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中村俊三 ブログ

中村ギター教室内のレッスン内容や、イベント、また、音楽の雑学などを書いていきます。

2つの譜面

 この曲の原曲には2つの譜面があることは前回お話しました。繰り返しになりますが、一つは「スペインの歌」第1曲目プレリュード、もう一つは「スペイン組曲作品47」第5曲目アストゥーリアス=レーエンダです。

 「スペインの歌」はプレリュード、オリエンタル、椰子の木陰で、コルドバ、セギディージャの5曲からなり、1893年~1895年に作曲され、1890年代の後半頃出版されているようです。 「スペイン組曲作品47」はグラナダ、カタルーニャ、セビーリャ、カディス、アストゥリアス、アラゴン、カスティージャ、クーバの8曲で、そのうちグラナダ、カタルーニャ、セビーリャ、クーバの4曲は1886年頃作曲され、それぞれこの組曲独自の曲ですが、他の4曲はアルベニスの死後(おそらく1910年代)出版社により、他の組曲などから転用され、この組曲に入れられたものです。

 これらの曲名をみるとお気づきのとおり、それぞれギターで馴染みの深いものばかりですが、特に「スペイン組曲」のほうはアストゥリアス以外にもグラナダ、セビーリャとほとんどギター曲ともいえる曲が並んでいます。こちらの方が一般的になるのもうなずけ、マヌエル・バルエコもこの組曲を全曲ギターで演奏しています。

 私の手元にあるのはどちらも音楽の友社のものですが、その譜面にはオリジナルの譜面に関しての記述が全くありませんので、初版に関する情報がわかりません。初版に対して、何らかの変更があったかないかわからないのですが、一応初版どおりということで話を進めて行きます。


強弱記号などの違い

 「スペインの歌」第1曲プレリュードと「スペイン組曲作品47」第5曲アストゥーリアス=レーエンダの譜面を詳しくみてみると、曲名以外にもいろいろ違いがあります。音としては21小節目からの和音の弾き方が若干異なります。和音そのものは同じなのですが、「スペインの歌」のほうでは16分音符「裏」にあったものが、「スペイン組曲作品47」では小節の「頭」になっています。より華やかに聴こえるようにという配慮かなと思いますが、特に変更の必要などなかったのではないかと思います。

 音としてはそれ以外は違いがないと思いますが、強弱、表情記号などはかなり変えられています。全体的に言えば「組曲」のほうがより細かく、例えば冒頭の指示も「marcato il canto(はっきり、歌うように)」が「marcado el canto y siembre staccato sin pedal(はっきりと歌って、ペダルなしで、常に音を切る)」と詳しくなっており、こちらはスペイン語になっています。また「組曲」のほうがpがppのように強弱のコントラストが強くなっていて、メトロノームの数字も132から138に変えられています(この数字も初版の時にあったのかどうかはわかりませんが)。

 まとめると「組曲」のほうが「歌」に比べると強弱や速度の差を付け、より華やかに聴こえるように変えられているようです。全体的には「組曲」のほうは「歌」のほうの指示を強調したような形になっていて、それほど矛盾することは少ないのですが、エンディング(最後の6小節)のところだけは全く正反対の指示になっています。「歌」のほうではテンポ・プリモで冒頭の速さに戻り、最後はクレシェンドしてffで終わっていますが、「組曲」のほではテンポはトランキュロでメトロノームの数字が100、最後はさらにリタルダンドでpppで終わっています。
 
 以上のように実際に演奏する場合はどちらの譜面を参考にするかでかなり違ってきます。富川さんによればアルベニス自身に演奏スタイルは特にコントラストや、スペイン的な部分などを強調したりするものではなく、客観的、あるいは古典的なものだったそうです。十分なテクニックを持ちながらも表面的な派手さを嫌い、洗練された美しい演奏で、特にフランスの音楽家たちの評価は高かったそうです。派手さを嫌い、繊細なニュアンスを求めたということでは、ショパンやドビュッシー、あるいはタルレガなどとも共通した点があるのかも知れません。


生存中出版された「スペインの歌」

 以上のことを考えると、この曲の演奏にあたっては、やはりアルベニスの生存中に出版され、アルベニスの意図が忠実に反映されていると考えられる「スペインの歌」の方の譜面を参考にすべきと思います。実際に弾いてみてもこちらのほうが自然な感じがありますし、エンディングもpからffまでクレシャエンドしてffで終わるほうがずっとすっきりしていると思います。

 ギターへの編曲の話はまた次回にしようと思いますが、ほとんどのギターの譜面は「組曲」ほうから強弱記号などを取っていますが、これはやはり見直すべきでしょう。なおこの「スペインの歌」、「スペイン組曲」とも手軽に入手出来、価格もそう高いものではありませんから、これからアストゥリアスに取り組む方、あるいは現在弾いている人などはぜひ手元に置きたいものでしょう。
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作曲者 イサーク・アルベニス

 アストゥリアスの話を始める前に、作曲者のイサーク・アルベニスについて話をしなければならないと思いますが、これまですくなくとも国内ではあまり詳しく書かれている本なども少なく、CDのブックレットに少し書かれている程度で、私自身もあまり詳しいことなどはわかりませんでした。最近になって、現代ギター誌の2005年4月号~9月号(no.485~490)に富川勝智さんが計24ページにわたり「イサーク・アルベニスの生涯」を書いていて、これまでアルベニスについての詳しい資料などなかったので、たいへん貴重な記事ではないかと思います。興味のある方はぜひ読んでみて下さい(すでに読んだかも知れませんが)。それを読んでいただくのが一番よいと思いますが、現代ギター誌が手元にない方や、読むのが面倒だという人のために、若干かいつまんでお話します。

 アルベニスは1860年にスペインのカタロニア地方で生まれ、幼少より音楽的才能を発揮し、少なくとも10代ではスペイン国内や南米などで演奏活動していたようです。20代でフェリス・ペドレルに出会い、以後ペドレルの影響によりスペイン的な音楽を書くようになったそうです。代表作としては晩年に書かれた12曲からなるピアノ組曲「イベリア」があり、他にギターでもおなじみの「スペイン組曲」、「スペインの歌」、「旅の想い出」などがよく知られています。ピアノ・ソナタなどもあるそうです。またスペインのオペレッタと言うべき「サルスエラ」にも強い作曲意欲をもち、何曲か書いています。1909年にお互いに影響を受けあったと言われているフランシスコ・タルレガと同じ年に没しています。

 CDの解説などには、「1歳でピアノを始め、4歳でコンサートを行い、10代では家を飛び出し、スペイン国内や南米諸国などの放浪の旅へ」と後に本人が語っていたとされていますが、これは多少脚色した点があるようで、富川さんによれば彼の父や姉に支えられながら「わりと普通に」音楽を勉強し、また「計画的に演奏活動を行った」ようです。またアルベニスが音楽家の道に進むにあたってはその父親の強い意志があったのは確かなようですようです、もちろんアルベニスが幼少から高い能力を持っていたのは間違いないことと思いますが。

 17歳の時にタルレガとも出会い、以後親交が続き、ご存知のとおりタルレガはアルベニスの「カディス」、「グラナダ」、「セビーリャ」などをギターに編曲しています。アルベニスの寿命がもう少し長かったら正真正銘のギター作品を残したかもしれません。またパリやロンドンなどで活動していた時期もあり、ショーソンやドビュッシー、ラヴェルといったフランス印象派の音楽家たちとも親交があり、グラナドス、マラッツといった同時代のスペインの音楽家とも親しかったようです。



アストウリアス? レーエンダ?

 この曲はCDや楽譜では「アストゥリアス」と表記されているものと、「レーエンダ」と表記されているものとがあります。いったいどっちが本当の曲名なのかと言われますが、それにはどちらも本当の曲名ではないと答えるしかないと思います。どちらも作曲者の死後、もちろん本人の全くあずかり知らぬ所で付けられた曲名です。本来の曲名としては、1893~1895年頃作曲された「スペインの歌」の第1曲「プレリュド」ということになります。この曲はアルベニスの死後ドイツの出版社によってグラナダ、カディス、セビーリャ、などと共に8曲からなる「スペイン組曲作品47」の5曲目として組み入れられ、その時出版関係者によってアストゥリアス=レーエンダと改題されました。曲名だけでなく若干の音の変更、特に強弱、表情記号などはかなり変更されたようです。

 実際にはこちらの組曲のほうが一般的に知られるようになり、ギターへの編曲もこの組曲のほうからなされたようで、ギターでは、普通「アストゥリアス」または「レーエンダ」名で呼ばれています。一応「アストゥリアス」のほうがメインの曲名で、「レーエンダ」のほうが副題ということになると思いますので正式には「アストゥリアス=レーエンダ」で、簡略化する場合は「アストゥリアス」のほうでいいのではないかと思います。

 この「アストゥリアス」というのはスペイン北部の大西洋に面した地方名で、「レーエンダ」は英語で言えば「レジェンド」で「伝説」の意味になります。この曲そのものは、おわかりのとおりたいへんスペイン的というか、フラメンコ的な曲で、地名などを曲名にするとなれば当然フラメンコの盛んなアンダルシア地方の地名が付くのがはずですが、この「アストゥリアス地方」はフラメンコには全く縁のないところだそうで、曲名を付けた人の見識が若干疑われるところです。「レーエンダ」についても単なるイメージで、根拠のないものと思われます。

 と言うわけで正しい曲名としては『イサーク・アルベニス作曲「スペインの歌」より第1曲「プレリュード」』ということになり、たまにはそう表記してあるCDや楽譜を見かけます。しかしこのようにプログラムに載せても何の曲だかわからない人も多いでしょうし、曲名はわかりやすいのが一番ですから、私の場合も「アストゥリアス」と表記して演奏しています。そのように表記されることが一番多いと思いますし、また詳しいことさえわからなければ意外と「アストゥリアス」という発音はフラメンコぽく聴こえます。「レーエンダ」のほうはやや少数派なのと、なんとなくその「音」が曲のイメージに合わなく感じるので、私はあまりこの曲名で表記しません。ちなみにこの曲の最初の編曲者と思われるアンドレ・セゴビアのレコードには「レーエンダ」で表記されています。もしかしたらスペイン人のセゴビアにはアストゥリアスという曲名は違和感があったのかも知れません。
第3位

 10数年前、私の教室で生徒さんを対象に「クラシック・ギター名曲ベスト10」というアンケートを行ったことがあります。ギター教室の生徒さんといってもクラシック・ギターにかなり詳しい人から、ほとんど知らない人までいろいろな人がいますので、詳しい人については「有名だと思う曲を10曲」書いてもらい、あまり知らない人はとりあえず「知っているクラシック・ギターの曲」を書いてもらいました。名曲といっても、どちらかといえば「優れた曲」というより「知名度の高い曲」ということでアンケートを行いました。

 アンケート総数は25で、さすがに「アルハンブラの想い出」は24票とほぼ満票、次に「愛のロマンス(禁じられた遊び)」が20票となりました。これは知名度の差というより「愛のロマンス」はクラシック・ギターの曲ではないと判断した人が何人かいたのだと思います。 予想通りこの2曲は知名度としては別格で、興味としては第3位に何がくるのかといいうことですが、これは私もはっきりとは予想がつきませんでした。発売されているCDの種類では最も多い「アランフェス」だろうか、あるいはアルハンブラに次ぐタルレガの名曲とされている「アラビア風奇想曲」、はたまたソルの「魔笛の主題による変奏曲」だろうか、など思いましたが、結局栄えある第3位は13票で、アルベニスの「アストゥリアス」が獲得しました。 以下の順は次のとおりでした。
 

第4位(11票) スペイン舞曲第5番(グラナドス)
第5位(8票) 魔笛の主題による変奏曲(ソル)  アランフェス協奏曲(ロドリーゴ)
第7位(7票) 月光(ソル)
第8位(6票) グラナダ(アルベニス)
第9位(5票) ラグリマ(タルレガ) アラビア風奇想曲(タルレガ) マリア・ルイサ(サグレラス) シャコンヌ(バッハ)


 「魔笛」は曲名が書きにくいのでちょっと損したのかなとか、一般のクラシック音楽愛好家にとっては「アランフェス」が一番親しみある曲だが、ギターを実際に弾いている人にとっては協奏曲というのはちょっと縁遠いのかなとか、「月光」、「ラグリマ」、「マリア・ルイサ」が上位に入っているのはギター教室のアンケートだからかなと思いました。

 しかしなんといっても面白いのは3位と4位に「アストゥリアス」と「スペイン舞曲」が入っていることで、2曲とももとはギター曲ではなく、ピアノ曲だという点。もし「ピアノ名曲」のアンケートをやったらおそらくこの2曲は100位にも入らないんじゃないかと思います。ということはこの2曲は社会通念的にいえば立派に「代表的なギター曲」と言っていいのかも知れません。

 というわけで、今回の「名曲の薦め」はアルハンブラの想い出、愛のロマンスに次ぐ代表的クラシック・ギター曲?であるイサーク・アルベニス作曲の「アストゥリアス」をとりあげることにしました。前置きからすでに長くなっていますが、この曲に興味のある人は多いのではないかと思いますので、何回かに分けてじっくりと話をして行こうと思いますが、今日のところはここまでで次回から本文に入ります。
クラリネット



 モーツアルトは美しい音楽をたくさん書きましたが、その中でもひときわ美しいのが、この「クラリネット5重奏曲イ長調K581」でしょう。クラリネットはモーツアルトの時代にはまだ生まれたての楽器でまだそれほど普及されてなく、交響曲などにも使われたり、使われなかったりしていた楽器です。しかしモーツアルトはこの楽器をたいへん好み、クラリネットを用いた曲はことごとく名曲になっています。モーツアルトのクラリネットを主役とした曲としては他に「クラリネット協奏曲イ長調K622」があり、この曲もたいへん美しい曲で人気も高い曲ですが、私個人的にはこの「5重奏曲」のほうが思い入れがあります。

 今回楽譜を載せてみましたが、どうでしょうか、画像を大きくしたりすればなんとか読めると思いますが。この「クラリネット5重奏曲」というのはクラリネット(A管)と弦楽4重奏(第1、第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ)によるもので、「5本のクラリネット」によるものではありません。もっとも、昔、私の家に「幸せの・・・・」といったタイトルの映画主題曲としてこの曲を管楽器だけで演奏しているレコードがあって、その当時、私は本当に5本のクラリネットによるものと思っていました。

 譜例「1」はこの曲の冒頭部分で、弦楽だけで始まります。わかりやすいようにギター的な譜面にしてみました。多少入れ替えはありますが、だいたい上から第1、第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロと考えてよいでしょう。主旋律は2分音符で、ミ-ド#-シ-ラ-と下がるたいへんシンプルなメロディです。 全体を見ると、最初に2オクターブ以上離れていた音程が、4つ目の和音では10度(1オクターブと3度)に縮まります。これだけでも何かとても気持ちがなごむ感じがします。映画のタイトルではないですが、幸せな感じとか、暖かい感じとか。

 ところでその4つ目の和音のチェロの音がとても印象的で、どう表現していいかわかりませんが、私には、なにかやさしく語りかけるような感じがに聴こえます。スコアを見るとその音は「ファ#」になっていて、普通に考えれば、その前の和音は属7の和音(E7)ですから、ごく当たり前に行けば、譜例「2」のように4つ目の和音は主和音(この場合ではAメジャー・コード)となり、1番下の音、つまりチェロのパートは「ラ」になります。それを「ラ」ではなく「ファ#」にしたわけなのですが、こうするとその4つ目の和音はF#マイナー・コードとなり短和音に変わります。これは実はそれ程特別なことではなく、Ⅰの和音の代わりにⅥの和音が使える、つまりハ長調でいうとCコードのかわりにAマイナー・コードが使えるという和声法の規則を使っただけです。しかし重要なのはその使われ方なのでしょう、短和音ですから本来は暗く、あるいは悲しく聴こえるはずなのですが、あまりそうは聴こえず、前に言ったとおり何か温かみと言うか、人間味みたいなものを感じると思います。それは前の小節で広がった音程がだんだん縮まってくることに関係があるのでしょう。

 譜例「1」と「2」とでは2小節目と4小節目の低音が1つづつ違うだけなのですが、聴いた感じはまるで違うと思います。「2」のほうはかなり常識的なほうですが、これを聴くと(2小節目だけならギターで音が出すると思います)確かに「普通」で、曲が始まったのにもう終わってしまうような、話しが始まったかと思えば、何か言い切られてしまうみたいで、もうその先沈黙みたいな、そんな感じがします。それに比べて実際にモーツアルトが作曲した「1」のほうは「ということなんだけど、実はね」とかその先がいろいろありそうに聴こえます。思わず「それで、それからどうなったの」と言ってしまいたくなります。
 このⅥの和音(F#マイナー)は少し不安定な感じがあって、次の小節を見ると最初の和音が下から[レ、ファ#、レ、シ]でⅡの和音つまりBマイナーになっていますが、この和音はⅥの和音が最も行きたがる和音で、自然にその和音へと進んでゆく感じになり、確かに話が先に進んで行きます。恐ろしいファ#ですね。それにしてもモーツアルトという人は一つ一つの音の意味合いを深く、鋭く感じとる人なんだなと思います。また作曲するには和声法などいろいろな規則がありますが、その規則を単なる規則に終わらせず、様々なイメージを創造することが出来る音楽家とも言えるでしょうか。

 この当時の主な作品はふつう「ソナタ形式」という作曲法で出来ていて、この曲の第1楽章もそうなっています。ソナタ形式というのを説明していると長くなってしまいますので、またの機会にしまして、とりあえず2つの主題から出来ているということにしましょう。さきほどの冒頭の部分は第1主題ということになり、クラリネットがその後登場します。
 しばらくすると第2主題(一般的な規則に従いホ長調に変わる)となりますが、チェロのピチカートと第2ヴァイオリン、ヴィオラのハーモニーに乗って譜例「3」のようにまずヴァイオリンによって奏でられます。明るくたいへん美しいメロディですが、4分音符で刻むチェロの伴奏もとてもゆったりと落ち着く感じがします。
 ヴァイオリンがメロディを弾き終わると、伴奏が突然シンコペーション(裏打ち)となり、クラリネットは短調で(ホ短調)でそのメロディを引き継ぎ、美しさはいっそう凄みを増します。短調でシンコペーションといえば、第25番ト短調の交響曲(K183)とか第20番ニ短調のピアノ協奏曲(K466)のように悲劇的、あるいは悲愴といった感じになりそうですが、ここではそうではないようです。何か「寂しさ」とか「孤独感」とかいった感じで、ここを聴くととても「人恋しく」なります。
 これはクラリネットのという楽器の特徴なのかも知れません、クラリネットの音はとても人間の声に近いという印象があるようです。もしこれが反対に、クラリネットが長調で、ヴァイオリンが短調だったらもっと悲劇的に聴こえるのかも知れません。もちろんその効果などを熟知した上でモーツアルトは書いているのでしょうが。
 曲が悲しい、あるいは寂しい感じになったのはなかのよい仲間たちに、ちょっとした行き違いが生じたのでしょうか、しばらく曲が進行し再びホ長調で一段落すると、弦はたいへんのびやかで明るいアンサンブルを始めます。そこにクラリネットが親しげに絡んできて、またみんなで仲良く音楽を奏でます、めでたし、めでたしというところでしょうか。とはいってもまだやっと主題提示部が終わったところですが。

 この曲は全4楽章で、以下細かくは話せませんが、第2楽章はクラリネットとヴァイオリンが美しく会話し、第3楽章メヌエットの第1トリオは涙なくしては聴くことが出来ず、軽やかな第4楽章ではこれまであまり目立たなかったヴィオラも歌いだします。全体で40分弱くらいで、長いと言えば長いかも知れませんが、全曲聴き所のみであまり長さは感じられないのではないかと思います。
 もちろんこの曲はクラリネットを主役とした音楽なのですが、いつもクラリネットが主役であるのではなく、5つの楽器それぞれに美しい音楽を書いていて、かなり対等に扱われています。そう言えばモーツアルトのオペラの登場人物はその役柄に関係なく、たとえ端役であったとしてもそれぞれに美しい曲が与えられています。またピアノが中心であるべきのピアノ協奏曲でも、管楽器群のすばらしいアンサンブルがあります。基本的にモーツアルトの音楽に「脇役」はないのかも知れません。

 モーツアルトの音楽は美しいのは当然としても、温かみというか人間味のようなものも、とても感じられます。生きることの素晴らしさを讃え、人それぞれの多様な生き方を称賛しているようにも感じます。モーツアルトについてはぜひ紹介したい曲も、お話したいこともたくさんありますが、また次の機会にということにしましょう。

 


 
 本日のギター文化館での私のミニ・コンサートに来ていただいた方々、本当にありがとうございました。ミニ・コンサートにしてはかなりたくさんの方に来ていただきまして、たいへん嬉しく思っています。また2:00部、4:00の部の両方とも聴いていただいた方も多く、重ねてありがとうございました。

 「日本の歌」は、当ギター文化館ではあまり弾く人がいないのではないかと思い、演奏してみました。でも少しおとなしすぎるかな、と言うことで4:00からの方は「タンゴ」にしてみました。いかがだったでしょうか、感想などあれば、コメントやメール等でお願いできればと思います。

 話が長かったのか、特に2:00からのほうは長くなってしまいまして、終わって時計を見たら50分になってしまいました。話が長いわりには言葉がよく聴き取れないといういつもの悪いパターンになってしまいまして、反省しています。演奏の方も、もう少し予定通りに出来ればとは思うのですが、仮にもプロなら(ちょっと怪しい点もありますが)ステージの演奏がすべてで、普段の練習でのことなど全く関係のないことでしょう。

 これからも少しでも聴きに来ていただいた方に楽しんでいただけるよう、企画や、プログラム、演奏内容など工夫して行きたいと思います。特に一度来ていただいた方に、もう一度行ってみようかと思っていただけるようなコンサートが出来ればとは思います。もっともそれがいかに難しいことかということは、今までの経験でよくわかっているのですが。

 次回の私のミニ・コンサートは9月17日(月~祝日)で、ホームページのほうにはヴァイスの作品やバッハのシャコンヌなど書き入れてありますが、具体的にはこれから詰めてゆくので、曲目は若干変更があるかも知れません。また9月29日(土)にはアコラ(ひたちなか市)でシャコンヌと、コストのエチュードを演奏する予定で、その辺との関係をどうしよううかと考えています。できれば違う曲にしたいのですが、でもシャコンヌは両方で弾きたいと思っています。

 コンサートや、当ブログの感想、ご意見などあればよろしくお願いいたします。

 

 前にも書きましたが、16日(月~海の日)に、ギター文化館のミニ・コンサートに出演します。曲目は前にも書きましたし、ホーム・ページにものせてあるので省略しますが、pm.2:00~が日本の歌で、4:00~がタンゴの予定です。

 楽器は当初華やかな音の出るポール・ジェイコブソンを使う予定だったのですが、MDに録音してみるとやはりホセ・ロマニロスの方が美しいので、少しおとなしいですが、こちらを使おうと思っています。特に日本の歌には合いそうです。

 日本の歌といえば、今まで比較的簡単にアレンジして教材としては用いていたのですが、このようにある程度まとまった形で演奏するのは初めてです。このうち4曲は今回のコンサートのためにアレンジし直しました。

 これまで関心がメロディや和声のほうに行きがちで、詞の方にはあまり興味が行かなかったのですが、あらためて歌詞を読んでみると、いままでなんとなく聴き覚えていたものでも、実際には誤解して覚えていたり、またほとんど意味がわかっていなかったこともたくさんありました。

 「あしーたはーまべー」とと歌われる「浜辺の歌」ですが、「明日浜辺をさまよえば」とするとちょっと変ですよね、明日浜辺をさまよう予定だったとしても今現在、昔のことはしのぶのは難しいと思いますし。皆さんはすでに意味はおわかりと思いますが、私の場合この曲を聴き覚えてから多分50年近くにはなると思いますが、ずっと「明日浜辺を」と思いこんでいました。あらためて国語辞典をひいてみると「あした」とは「朝」のことと書いてありました、今頃気づくなんて本当に恐ろしいことですね。

 語源的にはこちらの方が先なのでしょう、「夜があけたら」とか「朝になったら」というのが翌日の意味になったのでしょう、「明日」の方も「日が明けたら」ですからね。

 3番では「あかものすそもぬれひじし」などほとんど意味不明の歌詞が出てきます。これも辞書でしらべましたが、「も」というのは「女性が腰から下に身に付けるもの」と書いてありまして、袴のようなものなのでしょうか、「ひじ」とは「泥」のことのようです。こう読むとこの歌の主人公は女性のようです、とすると「昔の人ぞしのばるる」は先祖様のことではなく、「モトカレ」かも知れませんね。その先を読んでみるとこの女性は病み上がりだそうで、癒しのために浜辺に来ていたようです。 ちゃんと読んでみると今までなんとなく思っていたこの歌のイメージとはだいぶ違う感じで、やはり詞はちゃんと読まなければいけませんね。


 2曲目に「中国地方の子守歌」を弾きますが、この曲の歌詞の「寝た子のかわいさ」はいいんですが「起きて泣く子のつらにくさ」も結構インパクトがありますね、昔の歌はこのようなストレートな表現は多いようです。2番と3番では「明日お宮参りに行くので、この子がまめになるようにお祈りしましょうと歌っています。働き者であることが最も大事なことだったのですね。

 子守歌といえば、今回弾きませんが「五木の子守歌」の歌詞も結構すごいです。熊本弁で歌われますが、現代標準語訳すれば「私が死んでも誰も泣いてはくれない、ただ裏の松山のせみが鳴くだけ」と歌っています。「私はただただ辛抱、あの人たちとは身分が違うのさ、きれいな帯して、きれいな着物着て」と言う歌詞もあります。
 昔は子守は母親がするのではなく、主に10才前後くらいの少女の役目だったようです。たいていは親元を離れ比較的裕福な農家などに働きにでていたのでしょう、「おしん」の世界そのものですが。それにしても10才前後くらいの女の子がこんな歌うたっていたとするとぞっとしますね、これはどう聴いても子守歌などではなく「恨み節」ですからね。

 タンゴの話もしようかと思ったのですが、つい長くなってしまいましたので、また当日ということで。

 出来れば聴に来て下さい。
<名曲の薦め>    チャイコフスキー : ヴァイオリン協奏曲イ長調作品35





長崎の造船所を社会科見学 

20代の頃でしょうか、変な夢を見ました。 その夢の中で、私はまだ小学生くらいのようで、修学旅行か社会科見学の時のようです。 他の仲間といっしょに列をつくって、わいわいとおしゃべりしながら歩いています。 

 まわりの友達は見覚えがあるような、ないような・・・・   天気もよく、穏やかな日で、とても楽しそうです。 長崎の造船所見学ということのようで、長崎の街の中を歩いています、目的地まではもうすぐです。



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画像はイメージ



突然空襲警報が鳴り響く

 突然サイレンの音が鳴り響きました、空襲警報です・・・・  気が付いてみると時代は戦争の真っ只中になっていました。 造船所など、格好の攻撃目標で、最も危険な場所です。

 私たちはあわてて森の方に向かって逃げ出しました。 すでに爆撃ははじまり、爆撃機の轟音と爆弾の破裂音が耳をつんざきます。 恐ろしくて後ろを振り向くことは出来ません、周囲には火薬の匂い、真っ黒い煙がたちこめています・・・・



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硝煙けむる真っ暗な森の中をさまよう

 なんとか森の中へ逃げ込むことが出来ました。 しかしまだ猛烈な爆撃は続いています。 森の中じゅうに煙がたちこめ、真っ暗になっています。 走りまわった上に、煙で息も絶え絶え、友達の姿もまわりには見えません。 私は真っ暗の森の中を一人きりで、たださまよい続けるだけでした。



その一点から視界が開け

 ・・・・・どれくらいさまよったでしょうか、 息が苦しい、 もうだめだと思ってその場にうずくまると、遠くに一点の光が目に入りました。 思わずそちらの方に向かおうとした瞬間、その一点から突然視界が開け、澄みきった空、真っ青な海、森の緑、そして明るく輝く太陽が私の目に飛び込んできました。



フルートが奏でるチャイコフスキーの美しいテーマ

 同時に天から降り注ぐようなフルートの音が聴こえてきます、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲のあの有名なテーマです。 なんとやすらかな、平和で、幸せに満ちたメロディなんだろう、私はその美しい風景と、幸せいっぱいのメロディにより、その恐ろしい夢から覚めました。


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夢でよかった

 なんだ、夢だったのか、 平和な時代に生まれ育って本当によかったと胸をなでおろしていると、そのメロディはソロ・ヴァイオリンに、そしてオーケストラの総奏に受け継がれて、朗々と奏でられています。 だんだんと意識がはっきりしてきた私は、布団の中でチャイコフスキーの幸せに満ちた響きに酔いながら、平和であることの喜びをかみしめました。






FM放送を聴きながら二度寝をしていた

 その頃まだ独身だった私は、よく朝起きるとFM放送をかけていました。 場合によってはまた寝てしまうこともあり、この日も一度起きてFM放送をかけ、そのまま二度寝をしてしまったのです。 このチャイコフスキーはFM放送から聴こえてきたものでした。



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夢から覚めて

 後から夢の流れと曲の方を比較してみると、音楽にそって夢を見ていたようです。この曲の第1楽章は約18分くらいの曲ですが、時間にするとその第1楽章の7分過ぎくらいのところ、つまり展開部に少し入ったくらいのところから夢を見始めたようです。

 ここでソロ・ヴァイオリンが有名な主題を重音奏法でややスタカート気味に変奏します、これが最初のシーンで、友達と楽しそうに歩いていたところのようです。 



クレシェンドとアチュレランドが空襲のシーン

 この後この主題は行進曲風の伴奏に乗ってオーケストラのテュッティ(総奏)で勢いよく演奏されます、その勢いはだんだん増し、クレシェンドどともに指揮者によってはテンポも上げられ、激しい感じになります。 ここが空襲警報が鳴り響き、爆撃が始まったところのようで、アチュレランドのところが大急ぎで森に逃げ込んだところかも知れません。
 


ヴァイオリン・ソロのカデンツァで森の中をさまよう

 曲のほうはこのあとソロ・ヴァイオリンのカデンツァに入ります。カデンツァは、アルペジオ、半音階、グリサンドなどからなり、確かにどこに向かっているのかわからないような感じになっており、また結構長めでいつ終わるのかわからない感じです。これが真っ暗な森をさまよっているところなのでしょう。



トリルの音が半音上がったところが ”一点の光

 カデンツァの最後にヴァイオリンが「ラ」の音を最初は半音で、次に全音でトリルを弾きます。半音でのトリルはまだ暗い感じなのですが、全音のトリルは少し明るくなります。 ここが暗闇み見えた1点の光かも知れません。


フルートの音が澄み切った青空

 そして再現部となり、例のフルートがそっとやさしくテーマを吹き出します。フルートは1フレーズだけですが、フルート・ソロでテーマを吹くのはここだけなので、確かに印象的です。 ここが間違いなく澄みきった青空、真っ青な海、輝く太陽が出現するシーンでしょう。



ヴァイオリンのテーマがさんさんと降り注ぐ太陽の光

 その後この部分を聴くといつもその突然現れた、長崎湾の美しい光景を思い出します(本当は全く見たことがないのですが)。その後は、テーマがヴァイオリンに受け継がれて、平和と幸せの旋律を高々に奏するということになります。



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 この夢以来私の中で、このチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲ニ長調は平和と幸せの象徴となっています。






もちろん本当は空襲なんて知らない

 誤解のないように言っておきますが、私は昭和26年に生まれで、直接戦争は知りません。 ただ「もの心」が付くようになったのは戦争が終わって10年目くらいで、その時代は大人が2人以上あつまれば必ず戦争の話になり、特に空襲の話や食べ物がなかった話をよく聴かされました。

 子供の頃そんな話をしょっちゅう聴いていたので、すっかり戦争を体験したような気になってしまったのかも知れません。



長崎も行ったことがない

 また長崎どころか九州にも行ったことはありません、小学校の時の修学旅行は鎌倉でした。ただ子供の頃地図を見るのが好きで、長崎は全く行ったことがありませんが、大体の地理的条件は想像出来ます。



子供の頃地図を眺めて風景などを空想していた

 長崎は細い湾の奥にあって、その湾は山に囲まれています。私が逃げ込んだのはその湾を取り囲む山ということになります。 「美しい風景」というのも多分小さい頃の私が、地図からイメージしたものなのでしょう。 また「舞台」が長崎になったのは原爆との関係もあるでしょう。





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<追記 2014年12月3日>

 この記事を書いたのは2007年の7月ですが、その年の10月に実際に長崎に行ってきました(この記事が気になっていたこともあります)。

 その時、有名なグラバー邸から長崎湾を実際に見ることが出来たのですが、写真のとおり、天気も悪かったせいか、長崎の港の風景はどんよりとしていて、残念ながら夢で見たような ”青く輝く海、森の緑、輝く太陽” といった感じではありませんでした。

 また夢の中でも狭い湾だという認識はあったのですが、実際に見てみるとさらに狭い感じがしました。



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夢で見たとおりには、長崎の海は青く輝いていなかった




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造船所らしいものは夢で見たとおりだった。 確か、かつて戦艦大和か武蔵を作ったところだと思う





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グラバー邸から見た長﨑湾
 当ブログでは「中村俊三のギター上達法」ということで計7回ほど書いてきましたが、この辺でちょっと一休みしまして、「名曲の薦め」というシリーズをスタートしたいと思います。どちらかといえばギター以外のクラシック音楽についてが多いと思いますが、時にはギターの曲についても書いてゆきたいと思います。
 前回の更新では、ギター上達のためには「聴く」ことが一番大事ということで終わりましたが、そう考えると、このシリーズもギター上達のためとも考えられるかも知れませんから、ぜひまた読んでみて下さい。本編のほうは明日あたりからになりますが、乞うご期待。
     アルペジオとトレモロ奏法

 クラシック・ギターの曲で、「アルハンブラ宮殿の想い出」や、「森に夢見る」などトレモロ奏法を使った曲は根強い人気があります。こうした曲を弾きたいとか、トレモロ奏法が出来るようになりたいと思う人はたくさんいるのではないかと思います。トレモロ奏法は、pで低音を弾いた後、a、m、iの順で主に高音の同じ音を弾き、マンドリンのような効果を出す弾き方です。ゆっくり弾けば誰にでも出来るのですが、CDのような速さで弾ける人はそう多くはいないでしょう。仮に速く弾けたとしても、音が揃っていなかったり、かすれたような音になってしまったりで、美しく、はっきりした音で、しかも速く弾くのはたいへん難しい弾き方の一つです。

<アルペジオの練習から入る>
 トレモロ奏法は指の動きとしてはアルペジオと同じなので、アルペジオの練習から入るとよいでしょう。トレーニング曲としてはアグアードのホ短調のアルペジオ練習曲(アルペジオ練習曲としては有名なもの、私のテキストではレッスン6)などがよいと思います。右手はいろいろバリエーションがありますが、とりあえずpimaから始めます。ゆっくり弾く場合、親指はアポヤンド奏法で、他の指はアルアイレです。imaはしっかりと弦を掴まえてはっきり大きな音を出して下さい、スピードを上げる前に、しっかりとした音を出すのがたいへん重要です。ゆっくり弾けたら少しずつスピードを上げてゆきますが、pami、pimamiなどいろいろ右手の弾き方を変えて練習するとよいでしょう。速くする時には腕や肩、手首などの力を抜いて指先だけで弾くような感じでやってみて下さい、音量はある程度小さくなるのはやむを得ないでしょうが、かすれたようにはならないようにして下さい。速くなってもちゃんと指先で弦を捉えられれば、ある程度の音は出ると思います。また速くなった場合は親指もアルアイレ奏法でよいでしょう。

<ゆっくり確実に~力を抜いて速く> 
出来れば、メトロノームの数字で、4分音符=100を越えるようにしたいと思います。しかし先ほども言ったとおり、いくら速くても音がちゃんと出なくてはいけませんから、ゆっくり確実に弾く練習、と力を抜いて速く弾く練習と平行してやってみて下さい。
 アルペジオで100を超えればなんとかトレモロ奏法は出来ると思いますが、同一弦を弾く分だけ、トレモロの方がスピードは落ちると思います。トレモロの練習の場合もアルペジオの場合と同じく、ゆっくりと速くと両方で練習します。親指の方にも注意して下さい。よく音が出ていなかったり、弦を間違えたりしやすいと思います。

<1音1音聞き取る>
 トレモロを速く弾く場合、指の動きだけでなく、耳や指の感覚がスピードについてゆけるかどうかが問題になります。トレモロの音が揃わない人の場合、自分で弾いた音が聴き取れないということも多いようです。いくら速くなっても1音1音自分の耳でしっかりと聴き取って下さい。またいくら速くなってもそれぞれの指がしっかりと弦を捉えている感覚がないといけません。


    和 音

<開放弦の和音でわかる>
和音と言うと押さえ方の問題ではと思う人も多いと思いますが、右手の問題の方が大きいと思います。開放弦の和音(①②③⑥を同時に弾く場合など)を弾いているのを聴くと、だいたいその人のギターの実力などがわかるのではないかと思います。なんといっても音を聴き取る能力はよくわかります。もしきれいに揃って音が出ているとすればその人が4つの音をちゃんと聴きとっているということになります。音色もきれいに出ていれば音色感もすぐれていることになります。なおかつそれらを実現できる指の動きをしているということになります。そういう人だったら曲を弾いてもかなり上手に弾けるでしょう。

<それぞれの音を聴き取る> 
というわけで和音を上手く弾くのには、まずなんといってもそれぞれの音を聴き取ることです。なかなか聴き取れない場合はまず①弦だけ弾いてみて、次に4つの音を弾き、その和音の中で①弦の音が聴き取れるかどうかやってみます。①弦の場合はわりと聴き取りやすいと思います。同様に②弦、③弦、⑥弦とやってゆきます。②弦、③弦は聴き取りにくいかも知れませんが、その場合は逆にその音だけ除いて他の音を弾いてみるのも一つです。
 仮に音が聴きたれなかったとしても、大事なのは聴き取ろうとする意志です、その意志を持つことでだんだんには聴き取れるようになると思いますし、またそれぞれの音もはっきり出てくるようになってきて、結果的に和音のバランスが整うようになると思います。

<均等に弦に圧力を加える>
 和音を弾く場合に最も大切なのは前述のとおり「聴き取り」だと思いますが、指の話としては、まずimaは指先を密着させて揃えることが大事だと思います。指先が離れているとうまくバランスが取れません。次に弦を掴まえた時、均等に弦に圧力を加えます、この時指先の神経がとても大事な働きをします。最初はなかなかこの感覚がつかめないかも知れませんが指先に神経を集中するとだんだん指先が敏感になってくると思います。次に弦を弾く訳ですが、これは一気に瞬間的に弾きます。「握るように」というのは前に話したと思いますが、この時手首が動いたりしては絶対にいけません。親指がいっしょの場合、親指は必ず人差し指よりも左側になければなりません、親指も少し押すようにして弦に圧力を加えてから弾きます。最後に、自分で弾いた音をちゃんと聴かなければならないのは言うまでもありません。


     やはり耳が大事

 これまで左右の「指」や「手」の話をしてきました。ギターは指で押さえて、指で弾くのですから当然のことでしょうが、不思議なことに指のことばかり考える人はあまりギターが上手くなりません。指のことをいろいろ細かく話をした後で、こんなことを言うのも何ですが、いくら指がちゃんと動いても、自分で出した音が聴き取れていなかったら、音楽にはならないでしょう。人間はあまり指に集中すると耳の方に神経がいかなくなります。多少指が間違えたり、上手くゆかないことがあっても自分の音をしっかり聴いていれば、仮にすぐには出来なかったとしても、だんだんには上達してゆくでしょう。「ギター上達法」ということで何回か書いてきましたが、上達のための最大のポイントは「聴く」ことに尽きると思います。これは自分の音も、他の人の演奏も、CDも、コンサートも、上手な人の演奏も、そうでない人の演奏も、すべてを含んでということです。

 この「中村俊三のギター上達法」はまだまだ続きますが、とりあえず「しめ」の言葉が出たところで、ちょっと一休みしまして、次回からは少し違った内容で更新して行きます、読んでいただければと思います。


   アポヤンドとアルアイレ


<アポヤンド派?、アルアイレ派?>

 アポヤンド奏法とアルアイレ奏法の使い方は厳密に決まっているわけではありません。演奏する人や、その曲などによって、その使い分けもいろいろ変わってくると思います。かつてはアポヤンド奏法を重要視するギタリストが多く、主旋律やスケールなどは低音が付いている場合でもアポヤンド奏法を使っていました。それに対し最近のプロ・ギタリストはアルアイレ重視型が多いようです。これは主に他の音とのバランスをとるためというのが大きいと思いますが、スピードの問題、他の弦の響きを消さないためなどがあり、アルアイレ奏法のほうが美しいこともあります。またアルアイレ奏法でも音量、音色とも充分な音が出せる人が多くなってきたこともあるでしょう。


<私の場合>

 私の場合、imaは主旋律などは低音が付いている場合でもアポヤンド奏法を使うことが多く、このほうが安定感もよく、音量、音色の点でもよいのですが、低音とタイミングが少しずれたりしてしまう欠点もあります。アルアイレ奏法の方が線は細くなりますが、そうしたことはなく、また低音とのバランスもよくなります。また弦によっても変わり、①②弦の場合はアポヤンド奏法が多くなりますが、これは①②弦は細く聴こえやすいからです。③④弦などはその位置関係や音色的にあまり敏感でない点などで、アルアイレ奏法が多くなります。実際にはその曲の内容などを考慮しながら使い分けます。
 親指のアポヤンド奏法はかなり多用します。単音のメロディなら間違いなくアポヤンド奏法ですが、伴奏の場合でも、強拍にあり、「バス(低音)」としての音ならアポヤンド奏法。弱拍だったり、やや低くても「中音」として使ってあれば場合はアルアイレ奏法です。また直前に弾いた低音の消音のためにも使います。フォルテやフォルテッシモの場合は和音になっている場合でも親指のみアポヤンド奏法で弾くことが多いです、このことにより和音を、美しさを損なわず大きな音が出せます。個人的な話になりますが、私の親指の付け根の間接は内側に折れるように曲がるので、親指はアポヤンド、アルアイレ奏法とも結構弾きやすいです(以外とそうなる人は少ないようですが)。


<大事なのは意識して使い分けること>

 アポヤンド奏法とアルアイレ奏法の使い分けは、ある程度の原則はありますが、はっきり決まっているわけではなく、様々な状況を判断してことになります。単純に弾きやすいということだけではなく、音楽的なことも考えた上で判断したいと思います。
 また最も大事なのはこの二つは意識して使い分けるということです、この二つでは指の動かす方向が90度くらい違っているので、はっきり意識しないと中途半端な感じになってしまいます。


    よい音を出すポイントは2つ

<1.弦を捉える>

 よい音を出すポイントは二つあると思いますが、その一つは弦を正確に捉えるということです。これは前にもお話したとおりですが、これは気を付けて練習すれば誰にでも出来て、また効果も大きいので、ぜひ実行してみて下さい。詳細は基本編を読み直していただければと思いますが、さらに付け加えればアポヤンドの場合も、アルアイレの場合も、「指が瞬間的に弦のところで静止する」ともいえます。弦を弾いているところを見て、指が弦のところで一瞬止まったように見えれば、弦を正確に捉えているといえるでしょう。そういう弾き方をすれば音量、音色ともコントロールしやすいでしょう。


<2.弦をはじく>

 もう一つのポイントは文字通り「はじく」動作ですが、アポヤンド奏法の場合は前にお話したとおり弦を捉えたら、そのまま次の弦の方に押してやるだけですから、特に難しい点はないと思いますが、あるとすれば爪の問題とか、弦の捉え方の問題などでしょう。
 アルアイレ奏法の場合は指の間接の動きで音を出すので、上手く出来る人とそうでない人と個人差が出やすいですが、指の関節を「意識的に」動かす習慣を付ければだんだん動くようになるのではないかと思います。日常的にアルペジオや、音階などで1音1音はっきり、いろいろなことを気をつけながら練習していただければと思います。ただなんとなく弾いたり、間違えないようにだけ考えて弾いていたりするとなかなか音がよく出るようにはならないと思います。
 プロの一流ギタリストはたいへん美しい音を持っており、一般の人とはいろいろな点で違いがあると思いますが、その一つにこの「はじく」スピードがあると思います。特にアルアイレ奏法で美しい音を出すのはこの「スピード」がポイントになります。爪の形や手のフォームだけ真似してもなかなかそうしたギタリストの音にならないのはこの点によることが大きいと思います。ゴルフや野球でもプロ並みのスイング・スピードを出すのは一般の人にはなかなか難しいことだと思いますが、日常的にスイング・スピードを意識しながら練習すれば音色もだんだん変わってゆくのではないかと思います。
    アルアイレ奏法

 ギターを独学で弾いている人はほとんどアルアイレ奏法で弾くと思いますので、一見アルアイレ奏法の方が簡単そうに感じますが、実際にはしっかり音を出すのは難しい弾き方です。人によってはアポヤンド奏法とほとんど変わりない音を出せる人もいますが、貧弱な音しか出せなかったり、あるいは硬めで、ノイズのある音しか出せなかったり、またコントロールが出来なくて、弦を弾き間違えたり、他の弦まで弾いてしまったりと、いろいろうまくゆかない人も少なくありません。かなり個人差の多いのもこの弾き方の特徴かも知れません。


   i,m,a、のアルアイレ奏法~指の関節を曲げて弦に近づける

<①弦に近づけ、指の関節は曲げる>

 i,m,aで弾く場合、指先での弦の捉え方はアポヤンドの場合と同じですが、アルアイレ奏法の方が音が細めに、また硬くなりやすいので、アポヤンド奏法よりはさらに指を弦に平行に近くする必要もあるでしょう。弦に触れた時、指の関節はある程度曲げておきます。①弦を弾く場合だったら手全体は少し下げるようにし、①弦に近づけるようにします。弦を触れた時の形がアポヤンド奏法のように、手全体が上にあがっていて⑥弦寄りだと、①弦を弾いた時②弦まで弾いてしまったり、大きな音が出なかったりします。弦をしっかり掴んでから弾くというのはアポヤンド奏法と同じで、また前述のとおり、手首の間接は曲げない方がよいでしょう。


<握るように掌の中心に向かって>

 弦を弾く動作としては、弦を指先で掴んだらそのまま握るように掌の中心に向かって指を曲げればいいだけです。たいへん単純なことですが、以外とこれが出来ない場合が多いようです。指先の間接が全然動かずにそのまま手全体を上に持ち上げるだけとか、間接の動きが非常に緩慢になってしまったりで、最初から上手く出来る人は少数派です。原理は簡単なのですが、実際にこの要領はなかなか掴みにくいようです。自分の指先をよく観察しながら開放弦などで、アポヤンド奏法とあまり変わらない音が出るように練習してみて下さい。


   親指のアルアイレ奏法

<親指の付け根の間接の動きを使って>

 親指のアルアイレ奏法は親指の付け根の間接の動きを使って行います。imaの時のように指先の間接を曲げる動作ではありません。この時親指が付け根のところからぐるぐるまわるような動きになりますので、親指がうまく回るかどうか、ギターを弾かないで試してみるとよいでしょう。またはっきりした音を出すためには親指で弦を少し押してから弾くとよいでしょう。

<親指は弾いた後、必ず人差し指の左側に>

 単音ではそれほど難しくないと思いますが、他の指と同時に複数の音を弾く場合、音がよく出ない場合もあります。これは「聴き取り」の問題もありますので、弾いた音を自分の耳でよく確かめながら練習しましょう。
 また③、④弦などを弾く場合、弾いた後、親指が掌の中に入ってしまう人もいますが、これでは他の指との連携は難しくなってしまいます。親指は弾いた後、必ず人差し指の左側になっていなければなりません。
 昨日水戸芸術館の水戸市民音楽会に出演しました(水戸ギター・アンサンブルとして)。曲目は以前お話したとおり、ドボルザークの交響曲第8番の第3楽章「アレグレット・グラッチオーソ」で、曲名はチョットわかりにくいのですが、実際の曲はなかなか親しみやすいものです。今回は初めての演奏なので、まだいろいろ修正点はありますが、ギター合奏にもよく合う曲だと思いますので、これからもっと完成度を高くしてゆきたいと思います。

 なお講師の長谷川先生からは「よくバランスもコントロールされ、メロディラインが見事につながっていました。各自のテンポ感が見事に統一され、安定感が聴き手をギターの世界に引き込みます。アゴーギグのそろえ方もすばらしいですね・・・」とたいへん暖かい評をいただきました。

 私自身は市民音楽会の実行委員にもなっているので、このところ毎年進行係としてステージのドアマンを2日間やっています。なにしろ2日で27団体、約800人の出演者が決まった時間に始まって、決まった時間に終るようにするわけですから、それだけでも本当にたいへんなことです。途中いろいろトラブルの芽はあったのですが、今年も両日とも数分程度の誤差で進行出来ました。関係者の皆さん、本当にご苦労様でした。


 水戸芸術館と言えば、先ほど(PM9:00~11:30)館長の吉田秀和氏の特別番組が、NHKテレビでありました。2、3年くらい前芸術館でお見かけした時はなんとなく年齢が感じられたのですが(もしかしたら奥様が亡くなられてすぐの頃だったのかも知れません)、ずい分お元気な様子でした。吉田氏を知ったのは学生時代に聴いたFM放送によってですが、知性的だが、飾らない独特の話し方に引き込まれ、その後著作を読み漁りました。吉田氏の全集はほぼ読んだと思いますが、ただ残念ながら、多少サバを読んでも、その内容の95パーセントは忘れてしまったり、意味が理解出来なかったりで、あまり身には付いていません。
 
 音楽をほとんど独学で学んだ私にとって、吉田氏の著作は教科書的なもので、音楽はどう聴き、どう考えるかなどいろいろ教えていただいたと思います。さすがに最近は読む機会も少なくなってしまいましたが、久々に読み返してみようかと思います。