中村俊三 ブログ

中村ギター教室内のレッスン内容や、イベント、また、音楽の雑学などを書いていきます。


そこはもっと歌って!

 皆さんがもしギターのレッスンを受けているとして、先生から「そこはもっと歌って!」といわれた時、あるいは反対に「そこはあまり歌わせないほうがよいでしょう」と言われた時どうしますか・・・・・ その時もしあなたが何の迷いもなくあなたの先生の言葉を実践することができるとしたらこの文章は読む必要がありませんが、そのような抽象的な言い方では具体的にはどうしてようかわからないとしたら、この文章を読むことがあなたのギターの上達に繋がるのではと思います。さて、「ギター上達法」も前回の「ミス」からちょっと間が空きましたが、今日からこの「歌わせる」というテーマで書いてゆきます。


人間になる前から?

 本題に入る前に、人間がいつ頃から歌を歌いだしたか、などと考えるのは野暮なことかも知れません。おそらく人間が誕生した時から、あるいは人間になる前から歌を歌っていたのでしょう。しかし厳密に「歌」というには「歌詞」があるということですから、そういう意味では一応人間が言葉を話すようになってからということになるかも知れません。もともと言葉には抑揚が含まれると思いますから、その抑揚を強調したものが歌ということになるでしょうか。


ア・コ・ニ・チ・ワ・・・・・

 例えば、どこかのお店で知人などに出会った時、「あっ! 今日は! 田中さん! お久しぶりですね、お買い物ですか? ああ、奥さんもいっしょに・・・・・ そおですか、ウウン・・・・」といったような会話になったとしましょう、この時誰もが無意識に表情や抑揚を付けてしゃべります。皆さんもこの会話文を読んだだけでなんとなく抑揚を感じると思います。おそらく「!」や「?」のところは無意識に音程を上げて読むのではないかと思います。おそらく「アッ・コ・ン・ニ・チ・ワ・タ・ナ・カ・サ・ン・オ・ヒ・サ・シ・ブ・リ・デ・ス・ネ・・・・・」などと旧式のロボットみたいに全く抑揚や区切りを付けずにこの文を読む人はいないのではないかと思いますし(声を出さずに読んだとしても)、実際に誰かに出会った時には絶対にそんな言い方はしないでしょう。


無意識なら出来るのだけど

 つまり私たちは言葉をしゃべる時、「無意識」に必ず抑揚を付けているわけです。もっともこの抑揚を逆に意識的に付けるとしたら、それはかえって難しいことになります。ドラマや劇などのセリフを考えるとわかりますが、台本に書いてあるセリフに自然な抑揚を付けてしゃべるのは普通の人にはなかなか出来ません。いつものようにしゃべっているつもりでもどこか不自然な抑揚になってしまいます。というのはその台本に書いてあるセリフは本当に自分で思ったことではなく、また台本に書いてある状況が本当に起きているわけでもないからです。悲しいセリフを言わなければならない時でも、本当は悲しくないわけですからどこか不自然なイントネーションになってしまうわけです。


涙を流すくらい朝飯前

 もちろん映画やドラマの俳優さんたちは不自然にならずにセリフを言うことが出来るわけで、それには厳しい稽古とか才能とかもあると思いますが、俳優さんたちは自己暗示が得意な人たちなのかも知れません。実際にそのような状況になっていなくても、その台本にある状況が現実のものとして捉えられるのだと思います(そう考えれば必要に応じて涙を流すくらいいとも簡単なのかも知れません)。言葉のイントネーションというのはその人の心の動きにとても関係が深く、嘘を付くとなんとなく相手にわかってしまうのも、抑揚が不自然になってしまうからでしょう(セリフを言うのと同じ現象)。どちらかといえば女性のほうが嘘を見破れるそうですが、女性のほうがそうした微妙な違いを感じとれるのかも知れません。


たとえ上手くなくとも

 話がちょっと遠くなってしまいましたが、言葉の抑揚は心の動きと密接な関係があり、言葉に抑揚を付けずにしゃべることはたいへん難しいといことをお話しました。今回の本題の「歌」は言葉の延長線上にあり、特にその抑揚を強調したものと考えられます。とすれば、また歌を歌うということは何らかの感情が動くということになり、心を動かさずに歌を歌うということも難しいということになります。仮に歌があまり上手でなく、音程やリズムが正確でない人でも、表情の方はそれなりに込めて歌い、気持ちの方も聴いている人にある程度伝わるのではないかと思います。


気持ちなどなくとも

 しかし同じ音楽でも楽器を演奏する場合、特にギターやピアノのように指を使い、なおかつ複雑な動きを要求されるものの場合、そうした「気持ち」とか心の動きとか関係なく弾くことが出来る、というか気持ちを入れたくても、そのようなものどこかに吹き飛んでしまい、ひたすら指の作業に徹してしまう、などということもよくあります。実際の会話ではロボットのように「コ・ン・ニ・チ・ワ・タ・ナ・・・・」としゃべるのは難しいのですが、ギターを弾く場合それと同様なこと、つまり表情とか意味合いとかなど全く関係なく演奏することが出来るわけです。

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 先週はアンサンブルの演奏会などがあり、このテーマも書き始めからだいぶ日にちが経ってしまいました。もう「最近聴いたCD]という感じではなくなってしまったのですが、最後にハイドンとギターの関係についてちょっとお話したいと思います。

 
 「ハイドンとギターの関係」といっても実は直接的には全くといってよいほど関係はなかったようです。ギターという楽器の存在くらいは知っていたでしょうが、ギターに関係のある作品は1曲もないようです(私の知る限りでは)。因みにモーツアルトに関しては、オペラ「フィガロの結婚」の中でケルビーノがギターの伴奏でアリアを歌うというシーンがあり、確かに舞台にはギターが登場するのですが、実際の音はギターではなく弦楽器(ヴァイオリンやチェロなど)のピッチカート奏法によるものです。「ギターは小さなオーケストラ」と言ったと言われているベートーヴェンにはマンドリンのための小品はあるのですが、ギターの作品はありません。結局のところこの古典派の巨匠3人とギターとはあまり縁がなかったようです。


 バッハの場合はギターの作品はありませんが、リュートのための作品を残していることは皆さんもご存知と思います。バッハの遺品の中にはリュートもあり、多少は自分でも弾いた可能性もありますが、実際に作曲したのはリュートに似た音の出せるチェンバロのための作品だそうです。それらの作品としては編曲も含め4つの組曲他を残しています。バッハの「リュートのための作品」は、本当にリュートのための作品かどうか、若干微妙なところもありますが、しかしこのことは見方を変えれば、バッハがリュートという楽器、および音色に強いこだわりを持っていたことを証明するものとも言えると思います。


 何はともあれ、バッハがギターと親戚筋のリュートのための作品を残したということは、我々ギターをやるものにとってはたいへん大きいことで、我々としてはこのバッハのリュートのための作品を、ほぼオリジナルとして堂々と演奏しています(リュートではなくギターで演奏するとなると本当はかなり遠いのですが)。さらにバッハ自身がヴァイオリンやチェロの曲をリュートに編曲していることから、他のヴァイオリンやチェロ、特に6曲ずつの無伴奏曲などはギターで演奏してもよいのだと思うようになりました。つまりいろいろなバッハの作品をギターで演奏することについて、いわば免罪符を与えられたと考えるわけです(ちょっと都合のよい解釈かも知れませんが)。もっともそうしたことがなくてもギタリストはバッハの作品を演奏するでしょうが、少なくとも一種の「後ろめたさ」は感じずに済むでしょう。 


 話がそれてしまいましたが、ハイドンの話に戻りましょう。ご存知の方もいるかも知れませんが、ハイドンには「リュート四重奏ホ長調作品2-2」などリュートを含む室内楽が何曲か残されています。しかしこれらは同時代のリュート奏者がハイドンの初期の弦楽四重奏曲から編曲したものだそうです。以前この「リュート四重奏曲」をリューテストのミシャエル・シェーハー他が録音していて、そのLPを私も持っています。またギタリストのジョン・ウィリアムスもかつて「ギター四重奏曲」として録音していて、このLPもあります。これらの録音は現在CD化されているのでしょうか? またこれらの曲の新しい録音などはあるのでしょうか? なお原曲の弦楽四重奏曲のほうはハイドンの真作だということです(ハイドンの初期の室内楽には偽作が多い)。


 ハイドンの曲で最もギターで演奏される曲としては、フランシスコ・タレガが編曲したニ短調の「アンダンテ」でしょうか。タレガは他にもハイドンの作品を10曲前後編曲しています。この「アンダンテ」の原曲は「バリトン三重奏曲第87番イ短調」の第3楽章の「メヌエット」だそうです。「バリトン」とはビオラ・ダ・ガンバの一種で、ハイドンの雇い主であるエステルハージ侯が好んだことにより126曲のバリトン三重奏曲を作曲したそうです。今まではほとんど聴かれることのなかった作品ですが、最近ではそのバリトン三重奏曲全集のCDも発売されています。まだ持っていませんがいずれ取り寄せようと思っています。でも本当に「メヌエット」なら「アンダンテ」にはならないのでは・・・・・・・


 私自身ではかつてセゴビアのLPで弦楽四重奏曲Op.74-3からの「ラルゴ・アッサイ」~タレガ編、同76-1の「メヌエット」~セゴビア編、交響曲第96番「奇跡」からの「メヌエット」~セゴビア編などをよく聴いていました。特に「奇跡」のメヌエットはセゴビアが演奏したいろいろな曲の中でたいへん好きな曲の一つで、この曲が最もセゴビアの魅力を出しているように思います。またハイドンとセゴビアはなんとなく相性がよいようにも思います。原曲の交響曲を知る前にこのセゴビアの演奏を何度も聴いていたので、私にはギターの方がまるでオリジナルのような感じがしています。最近では自分でも弾いていますが、ちょっとセゴビアぽいかも知れません(ちょっとどころではない?)。
  
 本日、水戸ギター・アンサンブル演奏会に来ていただいた方々、本当にありがとうございました。どれくらいの方に来ていただけるのか、とても不安だったのですが、思ったよりもたくさんの方に来ていただき、本当に嬉しく思います。他のメンバーも同じ気持ちだと思います。


 なにぶんアマチュアのギター愛好家によるコンサートなので、いろいろ至らない点など多数あったのではと思いますが、それでも、これまで2年余り亘り練習してきたことを皆さんに聴いていただくことは出来たのではと思っています。またメンバーの平均年齢も益々上昇してきて、いろいろ身体的トラブル等を抱えつつもなんとか全員で今日のコンサートを迎えられたのはとても幸運だったと思います。この後しばらくは充電期間とし、2、3年後くらいにまたコンサートを持ちたいと思います。


 今日聴いていただいた皆様一人一人に心からの感謝の気持ちをお伝えしたいと思います。本当にありがとうございました。

<独奏>  中居直也

  亡き王女のためのパヴァーヌ(モーリス・ラヴェル)



 今週の土曜日(6月13日)に行う第13回水戸ギター・アンサンブル演奏会の後半のプログラムの最初は中居直也の独奏ですが、直也は現在高校1年生で、前回の演奏会から水戸ギター・アンサンブルに加わっています。前回はヨークのサンバーストを弾きました。家内の従妹の子でかなり小さい頃から教えていますが、勉強や部活にと忙しいにもかかわらず、最近のほうがよくギターを弾いています。また音楽への好奇心も強く、よく私のところから楽譜をコピーしていったり、お小遣いで楽譜を買い込んだりしています。

 この曲は本人が選び、基本的にはアラン・ガベイのイ長調(原曲はト長調)版を用いていますが、他の編曲やピアノの原曲の譜面などをもとに自分でかなり変更しています。実質上は「中居直也編」というところでしょうか。曲に対する思い入れもたいへん強いものがありますが、その思い入れが少しでも聴く人に伝わればと思います。


<ニ重奏>   中川真理子  丹朋子

  アンクラージュマン(フェルナンド、ソル)


 中川さんと丹さんは私のところには10数年前から来てもらっていますが、二人でニ重奏をする機会は多く、このアンサンブル演奏会でも3回連続してニ重奏をしています。常設のデュオといってもよいかも知れません。これまで、ニ重奏曲ト長調、セレナードイ長調(カルリ)、アンダンテ(ピアソラ)、アリア(クレンジャンス)、カンションとボサノバ(モンテス&キルヒャー)、ブラジル風バッハ第5番(ヴィラ・ロボス)などを演奏してきました。

 今回はニ重奏曲としてはたいへん人気の高い「アンクラージュマン」に挑戦ですが、二人のアンサンブル能力の高さと音色の美しさは私としても保証ができます。



<合奏>

  ジュピター(組曲「惑星」より~グスタフ・ホルスト)


 オーケストラ曲としては人気の高いホルストの「惑星」からですが、この「ジュピター」の中間部は数年ほど前平原綾香さんが歌ってさらに有名になりました。最近テレビなどでもよく耳にします。ホルストはイギリスの作曲家(名前がイギリス人ぽくないのはスウェーデン系とのこと)で、この曲は1917年、つまり第1次大戦の最後の年に作曲されました。「惑星」と言うことで、我が地球を除いた太陽系の惑星~火星、金星、水星、木星、土星、天王星、海王星の7曲からなりますが、天文学的というよりは占星術的なことが基になっています。冥王星がないのは最近「降格」されたわけではなく、当時はまだ発見されていなかったことによります。誰だったか新に「冥王星」を作曲してこれらの7曲に加えて演奏した人がいたと思いますが、最近の冥王星の惑星からの「降格」騒動によってこの案も多分没になってしまったのではと思います。

 この曲は一昨年より練習していますが、やはり本格的な近代のオーケストラ曲とあって、ギター合奏ではたいへん難しく、多少簡略化してアレンジしていますが、今回もっとも練習時間を要する曲となってしまいました。有名な中間部は技術的にはそれほど難しくはないのですが、このメロディをゆったりと、美しく演奏するのはたいへん難しく、高い音楽的能力と、なんといってもメンバー全員の意思統一、イメージの共有が必要となります。正直ちょっと苦戦中です。その前後の速い部分はすべてにおいて難曲となっています。



  剣の舞(ハチャトゥリアン)

 これもよく知られた曲でスピードも速く、かなり難しそうに聴こえますが、わりとギター合奏には「はまる」曲だと思います。当アンサンブルでも以前からレパートリーにしています。もっともあまり難しく感じないのは「ジュピター」が難しすぎるからかも知れません。この曲もスピードなどはそれほど問題ないのですが、迫力などでは原曲にどうしても及ばないところがあります。特にテンパニーの活躍するところはどうしようもないのですが、困った時がむしろギター合奏の勝負どころかも知れません。結果的には結構面白く聴こえるのではと思っています。


*「剣の舞」のパート編成

Alt  中村俊三  石川惠子  中居直也

P1  中川真理子 丹 朋子

P2  萩野谷稔  後関信一

P3  佐藤智美  石川博久  市毛和夫

CB  佐藤眞美  
 

 曲目については以上です。キャリアは比較的長いといっても当アンサンブルは基本的にアマチュアのギター愛好家によるものなので、至らない点など多数あるとは思いますが、「それなりに」楽しんでいただければと思います。では6月13日(土)18:00、ひたちなか市文化会館小ホールでお待ちしています。
引き続き6月13日ひたちなか市文化会館小ホール(開演18:00)で行う水戸ギター・アンサンブル演奏会で演奏する曲目の話をします。


<ギター三重奏>  演奏者 市毛和夫  萩野谷稔  後関信一

  ロザムンデ間奏曲(フランツ・シューベルト)


 シューベルトは1823年、26歳の時に、「キプロスの女王ロザムンデ」という劇に9曲の音楽を作曲しました。劇そのものはあまり話題にならなかったようですが、シューベルト自身はその中の1曲であるこの間奏曲のメロディをたいへん気に入り、同じメロディを用いて他に弦楽四重奏やピアノ曲(即興曲変ロ長調Op142-3)も作曲しています。本当にシューベルトらしい美しいメロディです。

 この曲は原曲は2管編成のオーケストラのために書かれ、変ロ長調のとても優しく美しいメロディの部分にト短調と変ロ短調の二つの短調がはさまります。このギター三重奏版は原曲の変ロ長調をホ長調に移調していますが、比較的無理なくアレンジできました。ギターで演奏してもとても美しい曲だと思います。



<ギター二重奏>  演奏者  佐藤眞美  石川博久

  ジュ・トゥ・ヴ~君が欲しい(エリック・サティ)


 エリック・サティ(1866~1926)はドビュッシーやラヴェルなどと同時代の作曲家ですが、「干からびた胎児」とか「梨の形をした前奏曲」など風変わりな曲名でも知られています。この曲はもともとモンマルトルのミュージック・ホールで歌われるシャンソンとして作曲されましたが、現在ではピアノ曲として親しまれています。サティの曲はギターとの相性もよく、3つのジムノペディなどをはじめギターでもよく演奏されます。

 この曲はハ長調でワルツ風に書かれていますが、このギターニ重奏への編曲も原調で、ほとんど原曲どおりになっています。文字通りフランス風のとてもセンスのよい曲だと思います。


<ギターニ重奏>  中村俊三  鈴木幸男

  セレナードイ長調Op.96-1より第Ⅱ、第Ⅲ楽章(フェルナンド・カルリ)
  二つのギター(ロシア民謡~小胎剛編)


 フェルナンド・カルリはイタリア出身でパリで活動した19世紀始め頃のギタリストでどちらかといえば練習曲などで知られています。ニ重奏曲もたくさんあり、カルリの場合独奏曲よりもニ重奏曲のほうがコンサートなどではよく演奏されます。この3楽章からなるイ長調のセレナードもよく演奏される曲ですが、今回はそのうちの第Ⅱ、第Ⅲ楽章を演奏します。

 有名なロシア民謡の「二つのギター」はいろいろな出版物などで知られているギタリスト小胎剛氏の編曲を用いますが、伴奏部は若干変更しています。確かに昔からよく知っている曲なのですが、私自身はこの曲について、もともとどのような歌だったのかなどはあまり詳しく知りません。でもこのような曲はまず楽しんでもらうことが第1かなと思います。

 因みに私の相手をしてくれる鈴木さんはかつての水戸ギター・アンサンブルのメンバーで、今年石岡市のギター文化館で行われたシニア・ギター・コンクール、ミドル・エイジの部で優勝しています。
 水戸ギター・アンサンブル演奏会も、もうすぐとなりました。今週の土曜日(13日)が本番とあって、今日は9:00から16:00過ぎくらいまで、ずっと練習を行いました。貴重な休日がまる1日ギター合奏の練習となってしまうメンバーも、本当にたいへんだと思いますが、皆こころよく付き合ってくれました。今回は結構難しい曲もあって本番が大丈夫かなという曲もありましたが、今日の練習でなんとか演奏会を迎えられるような気になれました。

 それでは今回の演奏会の曲目などについて詳しく書いてゆきたいと思います。



グリーン・スリーブス(作者不詳~中村俊三編曲)

 グリーン・スリーブスはよくご存知の曲と思います。普通この曲は「イギリス民謡」ということになっていますが、古くは低音だけが決まっていて、それに演奏者が自由に上声部を加えて演奏する曲だったという話もあります。現在知られているメロディはその中の一つだったのかも知れません。「民謡」というからには歌詞があるはずですが、そちらのほうはよくわかりません。


 今回演奏するグリーン・スリーブスはおそらく17世紀の始め頃のものと思いますが、リコーダーなどの旋律楽器と「グランド・バス」によるもので、作者はわかりません。「グランド・バス」というのは正確にはわかりませんが、譜面上では単旋律で書かれ、おそらく通奏低音と同じものではないかと思います。番号の付かない通奏低音といったところでしょうか。前述のようにこの低音の上に単音のメロディが付け加えられ、8小節のテーマと14の変奏の形になっています。最初のテーマは最後にまた演奏されるので、結果的には8×16小節になっています。バロック時代などの曲はこうした「割りのよい」小節数になっていることがよくあります。


 そのテーマは普通よく聴いているグリーン・スリーブスと少し違いますが、似た感じではあります。このグリーン・スリーブスはある程度有名なものらしく、フルートとハープで演奏されたCDもあります(クリスチャン・ラルデ&マリー・クレール・ジャメ)。また「カール・シャイト編」で山下和仁、尚子さんがギター二重奏でかつて録音していました。聞き覚えのある人もいるかも知れません。


 今回演奏する私のギター合奏へのアレンジでは、もともとが単旋律だったので、それにいろいろ音を加えているのですが、単にハーモニーを加えただけのものから、ポリフォニー的な声部を付け加えたり、リズムを変化させたりなどもしています。若干時代不詳的になってしまった感もありますが、ギター合奏ぽくはなっているかなと思います。私の場合「編曲」といってもほとんどの場合、楽器の移し変え、つまり「トランスクリプション」なのですが、この曲に関しては「アレンジ」といえるかも知れません。




アレグレット・グラチオーソ(交響曲第8番ト長調第3楽章~アントン・ドボルザーク)

 今回チェコ出身の大作曲家アントン・ドボルザークの曲を演奏するわけですが、実はこれまで私自身はあまりドボルザークの曲をあまりたくさん聴いてはきませんでした。ドボルザークの曲は比較的親しみやすいはずなのですが、その理由は自分でもよくわかりません。比較的よく聴く曲としてはチェロ協奏曲くらいでしょうか。「新世界」は子供の頃好きだったのですが、大人になってからは聴く機会は少なくなりました。この「交響曲第8番」も曲全体としてはそれほど聴く曲ではなかったのですが(最近では結構聴きます)、この第3楽章の「アレグレット・グラチオーソ」だけはとても親しみを感じていました。


 3年くらい前だったかこの曲のCDを聴いている時、ふと「あれ?もしかしたらこれギター合奏でいけるんじゃない」ということが頭をよぎり、早速スコアを買ってアレンジを始めてみました(前述の話からすると、正確にはトランスクリプション)。多少親しみやすい曲とはいえ、なんといっても交響曲の一つの楽章ですから、難しいところもあるとは思いましたが2007年から練習に入り、その年の水戸市民音楽会で演奏してみました。その時にはまだまだ不十分な点も多かったのですが、少なくともギター合奏にはよく「はまる」曲だとは感じました。


 なんといってもこの曲は冒頭のト短調のメロディが印象的で、悲しくもあり、また弾んだところもあるという、言ってみれば「悲しき舞曲」といった感じです。たぶんこのメロディは一度聴いたらたいていの人は記憶に残ってしまうメロディではないかと思います。また初めて聴いた人でもなんとなくどこかで聴いたことのあるメロディと感じるのではないかと思います。また中間部のト長調のメロディもとても気持ちの和むもので、エンデングのおしゃれです。


 比較的原曲と近い音域でアレンジしているので(原調のト短調)で、冒頭のメロディはアルト・ギターのハイポジションで演奏しています。このポジションではアルト・ギターの音はほとんど伸びないので、人差し指の爪の裏表によるトレモロ奏法を使うしかありません。ギター合奏には欠かせない奏法ですが、実はこれがなかなか難しい、下手をすれば雑音だらけになってしまいます。またこの奏法は長い音は弾きやすいのですが、短い音符、特に弦が変わる場合が難しくなります。


 このトレモロは私一人で弾いているのですが、それだけだと音の変わり目や短い音符が不明瞭になってしまいます。それを補うためにもう1本のアルト・ギターを通常の弾き方でかぶせています。上手くゆけば弦楽器のような感じがでるのではと思います。トレモロに限らず、アルト・ギターで美しい音、特に歌うような柔らかい音を出すのは難しく、普通のギターならある程度よい音を出せる人でもアルト・ギターになると硬めでノイズっぽい音になってしまいます。音色を考えるとアルト・ギターは使いたくないのですが、通常のギターだけでアンサンブルを行うと、特にこのようなオーケストラ作品などでは中音域に音が集まり、とてもごちゃごちゃした感じになってしまい、やはりアルト・ギターを使わざるを得ません。

 最後には「ボヤキ」になってしまいましたが、グリーン・スリーブスとアレグレット・グラチオーソの2曲のパート編成は以下のとおりです。


アルト・ギター      中村俊三   石川惠子

プライム・ギター 1   丹 朋子   中川真理子

プライム・ギター 2   中居直也   萩野谷稔

プライム・ギター 3   佐藤智美   後関信一

プライム・ギター 4   石川博久   市毛和夫

コントラ・バス・ギター  佐藤眞美



*アルト・ギターは通常のギターよりも5度(7フレット)高い

*プライム・ギターは通常のギター

*コントラ・バス・ギターは通常のギターよりも1オクターブ低い