5音音階 4
5音音階ぽいが
5音音階の例をいくつか見てきました。5音音階と言ってもいろんな種類があり、それほシンプルでもないということでしたね。大きく分けると、半音を含むものと、含まないものがあって、日本では半音を含む5音音階も使いますが、世界ではブルースなど半音を含まないものが主流のようです。日本の5音音階が半音を含むのは、陰旋法など影響かも知れません。
演歌というといわゆる”ヨナ抜き”の5音音階が多いのですが、すべてがそうではなく、長音階や短音階を用いたものもあります。
その例として「波浮の港」と「影を慕いて」を挙げておきましょう。

「波浮の港」は自然短音階のうち、第7音(この曲の場合は「ソ」)だけが抜けている。6個の音による音階だが、「6音音階」とは言わないようで、自然短音階ということになるのだろう。

「影を慕いて」も同様に第7音を抜いた自然短音階で出来ている。
自然短音階
どちらも使っている音は7度を抜いた6個の音です。基本は短音階、正確には自然短音階ですが、このように7度を抜いた音階はあまり”6音音階”とはいわないようですね。やはり自然短音階と言うのでしょう。 因みに自然短音階とは上行の場合でも第6音、第7音が半音上がらないものを言います。逆にこれらが上がるものは旋律的短音階と言いいます。
通常の長音階、短音階では導音が重要
5音音階にしても、自然短音階にしても、その最も大きな特徴は「導音」といって主音の半音下の音がないということでしょう。 通常の長音階や旋律的短音階は、曲の終わりなどにはこの導音進行を用います。その例も挙げておきましょう。

通常の長、短音階では第7度の音は主音に対して短2度、つまり半音で主音に向かう。ヨーロッパの音楽、特にキリスト教音楽では、この導音進行が重要となる。
要するに”和風”な感じとか、素朴な感じを出すには、この導音進行を避ける傾向にあります。導音進行というのはヨーロッパ的、クラシック音楽的、あるいはキリスト教音楽のイメージがあるからでしょう。
ヨーロッパ中世の宗教曲では二重導音というのもある
逆にヨーロッパの音楽、キリスト教音楽ではこの導音進行を重要とするわけです。中世においては複数の声部で導音進行を用いる「二重導音」なるものもあります。その例も挙げておきましょう。

14世紀のギヨーム・ド・マシューのノートルダム・ミサの「キリエ」の最後の部分。主音だけでなく、第5音にも導音が付く。
二重導音はこの時代(14世紀)以降はあまり使われなくなったようですが、ある意味ちょっと新鮮ですね。いかのも中世といった感じがします。
導音を使った演歌もある
演歌では導音は普通使わないので、たまに出てくるとかえって新鮮ですね。「津軽海峡冬景色」では、最後の最後にこの導音が出てきます。

まさに、導音を最後の最後にとっておいたと言う感じ。演歌の中でも、あまり演歌らしくない感じもするのはこの辺りが原因か、
第7音は使うが、導音にはしない
演歌にしても、日本の歌にしても、この導音を徹底的に避けるわけですね、導音=ヨーロッパ音楽となるからなんでしょうね。そのために第7音を抜く訳ですが、導音にはしないが、第7音は入れるという曲もあります。次の曲は「神田川です。

第7 音を入れてソ→ラとは終るのですが、#を付けないで、導音にはしないということですね。日本的な情緒は出ているけど、演歌ともちょっと違うという感じです。この時代の、いわゆる「日本のフォーク」は、こういったもが多いです。 いずれにしても導音を用いないことにより、和風の感じを出していると言ってもいいでしょう。
5音音階ぽいが
5音音階の例をいくつか見てきました。5音音階と言ってもいろんな種類があり、それほシンプルでもないということでしたね。大きく分けると、半音を含むものと、含まないものがあって、日本では半音を含む5音音階も使いますが、世界ではブルースなど半音を含まないものが主流のようです。日本の5音音階が半音を含むのは、陰旋法など影響かも知れません。
演歌というといわゆる”ヨナ抜き”の5音音階が多いのですが、すべてがそうではなく、長音階や短音階を用いたものもあります。
その例として「波浮の港」と「影を慕いて」を挙げておきましょう。

「波浮の港」は自然短音階のうち、第7音(この曲の場合は「ソ」)だけが抜けている。6個の音による音階だが、「6音音階」とは言わないようで、自然短音階ということになるのだろう。

「影を慕いて」も同様に第7音を抜いた自然短音階で出来ている。
自然短音階
どちらも使っている音は7度を抜いた6個の音です。基本は短音階、正確には自然短音階ですが、このように7度を抜いた音階はあまり”6音音階”とはいわないようですね。やはり自然短音階と言うのでしょう。 因みに自然短音階とは上行の場合でも第6音、第7音が半音上がらないものを言います。逆にこれらが上がるものは旋律的短音階と言いいます。
通常の長音階、短音階では導音が重要
5音音階にしても、自然短音階にしても、その最も大きな特徴は「導音」といって主音の半音下の音がないということでしょう。 通常の長音階や旋律的短音階は、曲の終わりなどにはこの導音進行を用います。その例も挙げておきましょう。

通常の長、短音階では第7度の音は主音に対して短2度、つまり半音で主音に向かう。ヨーロッパの音楽、特にキリスト教音楽では、この導音進行が重要となる。
要するに”和風”な感じとか、素朴な感じを出すには、この導音進行を避ける傾向にあります。導音進行というのはヨーロッパ的、クラシック音楽的、あるいはキリスト教音楽のイメージがあるからでしょう。
ヨーロッパ中世の宗教曲では二重導音というのもある
逆にヨーロッパの音楽、キリスト教音楽ではこの導音進行を重要とするわけです。中世においては複数の声部で導音進行を用いる「二重導音」なるものもあります。その例も挙げておきましょう。

14世紀のギヨーム・ド・マシューのノートルダム・ミサの「キリエ」の最後の部分。主音だけでなく、第5音にも導音が付く。
二重導音はこの時代(14世紀)以降はあまり使われなくなったようですが、ある意味ちょっと新鮮ですね。いかのも中世といった感じがします。
導音を使った演歌もある
演歌では導音は普通使わないので、たまに出てくるとかえって新鮮ですね。「津軽海峡冬景色」では、最後の最後にこの導音が出てきます。

まさに、導音を最後の最後にとっておいたと言う感じ。演歌の中でも、あまり演歌らしくない感じもするのはこの辺りが原因か、
第7音は使うが、導音にはしない
演歌にしても、日本の歌にしても、この導音を徹底的に避けるわけですね、導音=ヨーロッパ音楽となるからなんでしょうね。そのために第7音を抜く訳ですが、導音にはしないが、第7音は入れるという曲もあります。次の曲は「神田川です。

第7 音を入れてソ→ラとは終るのですが、#を付けないで、導音にはしないということですね。日本的な情緒は出ているけど、演歌ともちょっと違うという感じです。この時代の、いわゆる「日本のフォーク」は、こういったもが多いです。 いずれにしても導音を用いないことにより、和風の感じを出していると言ってもいいでしょう。
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