アルベニス : グラナダ
南部スペインの都市の名
アルベニスの2曲目は「スペイン組曲作品47」の第1曲目「グラナダ」です。アルベニスの曲にはスペインの地名などが付けられているものが多いですが、この曲も南部スペインの都市の名が付けられています。グラナダには有名なアルハンブラ宮殿がありますが、残念ながら私は行ったことがありません。
最初の編曲者はタルレガ
この曲はタルレガがギターに編曲していて、アルベニスの生存中から演奏されていたようですが、現在このタルレガの編曲で演奏している人はあまりいないようです。原曲から少し離れているのと、結構弾きにくい点があるからだと思います。セゴビアもタルレガ編の影響は受けているでしょうが、自らの編曲で弾いています。最近ではマヌエル・バルエコの編曲で弾いている人も多いと思います。
私が最初に弾いたのは
私の場合、この曲は学生の頃から練習していて、当時はこのタルレガ編しかなかったので、これで弾いていたのですが、なかなか難しく、ちゃんと弾けなかった気がします。そのうち別の譜面を買ったり、また原曲のピアノの譜面を買ったりし、それらを基になんとか自分に弾けるようになおして弾いていました。編曲というより、弾きやすいようにいろいろな譜面を折衷したというのが正しいかも知れません。1976年の最初のリサイタルではそうしたもので弾きました。
マヌエル・バルエコ編
1980年代になってから上記のバルエコの譜面が出たので、それ以降は、そのバルエコ編を基に、それを若干修正した形で弾いていました。というわけでつい最近まで(今年の7月のアコラのコンサートの時まで)その編曲で弾いていましたが、改めて原曲の譜面を見直すと、バルエコの考え方と私のそれでは大きな隔たりがあることに気付き、改めて編曲をしなおすことにしました。リサイタルも真近に迫っていて、こんな時に大幅な譜面の変更などしたくはなかったのですが、納得行かない譜面で演奏することも出来ないので、実行しました。編曲自体は難しくも何ともないのですが、問題は自分の中の記憶の変更です。
編曲しなおし
確かに中間部ではギターの音域の関係で原曲に近い形に伴奏を入れるのは難しく、バルエコは和音の拡大解釈をしています。確かに聴いた感じではそれほど違和感はないのですが、そんな無理をしなくとも伴奏が付けられると思います。また特に気になるのは中間部の終わり、つまり冒頭に戻る8~5小節前のところで、原曲ではここはヘミオラ (ここだけ8分の3拍子ではなく、4分の3拍子) になっていると思うのですが、バルエコ編をはじめ、タルレガ編、セゴビア編などみな、8分の3拍子的な編曲になっています。また後続の4小節で、同じメロディが1オクターブずつ上がりながら3回出てきますが、これもギターでは演奏しにくいので、セゴビア編、バルエコ編では2回目をオクターブではなく5度で弾いています。これも聴いた感じでは結構自然に聴こえるのですが(慣れてしまったせい?)、私の編曲ではあえてオクターブずつ上がるようにしました。
レ=シャープ? レ=ナチュラル?
また中間部に入ってから10小節目のところの5個目の16分音符、ギター譜(ホ長調版)ではレ#になっているところですが、ここのところをラローチャなどのスペインのピアニストは「レ=ナチュラル」で弾いています。セゴビアもそう弾いています。ピアノの譜面でもここはレ#(移調すれば)となっていて、それで弾いているギタリストも多く、どちらが正しいのかはわかりません。でもスペインの演奏家たちが「ナチュラル」で弾いているとすれば、それに従うしかないかなと思い、私もナチュラルにしました。
自然に聴こえれば
ちょっと細かい話になってしまいましたが、結論から言えば私の編曲はそんなに変わった感じはしないと思います。自然に聴こえてくればそれが一番いいかなと思います。
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昨日(9月28日 日曜日)ギター文化館で福田進一ギター・リサイタルを聴きました。なんといってもわが国のトップ・ギタリストの福田進一だけあって、会場は超満員でした。曲目は以下のとおりです。
武満徹 : 森のなかで
グラナドス : スペイン舞曲第5、12、1番
アルベニス : セビーリャ、アストゥリアス
武満徹 :フォリオス
J.S.バッハ : シャコンヌ
ブローウェル : ハープと影~武満徹へのオマージュ
アンコール曲
ヴィラ・ロボス : ワルツ・ショーロ
ファリャ : ドビュシーの墓に、 粉屋の踊り
ブローウェル : 11月のある日
ディアヴェリ : メヌエット(ソナタ第2番より)
最初に演奏された武満の「森のなかで」は作曲者の最後のギター曲だということで、音楽的には高度な内容の曲と言ってよいと思いますが、難しい曲ながらも、美しい曲だと思いました。また福田氏の演奏はその武満の音楽の真価を十分に引き出したもののように感じました。「フランス印象派の音楽と日本の伝統文化の融合」ということが言えるのかも知れませんが、やはり武満徹独自の響きの世界とも言えるでしょう。この曲の中心になっている「レ♭」はドイツ語読みで「des」となり、「死」を暗示したものと福田氏からの説明がありました。
グラナドスのスペイン舞曲は、もともとはほの暗いスペインの「影」を感じさせる曲だと思うのですが、福田氏の演奏は速いテンポで軽快な舞曲の側面が強調されています。アルベニスの2曲も同様に速いテンポで軽快に演奏されました。
武満徹のもう一つの作品「フォリオス」は作曲者の最初のギター曲で、バッハに因みドイツ語読みで「B、A、C、H」の4つの音が中心になっているそうです。最後のところでは謎解きのようにバッハのマタイ受難曲の一部が現れます。「森のなかで」は純粋に響きの世界といった感じですが、こちらは「音の動き」の方に重点があるように感じました。
バッハのシャコンヌは福田氏自身の編曲で低音の追加以外に装飾なども自由に付け加えられていました。勢いのある演奏でした。
最後はキューバの作曲家、レオ・ブローウェルの武満徹に因んだ曲ですが、聴いた感じではブローウェルの音楽そのものといった感じに聴こえました。
アンコールには上記の5曲が弾かれ、コンサートの「第三部」といった感じで、超満員の聴衆もそれぞれとても満足したのではないかと思います。コンサート終了後はギター製作家のカズオ・サトー氏も加わり、愛好者たちとの歓談となりましたが、両氏から音楽論や楽器論などを伺い、同席した愛好者にはとても刺激になったと思います。
余談ながら福田先生には息子(創)が長い間お世話になり、いろいろ問題児ながら本当によく面倒見て下さいました。それは決して言葉で言えるものではないのですが、先生には私も数年ぶりにお会いし、そのお礼やら、お詫びやら申し上げました。
イサーク・アルベニス : アストゥリアス
リサイタルの後半はアルベニスの作品6曲ですが、アルベニスの作品はギターのオリジナル曲ではないにもかかわらず、ギター曲としてたいへん人気の高い曲、また何といっても私がこれまで特に力を入れて取り組んできた曲でもあります。
前奏曲? アストゥリアス? レーエンダ?
その1曲目はギターで弾くアルベニスの作品の中でも最も人気の高い「アストゥリアス」です。アストゥリアスについても昨年当ブログで詳しく書きましたが、少し付け加えておきます。アストリアスは1895年頃出版された「スペインの歌Op.232」の第1曲目「プレリュード」として作曲されました。1893年前後の作曲と考えられます。さらに作曲者の死後ドイツの出版社により、「スペイン組曲Op.47」に「アストゥリアス=レーエンダ」と題され、組み入れられました。
アストゥリアスはスペイン北部の地方の名前、レーエンダは英語で言えばレジェンドで、「伝説」といった意味。この曲は聴いてわかるとおり、フラメンコ的な曲で、もしグラナダやコルドバのようにスペインの地名が付けられるとすれば、当然南部スペインのアンダルシア地方の地名が付けられるべきなのですが、フラメンコとは全く縁のない北部スペインの地名が付けられています。そう考えるとこの曲名は若干矛盾することになります。レーエンダの方は抽象的な言葉ですから、特に矛盾することもありません。
したがって、この曲の名称としては、最も正しいのは ”『スペインの歌』より『前奏曲』” で、スペイン組曲の方の名前をとった場合でも『アストゥリアス』ではなく『レーエンダ』のほうをとったほうが矛盾しないということになります。しかし一般的にこの曲は『アストゥリアス』として親しまれ、私自身でもこれまでそう呼んできたので、今回もこの曲名でプログラムに載せました。ちなみにアンドレ・セゴビアは『レーエンダ』としているようです、やはりスペイン人なのでしょう。『前奏曲』として演奏している人もいます。
セゴビアが最初に演奏?
曲名の話だけで長くなってしまいましたが、この曲がいつ頃からギターで演奏されるようになったかと言うことですが、同じアルベニスの曲でも「グラナダ」や「セビーリャ」はタルレガが編曲していて、アルベニスの生存中から演奏されていたのは確かです。アルベニスとタルレガは同じ没年で、アルベニスはタルレガがギターで演奏するそれらの自分の作品を聴いた可能性は高いようです。
しかし現在では最も人気が高く、またギターに最もよく合うと思われているアストゥリアスのほうはタルレガもリョベートも編曲しておらず、もしかしたら戦前には演奏されていなかったのかも知れません。詳しいことはあまりわかりませんが、はっきりとわかっていることとしては1951年にセゴビアがこの曲を録音しています。これが録音としては初めてのものかも知れません。
編曲の話は以前に詳しく書きましたが、セゴビア以前にこの曲を演奏した人がいなかったとすれば、現在いろいろな出版社から出されているこの曲のギター譜は当然セゴビアの編曲ということになります。しかしその譜面はなぜか「セゴビア編」として出されず、海賊版のような形で編曲者が明記されないまま、あるいは直接その曲集を編集した人の編曲になっていたりしていました。それらの譜面は微小な部分を別にすればほとんど同一のもので、同じ譜面から派生していることがわかります。現在でもいろいろなギタリスト名で譜面が出版されていると思いますが、この譜面と全く違っていたり、少なくとも全く影響を受けていない譜面はないようです。ちなみに1990年代になってから「セゴビア編」として譜面が出されましたが、これは前述の編曲者が明記されていないものと全く同じです。
原曲どおりにしたかったのだが
私も最初は前述の「曲集を編集した人=阿部保夫編」で弾いていたのですが、原曲を知るようになって、原曲とは異なる部分が気になり、特に中間部などはなるべく原曲にそうように少しずつ直して行き、現在弾いているものになりました。主要部(16分音符の)で、前述の低音を簡略化している音*をセゴビアのように原曲どおりにしたいとは思ったのですが、これは実際には演奏が難しく断念しました。また低音の間に入る16分音符の伴奏も全体に統一感をもたせようと、違った形を試みたのですが、これもトラブルが発生しやすく、元のままになっています。結局主要部で変更したのは1ヶ所の音の間違い (ソ → ファ#) を訂正したのとエンディングを16分音符にしたのみで、運指なども一般的なもので弾いています。中間部とコーダは前述のとおり、原曲に近い形に直してあり、一般的なものとはだいぶ違っています。
*8フレットセーハの和音。コード・ネーム的には「C7」。通用譜では低音が「ド」だがセゴビアは原曲に忠実に「シ♭=ラ#」で弾いている。音楽的内容からすればそうでなくてはおかしいが、ギターでの演奏はかなり難しくなる。
出だしだけなら誰でも弾ける
この曲が難しいのかどうかということですが、確かに聴いている人が十分に楽しめるほどにっちゃんと仕上げるのは決して簡単な曲ではないと思います、もっともそれはどの曲も同じでしょうが。ただ音楽としては結構シンプルな部分もあるので、アルベニスの曲のなかでは「とっつきやすい」曲の一つではないかと思います。特に冒頭の部分はほぼ単旋律的で弾きやすく、また格好も付きやすくなっています。発表会やコンサートで弾くとなると、またちがってきますが、中級者などが難しい曲に挑戦してみようなどと言う場合には結構適した曲なのではと思います。
よく「十分基礎が出来ていないのに難しい曲を弾いてはいけない」などと言われます。確かに基礎は絶対に必要なものでそれなしにギターを上達するのは不可能ですが、だからと言って難しい曲や弾きたい曲を弾いてはいけないなどと言う事もないと思います。難しい曲でも弾いてみたいと思ったり、どうしても弾いてみたいという曲があるということは、ギターに対する意欲の表れだと思いますので、決して上達の妨げにはならないでしょう。もちろんそれだけではだめですが。
話がちょっとそれてしまいましたが、この曲が一般的に人気があるのは、聴いっていいというだけでなく、意外と「とっつきやすく」、ある程度ギターが弾ければ、少なくとも冒頭の部分だけは弾く事が出来ると言う事にもあるのでしょう。
バッハ : シャコンヌ ~無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番より
昨日はギター文化館でミニ・コンサートを行いました。とはいっても内容は11月のリサイタルと同じプログラムで、リサイタルの前哨戦といったところです。そこそこ弾けた曲やイマイチの曲などいろいろですが、シャコンヌでは若干ショートカットをしてしまい、ちょっと短いシャコンヌになってしまいました。修正出来なくもなかったのですが、流れををこわしてしまうかなとか、時間も押していたので、そのまま弾いてしまいました。もちろん大いに反省です、一瞬記憶がぼやけたのでしょう。
さて今日はそのシャコンヌですが、この曲については以前に詳しく書きましたが、今回も若干付け加えておきましょう。この曲はバッハ無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番に属する曲で、256小節の長大な変奏曲です。ヴァイオリンは基本的に旋律楽器ですから、演奏する場合は必ずといってよいほど伴奏が付くか、あるいは他の楽器などとのアンサンブルとなります。ですからあえて「無伴奏」とし、ヴァイオリン単独で演奏するのは極めて異例なものと言えます。特にバッハ生存したバロック時代は「通奏低音」といって音楽には低音が絶対に必要とされていたわけですから、「伴奏なし」などということはとんでもないことだったと思います。
当時でも普通じゃない音楽
もちろんバッハはその常識を十分に踏まえた上でこれらの曲を作曲したわけですが、とは言ってもバッハは単旋律の音楽を書いたわけではありません。ヴァイオリンにも和音や低音を演奏することを要求し、また少ない音でもちゃんと複旋律になるように作曲してあります。つまりたいへん高度な作曲技法と演奏技術の上にこれらの音楽はバロック音楽として成り立っているわけです。このシャコンヌは数あるバッハの名曲の中でも名曲とされ、ギターで演奏されるバッハの曲の中でもたいへん人気のある曲ですが、同時にその「特殊性」も理解しておいたほうが良いでしょう。
各変奏で音楽を構成=ドラマテック
このシャコンヌがどのような変奏曲なのかは以前に話したとおりですが、若干付け加えれば、この曲は決してたくさんの変奏の羅列で出来ているわけではないということだと思います。変奏曲には違いがないのですが、その「変奏」で音楽を「構成」しています。決して延々とバッハの作曲技法を聴かされるわけではなく、この曲を聴いている人は、時には厳粛な気持ちになり、また興奮したり、気持ちが穏やかになったり、悲しくなったりなど、この曲の中で一つのドラマを感じるのではないでしょうか。そういった点が多少難解な音楽であるにもかかわらず、この曲が人気の高い曲となっている理由なのではないかと思います。
ピアニストはなぜ自分で?
さて、それだけ人気の高い曲だけあってオリジナルのヴァイオリンだけでなく、他のいろいろな楽器にも編曲され、演奏されています。もちろんギターもその一つで、演奏される頻度からすればヴァイオリンに引けをとらないかも知れません。
次にはピアノですが、ピアノで演奏される時にはほとんどの場合、19世紀末から20世紀にかけての作曲家であるブゾーニの編曲で演奏されます。私がシャコンヌを初めて聴いたのも実はこの「ブゾーニ」編でした。この編曲はロマン派的な作曲技法で編曲されたもので、シャコンヌの編曲としては個性的なアレンジだと思うのですが、なぜほとんどのピアニストたちはこの編曲を使用し、またなぜピアニストたちは自分で編曲しないのかはちょっと疑問です。
バッハがチェンバロで弾いたら
他にはバッハの演奏では評価の高いグスタフ・レオンハルトがチェンバロで弾いています。こちらは「バッハの流儀に従って」編曲されたもので、バッハがシャコンヌをチェンバロに編曲し、演奏したらこんな感じになるんじゃないかなと思わせる編曲と演奏です。組曲全体をイ短調に移調していますが、バッハが他の楽器に編曲する場合はたいてい移調するので、それも「バッハ的」です。声部をかなり付け加えていますが、とても自然=バッハ的に自然です。
ハープもある
ハープで演奏したのシャコンヌというのもあります(アンドルー・ローレンス=キング)。17分ほど時間をかけてゆったりと演奏していて、とても和む演奏です。
編曲しないのも編曲?
この曲をギターで演奏する場合はピアノの場合とは逆にたいていの場合、演奏者が自分で編曲しています。もっとも以前は多くのギタリストはセゴビアの編曲か、それに多少手を加えて演奏していましたが、最近では最初から自分の編曲で弾いている人が多くなりました。その中にはヴァイオリンの譜面を全く変更しないでそのまま演奏する人も少なくありません。「編曲しない」のも一つの方法かも知れませんが、バッハが他の楽器のために曲を移し変える時には、必ずその楽器にあった譜面に書き直しますから、全く変更しないというのは、むしろバッハの流儀には副わないことかも知れません。バッハの音楽、あるいはバッハの時代の音楽に精通していて、勇気もあるなら大胆に声部を付け加えるのも一つではないかと思います。
もしバッハがギターに編曲したら・・・・・
今回演奏する私の編曲ですが、「バッハの音楽、あるいはバッハの時代の音楽に精通」 も勇気もないので、新に声部を追加ともゆかないのですが、前後関係から当然あってもおかしくない程度に低音などを追加しています。それが私の能力からして出来る最大限のところだと思います。聴いた感じからすれば原曲のヴァイオリンの演奏に近いものだと思いますが、ギター的な響きも出せればと思います。もしバッハがギターに編曲したらこんな感じ・・・・・・とは残念ながらゆきませんが。
バッハ : ガヴォット ~無伴奏チェロ組曲第6番より
次にバッハの2曲ですが、ガヴォットが含まれる無伴奏チェロ組曲第6番は5弦チェロのために作曲された作品です。通常チェロの最高音弦は「ラ」になっていますが、このチェロはその上に5度高い「ミ」に調律された弦が存在します。つまり第1弦はギターと同じ調律になっているということです。現在の多くのチェリストはこの曲を通常のチェロで演奏しているわけですが、そうすると常に高いポジションを使用しなければならず、また和音を構成する音の数も多く(5個の場合もある)、たいへん演奏が難しくなります。もっともそのようなことは微塵も感じさせず、演奏してしまうチェリストも少なくはないようです。
チェロで弾くと超絶技巧になってしまうこの組曲ですが、少なくとも、このガヴォットに関しては、オリジナルのまま、ほとんど編曲せずにギターで弾けます。もともとの調律がギターに近いせいか、そのままでギターになじんでしまいます。またもともと低音や和音が多く、特に音を追加しなくとも寂しい感じもしません。技術的にも特に難しくなく、もともとギターのために作曲されたのではないかと思うくらいです。チェロのほうがギターの曲をむりやりチェロで弾いているような感じさえします。というわけで、このギターへの譜面は私の編曲ということになるのでしょうが、実際には”編曲”はしていなくて、調性を含めほとんど原曲どおりです。ただしアンドレ・セゴビアは1音高いホ長調に移調し、和音なども追加して演奏しています。そのほうがより華やかに聴こえるからだと思います。
この曲を今回のプログラムに入れた理由は、大序曲などで入った力や、熱くなった気持ちを押さえる意味と、チューニグを安定させる目的、また聴く人にシャコンヌへの心の準備をしてもらうためです。いろいろな意味で今回のプログラムになくてはならない曲です。
このガヴォットは特にに難しい曲とは言えないでしょうが、「軽快さ」と「重厚さ」の配分とか、ガヴォットⅠとガヴォットⅡとのテンポの関係とか結構悩みますし、意外と音も外し易く、やはりちゃん弾くのはそう簡単な曲ではないようです。もちろん十分な練習も必要です。
マウロ・ジュリアーニ : 大序曲 作品61
パガニーニの後は、同じイタリア出身のギタリスト、マウロ・ジュリアーニの作品です。結果的にはイタリアの作品を並べた形になりましたが、この曲は今回のプログラムの曲のうち、最も後に決定しました。というよりこれまで、多少は練習で弾いていましたが、ステージなどで演奏した事はなく、演奏するのは今回が初めてです。
前半のプログラムで、シャコンヌを弾く事はわりと早い段階で決めていて、練習も数年前から再開していましたが、他の曲としては当初、タルレガ編のショパンなどを考えていて、練習もしていました。2年ほど前にパガニーニの2曲をプログラムに加えることにしましたが、その時点ではショパンも演奏するつもりでした。
しかし、しばらく練習しているうちに、パガニーニ - ショパン - シャコンヌ というのはどうもプログラム的にしっくりと来ない感じがして、ショパンの代わりに何か古典的な作品を置きたいと考え、モーツアルトのピアノのための幻想曲ニ短調(k397)を編曲してみました。曲はギターにもよくあって、とてもよい感じなのですが、弾くのは簡単でなく、ある程度練習してみたのですが、断念しました。でもたいへんギターにはよく合う曲だと思いますので、機会があればいずれまたこの曲に取り組んでみたいと思います。
ソルの「魔笛」やグラン・ソロなども考えましたが、やはりしっくりとはゆかず、結局この大序曲を試してみることにしました。技巧的に難しい曲でもあり、これまでちゃんと弾いた事のなかった曲なので、若干不安もありましたが、一週間ほど練習してみると、何とか弾けそうな気もしたので、やってみることにしました。というわけで今年の1月にこの大序曲が新にプログラムに加わり、この時点で今回のリサイタルの全曲目が決定しました。
こう決まってみると、自分ながらにとても”すわり”のよいプログラムになったように思います。まず”歌の国”の音楽パガニーニ、超絶技巧も垣間見えます。そして同じイタリアの音楽で、軽快さと華やかさのジュリアーニの曲。このジリアーニはこの後の重厚なシャコンヌとの対照にもなっています。そして軽妙なガヴォットをはさんでバッハの大曲、シャコンヌ。この曲はこのリサイタル全体の重心にもなっています。
話を「大序曲」のほうに戻しますが、この曲は序奏とソナタ形式で書かれたアレグロからなります。華麗さと軽快さが特徴のジュリアーニの典型的な曲といえるでしょう。技術的にはなんと言っても軽快な”指さばき”が必要で、若い頃でもなかなか弾ききれなかった曲を今頃弾くのも何ですが、ただ若い頃弾けなかった下行アルペジオの3連符は今は何とか弾けるようです。指が速く動くようになったというより、考え方なのでしょうか。どちらかと言えば若い人向きの曲なのですが、年齢を感じさせない演奏になればと思います。
ちょっと間があきましたが、今度のリサイタルで弾く曲の解説をしてゆきます。本来音楽家は言葉で音楽を語ってはいけないのでしょうが、私の場合演奏だけではわからないことがたくさんあると思いますので、邪道と知りつつ、また長々とやってゆきます。
ニコロ・パガニーニ : ヴァイオリンとギターのためのカンタービレ
ヴァイオリンとギターのためのソナタ・ホ短調 Op.3-6
ニコロ・パガニーニについては、クラシック音楽に興味のある人ならご存知かも知れませんが、19世紀初頭の伝説的なヴァイオリニストで、超絶的な技巧でヨーロッパ中を熱狂させた人と言われています。ショパンやリスト、シューマンなどのロマン派の音楽家たちに大きな影響を与えています。現在よく演奏される曲としては 「24のカプリース」 や6曲のヴァイオリン協奏曲などがあります。またリストが 「協奏曲第2番」 の第3楽章をピアノに編曲した 「カンパネラ」 もよく知られています。
パガニーニと言えば 「ヴァイオリンのヴルトーゾ」 というイメージが強いので、パガニーニがギターも弾いたということは知らない人も多いようですが、ギターの独奏曲、およびヴァイオリンとギターのための作品、またギターを含む室内楽なども多数残されています。今現在ではそれらのCDなども入手出来、興味があればそれらをすべて聴くことが出来ます。
バイオリンを演奏する時には普通ピアノの伴奏が付きますが、パガニーニの場合にはピアノ伴奏のヴァイオリン曲は残っていなようです。パガニーニが基本的にピアノ伴奏で演奏しなかったのか、ただ譜面が残されなかっただけなのか、あるいは私が知らないだけなのかはわかりません。ただパガニーニがギターの伴奏を好んだのは確かなようです。おそらくそのほうがバイオリンがいっそう華やかに聴こえるからなのだと思います。
もちろんパガニーニは伴奏楽器としてギターを用いただけでなく、自らもギターを演奏しており、前述の通り、ギター独奏曲も多数書いています。ただしギター曲の場合はヴァイオリン曲ほど技巧的ではなく、シンプルで弾きやすいものになっています。そうした作品はこれまであまり演奏されることも少なかったのですが、最近ではしだいに演奏されるようになってきて、ジガンデやシュタイドルなどのギタリストがCDに録音しています。因みにシュタイドルは原曲に装飾などをふんだんに加え、ヴィルトーゾ的な作品に仕上げています。
私が今回弾く曲は前述の通り、もともとのギター独奏曲ではなく、ヴァイオリンとギターのための曲を私自身がギター独奏用に編曲したものです。最初の 「カンタービレ」 はヴァイオリンとギターのための作品としてはよく演奏される曲で、ヴァイオリンが美しく、おおらかに歌う曲で、ギターはそのメロディにそっと和音を添える形になっています。ここでのギターは常に脇役に徹しています。 「この美しい旋律をヴァイオリニストに独占されてしまうのは忍びがたい、脇役だって時には主役を張れるんだ」 とばかりにこの曲をギター独奏に編曲しました。編曲そのものは特に難しくはないのですが、歌うのが 「本職」 のヴァイオリンにどう挑もうか、つまりギターをヴァイオリンのように歌わせると言う点ではたいへん難しいかも知れません。ただ挑戦しがいはあると思います。
もう1曲の 「ソナタ ホ短調」 もこの種の曲ではよく演奏され、CDなどもたくさんあります。キューバのギタリスト、マヌエル・バルエコもギター・ソロに編曲し、弾いています。ホ短調の 「アンダンテ」 とホ長調(中間部ホ短調)の 「アレグロ・ヴィーヴォ・エ・スピリトーソ」 の二つの楽章からなりますが、 「アンダンテ」 は 「嘆きの歌」 風で、確かに「泣かせる」メロディです。
「アレグロ・ヴィーヴォ」の方は快活な曲で前の楽章と好対照になっています。ホ長調の部分は重音奏法で書かれ、ヴァイオリンでは相当難しいのではないかと思われます。ギターでは重音そのものは特に難しくないのですが、普通ヴァイオリンで演奏されるスピードで演奏するのは相当難しいものになります。ホ短調の中間部はいっそう技巧的で演奏者の腕の見せ所となります。ここにはヴァイオリンのピチカート奏法で演奏されるところもあり、ヴァイオリンが 「ギターのように」 扱われています。
バルエコ編では特に「アンダンテ」のほうで和声や対旋律などを追加していますが、私の編曲では原曲通りにシンプルな和声を添えています。いずれにしてもこちらの曲はギターによく合う感じで、ギター独奏でもほとんど違和感がないと思います。
石岡市のギター文化館の、9月14日(日)のミニ・コンサートに出演します。曲目としては11月29日のひたちなか市文化会館でのリサイタルと同じものになります。ひたちなか市文化会館よりもこちらのほうが都合の良い方はぜひ聴いて見て下さい。入館料はいつもと同じく800円で、予約などの必要はありません。
ギター文化館 ミニ・コンサート 9月14日(日)
pm.2:00~2:30
パガニーニ : カンタービレ、 ソナタ ホ短調 作品3-6
ジュリアーニ : 大序曲
バッハ : ガボット、 シャコンヌ
pm.4:00~4:30
アルベニス : アストゥリアス、 グラナダ、 カディス、
朱色の塔、 コルドバ、 セビーリャ
*なお曲目解説などは当ブログで書いてゆきます。