シャコンヌ バッハ:パルティータ&組曲 Guitar 中村俊三 5
テンポ・ディ・ガボッタ ~パルティータ第6番ホ短調より
最後の1曲
CDの収録曲目紹介、これまで4回やってきましたが、最後の1曲だけ残ってしました。 今回はその最後の「テンポ・ディ・ガボッタ」です。
この曲は 「鍵盤のための6つのパルティータ第6番ホ短調」 の第5曲となっています。 「6つのパルティータ」は1726年から順次出版され、1731年には6曲まとめて、「クラヴィーア練習曲集第1巻」として出版されています。
バッハの生前に出版された作品はそれほ多くないので、この曲が出版されているということは、それだけバッハとしては自身作としていたのでしょう、
確かに「フランス組曲」、「イギリス組曲」など同種の作品に比べて内容も充実していて、また変化にも富んでいます。 鍵盤曲としては、「平均律クラヴィア曲集」、「ゴールドベルク変奏曲」などに並ぶ傑作と評価されています。
親しみやすく、心地よい曲
私自身でもこのパルティータはよく聴いていて、充実した内容の作品であるにも関わらず、とても聴きやすく、気持ちが落ち着く感じがします。
その中でもこの第6番の 「テンポ・ディ・ガボッタ」 は好みの曲で、短調ですがユーモラスな曲で、何か子供の歌のような感じもします。 また、リズムもスウィング系でとても心地よいものとなっています。

クラビアのためのパルティータ第6番より 「テンポ・ディ・ガボッタ」 私の編曲で、ロ短調になっているが、原曲はホ短調。 付点音符を3連符で弾く指示は私が書いたもので、原曲にはない。
当CDの隠れた目玉
譜面を見ても完全な2声となっていて、以前からギター二重奏に合うのではと思っていました。 録音は例のごとく ”リアルな” 二重奏ではなく、編集によるものですが、最終的な仕上げもなかなか上々で(自分で思うには)、当CDの隠れた ”目玉” となっています。
実際の二重奏で合わせるの結構難しい
楽譜上では3連符と付点音符の組み合わせですが、この付点音符は4分の3の長さにとるものではなく、3分の2,つまり3連符に合わせて演奏するものと考えられます。
しかし低声部で時折出てくる16分音符はどうするのかと言うと、上声部に関わりなく通常通り4分の1で弾くのか、3連符に合わせて、通常の16分音符よりも短く弾くのか、そのあたりははっきりしません。 このCDでは後者のほうを取っていますが、これをリアルな二重奏でやると、なかなか難しいところです。
どう演奏するかは
様々なピアニスト、あるいはチェンバリストの演奏を聴いてみると、弾き方は奏者によって様々です。 例えば冒頭の部分を通常の16分音符で弾くと柔らかい感じになって、3連符的に16分音符を短かめに弾くと歯切れ良い感じになります。
結局のところ、そうした点は演奏者に委ねられるということなのでしょう。 演奏者がこの曲をどう理解するかによって決まるのでしょうね。
なぜテンポ・ディ・ガボッタ?
ところで、「テンポ・ディガボッタ」 とは 「ガボットのテンポで」 と言う意味ですが、 なぜストレートに 「ガボッタ」 もしくは「ガボット」と書かないでこのような回りくどい書き方をしているのでしょうか。
パルティータの場合はイタリア語表記?
因みに「ガボッタ」と書いているのはこの曲がパルティータに属し、パルティータは基本的にはイタリア風(少なくともバッハはそう考えている)なので、それでイタリア風の表記となっているわけです。 前にも言いました通り、このCDに収録しているパルティータニ短調も
バッハ自身では5つの曲をそれぞれ「アレマンダ」、「コレンタ」、「サラバンダ」、「ジーガ」、「チャコーナ」とイタリア風に表記しています。
しかし我が国ではこうした舞曲は基本的にフランス語的に呼ばれるので、このCDでは一般的になじみのあるフランス語的なカタカナとなっています。 有名なシャコンヌもやはり 「シャコンヌ」 として親しまれていて、「チャコーナ」 だとなんだかわからない人も多いでしょう。
それほど厳密に区別しているわけではない
このようにバッハ自身はイタリア語とフランス語を使い分けているといわれていますが、しかし本当に厳密に区別しているいるわけでもなさそうです。 確かにこのパルティータ第6番はイタリア語で表記されていますが、第5番はラテン語でかかれた「Praeambulum」 以外はフランス語表記で、イタリア語、フランス語表記が混在している曲もあります。
またイタリア風の「コレンタ」とフランス風の「クーラント」は内容の異なる曲なのですが、中身は明らかにイタリア風でも、表記はフランス風のクーラントとなっていたりするので、これらの区別はそれほど厳密なものではなさそうです。
バッハも人間?
バッハといえど常にしかめ面をしていたわけでもなく、常に几帳面っだたわけでもでも、全く矛盾したことをしなかったわけでもなさそうです。それはそうですね、バッハも人間ですから。

バッハと言えど、いつもこんな顔をしていたわけではない
外見上は普通のガボットだが
話しがそれてしましたが、なぜこの曲が 「テンポ・ディ・ガボッタ」 となっているかとうことでしたね、ガボットとは 「4分音符2個分のアウフタクトを持つ、2分の2拍子で、中庸、あるいはやや速めの曲」 と言うことになります。もちろん条件をこの曲は満たしているので、曲の形からしたら普通に 「ガボット」 でよかったはずです。
”形” の問題でないとすると、あとは内容の問題。つまり曲の雰囲気の問題と考えていいのでしょう。 やはりこの曲にはガボットにふさわしくないところがあるということになります。
これは以前「テンポ・ディ・ボレア」のところでも話しましたが、この曲ではブレーらしい軽快さというより、もっとシリアスで情感の動きの激しい曲ということでこのような表記になったのではと書きました。
その愛らしさがガボットらしくない?
この「テンポ・ディガボッタ」もガボットにしてはメロディックで、ユーモラス、愛らしい感じがあります。 そうした点がガボットらしくないのかも知れません、確かにガボットらしいゴツゴツ感がありませんね。
かってな想像なので本当のところはわかりませんが、こうした曲を聴くと(あるいは見ると)、バッハにとっての ”ガボットらしさ” といったものもわかることになります。
令和時代のギター上達法の再開
といったところでCDの曲目解説は終わりです。 リサイタルも終わったところで、また 「令和時代のギター上達法」 の記事に戻りたいと思います。
だいぶ間が空いてしまい、前回の記事の記憶も薄れつつありますが、セーハの話でしたね、その後和音の押さえ方の話をする、トいったところで中断でした。
今回は特に体系的に話を進めるというより、気になったことから話をしてゆこうということなので、あまり左手のことに「こだわる必要もないのですが、とりあえず予告してあるので、その和音の話で再開することにしましょう。
テンポ・ディ・ガボッタ ~パルティータ第6番ホ短調より
最後の1曲
CDの収録曲目紹介、これまで4回やってきましたが、最後の1曲だけ残ってしました。 今回はその最後の「テンポ・ディ・ガボッタ」です。
この曲は 「鍵盤のための6つのパルティータ第6番ホ短調」 の第5曲となっています。 「6つのパルティータ」は1726年から順次出版され、1731年には6曲まとめて、「クラヴィーア練習曲集第1巻」として出版されています。
バッハの生前に出版された作品はそれほ多くないので、この曲が出版されているということは、それだけバッハとしては自身作としていたのでしょう、
確かに「フランス組曲」、「イギリス組曲」など同種の作品に比べて内容も充実していて、また変化にも富んでいます。 鍵盤曲としては、「平均律クラヴィア曲集」、「ゴールドベルク変奏曲」などに並ぶ傑作と評価されています。
親しみやすく、心地よい曲
私自身でもこのパルティータはよく聴いていて、充実した内容の作品であるにも関わらず、とても聴きやすく、気持ちが落ち着く感じがします。
その中でもこの第6番の 「テンポ・ディ・ガボッタ」 は好みの曲で、短調ですがユーモラスな曲で、何か子供の歌のような感じもします。 また、リズムもスウィング系でとても心地よいものとなっています。

クラビアのためのパルティータ第6番より 「テンポ・ディ・ガボッタ」 私の編曲で、ロ短調になっているが、原曲はホ短調。 付点音符を3連符で弾く指示は私が書いたもので、原曲にはない。
当CDの隠れた目玉
譜面を見ても完全な2声となっていて、以前からギター二重奏に合うのではと思っていました。 録音は例のごとく ”リアルな” 二重奏ではなく、編集によるものですが、最終的な仕上げもなかなか上々で(自分で思うには)、当CDの隠れた ”目玉” となっています。
実際の二重奏で合わせるの結構難しい
楽譜上では3連符と付点音符の組み合わせですが、この付点音符は4分の3の長さにとるものではなく、3分の2,つまり3連符に合わせて演奏するものと考えられます。
しかし低声部で時折出てくる16分音符はどうするのかと言うと、上声部に関わりなく通常通り4分の1で弾くのか、3連符に合わせて、通常の16分音符よりも短く弾くのか、そのあたりははっきりしません。 このCDでは後者のほうを取っていますが、これをリアルな二重奏でやると、なかなか難しいところです。
どう演奏するかは
様々なピアニスト、あるいはチェンバリストの演奏を聴いてみると、弾き方は奏者によって様々です。 例えば冒頭の部分を通常の16分音符で弾くと柔らかい感じになって、3連符的に16分音符を短かめに弾くと歯切れ良い感じになります。
結局のところ、そうした点は演奏者に委ねられるということなのでしょう。 演奏者がこの曲をどう理解するかによって決まるのでしょうね。
なぜテンポ・ディ・ガボッタ?
ところで、「テンポ・ディガボッタ」 とは 「ガボットのテンポで」 と言う意味ですが、 なぜストレートに 「ガボッタ」 もしくは「ガボット」と書かないでこのような回りくどい書き方をしているのでしょうか。
パルティータの場合はイタリア語表記?
因みに「ガボッタ」と書いているのはこの曲がパルティータに属し、パルティータは基本的にはイタリア風(少なくともバッハはそう考えている)なので、それでイタリア風の表記となっているわけです。 前にも言いました通り、このCDに収録しているパルティータニ短調も
バッハ自身では5つの曲をそれぞれ「アレマンダ」、「コレンタ」、「サラバンダ」、「ジーガ」、「チャコーナ」とイタリア風に表記しています。
しかし我が国ではこうした舞曲は基本的にフランス語的に呼ばれるので、このCDでは一般的になじみのあるフランス語的なカタカナとなっています。 有名なシャコンヌもやはり 「シャコンヌ」 として親しまれていて、「チャコーナ」 だとなんだかわからない人も多いでしょう。
それほど厳密に区別しているわけではない
このようにバッハ自身はイタリア語とフランス語を使い分けているといわれていますが、しかし本当に厳密に区別しているいるわけでもなさそうです。 確かにこのパルティータ第6番はイタリア語で表記されていますが、第5番はラテン語でかかれた「Praeambulum」 以外はフランス語表記で、イタリア語、フランス語表記が混在している曲もあります。
またイタリア風の「コレンタ」とフランス風の「クーラント」は内容の異なる曲なのですが、中身は明らかにイタリア風でも、表記はフランス風のクーラントとなっていたりするので、これらの区別はそれほど厳密なものではなさそうです。
バッハも人間?
バッハといえど常にしかめ面をしていたわけでもなく、常に几帳面っだたわけでもでも、全く矛盾したことをしなかったわけでもなさそうです。それはそうですね、バッハも人間ですから。

バッハと言えど、いつもこんな顔をしていたわけではない
外見上は普通のガボットだが
話しがそれてしましたが、なぜこの曲が 「テンポ・ディ・ガボッタ」 となっているかとうことでしたね、ガボットとは 「4分音符2個分のアウフタクトを持つ、2分の2拍子で、中庸、あるいはやや速めの曲」 と言うことになります。もちろん条件をこの曲は満たしているので、曲の形からしたら普通に 「ガボット」 でよかったはずです。
”形” の問題でないとすると、あとは内容の問題。つまり曲の雰囲気の問題と考えていいのでしょう。 やはりこの曲にはガボットにふさわしくないところがあるということになります。
これは以前「テンポ・ディ・ボレア」のところでも話しましたが、この曲ではブレーらしい軽快さというより、もっとシリアスで情感の動きの激しい曲ということでこのような表記になったのではと書きました。
その愛らしさがガボットらしくない?
この「テンポ・ディガボッタ」もガボットにしてはメロディックで、ユーモラス、愛らしい感じがあります。 そうした点がガボットらしくないのかも知れません、確かにガボットらしいゴツゴツ感がありませんね。
かってな想像なので本当のところはわかりませんが、こうした曲を聴くと(あるいは見ると)、バッハにとっての ”ガボットらしさ” といったものもわかることになります。
令和時代のギター上達法の再開
といったところでCDの曲目解説は終わりです。 リサイタルも終わったところで、また 「令和時代のギター上達法」 の記事に戻りたいと思います。
だいぶ間が空いてしまい、前回の記事の記憶も薄れつつありますが、セーハの話でしたね、その後和音の押さえ方の話をする、トいったところで中断でした。
今回は特に体系的に話を進めるというより、気になったことから話をしてゆこうということなので、あまり左手のことに「こだわる必要もないのですが、とりあえず予告してあるので、その和音の話で再開することにしましょう。
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