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中村俊三 ブログ

中村ギター教室内のレッスン内容や、イベント、また、音楽の雑学などを書いていきます。

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ドイツ・ハルモニア・ムンディ設立50周年記念限定BOX



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この箱の中に紙のケースに入ったCDが50枚入っている



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スペイン・バロックのCD





激安海鮮丼?

 バロック時代の作品にギヨーム・ド・マショーなどのルネサンス時代の音楽を若干加えた50枚のCDが、約7千円と、1枚あたりでは空のCDの値段に限りなく近いというBOX。枚数が多すぎて全部聴くのはたいへんとは思いながらも買ってみました。演奏者はこのレーヴェルが誇るレオンハルトなど、超一流で、録音も1970年~2000年くらいのもので全く問題ありません。強いて言うなら量が多すぎるのと安すぎるのが欠点でしょうか。あわびや、ホタテ、イクラなど新鮮な魚介類を大きなどんぶりにこぼれるほど乗せた海鮮丼が500円・・・・と言ったところでしょうか。



早すぎたモーツァルト

 まだまだほんの一部のCDしか聴いていませんが、1枚目のCDにはフランチェスカ・ドゥランテという、おそらくイタリアのバッハとほぼ同時代の作曲家の「マニフィカト」などが納められています。宗教曲で、バッハに比べてあまり複雑ではなさそうですが、とても透明感のある美しい音楽です。演奏者のトーマス・ヘンゲブロック指揮のフライブルク・バロック・オーケストラはドイツではとても人気が高いそうです。エマヌエーレ・ダストガという同時代の作曲家の「スタバート・マーテル」はメロディの美しさが印象的です。26歳でこの世を去った天才音楽家のペルゴレージの曲は活き活きとした感じがあり、早すぎたモーツアルトといったところでしょうか。


 水戸芸術館にもしばしば登場している鈴木秀美氏のバッハのチェロ組曲は、ほぼ半音低いピッチのようですが、とても美しい音です。テンポや装飾の付け方なども適切で、違和感のないすっきりした演奏です。



バロック時代のフラメンコ?

 なんといっても興味深いのは「スペインのバロック」と題されたCDで、アントニオ・リテレスと言う人(やはりバッハと同時代)の曲などが入っています。聴いてみるとまさにフラメンコです。フラメンコというとなんとなく19世紀頃からと考えていたのですが、ボッケリーニなどもカスタネットの入ったファンダンゴを書いているわけですから、当然この時代からあったのでしょう。そういえばバロック・ギターは基本的にはラスゲアードをかき鳴らし、歌や踊りの伴奏に使う楽器だったと言われ、ガスパル・サンスやド・ビゼーのように対位法的な曲を書いた人の方がむしろ特殊だったようです。

 この演奏ではソプラノやテノールに弦楽器、チェンバロ、リュート、ギターの他、カスタネットなど各種打楽器も入っていて、とてもにぎやかです。それにしてもバロック・オーケストラとフラメンコという、とても不思議な世界です。



バッハだけがバロックではない

 どうしてもバロック音楽というとバッハとかヘンデル、ヴィヴァルデイ、など限られた作曲家の作品しか聴かないようになってしまいますが、本当にいろいろな人がいたのですね。当然のことですが、バロック時代の作曲家はバッハだけではない!

 
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ルプー 001

シューベルト:ピアノ・ソナタニ長調D850
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番「皇帝」
   pf ラドゥ・ルプー  イオシフ・コンタ指揮  ルーマニア放送交響楽団
  録音:1969年 (写真はおそらく後のもの。デビュー当時はひげがなかった)


ルプー


ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第3番ハ短調 
  pf ラドゥ・ルプー  コンスタンチン・ブゲアヌ指揮  ルーマニア映画交響楽団
  録音:1967年



 ルーマニア出身のピアニストのラドゥ・ルプーに関しては以前にも書きましたが、最近ルプーの若い頃録音したこの2枚のCDを買ったので、また書くことにしました。ラドゥ・ルプーは1945年生まれで、1966年にヴァン・クライバーン国際・ピアノ・コンクール、1969年にリーズ国際ピアノ・コンクールで一位になりました。ヴァン・クライバーン・コンクールと言えば、最近では辻井伸行さんが優勝して話題になったコンクールです。ルプーは70年代から80年代にかけては「リパッティの再来」とか「千人に一人のリリシズム」といったフレーズで話題にもなり、CDなども結構出ていました。美しい音で評判で、シューベルトの即興曲集のCDは今でもベスト3に挙げられています。最近では新にCD録音などはなく、また来日もあまりしていないので「知る人ぞ知る」ピアニストと言ったところでしょうか。


 「皇帝」の方は1972~3年頃FMで放送され、録音してよく聴いていました。たまたま電波状態もよかったのか、また自慢?のオープン・テープ・デッキで録音したせいか、結構よい音で録れていました。オーケストラの音もピアノの音も華麗で美しく、溌剌としたとても爽快な演奏だった記憶があります。その後このテープは聴かなくなってしまいましたが、最近ネットでこの演奏のCDが発売されているのを知り、取り寄せてみました。もっとも「若い頃はとてもよい演奏だと思ったけど、今聴くとそうでもないじゃないかな」とか「ズビン・メータ盤と特に違いがないんじゃないかな」などと考えて、また古い録音にしては価格も特に安くなく、若干躊躇はしました。ルプーは1979年頃ズビン・メータ指揮のイスラエル・フィルと共演しベートーヴェンのピアノ協奏曲全5曲を録音していて、一般にはそれが出回っています。


 ネットのほうにもほとんどデータとかコメントもなく、ルーマニアの国内盤らしく、いかにも「やばそうな」CDといった感じです。CDが自宅に届いて中身を開けてみると、CDケースの破片がポロポロ、なんかいやな予感です。でも実際に音を鳴らしてみると、何と言っていいのか、いきなりのオーケストラの和音、ピアノのカデンツァ・・・・ 私の気持ちはあっと言う間に30数年前に戻ってしまいました。いかにも若々しい、溌剌とした演奏、かつて何度も聴いたその演奏を思い出しただけでなく、その時感じた気持ちまで思い出してしまったようです。当時味わった感動と同じ感動が蘇りました。


 とは言いながらも、今聴くと、オーケストラは確かに勢いはあるが、特に能力が高いとも言えず、録音は多少人口的な感じ。しかし後のメータ盤より第一楽章で30秒ほどしか速くないのに、勢いはまるで違う感じで、新鮮さとか若さも感じます。メータ盤と違うというより、他のどのルプーの演奏とも違う感じで、「若い頃はこんな演奏をしていたのか」と思わせる演奏です。またやはりルプーの音は美しく聴こえます。メータ盤は確かにオーケストラの力量も高く、またオーケストラの音もピアノ音も美しく録音され、とてもよくまとまっているのですが、でもこのルーマニア盤には他では聴けないスリリングさとか、面白さがあります。


 「皇帝」がとてもよかったので、「第3番」のほうも取り寄せてみました。1967年録音ということで、バン・クライバーン・コンクールで優勝したばかりの頃なのでしょう。オーケストラは「シンフォニカ・シネマトグラフィ」となっていて「映画交響楽団」と訳すのでしょうか、指揮者も全く聴いたことがありません、いっそう「やばい」感じです。音を出してみると第一楽章はいままで聴いたことのない遅さで聴こえてきます。データを見ると、一般に16分くらいで演奏されるこの楽章が19:44となっています。ルービンシュタイン盤も遅かったけど、これほどではなかったような気がします。


 ピアノが登場するまで約3分半、この遅さで、このオーケストラと付き合うのは若干辛抱が必要ですが、ピアノが登場するとはやはり引き込まれてしまいます。ルプーはこのテンポに乗せて、自分の世界を展開してゆきます。前の「皇帝」とは全く違ったアプローチで、とことん細かいニュアンスにこだわった演奏のように感じます。結局この遅いテンポもルプーの強い意志によるものなのでしょう。そういえばベートーヴェンのピアノ・ソナタ「悲愴」のグラーヴェもかなり遅いテンポで演奏しています。


 79年のメータ盤では5曲ともあまり極端なテンポではなく、ほとんど平均的なテンポ(気持ち遅めか)で演奏しています。ルプーも歳を重ねた結果なのでしょうか、あるいはメータも意志が働いているのでしょうか。またあるいはレコード会社もオーケストラもメジャーになり、そうした関係もあるのでしょうか。


 そのようなわけで、「第3番」の方は「皇帝」以上に個性的な演奏と言えます。その後のルプーはシューマンとかシューベルトのスペシャリストのイメージが定着しましたが、かつてはこんな演奏もしていたのかなと改めて思いました。確かにマニアックなCDで、いったい誰がこんなCDを買うのかなと言ったものですが、聴き出すと結構「クセ」になる2枚です。ある音楽評論家いわく「彼(ルプー)のファンは間違いなく彼の音楽を理解している人であり、そうでない人を寄せ付けない」と言っています。要するに好きな人は好きだけど・・・・ということで、当たり前のことを言っているだけですが、そうした人たちはブランド志向の人でないのは確かなようです。



 
 
今月号の記事 

 今月号(9月号)の現代ギター誌に付け爪の話が載っていました。30才未満くらいの人には特に気になるページでもないと思いますが、我々50代、60代(アラ・シック?)では食い入るように読んだ人も少なくないのではないかと思います。この歳になると本当に爪に関しては悩みが尽きません。個人差はかなりあるでしょうが、私の場合は毎日爪の手入れに少なくとも30分は使ってしまうでしょう。この記事によりますと今、現在の最終手段は”ネイル・サロン”なんだそうです。詳しくは記事の方を読んでいただければと思いますが、編集長の中里氏が都内のネイル・サロンで付け爪をして貰うという実体験記事なのですが、これがなかなかいいようです。高田元太郎さんの話ものっていました。料金は3本で約4000円、時間は1時間くらいのようです。どれくらいの期間それが”もつ”のかははっきりとは書いてありませんが、ある程度の期間はもつようです。
 

ノイズがなかなかとれない

 私の場合、若い頃は結構良い爪をしていて、爪でいろいろ苦労している人たちを尻目に、荒めなやすり(600番くらいの防水ペーパー)でちょろちょろと磨く程度で、雑音もなくそれなりに弾けていました。悪くなりだしたのは40代半ばくらいからで、今では何もしない状態では爪が波うっていたり(爪の先から見て)、編集長の言うように折れ曲がったり、割れ目が入ったりしています。そこでシルクの布地のベースを瞬間接着剤で固めて(サバレス・ネイル~現在では発売されていない)補強、あるいは付け爪状態にしてギターを弾いていました。しかしこれは記事にもあるように接着剤が剥がれるときに爪自体も少しずつ剥がしてしまうことになり、爪がどんどん薄くなってしまいます。また爪と接着剤の境界などからノイズが発生してしまい、どうしても細かいノイズが取れません。この1年くらいは合成樹脂製の付け爪(アリア・ネイル・キット)を接着剤で付けることが多く、この方が細かいノイズは少なくなります。でも音質はちょっとぼんやりした感じになり、また自爪が伸びてくるとそれが弦にあたってノイズが出たりします。


弦まで傷つく

 また最近はこのように何らかの形で爪を補強し、実質上接着剤で弦を弾いている関係かも知れませんが、弦そのものが”ささくれ”のように傷つき爪からではなく、弦のほうからもノイズが発生してしまいます。それなりに練習すると一週間もしないうちに弦がざらざらになって”かさかさ音”が発生してしまいます。その度に弦を取り替えているとたいへんなので、最近では弦の端を切らないでおいて、傷ついてきたら少しずつ弦をずらすようにしています。これは3年ほど前からです。ともかく最近ではノイズの発生源のは事欠きません、本当に歳はとりたくないものですね。若い人などで爪など全く磨かず、汚い音で弾いている人もいますが、そんな人の爪をちょっと磨いてあげると見違えるようにきれいな音になったりします。そんな時は本当にうらやましく思います、やはり生の爪はいいですね。



ギタリストがネイル・サロンに通うのは常識?

 私もいずれはネイル・サロンに通うようになるのでしょうか? 中高年男性がネイル・サロンに頻繁に出入りしていたらおかしいですよね。でももしかしたらギタリストがネイル・サロンに定期的に通うのは常識になり、「有名ギタリストのいきつけのネイル・サロン」とか、「ギタリスト限定特別キャンペーン割引」、「ギタリストが選ぶネイル・サロン、ベスト10」などというのも出来るのでしょうか?
シュンスケさん? ケンゴ?

 ある時、私はサッカーの練習場らしきところに張り出されたメンバー表の中から自分の名前を探しています。名簿に書かれたいろいろな名前を目で追ってゆくと「中村」の苗字が目に入りました。その下に目をやると「俊」の文字が、一瞬「来たかな」と思うと、その下には「輔」と書いてありました。「それはそうだよな、シュンスケさんは別格だし」 さらに名簿を追ってゆくともう一つ中村の文字が、でもその下は「憲剛」となっていました。「ケンゴも当然だな」


 残念ながら私の名前はメンバー表にはありませんでした、どうやら今回は代表から外れたようです。でも”今回”はということは、以前には代表に選ばれたこともあるのでしょうか、そう言えば短い時間でしたが代表の試合でプレーした記憶があるような、ないような。


タイ自慢の新幹線

 場面は変わってその”私”らしき選手はタイのバンコク郊外のサッカー・コートにいます。代表メンバーからは外れたのですが、代表の合宿には参加することになったようです。私と他の代表メンバーは確かにピッチの上にはいるのですが、練習をしているというより、なんとなくたむろしている感じです。サッカー・コートのすぐそばを最近開通した、タイ自慢の新幹線が猛スピードで走っています。普通より短めの車両で4両しか連結していません、なんとなく昔の東海道新幹線のような感じです。「タイもずい分と変わったものだ」と関心しています。


西に向かって

 またまた場面は変わって、今度は遊覧船のような小さな船に乗っています、合宿のレクリエーションなのでしょうか。天気は穏やかで、波も特になく、空や海の色も明るいブルーになっています。船は100メートルほど離れた岸に沿うようにゆっくりと進んでいますが、その岸は高い崖になっていて、ずっと西の方角に伸びています。その先の方は南の方角にカーブして、さらに先はもやでよく見えなくなっています。しばらくすると私はその高い崖の上に立っていました、恐いというよりとても不安な感じがしています。



 ・・・・・・・・・・・・・・



 夢はたいてい支離滅裂なものですが、それにしても日本代表のメンバー表から自分の名前を探すなど・・・・・ 多分海外で活躍するあの超有名選手と私の名前が一文字違い! という事でこんな夢を見たのでしょう。


 過去の実体験からすれば、私がメンバーからもれたチームは「日本代表」ではなく高校時代の「レギュラー・チーム」のことなのだろうと思います。私が高校生の頃サッカーをやっていた話は前にもしましたが、私は中学生までサッカーどころかスポーツなどほとんどしたことがなく、2年生の秋になるまでレギュラーにはなれませんでした。同学年の仲間のほとんどは1年生の頃から時々公式戦に出場したり、あるいはレギュラーの地位を確保していた者もいましたが、私の場合は上級生が皆引退するまで、ほとんど試合には出られませんでした。


 でも練習には休まず必ず出ていて、確かにどんな試合にもレギュラーの選手と一緒について行って、一緒にトレーニングだけはしていました。多分そんな記憶がこんな夢になったのでしょう。夢の中の世界とは言え、弱小高校のサッカー・チームが日本代表になってしまうとは、ずい分格上げされたものです。まあ、話は大きいほうがいいか。またはっきりとはわかりませんが、そこにいたのはもちろん58歳の私ではなく、話の流れからして高校生か、せいぜい20歳前後くらいの私のようです。


 それにしてもなぜタイのバンコク郊外で代表合宿なのでしょうか。私自身はタイに行ったことなど全くありませんし、またタイで日本代表の合宿があったなどという話は、少なくとも私は知りません。さらになぜ新幹線が登場するのでしょう、タイに新幹線などあったかな? 確か台湾には新幹線があると思いましたが、もしかしたら「タイ」と「タイワン」の勘違い? なぜか私の夢では地名がはっきり出てきます、それも多くの場合全く行ったことのないところです。


 最後の海と崖のシーンは何なのでしょうか、前の話と繋がりがあるのかどうかもよくわかりません。それにしても、なぜ私はこのシーンと、さらにその時の気持ちをはっきりと記憶しているのでしょうか? 海岸線が西から南のほうに曲がっているのはタイの海岸線をイメージしているのでしょうか? それとも遠い遠い旅立ちの予感なのでしょうか?