福岡に行ってきました
昨日まで(10月23日~27日)九州に行っていました。創が結婚して福岡にいることは前に言いましたが、お相手の明子さんのご両親へのご挨拶と、記念写真撮影ということで出かけました。ささやかですがこれが創たちの結婚式替わりというところでしょうか。明子さんの両親の話によれば、福岡一のホテルと、福岡一の写真館での食事と、撮影だそうです。懐石風の料理で、日頃は豪華な食事がたいへん苦手な私ですが、おいしくいただけました。
福岡、雲仙、長崎
旅行など滅多に行かない(行けない?)私達夫婦ですが、新婚旅行以来、26年ぶりに飛行機に乗りました。当時に比べれば離着陸もずい分スムーズになった気がしますが、家内のほうは相変わらず嫌がっていました。しばらくぶりの旅行ということで、福岡のあと、雲仙小浜温泉と、長崎にそれぞれ1泊ずつしました。雲仙小浜温泉は多少疲れもあって、ほとんど温泉に浸かっただけでしたが、長崎のほうは市内観光もしました。
坂本竜馬が・・・・
長崎で泊まったホテルは、気づいてみれば出島のすぐ隣。「出島」と言っても今は市街地にすっかり取り込まれ、全く「島」ではありませんが、水路や、路面電車の軌道などによってその「扇形」は残され、その中は江戸時代の建物などが再現されています。畳、障子に、机、テーブルと、今にも坂本竜馬が出てきそうな感じです。
鎖国、戦艦武蔵、原爆
それにしても長崎という町はいろいろな経験をした町だなと思いました。あまり古いことはわかりませんが、江戸時代は西洋に向いたわが国唯一の窓として、またキリスト教弾圧の中心地として、明治以降は戦艦武蔵などを建造した軍需工業都市としとして。でもやはりもっとも大きな経験は世界に2つの原爆の被害都市としての経験でしょう。十数万の人が一瞬にして(場合によっては何年も苦しんだ後)命を落とした。「十数万の人が命を落とした」なんて、文字にすれば一行もかからないことですが、その「十数万の一」の出来事が私達の目の前で起こったとしても、それを目撃した人の人生観を大きく変える出来事であるのは間違いないでしょう。
相手に非があれば
戦争については、私などの語るところではないでしょうが、その恐ろしさの一つとして、戦争の場合、如何に残虐、非道の行為が行なわれたとしても、すべてそれは「正義」のもとに行われるということだと思います。自らの考えが正しければ何を行っても良い、相手に非があればなにをしてもよいという発想が戦争を行う一つの原動力なのかも知れません。
前に見たとおり?
私がこの長崎に行った理由の一つに、もう一度長崎の町と、海と空を見てみたかったからです(本当は長崎は初めてです、詳しくはアーカイブの「チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲」を読んで下さい)。実際に見て見ると、細長い湾や、それを取り巻く山、川の河口に沿った市街地など、地理的関係などは前に(夢で)見たとおりで、小高い丘の上にあるグラバー邸から見る風景はほぼ前に(もちろん夢で)見た感じです。しいて言うならもう少し市街地から離れたところから長崎湾の方を見たようです。
もっと広かったはず
ただ長崎湾の広さは少し勘違いしていて、もっと広いものと思っていました。実際はちょっとした大きな河くらいな感じで、対岸はかなり近く見えます。対岸には予想通り造船所がありました。
色がイマイチ
この前(くどいですが、夢で)見たのと最も異なる点はその「色」でしょうか、私が前に見たのは真っ青な海と空でしたが、この日はあいにく天気のほうがはっきりしないせいか、どんよりとして、やや灰色がかっていて、この色だとあのフルートのメロディには合わないかも知れません。よく夢には色がないと言われますが、私のその時の夢は現実以上にかなり色彩的だったようです。
台風で
昨日は関東に台風が近づいて、飛行機が大幅におくれて、空港ロビーや機内でだいぶ待たせれてしまい、離陸してからも上空待機とか、またやっと羽田に近づくと強風で飛行機はかなり揺れ、家内などはかなり恐がっていました。予定よりはだいぶ遅くなりましたが、もちろん無事帰りました。よくも、悪くもいろいろいい経験でした。
昨日まで(10月23日~27日)九州に行っていました。創が結婚して福岡にいることは前に言いましたが、お相手の明子さんのご両親へのご挨拶と、記念写真撮影ということで出かけました。ささやかですがこれが創たちの結婚式替わりというところでしょうか。明子さんの両親の話によれば、福岡一のホテルと、福岡一の写真館での食事と、撮影だそうです。懐石風の料理で、日頃は豪華な食事がたいへん苦手な私ですが、おいしくいただけました。
福岡、雲仙、長崎
旅行など滅多に行かない(行けない?)私達夫婦ですが、新婚旅行以来、26年ぶりに飛行機に乗りました。当時に比べれば離着陸もずい分スムーズになった気がしますが、家内のほうは相変わらず嫌がっていました。しばらくぶりの旅行ということで、福岡のあと、雲仙小浜温泉と、長崎にそれぞれ1泊ずつしました。雲仙小浜温泉は多少疲れもあって、ほとんど温泉に浸かっただけでしたが、長崎のほうは市内観光もしました。
坂本竜馬が・・・・
長崎で泊まったホテルは、気づいてみれば出島のすぐ隣。「出島」と言っても今は市街地にすっかり取り込まれ、全く「島」ではありませんが、水路や、路面電車の軌道などによってその「扇形」は残され、その中は江戸時代の建物などが再現されています。畳、障子に、机、テーブルと、今にも坂本竜馬が出てきそうな感じです。
鎖国、戦艦武蔵、原爆
それにしても長崎という町はいろいろな経験をした町だなと思いました。あまり古いことはわかりませんが、江戸時代は西洋に向いたわが国唯一の窓として、またキリスト教弾圧の中心地として、明治以降は戦艦武蔵などを建造した軍需工業都市としとして。でもやはりもっとも大きな経験は世界に2つの原爆の被害都市としての経験でしょう。十数万の人が一瞬にして(場合によっては何年も苦しんだ後)命を落とした。「十数万の人が命を落とした」なんて、文字にすれば一行もかからないことですが、その「十数万の一」の出来事が私達の目の前で起こったとしても、それを目撃した人の人生観を大きく変える出来事であるのは間違いないでしょう。
相手に非があれば
戦争については、私などの語るところではないでしょうが、その恐ろしさの一つとして、戦争の場合、如何に残虐、非道の行為が行なわれたとしても、すべてそれは「正義」のもとに行われるということだと思います。自らの考えが正しければ何を行っても良い、相手に非があればなにをしてもよいという発想が戦争を行う一つの原動力なのかも知れません。
前に見たとおり?
私がこの長崎に行った理由の一つに、もう一度長崎の町と、海と空を見てみたかったからです(本当は長崎は初めてです、詳しくはアーカイブの「チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲」を読んで下さい)。実際に見て見ると、細長い湾や、それを取り巻く山、川の河口に沿った市街地など、地理的関係などは前に(夢で)見たとおりで、小高い丘の上にあるグラバー邸から見る風景はほぼ前に(もちろん夢で)見た感じです。しいて言うならもう少し市街地から離れたところから長崎湾の方を見たようです。
もっと広かったはず
ただ長崎湾の広さは少し勘違いしていて、もっと広いものと思っていました。実際はちょっとした大きな河くらいな感じで、対岸はかなり近く見えます。対岸には予想通り造船所がありました。
色がイマイチ
この前(くどいですが、夢で)見たのと最も異なる点はその「色」でしょうか、私が前に見たのは真っ青な海と空でしたが、この日はあいにく天気のほうがはっきりしないせいか、どんよりとして、やや灰色がかっていて、この色だとあのフルートのメロディには合わないかも知れません。よく夢には色がないと言われますが、私のその時の夢は現実以上にかなり色彩的だったようです。
台風で
昨日は関東に台風が近づいて、飛行機が大幅におくれて、空港ロビーや機内でだいぶ待たせれてしまい、離陸してからも上空待機とか、またやっと羽田に近づくと強風で飛行機はかなり揺れ、家内などはかなり恐がっていました。予定よりはだいぶ遅くなりましたが、もちろん無事帰りました。よくも、悪くもいろいろいい経験でした。
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