中村俊三 ブログ

中村ギター教室内のレッスン内容や、イベント、また、音楽の雑学などを書いていきます。


<生まれた頃は>


昭和30年代は夢の時代

 私がもの心ついたのは、たぶん3才頃、1954年(昭和29年)だと思います、「もうすぐ昭和30年になる、すごく新しい時代が来る」そんな風に家族の誰かが言っていたのを聴いた記憶があります。とはいってもあの戦争が終わってからまだやっと10年、大人たちのその戦争の記憶は鮮明で、その心の傷、人によっては体の傷もまだまだ癒えてはいなかったようです。大人が2人以上集れば、すぐに戦争中の話になりました。子供の頃はいろいろと恐いものがありましたが、一番恐かったのは戦争かも知れません、真面目に「また戦争になったらどうしよう」なんて心配していたように思います。
 「昭和30年」というのはそんな時代とは決別した、新しい、夢のある、幸せな時代の幕開けなのでは、という期待は当時の人みんなにあったのではないかと思います。そして「新しい」という言葉はすべてに勝る、最もすばらしい言葉のように思えた時代でした。



ラジオのサザエさん

 この時代にはテレビ放送は始まっていたようですが(テレビ放送が始まったのは昭和28年?)、一般家庭には普及しておらず、まだ話題にもなっていなかった頃です。それに代わる娯楽としては映画とラジオがあったわけですが、街の繁華街を歩くと、映画館から音声だけが、それもかなりの音量で聴こえてきます。今では考えられないことですが、それを聴くと、その建物の中には楽しいことがいっぱい詰まっていそうに思えました。
 私と同世代以上の方はよくご存知と思いますが、テレビ・ドラマならぬ「ラジオ・ドラマ」と言うのがあって、今ならテレビ・アニメでやっているようなもの、「サザエさん」とか「怪人二十面相」などはラジオで放送されていました。ラジオ・ドラマというのは実際に画像があるわけではありませんから、言葉を聴きながら一人一人がそれぞれの場面を頭の中でイメージするわけで、きっと昔は一人一人違ったサザエさん像があったのかも知れません。



銀座通り

 夕飯の支度は、今のように冷蔵庫などありませんから、その日、その日で買い物に行かなければなりません。文字通り「買い物かごをぶらさげたサザエさん」の世界です。また車がある家などなく、基本は歩きで、せいぜい自転車です。となれば買い物は当然近くでしなければなりませんから、私の住んでいたところにも、小さな商店街のようなものがありました。十数件ほど商店が並んだその通りは、なんと「銀座通り」と称されていて、夕方になると買い物客で結構賑わっていました。また自転車の荷台に商品を載せて売り歩く、魚屋さん、豆腐屋さん、納豆屋さんなどもよく家まで来ていました。



<大通りの風景>

通りを走るのは

 私の家の近くを片側一車線の県道が走り、今見れば決して広くはない道路ですが、子供の頃はかなり広く感じました。私がもの心付いた頃は、バスや4輪トラック、乗用車などは非常に少なく、その道路を通行するのは、最も多いのが「人」で、次に自転車、人や自転車に曳かれたリヤカー、オート三輪などでした。もちろん砂利道で、雨が降ればあちこちに大きな水溜りが出来、人や自転車はそれらを巧みによけながら通行しなければなりません。また、たまに車が走ってくるとかなり悲惨な状態になりました。馬車もまだ結構通っていて、その砂利道のあちこちに馬糞が落ちていました。
 よく学校や家で「道路で遊んではいけない」と言われていましたから、当時は遊ぼうと思えば遊べる程度の車の往来だったのでしょう。もっとも年を経るごとに車の数は増え、小学5年生頃には危うく轢かれそうにになったこともあり、そんな道路もだんだんと危険な場所になってゆきました。



オート三輪

 当時、商店や多少裕福な農家などで使っていたのが「オート三輪」で、この「オート三輪」も、後にはダイハツ・ミュゼットなど見た目も、乗り心地もよさそうなものが発売されましたが、当時のものは本当にオートバイの後ろに荷台が付いているようなものでした。前面に簡単な風防が付いている程度で、屋根も床もありません。ハンドルも文字通りバイクのハンドルで、助手席に座ると振り落とされそうで、かなり恐い感じがしました。



リヤカー付きの自転車

 普通の農家など、オート三輪のない家では自転車の後ろにリヤカーを付けて物などを運んでいたようです。隣の農家のお父さんにその家の子供たちと一緒に、そのリヤカー付きの自転車で隣町のお祭りに連れて行ってもらったことがあります。道路も今のように舗装されていませんから、普通に自転車で隣町まで行くのも結構たいへんだったと思いますが、その自転車にリヤカーを付け、そこに4、5人子供をのせて漕ぐのですから、相当なものだったと思います。でも当時の大人たちはそんなことを当たり前にしていました。

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私のギター修行

本日より新連載

 当ブログでは、これから「中村俊三のギター上達法」に代わって、「私のギター修行」を連載して行きます。音楽などには全く縁のない環境に生まれ育った私が、なぜ現在このようにギター教師などやっているのか、といった話です。

 ギターなどのレッスンの場合、良くも悪くも、教える人によってその内容は大きく変わってしまいます。そういった意味で、特に私のレッスンを受けている人などにとっては、私がどの様にギターを学んできたかといことを知ることは、今後のレッスンに大いに役立つのではと思います。またこれから私のレッスンを受けようかなと思っている人にも何かの参考になるのではとも思います。もっとも、その結果「この先生にだけは習うのやめようか」となるかも知れませんが。

 また私と同年代くらいのギター愛好者の方は、おそらく似たような経験もされているのではと思いますので、ご自分の経験などと照らし合わせてみるのも一つと思います。また若い人にとっては、昔はどうだったのかなという意味で読んでいただければと思います。特に最初の段階ではあまりギターに関係ないことも多くなると思いますが、面白かったら読んでみて下さい。予定としては週に一回くらいの頻度で更新してゆこうと思っています。なお「中村俊三のギター上達法」については、まだまだお話したいこともあるので、いずれまた再開します。
 
  ・・・・では早速始めましょう。




<1年早く>


本当の誕生日

 私が小学生の頃、当時通っていたそろばん塾で検定試験の書類に名前や生年月日などを書いて提出しましたが、その時、先生が私が書いて提出した検定試験の申込書を指さしながら

   「お前、ここに書いてある誕生日、間違っているじゃないか! なんで自分の誕生日なんか間違えるんだ、おかしなやつだな」

と呆れられたことがありました。その時うっかりと自分の「本当の」誕生日を書いてしまったのです。私の正しいというか、戸籍上の誕生日は1951年(昭和26年)の3月31日となっていますが、母の話によれば私が生まれたのは1951年4月3日だそうで、学校に早く入れるために誕生日を3月31日ということで届けを出したそうです。そのことはよく母に言われていて、子供の頃は自分の本当の誕生日は『4月3日』だが、戸籍上は『3月31日』と使い分けていました。誕生日を聞かれた時も「誕生日は3月31日というこになっているけど、本当に生まれたのは4月3日」なんて答えていたと思います。



もとはとった

 そんなこともあって、その後はなるべくその使い分けをやめ、自分の誕生日は3月31日一本で考えるようにし、4月3日と人に言うこともなくなりました。もちろん現在、家での誕生祝い(といっても小さなケーキを買うだけですが)も3月31日でやっています。と言うわけで私の場合、本来より1年早く小学校にあがってしまった訳です。一般的に早く小学校に入るにはいろいろな面で不利と言われますが、私の場合は小さい頃から、このことについて特に不満を感じたこともなく、他の人よりも1年早く大人になれるということで、むしろ歓迎していました。もう1年子供をやることの方が当時の私としては辛かった気がします。もっとも、その後大学に6年間いたので、しっかりと「もと」はとってしまいました。



頭一つ

 私は今もそうですが、その当時も立っていると身長は低い方なのですが、座ると急に大きくなります。小学校の入学写真を見ると、身長の関係で最前列に座っているのですが、まわりの子たちより、頭ひとつ飛び出しています。おまけに太陽が眩しくて目をつぶってしまい、ちょっと残念な入学写真になってしまいました。ただ座高が高いのは意外とギターを弾くには有利です。




<生まれたところは>


人面杉

 私が生まれ育ったのは栃木県の南部にある栃木市の北隣の都賀町(当時は都賀村)というところで、当時は近所のほとんどの家が農家でした。私の家は大通りから細い道を百数十メートルほど入ったところにあり、3方は水田、1方は小さな雑木林になっていました。その関係で夏などは、学校の行き帰りにその雑木林の前でよく、へびに遭遇し、それがとても恐かったでした。

 恐かったといえば、夕暮れに遊びから帰る時など、水田越しに2~300メートルほど離れたところにある何本かの杉の木が夕暮れ時になると、まるで人の顔のように見えました。その吊り上った目、大きく開いた口は「お前を食べてやる!」と言っているように見え、とても恐く、なるべくそっちを見ないようにしながら、いつも全速力で家に逃げ込みました。



峻厳な山々

 家の西の方には足尾山系から続く比較的低い山々が数キロメートルほどのところまで迫っています。西南の方には桜の名所でもある太平山があり、西北の方は日光連山へとつながっています。家の西側は南から北まで、途切れることなく山々がまるで壁のように立ち並んでいます。さらに北の方には塩原の高原山も見えます。男体山など日光連山の山々は、冬には白く雪化粧し、とても峻厳な感じがします。男体山などの白い雪は溶岩の流れに沿って筋状に見え、子供の頃はそれをスキーで滑った跡だと本当に思っていました。



三角定規とラクダ

 家の真東には筑波山が見え、その少し北の方に加波山が見えました。筑波山は三角定規を二つ合わせたように見え、加波山はまるで二つコブのラクダの背中ように見えました。子供の頃よくそっちの方を見て「あの山の向こうはどんなところだろう、どんな人が住んでいて、どんな生活をしているのかな」と思っていました。 将来、その「二つコブのラクダの向こう側」で生活を営むようになるとは知るよしもありませんでしたが。さらに北の方には八溝山系の低い山が見え、天気のよい日には遠くに那須連山、そして先ほどの塩原の高原山につながり、私の家からは南の一角を除いて、遠くの山がぐるりと取り囲んだようになっています。



緑の海に囲まれた

 私の家と隣の小さな雑木林は四方を水田に囲まれ、まるで水田の中に浮かぶ小さな島のようで、特に家の前の方は間近まで水田が迫っていました。稲が少し育った頃には、風で波が押し寄せて来るように稲が揺れ、本当に緑の海といった感じでした。津波で家の真下まで波が迫り、今にも家が流されそうになる夢をよく見ました、私の潜在意識の中では本当に「緑の海に囲まれた家」というイメージがあったのでしょう。



田園交響曲

 今の私に比べると、その当時はとても自然と親しかったように思います。ちょっとした自然や風景の変化にも今よりもずっと敏感に反応していました。

 梅雨時に、雨がしばらく続いた後の晴れ間には、家の前の小さな庭にいくつものこうもり傘が並べられ、軒先にはありったけの洗濯物がつるされ、まぶしい太陽、輝く緑、黒い土。とても爽やかで、明るい気分になります。ちょうどベートーヴェンの「田園交響曲」の神に感謝する第5楽章のような気分です。もっとも当時はそんな曲聴いたことがありませんでしたが。



春の祭典

 早春の頃の雨上がりには、耕した水田の黒い土の塊からもうもうと水蒸気が上がることがあります。何か得体の知れないものが湧き上がってくるようで、とても幻想的な雰囲気です。地上の光景とは思えません。音楽で例えれば、ストラヴィンスキーの「春の祭典」のファゴットで始まる序奏といったところでしょうか。



ブラームス:交響曲第4番

 もうすぐ本格的な冬が始まるという時期、隣の小さな雑木林のクヌギの木から、西風に乗って木の葉がまるで吹雪のようにいっせいに舞落ちてきます。ほんのり雪化粧をし始めた日光連山を遠くに見ながら、真っ青な空にたくさんの木の葉が舞うこの光景は、本当に美しいものです。でも同時に何かが終わってしまうような、一抹の寂しさのようなものも感じました。これはなんといってもブラームスの「交響曲第4番」の第1楽章の憂愁に満ちた主題でしょうか。もっともブラームスの音楽は、たいてい晩秋の色合いですが。



空高く聳え立つ楼閣

 栃木県といえば雷の産地みたいなところで、夏の午後の東の空には、よく入道雲が見られました。時にはそれがとても大きく育つことがあり、まるで空中に浮かんだ巨大な楼閣のようで、その偉容はたいへん壮観なものです。もちろんしばらくすると「ゴロゴロ、ドカン」とたいへんなことになります。

 直接家に落ちたことはありませんが、近くに落ちたりすることは時々あります。神社の高い木のほとんどには落雷で焦げたあとがあり、水田にも稲が落雷により、ミステリー・サークルのように直径10メートルほど正円状に黒ずんだあとが見られことがあります。またその雷雨があがると東の空に大きな虹がかかることがあり、端から端までくっきりと見えて、たいへん壮大です。子供の頃見た空は、今見ている空よりもずっと広く、大きかったように思います。

<和音>

外声部=メロディ、低音

 和音の中でも外声部、すなわち最高音と低音は聴き取りやすいと思いますので、これは確実に聴き取れるように、また聴き取るようにして下さい。それに比べ内声部を聴き取るのはなかなか難しいかも知れません。Eの和音、つまり⑥弦の「ミ」、③弦の「ソ#」、②弦の「シ」、①弦の「ミ」の和音で話を進めましょう。①弦と⑥弦のミは聴き取れると思いますが、はっきりしない場合はまず単音で①弦のミを弾き、その後で和音全部を弾きます。その時、ミ-ミと、①弦のミの音が同じように聴こえてくればよいわけです。和音の最高音は普通メロディになることが多いですから、当然これははっきり聴こえなければなりません。

 ⑥弦のほうも同様に行いまが。和音の最低音は和音の中で最も大事な音で、その和音を代表する音となります。コード・ネームでこの和音のことを「Eメジャー・コード」と言っているのは、この和音の最低音が「ミ」、英語式の音の読み方で「E」だからなのです。また低音は和音の他の音を包み込むように、しっかりと鳴っていなければなりません。



内声部

 内声の方も同様に行うわけですが、それでも聴き取れない場合はその反対をやってみる方法もあります。つまりその音だけ抜いて弾いてみるわけです。先ほどの和音をまず普通に全部弾いてみて、その後で③弦のソ#だけ抜いて弾いてみます。そうすると③弦のソ#が入った場合と抜けた場合の違いがわかり、結果的にソ#が聴き取れるようになると思います。 ソ#が抜けるとミ、シ、ミの和音となり、これは5度関係の音しかなくなって、確かにきれいには響くが、和音らしくない、つまり温かみのない和音になってしまいます。また長和音か短和音かもわかりません。これは通常和音として成立しませんから、ソ#が聴こえるか、聴こえないかは、かなり大きいと思います。

 シの場合はさらに聴き取るのが難しくなります。というのもこの音はあってもなくてもそれほど違いがないからなのです。この音を抜いて弾いたとしてもそれほど響きの違いは出ません、しいて言うなら少々膨らみに欠ける程度です、ですから実際にも省略されるこも結構あります。ただしその曲の前後関係上、とても重要になる場合もあります。



一つの和音を弾くだけで

 この和音は③弦の1フレットを押さえるだけで弾けますから、とても簡単な和音です。もしかしたら全くギターをやったことのない人でも弾けるかも知れません。しかしこの和音を聴いただけで、それを弾いている人の演奏能力について、かなりの程度わかってしまいます。一番わかるのはその人の音を聴き取る能力で、すべての音を聴き取れる人なのかどうか、はよくわかるでしょう。聴き取れている人は聴き取れているように、聴き取れていない人は聴き取れていないように聴こえてきます。さらにその人の音色感とか、音の「とおり」などと言ったりもしますが、各音のクリアーさなどもわかります。また軽快な音楽を好むのか、重厚さを好むのかなどということも若干わかるでしょう。



低音もメロディのように

 また一般に曲の中では、低音は単独で存在するのではなく前後に繋がっている場合が多いですから、その低音どうしを繋げて聴くことが出来たら、つまりメロディのように聴くことが出来たら、それぞれの低音の大きさがそろえられ、他の和音の音とのバランスもよくなるはずです。よく他の音と同時に弾く低音は小さく、単独で弾く低音は大きくとなってしまう人がいますが、この場合は低音を前後関係で、つまりメロディのように聴き取れていないからなのです。

 また曲によっては内声部も同じようにメロディ・ラインとして聴き取らなければならない場合もあり、この場合はより難しくなるわけですが、よく聴き取れない時にはまずその声部だけに集中し、聴こえてきたら他の声部も聴くというようにするしかありません。確かにギターは他の楽器に比べて各声部をメロディ・ラインとして聴き取ることの難しい楽器と言えるかも知れません。



<まとめ>

素直に聞いて(聴いて?)ほしい

 私はよくレッスンの時「そこのところの音よく聴いて下さい」というと、これを「この音を間違えるな、と言っているんだな」とか「この音が弱いから、強く弾けと言っている」と言うふうに自分なりに翻訳して私の話を聞いてしまう人も多いようです。しかしこれはその言葉どおりに受け取って、ともかく「聴いて」ほしいと思います。確かにそういう時というのは何か問題があったり、注意すべきことがあったりする場合ですが、でもその音を聴き取ることで、ほとんど解決することが多いのです。何らかの問題もすべて自分の音が聴き取れていないことから生まれているので、それが聴こえさえすれば解決します。例えば⑤弦を弾くところを⑥弦を弾いてしまっている時、「そこは⑥弦じゃなくて⑤弦」と思うだけだったら、また間違える可能性は高いですし、また別の曲でも同様なことが起きてしまいます。例えある程度間違えたとしても「今の音で良かったのかな、いや、違ったみたいだ」と判断出来るようになれば、自然と弾き間違えはなくなるはずです。



聴き取ろうとする意志が大事

 仮になかなか自分の音が聴き取れなかったとしても、「自分の音を聴き取ろう」とする意志はたいへん大事です。聴き取れなかったら、聴き取れるような弾き方をすればよいわけですし、そうすることにより少しずつ聴き取れるようになってきます。また自分の演奏を聴いている人にとっても聴き取りやすい演奏になるでしょう。



最後は録音で

 いろいろ聴き取るための方法を話しましたが、それでも自分で弾いた音をすべて聴き取るのは難しいことです。特に自分の演奏の全体像というのはなかなかわかりにくいものです。そんな場合には録音してみるというのが最も良い方法です。録音して後から自分の演奏を聴いてみると、いろいろなことがたいへんよくわかります。人間は直接自分の姿を見ることは出来ませんから、自分の姿をを見たい時には当然、鏡か、あるいはヴィデオなどで見るでしょう、それと同じことだと思います。また自分の演奏を他人になったつもりで、客観的に聴いてみるのはたいへん良いことだと思います。そのことにより、それまでよくわからなかった、細かいところから、全体像に至るまで、いろいろなことがよくわかるのではないかと思います。



本当の努力

 愛好者の中には、ギターを弾く時、音を聴くより指を動かすことの方に強い関心をもつ人もいますが、もちろんギターは音が「聴こえて」みてはじめて演奏になるわけです。確かに小さい頃から何らかの形で音楽をやってこなかった人(実は私もそうですが)は、音を聴き取ることが苦手となってしまうこともあります。しかし一般にそうした人は、努力家であることが多いので、「聴き取る」ことに最大限努力して見てください。そういったことが本当の努力だと思います。決して何度も繰り返して指を動かすだけが努力ではありません。

                  

<一音一音の余韻>

 今回は具体的な話になりますが、ギターという楽器は音が出た瞬間だけでなく、その「余韻」を聴くのがたいへん大事になります。「ギターとは余韻の楽器である」といったギタリストは誰だったか忘れましたが、確かにその通りではないかと思います。


次の音が鳴る瞬間まで聴く

 最も基本的な話から始めますが、まずハ長調のローポジションの音階、つまり「ド、レ、ミ、ファ、ソ、ラ、シ、ド」をなるべくゆっくり弾いてみて下さい。ドからレに行くとき、ドの音がレを弾く瞬間まで鳴っているかどうか聴いて見て下さい。レが鳴る瞬間までドの音が聴き取れていれば、第1段階OKということになりますが、意識を集中しないとなかなか聴き取れないと思います。仮に少し間が開いたとしても、聴き取れてさえいれば大丈夫です。このようにして次の音が出る瞬間までしっかりと音を聴きながらゆっくりと音階練習をします。そうすれば余韻を聴く力がつき、また音階をレガートに弾く力もつくでしょう。


親指のアポヤンド奏法の場合

 親指のアポヤンド奏法で、⑤弦のド-4弦のレと弾く時、ドを押さえた左指を押さえたままレを弾くとドとレが同時に鳴ってしまい、音が濁ってしまいます。この場合レを弾くタイミングで指を離すわけですが、これもしっかりと余韻を聴きながらやって下さい。音が切れても、重なり過ぎてもいけません。ただしほんの少し重ねたほうが滑らかに聴こえるでしょう。


音階が速くなってしまう人

 よく音階などを弾くと、どんどん速くなってしまう人がいます。こういった傾向を持つ人はかなり多いのではないかと思います。こういう人の場合他にも原因はありますが、一音一音の余韻を聴けていないことも原因の一つです。このように音階の一音一音の余韻を聴くように練習すると、テンポが安定することもあります。また音色も悪くないのだが、どうもメロディがきれいに弾けないという人もぜひやってみて下さい。



<二つ以上の音>

同時に二人の人から話しかけられたら困る

 普通、特に音楽的能力が優れていなくても、一つの音は聴き取れると思いますが、やはり問題なのは複数の音を弾く場合でしょう。複数の音を弾くのはもちろん単音より難しいのですが、それはもしかしたら指の問題よりも「聴き取り」の問題なのかも知れません。例えば二人の人から同時に話しかけられたら、話の内容を聴きとるのはなかなかたいへんになってしまいます。さらに3人、4人などとなったらまず一人一人の言っていることは理解出来なくなるでしょう(出来る人もいるかも知れませんが)。というわけで2つ以上の音を弾く場合は弾き方もありますが、「聴き方」も練習しなければなりません。


伴奏の付いたメロディ

 どんな曲でもよいのですが、メロディに比較的簡単な和音や低音がついているもので考えてみましょう。
まずなんといってもメロディが聴き取れているかどうかということですが、最初にメロディだけを単音で弾いてみて下さい、もちろんメロディなので出来る限りレガートにです。先ほどの余韻がちゃんと繋がっているかどうかもよく聴いて下さい。それが出来たら楽譜どおりに伴奏もいれた形で弾いてみます。さきほどのメロディだけを単音で弾いたものと同じように聴こえればよいと思います。メロディの間に伴奏の音がある場合、それをあまり大きく弾くと余韻が聴こえなくなりますから、音の大きさにも注意して下さい。また何かの理由で(押さえている指を離してしまっている、何かの指が弦に触れているなど)余韻が消えてしまっていることもありますから、ちゃんと聴こえているかどうか十分注意して下さい。これらが出来ればメロディと伴奏の大きさのバランス、さらにはよりメロディを「歌わせる」ことが出来るようになるでしょう。


低音

 次に低音ですが、やはり低い音は聴き取りにくいですからいっそう気を付けなければなりません。とくに高音と同時に弾いた場合の低音は聴き取りにくいでしょう。さきほどの曲で言えば、一応メロディのほうが聴き取れたら、今度は低音だけを聴いて見て下さい。低音は普通前後で繋がっていることが多いですから、一個一個の音を聴くというより、メロディのようなつもりで聴いてみて下さい。なかなか聴き取れなかったら、ちょっと乱暴な言い方ですが、メロディの方は聴かないで、ひたすら低音だけに集中します。つまり2人の人に話しかけられたら、たいていの人は、とりあえず片方の人の話は聴かないで、もう一人の人の話だけを聴くと思います。そしてその人の話が終わったら、もう一人の人の話を聴くのではないかと思います。そうすれば聖徳太子でなくても2人以上の人の話を聴けると思います。


開放弦には特に注意

 低音の付いたメロディなどを弾く時、押さえている音はあまり間違えないが、開放弦をよく間違える人がいます。ちょっと厳しい言い方をすれば開放弦を弾き間違える人で、ギターが上手になった人はいません。なぜかと言うと、開放弦を弾き間違える人は自分の音を聴いていない人、あるいは聴けない人ということになるからです。

そういう人の場合、

  開放弦=押さえなくてよい=簡単=あまり気を使わなくて良い=どうでもよい=弾かなくても良い

などとちょっと大袈裟かも知れませんが、そのようになってしまう傾向のある人もいます。さらには開放弦を間違える人は自分の間違いに気が付かない人がたいへん多いです。多少なりともそういった傾向のある人は開放弦は特に注意して練習して下さい。


自分の音を聴くのはそんなに簡単ではない

 普通に考えれば、自分で弾いているギターの音は、自分が誰よりも楽器に近いところで聴いているわけですから、一番よく聴こえるはずです。なお且つ自分の意思で、自分の指で弾いているわけですから、CDの音聴くのとは大違いです。ところが実際には、「自分で自分の音を聴く」ということはなかなか難しいことです、それが出来ればギターがずっと上手になるはずなのですが。


現実の音、内なる音

 オーケストラの指揮者は何かの楽器を弾くわけではなく、他の人が弾いた音を「聴く」ことが仕事で、いわば「音を聴くプロ」ということになります。でもある有名な指揮者の話によれば、優秀な指揮者と言えど、いつも自分の指揮しているオーケストラが出している音を正確に聴き取っているとは限らないのだそうです。指揮者がオーケストラを指揮する時は、まずその指揮者がイメージした音、すなわちその指揮者の中での「内なる音」があります。指揮者はリーハーサルなどの際に、それと現実にオーケストラから出される音と照らし合わせ、その違いなどをオーケストラのメンバーに伝えます。「そこはクラリネットもう少し落としてください」とか、「そこの32分音符はもっと短く」などというように。ですから指揮者は現実の音を聴くだけでなく、それと同時に、自分の中の「内なる音」も聴きながら指揮しているわけです。場合によっては「内なる音」に集中するために、現実の音をあまり聴かないこともあるんだそうで、あるいはそれらの二つを混同してしまったりもすることもあるようです。確かに「現実の音」は正確に聴かなければなりませんが、その指揮者自身の中にある音楽というのはもっと大事なもので、指揮者という職業は、単純に今「鳴っている音」を聴くということだけでは済まされないものなのでしょう。


名指揮者の場合は

 「内なる音」を優先させるべきか、あるいは「現実の音」を優先させるべきかは、「理想主義」か「現実主義」かとか、「主観的」か「客観的」かみたいな話ですが、これを実際の有名な指揮者などに当てはめれば、典型的な「内なる音」優先タイプとしては往年の名指揮者、フルトヴェングラーが挙げられると思います。こういう指揮者の場合は団員がちょっとミスをしたとしてもそんなに気にしないでしょうし、また「ここのところの弾き方どうすればよろしいでしょうか」と技術的なことを団員に聞かれても「そんなこと自分で考えなさい! そんなこと私に聞く暇があったら、私の音楽を理解するように努めなさい! それがあなたの仕事です!」なんて言うかも知れません。その反対の「現実の音」優先と考えられるのはドイツの名指揮者カール・ベームなどかも知れません。ベームの演奏は腕利きの家具職人のごとく、音楽をスコアどおりに寸分の狂いもなく仕上げる感じですが、話によれば団員がミスした時など怒り狂って罵声を浴びせかけるのだそうです。ベームにとってはミスなど絶対にあってはならないことなのでしょう。特に新人など立場の弱い人には厳しいのだそうですが、古参の団員、あるいは同郷(オーストリアのリンツ)の団員などには優しいそうです。もちろんこれも、どちらのタイプがいいかなどとは単純に言えない問題でしょう。


やっぱり意欲の問題

 話がちょっと遠くなってしまいましたが、ギターを演奏する人も両方いて、自分の理想のイメージを追いかけるタイプの人と、実際に出ている音をしっかりと聴くタイプの人がいます。また男女でも若干違いがあるようで、私がこれまでレッスンしてきた限りでは、女性のほうが現実に出された音をよく聴いているようで、それに比べ男性の方が自分のイメージに「のめり込む」タイプの人が多そうです。初級や中級の場合でしたら、確かに自分のイメージを追いかける人よりも現実の音をよく聴く人のほうが上達は速いでしょうが、最終的段階ではやはりその人の音楽的イメージが大事になりますので、やはりどちらがいいとも言えません。ただ自分の中に音楽的イメージがあるということはその人の「意欲の強さ」とも繋がりますので、最後の最後にはやはり意欲のある人が上手になるでしょう。もちろんそういう人は「現実の音」をよく聴くということがとても大事になりますが。
今年の予定

 前に書きましたが、今年は11月29日(土)に、ひたちなか市文化会館で十数年ぶりにリサイタルを行います。いろいろなコンサートは最近でも行っていますが、「中村俊三ギター・リサイタル」として行うのは1992年以来となります。一般的には「リサイタル」も「コンサート」同じような意味ですが、私の中では「中村俊三ギター・リサイタル」として演奏会を行うことは特別な意味を感じていて、これまで6回行っています。何年か前から考えてはいたのですが、今年は思い切ってやってみようと思っています。

 ちなみに前回(6回目、1992年5月30日、ひたちなか文化会館)のプログラムは、

グリーン・スリーブスによる幻想曲(中村俊三)
アルハンブラの想い出、マリエッタ、ワルツニ長調、アラビア風奇想曲(以上タルレガ)
アイレ・デ・サンバ、ワルツ第3番、パラグアイ舞曲第1番(以上バリオス)
協奏曲よりカデンツァ、前奏曲第1番、マズルカ・ショーロ、ショールス第1番(以上ヴィラ・ロボス)
オペラ「カルメン」より前奏曲、ハバネラ、間奏曲、終曲(ビゼー~中村編)

といったものでした。

今回のプログラムも8割ほどは決まっていますが、後でまたお知らせしたいと思います。



 石岡のギター文化館でのミニ・コンサートは今年も何回か出演させていただくと思いますが、まず3月2日(土)に出演します。曲目としては、カンタービレ、ソナタホ短調(パガニーニ)、魔笛による主題と変奏(ソル)、大序曲(ジュリアーニ)、亡き王女のためのパヴァーヌ(ラヴェル)、スペイン・セレナード(マラッツ)などを考えています。



 また7月5日(土)にはひたちなか市のアコラでのジヴェルニー・コンサートにゲスト出演の予定で、曲目はコルドバ、赤い塔、セビーリャなどアルベニスの曲を中心に考えています。



 また今年は「中村ギター教室発表会」と「水戸ギター・アンサンブル演奏会」は行いませんが、ギター文化館やアコラなどで演奏出来る機会もあるので、ぜひ出演してみて下さい。


                    
中、上級以上の場合

 前回は運指の基本的な話をしましたが、中、上級になれば当然曲も難しくなってきて、そう簡単に弾けないところも出てきます。またいかにメロディを美しく弾くかとか、なめらかに和音に移るか、あるいは出来るだけミスを少なくするかなど、いろいろ工夫が必要になってくるでしょう。指使いの違いにより、その部分がかなり弾きやすくなったり、使う弦の違いによりニュアンスがいろいろ変わってきたりもします。

 また練習では問題なく弾けるが、ステージでは弾けなくなりやすい指使いというのもあります(どちらかと言えば右手の方に多いのですが)。また手の大きさや柔軟性など、人によって弾きやすい運指も異なってきます。運指は常に一つではなく複数あり、その中から最良のものを選択するということも学ばないといけません。使う指、つまり左指の番号だけでなく、実際の指の動かし方などにも工夫は必要です。たとえば、次の指の準備の仕方などによってもかなり押さえやすさが変わるでしょう。



ハイポジションの使用や、複雑な運指が必ずしもよいわけではない

 ローポジションでも弾けるところでもハイポジションを多用したり、かなり複雑で、凝った運指で弾く人、またそのような運指が付けられている譜面もありますが、ハイポジションが必ずしもローポジションよりよいわけではありませんし、いかにも上級者的で複雑な運指が高度なものというわけではありません。シンプル・イズ・ベストで、指が動かしやすいというだけでなく、頭でも理解しやすい運指のほうが実用的です(運指が複雑だと、いざという時に混乱しやすい)。また、ハイポジションは音色が柔らかく、ヴィヴラートもかかりやすい、ポジション移動が少なくて済むなどのという長所もありますが、逆に、音がクリヤーでないとか、音程が狂いやすい(技術しだいでかえってコントロールしやすい点もありますが)などの欠点もあります。やはりいろいろな諸条件を考慮した上で決めないといけません。



開放弦を有効に活用

 開放弦は音が汚いといって、開放弦の使用を避ける人、あるいはそうした運指が付いている譜面もよくありますが、これもまた場合によってだと思います。開放弦の使用によってレガートな演奏が出来たり、ポジション移動が楽にできたりもします。また開放弦の使用は左手をリラックスさせる利点もあります。開放弦がきれいに出ないのは別の問題と考えたほうがよいでしょう。ただし開放弦を使用した時の音色や音量のギャップには十分注意する必要はあります。



運指を決めるのは耳

 その運指が弾きやすいかどうかということは、単純に指が動かしやすいかどうかではなく、音楽的なイメージと大いに関係があります。その部分のイメージがうまく自分のイメージにはまらない時、「この運指は弾きにくい」と感じます。例えばその人がその方法ではどうしても音が切れてしまうような運指で弾いているとします。その人が「何か変だな、あ、音が切れてしまっている」と気が付けば、「この運指よくないな」と思うはずです。しかし音が切れていることに気が付かなかったり、気が付いても別に変だと思わなかったりすれば、「この運指よくない」とも、また運指を変更しようとも思わないはずです。というわけで当然の結論と言えるかも知れませんが、一番大事なのは「自分の音を聴く」ということに尽きるでしょう。最終的には運指は「指」で決めるのではなく「耳」で決めるものだと思います。


 



 明けましておめでとうございます。久々に本格的に寒いお正月です、どんなお正月をお過ごしでしょうか。さてそれでは今年最初の更新ということで、お正月にふさわしい話題から始めましょう。

ドビュッシー:海

 元日といっても、もともと便宜上決めただけ、特に他の日と変わりがあるわけではありませんが、もの心付いた時から1月1日は特別な日とされてきたので、やはり私の中ではどこかいつもとは違った日と刷り込まれてしまっているようです。いつ頃からでしょうか、元日の朝(要するに元旦ですが)は決まってドビュッシーの「海」を聴くようになりました。

 ドビュッシーの音楽はたいへん美しい音楽で、私自身でも好きな音楽ですが、モーツアルトやベートーヴェンなどに比べれば聴く機会はやや少なく、私の中では美しいすぎて、どことなく敷居の高さを感じています。ドビュッシーの音楽はヨーロッパの音楽史上でも独自の位置を占め、他に類する作曲家はいないのではないかと思いますが、その音楽の透明感、清潔感は、何か身を切るような厳しささえ感じます。

 どのようなきっかけでこの曲を元旦に聴くようになったか記憶は定かではありませんが、たまたま聴いたらその時の気分とぴったりあったのかも知れません。この無色透明で、厳しいまでの美しさは、これから始まる1年の幕開けにふさわしい感じがしたのでしょう。いつの日からか、新年最初の朝にぶ厚い新聞のページをめくりながら、このドビュッシーの「海」を聴くのが習慣になっています。

 ドビュッシーの曲でも特にこの「海」になった理由を考えてみると、一つは「海」と言えば初日の出を連想するのかも知れません。またCDのケースには北斎の富士の絵があったりして、それが元旦のイメージと重なったのかも知れません。理由ははっきりしないのですが、聴いてみるとやはり元旦のイメージに重なるのです。同じ元日でも午後ではちょっと違うと思いますし、2日、3日でも違うと思います。やはり元日の朝で、出来ればお雑煮を食べる前がいいと思います。もしかしたら、いつも起きるのが遅い私にとっては、これが初日の出を拝む代わりなのかも知れません。ドビュッシーの管弦楽曲には他に「夜想曲」、「牧神の午後」、「管弦楽のための映像」などがありますが、やはりこの「海」が元旦にはよく似合うようです。


ヨハン・シュトラウス:ワルツ集

 私がいつもお正月の聴く音楽としては、他にヨハン・シュトラウスのワルツなどもありますが、これはご承知のとおり、ウイーン・フィルののニューイヤー・コンサートなどでもおなじみで、一般的にもお正月の音楽のイメージがあると思いますが、やはりお正月にはなくてはならない音楽だと思います。シュトラウスのワルツやポルカを聴くと、子供の頃遊園地に行った時のわくわく感のようなものを今でも感じて、私の好きな音楽の一つです。このシュトラウスの晴れ晴れとした感じはやはりお正月には欠かせないものではないかと思います。シュトラウスのワルツには「美しき青きドナウ」、「ウイーンの森の物語」、「皇帝円舞曲」、「南国のバラ」など楽しい曲がたくさんありますが、和つぃ個人的には「春の声」などが最もメルヘンを感じます。もちろんポルカや行進曲にもわくわくする曲はたくさんありますが、シュトラウスの曲を聴くのは、同じ元日でも午前中ではなく、午後のほうがよりふさわしいと思います。


イーゴリー・ストラヴィンスキー:春の祭典

 いつもではありませんが、ストラヴィンスキーの「春の祭典」などもよくお正月に聴きます。この曲を最初に聴いたのが、学生の頃たまたまお正月に帰省していた時に、テレビでやっていたのを聴いたからなのかも知れません。たまたまテレビをつけたらなんかすごい曲をやっている、いったいなんだこれは、これは音楽なのか、と訳の分からないうちに最後まで聴いてしまったように思います。この曲が初演された時も、かなりセンセーションをまき起こしたそうですが、私が初めて聴いたときもかなり衝撃を覚えました。その頃はまだあまりいろいろな音楽を聴いていなかった頃だったので、こうした曲はちょっと刺激が強すぎたのかも知れません。3歳児が激辛カレーを食べたようなものかも知れません。

 その曲がストラヴィンスキー作曲のバレー音楽「春の祭典」であるということは少し後になってからわかりました。それから1、2年してからズビン・メータ指揮、ロサンゼルス・フィルのLPを買いました。これはアルタミーラの壁画をあしらった豪華なジャケットに入っていて、録音も最新式のマルチなんとかというもので、当時の私の粗末な装置(今もあまり変わりませんが)でも、結構いい音が出たように思います。メータはインド出身の指揮者で、最近はどちらかといえば、堅実で穏健な指揮者といったイメージですが、この演奏は速めのテンポで突き進み、オーケストラも華麗に鳴らして、まさに新進気鋭の指揮者といった感じでした。このLPを隣りの住人(同じ大学の学生ですが)の迷惑などまったく考えず結構な音量で聴いていた記憶があります。

 ストラヴィンスキーといえばバルトークやシェーンベルクなどと並び、現代音楽の有名な作曲家の一人となっていて、この「春の祭典」も代表的な現代音楽というイメージがありますが、よく考えてみればこの曲の作曲が1913年で、それからもう100年近く経っています。100年も前の曲を「現代音楽」と呼ぶのはちょとおかしいでしょう。とはいっても普通聴いているモーツアルトやベートーヴェン、ブラームスなどと比べればやはりぜんぜん違った音楽なので、とりあえずはそう呼ぶしかないのかも知れません。狭い意味での分類としては「バーバリズム」と呼ぶこともあり、確かに内容とあってはいますが、他に含まれる曲も作曲家もほとんどいないのが欠点です。

 この曲を聴いたことのある人はわかると思いますが、この曲は不規則で激しいリズム、和声も楽器法も含めた激しい音響、文字通り大地から湧き上がるような生命力、躍動感と言った曲で、好きか嫌いかは別にして、誰が聴いても印象的、あるいは衝撃的な曲だと思います。この曲というとどうしてもその衝撃的な部分だけクローズアップされがちですが、よく聴くと結構馴染みやすい曲でもあります。例えば、シェーンベルクの無調、あるいは12音技法の曲だと何回聴いても(そんなに何回も聴いたことはありませんが)そのメロディ(メロディがあればの話ですが)などが覚えられません。それに比べ、「春の祭典」では主要なメロディは覚えていますし、口ずさむことも出来ます。この曲は以外と親しみやすいメロディの断片から出来ていて、それを激しいリズムと音響で装ったようになっています。確かにこの曲の特徴、あるいは魅力は躍動感あふれるリズム感、そして鮮やかな原色系のオーケストレーションということになりますが、それらの構成要素としては馴染みのあるテイストも使用していて、それらのこともこの曲の人々を引き寄せる要素となっているようです。

 この「春の祭典」はこれまでは、「新時代を築いた衝撃的な前衛作品」とか、あるいは「訳のわからないハチャメチャな現代音楽」などと言われたりもしていましたが、これからはきっと「躍動感あふれる華麗なオーケストラ曲」とか「民謡をふんだんに使った親しみやすい楽しい曲」といったイメージに変わってくるのではないかと思います。お正月の話からそれてしまいましたが、年の初めに「今年もがんばるぞ」という時には、この曲の躍動感あふれる感じが最適なのではないかと思います。