれらのベートヴェンやモーツァルトに関しては、驚き以外のものはあまり残さなかったようです。




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1966年録音のストコフスキーとの「皇帝」  通常華麗に弾かれる冒頭のカデンツァを非常にゆっくり弾いている。 ストコフスキーとの共演になったのは、レナード・バーンスタインがこの遅いテンポを拒否したからともいわれている。




バッハの作品の演奏は多様なスタイルが可能であることを示した

 この違いは何だったのか? グールドの技術や音楽がバッハに合っていたと言うことも出来ますが、やはりそれぞれの作曲家の音楽の内容にその違いがあるのでしょう。

 グールドはバッハの演奏に関して、スタッカート奏法を導入したと言うことだけでなく、バッハの作品の演奏には多様な演奏スタイルが可能であることを示したと言うことなでしょう。 バッハの演奏は、その時代の演奏習慣などを学べば済む問題でも、また固定した演奏法がある訳でもない。




モーツァルトやベートーヴェンで成功しなかったのは

 逆に言えば、モーツァルトやベートヴェンの作品の演奏にはそれほど多くの多様性がある訳ではない、といったことも言えるのかも知れません。 そうしたことが。グールドの演奏に関してはバッハの作品のみが評価され、他の作曲家の作品に関してはあまり顧みられない要因とも言えるのでしょう。
バッハ:平均律クラヴィア曲集 32


グレン・グールド 2



ウウーン、寒い!

 寒いですね!  我が家では1週間前に降った雪がまだ相当残っています。 先日の雪はテレビなどでは水戸市は19㎝と言っていますが、それほどは積もらず、10㎝ちょっとといったところです。 同じ水戸でも場所によってかなり異なるようです。

 雪もさることながら、その日以来ずいぶんと寒い日が続いています。 我が家ではボイラーから台所の蛇口まで、水道管は外に出ているので、夜間気温が下がると凍って出なくなってしまいます。 

 そうならないように、気温が下がりそうな夜は時々水を流して凍結を防がなければなりません。 幸い(?)私が寝るのは2時か3時ころなので、まずその時間にしっかりと水を流しておき、 家内が朝6時頃また水を流すようにしています。




連日 -5度を下回っている

 本当に寒い時など、2時頃水を流そうとしても、その時点ですでに凍結してしまうこともあります。 そうした時、ほんのちょっとでも水が流れる状態であれば5~10分くらいそのままにしておけばなんとか水が流れ出しますが、1度完全に出なくなると、復活するまでに半日、あるいは、まる1日くらいかかってしまうこともあります。

 その水道管が凍結するのが、だいたい-5度くらいで、このところ、その-5度を連日下回っていて、凍結要注意の日が続きます。  地球温暖化とはいえ、やはり寒い時は寒いようですね。 もっとも日本の方に寒波がやってくる時には、逆に北極の方は気温が上がるそうです。      ・・・・別に寒さを分けてもらいたくはない!
 




 ゴールドベルク変奏曲





ゴールドベルク変奏曲を抜きには語れない

 1955年の録音され、1956年に発売されたグールドのゴールドベルク変奏曲、 このゴールドベルク変奏曲を抜きにグールドは語れなし、また現在のバッハの演奏も語れない。 ということで本題からちょっと離れますが、今回はグールドのゴールドベルク変奏曲の話となります。



若干地味で、当時は人気のある曲ではなかったが、グールドには合っていた

 グールドは10代後半からコンサート活動をするようになり、カナダやアメリカでは評価されていました。 当時のレパートリーは比較的一般的なもので、特に個性的なものではなかったようです。 このゴールドベルク変奏曲をリサイタルなどで弾くようになったのは1950年前後からのようですが、いろいろな意味でグールドには合っていたようです。

 グールドはすでに優れたピアニストでしたが、その能力はショパンやベートーヴェン、あるいはリストといった、派手にピアノを鳴らすヴィルトーゾ的な作品よりも、バッハの音楽のような対位法的に入り組んだ複雑な音楽を演奏するほうに向いていたようです。

 また、当時はゴールドベルク変奏曲はあくまで勉強のための曲で、一般の人向けの曲ではないといったイメージがあり、バッハの傑作にも拘わらず、リサイタルなどで演奏されることはほとんどなかったようです。



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1955年盤のLPジャケット(復刻CDによる)。 グールドはそのふるまいや演奏姿勢が独特で、そうした写真がジャケットのデザインとなっている。



一躍時代の寵児へと

 1956年に発売されたグールドのゴールドベルク変奏曲のLPは、世界中の音楽ファンに大きな衝撃を与え、それまでカナダ、アメリカでは話題になっていたとは言え、世界的には全くの無名だったグールドを、一躍時代の寵児に変貌させることになります。




速めのテンポとノン・レガートで溌剌とした音楽、各声部ともクリヤーに聴き取れる

 この1955年盤は、かなり速めのテンポ(1:53)でテーマが演奏され、 続く第1変奏のテンポも速く、またノン・レガート奏法によって溌剌と演奏されます。

 次の変奏はそれよりやや遅めになりますが、各声部の分離がたいへんよく、曲の内容がわかりやすくなっています。 これは、どちらかと言えば上声部よりも中声部やバスのほうをしっかりと弾くグールドの弾き方にもよりますが、不必要な残響などが全くない録音の仕方にもよると思います。




スリリングで、最後まで興味を持って聴きとおすことが出来る

 いずれにしても、たいへんスリリングで、興味を失わずに全曲最後まで(約38分)聴きとおすことが出来ます。 長くて退屈な曲といった、それまでのイメージは完全に払拭されています。




難解で専門家向けの曲が、収益に貢献する人気曲に

 また、それまでこの曲はあくまで専門家向けの曲で、一般の音楽ファンには受け入れ難いものという概念がありましたが、グールドの演奏により、多くの人が好んで聴く曲の一つと考えられるようになりました。

 何といってもレコード会社の収益に大いに貢献する曲とも考えられるようにもなりました。 もちろん今ではバッハの人気曲の一つということで、多くのピアニストやチェンバリストにより演奏され、録音されています。




録音は4種類残されている

 グールドは晩年の1981年に再度このゴールドベルク変奏曲を録音しますが、他に1954年のラジオ放送用の録音、1959年のライブ録音などが残されています。 しかし今現在でもグールドのグールドベルク変奏曲といえば、この155年録音のもとなるでしょう。 それだけ話題となり、またグールドらしい演奏とも言えます。




グールドの遺品の中から

 1954年のラジオ放送用の録音は、グールドの死後、彼の遺品の中からその録音テープが見つかったと言うことで、発表されたのはグールドの死後となります。




1000円ちょっとで他の貴重な録音とともに


 この録音は今現在では1950年代の録音を10枚組にしたCDセットに収められ、他に前述のカラヤンとのベートーヴェン:ピアノ協奏曲第3番や、55年録音のゴールドベルク変奏曲など貴重な録音が多数収録されていて、1000円ちょっとの価格で入手出来ます。



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グールドの1950年代の録音を集めたCDセット。 2種類のゴールドベルクの他、カラヤンとの協奏曲なども入っていて、1000円ちょっと。



54年盤は55年盤よりも全体に遅め

 この54年盤は、テンポは全体に55年盤よりもやや遅く、各変奏のテンポの差もあまり大きくありません。 55年盤では 1:53 で弾いているテーマも 2:43 ということで、55年盤よりはだいぶ遅いですが、というより他のピアニストやチェンバリストが弾く、一般的なテンポともいえます。




個性的ではないが、率直で清楚な演奏


 また55年盤では 6:30 もかけていた第26変奏も 4:24と、これも他の奏者が演奏する一般的なテンポと言えます。 また、55年盤と同様にノン・レガート的に弾いていますが、それほど短く音を切っているわけではなく、あまり違和感はありません。

 つまり、このゴールドベルク(54年盤)は、たいへん自然で、個性的な演奏というより、繊細で清楚な演奏、 率直な演奏ともいえます。

 言葉を変えると ”わりと普通” ともいえますが、しかし、これはこれでなかなか良い演奏だと思います。 55年盤よりもずっと良い、と言う人がいても全く不思議ではないでしょう。




グールド嫌いは減ったかも

 おそらく55年盤のかわりにこの54年盤が世に出ていたら、グールドにたいする一般の印象もだいぶ違っていたでしょう。 グールドが嫌いと言う人は間違いなく少なかったと思いますが、一方ではグールドの演奏が、現在のように多くの人に影響をあたえることもなかったかも知れません。




両者の違いの要因は?

 ところで、この54年盤と55年盤の、両者の違いは、何なのか? ということですが、 グールドの1年間での心境の変化というのもあるとは思いますが、それ以上に大きいのがライブ(ラジオ局のスタジオでの録音だが、編集なしという点ではライブと同じ)演奏と、編集の違いによるものと思われます。




ライブ録音とスタジオ録音の違いとも言えるが

 つまり演奏をしている時のグールドと後から自分の演奏を聴いているときのグールドとは違うグールドがいるのかも知れません。 55年盤はスタジオ録音ですが、全曲を一気に弾きとおしたわけではなく、各変奏ごとに何種類ものテイクをとり、後から熟慮しながら、時間をかけて組み合わせたものとされていいます。

 確かに、ライブの演奏では流れに沿って弾くわけですから、各変奏ごとにテンポや弾き方などを極端に変えて弾くのは難しいことかも知れません。 その点、各変奏ごとに弾けばテンポや音量など、前後の変奏とは全く関係なく弾けるわけです。




演奏者グールドとプロデューサー・グールドの違い

 また人間である以上、演奏している時の心理状態と演奏中ではないリラックスした状態ではだいぶ異なるはずです。 つまりこの両者の違いは、演奏者としてのグールドと、音楽プロデューサーとしてのグールドの違いということになるのかも知れません。
 
 
バッハ:平均律クラヴィア曲集 31


グレン・グールド(1932~1982 トロント)  1962~1971年録音





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20世紀を代表するピアニストの一人、グレン・グールド。 グールドのバッハは多くのピアニストに影響を与えた。



私たちはグールド世代?

 これまで何度か話に出てきましたが、このカナダ生まれの奇才ピアニスト、グレン・グールドのことを抜きに、20世紀後半以降のバッハの演奏は語れません。 私の古い友達の中にもグールド・ファンは多く、 「オレはバッハはグールド以外は聴かない」 と言いきる友人もいました。

 我が国では、グールドは特に1960~70年代に話題となり、その時代に10代、20代、今現在で言えば60~70歳代のクラシック音楽ファンの多くはグールドの洗礼を受けました。 つまり私たちの世代は ”グールド世代” とも言えます。




これほど本に書かれるピアニストはいない

 また、いわゆる ”グールド本” といった、グールドに関する本なども非常にたくさん出版されていて、これだけ本に書かれるピアニストはおそらく他にはいないでしょう。 

 そして、何といっても、グールドの演奏は多くの人に大きな影響を与え、今現在バッハを演奏するピアニストで、、全くグールドの影響を受けない人は皆無といってもよいかも知れません。





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このような、いわゆる ”グールド本” は数知れず出版されている





当然ながら天才少年

 と言った訳で、グールドについては、いろいろなところで書かれているので、あえて私が書く必要もないところですが、一応かいつまんで紹介しておきましょう。

 グールドのようなピアニストとなれば、当然のことかも知れませんが、幼少時を優れた才能を発揮し、少年期においても初見でほとんどの曲は正確に演奏でき、また1回で暗譜し、覚えた後は忘れることはなかったと言われています。




コンクール優勝歴などはないが


 少年期を別にすれば、コンクール優勝歴などはないようですが(コンクールは嫌いだったらしい)、プラヴェートなリサイタルなどで高い評価を受け、10代後半からカナダやアメリカでは話題となり、ラジオやテレビなどに出演していたようです。 




極端な寒がりで、演奏姿勢も独特


 話題となった理由の一つに、グールドの奇行、というか、人とちょっと違ったところもあったようです。 低いイスに座って、常に体を動かし、口ではハミング(レコードなどにも音が入っている)しながらピアノを弾く。 録音のプレー・バックを聴く時にはまるで踊りを踊るように指揮をしていたそうです。 また極端な寒がりで、夏でもセーターやマフラー、手袋などをしていたと言われています。




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独特の演奏姿勢のグールド



1956年のゴールドベルク変奏曲のLP発表は、世界中にセンセーションを巻き起こした

 グールドが世界的に有名になったのは1956年に発表したバッハのゴールドベルク変奏曲のLPによって、この録音は今現在でも名盤とされ、多くの人に聴かれています。 このLPは日本でも発売されましたが、その時点では特に話題にはならなかったようです。

 ただ、音楽評論家の吉田秀和氏はその当時からこのLPを絶賛していました。 我が国においてもグールドの演奏が評価され、一般の人にも聴かれるようになったことには、吉田氏の影響が大きいようです。




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1955年録音のゴールドベルク変奏曲のLPジャケット。 発表時には世界中にセンセーションを巻き起こしたが、今現在でも多くの音楽ファンに聴かれている。




世界的なコンサート・ピアニストとなる

 そのゴールドベルク変奏曲をきっかけにグールドは新進の天才ピアニストとして世界的にコンサート活動を始めます。 そしてバーンスタインやカラヤンなど、世界的な指揮者とも共演するようになります。




ベルリン・フィルの常任になったばかりのカラヤンと

 1957年にはカラヤンと=ベルリンフィルと共演し、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番を演奏しています。 そのライヴ録音は現在CDとして入手出来ますが、ベルリンフィルの常任指揮者に就任したばかりのカラヤンと、まさに売り出し中の新進ピアニストとの共演ということで、たいへん気の気合入った演奏で、まさに火花を散らしあうような演奏と言えるでしょう。 




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後に音楽界の帝王となるヘルベルト・フォン・カラヤン。 グールドとは不思議と ”うまが合った” ようで、何度か共演している。



レガートに歌わせている

 この時のグールドの演奏は極めてレガートで、歌わせるべきところはちゃんと歌わせるといったように、いわば真正面からベートーヴェンに挑んでいる感じです。 後の「熱情」の録音に見られるような奇抜なアイデアなどは全く顔をのぞかせていません。 グールドはもともと迫力にあるピアニストではないようですが、軽快で繊細な第3楽章の冒頭などたいへんすらしい。

 カラヤンの指揮はたいへん引き締まったもので、ベルリン・フィルを3年前までフルトヴェングラーのもとで演奏していたものとは、全く別のものにしています。 音の出や、ダイナミックスなども非常に細かくコントロールしている感じがします。 この時、すでにベルリンフィルはカラヤンのオーケストラになっていたのかも知れません。




意外と”うまがあった”

 この二人の共演は他にもあったようですが、少なくとも今現在聴くことの出来るものは、この録音のみのようです。 まさに一合一会というか、奇跡の一枚といえるでしょう。 因みにこの二人はライバル心むき出しに意地を張りあったのかと思いきや、たいへん ”うまがあった” ようで、グールドのヨーロッパ滞在中は親しくしていたそうです。 

 このカラヤンとの共演があった1957年はグールドとしてはコンサート・ピアニストとして絶頂期だったようで、後には心身症とも言える状態になったグールドもこの時には心身ともに健康で、よく食べ(グールドにしては)、またよく練習もしたそうです。




リサイタル・ドロップ・アウト

 しかしその状態は長くは続かず、翌年からは心身ともに調子の悪い状態が続くようになります。 かつては絶賛調だったコンサート評も次第に論調も変わり始め、何といってもグールド自身がコンサートでは本来の自分の音楽が出せないとと思うようになってゆきます。

 そしてついに1964年に一切のコンサート活動を今後行わないことを宣言し、音楽活動としては録音のみを行ってゆくことになります。 グールドは自宅に録音スタジオを作り、また録音エンジニアも個人で雇い、自分の好きな時に録音を行うようになり、 そして、ここで、初めて私たちが知る ”世紀の奇才ピアニスト、グレン・グールド” が誕生することになります。


 さて、そのように1950年代後半から1960年代前半まで ”売れっ子ピアニスト” として世界を股にかけて活躍していたグールドですが、1964年になって一切のコンサート活動を辞めて音楽活動としては録音のみを行ってゆくようになります。