中村俊三 ブログ

中村ギター教室内のレッスン内容や、イベント、また、音楽の雑学などを書いていきます。

       本 003


       本 004


② バッハの音符たち
③ モーツアルトの音符たち
④ ブラームスの音符たち
⑤ シューベルトの音符たち    池辺晋一郎 著    音楽の友社



「この本はアナリーゼの本ではない」と言いつつ・・・・

 作曲家で、NHKの番組や、水戸芸術館でもおなじみの池辺晋一郎氏の著作。大作曲家の書いた音符がどういった意味をもっているか、どういった意図で書いているかといったことについて書いています。アナリーゼ的な要素もありますが、本の中では著者は「この本はアナリーゼの本ではないので」と時折否定しています。得意?のオヤジ・ギャグをちりばめての、比較的軽い文章で書かれていますが、内容は決して薄いものではなく、作曲家ならではの視点に立った一歩踏み込んだものです。ほとんどの場合、対象の曲全体について述べているのではなく、著者が気になったある1点について掘り下げてゆくといった書き方をしています。2000年から2006年にかけて音楽の友誌に連載されたものを単行本化したものだそうですが、音楽学者や評論家の見方とは違い、現場の生の声といった感じがします。ここで取り上げている曲は多くは比較的有名な曲ですが、その曲をよく知らないと、文章の意味が少しわかりにくいかも知れません。そうした場合、この本をきっかけにその曲を聴いてみるのも一つかと思います。


ただの装飾音符ではない

 このシリーズ第1作の「バッハの音符たち」ではバッハの作曲の仕方について、著者の気になる視点から書かれていますが、非和声音の使い方、またその意味合い、旋律の構造、フーガやカノンなどにおける高度な作曲技術などについて触れています。またオルガン曲として有名な「トッカータとフーガ ニ短調」では印象的な冒頭のモルデント(ラ-ソ-ラ)が全曲を支配するなど、バッハの初期の作品ですが、非凡な作品であることを書いています。


もしモーツアルトでなかったら

 「モーツアルトの音符たち」では、特にメロディの作り方について書いてあり、自然なメロディとはどう言ったものか、など言ってみれば上行、下行のメロディの運動法則のような点に触れています。またそのメロディに込められたモーツアルトの意図や発想、あるいは天才ぶりを、「もしモーツアルト以外の人が作曲したら」と言った譜例をあげながら論じています。モーツアルトには親しみやすい曲が多いだけに、この文章の意味も比較的理解しやすいと思いますし、この本を読んだ後にはそれらの曲を聴いてみたくなるのではないかと思います。


噛めば噛むほど

 「ブラームスの音符たち」は、決して派手ではないが、凝りに凝った作品、わかりやすそうで難解なブラームスの作品について、そのこだわった細部などについて論じています。最初の交響曲を、その着手から発表までに20年かけたほどの慎重なブラームスですが、たいへんな勉強家で、かなりの教養人でもあったようです。その結果ブラームスの作品には幾重にも仕掛けがなされ、一筋縄では理解出来ないものが多いのも確かです。私も若い頃はブラームスが苦手でしたが(ピアノ協奏曲第2番とか、交響曲第4番とかを別にすれば)、聴けば聴くほど味が出るのも確かでしょう。


18歳の少年が・・・・

 「シューベルトの音符たち」は、作曲することが人生のすべてだったようなこの作曲家の、主にその非凡な表現力について述べています。18歳で作曲された「野ばら」、「魔王」、最も人気の高い作品「未完成交響曲」、ベートーヴェンを意識した「グレート(交響曲第7番)」などのシューベルトの代表的な作品について著者の独自の視点で切り込んでいますが、特に「冬の旅」では、曲集が進むにつれて増してゆく陰惨さを、シューベルトがどのような音で表現しているかを書いています。この曲を聴くための格好の案内書ではないかと思います。


 なおこのシリーズの第5弾の「ベートーヴェンの音符たち」もすでに発売されていますが、私はまだ読んでいません(現在取り寄せ中)。
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本の薦め

 この1年はともかくリサイタルで明け暮れてしまい、本などほとんど読まずに過ごしてしまいました。ぼちぼち読む時間も出来たというわけですが、この機会に私が今までに呼んだ本のうち、特にお薦めしたいものをいくつか紹介したいと思います。本と言っても音楽に関するものが中心で、最近のベスト・セラーとか、人気小説とかはありません。


                本

          ① 名曲に何を聴くか  田村和紀夫著   音楽の友社


 一言でいえば、曲の分析、つまりアナリーゼの本と言えます。ショパンの「別れの曲」やシューベルトの「グレート」、シューマンの「ピアノ協奏曲」などのクラシック名曲を例に、「音楽とテンポ」、「拍子とリズム」、「旋律」、「調性」といった項目で話を進めています。音楽は理屈よりも「聴くこと」や「感じること」、あるいは「楽しむこと」が大事と言われますが、しかしやはり聴くだけではわからないことはたくさんあると思います。音楽に関する本はこれまでにもいろいろ読みましたが、この本で書かれていることは、一つ一つが目からウロコといった感じのもので、とても勉強になるというか、刺激になる感じがしました。各曲それぞれ一つのポイントにしぼって語っていますが、「こんな考え方があるのか」とか「こんなところに作曲者のこんな意図があるのか」とかかなり内容の濃いものだと思いました。


橋柱が橋の上に突き出てしまっては・・・・・

 紹介したい具体例はたくさんありますが、「拍子とリズム」のところでは、ピアニストのパドゥラ・スコダの話として、「旋律を川に架けられた橋に例えると、小節線は橋柱のようなもの」で、橋柱は橋を渡る人には気付かれないが、橋柱がなければ橋は存在出来ない。かといって橋柱が橋の上に突き出てしまったら、その上を車で走れなくなる・・・・・といった話が紹介されています。「小節線」と言っていますが、これは「拍子」と考えてもいいようです。拍子がなければ音楽は成り立ちませんが、かといっていつも1拍目を強く弾いていたのでは、これも音楽にならないということでしょう。


話がとぎれるまさにその時

 ショパンの有名な「ノクターン」のところでは、「話がとぎれるまさにその時、われわれは何らかの合いの手をいれている」と言っていますが、これは歌から始まった音楽には、フレーズがあり、フレーズには必ず息継ぎのための切れ目がある。そこは音楽にとって弱点で、それをカヴァーする意味で何らかの合いの手が入る。この曲の場合は低音の動きがそれに当たるといったことのようです。


一斉に上昇

 またバッハの有名な「アリア」のところで、バッハの曲は普通対位法的に書かれ、対位法的に書かれた曲では仮にソプラノが上行すればバスなどは下行するなど、普通各声部は反行するように動き、この曲もほとんどがそのようになっている。しかし一箇所だけすべての声部が上昇するところがあり、これはそれまで「客観的」だった音楽が「主観的」に動き出したもので、特別な個所だそうです。この曲は何度も聴いたし、合奏などでもやっていてそれなりに把握しているつもりだったのですが、今まで全く気付きませんでした。言われてみれば確かに印象的な部分です。


悲劇は突然、希望とはよいことの予測

 この本の中で最も印象的だったのは、ベートーヴェンの「運命」に関して、「不幸は突然、予告なしでやってくる」~第1楽章、「希望とはよいことを予測すること」~第3楽章から第4楽章への移行部、と述べていることです。第1楽章の有名な動機(運命の動機と呼ばれています)は何の予告もなしに突然強烈な音で始まり、これは突然起こったアクシデント、あるいは人生に襲いかかった不幸を暗示しているようです。一方ハ長調の最終楽章は、第3楽章から続く長い移行部によって導かれ、その移行部では、希望の灯火のように弱音ではあるが「ミ」のナチュラルが現れ、曲が明るいハ長調に変わることが暗示されています。この曲はさすが有名な曲だけあって、詳しく解説した本がたくさんありますが、この本に書かれていることは独特の視点に立った内容だと思います。


 なおこの著者には「名曲が語る音楽史」と、「音楽史17の視座」といった姉妹書もあり、どちらも音楽に深く興味のある人にはたいへんよい本だと思います。


              本 001



              本 002

「夢をかなえるゾウ」という、ちょっと変わったドラマが4チャンネル(関東地区)で深夜放送されています。いつも見ているわけではないのですが、昨夜チャンネルを切り替えていたら、たまたまギターを弾いているシーンがあったのでしばらく見ていました。途中から見たので話の流れなどはよくわからなかったのですが、そのドラマの主役と思われる、水川あさみさんがクラシック・ギターで「禁じられた遊び」を練習し、次の日、店のようなところで弾くというシーンでした。コンテストに出るはずっだたようなのですが、実際にはそのコンテストはなく、結局彼女にギターを指導した男性の前で弾くことになったようです。何回か失敗した後、最後に間違えずに弾くといった内容でした。


 その水川あさみさんの弾く「禁じられた遊び」は1弦だけを押さえ、2弦、3弦はコードが変わってもずっとそのまま開放弦。右手は確かに薬指、中指、人差し指の順で弾いていますが、親指はずっと6弦に添えたままで、低音は全く弾いていません。左手も1本指(確か人差し指)だけでずっと押さえていました。私も小学生の頃、同じような弾き方をしたことがあるので、思わず一人でニヤリとしてしまいました。もっとも現実にこのような弾き方で、なお且つ禁じられた遊びの前半のみでは、いかなるコンテスト出場も無理だとは思います。


 こうした楽器のシーンでは、ほとんどの場合、音は別の人が弾いていることが多く、この水川さんも「のだめカンタービレ」では優秀なヴァイオリニスト役をやり、その時は当然弾く格好(それだけでも結構難しい!)だけで、音はプロのヴァイオリニストが弾いていたと思います。でもこのギターのシーンでは音と指の動きが完全に一致していて、どう見ても、あるいはどう聴いても本人が弾いているようでした。もっとも本人が弾いていなければ、指の動きがわかるほどアップで撮ることはないでしょうから、間違いなく本人の音なのではないかと思います。


 テレビのタレントさんは一般に器用な人が多く、必要に応じて楽器なども短時間覚えてしまう人が多いようです。おそらくこのシーンも結構短時間で録っているのではないかと思いますが、テレビから聴こえてくる音は以外としっかりしていて、テンポも安定していました。テレビでギターを弾くシーンというのは決して珍しくはないのでしょうが、水川さんの、いかにもリアルな弾き方になんとなく、微笑ましさを感じました。
 鹿島アントラーズが連覇しました、やっぱり強いですね。Jリーグが始まってから15年間でリーグ優勝6回。かつての強豪チームのヴェルディやジュビロが降格や降格の危機にあることを考えると、この15年間ほぼ毎年優勝に絡んできたアントラーズは確かに強いです。


 優勝には運なども当然絡んでくるでしょうが、このように毎年好成績を残すにはフロントを含めた組織としての強さがあるのでしょう。また多少不調の時でも堅固に自らのチーム戦術をまもり、一貫した戦い方をしているところにも毎年好成績を残す要因となっているのでしょうか。鹿島の基本的な布陣は4-4-2(守備側から)で、あまり変わることはないようです。因みに日本代表のほうは、これまでいろいろな布陣で戦っていますが、最近は4-5-1が多くなっているようです。


 40年くらい前私もサッカーをやっていた話は前にしましたが、その当時の教科書などに載っている基本布陣は2-3-5といったものでした。ただ当時でも世界的には4-2-4、または4-3-3で、日本でも代表チームや日本リーグなどレヴェルの高いチームはそのような布陣を採用していました。いずれにしても昔は布陣が前よりだったのは確かで、ホワード5人なんて今ではとても考えられません。負けているチームが終了間際にやけくそになっても、せいぜい3人ホワードを並べるくらいだと思います。またディフェンスが2人なんて、今では監督が相当気が狂わないとやらないと思います。


 私が高校生の時やっていたチームの布陣は3-3-4といったもので、前述の4-3-3の逆になっています。過渡的なものと言えるかも知れません。私のポジションは4人のホワードの一番左側、当時の言葉では左ウイングだったのですが、左ウイングと言えば、当時釜本選手と人気を分けた快足ホワードの杉山選手のポジションで、当時とても人気のあったポジションでした。私がこのポジションになったのは個人技や快足を買われたからではなく、大事なポジションから能力の高い選手をあてはめていった結果、最後に残ったところだったからです。


 確かにサイドからの攻撃はその当時最先端の戦術でしたが、当時の私たちのような末端のチームではサイドからのセンタリングでゴールというのはそう滅多にあるものではありませんでした。当時は、とりあえずボールを前方に蹴って、ホワードがそれを追いかけるといった「キック・アンド・ラッシュ」などという戦術とは言えない戦術もあったくらいで、実際にはこんな素朴な方法の方がゴールにはつながっていました。もちろん今では草サッカーでもこんなことはしないと思います。ディフェンスの能力がある程度高ければ全く通用しない戦術で、ほとんど相手にパスをするようなものです。


 鹿島の話に戻りますが、今後はやはりACLで優勝することが当面の目標になると思います。ぜひJリーグの強豪チームから、アジアの、さらには世界の強豪チームになっていって欲しいと思います。 ところで前から気になっていたのですが、どうして小笠原選手は代表に呼ばれないのでしょうね、確かに今は怪我をしていますが、調子の良い時でも全く声がかからなかったのはなぜなのでしょう。中村俊輔とか遠藤、あるいは中村憲剛などとかぶるからなのでしょうか、監督とそりが合わないのでしょうか、それとも頑固な性格が問題なのかな? もっとも内田以外の主力選手が代表にとられなかったことでメンバーが固定でき、そのことが鹿島のJリーグ連覇につながったのは確かなことでしょう。
 
 昨日(12月2日)用事でギター文化館(石岡市)に行きました。当館代表の木下さんから「修理から帰ってきて、弾ける状態になったのでいかがですか」と言われ、当館マヌエル・カーノ・コレクションの中から3本の楽器を弾かせてもらいました。

 これらの楽器は時々ガラス・ケース越しに眺めるだけで実際に弾かせてもらうのは初めてです。私は仕事でギターをやっている割には楽器にはあまり詳しくなく、特に材料だとか、力木のことなどはよくわからない方です。と言っても楽器に興味がないわけではなく、料理に例えればおいしいものを食べるのは好きだが、レシピには興味がないといったところです。

 最初に弾かせてもらったのは、マルセル・バルベロ。1910年前後の作品だと思います。アルベニスのグラナダを弾き始めましたが、2弦、3弦で弾くメロディには微妙なニュアンスの変化が伝わり、このように中音域を歌わせられる楽器はあまり弾いたことがありません。楽器そのものはかなり軽く出来ていて、裏板にはシープレスというフラメンコ・ギターなどによく用いられる材料が使われているそうです。とても個性的な楽器だと思いました。

 次に弾いたのはサントス・エルナンデス。詳しいことは忘れましたが、同じく20世紀初頭の作品だと思います。こちらはバルベロとは正反対で、低音と高音に特徴があるようです。なんといっても重厚な低音、高音は逆に軽めな音に感じます。華やかな楽器と言えるでしょうか、大序曲を弾いてみました。気持ちよく弾けました。

 最後にマヌエル・ラミレスですが、同じ名前でもホセ・ラミレスⅢとは全く傾向の違う楽器で、ラコートなどの19世紀前半の楽器に近い音質を感じました。ただし楽器の形や大きさなどは現代の楽器と同じです。パガニーニや、ソルの「魔笛」を弾いてみました。自分で弾いているとやや軽めな音に聴こえますが、楽器の正面で聴くとクリヤーで、強い音に感じます。ステージでの「音のとおり」はたいへん良い楽器なのではと思いました。

 しばらくはギターをあまり弾かないつもりでしたが、これらの歴史的な名器を前に、結構しっかりと弾いてしまいました。ちょっと疲れましたが楽しいひと時でした。来年の5月連休(5月3~5日)での当館のイベントではこれらのマヌエル・カーノ・コレクションを使用したコンサートも予定されているそうです。