エコなシステム?
ソナタ形式の最大の利点は長い曲が書けるということで、長い曲を書いても散漫にならず、統一性のある曲が書けるということでしょう。また一つの素材から長い曲を書くことが出来ると言ってもいいかも知れません。一流の作曲家といえど、次から次へと新しいメロディなどを生み出すのはたいへんでしょうし、仮にそうしたとしても小品の寄せ集め的な曲になってしまいます。ソナタ形式とは少ない素材を最大限有効に活用して、まとまりのある優れた作品を「数多く」生み出すための、たいへん「エコ」なシステムだった・・・・・などというのは単なる思い付きかも知れませんが、ハイドンのたくさんの曲を聴いているとそんな気がしてきます。もっとも仮にソナタ形式が確立された当初はそんな意味合いがあったとしても、ベートーヴェンなど後の音楽家たちにより、より深い意味付けがなされたことはご承知のとおりです。
総勢10数名
ハイドンの初期の交響曲は私たちがイメージする交響曲よりも、ほとんど室内楽に近いということは前にも言いましたが、ハイドンが最初に仕えたモルツィン家、およびその後長く仕えたエステルハージ家のオーケストラは、基本的に弦楽にホルンとオーボエを加えた、総勢でも10数名程度のものだったようで、時折フルートやファゴット、トランペット、ティパニが入る程度だったようです。現在の平均的な室内オーケストラよりも一回り小さいといった感じでしょう。その演奏の主な目的としては領主たちの娯楽と、ゲストたちへの接待と考えられますから、その音楽の内容としても当然芸術性よりも娯楽性が求められるでしょうし、また貴族として相応しい気品のある娯楽を提供することが求められたと思います。
偽作が多いのは一流の証! ~どこかで聴いたことのある言葉
ハイドンはそうした自分に課せられた仕事をたいへん高度なレヴェルでこなしていたのでしょう、そのことはなんといっても残された作品が示しています。またそれほどヨーロッパ各地で活動したわけではないにもかかわらず、ハイドンの作品は比較的初期からヨーロッパ各地で出版されていたようです。今日のように著作権など確立されていなかったので、海賊版的なものがほとんどだったでしょうし、改作も当たり前、偽作もたくさん生まれたようです(有名な弦楽四重奏第17番「セレナード」もその一つ)。その偽作の多さもハイドンの人気や評価の高さを示していると言えます。ただ弦楽四重奏などに偽作が多く、交響曲には少ないのは、交響曲の出版はコストかかったり、販売部数も期待出来ないなど「割が合わない」からだったからかも知れません。
コントラバスまでが
初期といってものハイドンの交響曲はそれほど画一的ではないことを言いましたが、それほど初期とは言えないかも知れませんが「ホルン信号」と呼ばれる第31番ニ長調(1765年、32歳)の終楽章は、変奏曲になっていて各変奏がヴァイオリン、チェロ、フルート、オーボエ、ホルンなどが代わる代わるソロを演奏するようになっています。普通ほとんど目立たないコントラバスまでがソロを弾きだし、これなど館の主もゲストも、また演奏者も皆とても楽しめた曲なのではないかと思います。他の曲もハイドンの交響曲にはソロが活躍するものが多く、そういった意味でも室内楽的というか、アット・ホームな感じがあります。確かに貴族の館での宴の音楽が基本となっていることが伺われます。そういった意味ではモーツァルトの交響曲は基本的にオペラの序曲から始まっていて、初期のもと言えど、華やかさとか壮大さとか、ちょっと言いすぎかも知れませんが仰々しさが感じ取れます。モーツァルトの交響曲の場合「親しみやすさ」よりも「偉大さ」の方が重要だったようです。
49番はやっぱり受難?
特徴ある曲といえば、もう1曲、1768年に作曲された第49番へ短調「受難」とう曲があります。モーツアルトと同じく、短調の曲は少ないのですが、ハイドンの場合、この時期には比較的多く作曲したようで、有名な「告別」もこの時期に作曲されています。この「受難」というタイトルのいきさつなどについてはよくわかりませんが、第1楽章のアダージョなどはたいへん陰鬱で深い表情があり、確かにタイトルどおりといった感じです。ちょっと聴いた感じでは各楽章の主題の間に関連性があるように感じられます。もっとも各楽章の間に共通性のあるモチーフを使い、全体の統一性を出したのは、ベートーヴェンの専売特許ではなく、モーツアルトの初期の交響曲、第25番ト短調にも見られます。有名な第40番「ト短調」に対して「小ト短調」と呼ばれるこの曲ですが、すくなくとも第1、第3、第4楽章の各主題には共通性がみられます。このハイドン「受難」それらの曲に影響を与えたかどうかはわかりませんが、とても特徴的な曲で、それらの曲との類似性も垣間見えるのは確かです。
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