またまたシャコンヌ 11 最終回
4小節、8小節、12小節のまとまりを使い分けている
前回の記事では、バッハのシャコンヌは、一見8小節のテーマと30の変奏(最後にテーマの繰り返し)と言った形になっていますが、実際には8小節の変奏とはなっていないということを書きました。
特にニ短調の第1部からニ長調の第2部に移るところでは、8小節を一つの変奏と考えた場合、変奏の真ん中で転調することになってしまい、あり得ないことになります。
もちろんそうしたことはバッハが意図的に行ったものと思えます。 こうしたことが起こるのは、確かに多くの場合、この曲は8小節ひとまとまりの形、つまり8小節で一つの変奏となるように作曲されていますが、時々4小節の接読部分のようなものが現れるからです。
他に誰が?
一般に、音楽の最少の単位は8小節とされ、8小節だと落ち着くが、その半分の4小節だとあまり落ち着いた感じにならないという訳です。 バッハはこの落ち着かない4小節を有効に用いて、よりいっそう音楽に動きを生じさせています。
さらに後半のほうでは12小節が一つのまとまりとなるような部分も出てきます。バッハは4小節、8小節、12小節と、まとまりを使い分け、それらを有効に用いてこのシャコンヌを作曲したとも言えるでしょう。
でもこんなこと他に考える人がいるでしょうかね? 普通、変奏曲だったら、各変奏の小節数は同じにするでしょうね。たまたま何かの都合で、長くなったり、短くなったりすることはあるでしょうが、このように4小節と8小節の性格の違いを考慮した上で、使い分けるなんて、こんなことバッハくらいしか考えないでしょうね。
やはりヨハン・セバスティアン・バッハ、恐るべし・・・・・・ ということでしょう。
縦がだめなら横?
シャコンヌがゴールドベルク変奏曲のように一つ一つの変奏が完結するように作曲しなかった理由としては、やはりこの曲が無伴奏のヴァイオリンのために書かれたということでしょう。
確かにバッハは1台のヴァイオリンで複旋律の音楽が演奏出来るように作曲しましたが、でもやはり鍵盤楽器やオーケストラのようにはゆきません。 ヴァイオリン1台ではさすがに ”縦方向” には音楽を構成でないということでしょう。
縦に音楽を作れないら、横方向に音楽を作る! といった考えが、このシャコンヌにはあるように思えます。
そんな苦労するくらいなら、最初から鍵盤とか複数の楽器の為にシャコンヌを作曲すればいいんじゃないかと普通は考える訳ですが、この不自由なところ、矛盾したところがバッハの好みであり、バッハがバッハである所以なのでしょう。
前にも書きましたが、バッハと言う人は困難があればあるほど、制約があればあるほどファイトが湧くタイプなのかも知れませんね。
ありがとうございました
さて、”書き始めた流れで” ということでまたまたシャコンヌの話を書きましたが、とりあえずここまでにしておきましょう。
今回は以前書いたことの焼き直し的なものになってしまいましたが、いずれにしても私自身の無知と偏見による内容で、決して正しくシャコンヌを語っているものではありません。
仮にその内容がそれほど見当違いでないとしても、バッハの音楽のごく一部分と言えるでしょう。
私がこれまで書いたことの多くは解説書に書いてあることとか、あるいは権威ある音楽学者の講義で聴いたものではありません。
ただ、私なりにバッハが残した譜面を、じっくり読んで、そこから得たものです。 古典の演奏はやはり楽譜を読むこと、それに尽きるのではと思います。
それでは、長々とお付き合いくださった方々、本当にありがとうございました。
4小節、8小節、12小節のまとまりを使い分けている
前回の記事では、バッハのシャコンヌは、一見8小節のテーマと30の変奏(最後にテーマの繰り返し)と言った形になっていますが、実際には8小節の変奏とはなっていないということを書きました。
特にニ短調の第1部からニ長調の第2部に移るところでは、8小節を一つの変奏と考えた場合、変奏の真ん中で転調することになってしまい、あり得ないことになります。
もちろんそうしたことはバッハが意図的に行ったものと思えます。 こうしたことが起こるのは、確かに多くの場合、この曲は8小節ひとまとまりの形、つまり8小節で一つの変奏となるように作曲されていますが、時々4小節の接読部分のようなものが現れるからです。
他に誰が?
一般に、音楽の最少の単位は8小節とされ、8小節だと落ち着くが、その半分の4小節だとあまり落ち着いた感じにならないという訳です。 バッハはこの落ち着かない4小節を有効に用いて、よりいっそう音楽に動きを生じさせています。
さらに後半のほうでは12小節が一つのまとまりとなるような部分も出てきます。バッハは4小節、8小節、12小節と、まとまりを使い分け、それらを有効に用いてこのシャコンヌを作曲したとも言えるでしょう。
でもこんなこと他に考える人がいるでしょうかね? 普通、変奏曲だったら、各変奏の小節数は同じにするでしょうね。たまたま何かの都合で、長くなったり、短くなったりすることはあるでしょうが、このように4小節と8小節の性格の違いを考慮した上で、使い分けるなんて、こんなことバッハくらいしか考えないでしょうね。
やはりヨハン・セバスティアン・バッハ、恐るべし・・・・・・ ということでしょう。
縦がだめなら横?
シャコンヌがゴールドベルク変奏曲のように一つ一つの変奏が完結するように作曲しなかった理由としては、やはりこの曲が無伴奏のヴァイオリンのために書かれたということでしょう。
確かにバッハは1台のヴァイオリンで複旋律の音楽が演奏出来るように作曲しましたが、でもやはり鍵盤楽器やオーケストラのようにはゆきません。 ヴァイオリン1台ではさすがに ”縦方向” には音楽を構成でないということでしょう。
縦に音楽を作れないら、横方向に音楽を作る! といった考えが、このシャコンヌにはあるように思えます。
そんな苦労するくらいなら、最初から鍵盤とか複数の楽器の為にシャコンヌを作曲すればいいんじゃないかと普通は考える訳ですが、この不自由なところ、矛盾したところがバッハの好みであり、バッハがバッハである所以なのでしょう。
前にも書きましたが、バッハと言う人は困難があればあるほど、制約があればあるほどファイトが湧くタイプなのかも知れませんね。
ありがとうございました
さて、”書き始めた流れで” ということでまたまたシャコンヌの話を書きましたが、とりあえずここまでにしておきましょう。
今回は以前書いたことの焼き直し的なものになってしまいましたが、いずれにしても私自身の無知と偏見による内容で、決して正しくシャコンヌを語っているものではありません。
仮にその内容がそれほど見当違いでないとしても、バッハの音楽のごく一部分と言えるでしょう。
私がこれまで書いたことの多くは解説書に書いてあることとか、あるいは権威ある音楽学者の講義で聴いたものではありません。
ただ、私なりにバッハが残した譜面を、じっくり読んで、そこから得たものです。 古典の演奏はやはり楽譜を読むこと、それに尽きるのではと思います。
それでは、長々とお付き合いくださった方々、本当にありがとうございました。
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