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中村俊三 ブログ

中村ギター教室内のレッスン内容や、イベント、また、音楽の雑学などを書いていきます。

今日はリサイタルの演奏曲目の話をするつもりだったのですが、その前にちょっと気になる事を。


 ブログを始めてから1年とちょっとになりますが、相変わらずインター・ネット関係にはあまり詳しくならず、また自分でブログなどやっていて何ですが、他の人のブログを見るのも知り合いの人、数人程度くらいで、他の人がどんなブログを書いているのかも、あまりよくわかっていません。


 ブログを読むといっても最近書いた記事だけを読むのが普通と思っていました、私も他の人のブログを読む時にも何ヶ月も前のものをさかのぼって読んだ事はありません。したがって私のブログも何ヶ月も前に書いたものなど読む人はいないのじゃないかと思っていたのですが、どうもそうではないようです。特に最近、拍手を相当古い記事にしていただくことが多く、少なくともそれらの記事を今でも読んでいる人がいるということなのでしょう。ブログの検索のしかたはいろいろあるのでしょうから、検索のしかたによっては特に不思議なことではないのかも知れませんが。


 今年に1~5月にかけて「私のギター修行」ということで、私がこの仕事に就くまでを書いたシリーズがあり、そこで私が物理の授業についてゆけなくなった話がありますが、なぜか最近そこへの拍手が多いようです。


 私がこの「私のギター修行」を書いた理由としては、よく生徒さんなどから、 「先生はやはり音大をご卒業なさっているのですか?」 などとか、 「先生は海外に留学などされたのですか?」 とか、 「コンクールなどで入賞とかもされたのでしょうね?」 などとたずねられたりすることもあります。その度に 「いえ、普通の大学です・・・・落ちこぼれですが」 とか 「特には・・・別にどこにも・・・」とか 「とんでもない!」 と返事に窮することになります。よくそれでギター教室などやっているなと、誰しも思うのではないかと思います、私自身もそう思いますから。


 と言うように、私がこの仕事をしている理由を手短にはなかなか話せないので、このシリーズを書こうと思ったわけです。だからといって「自称ギタリスト」には変わりありませんが。


 話は戻りますが、このシリーズの中で、私がギターに夢中になっていた話よりもこの物理学科の話のほうに拍手が多いのはなぜなのでしょうね、もしかしたら同じような経験をされた方も多く、共感していただいた点もあったのかもしれませんね。


 確かに私は子供の頃から理数系には自信(過信?)があって、将来はそっちの方に進むと決めていました。大学に入ってからその自信も過信も根底から覆されました。最も得意だったはずのものが最も不得意なものになってしまったわけです。もちろんそれにはギターが大きく関係してくるわけで、大学に入ってから、ギターに対するような意欲は、最後まで物理には湧かなかったのも事実です。今現在でも私自身の潜在能力は音楽よりも物理のほうがあると思っています(相変わらず過信?)。しかし人間の「潜在能力」を「顕在能力」に化学変化させるには「意欲」という触媒が絶対に不可欠なのでしょう。


 人間、挫折と成功はとなり合わせなんて言いますね(誰も言っていないかな?)、もっとも私の場合、挫折は経験していますが、成功にはとんと縁がないようです。しかし今日のこの日まで自分の好きな仕事をずっとやってこられたということは、やはり成功なのでしょう、いや間違いなく大成功でしょう! ・・・・今までのところ。

 

 
 
 
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 このところさすがにリサイタルのための練習などで、当ブログの更新の間隔か空いてしまいました。そのリサイタルまでにはまだまだ日にちがあるのですが、今度のリサイタルは長期的に準備しているものなので、告知のほうもそろそろ、また長期にわたり、やりたいと思います、ただ更新はまばらになると思いますが。


 まず16年ぶりにリサイタルを行う事にしたいきさつなどから始めたいと思います。
 

 私が最初にリサイタルを行ったのは1976年、25歳の時で、大学を卒業した次の年です。ギター教室の仕事は大学在学中からやっていましたが、大学を卒業して、本格的にこの仕事を始めるということを、周囲の人に知ってもらうためということが主な理由です。もっとも自分の演奏を他の人に聴いてもらいたい、演奏会を行いたいというのは、特に理由なく私の中にあったものだと思います。


 リサイタルとは「独奏会」といった意味で、言葉としてはそれ以上のものはないのですが、私の中ではそれ以来、「リサイタル」と銘打ってコンサートを行うのは特別なものになりました。もちろんそれ以外にもそれなりにコンサートは行ってきたのですが、それらは複数の出演者で行ったり、また特定の人達を対象としたものだったり、あるいは少人数の人に聴いてもらうコンサートなどで、その場合、曲目などもその場の状況に応じたものとなります。私がこれまでリサイタルを行う場合は、少なくとも1年以上前から計画し、その時点での自分が出来る最高のものを、なお且つ一つのまとまったコンサートを行うというように考えてきました。そのようにして1976年以来3~4年位の間隔でリサイタルを行い、1992年までに計6回行いました。


 第1回目のリサイタル(1976年)は県民文化センターと故郷の栃木市民会館で行いましたが、曲目は「魔笛」や「アストウリアス」、「アルハンブラの思い出」、「スペイン舞曲第5番」など、いわゆるギターの名曲的なものが中心で、ヴィラ・ロボスの練習曲などがやや目新しいところだったかも知れません。演奏のほうもまだまだだったと思いますが、結構たくさんの人が聴きに来てくれて、もしかしたら6回のリサイタルでは最も観客が多かったかも知れません。とても緊張し、またとても疲れた記憶があります。


 6回のリサイタルの中には思ったように弾けず、後悔の残った曲や、そこそこ弾けたと思う曲、また「今ではもう弾けないな」と思う曲などもあります。特にアルペジオやトレモロなどの曲は30代くらいの方が今よりクリヤーに弾けていたと思います。あまり認めたくはないのですが、やはり肉体的な衰えはあるのでしょう。第3回目(1983年)でバッハのリュート組曲第2番を弾いた時は自分ながらに本当によく練習したと思います、今より仕事も少なく、体力もあったせいもあると思いますが。長大なフーガを有する本当に難しい曲で、音楽的にはどうかという点もありますが、後からテープを聴いてみると、全曲を通じてさしたるミスもなくなんとか弾ききれています。


 1992年に行った第6回目のあと今回まで16年ほど間があきましたが、その頃になると創がプロを目指してコンクールに出たり、コンサートを行うようになりました。その頃私はどちらかといえばそのバック・アップをするようになり、自分で演奏する機会は少なくなりました。一時期はほとんどコンサートなどを行わないこともありました。2000年を過ぎると、創が家をあけることも多くなり、その頃になるとまた少しずつ演奏もするようになりました。2003年には県立図書館で無料のものですが、定期的に演奏する機会をいただき、その後アコラやギター文化館などでも演奏する機会を時々いただきました。多少なりともまだ私の演奏を聴いてくれる人がいるのかなという勝手な思い込みから、最後に(本当に最後になるかどうかはわかりませんが)もう一度、自分の力のすべてを出し切れるリサイタルをやってみようという気持ちが出てきました。


 と言ったように、構想から5年以上かかって実現したリサイタルということになります。曲目などは最初に考えたり、練習していたものとだいぶ変わってしまいましたが、バッハのシャコンヌだけは最初の構想の時からありました。私には難しすぎるので、かわりに他の曲を練習していた時期もありましたが、「これが弾けないならリサイタルはやめよう」と考え、またプログラムに入れました。


 また長々と個人的なことを書いてしまいましたが、次回からは演奏する曲目について詳しく書いてゆきたいと思います。

 
 
 
 ずい分と暑い日が続きます。私の方は8月9日~17日まで9日間お盆休みという事になるのですが、もちろん休んでなどいられません、旅行(9~10日)とか、墓参りなどはありましたが、それ以外はほとんど練習の毎日となっています。これまでかなり練習してきた曲ですが、こちらが出来れば、あちらがイマイチとか。細部がなんとかなると全体像が変とか、ともかく練習する内容には事欠かないようです。

 同じ曲を何度も練習しているとどうしても集中力がなくなってきてしまいます。なんとなく最後までひいてしまったり、繰り返しなどを間違えてしまったりなど。確かに何度も弾いた曲は何にも考えなくても弾けてしまいます。しかしそういったことは大きな落とし穴であることは前にも言ったかも知れません。何も考えずに弾いていたのでは進歩は全く期待できませんし、問題点も解決しません。また何も考えずに弾いていると、考えた時に弾けなくなってしまいます。

 そんなことは自分ではわかりすぎるくらいわかっているのですが、実際に練習を始めると、いつのまにかまた指だけで弾いてしまっています。練習を長くやる事そのものは特に苦痛ではないのですが、長い時間”集中”して練習するのはとても辛いものがあります。人間の脳というのはとてもサボりたがる器官なのでしょう。

 もちろん長い時間練習すれば、指や腕などが痛くなり、時にはひどい肩こりや腕の痛みなどでギターが弾けなくなることもありますが、今のところそうならずに済んでいます。なるべく疲れきる一歩手前で練習をやめるようにはしていますが、このところ次の日まで疲れや痛みが残ることはなく、なんとか助かっています。肩こりなどは練習量だけでなく、その時の体調など微妙な関係で起きたりするものなのでしょう、あるいはこのところの暑さが疲れをとってくれているのかも知れません。


 そんな毎日ではありますが、9、10日はかつてのギター部の仲間と顧問の先生などと蔵王の方に行ってきました。その顧問の先生の退官祝い(記念?)ということでした。その先生は私が2年生の時に茨城大学に新任した先生です。本当に時の流れは速いものです。かつてのギター部の仲間といっても彼らとギターの話をすることはほとんどなく、マージャン仲間といったほうが正確でしょう。

 蔵王の近くに山寺というところがあり、ここは芭蕉が俳句を詠んだ寺で有名なんだそうです。ふもとのお土産屋さんの話によれば山頂の寺までは1015段の階段があるんだそうです。それを聴いた時私は「ウソだろ、115段の間違いじゃないの」と言ったのですが、時すでに遅しで、登らざるを得ない状況になってしまいました。確かに私も昔は足腰には自信があったのですが、ともかくこのところは階段や山道どころか、ほとんど外出することもなく、数メートル程しかないレッスン・スタジオと母屋の間を数回程度往復するだけの毎日。千段以上もある階段など登ったらいったいどうなるのだろう、仮に登れたとしてもその後どうなるかも恐い。

 登り始めてみると階段はそれほど傾斜が急ではなく、比較的登り易い。もっとも私よりもっと年配の人もたくさん登っているようです。意外なほど疲れずに登って、降りて来られ、その後も特に筋肉痛など起きなかったので、まだまだ私にも普通の人(年配者?)程度の体力はあるのかも知れません。


 さて肝心のマージャンの方ですが、私の場合、長年やっているわりには全く強くも、上手くもなりません。数字を読み間違えたり、他の人の手の進み具合など全く気にしていなかったりなど、どうもマージャンには向いていないようです。じゃあ何に向いているのかと言われても困ってしまいますが。

 そのメンバーの一人のK君は学校の先生をしていて、マージャンの時にはとても嫌味なマージャンをやります。ある時K君の学校で私がギターの演奏をすることがあって、K君の学校に行ったのですが、職場で見るK君は普段のK君とはまるで別人、もっとも私の方でも普段は呼び捨てなのにその時ばかりは 「中村と申しますが、K先生いらっしゃいますか」 といった感じでしたが。

 K君の言葉遣いや立ち居振る舞いだけでなく、その細心の気遣いにはとても驚きました。またその学校の中では他の先生などからとても信頼されている様子も強く感じられました。その時 「なるほど、これではマージャンは勝てないな」 と文字通り脱帽でした。

 このマージャン旅行は、私はチョンボなどを連発しながらもツキにだけは恵まれ、若干勝って帰りました=それも実力のうち! また車での行き帰りに、彼らから、仕事の話、子供の頃の話、現在の教育の問題点などいろいろな話も聴けました。
昨日(8月3日)ギター文化館で佐藤純一ギター・リサイタルを聴きました。演奏曲目は以下のとおりです。

フェルナンド・ソル : 12のメヌエット作品11より
             第1番 ト長調
             第2番 ト短調
             第3番 ト長調
             第4番 ニ長調
             第5番 ニ長調
             第6番 イ長調

             練習曲 ハ長調 Op.6-8  (セゴビア番号 1)
             練習曲 ロ短調 Op.35-22  ( 5 )
             練習曲 イ長調 Op.6-6  ( 12 )
             練習曲 イ長調 Op.6-12  ( 14 )
             練習曲 ホ短調 Op.6-11  ( 17 )
             練習曲 変ロ長調 Op.29-1  ( 19 )
             練習曲 ハ長調 Op29-5  ( 20 )
       *Op.6-6、およびOp.29-1はプログラムには記されていませんでした。

             魔笛の主題による変奏曲 作品9

      ・・・・・・  休憩  ・・・・・

アウグスティン・バリオス : 大聖堂

フランシスコ・タルレガ : グラン・ホタ
               : アルハンブラの想い出

カルロ・ドメニコーニ : コユンババ


       * アンコール曲として

アウグスティン・バリオス : ワルツ第3番 

フランシスコ・タルレガ : アラビア風奇想曲

ローラン・ディアンス : タンゴ・アン・スカイ


 以上のようにかなりのボリュームのコンサートで、特に前半はソルの作品、計14曲で50分は超えるものでした。楽器は1829年製のルイス・パノルモを使用とのことで、楽器の構造上、大きな音は出せないと言っていましたが、低音や高音の主旋律はよく聴こえていました。主にアルペジオなどの中音域はかなり抑えられていましたが、それは楽器上の問題ではなく、演奏者の意図と考えるべきでしょう。佐藤君の演奏はそうした楽器の関係もあってか、どちらかと言えばソフトな音楽になっています。

 ソルの名曲「魔笛の主題による変奏曲」は佐藤君が1992年に学生ギター・コンクールの大学生の部で優勝した時の曲、私もその時会場にいて聴いていました。その時審査委員長をしていた今は亡き阿部保夫先生が「特に序奏が良かった」と言っておられたのを記憶しています。この日の演奏も全体にとても自然な音楽に聴こえていました。

 後半の演奏では特に「グラン・ホタ」が印象に残りました。左手のみのレガート奏法、親指の爪を効果的に用いたタンボラート奏法、猫の鳴き声を模したグリサンド奏法、スネア・ドラムを模した奏法などたいへんすばらしく、会場に来ていた人たちもたいへん楽しまれたのではないかと思います。

 最後のコユンババも久々に聴きましたが、技巧に走りすぎる事もなく、じっくりと音を聴かせていました。この曲は今井勇一氏の楽器を使いましたが、その重厚な音は曲によくあっていた感じでした。なおタルレガとバリオスは田邊雅啓氏の製作の楽器使用とのことでした。

 

                          

 11月29日の私のリサイタルのチラシ、およびチケットが昨日出来上がりました。



                       チラシ


 写真はひたちなか市の田澤純さんに撮ってもらいました。田澤さんは音楽関係の写真には定評のある方で、芸術館関係の写真もよく撮っていらっしゃいますが、福田先生(福田進一氏)の「シャコンヌ」のCDの写真も撮っています。先日は芸術館を被写体とした、「タワーのある風景」という写真展を行いました。私のチラシの写真も、粗末な被写体にもかかわらず、なかなか(それなり?)のものになっているように思います。

 これからリサイタルの内容などについて詳しく書いて行きたいと思いますが、とりあえず今日はチラシの紹介だけにしておきます。


 なおチケット(2000円)取り扱いは中村ギター教室の他

ひたちなか市文化会館
ギター文化館
ヤマハミュージック関東水戸店
双葉レコード(常陸多賀)

などです(8月中旬発売)。