ジュリアーニの曲が9枚
この25枚のCDのうち9枚はマウロ・ジュリアーニの作品となっていて、このレーヴェルでは特にジュリアーニの作品には力を入れているようです。 ジュリアーニにはかなりの作品がありますが、これまでそれほどたくさんの曲が録音されてきたとは言えません。
このコレクションには協奏曲や二重奏曲全集などの貴重なもの、また4曲のロッシニアーナとか「セミラーミデ」全曲ギター版など、ロッシーニに関係した曲も多数収録されています。
前にも書きましたが
3曲のギター協奏曲については以前にもこのブログで紹介しましたが、特に有名な「第1番イ長調作品30」は、初版(1808年版)の2管編成のフル・オーケストラ版で演奏しています。 普通、この曲は弦楽合奏版で演奏されることが多く、なお且つジュリアン・ブリーム以来、多くのギタリストは展開部を大幅にショート・カットした形で演奏していました。
この曲を「聴衆に飽きずに聴いてもらうための賢明で、現実的な処置」ということかも知れません。 しかし、こしたことはやはり悪しき習慣と言えるのではないでしょか、世の中、そんない気短な聴衆ばかりではないと思います。
私の知る限りではこの曲をフル・オーケスラで演奏しているのはこのCDのみだと思いますので、そういった意味でも大変貴重な録音だと思います。 でも、弦楽合奏版は、フル・オーケストラ版に比べて引き締まった感じもあり、別な魅力も感じます。
因みにギターのソロ・パートについてはどちらの版でも、全く同じになっています。
やはり「第3番」はいいが、多少「オマケ」も必要
「第3番ヘ長調作品70」 は晩年(1822年)の作ですが、管弦楽法にもいっそう熟達し、第1番を凌ぐ曲と思います。 特に冒頭の部分などなかなか”おしゃれ”で、今後もっと演奏されてもよい曲だと思います。
この「第3番」はあまり演奏される機会がなかったせいか、逆に簡略化などされずに「無キズ」で今日に至っています。 3曲ともオリジナル楽器使用ということと、リアルな音量バランスということで、ギターの音はかなり聴き取りにくくなっています。 個人的にはCDなのだから多少は 「オマケ」 してもらってもいいのではと思います。
二重奏曲が3枚
二重奏曲が3枚のCDに収められていますが、オペラの序曲の編曲、教育的な小品集、協奏的変奏曲などとなっています。 「協奏的変奏曲作品130」以外は、これまであまり演奏されることがなく、やはり貴重な録音だと思います。 またここでもロッシーニに関する曲が多くなっています。
友達? 親友? ただの知り合い?
ジュリアーニは1806~1819年までウィーンに滞在しましたが、その地でベートーヴェンなど多くの音楽家たちと親交を深めたようです。 ベートーヴェンの「交響曲第7番」の初演にも加わったことはいろいろなところで書かれているので、皆さんもご存知かも知れません。
ただ、実際に何の楽器を演奏したかは、はっきりしないようです。 ジュリアーニは若い頃チェロを弾いていたので、「チェロ・パートを弾いた」と書かれているものもありますが、「いや、テンパニーだ」とか、「名を連ねただけで、実際には演奏には加わらなかった」、と書かれているものもあります。
要するに初演者のリストに名前が載っていたということ以外は不明なようです。 またこれも詳しく書いてあるものはありませんが、実際にはどの程度、ベートーヴェンと親しかったのでしょうか? 親友? 友達? ただの知り合い?
ジュリアーニにとって、なにはともあれ、ベートーヴェンの「交響曲第7番」の初演に立ち会たことは自慢だったようです。 ジュリアーニが作曲した 「テルツ・ギターとギタのためのグラン・ポプリ作品67」 には、その「交響曲第7番」の第1楽章のテーマが登場します(大序曲も登場するが)。
ロッシーニは郷土が生んだ音楽的英雄
ベートーヴェン以上にジュリアーニが大きく関った作曲家といえば、何回か触れたとおり、「セビーリャの理髪師」などで有名なロッシーニがいます。 ロッシーニは1810~1820年代にはイタリアやウィーンをはじめ、ヨーロッパ中に大センセーショナルを巻き起こしたと言われています。
ジュリアーニにしてみれば、ロッシーニが超人気作曲家というだけでなく、郷土が生んだ音楽的英雄といった思いもあったのかもしれません、晩年にはロッシーニに因んだ作品を多数作曲しています。
確かにジュリアーニの音楽はロッシーニと共通するものがあるように思います。 1820年代に作曲された「ロッシニアーナ」は現在でもジュリアーニの作品の中ではよく演奏され、特にオリジナルのオペラを知らなくても楽しめる作品だと思います。
この「ロッシニアーナ」は全部で6曲あるのですが、このCDではなぜか4曲のみになっています。 「ポプリ」の方を優先させたのでしょうか。
オペラをまるごとギター1台でなんて
また当時大変人気を博したと言われるロッシーニの「セミラーミデ」の全曲ギター独奏編曲が2枚のCDに収められています。 私自身このオペラをよく知らないので、どの程度の「全曲」なのかはわかりませんが、一つのオペラを丸ごとギターで弾くなどということは、確かに他には聴いたことがありません。
ただロッシーニにしても、ジュリアーニにしても、とても似た曲が多く、さすがにこちらは原曲を知らないと楽しみにくいかも知れません。
Duo Maccari-Pugliese
演奏者の紹介をしていませんでしたが、この9枚のジュリアーニのCDのうち、「セミラーミデ」の2枚を除いてはクラウディオ・マッカリとパオロ・プリエーゼというギタリストが演奏しています。 CD5、6の「4つのロッシニアーナと4つのポプリ」は基本的に独奏曲のはずですが、演奏は Duo Maccari-Pugliese となっていて、どちらが演奏しているかは書いてありません。
さりとて二人で独奏曲を弾いたり、二重奏にアレンジして弾いている感じでもありません。 使用楽器(主に19世紀初頭の楽器)については細かく記されているのですが、なぜか演奏者は明記されていません。
大大序曲?
ついでにジャケット裏の曲目データには、
5 Grande Ouverture Op.6 17:53
となっていて、ジュリアーニに20分にも迫る、こんな長い 「大序曲」 があったのかなと思いましたが、もちろんこのこの曲は皆さんがご存知のあの「大序曲」です。 お気づきのとおり 「1」 が移動してしまい、正しくは、
5 Grande Ouverture Op.61 7:53
です。 こんな間違いって意外とよくあります。
軽快な指さばきだが
この二人の演奏スタイルは確かによく似ていて、軽快な音と軽快な「指さばき」が特徴だと思いますが、重要な音とそうでない音(伴奏の刻みのような)との音量の差が大きいのも特徴でしょう。 ただあまりにも弱音用いるので、細部が不明瞭に感じてしまいます。
それは独奏でも二重奏でも、協奏曲でも同じようです。 協奏曲でギター・パートが不明瞭なのは録音や楽器の音量だけではないかも知れません。
Izhar Elias
「セミラーミデ」を演奏している Izhar Elias については初めて聴くギタリストなので、詳細はわかりませんが、Maccari と同じ1812年のガダニーニを使用して演奏しているので、Maccari-Puglieseの二人と何らかの関係があるのかも知れません。
音質的にはこのEliasの方が質感とか力感とかはあるように思います。 また細部もクリヤーに弾いています。 Maccari-Puglieseたちと同じく爪を使わない、いわゆる「指頭奏法」を用いているようです。
この25枚のCDのうち9枚はマウロ・ジュリアーニの作品となっていて、このレーヴェルでは特にジュリアーニの作品には力を入れているようです。 ジュリアーニにはかなりの作品がありますが、これまでそれほどたくさんの曲が録音されてきたとは言えません。
このコレクションには協奏曲や二重奏曲全集などの貴重なもの、また4曲のロッシニアーナとか「セミラーミデ」全曲ギター版など、ロッシーニに関係した曲も多数収録されています。
前にも書きましたが
3曲のギター協奏曲については以前にもこのブログで紹介しましたが、特に有名な「第1番イ長調作品30」は、初版(1808年版)の2管編成のフル・オーケストラ版で演奏しています。 普通、この曲は弦楽合奏版で演奏されることが多く、なお且つジュリアン・ブリーム以来、多くのギタリストは展開部を大幅にショート・カットした形で演奏していました。
この曲を「聴衆に飽きずに聴いてもらうための賢明で、現実的な処置」ということかも知れません。 しかし、こしたことはやはり悪しき習慣と言えるのではないでしょか、世の中、そんない気短な聴衆ばかりではないと思います。
私の知る限りではこの曲をフル・オーケスラで演奏しているのはこのCDのみだと思いますので、そういった意味でも大変貴重な録音だと思います。 でも、弦楽合奏版は、フル・オーケストラ版に比べて引き締まった感じもあり、別な魅力も感じます。
因みにギターのソロ・パートについてはどちらの版でも、全く同じになっています。
やはり「第3番」はいいが、多少「オマケ」も必要
「第3番ヘ長調作品70」 は晩年(1822年)の作ですが、管弦楽法にもいっそう熟達し、第1番を凌ぐ曲と思います。 特に冒頭の部分などなかなか”おしゃれ”で、今後もっと演奏されてもよい曲だと思います。
この「第3番」はあまり演奏される機会がなかったせいか、逆に簡略化などされずに「無キズ」で今日に至っています。 3曲ともオリジナル楽器使用ということと、リアルな音量バランスということで、ギターの音はかなり聴き取りにくくなっています。 個人的にはCDなのだから多少は 「オマケ」 してもらってもいいのではと思います。
二重奏曲が3枚
二重奏曲が3枚のCDに収められていますが、オペラの序曲の編曲、教育的な小品集、協奏的変奏曲などとなっています。 「協奏的変奏曲作品130」以外は、これまであまり演奏されることがなく、やはり貴重な録音だと思います。 またここでもロッシーニに関する曲が多くなっています。
友達? 親友? ただの知り合い?
ジュリアーニは1806~1819年までウィーンに滞在しましたが、その地でベートーヴェンなど多くの音楽家たちと親交を深めたようです。 ベートーヴェンの「交響曲第7番」の初演にも加わったことはいろいろなところで書かれているので、皆さんもご存知かも知れません。
ただ、実際に何の楽器を演奏したかは、はっきりしないようです。 ジュリアーニは若い頃チェロを弾いていたので、「チェロ・パートを弾いた」と書かれているものもありますが、「いや、テンパニーだ」とか、「名を連ねただけで、実際には演奏には加わらなかった」、と書かれているものもあります。
要するに初演者のリストに名前が載っていたということ以外は不明なようです。 またこれも詳しく書いてあるものはありませんが、実際にはどの程度、ベートーヴェンと親しかったのでしょうか? 親友? 友達? ただの知り合い?
ジュリアーニにとって、なにはともあれ、ベートーヴェンの「交響曲第7番」の初演に立ち会たことは自慢だったようです。 ジュリアーニが作曲した 「テルツ・ギターとギタのためのグラン・ポプリ作品67」 には、その「交響曲第7番」の第1楽章のテーマが登場します(大序曲も登場するが)。
ロッシーニは郷土が生んだ音楽的英雄
ベートーヴェン以上にジュリアーニが大きく関った作曲家といえば、何回か触れたとおり、「セビーリャの理髪師」などで有名なロッシーニがいます。 ロッシーニは1810~1820年代にはイタリアやウィーンをはじめ、ヨーロッパ中に大センセーショナルを巻き起こしたと言われています。
ジュリアーニにしてみれば、ロッシーニが超人気作曲家というだけでなく、郷土が生んだ音楽的英雄といった思いもあったのかもしれません、晩年にはロッシーニに因んだ作品を多数作曲しています。
確かにジュリアーニの音楽はロッシーニと共通するものがあるように思います。 1820年代に作曲された「ロッシニアーナ」は現在でもジュリアーニの作品の中ではよく演奏され、特にオリジナルのオペラを知らなくても楽しめる作品だと思います。
この「ロッシニアーナ」は全部で6曲あるのですが、このCDではなぜか4曲のみになっています。 「ポプリ」の方を優先させたのでしょうか。
オペラをまるごとギター1台でなんて
また当時大変人気を博したと言われるロッシーニの「セミラーミデ」の全曲ギター独奏編曲が2枚のCDに収められています。 私自身このオペラをよく知らないので、どの程度の「全曲」なのかはわかりませんが、一つのオペラを丸ごとギターで弾くなどということは、確かに他には聴いたことがありません。
ただロッシーニにしても、ジュリアーニにしても、とても似た曲が多く、さすがにこちらは原曲を知らないと楽しみにくいかも知れません。
Duo Maccari-Pugliese
演奏者の紹介をしていませんでしたが、この9枚のジュリアーニのCDのうち、「セミラーミデ」の2枚を除いてはクラウディオ・マッカリとパオロ・プリエーゼというギタリストが演奏しています。 CD5、6の「4つのロッシニアーナと4つのポプリ」は基本的に独奏曲のはずですが、演奏は Duo Maccari-Pugliese となっていて、どちらが演奏しているかは書いてありません。
さりとて二人で独奏曲を弾いたり、二重奏にアレンジして弾いている感じでもありません。 使用楽器(主に19世紀初頭の楽器)については細かく記されているのですが、なぜか演奏者は明記されていません。
大大序曲?
ついでにジャケット裏の曲目データには、
5 Grande Ouverture Op.6 17:53
となっていて、ジュリアーニに20分にも迫る、こんな長い 「大序曲」 があったのかなと思いましたが、もちろんこのこの曲は皆さんがご存知のあの「大序曲」です。 お気づきのとおり 「1」 が移動してしまい、正しくは、
5 Grande Ouverture Op.61 7:53
です。 こんな間違いって意外とよくあります。
軽快な指さばきだが
この二人の演奏スタイルは確かによく似ていて、軽快な音と軽快な「指さばき」が特徴だと思いますが、重要な音とそうでない音(伴奏の刻みのような)との音量の差が大きいのも特徴でしょう。 ただあまりにも弱音用いるので、細部が不明瞭に感じてしまいます。
それは独奏でも二重奏でも、協奏曲でも同じようです。 協奏曲でギター・パートが不明瞭なのは録音や楽器の音量だけではないかも知れません。
Izhar Elias
「セミラーミデ」を演奏している Izhar Elias については初めて聴くギタリストなので、詳細はわかりませんが、Maccari と同じ1812年のガダニーニを使用して演奏しているので、Maccari-Puglieseの二人と何らかの関係があるのかも知れません。
音質的にはこのEliasの方が質感とか力感とかはあるように思います。 また細部もクリヤーに弾いています。 Maccari-Puglieseたちと同じく爪を使わない、いわゆる「指頭奏法」を用いているようです。
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