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中村俊三 ブログ

中村ギター教室内のレッスン内容や、イベント、また、音楽の雑学などを書いていきます。

 9月17日(月)ギター文化館でのミニ・コンサートの4:00~はバロック時代のドイツのリュート奏者、シルビウス・レオポルド・ヴァイス(1686~1750年)の作品とJ.S.バッハ(1685~1750年)の「シャコンヌ」を演奏します。


 バロック・リュートというとこのヴァイスとバッハの作品が私たちにはなじみが深いので、ドイツが中心だったように思ってしまいますが、実際にはフランスの宮廷が中心だったようです。バッハとヴァイスは上記のとおり生年と没年がほとんど同じで、実際に交流もあったようです。バッハがヴァイスを自宅に招いて、演奏を聴いたという記録も残されているようです。
 バッハ自身はおそらくリュートと弾かなかったと思いますが、関心は高かったようで、4つの組曲をはじめ、いくつかのリュートのための作品を残しています。バッハ自身はこれをリュートに似た音の出るチェンバロを特注して、それで弾いていたようです。



 今回、ヴァイスの作品のうち、比較的よく演奏される、「シャコンヌ」、「パサカリア」、「ファンタジア」の3曲を演奏します。

 「シャコンヌ」はスペイン起源のゆるやかな3拍子の舞曲ですが、低音の主題をもとにした変奏曲といった面もあり、実際にはそちらの性格のほうが強いようです。この「シャコンヌ」は7小節(最後のみ8小節)の低音主題の上に8分音符や16分音符で装飾的な音形が重ねられますが、時折和音だけになっている部分もあり、このような部分では当時のリュート奏者は適時に装飾を加えたりしながら演奏していたようです。



 「パサカリア」も基本的には「シャコンヌ」と同じで両者に大きな差はないようです。こちらは長調で書かれているので全体に明るく、またほとんどが16分音符で書かれているので、演奏者による装飾の追加の余地はあまりありません。



 「ファンタジア」は邦訳すれば「幻想曲」といった意味ですが、当時は「幻想的な曲」という意味ではなく、「楽器で演奏するため作曲された曲で、対位法的に厳密に書かれた曲」といった意味に使われていました。この曲はセゴビアをはじめ、多くのギタリストにも演奏され、ギターで弾くヴァイスの曲としてはもっとも有名な曲です。普通ホ短調で演奏されることが多い曲ですが、ここではカール・シャイト編によるニ短調で演奏します。



 最後はバッハの大曲、ヴァイオリン・パルテータ第2番の「シャコンヌ」で、これについては「名曲の薦め」のほうで取り上げると前回いいましたが、この曲について書くのはそれ相応の覚悟と時間が必要と思いますので、今回とりあえず簡単に書いておきます。


このバッハの「シャコンヌ」は3曲ある無伴奏ヴァイオリン・パルティータのうちの第2番に属しますが、この第2番は「アルマンド」、「クーラント」、「サラバンド」、「ジーグ」、そしてこの「シャコンヌ」の5曲からなります。前の4曲はそれぞれ平均的な長さの舞曲ですが、この「シャコンヌ」だけは8×32で、計256小節におよぶ長大な曲になっています。基本的にはヴァイスの「シャコンヌ」と同様に低声部に主題をもつ変奏曲なのですが、その内容と規模は全く異なります。

 それにしても基本的に単旋律楽器である「無伴奏」ヴァイオリンに「低声部に主題をもつ変奏曲」を作曲するなどという、「音楽的」の前に「文法的」に矛盾する行為をなぜバッハが行ったのかはわかりませんが、ひとつだけ言えるのは、バッハ以外の音楽家は絶対に行わなかったと言うことです、発想すらしなかったでしょう。これがバッハのバッハたる所以かも知れません。

 この「シャコンヌ」はシャコンヌの枠も変奏曲の概念も、またヴァイオリン曲限界も超えた作品と言えると思いますが、バッハがこのヴァイオリンのためのシャコンヌを作曲したきっかけとしては、やはりリュートのために作曲されたシャコンヌなどがあったからと思われます(具体的に先ほどのヴァイスの「シャコンヌ」を意味するわけではありませんが)。とすればこのヴァイオリンの名曲をギターで演奏するのは特に不自然なことではないと思います。もちろんセゴビア以来多くのギタリストにより、編曲され、演奏されています。ギターで弾くほうがむしろ本来のシャコンヌに近づくのではないかと思います。


 今回私が演奏するシャコンヌは私自身の編曲ということになりますが、この曲を弾き始めた当初はセゴビア編を使っていましたので、その影響が少しありますが、ヴァイオリンの譜面をもとに、必要最低限の低音を追加した感じになっています。

 私がこのバッハのシャコンヌを演奏するのは20数年ぶりですが、やはりちょっと「恐い」感じがします。

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9月17日(月)に、ギター文化館のミニ・コンサートに出演します。曲目は今回も2:00~と4:00~で曲目を変えて以下のように考えています。



2:00~ ロマン派のギター曲 

  ホセ・ヴィーニャス: 独創的幻想曲
  ナポレオン・コスト: 秋の木の葉 作品41-9
フランシスコ・タルレガ: タンゴ
               エンデチャ、オレムス
               ロシータ
               ワルツニ長調
               アルハンブラ宮殿の思い出


4:00~ ドイツ・バロック音楽

シルビウス・レオポルド・ヴァイス:  シャコンヌ
                      パサカリア
                      ファンタジア

 
 ヨハン・セバスティアン・バッハ:  シャコンヌ
         (無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番より)




2:00からは19世紀のギタリストの親しみやすい小品ということで、ホセ・ヴィーニャス、コスト、タルレガの曲を演奏します。


 ホセ・ヴィーニャスの「独創的幻想曲」はトレモロ奏法をメインに使った曲で、本来はこれに序奏がついていますが、手持ちの譜面に序奏がないので、そのまま序奏なしで弾いています(本来はあまりよいことではありませんが)。トレモロがとても美しく聴こえる曲です。


 ナポレオン・コストの「秋の木の葉」は村治佳織さんのデビュー・アルバムの「エスプレシーヴォ」に収録されている曲です(あれからもう14年も経ってしまいましたが)。楽譜は現代ギター誌のNo.473~476(2004年5~8月号)に鈴木大介さんの編曲で掲載されています。原題は「秋の木の葉、12のワルツ作品41」となっていて、それぞれワルツとトリオからできています。ここで演奏するのは12曲中の第9番で、この曲集の中ではやや長めですが、可愛らしい小品です。


 次にタルレガの小品を5曲演奏しますが、「タンゴ」は1960年代のナルシソ・イエペスのLPなどで人気の出た曲で、ハーモニックスやタンボラート、ラスゲアードなどギター的奏法を効果的に用いた曲です。悲しい感じのト短調の部分と明るいト長調の部分の対比もなかなかだと思います。実際の作曲者はタルレガではなく、ガルシア・トルサ・カルロスという人だそうです。


 「エンデチャ・オレムス」の原曲はシューマンの作品と言われていますが、具体的にどの曲なのかは私にはわかりません。いわゆる編曲の範囲なのか、ほとんど作曲に近いのかもわかりませんが、たいへん美しいギターの作品になっているのは間違いないと思います。


 「ロシータ(ばら)」はタルレガの生前に出版された数少ない作品の一つで、タルレガの自信作と考えられます。軽快なポルカになっています。


 「ワルツニ長調」はタルレガの没後出版された曲で、装飾音を効果的に使い、弾んだリズムの主部、しなやかに歌う中間部それぞれ魅力的だと思います。いい曲ですが、DC(最初にもどる)の指示が脱落しているなど、楽譜的には不備の点もあります。


 最後は「アルハンブラ宮殿の思い出」で、この曲については説明の必要がないと思いますが、タルレガ自身もよく演奏していたようで、生存中に出版もされ、当時から人気曲だったようです。その人気にはその曲の内容もさることながら、そのネーミングも一役買っていたのではないかと思います。その頃からスペイン国内で過去の文化遺産を見直す動きが現れ、一時期は荒れるにまかされていたこの名宮殿も、人々の注目を集めるようになってきた頃だったのでしょう。


 以上のように2:00からのプログラムはトレモロの曲で始まって、トレモロの曲で終わる感じにしようと思っています。



 4:00からのプログラムはヴァイスとバッハというバロック時代のドイツの作曲家の作品ということになりますが、この話はまた今度ということにしましょう。特にバッハの「シャコンヌ」については名曲中の名曲と言えると思いますので、「名曲の薦め」のほうで取り上げたいと思います。また9月29日にひたちなか市の「アコラ」で行われる「ジヴェルニー・コンサート」にゲスト出演しますが、こちらもまた別の機会にお話したいと思います。
 

 しばらく更新が滞りました。お盆だとか、このところやたら暑かったり、とかありましたが、でも一番の理由は息子夫婦が来ていて、パソコンを占領していたことが最大の理由です。「息子夫婦」などと言ってしまいましたが、創は7月26日にフランス留学中に知り合ったフルーティストの、旧姓津田明子さんと結婚しました。二人は昨年の6月にフランスから帰国し、秋からは明子さんの実家のある福岡で一緒にくらしていました。これまでいろいろお世話になった方々もたくさんいらっしゃるのではないかと思いますので、ご報告させていただきます。

 創は現在「レジナ」というホーム・ページの製作会社に勤めています。文字通り社会人1年生ということで、またこれまで長い年月やってきたこととは全然違うことで、いろいろ苦労はしているようですが、なんとかやっているようです。ご存知かも知れませんが、当ブログ、および当教室のホーム・ページは創に作って貰ったものです(ホーム・ページは近々リニューアルします)。

 11日(土)はアンサンブルの練習があったので、メンバーに結婚の挨拶をしたついでに、二人でピアソラの「タンゴの歴史」を演奏しました。明子さんのほうは4楽章とも暗譜で完璧な演奏でしたが、創のほうはこの2年くらいほとんどギターを弾いていなくて(福岡にも楽器を持っていっていませんでした)、かなり手元も怪しい感じでした。それでも私には、一度身に付けた音楽というものはそう簡単に消えるものではないと感じました。こういうのを親バカというのでしょうか、ちょっとした和音や、音階の中にも音楽が感じられました、それも普段あまり聴くことのできないような。

 二人は一週間ほど水戸にいて親戚まわりなどをし、今日(16日)に福岡に戻りました。




 2年前の9月半ば頃だったと思います。私がスタジオで練習しているとフランスの創から電話がありました。

「創だけど、今いい? ちょっと話があるんだけど」

私にはその話の内容は大体予想がつきました。

「僕、ギターを仕事にするのはやめることにした」

しばらく前からそのことを言い出すのではないかと予想はしていましたが、実際にその言葉を聴くと、私はとても動揺して、どういう言葉を発してよいかわからなくなりました。

「あ、そう」

思わずそう言ってしまった後、

「『そう』なんて簡単に返事できる話じゃないか・・・・ でも、創がそう思うんだったらいいんじゃないか、それで・・・・ お父さんとしては別に・・・・」

「やめるといっても、仕事は別にするっていう意味で、ギターはこれからもやるよ、趣味として、コンサートだってやるつもりだし」

「うん、趣味としてだけでもやっていってほしいな、お父さんも創のギター聴きたくなる時もあるだろうし、・・・・でも福田先生はじめ、いろいろお世話になった人にどう言おうか、それだけちょっと辛いな」

「自分の中ではもう、はっきり決心ついているし、 これから先のことも十分考えてるし・・・・  涙なんか流さないで言うつもりだったんだけど・・・・」



 確かに重い決断だったと思います。それまで過ごした23年とちょっと人生のうちのほとんどの時間を否定するようなことでしたから。私たち親子はしばらく前から行き詰まりを感じていたのですが、その決断が出来ずにいました、少しでも早いほうが傷は少なくてすんだのですが。しかしその決断は仮にも人生経験の長い私のほうがしてやるべきでした、結局私は親として最も必要な時に、必要なことをしてやれませんでした。

 


 創は帰省中(これまでは私も帰省する立場でしたが、これからは帰省させる立場になりました)、指が痛いと騒ぎながらも、楽しそうにギターを弾いていました。これからは創とギターとには、あらたによい関係が生まれそうです、以前のように難曲を次々に弾いたりは出来ないでしょうが。

 創の今の仕事は結構忙しいらしく、これからもギターなど弾いている暇はなさそうですが、でもまた皆さんの前でギターを演奏することもあるかも知れません。もちろんその時は「有望な若手ギタリストの一人」ではなくただのアマチュア・ギタリストとしてですので、あまりうまく弾けていないところは耳をふさいで、ぜひ創のいいところだけを聴いてやって下さい。


 話がちょっとそれてしまいましたが、私たち夫婦と明子さんとは昨年と合わせても1ヶ月とは一緒に過ごしてはいないのですが、ずっと前から家族の一員だったような感じです。皆さんにはいずれ創との二重奏なども聴いていただく機会もあるかも知れません。





 

どの譜面を使えば? いろいろなギター譜の比較

 この曲にはいろいろなギターへの編曲譜が出ていますが、大雑把に言えば、もとは同じと言うことを前回言いました。しかし細かい点ではそれぞれ異なるので、今回は実際にどの譜面を使ったらよいかと言うことについてお話いたします。



セゴビア編

 まずいろいろな編曲譜のもとになったと思われる「セゴビア編」としてははスペインのユニオン・ミュージカル・エディションから出ていてGGショップなどで入手出来、価格は1500円前後です。この譜面はセゴビアの死後、1992年に出版されていますが、出版された経緯などは特に書かれていません。内容はこれまで国内で出版されていた多くの譜面と同じです(全音出版の阿部保夫編など)。またタブ譜付きのような形で出版されているものもほとんどこの譜面です。それらの譜面があればこの譜面は特に取り寄せたりする必要はないのですが、あるとすれば原編曲者のアンドレ・セゴビアに敬意を表してということでしょうか(それが間違いないと仮定してですが)。

 この譜面は弾きやすいというのが最大の長所ですが、原曲と異なるところもあります。特に54、56小節の1拍目裏の低音が「ソ」になっていますが、原曲に忠実に編曲すれば「ファ#」になるはずです。単純ミスというよりは伴奏の音に合わせて修正したのでしょうが、やはりアルベニスの意図にそうものではないと思います。中間部はかなり弾きやすく編曲されているのはたいへんよいと思いますが、一部分、あまり意味のあることと思えないところでの表記の変更などもあり、なるべく原曲どおりにと考えると、多少問題点もあります。また表情、強弱記号についても「スペイン組曲」のほうからとっているのも気になります。私個人的にはこの譜面を使う場合は原曲と照らし合わせながら、多少修正して使う必要があるかなと思います。



修正版

 その上記の譜面の修正版といえるものも出版されています。代表的なのが「ドレミ楽譜出版の名曲170選C」の小胎編で、これは既存の編曲譜をそのまま載せてあるのではなく、もう一度原曲から見直してあります。この曲集は他の編曲ものも同様に原曲から新に編曲し直してあり、また音などの間違いも少ないのも特徴です。54、56小節の音も「ファ#」にしてあり、中間部も出来る限り原曲に忠実にしてあります。ただ原曲どおりオクターブ・ユニゾンになっているところもあり、少し難しいかも知れません。無理な場合は単音で弾いてもよいでしょう。この譜面は入手しやすいこともあって、お薦めの譜面だと思います。ただ強弱記号などは「スペイン組曲」のほうからとっています。


 世界中には他にもいろいろな「修正版」が出ているのではないかと思いますが、私の手元にあるものでは、ドイツのギタリストのトーマス・ミュラー・ぺリュングの譜面(現代ギター社)があります。37小節の和音は6弦の「ミ」を低音にしているという、ちょっと変わったものですが、42小節は「ド」にしてあって、特に連続8度を避けてはいないようです。主要部の終わりは普通8部音符のピチカートになっていますが、ここでは原曲どおり16分音符なっています。中間部はかなり原曲に近くしてありますが、弾きやすくはないようです。強弱記号などは「スペイン組曲」からとっています。
 
 セゴビアが実際に弾いているような37小節の和音の低音を「ラ#」にしてあるものは以外とないようです。やはりかなり弾きにくくなるせいでしょうか。




私の編曲

 私の編曲は2種類あります。一つは教材用で、原曲を重んじながらも、なるべく弾きやすく、また他の譜面とのギャップもなるべく少なくしてあります。表情、強弱記号などはアルベニスの意図をより忠実に反映していると考えられる「スペインの歌」のほうに基づいています。これは以外とないようです。前にお話したとおり、楽譜の出版された経緯などを考えれば当然「スペインの歌」のほうを重視しなければならないと思うのですが。あるいは「アストゥリアス」または「レーエンダ」を名乗る以上は「スペイン組曲」に重きを置かなければならないというのでしょうか。

 もう一つは私がコンサートなどで演奏するためのもので、これは私自身の技術に合わせながらも、なるべく原曲に近くしてあります。ただ演奏するごとに毎回編曲が変わってくるので、まだまだ流動的ですが、今現在の弾き方ということで、一応楽譜にしてあります。主要部の終わりのところは16分音符にして、中間部もいっそう原曲に近くしてあります。またコーダでは最後がffになるような形にしてあります。
 37小節目などの和音の低音は「ラ#」にしたいのですが、どうしても止まり気味になってしまうので、今のところは他の譜面と同様に「ド」で弾いていますが、いずれは変えるかも知れません。



最後に

 計6回にわたって「アストゥリアス」について書いてきて、相当細かい話にまで入り込んでしまいました。途中で読む気にならなくなってしまった人も多いと思いますが、この曲を現在弾いていたり、これから弾こうと思っている人にとっては多少は役に立つ話ではないかと勝手に思っています。最後までお付き合いしていただいた方々、ありがとうございました(何人いるかわかりませんが)。

編曲

 今までどちらかと言えば、オリジナルのピアノ曲として話をしてきましたが、いかにこの曲がギター的だからといっても、ピアノ譜のままではギターで弾けません。当然ギター用に編曲された譜面を使わなければなりません、今回はその編曲についての話です。

誰の編曲?

 有名な「ギター曲」だけにいろいろな譜面が市販されていますが、そうした譜面の多くは編曲者名が書かれていなかったり、あるいはその曲集の編集者の名前になっていることが多いようです。しかしそれらの譜面をよく見ると、編曲者が違っていても内容的にはほとんど同じような譜面になっています(中間部などでは多少違いがあるものもありますが、主要部はほとんど同じです)。本当に複数の人がそれぞれ独自に編曲したのでは、こんなに近いものになるはずはありません。それらは一つの編曲譜を基にしていることが推測できます。



セゴビア編

 その「基になった」編曲が誰のもかということですが、一般的にはアンドレ・セゴビアと言われており、最近のCDなどには「セゴビア編」と記されているものが多くなっています。セゴビアがこの曲を録音したのが1951年で、最初にこの曲を編曲、演奏した可能性があります。それ以前にこの曲を弾いている人がいたかどうかは、はっきりわかりませんが、タルレガやリョベットが編曲したり、演奏したりしていないのは確かなようです。とすればこの種々のギター譜の「基になった」編曲がセゴビアのものである可能性は高いと思います。


なぜ今頃?

 ちょっと歯切れの悪い表現になってしまいましたが、確かに「セゴビア編曲のアストウリアス」の譜面はスペインの<union musical ediciones>という出版社から出ていて、GGショップなどで入手でき、私も取り寄せてみました。この譜面のコピー・ライトが1992年になっていますがこれはどうしてなのでしょうか、生前には出版されなかったのでしょうか。

 この譜面は、内容的には前述の国内で編曲者が明記されないまま出版されている多くの譜面とほぼ同じものですが、セゴビアの演奏とは若干異なる点もあります。特に37~39、42、44小節の和音が違っていますが、原曲ではここの低音は連続8度を避けるため、「ド#」、ギター譜にすれば「ラ#」になっていて、セゴビアの録音ではその意図を汲んで「ラ#」になっています。一方譜面のほうでは、より弾きやすい「ド」にしてあります。

 一方では、54、56小節の1拍目裏の低音は原曲どおりにすれば「ファ#」になるはずですが、セゴビアの演奏も譜面の方もどちらも「ソ」になっているなど、この両者は、先ほどの和音を別にすればほとんど同じといってよいでしょう。

別の人の可能性も

 またなぜこの譜面がセゴビア編だとしたら、いつ編曲され、またいつ出版されたのだろうか。私が知らないだけかも知れませんが、かつて「セゴビア編」としてこの曲の楽譜が販売されていた記憶はありません。というよりかつてこの曲はいろいろな曲集の中に、編曲者が明記されずに載っているのが当たり前のようになっていました(現在もそうかも知れませんが)。おそらくこれは日本だけのことではないと思います。いろいろ謎は深まります。

 また疑い過ぎかもしれませんが、この譜面がセゴビア以外のギタリストによる可能性も捨てきれないと思います。その根拠は先ほどの和音ですが、セゴビアはここを譜面のように弾くのは音楽的におかしいと感じたのではないかと思います。そこで弾きにくいにもかかわらず、音楽的になるようにあえて和音を変更したのではないかと思います。とすればこのような形でこの譜面をセゴビアが出版する可能性は低いかも知れません。この譜面がセゴビア演奏する以前に別のギタリストにより編曲されていて、それをセゴビアが若干変更して演奏したという可能性もあるかも知れません。


弾きやすく、よく出来ている

 今現在のほとんどのこの曲の編曲はこの「セゴビア編」の影響を受けているといってもよいでしょう。調の選択も、原曲はト短調で、ギター譜はホ短調ですが、他の調ではどうやっても弾けません。イ短調とか、あるいは変則調弦で原曲のト短調とか考えてみましたがまず無理なようです、少なくとも弾きやすくはなりません。主要部では伴奏部をアルペジオにしたり、同音の連打にしたりしていて、これは確かに他の可能性もあり、私もいろいろやってみましたが、やはりこの譜面にあるように弾くのが一番弾きやすいようです。中間部のほうは原曲と異なるところもあり、多少手直ししてもいいかなと思います。実際に多くのギタリストは何らかの変更をしています。全体的にみると、この編曲は原曲と多少異なる部分もありますが(編曲なのだから当たり前かも知れませんが)、「弾きやすさ」という点ではかなりよく出来ているといえると思います。
アルベニスの音楽

 アルベニスの曲をある程度知っている人でしたら、たぶん次のようなイメージがあると思います。

      アルベニス=スペインを代表する音楽家
      スペインの音楽=フラメンコ
  よって、アルベニスの音楽=フラメンコ的

 確かにアルベニスの曲は「グラナダ」とか「セビーリャ」とかスペインの地名が付いた曲が多いですし、この「アストゥリアス」にしても確かにフラメンコぽいところがあります。しかし作曲技法だけをみると特にスペイン的とは言えないことが多く、どちらかといえば当事ヨーロッパ全体として一般的だった後期ロマン派の作曲技法を用いています。

フリギア調

 フラメンコの音楽の基本は「フリギア調」といって、自然音階(シャープなどの付かないもの)のうち、「ミ」を主音としたものつまり、「ミ」から始まり、「ミ」で終わるような音階を使います。


  <参考>

ハ長調の音階    「ド」、「レ」、「ミ」、「ファ」、「ソ」、「ラ」、「シ」、「ド」

ドリア調の音階   「レ」、「ミ」、「ファ」、「ソ」、「ラ」、「シ」、「ド」、「レ」
 
フリギア調の音階  「ミ」、「ファ」、「ソ」、「ラ」、「シ」、「ド」、「レ」、「ミ」

      *ドリア調、フリギア調などの音階を「教会旋法」という


 ホ短調に似ていますが、「ファ」にシャープが付かないのが特徴です。近くにギターがあれば弾いてみてください、普通の短調よりさらに暗い感じがすると思います。フラメンコはこの音階を基本にしているので、何か不思議な響きというか、暗さのようなものを持っています。

 音大などで学ぶ、いわゆる「和声法」は長調、短調の音階を用いた時のみ有効で、これを「機能和声」と呼んだりもしますが、他の音階、例えばこの「フリギア調」とか「ドリア調」などの「教会旋法」、あるいは「5音音階」とか、ジャズで使われる「ブルー・ノート・スケール」などの音階では厳密に言えば、この和声法は適用されません。つまり法律などでも、国が違えば変わってくるみたいなものです。

古典的和声法の拡大

 同じスペインの音楽家でもマヌエル・ファリャとかホアキン・トゥリーナなどはこの「フリギア調」を使うことが多く、和音も古典的、あるいはロマン派的なものではなく、いわゆる「印象派的」なのもになっています。そういえば有名なビゼーのカルメンの「アラゴネーズ」の主旋律も「フリギア調」で出来ています。

 それに比べ、アルベニスの音楽はスペイン的要素を取り入れながらも、基本的には古典的作曲法を忠実に守っています。確かに「アストゥリアス」にはフラメンコ的な感じがあり、おそらく冒頭の部分も当時行われていたフラメンコの演奏から引用した可能性もあります。しかし作曲技法的には古典的和声法を遵守していて、その古典的和声法を最大限拡張することで(それをロマン派的和声法といったりもしますが)、スペイン的な響きを実現しているようです。

 アルベニスの曲でも1880年代に作曲された「セビーリャ」や「グラナダ」はリズムなどではスペイン的であっても、響きの点では後期ロマン派の感じがしますが、1890年代に作曲された「アストゥリアス」は確かにフラメンコ的というか印象派的な響きがします。これは前述のとおり、印象派的技法を用いているのではなく、古典的和声法の拡大によるものです。もっとも、それはもう「印象派の音楽」のほとんど一歩手前かも知れませんが。

タルレガとの共通点

 というようにアルベニスの音楽は「スペイン的」な香りを持ちながらも基本的には「ロマン派的」な音楽といえます。 同時代のスペインのギタリストであるタルレガも作曲に関しては、忠実にロマン派の技法を守っており、作曲法などでも共通点があるようです。また前にお話したとおり、演奏スタイルの点でも共通したもがあるようです。