気をつけなければならないミス
これには前提があって
前回までの話では、「ミスをしてもなるべく気にせず、流れを止めずに先に進む」ということで、ミスそのものについては全く問題にしませんでした。実はこれには前提があって、その前提とは、演奏している本人がそのミスを自覚しているということです。もちろん自覚しているからこそ声を出したり、止まったりするわけです。もしミスの自覚がなければそうしたこともしないでしょう。人はミスをした自覚があれば、自然と同じ間違いを繰り返さないようにしようとし、練習を重ねるにつれてそのミスはだんだん少なくなって行きます。確かにミスをしないためのいろいろな工夫などもあり、そのことについてはまた後で述べますが、多くの場合そのミスを自覚するだけでも自然と直ってゆきます。
何の音が聴こえましたか?
しかしその裏を返せば、ミスをした時、本人にその自覚がなければそのミスが直ることはないということにもなります。ということでレッスン中に同じミスでも生徒さん自身で気付いていないと思われる場合は、演奏の途中でも止めて指摘することもあります。たいていの場合はは一応最後まで演奏が終わってから言いますが、弾き終わってからだと、その生徒さんが自分でどのように弾いていたか全く記憶がなくなる場合もあるので、その場で指摘することもあります。その場合、「この音が違っています」と言うより、「今、何の音を弾きましたか?」とか、「ここ、何の音が聴こえましたか?」などと生徒さんに聴くようにしています。
低音が聴き取りにくい
このように生徒さんが音を間違えても気が付かないという場合は、メロディ、あるいは高音部ではあまりなく、ほとんどの場合は低音に関するもので、特にメロディと同時に弾く低音が最も多くなります。特に開放弦の低音はいっそうその頻度が多くなります。これは人間の生理的なことに関係あるのだと思いますが、二つの音が同時に鳴ると、一般の人では高い方の音がよく聴こえ、低い音の方は聴きとりにくくなります。本当に聴こえないというより、脳のほうで認識しにくいようです。子供の頃や、若い時から音楽をやっている人ですと特に問題はないのですが、大人になってからギターを始めた人ではそのように低音が聴き取りにくくなる傾向があるようです。
高音部を聴かないで
そうした傾向のある人の場合、低音に神経を集中して練習するのが大事だと思います。これは音感そのものというより、言ってみれば注意力の問題だと思いますので、神経を集中することでだんだん聴こえてくるのではないかと思います。どうしても聴き取れないときには、高音部のメロディなどを聴かないで、低音だけに集中してみて下さい。高音部は聴こうとしなくても耳に飛び込んでくるので、ともかく聴き取りにくい低音に集中してみるわけです。しかし実際に、低音が聴き取りにくい他人の場合は、逆に聴き取りやすいメロディとか高音部のほうにしか注意がいかない他人の方が多いようです。聴き取りやすい音には注意が行くが、聴き取りにくい音には注意が行かないでは当然弾き間違いも多くなり、なお且つ自分ではそれに気がつかないという、ギターを弾く上ではたいへん困った状況になってしまいます。
聴くしかない
繰り返しになりますが、生徒さんが低音などを間違えた時、私のほうでは「この音間違えています」とはあまり言わず、「今、何の音を弾きましたか?」とか、「ここ、何の音が聴こえますか?」と言うように、まず自分で弾いた音をしっかり聴くように言っています。というのも低音を間違える最大の原因は、その音が聴き取れないからなので、仮にその間違ったところの音だけを直したとしても、自分で聴き取れない限り、何度も間違いを繰り返したり、あるいは別なところを間違えたりしてしまい、なかなか間違えずに弾けるようにはなりません。ちょっと難しいかも知れませんが、ギターを弾く以上、がんばって聴き取るしかありません。
某国の首相
話がそれますが、ちょっと前、某国の首相の漢字の読み間違えが話題になりました(漢字を使う国はそれほどありませんが)。漢字を読み間違えたからといって、その首相があまり本を読まないとか、まして教養が不足しているということでは全くなく、私の勝手な推測からすればいわゆる「思い込みの激しい」タイプの人なんだろうと思います。一度覚えるとそれに特に疑問を挟んだりせず、ずっと記憶する人なのでしょう、ある意味自信家なのかも知れません。また幼少の頃からそれなりの地位の人なので、周囲にそれを注意する人などもいなかったのでしょう、裸の王様的な環境もあったかも知れません。
他人事ではない
似たようなことが音楽の世界にもあって、世界的なギタリストやピアニストでもずっと長年にわたって覚え間違いをしていたなどということもあります。お弟子さんなどがそのことに気が付いても、ちょっと言い出しにくいのかも知れません。場合によっては誰かに言われたとしても「これが正しい」と居直ってしまうこともあるそうです。もっとも、私自身でも覚え間違いをしている可能性は十分あり、決して他人事ではありません。もともと音感も記憶力もよくない私ですから十分にありえます。
時間をかけて覚える
私自身のことになってしまいましたが、私自身では覚え間違いをしないためには、曲を覚える場合、特に重要なコンサートで弾く予定の場合では、弾いて覚えるだけでなく、譜面だけを読んだり、また書いたりして覚えます。また曲のアナリーゼなども自分の出来る範囲で行います。その主な目的は暗譜をより完全にするためですが、覚え間違いをなくす意味もあり、それによって記憶違いなどはかなり防げます(完全にゼロには出来ないでしょうが)。また特に暗譜で弾く予定のない場合でも、新しい曲を始める時は、結構長い期間にわたって楽譜を見ながら練習し、一応覚えた段階でもある程度譜面は見て練習します。その間、音符だけではなく、表情記号とか、あるいは「行間を読む」など楽譜上のいろいろなところから作曲者の意図を読み取ることにも心がけています。あまり早い段階から暗譜で練習すると、その曲の内容とか、作曲者の意図とかが伝わって来にくくなるように思います。
ゼロからスタート
また、何回かステージで弾いているような曲でも、また演奏する予定があると、もう一度譜面を見ながら練習し、それまでの弾き方でよかったかどうか見直します。「前回上手く弾けたから、今回も前と同じように」などと思って弾くと、ほとんどの場合よい結果は出ません。覚え間違いとは直接関係ないかも知れませんが、ステージで演奏する時にはいつでもゼロからスタートする気持ちでやっています。
ミスとして認識されていれば
ちょっと話がそれてしまいましたが、結局「ミス」というのは、それがミスとして認識されていれば特に問題はないのですが、それが認識されなかった時にはたいへん大きな問題になるということです。
これには前提があって
前回までの話では、「ミスをしてもなるべく気にせず、流れを止めずに先に進む」ということで、ミスそのものについては全く問題にしませんでした。実はこれには前提があって、その前提とは、演奏している本人がそのミスを自覚しているということです。もちろん自覚しているからこそ声を出したり、止まったりするわけです。もしミスの自覚がなければそうしたこともしないでしょう。人はミスをした自覚があれば、自然と同じ間違いを繰り返さないようにしようとし、練習を重ねるにつれてそのミスはだんだん少なくなって行きます。確かにミスをしないためのいろいろな工夫などもあり、そのことについてはまた後で述べますが、多くの場合そのミスを自覚するだけでも自然と直ってゆきます。
何の音が聴こえましたか?
しかしその裏を返せば、ミスをした時、本人にその自覚がなければそのミスが直ることはないということにもなります。ということでレッスン中に同じミスでも生徒さん自身で気付いていないと思われる場合は、演奏の途中でも止めて指摘することもあります。たいていの場合はは一応最後まで演奏が終わってから言いますが、弾き終わってからだと、その生徒さんが自分でどのように弾いていたか全く記憶がなくなる場合もあるので、その場で指摘することもあります。その場合、「この音が違っています」と言うより、「今、何の音を弾きましたか?」とか、「ここ、何の音が聴こえましたか?」などと生徒さんに聴くようにしています。
低音が聴き取りにくい
このように生徒さんが音を間違えても気が付かないという場合は、メロディ、あるいは高音部ではあまりなく、ほとんどの場合は低音に関するもので、特にメロディと同時に弾く低音が最も多くなります。特に開放弦の低音はいっそうその頻度が多くなります。これは人間の生理的なことに関係あるのだと思いますが、二つの音が同時に鳴ると、一般の人では高い方の音がよく聴こえ、低い音の方は聴きとりにくくなります。本当に聴こえないというより、脳のほうで認識しにくいようです。子供の頃や、若い時から音楽をやっている人ですと特に問題はないのですが、大人になってからギターを始めた人ではそのように低音が聴き取りにくくなる傾向があるようです。
高音部を聴かないで
そうした傾向のある人の場合、低音に神経を集中して練習するのが大事だと思います。これは音感そのものというより、言ってみれば注意力の問題だと思いますので、神経を集中することでだんだん聴こえてくるのではないかと思います。どうしても聴き取れないときには、高音部のメロディなどを聴かないで、低音だけに集中してみて下さい。高音部は聴こうとしなくても耳に飛び込んでくるので、ともかく聴き取りにくい低音に集中してみるわけです。しかし実際に、低音が聴き取りにくい他人の場合は、逆に聴き取りやすいメロディとか高音部のほうにしか注意がいかない他人の方が多いようです。聴き取りやすい音には注意が行くが、聴き取りにくい音には注意が行かないでは当然弾き間違いも多くなり、なお且つ自分ではそれに気がつかないという、ギターを弾く上ではたいへん困った状況になってしまいます。
聴くしかない
繰り返しになりますが、生徒さんが低音などを間違えた時、私のほうでは「この音間違えています」とはあまり言わず、「今、何の音を弾きましたか?」とか、「ここ、何の音が聴こえますか?」と言うように、まず自分で弾いた音をしっかり聴くように言っています。というのも低音を間違える最大の原因は、その音が聴き取れないからなので、仮にその間違ったところの音だけを直したとしても、自分で聴き取れない限り、何度も間違いを繰り返したり、あるいは別なところを間違えたりしてしまい、なかなか間違えずに弾けるようにはなりません。ちょっと難しいかも知れませんが、ギターを弾く以上、がんばって聴き取るしかありません。
某国の首相
話がそれますが、ちょっと前、某国の首相の漢字の読み間違えが話題になりました(漢字を使う国はそれほどありませんが)。漢字を読み間違えたからといって、その首相があまり本を読まないとか、まして教養が不足しているということでは全くなく、私の勝手な推測からすればいわゆる「思い込みの激しい」タイプの人なんだろうと思います。一度覚えるとそれに特に疑問を挟んだりせず、ずっと記憶する人なのでしょう、ある意味自信家なのかも知れません。また幼少の頃からそれなりの地位の人なので、周囲にそれを注意する人などもいなかったのでしょう、裸の王様的な環境もあったかも知れません。
他人事ではない
似たようなことが音楽の世界にもあって、世界的なギタリストやピアニストでもずっと長年にわたって覚え間違いをしていたなどということもあります。お弟子さんなどがそのことに気が付いても、ちょっと言い出しにくいのかも知れません。場合によっては誰かに言われたとしても「これが正しい」と居直ってしまうこともあるそうです。もっとも、私自身でも覚え間違いをしている可能性は十分あり、決して他人事ではありません。もともと音感も記憶力もよくない私ですから十分にありえます。
時間をかけて覚える
私自身のことになってしまいましたが、私自身では覚え間違いをしないためには、曲を覚える場合、特に重要なコンサートで弾く予定の場合では、弾いて覚えるだけでなく、譜面だけを読んだり、また書いたりして覚えます。また曲のアナリーゼなども自分の出来る範囲で行います。その主な目的は暗譜をより完全にするためですが、覚え間違いをなくす意味もあり、それによって記憶違いなどはかなり防げます(完全にゼロには出来ないでしょうが)。また特に暗譜で弾く予定のない場合でも、新しい曲を始める時は、結構長い期間にわたって楽譜を見ながら練習し、一応覚えた段階でもある程度譜面は見て練習します。その間、音符だけではなく、表情記号とか、あるいは「行間を読む」など楽譜上のいろいろなところから作曲者の意図を読み取ることにも心がけています。あまり早い段階から暗譜で練習すると、その曲の内容とか、作曲者の意図とかが伝わって来にくくなるように思います。
ゼロからスタート
また、何回かステージで弾いているような曲でも、また演奏する予定があると、もう一度譜面を見ながら練習し、それまでの弾き方でよかったかどうか見直します。「前回上手く弾けたから、今回も前と同じように」などと思って弾くと、ほとんどの場合よい結果は出ません。覚え間違いとは直接関係ないかも知れませんが、ステージで演奏する時にはいつでもゼロからスタートする気持ちでやっています。
ミスとして認識されていれば
ちょっと話がそれてしまいましたが、結局「ミス」というのは、それがミスとして認識されていれば特に問題はないのですが、それが認識されなかった時にはたいへん大きな問題になるということです。
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