私のギター修行 20
<スタート・ライン~最終回>
5年生でも定期演奏会に
3年生の冬頃ギター部をやめ、4年生の頃は精神的にも行き詰っていましたが、しだいに落ち着きをとりもどし、5年生(?)になって復部しました。
とはいってもこの頃にはギター教室の仕事も始まり、また地学科に移って授業にも出るようになったので、正規の練習にはほとんど出ず、暇な時に部室にたむろする程度でした。
でも定期演奏会にはしっかりと独奏(グラナドス:スペイン舞曲第5番、トロバ:マドロニョス)と協奏曲(バッハ:ヴァイオリン協奏曲ホ長調)のソロ・パートをやらせてもらいました(強引にやってしまった?)。
またこの頃から、顧問の先生やギター部の後輩たちと麻雀をやるようになり、卒業してからも結構やっていました。
多い時には週に3、4回やっていたと思います。 そのメンバーとは今でも時折、卓を囲んだりしますが、相変わらず麻雀は強くならないようです。
現役なのに講師?
6年生になると、私は在学中にもかかわらず荻津先生に代わって「講師」に任命されました。 まあ、ていの良い追い出しといったところでしょう。
その後20年間ほど断続的に後輩たちの指導をしましたが、90年代の半ば頃にはその講師の肩書も自然消滅となってしまいました。
吉田秀和氏の著作
ギターの方は松田先生に習ったあと、特に先生について習う機会もなくなってしまいましたが、それ以後はギターの演奏技術よりも一般的な音楽を勉強しようという気持ちの方が強くなり、いろいろな音楽を聴いたり、音楽に関する理論書や評論集などを読んだりすることの方が多くなりました。
その頃からFM放送で聴いたのをきっかけに吉田秀和氏の著作も読むようになりました。
また音楽史には特に興味を持ちましたが、音楽史を理解するにはヨーロッパ史、あるいは美術史も勉強しなけらばならないと思い、それらの関係の本も読むようになりました。

水戸芸術館の館長でもあった音楽評論家、吉田秀和の若い頃の写真。 吉田氏の著作は大部分読んだ。
「茨城大学6年生の中村さん他」
6年生の時、ギター部の後輩で、当時4年生だった高矢君と小笠原君と一緒に茨城県民文化センターで、コンサートをやりました。
それが自分で企画した最初のコンサート、あるいは自分の独奏を中心とした初めてのコンサートでした。
その時新聞社者の人から電話があり、いろいろ聞かれたあと、「何年生ですか」という質問に「6年生です」と答えたら、新聞にそのまま「茨城大学6年生の中村さん他」と紹介されてしまいました。
自分のコンサートを新聞などで紹介してもらったのも、この時が初めてです。
高矢君、小笠原君は、音楽的な知識も、音楽を聴く耳も優れていれ、彼らには音楽的にたいへん啓発されました。

大学6年の時には高矢君(左、現在ギター・ショップ・カリスのオーナー)などと初めてのコンサートを行った。
教える事の難しさ
5、6年生の頃は、一応授業に出ながらも、週に4~5日くらいギター教室の仕事をしていて、結局卒業してからはそれが本業となりました。
しかしまだまだ自分のギターの演奏能力や、音楽的な知識、経験はもちろん、教え方など全くわかっていなくて、勉強しなくてはならないことだらけでした。
同じ教えるといってもギター部の学生を教えるのと、一般の人、それもレッスン料をいただいて、なお且つ生活をかけて教えることとは雲泥の差です。
教えることの難しさは今もって大いに感じる事ですが、ともかくもその試行錯誤の毎日が始まりました。
卒業しても日々の生活そのものは特に変わりませんでしたが、しかし学生でなくなったということは気持ちの上では大きく、本当にこの仕事を続けて行けるのだろうかという不安、あるいはプレシャーは大きくなりました。
アルバイト気分でギターを教えていた時と、本業としてギターを教えるのとでもかなり違いました。
中村ギター教室
大学を卒業すると、それまで住んでいた部屋を出て、現在の住居に比較的近い所に家を借りました。
その自宅でもレッスンをするようになり、「中村ギター教室」 が発足しました。
さらに数年ほどして現在のところに引越し、今現在に至っています。
スタート・ライン
以上のように私は、1975年に茨城大学を卒業し、ギタリスト(自称?)としての生活が始まりました。
しかしこの段階では前述の通り、ギターの方もですが、特に人間的には本当に未熟で、「私のギター修行」 はまだまだこれからというところですが、でも何とかスタート・ラインには立てたということで、話はこの辺にしたいと思います。
心から感謝の気持ちを
こうして振り返ってみると、私が成長し、この仕事に就くにあったっては、本当にいろいろな人の暖い気持ちに支えられてきたことを、あらためて感じました。
この場がふさわしいかどうかわかりませんが、そうした方々に心から感謝の気持ちを伝えられればと思います。
長い、長い自己紹介になってしまいました。
お付き合い下さった方々、本当にありがとうございました。
<スタート・ライン~最終回>
5年生でも定期演奏会に
3年生の冬頃ギター部をやめ、4年生の頃は精神的にも行き詰っていましたが、しだいに落ち着きをとりもどし、5年生(?)になって復部しました。
とはいってもこの頃にはギター教室の仕事も始まり、また地学科に移って授業にも出るようになったので、正規の練習にはほとんど出ず、暇な時に部室にたむろする程度でした。
でも定期演奏会にはしっかりと独奏(グラナドス:スペイン舞曲第5番、トロバ:マドロニョス)と協奏曲(バッハ:ヴァイオリン協奏曲ホ長調)のソロ・パートをやらせてもらいました(強引にやってしまった?)。
またこの頃から、顧問の先生やギター部の後輩たちと麻雀をやるようになり、卒業してからも結構やっていました。
多い時には週に3、4回やっていたと思います。 そのメンバーとは今でも時折、卓を囲んだりしますが、相変わらず麻雀は強くならないようです。
現役なのに講師?
6年生になると、私は在学中にもかかわらず荻津先生に代わって「講師」に任命されました。 まあ、ていの良い追い出しといったところでしょう。
その後20年間ほど断続的に後輩たちの指導をしましたが、90年代の半ば頃にはその講師の肩書も自然消滅となってしまいました。
吉田秀和氏の著作
ギターの方は松田先生に習ったあと、特に先生について習う機会もなくなってしまいましたが、それ以後はギターの演奏技術よりも一般的な音楽を勉強しようという気持ちの方が強くなり、いろいろな音楽を聴いたり、音楽に関する理論書や評論集などを読んだりすることの方が多くなりました。
その頃からFM放送で聴いたのをきっかけに吉田秀和氏の著作も読むようになりました。
また音楽史には特に興味を持ちましたが、音楽史を理解するにはヨーロッパ史、あるいは美術史も勉強しなけらばならないと思い、それらの関係の本も読むようになりました。

水戸芸術館の館長でもあった音楽評論家、吉田秀和の若い頃の写真。 吉田氏の著作は大部分読んだ。
「茨城大学6年生の中村さん他」
6年生の時、ギター部の後輩で、当時4年生だった高矢君と小笠原君と一緒に茨城県民文化センターで、コンサートをやりました。
それが自分で企画した最初のコンサート、あるいは自分の独奏を中心とした初めてのコンサートでした。
その時新聞社者の人から電話があり、いろいろ聞かれたあと、「何年生ですか」という質問に「6年生です」と答えたら、新聞にそのまま「茨城大学6年生の中村さん他」と紹介されてしまいました。
自分のコンサートを新聞などで紹介してもらったのも、この時が初めてです。
高矢君、小笠原君は、音楽的な知識も、音楽を聴く耳も優れていれ、彼らには音楽的にたいへん啓発されました。

大学6年の時には高矢君(左、現在ギター・ショップ・カリスのオーナー)などと初めてのコンサートを行った。
教える事の難しさ
5、6年生の頃は、一応授業に出ながらも、週に4~5日くらいギター教室の仕事をしていて、結局卒業してからはそれが本業となりました。
しかしまだまだ自分のギターの演奏能力や、音楽的な知識、経験はもちろん、教え方など全くわかっていなくて、勉強しなくてはならないことだらけでした。
同じ教えるといってもギター部の学生を教えるのと、一般の人、それもレッスン料をいただいて、なお且つ生活をかけて教えることとは雲泥の差です。
教えることの難しさは今もって大いに感じる事ですが、ともかくもその試行錯誤の毎日が始まりました。
卒業しても日々の生活そのものは特に変わりませんでしたが、しかし学生でなくなったということは気持ちの上では大きく、本当にこの仕事を続けて行けるのだろうかという不安、あるいはプレシャーは大きくなりました。
アルバイト気分でギターを教えていた時と、本業としてギターを教えるのとでもかなり違いました。
中村ギター教室
大学を卒業すると、それまで住んでいた部屋を出て、現在の住居に比較的近い所に家を借りました。
その自宅でもレッスンをするようになり、「中村ギター教室」 が発足しました。
さらに数年ほどして現在のところに引越し、今現在に至っています。
スタート・ライン
以上のように私は、1975年に茨城大学を卒業し、ギタリスト(自称?)としての生活が始まりました。
しかしこの段階では前述の通り、ギターの方もですが、特に人間的には本当に未熟で、「私のギター修行」 はまだまだこれからというところですが、でも何とかスタート・ラインには立てたということで、話はこの辺にしたいと思います。
心から感謝の気持ちを
こうして振り返ってみると、私が成長し、この仕事に就くにあったっては、本当にいろいろな人の暖い気持ちに支えられてきたことを、あらためて感じました。
この場がふさわしいかどうかわかりませんが、そうした方々に心から感謝の気持ちを伝えられればと思います。
長い、長い自己紹介になってしまいました。
お付き合い下さった方々、本当にありがとうございました。
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