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中村俊三 ブログ

中村ギター教室内のレッスン内容や、イベント、また、音楽の雑学などを書いていきます。

クイーン・ヒミコ・ストーリー  ~なあんちゃって 6 最終章




仄かに灯る命の炎




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 ヒミコは宮の奥で臥していた。周囲には側近や女官などが詰めていた。

 日頃は女王の寝所に立ち入ることが許されない大臣たちも、

 この時ばかりは立ち入りを許された。

 その女王の寝所は、そうした様々な人がいるにも関わらず、

 異様な静寂に包まれていた。

 その寝所にいたすべての者は、自らの息の音一つで、

 仄かに灯る、自分たちの女王の命の炎が、

 消え去ってしまうとでも思っているかのようだった。




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 ヒミコは朦朧とした意識の中で、

 もうすぐ自分に課された、幾千の山も重さにも匹敵する重荷を、

 下ろすことが出来ると思った。

 自らの死が悲しいとも、辛いとも、苦しいとも思わなかった。

 しばらくすれば身も心も軽くなる、むしろ弾む思いだ。




母の膝の上にいた

 いつしかヒミコは7歳で別れた母の膝の上で、その母の顔を見上げていた。

 今のヒミコにはそれが現実なのか、夢なのか、

 過去の記憶なのか、そうした判断はつかなかった。

 母の顔は優しく、清らかで、美しい顔だった。

 そして、柔らかくて、暖かい膝だった。

 絹の衣のほのかな香り、母の匂いだ。

 母がよく着ていた緋の衣。

 そうだ、この衣は自分でも着ていた。 

 お母上様!


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父の顔も見える


 父の顔も見える!  

 なんという高貴なお顔立ちだろう。

 幼い頃、いずれは父のような殿御を婿に迎えたいと密かに思っていた。

 母が羨ましいとも思っていた。

 父と母は本当に仲睦まじかった。

 母が亡くなった時、父は幾晩も泣きとおしていた。

 父はいつも私のことを慈しんでくれた。

 そして父の言うことはすべて正しかった。

 私は父から言われたことを、本当にやれただろうか。

 女王になってから父と会うことはかなわなかったが、

 何かある度に、いつも

 「こういう時、父なら、なんとしただろうか? どう判断なされたろうか?」

 と思いながらやってきた。 

 私は父の言うとおりに出来たでだろうか?

 父は私のことを誉めてくれるだろうか?

 お父上様の言った通りには出来ませんでしたが、

 自分に出来ることはすべて行ったつもりでおります!

 至らぬところは、切にお許し下さい!  

 お父上さま!





タケル

 弟もいる!  

 弟は本当に私のために尽くしてくれた。

 弟がいなかったら私は今日までヤマトの王など続けることは出来なかった。

 何かあるたびに、くじけそうになる私を、いつも励ましてくれた。

 弟に泣き言を言うと、なぜか心が晴れた。

 私にとっては本当にかけがえのない弟だった。

 私より先に旅立ってさえ、しまわなければ。 

 行かないで!

 先に行かないで!

 私を置いて行かないで!

 待って!

 タケル!





 トミ?  そなたはトミなの?

 父が亡くなったことを知らせにヤマトまで来てくれた時、会ったきりだったね。

 そなたはナ国の王子を婿に迎え、子も幾人か設け、

 今では孫や、ひ孫も数多くいると聴く。

 私も何度、そなたのような一生を送りたいと思ったことか・・・・・・ 
 
 父上様、 母上様、 タケル、 妹のトミ、 もうすぐ皆に会える、楽しみだな・・・・・・・・  





三輪山の聖水で清めども

 ・・・・・・・でも、そうだろうか?

 本当に私は父や母や弟、妹と同じところに行けるのだろうか?

 それは叶うまい。

 皆と同じところに行くには、私は穢れ過ぎた。

 本当に神のような父や母に比べると、私は余りにも穢れている。 

 三輪山から流れ落ちる聖水で、幾千度身を清めたとしても、

 その穢れは清められるものではない。 

 私がこれまで犯した罪は、どの海の深さよりも深い。




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 これまで神の名のもとに、幾度自分の考えを押し通してきたか。

 またそのことにより、いかに多くの人の自由を奪い、

 命を奪ってきたか。

 私は神などではない。

 神の名を借りた、いや騙っただけだ。 

 もとより、私には神の御心を知る力などない。

 霊力など微塵もないことは、この私が一番よく知っている。

 しかし、それがあるように振舞わなければならなかった。

 ヤマトの女王であり続ける限り、拒むことは出来なかった。

 そえれが如何様に罪深いことであろうと。

 それもまた、神の御意志。

 いや、慎もう、そのような申し開きは。

 私はこの倭国のためにすべてを捧げた、身も、心も。 

 地獄に落ちようとも、それもまた神の御心。

 願わくば、この倭国が幾千代と、続きますよう。

 倭国の民が末永く、とわに幸せに過ごせますよう。




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卑弥呼以死 

 ヒミコは生前に、自の死に伴って殉死することを厳しく禁じた。

 自分と死を共にするものは地獄に落ちるとも、人々に説いた。

 しかし百名を超える者がその禁を破って死を共にした。

 女王がこの世を去ればこの世も終わりと思った者。

 女王がどこに行っても一緒についてゆきたいと思った者。  

 そうでない者たちは、この偉大な女王のために、

 これまでにない大きな墓を作った。

 ヒミコは現世を去ってからも倭国の女王であり続けた。

 むしろ来世に居を移してからほうが、その威光は一層増した。

 そして、残された人々の間で、ヒミコは本当に神となった。












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クイーン・ヒミコ・ストーリー   ~なあんちゃって 5



長い年月が流れた

ヒミコがヤマトの女王の座に就いてから長い年月が流れた。

この時代、尾張から三河、駿河にかけての東海地方は、

ヤマト政権の傘下に入る村や国と、そうでないものがが混在していた。



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東国で反乱

また、これまでヤマト政権に従っていた国や村においても、

争い事は絶えなかった、ここにきてそれが頻発するようになった。

東海地方の多くの地域が ”反ヤマト” を掲げて連合する動きも現れた。

尾張、三河、駿河などではヤマトの役人の館が襲われる事態なども起きた。




東国征伐を奏上

西日本を中心とした豪族たちからなる大臣たちは、

ヤマトの宮殿内において会議を開いた。

そして、近畿以西のヤマトの支配下にあるすべての地域から兵を招集し、

東国の反乱を一気に鎮圧すべきという結論に至った。

そしてそれを女王ヒミコに奏上することになった。

これまでの通例では、重要事項は女王に奏上し、神の御意志を聴くことになっていた。

しかし多く場合、ヒミコによって兵を挙げる吉日を占ってもらうにすぎず、

大臣たちが下した判断に、神も、また女王も異を唱えることはあり得なかった。

大臣の誰もが今回の場合も、通例通りに事と思っていた。



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御簾の奥から

大臣の筆頭が女王の御簾の前で会議の結果を奏上し、下がろうとした。

その時、御簾の奥から、これまで聴いたことない、声が響いた。

その場に居合わせた大臣一同は何事が起きたのかと、一瞬呆然となった。



  「一同の者たち!  聴きなさい!」



ヒミコは女官に御簾を上げさせた。

大臣たちのほとんどは、この時初めて女王の顔を見た。そして声を聴いた。

確かに年老いていはいるが、はっきりとした口調だった。

そしてその老いた顔には、特別な気品が漂っていた。



  「お前たち大臣一同の下した判断は聴いた。

  お前たちはこの度の事態に対して、全国から兵を集め、

  東の諸国と大戦をすると言っている。  

  左様、違いないな。

  しかし、今、この時期、全国から兵を集めたらどうなる?

  この度の東国の反乱の規模を考えると、
 
  生半可の兵の招集では、東国の勢力を打ち破ることは出来まい。

  それこそすべての国から根こそぎ若者たちを集めるくらいの招集が必要。

  しかし、それを今、行ったらどうなる? 」



通例では、女王の話は側近を通して大臣たちに伝えられるので、大臣たちは女王の声を直接聞くことなどなかった。

このように大臣たちに女王自身が顔をさらし、声を張って話をするなどということはありえなかった。

大臣たちの戸惑いも無理はない。

女王は続けた。
 



兵の数や武器で勝るとは言え

  「戦場となった村々が荒廃し、

  あるいは村ごと消え去ったりするのはいうまでもあるまい。

  戦場とならない村でさえ、働き盛りの男を兵にとられ、

  また、その兵のために米を送らなければならない。

  そうでなくとも村々では、昨今の日照りなどで困窮を極めている。

  ここで大八洲全土を巻き込んだ戦など始めては、

  これまでヤマトに従っていた村や国でさえ、反旗を翻すことになろう。
 
  確かに兵力においては我が方が上だ。

  東国勢がどのように兵をかき集めたとしても、

  我が方の半分にも満たないであろう。

  また、戦熟れした、お前たち諸大臣らの采配も卓越したものであろう。

  しかし戦の勝ち負けは、兵力や采配だけで決まるものではない。

  我が方が東国に攻め入った時、東国勢は自らの存亡をかけての戦いとなる。

  おそらく兵も、民もなく、皆、死を恐れず我が方に戦いを挑んでくるであろう。

  我が方は数や武器で勝るとはいえ、

  多くの衆は、村々から強いて集められた者たちだ。

  戦意に差が出るのは明々白々。」 



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我がヤマトの命運も

  「この度の戦は簡単に終わるものではない。

  戦いが長引き、年をまたぐことにでもなったらどうする?

  今、倭国を二分しての戦いなど、誰にも利するものではない。

  事態が悪い方向に進めば、半島諸国も黙っていまい。

  その背後の魏とて、虎視眈々我が大八州を狙っている。

  わが方が東へ兵力を集めている際、九州でも攻め入られたら、
  
  いかに九州の強者たちとは言え、抗しきれるものではない。

  ようやく国らしくなった我がヤマトも命運が尽きかねない。
 
  私はこのヤマトを滅ぼすために王になったのではない・・・・・・

  


私に死を


  一同の者!それでも戦がしたいなら、まずこの私を、死たらしめよ!
 
  私は彼の世に行き、そして事の次第を神にお告げ申す。

  その時、神がどういう判断をなされるか、神の御心次第である。

  お前たちが正しいのであれば、神はお前たちを許すであろう。

  しかし、 もし、 そうでなかったら・・・・・

  その先は言うまい。     

  さあ!  お前たちが、自分たちの考えが正しいと思うならば、

  この、女王ヒミコが間違っていると思うのであれば、

  この場ですぐ私を殺しなさい!

  その剣で私を刺しなさい! 




私は神である

  それが出来ぬのであらば、

  神に使える、この倭国の女王ヒミコを、

  この場で私を刺すことが出来ぬのであらば、

  今後のことは、すべて私の命に従いなさい!

  一同の者、すべて私に任せよ!

  私には、この倭国の、あまねく、すべての王、民を守ることを、

  神から委ねられている女王ヒミコである!

  私は神である! 」





その神々しい言葉に

一同の者たちは、その神の姿のあまりの恐れ多さに、

ただ、ただ、ひれ伏すのみであった。

まことに神々しくもあるその神の言葉に、

異を唱える者などいるはずもなかった。 





親政

ヒミコの親政が始まった。

ヒミコの側近として弟などのイト国の官僚たち、

また大陸の事情に詳しい渡来人などが集まった。

東国出身の者もいた。

ヒミコはそうした者たちを、反乱を起こした村や国に使者として送った。

ヒミコは使者たちに、東国の人々を説得するのではなく、

その腹の中にあるものを、真摯な気持ちで聴くように命じた。

しかしその一方で、近江や伊勢、美濃などの箇所に精鋭軍を配置し、

これ以上戦禍が拡がるのを防ぐことも怠らなかった。

 



魏に使者を出し、倭王の称号を得る

ヒミコはこれまで大陸の遼東半島、楽浪郡を押さえていた公孫氏に使者を出していたが、

その公孫氏が魏に滅ぼされた。

そうした情報を素早く得ていたヒミコは、すかさず魏に使いを出し、

魏から倭王の称号を得、自らが、倭国の唯一の王であることを列島全土に知らしめた。

また半島からの鉄製品などの流通をしっかり押さえ、東の諸国へ無言の圧力を加えた。

さらに、政権に従う王、豪族たちには、当時極めて貴重だった魏鏡を授け、

その者がヤマトの王、また魏の王朝が認めた王であることの証とした。




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残された時間はなかった

ヒミコの硬軟両面からの働きかけにより、徐々ではあるが、

政権に従う国、地域も増えていった。

次第に積極的に政権に加わろうとする国々もあらわれ、

東国の大半は政権下に加わるようになった。

結果的に、ヒミコは戦争で大勝利して得られるもの以上のものを、

全く血を流さずに得た。

混迷していた列島も、ここにきて東国の含めた、

本当の意味での大倭国が成立しようとしていた。

しかしヒミコには残された時間はなかった。


クイーン・ヒミコ・ストーリー ~なあんちゃって 4




誤算

ヒミコの一行は港を出た。

10日余りの滞在期間中、キビ王は、ヒミコのまだあどけない美しさと、

微笑んだ時の愛らしさ、

そしてその外見と年齢に不釣り合いな程の、細心の心配りと、幅広く、

かつ深い知識、即座に事態を正確に把握する思考の速さ、 そして謙虚さ、

それらすべてのものに王は魅了された。

王自身だけではなく、側近や、女官、兵士から、奴婢に至るまで、

ヒミコが出会ったすべての王宮の人々の心を和ませ、

幸せな気持にさせ、キビの宮を後にした。 



ヒミコの、そのいかなる者の気持ちも掴んでしまう、まさに魔力とも言える魅力に、

キビ王は一抹の不安を覚えた。

もしかしたら、この王女は単なる飾りには収まらないかも知れない。

大いなる誤算を悔やんだが、もう遅い。

決まってしまったことだ。





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ヤマトへ

ヒミコの船団はキビの港を出てさらに東へと向かい、ナニワの港に着いた。

まだ予定の日まで日にちがある。

ヒミコはこのナニワから陸路で直接ヤマトには行かないで、紀伊半島を船で回って、

イセやオワリの方も行って見たいと言った。

しかし紀州灘は極めて波が荒く、

玄界灘を行き来する強者揃いのイトの船乗りたちも尻込みした。 

またイセやオワリからヤマトに入るには、険しい山道を通らねばならず、

さらにオワリではヤマトには従わない国もあるということで、

いずれにしても、その願いはかなわなかった。





吉野を経て

結局、ナニワの港で船を国に返し、陸路でヤマトに向かうことになった。

ヒミコは自分の足で歩いて行きたかったが、ヒミコは倭国の女王ということで、

輿に載らなければならなかった。

ヒミコの一行には警護の兵士なども加わって、さらに大きな行列となった。

建設中の王宮へは、ほぼこのまま東に進めばよいのだが、 

西方から王宮に入るのは方角が悪いということで、

一旦南へ向かってから吉野川沿いに東に向かい、

そこから山を越えて、新たに建設中の王宮に入ることになった。

少し遠回りだが、そのことはヒミコにとってはかえって嬉しかった。

カワチから生駒連山を超えてヤマトに入ると、道のあちこちに警護の兵士たちがいた。

また何事かと、人々が行列を見に集まってくる。

しかし行列が人々の前を通るときには、人々はひざまずき、ひれ伏さなけばならない、

それを怠るものは、兵士によって叩かれたりしていた。

イト国では、父である王自ら、民たちと分け隔てなく話を交わしていたので、

ヒミコにはこの光景は異様に映った。

しかし倭国全体からすれば、この時代、こうした事の方は当然であった。

カツラギを経て吉野川に出ると、そこから川沿いに東に向かった。

この周辺では春には山桜が咲き、秋には木々の葉が紅色に色づくと言う。

残念ながら、今はそののどちらでもないが、深緑の山々も美しい。

ヒミコは人気の少ない山道などでは、輿を降り、自分の足で歩いた。

とても気持ちが良かった。

そこから北に向かって山道を進み、平地に出ると、もう王宮は近かった。






王宮

キビ王から聴いていたとおり、宮はまだ建設中だが、主な建物はほぼ出来上がっていた。

いくつかの大きな建物が、同一線上に三輪山と竜王山の間あたり、

つまり日が昇る方向を向いて並んでいる。 

そしてそれらの建物は柵にによって囲まれ、そこが神聖な場所であることを示している。

その範囲はたいへん広大なものであった。





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宮の建設のために多くの人が出ていて、物を持ち上げたり、

運んだりする時の掛け声やら、何やら打ち付ける音などで騒然としている。

また付近の道路も、物を運ぶ人などであふれかえっている。

確かに今、倭国のなかで最も賑わっているところかも知れない。

柵の外側には、おそらく人夫たちの仮の住居と思われる建物がたくさん建ててある。

それらはすべて高床式となっているのも驚きだ。

 

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王宮は三輪山と竜王山の間から流れる川が二股に分かれたところに建てられ、

キビ王が言った通りそれらは掘られた運河で結ばれている。

物資の運搬にはたいへん便利だ。

ヒミコたちは、その建設中の王宮ではなく、仮の住まいに案内された。

ここでしばらく過ごした後、秋にはヒミコの女王就任と、宮の落成、

および収穫を祝う祀りなど、長期にわたって盛大なイヴェントが行われる予定になっている。 

まさに倭国史上最大言える大イヴェントだ。 

そしてその後、ヒミコはこの偉大な王宮の主として君臨することになる。




クイーン・ヒミコ・ストーリー ~なあんちゃって 3




イトの港を出る

 
ヒミコは半年ほど前にイト王である父からヤマトの国で王になることを告げられ、

多くの女官、渡来人、兵士、船乗り、そしてヒミコのたっての願いにより、

同母弟を伴い、イトの港を出た。 

イト王は同行せず、5歳年下のヒミコの妹はじめ、

多くの官や兵士などと共に港まで見送りに出た。 

王の目は心なしか、潤んでいた。

ヒミコが父の顔を見たのはこの時が最後だった。



ヒミコが倭国の女王となってからは、

自由にいろいろなところに行くことや、

様々の人に自由に合うことは出来ないということなので、

ヤマトまでの行程は、なるべくゆっくり、各地を見聞したり、

また各地の王たちに会ったりしながら、ということになった。







誰しも倭国の女王は、この王女しかいないと思った


ヒミコを乗せた船団はナガト、スオウ、アキ、イヨ、などの港に停泊し、

その地の王などに会った。

どの地でも一行は大歓迎され、豪華な食事などが供応された。

どの王も、初めてヒミコを見た時には、

その目の輝きと、言葉の美しさ感動すると共に、

華奢な体と、まだあどけなさの残る顔には、

今後倭国の運命を委ねることになる女王してふさわしいのかどうか、

一抹の不安を隠せなかった。

しかし一行がその地を去る時には、

誰しもが倭国の最初の王はこの王女しかいないと、確信するに至った。

 


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ヒミコは今現在、倭国で最も勢いのあるキビ王にも会うことになった。

港からキビ王の宮に行く途中、いくつかの墳丘を見た。

聴くと先代の王のたちの墓だという。

この墓を見るだけでも、このキビ国が倭国最大、最強の国だあることが力がわかる。

また、その勢力はキビ地方にとどまらず、ハリマやアキの一部にも達している。

その勢力はイト国とは比べ物にならない。




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キビ王の宮にて

  「これは、これは、おおきみ(大王)さま、

  ようこそ、このキビの国にお越しくださいました。

  さぞ長旅でお疲れになったことでしょう。

  このキビの宮でゆっくりなされませ、

  ヤマトでのお住まいが出来るまでには、まだまだ月日がかかりますゆえ」




 「まあ、 キビ王さま、 ”おおきみ” なんておやめ下さい、

  私のような年端もゆかない娘子に」



 「何をおっしゃる、ヒミコさまは、

  すでにこの倭国全土の王とお決まりになっておられます。

 私などが拝謁出来ますことは、誠に恐れ多いことであります。

 それにしても、お美しい。 

  イト国王殿が、あれほど手放したがらなかったことが、まことにうなずけます」



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  「やめて下さいませ、あまりざれ言が過ぎると、

  今度の件、ご辞退申し上げますよ!

  いえ、ご安心下さい、そんなこと出来申さぬことはよくわかっております。

  キビ王さまには、多少なりとも私の気持ちを、ご察し存じますれば」



  「いや、 まあ、 なんと申しましょうか、

  イト国王殿とヒミコさまには、今度のことでは、ただただ感謝の限りでございます。 

  倭国の王は、何といってもヒミコさましかおりませぬ。 

  こうして直接拝謁させていただいて、 

  そのことはいっそう、このキビ王の心に刻み付けられました。

  倭国全土と王や民も、すべてヒミコさまが女王になられることを喜んでおります」

 


  「それはそうと、今度の旅は急ぐものではないので、

  ここまでの道すがら、いろいろな国に立ち寄ってまいりました。

  見るもの、聞くもの、はじめてのものばかりで、身も、心も踊っております。

  疲れなど、どこ行く風といったところでございます」





  「ヒミコさまのお口に合うかどうか、

  この地で美味、珍味とされているものをいろいろ取り揃えました。

  また当地の歌や踊りなども、後ほど披露させていただくつもりです」



  「厚かましいとは存じますが、お言葉に甘えて、連れのものと共に、

  幾晩か逗留させていただきます。

  なにとどよろしゅうお願い申し上げます」







  「父から布など、預かってまいりました。 

  キビ王さまには、くれぐれもよろしくと、お伝えするように申し使っております。

  これらは筑紫の国の特産でございます」



  「これはまた、たいへん貴重なものを。

  筑紫の布は、それはまた、格別なものでございます。

  わがキビでも最近では養蚕なども行うようになってまいりましたが、

  まだまだ筑紫のようにはまいりません、有り難く拝領いたします。

  何か月か前、イト王殿と余人を交えず、

  腹を割ってゆっくりとお話することが出来ました。 

  イト王殿は、さすがかつて漢から倭王の称号を得た王一族とあって、

  本当に出来た方だ。

  イト国だけでなく、倭国全体のことをいつも考えておられる。

  今もって、イト国は倭国の盟主でございます」




  「我がイト国は、かつて漢から倭王の称号を得ていたことは、

  父などから聞き及んでおります。

  しかし、それは昔日のことで、

  今はどの国が最も力があるかといった時代ではありませぬ。

  ただ、父は自身のことよりも、常々、民たちのことを考えて、

  またイト国だけでなく、倭全体のことも考えておられます」




この先100年まとまることはない

  「イト王殿も、今度のヒミコさまの件につきましては、

  格別の苦慮があったと存じますが、

  最後は倭国のためと、折れていただきました。

  ヒミコさまを倭の大王として頂くことは、

  このキビ国はじめ、諸々の倭国の王と民の喜びです」




  「昨年父から、この話を最初に伺いました時には、

  父が何をおっしゃっているのか、全くわかりかねました。

  だんだんその意味が解るにつけ、その重大さに身も、心も打ち震え、

  幾晩も寝付かれませんでした。

  このような恐れ多い大役、私ごときにつとまるはずもございません。

  もしお断わり出来るものでしたら、

  なんとしてでもお断りしたいところでしたが」




  「初代の大倭国王はヒミコさまをおいて、他にはだれもおりませね。

  これは私だけの考えではなく、諸王、

  また諸国の民たちの考えでもあります。

  ここでヒミコさまにお断りされますと、

  倭国がまとまることはこの先100年はありませぬ」




  「確かに、先ほども言いましたとおり、私がお断り申せば、

  これまで多くの方々がご苦労なさって、まとまりかけた話も、

  水泡に帰すと聴かされております。

  また、私のゆくすえは父にゆだねております。
 
  その父がお受けした以上、

  私としては父の命に従う以外の道は、あろうはずもござりませぬ」




  「まことに、これからヒミコさまには、

  いろいろとおすがり申し上げることとなるでしょう。 

  どうか、この禿頭に免じて、このキビ国も、また倭の諸々の国々も、

  くれぐれもよろしくお願い申し上げます」




  「まあ、滅相もございません、 頭をお上げください。 キビ王さま」




  「イト国はまさにカラへの玄関口であります。

  イト王殿にはこれからも一大率の長として、

  倭国のために働いていただくことになるでしょう。  

  何といってもカラとの通商は、

  イト王殿抜きには成しえようもありません」




  「父には大役をいただきまして、キビ王さまはじめ、

  諸王方に厚く御礼申し上げます。

  父も、これからはイト国のためだけでなく、

  倭国のすべて王や民たちのために働くのだと申しております」




イトの日向峠とヤマトの三輪山

  「ヤマトのほうにはすでに私の息子たちが行っておりまして、

  宮の造営にかかっております。 

  人夫なども、多数このキビから出しておりまして、

  今このキビでは、田畑などに行っても人影がまばらになっております。

  イズモやオウミ、オワリなどからも多数人が出ております。

  おそらく、今は倭国の中で、ヤマトが最も人があふれたところと存じます。

  何分、これまで倭国では見たこともないような、

  まるで、漢の洛陽の王宮のような宮を建てるつもりでおります。  

    ・・・・といっても見たわけではありませんがね、ワッハッハッハ。

  そのように、多くの人手を出しても、まだ少し日にちがかかります。

  また宮の周りには運河を掘って、

  人や物の行き来の便を図りたいとも思っております」




  「まことに、キビ王さま始め、キビ国のみなさま、さらに諸国の方々には、

  申し上げる言葉もございません。

  ところで、ヤマトには三輪山という神山があると聴くのですが?」







  「そうでございます。 いま宮を建ております、ヤマトの纏向というところでは、

  三輪山と竜王山の間あたりから毎朝日が昇り、

  宮もそちらを向くように建てております。

  ヒミコさまには、あちらに行かれましてからは、

  その三輪山や竜王山越しに日の神にお祈りしていただくことになります」




  「そうですか、 イト国にいた時には、毎朝、

  日向峠に向かって日の神に拝礼しておりました。 

  これからは日向峠の代わりに、三輪山ということになるのでしょうね。

  日の神は、この世のいずれの地にも等しく日を照らし奉りますので、

  どの地で拝しても変わらぬことと存じます」
クイーン・ヒミコ・ストーリー  ~なあんちゃって 2




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ヒミコという名は正しい名前ではない

ヒミコという名は、もちろんこの王女の正しい名前ではない。 

西暦239年に魏に使者を送った際、魏の役人に倭国の王について聞かれ、

倭の使者が 「今の倭国の王はヒメコ(女子)でございます」 

と答えたことにより、後世ではヒミコと呼ばれるようになった。

したがって、当時、倭国ではこの女王のことを ”ヒミコ” と呼んでいたわけではない。

まして女王になる以前の、イト国の王女時代は全く別の名であったのは当然だが、

ここでは現在の呼び名に従い、「ヒミコ」 と記す。



イト国では王女の中で最も優れたものを ”日の神の妻” とする習慣があった。

日の妻となった女性は一生涯独身を通し、結婚して子供はもうけることはない。

あくまで日の神の妻として一生を送り、日の神よりの神託を聴く。

そしてそれを王に伝え、国を神の導く方へといざなう。

ヒミコもそうした王族の女性の一人で、ゆくゆくはヒミコの叔母に引き続いて、

イト国で、日の神の妻になる予定であった。




イト国

イト国は現在の福岡県糸島半島にあった。

古来より朝鮮半島の貿易、特に鉄製品の流通で富を成し、

九州の中でも、あるいは倭国の中でも最も富んだ国だった。

そしてその財力と物資の流通、そして大陸の情報、

および知識において、九州、および本州の諸国をリードし、

漢の都へ使者を送り、漢より倭王の称号を得ていた。

しかし2世紀も後半に入るとキビ、イズモ、コシ、オウミなどの諸国が台頭し、

イト国およびナ国など北九州の諸国の圧倒的優位には陰りが見え始めた。 

かつては独占していた鉄製品の輸入においても、

諸国が独自のルートを持つようにもなってきた。





現実主義者、キビ王

それらの国の中で、最も力を付けてきたのはキビの王で、

この ”倭国連合構想” もキビ王の主導で進められた。

当初はキビの王自身が倭国連合の王となることを前提として考えていたが、

なかなか話はまとまらなかった。

キビ王といえども、武力で自らが大倭国の王となるだけの力はなかったのである。


キビ王は考えた。

今現在、この倭国で最も力のあるのは、このキビ国、

その王である自分こそが大倭国の王に最もふさわしい。

それは間違いないことだが、それをすべての倭国の王に納得させるには現状では難しい。

特にライバル関係にあるイズモの王が絶対に首を縦に振らない。 

まあ、戦でも仕掛けて力ずくと言う手もある、 今、戦で我がキビ国に勝てる国はない!




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確かにイズモだけだったら何の問題もないが、しかしオウミやコシ、

それにサヌキやスオウなどまで敵に回したら勝ち目はない。

それに、いまは戦などやっている場合ではない。

せっかくあの ”暗闇の時代” から抜け出したところなのに、

ここでまた戦など始めたら、今度こそ本当に倭国は滅びる!

やはり大倭国の王には、かつて漢から倭王の称号を得ていた、

イト国の王を立てるしかないのかも知れない。

イト王であれば、これまでの伝統から、諸王もある程度納得するだろう。

しかしそのイト国に都を置くことは出来ない。

今の倭国は東のケヌ国あたりまで広がっていて、

その中心となれば、やはり畿内のどこかだ。

交通の便などを考えるとオウミあたりが最も良いかもしれないが、

オウミにはオウミの王がいる、

出来れば強い王がいないところがよい。




ヤマト以外にはない

そう考えると都はヤマト以外にはないだろう。 

ヤマトは水の便もよいし、また平地も広がっている。

都はヤマトで決まりとして、では王はイト王でよいのかということになる。

イト王を王に据えたのでは、かつてのイト国連合の継続、

あるいは復活ということで、元も子もない。  

私以外のものが王になるとすれば、出来るだけ力のないものがよい、

イト王では危険だ、いずれ強い権力を持つようになってしまうかもしれない。 

それならイト王ではなく、イト国の王族の誰かを王すればよい、

それには男子ではなく、女子がよいだろう、




力など持ちようのない女子が

しかも出来るだけ若く、力などを持ち得ようがない女子、

形だけの王となる女子が最もい。 

確か、イト国の王女の中に、霊力に優れ、

たいへん賢く、字も読めるという、噂の王女がいたと。

その子がよいだろう。

その王女の霊力を強くアピールすれば諸王たちも納得するだろう。 

我ながら良い考えだ!  

霊力だの、美貌だの、才などというのは、

実のところたいして意味はないが、諸王を納得させるは重要だ。




名を捨て、実をとる

そんなことよりも、イト国の王女を倭国の女王にすることによって、

当然イト国も大倭国に引き入れることが出来、

朝鮮半島や中国とのコネクションをそのまま大倭国に引き継ぐことが出来る。

これが最も大きい!

さらに、北九州で最も影響力の大きいイト国が、

我が大倭国になびけば、他の北九州諸国も当然それに従うだろう。 

近畿以東の諸国も、都をヤマトに置くということになれば離反は少ない。

これで本当に大倭国が完成だ! 

しかもその実権は、わがキビ国が握れる!  

まさに ”名を捨て、実を取る” とはこのことではないか・・・・・・・





キビ王とイト王

キビの王を ”腹黒い” などと言ってはいけない。

キビ王は現実主義者で、立派な ”政治家” だ。

ちゃんと結果を出し、ともかく大倭国連合は船出した。

キビ王の鋭い状況判断力がなければ、

倭国がまとまるには、さらに100年以上費やしたであろう。




理想主義者だが

イト王は情深い性格で、理想主義者だった。

しかし実力には乏しく、かつては少なくとも北九州では最大の勢力だったが、

最近では周辺諸国からも圧力を受けている。

そして代々のイト王に比べ、自らの力のなさを嘆いていた。

でも今現在でも倭国の盟主であることの自負は捨てきれず、

キビ王から 「大倭国の為に」 と言われると、

自らのもっとも大切なものでも手放さざるを得なかった。

そして、文字通り目に入れても痛くない愛娘を誉めちぎられては、

もうキビ王の言うなりだった。




手玉に取られた

さらに大倭国の為にということで、

これまで築いた大陸とのコネクション、あるいは最新の情報、

さらには各分野の専門家たる、多くの渡来人たちも供出せざるをえなかった。

イト国には大倭国の出先機関が置かれ、

半島や大陸との窓口機関となり、その長にはイト王がなった。

イト王としてはこれまでの持っていた朝鮮半島や大陸との交渉権を維持した形にはなったが、

倭国の一地方の出先機関の長ということで、

倭王である娘のヒミコの部下になった形にもなる。

別の言い方をすれば、ヒミコをとおしてキビ王の支配下に置かれたと言ってもよいかも知れない。

イト王は、その性格のよさから、現実主義者のキビ王の手玉にとられた形になった。





<参考> 暗黒時代

キビ王のいう ”暗黒時代” とは2世紀前半のことで、

この時期、日本列島は極端な異常気象に襲われた。

特に西暦127年は未曽有の大水害の年で、

その年間降水量は1000年、あるいは2000年に一度という凄まじいものだった。

日本列島各地で多くの住居や田畑が流され、

村ごと消滅してしまったところも少なくない。

さらにそれに続く干ばつなどで大飢饉がおこり、多くの命が奪われた。

また、少ない食糧を巡って醜い争いも絶えなかった。 

人々が、ようやくそうした状況から脱し始めた時、

これまでのように小さな国々に分かれていたのでは暮らしてゆけない。

災害や、また争いを避けるためにも、

列島全体を包括するような国が必要だと思い始めた。

そんな時代の話である。




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 あのう・・・・・ 

  わかっているとは思いますが、この記事は ”なあんちゃって ヒミコ・ストーリー” ですよ、

 ”なあんちゃって”。  

 こんなこと歴史の本に書いていない?    

 当然ですよ ”なあんちゃって” ですから。   

 ん?  大丈夫? わかってる?   ならいいけど。