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中村俊三 ブログ

中村ギター教室内のレッスン内容や、イベント、また、音楽の雑学などを書いていきます。

福岡に行ってきました

 昨日まで(10月23日~27日)九州に行っていました。創が結婚して福岡にいることは前に言いましたが、お相手の明子さんのご両親へのご挨拶と、記念写真撮影ということで出かけました。ささやかですがこれが創たちの結婚式替わりというところでしょうか。明子さんの両親の話によれば、福岡一のホテルと、福岡一の写真館での食事と、撮影だそうです。懐石風の料理で、日頃は豪華な食事がたいへん苦手な私ですが、おいしくいただけました。


福岡、雲仙、長崎

 旅行など滅多に行かない(行けない?)私達夫婦ですが、新婚旅行以来、26年ぶりに飛行機に乗りました。当時に比べれば離着陸もずい分スムーズになった気がしますが、家内のほうは相変わらず嫌がっていました。しばらくぶりの旅行ということで、福岡のあと、雲仙小浜温泉と、長崎にそれぞれ1泊ずつしました。雲仙小浜温泉は多少疲れもあって、ほとんど温泉に浸かっただけでしたが、長崎のほうは市内観光もしました。


坂本竜馬が・・・・
 
 長崎で泊まったホテルは、気づいてみれば出島のすぐ隣。「出島」と言っても今は市街地にすっかり取り込まれ、全く「島」ではありませんが、水路や、路面電車の軌道などによってその「扇形」は残され、その中は江戸時代の建物などが再現されています。畳、障子に、机、テーブルと、今にも坂本竜馬が出てきそうな感じです。


鎖国、戦艦武蔵、原爆

 それにしても長崎という町はいろいろな経験をした町だなと思いました。あまり古いことはわかりませんが、江戸時代は西洋に向いたわが国唯一の窓として、またキリスト教弾圧の中心地として、明治以降は戦艦武蔵などを建造した軍需工業都市としとして。でもやはりもっとも大きな経験は世界に2つの原爆の被害都市としての経験でしょう。十数万の人が一瞬にして(場合によっては何年も苦しんだ後)命を落とした。「十数万の人が命を落とした」なんて、文字にすれば一行もかからないことですが、その「十数万の一」の出来事が私達の目の前で起こったとしても、それを目撃した人の人生観を大きく変える出来事であるのは間違いないでしょう。


相手に非があれば

 戦争については、私などの語るところではないでしょうが、その恐ろしさの一つとして、戦争の場合、如何に残虐、非道の行為が行なわれたとしても、すべてそれは「正義」のもとに行われるということだと思います。自らの考えが正しければ何を行っても良い、相手に非があればなにをしてもよいという発想が戦争を行う一つの原動力なのかも知れません。


前に見たとおり?

 私がこの長崎に行った理由の一つに、もう一度長崎の町と、海と空を見てみたかったからです(本当は長崎は初めてです、詳しくはアーカイブの「チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲」を読んで下さい)。実際に見て見ると、細長い湾や、それを取り巻く山、川の河口に沿った市街地など、地理的関係などは前に(夢で)見たとおりで、小高い丘の上にあるグラバー邸から見る風景はほぼ前に(もちろん夢で)見た感じです。しいて言うならもう少し市街地から離れたところから長崎湾の方を見たようです。


もっと広かったはず

 ただ長崎湾の広さは少し勘違いしていて、もっと広いものと思っていました。実際はちょっとした大きな河くらいな感じで、対岸はかなり近く見えます。対岸には予想通り造船所がありました。


色がイマイチ

 この前(くどいですが、夢で)見たのと最も異なる点はその「色」でしょうか、私が前に見たのは真っ青な海と空でしたが、この日はあいにく天気のほうがはっきりしないせいか、どんよりとして、やや灰色がかっていて、この色だとあのフルートのメロディには合わないかも知れません。よく夢には色がないと言われますが、私のその時の夢は現実以上にかなり色彩的だったようです。


台風で

 昨日は関東に台風が近づいて、飛行機が大幅におくれて、空港ロビーや機内でだいぶ待たせれてしまい、離陸してからも上空待機とか、またやっと羽田に近づくと強風で飛行機はかなり揺れ、家内などはかなり恐がっていました。予定よりはだいぶ遅くなりましたが、もちろん無事帰りました。よくも、悪くもいろいろいい経験でした。


 
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  まとめ


 最後に、今までの話と重複するかも知れませんが、楽譜が速く読めるようになるための、少なくとも読めなくならないための練習法を整理しておきます。



1.最初は1音ずつ

 ギターを始めたばかりの時は、あわてず1音ずつ「一つ音を読んだら、一つ弾く」ということを繰り返します。1音1音、ゆっくり練習していけば、指がだんだん動くようになるのと同時に、音も読めるようになってゆくでしょう。



2.単旋律の練習は多めに

ギターを始めてすぐに和音や、和音の入った曲などはやらずに、ギターを始めた当初はなるべく単旋律の練習をたくさんして下さい。ある程度弾けるようになったら、一定の速さで弾くことにも注意して下さい。

 指のトレーニングとしては、同じものをたくさん練習した方がいいのですが、楽譜を読む練習としては、同じものをあまり繰り返さないで、たくさんの曲を練習した方がよいと思います。両方とも必要なので、どちらもやってみて下さい。



3.課題の曲だけでなく

個人レッスンなどを受けている場合、進みが遅くなったとしても、課題となっている曲だけを練習するのではなく、それ以外の曲も練習してみて下さい。予習、復習などが一番いいと思いますが、レッスンに全然関係ない曲でもいいと思います。時間配分としては課題の練習に50%、残りに50%くらいがいいでしょう。



4.ハイポジションは覚えないで探す

ハイポジションの練習に入ったら、無理に覚えようとしないで、最初は音を「探す」ことから始めて下さい。探すスピードが速ければ、覚えているのと同じになります。



5.わかっている音を整理

  <各弦の12フレットの音は開放弦の音と同じ>
  <①弦と⑥弦は同じ>
  <5フレットの音は次の開放弦と同じ(③弦だけは4フレット)>

など、すぐにわかる音を整理してみて下さい。


  <⑤弦の7フレットは⑥弦の開放と同じ「ミ」>
  <④弦の7フレットは⑤弦の開放と同じ「ラ」>
  <③弦の9フレットは①弦の開放と同じ「ミ」>

なども覚えやすいと思います。



6.ハイポジションも単音の練習

ハイポジションの練習でも、楽譜を読むスピードを付けるには、音階風の単旋律の練習が最適です。私のレッスンではバッハの鍵盤曲をギター二重奏にしたものなどを用いています。



7.曲集を1冊まるごと

 上級者の場合は、あまり難しくない曲集や、テキストなどを、最初から終わりまで、または弾けるところまで弾いてみるのも良いでしょう。ちょと乱暴な練習かも知れませんが、1~2時間くらいで曲集を1冊弾き通せれば、本当の上級者と言えるでしょう。また初見の二重奏などもよいかも知れません。




まとめのまとめ

 冒頭でも言いましたとおり、楽譜を読むということは、ギターを弾いたり音楽をやったりする上で、決して最も重要なことではないと思いますし、また最も難しいことでもありません。実際に私のところでギターを習っている人も、大半は楽譜を読むことに関しては特に問題になっていません。しかし人によって、楽譜を読むのが遅いことが上達の最大の障害になる場合があります。またこれもお話したとおり、ただやみくもに楽譜を読むスピードを上る、とか初見力を付けるということではなく、その人の実力にあった読譜力が必要ということです。

 読譜力が問題になるケースというのは、普通ある程度上達した段階に多いようです。おおまかに言えば中級から上級にかけてくらいです。この段階になれば、もちろん楽譜は複雑になってくるので、楽譜を読む力がないと、1曲1曲をこなすのにかなり時間がかかってしまいます。特に個人レッスンなどを受けている場合、それまでは課題になっていた曲はだいたいこなせていたのに、だんだん次のレッスン日までに曲が仕上がらなくなってしまいます。もっとも本当は仕上がらなくても別に問題ないのですが、前にも触れたとおり、このタイプの人は真面目で、若干潔癖症的な人の場合が多く、挫折感のようなものを感じてしまう人が多いようです。それでも練習時間が十分にあったり、意欲が持続出来ればそれを克服できますが、それらが欠けた場合、本当に挫折という結果になることがあります。

 また発表会やコンサートのために同じ曲をずっと練習していたとしても、一回覚えた曲をそのままずっと同じように弾いていたのではあまり上手くなりません。同じ曲を練習する場合でも時々楽譜を見直して、いろいろ考えたり、工夫してみる必要があります。記憶中心に弾く人はどうしても1回覚えた曲をいろいろ見直すことが出来なくなります。読譜力は最も大事なことではありませんが、それなしには上級者にはなれません。




 *次回は「読譜」の反意語で「暗譜」をテーマにしたいと思います。このことにも気になっている人は多いのではないかと思います・・・・・・文章作成までちょっと間が空くかもしれませんが。



やはり、やさしいものから

 前回の続きで、 
<2.楽譜は読めて、ギターを弾くことも上手なのだが、簡単なものでも初見では弾けない、特にハイポジションになると覚えてしまわないと弾けない、つまり「ギターのポジション」がわからない、あるいはわかるまでに時間がかかる>  
と言う場合ですが、前述のようにやさしものから順序立てて練習してきた場合、こうしたケース比較的少ないのですが、場合によっては同じようにやっていても、上記のようになってしまうケースがあります。これは意外と熱心に、真面目に学んでいる人、例えばレッスンの課題となっているページや曲はきちんと何度も繰り返して練習し、次のレッスン日までは全然間違えないように弾いてくる、こんなたいへん優等生的な人の中にもいたりします。


ページをめくると

 たいへん真面目で、いつもよく練習してくる生徒さんで、課題となっていた曲はかなり上手に弾けるので、「この曲については、もう言うことありません。では予定にはなっていませんが、次の曲を弾いて見てください」とページをめくってみると、もう別人のように全く弾けなくなる・・・・なんていうこともあります。もちろんまだ練習していない曲ですからあまり弾けなくて当然なのですが、テキストの場合、だいたい同じような難しさの曲がならんでいるので、普通なら前の曲が弾ければ、次の曲はつかえながらでもある程度弾けるものですが、練習した曲と、練習していない曲の差がたいへん極端になる人もいます。


記憶力がよいほど?

 これは「課題となった曲」を「何度も繰り返し」というのが問題のキーポイントで、「同じ曲を何度も繰り返して弾く」ということは当然「覚えて」弾くということになります。といことは「楽譜を読んで弾く」という作業は最初うちだけで、ある程度すれば当然しなくなります。もっともその人の記憶力が悪ければ何度も楽譜見直すことになりますが、その人の記憶力がよければよいほど楽譜を読む回数はそれだけ少なくなります。つまり「覚えて弾く」タイプの人は、速く覚えてしまう人ほど「楽譜を読んで弾く」という作業が少なくなるので、結果的に楽譜を読む力が育たないということになります。また記憶力が良いのに、ギターのポジションは覚えられないという逆説的なこともおきてしまいます(曲の方はたいへん良く覚えるが)。


練習時間の半分は

 こうした練習の仕方をする人はもちろん真面目なタイプの人ですが、「テキストを速く進みたい」という気持ちの方が強い人とか、また課題となっている曲は次の週までに絶対に弾けるようにしなければならないと考える「潔癖症」的な人などです。こうした「熱心な」人は、練習法さえ正しければ、本当に上手になる可能性を十分に持った人たちです。そうした人には、私はよく練習時間の配分について話をします。もしその人が1日1時間練習するなら、課題となっているところに約30分、残りは前の復習とか、やっていない曲の予習(これはあまり弾けなくても全然かまわない)とか、あるいはテキスト以外で自分の好きなものをやるのもよい、などと言います。


遠回りは絶対必要!

 これは一見無駄で、遠回りのようですが、これまで私がギターをやってきた経験ではこの「遠回り」は極めて重要なものと思っています。本題から少しはずれますが、ギターが上手になるための近道はなく、一つの曲をずっと練習していても、その曲が上手く弾けるようにはならない、つまり食べ物の栄養素のように、いろいろな曲を練習し、そこから様々な栄養素を吸収しないと自分の実力向上にはならないと思います。またギターを弾くだけでなく、たくさんの音楽を聴いたり、音楽以外の知識や経験を積むこともたいへん必要なことであるのは言うまでもありません。


ハイポジションになると

 次に、ローポジション(3フレットまで)だったらある程度初見でも弾けるが、ハイポジション(5フレット以上)になるとわからなくなってしまうという人も少なくありません。もちろんこれもその人の「上達の程度に応じて」ですから、ハイポジションの練習に入ったばかりの人はわかるまで時間がかかって当然といえるでしょう、むしろわかるまでよく考えることがたいへん重要です。しかし上級者の場合は、ハイポジションでも瞬時にわかるようになってほしいと思います。


全音と半音の関係

 ハイポジションの覚え方をいくつか紹介しますが、まず各弦それぞれ開放から12フレットまでの音順に弾いて行きます。①弦だったら「ミ、ファ、ソ、ラ、シ、ド、ミ、ファ」となりますが、これを音を読みながら繰り返します。必ず今弾いている音が何の音かを言って下さい、何の音を弾いているのか意識しないで繰り返して弾くとかえって音がわからなくなってしまいます。さらには全音と半音の関係なども意識して下さい(全音=2フレット、 半音=1フレット)。


わかる音から

 これだけでハイポジションを覚えてしまう人もいますが、多くの人はこれだけでは覚えられないので、次に音を探すスピードを付けることが大事になります。例えば②弦の「ラ」だったら1フレットの「ド」から「ド→レ→ミ→ファ→ソ→ラ」と弾いてゆけばよいのです。5フレットの「ミ」が分かれば、そこから「ミ→ファ→ソ→ラ」とたどってもよいでしょう。また12フレットは開放弦と同じ「シ」なので、そこから「シ→ラ」と下がるのもいいでしょう。この時全音と半音の関係も考えて下さい。


覚えた方が速い?

 こんな話をすると、そんなことして探すよりも、「②弦のラ=10フレット」と丸暗記してしまったほうが早いのではないかと思う人もいると思いますが、私のこれまでの経験ではこの「丸暗記」型に人は結果的に楽譜が読める(ハイポジションがわかる)ようになるまで、かえって時間がかかるようです。覚えるのではなく「探す」人の方が音がハイポジションがわかるようになるようです。確かにローポジションの場合は「覚える」のですが、ハイポジションの場合は「たどる」ほうがいいようです。


きれいに響く音

 またこんな方法もあります。「⑥弦の開放」と「⑤弦の7フレット」の音を同時に弾いて見てください、きれいに澄んで聴こえると思います。それもそのはずです、これは1オクターブ違いで同じ音だからです。⑥弦の開放は「ミ」ですからこの「⑤弦の7フレット」も「ミ」ということになります。これを6フレットとか、9フレットとか弾くと濁った音になりますから、適当に弾いても⑤弦の「ミ」はすぐに見つかると思います。さらには7フレットには普通ポジション・マークが付いていますから、さらに探しやすいと思います。同様に「⑤弦の開放」と「④弦の7フレット」同じ音になっていて、どちらも「ラ」です。このようにいくつかの音がすぐにわかれば、他の音も結構わかってきます。


わからない音はそれほどない

 ハイポジションの練習をする人は少なくとも3フレットまでの音はよくわかるはずです(そうでなかったらハイポジションの練習は無理)。とそれば5フレットはその次の音ですから少し考えればわかると思います。また各弦の12フレットは開放弦と同じということですぐにわかります。さらに①弦が12フレットまでわかれば⑥弦も同じなのですぐにわかります。このように考えれば実は分からない音はほんの少ししかありません。また13フレット以上は第1ポジション(ローポジション)と同じなので、覚える必要はありません。


再開

 しばらくこの「中村俊三のギター上達法」をお休みしていましたが、また再開します。再開第1回目は「読譜力」についてですが、これは本文でも述べているとおり、ギターを弾くことにとっては最も重要なことではなく、また難しいということでもないと思いますが、これからギターを始める人の中には「楽譜が読めるかどうか心配」と思う人もいると思いますし、楽譜を読む力が不足しているため上達がはかどらない人、またそれが原因で挫折する人なども現実にはいるので、このことについてお話することにしました。



リストの神業

 ショパンと並ぶピアノの名手で、作曲家でもあったフランツ・リストはオーケストラのスコアを初見でピアノで弾いたそうです。オーケストラのスコアというのは普通、10数段あって、なお且つヘ音記号や、ハ音記号はもちろん、クラリネットやホルンなど移調楽器もたくさんあります(B♭のクラリネットだったら、「ド」は「シ♭」に、「レ」は「ド」となる)。これらの何段もの譜面を瞬時に移調し、また瞬時に必要な音を選択し(全部の音は弾けないから)、瞬時に指に命令を出して音にする・・・・・・・などまさに人間技とは思えません(人間以外では出来ないでしょうが)。世の中にはとんでもない能力を持った人もいたものです。もちろん私のこれからの話はこのような神業的な初見能力についてではなく、もっと現実的に必要な読譜力についてです。


二つのパターン

 上手にギターを弾くためにはいろいろなことが要求されますが、その中で「楽譜を読む」ということは特に難しい問題ではないと私は思います。実際に私が教えている大半の人は、少なくとも楽譜を読むということに関しては特に問題ないようです。しかし同時に楽譜がなかなか読めるようにならない人とか、ギターを弾くのはかなり上手で、いろいろ難しい曲も弾いているのに、初見、あるいはそれに近い状態では簡単なものでも弾けない人もいるのも事実です。「楽譜が読めない」あるいは「楽譜を読むのが遅い」と言うのを大別すれば、以下の2つになると思います。


1.楽譜に書いてある音が何の音かわからない、文字通り「楽譜が読めない」。

2.楽譜は読めて、ギターを弾くことも上手なのだが、簡単なものでも初見では弾けない、特にハイポジションになると覚えてしまわないと弾けない、つまり「ギターのポジション」がわからない、あるいはわかるまでに時間がかかる。

他に楽譜を見ただけでは音の長さが取れないとか、上級者となれば、作曲者の意図を読むというのも楽譜を読むことの一つと思いますが、そのことについてはここでは触れないことにしておきます。


ドは赤い色で

 1.の場合は小さい子などに多いのですが、小さい子の場合、最初は「ドを赤い色でぬりましょう」というように同じ音を探して、色を塗ることからはじめます。まず5線上の同じ位置を認識することから始めるわけですが、中には音符をみてもその形だとか、横方向の位置だとか、音符を読むのに関係ないところに目がいってしまう子もいます。音が「ド、レ、ミ、ファ、ソ、ラ、シ、ド」の順で並んでいて、「5線上の位置」で音が決まることがわかればだいたい読めるようになります。読めるようになるまで少し時間のかかる子はいますが、最後まで読めるようにならない子はいません。また少し読めるようになると、その後はたいてい順調に読めるようになってゆきます、ちょっとたいへんなのは最初の段階だけです。


やさしいものからやれば問題ない

 大人の人の場合は、私の教室では音の読み方や、音の弾く場所を覚えるのを、本当に少しずつ、ゆっくり覚えてゆくので、多少高齢な方でも「楽譜を読んで、その音を弾く」ということに関しては、あまり問題にはなっていません。これまで音楽をやってこなかった人の場合でも、最初から速く弾いたり、急に難しい曲をやったりせず、やさしいものから順序よく練習していけば、たいてい問題なく次第に楽譜が読めるようになってゆくと思います。


初心にもどって

 具体的には、特に最初は、1音ずつ「読んだら、弾く」というようにし、まとめて読んだり、覚えてから弾いたりしないのが大切です。最初は曲にならなくていいから本当に「1音」ずつ楽譜を見て弾くのが重要です。最初はどんなに時間がかかってもいいですから、それを繰り返してゆくうちに読むスピードも、弾くスピードも次第についてきます。またある程度弾けたら音の長さを取るのもたいへん大事なことでしょう。独学などで、長く楽譜を読まずにギターを弾いてきた人などの場合は、少し時間がかかる場合がありますが、その場合でも初心に戻って単音などの易しいものからやって行けば必ず読めるようになると思います。
バッハ : シャコンヌ 7  ~最終回



擬似的な3楽章構成

 これまで楽譜に沿ってやや細かく話しを進めてきましたが、この曲を全体的に見ると大きく3つの部分に分けられます。 長さだけを見ると、だいたい3:2:1の比になっていて、これは3楽章構成の協奏曲など時間配分と一致します。 このシャコンヌは擬似的な3楽章構成で作曲されており、その3つの部分の性格もそれぞれ違っています。

 第1部は荘厳な感じで始まり、緊張感も全体的に高く、いかにもバロック音楽といった構築美が感じられます。 長調に変わる第2部は全体にリラックスした感じで、和声も比較的シンプルで、ゆっくりと歌う歌や、ユーモラスな感じや雄大な感じもあります。

 再び短調に戻る第3部ですが、ニュアンスは第1部とは異なるようです。 第1部をフォーマルな感じとすれば第3部は、何か内面的というか、感傷的な感じがさえします。

 第1部=バロック、 第2部=古典派、 第3部=ロマン派、 などというのはちょっと考えすぎでしょうが、第3部の最初の和音に付け加えられた6度の音などはなんとなくロマン派的な音楽を感じてしまいます。 もちろんバッハはロマン派の音楽なんて知らないはずですが。
 



シャコンヌの魅力は

 この曲を 「変奏曲」 と見た時、一般的な変奏曲とはかなり違っている点はありますが、逆に言えば一見変奏曲に見えなくても、やはりこの曲は 「低音を主題に持つ変奏曲」 ということもできます。

 普通変奏曲は各変奏が独立していて、作曲する時もそれぞれ別に作曲し、演奏効果などを考えてその変奏の順序などを決めたりします。 場合によってはその変奏の順序を変えて演奏したりすることもあり、それでもそれほど内容は変わらない場合が多いようです。

 しかしこのシャコンヌの場合は、いくつかの変奏を組み合わせて一つの部分を構成し、そしてそれらの部分から全体が構成されるように作曲されています。 全体の構成を考えた上でそれぞれの変奏が作曲されているので、変奏の順序を変えるなど全くの論外です。

 このシャコンヌが多くの人に好まれている理由の一つに、聴く人の興味や集中力をきらさない、この全体の構成があるのではないかと思います。 長い曲ですが、聴く人に 「次はどうなるのだろう」 という気にさせる曲だと思います。




イリュージョニスト?

 それにしても、バッハがなぜこの 「無伴奏ヴァイオリンのための6つの作品」 を書いたか、ということですが、バッハは言うまでもなくポリフォニー、つまり多声部的な音楽を作曲し、おそらくバッハ自身その技術にはかなりの自信を持っていたと思います。

 一方で無伴奏のヴァイオリンのために作曲するということは、多声部的な音楽にはかなりの制限が加えられるということになります。 また、バッハはこれらの曲を誰かにに依頼されたなど、何かの必要があってこれらの曲を作曲したのではなさそうです。 おそらく自発的な動機で、なお且つかなり意欲的に作曲されたものと考えられます。

 バッハはこうした一見作曲上の制限や困難、不都合などをまるで楽しんでいるようにも思えます。  無伴奏のヴァイオリンのために作曲するということ自体は、確かに他の作曲家も行っていますが、このように高度な和声法や対位法を織り込んだ作曲家はいなかったでしょう。

 バッハはそのことも十分に認識していて、この仕事ができるのは自分をおいて他にいないと考えていたでしょう。 この曲の楽譜はバッハ自身の手により丁寧に清書されており、同時代の人に弾かれるだけでなく、後世に「残す」ということもかなり意識していたように思います。

 バッハはこれらの曲では、非常に少ない音で複雑な和声進行を実現したり、一つの音を半音上げ下げすることにより、和声の流れをがらりと変えてしまったりもしています。 それはまるでイリュージョンのようでもあり、自らの手足を縛り、水中において鍵のかかった箱から脱出するような行為にも連想させられます。
 



どの譜面を使おうか

 この曲にはこれまで、様々なヴァイオリンの名手による演奏があり、またギターをはじめとして、リュート、ピアノ、チェンバロ、ハープ、オーケストラなどへの編曲もあり、それらについてもお話したいところですが、これはまたの機会にしましょう。

 本当に長くなりましたが、この曲に取り組んでいる人、あるいは取り組もうとしている人などにとっては、この曲のことをあらためて考え直すきっかけくらいにはなったのではないかと思います。

 編曲についてもあまり触れられませんでしたが、どんな編曲を使うかとか、どのように編曲するか、あるいはどのように弾くかということの前に、この曲がどんな曲なのかということを考えるのが第1歩ではないかと思います。




 *「名曲のススメ」として5曲ほど書いてきましたが(なんとまだ5曲しか書いていない!)、ここでこのシリーズは一休みにして、また「ギター上達法」に戻りたいと思います。再開の最初は「読譜力」についてです。

バッハ : シャコンヌ 6



<第2部  132~207小節> 
 


132~147小節 ~ニ長調となる

 ここからニ長調に転じ、第2部ということになりますが、ここは全体にリラックスした、のびやかな感じとなります。 和声的にも比較的単純となり、また速いパッセージもありません。

 この132~147の4×4の16小節は基本的には冒頭のテーマと同じ音価で書かれていますが、全体に「歌」が感じられます。 2声が中心で部分的に3声になりますが、和声の変化は少なくのびやかで落ち着いた感じになります。



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印からニ長調となり、よりのびやかな音楽となる。  赤線の部分では低音がテーマの音価となっている。 黒丸では低音が レード♯ーシーラ と単純化されている。


148~159小節 ~16分音符となるが

 ここからは16分音符で書かれていますが、リラックスした感じは持続し、シンプルな和音のアルペジオとなっているところが多く、動きはやや速いものの、穏やかな感じになっています。 低音も「レ、ド#、シ、ラ」と単純化されています。



160~175小節 ~「ラ」の連打が現れる

 この部分は16分音符で出来ているのはその前と同じなのですが、「ラ」を3回あるいは4回連打する形になっていて、ちょっとユーモラスな部分です。 バッハの”遊び心”が感じられます。

160小節では「ラ」を3回連打した後アルペジオとなり、以後和音が変わっても「ラ」の連打は変わりません。 164小節からはその「ラ」が1クターブ下になります。

 168小節からは 「ラ」 の連打が4回なり、さらに1オクターブ下がり低音となります。 いわゆる「保持低音」となるわけですが、168小節からはそれが5度下がり 「レ」 となります。 上声部の方は2声の掛け合いのようになりますが、同じ音を2回または3回ずつ連打するようになっています。



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保持低音

 ここでちょっと「シャコンヌとは低音部に主題を持つ変奏曲」ということを思い出していただきたいのですが、低音を「勝手に」保持低音に変えてしまったら「シャコンヌ」ではなくなってしまうのではないかと思います。 バッハはその「ぎれぎれ」のことをしているようです。 「その代わり和声進行が変わらないから、いいじゃないか」 ということかも知れません。



176~183小節 ~クライマックスに向かうための

 この部分は中間部の冒頭の部分(132~139)が回帰したような部分ですが、2度で音がぶつかるところもあり、やや緊張感があります。 おごそかな感じといってもいいでしょうか、次のクライマックスに向かうための部分と思われます。



184~199小節 ~朗々と歌い上げる

 この部分はテーマの音価を踏襲したコーラス的な部分ですが、3声または4声で書かれています。 4小節ごとに音域を上げて、196小節で頂点になります。 ここは朗々と和音を鳴らしたいところですが、ヴァイオリンでそれをするのはかなり難しいことかも知れません。



200~207小節

 ここはアルペジオの指示があり、各部の最後はそれぞれアルペジオで締めくくるようになっています。 前にも出てきたとおり、アルペジオの弾き方は決められていないと思いますが、一般に低音と高音を交互に弾くような弾き方で演奏されます。 

 過去の大家がそう弾いていたのでしょうか、その根拠などはわかりませんが、その方が弾きやすいので私もそう弾いています。





<第3部  208~256小節>



208~227小節 ~再びニ短調に

 再びニ短調に戻りますが第1部とは印象は異なります。 なんといっても最初の和音はⅠの和音の「レ、ファ、ラ」でなく、それにシ♭が加わった形になっています。 印象からすれば第1部のような威厳に満ちた感じではなく、もっと内面的なというか感傷的というか、そんな感じがします。


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ト短調ぽいが

 和声的に見ると私にはよくわからないのですが、208~211ではト短調に転調しているような感じさえします。 もちろん「シャコンヌ」である以上あってはならないことです。 

 バッハは転調を巧みに使う作曲家だと思いますが、バッハの欲求不満の表れしょうか。 またここではスラーの表記も目立ち、「歌わせる」ことを示しているのかも知れません。 224~227はこの部分の締めくくりとして32分音符で書かれています。



228~239小節 ~カンパネラ奏法

 ここからは「A線」を用いたカンパネラ奏法となりますが、ギターのほうではこの音は開放弦ではないので、3弦を押さえて弾くことになりますが、235~239はオクターブ上げて1弦の5フレットで弾くほうが弾きやすいので、私もそうしています。

 低音は「レ、ド、シ♭、ラ」を守っていますが、中音部は半音階的になっていて、しだいに緊張感が増すようになっています。


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240~256小節 ~最後は堂々と曲を閉じる

 いよいよ最後の部分となりますが、まず240~243はアルペジオですが、一つ一つのポジションが変わるので、弾く方にとってはかなり難しいアルペジオになっています。

 続いて244~246は下降の3連符で、247は32分音符の音階でテーマの最後の出現を告げます。 248~256でテーマが再現されますが、比較的冒頭のテーマに近く、最後は堂々と、またゆったりと曲を閉じます。

 なお最後にトリルの指示はありませんが、当時の習慣として行っていたと考えてよいと思います。