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中村俊三 ブログ

中村ギター教室内のレッスン内容や、イベント、また、音楽の雑学などを書いていきます。


久々ですが

 久々の「ギター上達法」です。1年以上も間が空いてしまいましたが、これからも飽きずに続けてゆきます。さて、しばらくぶりの今回は「楽譜を読む」というタイトルです。前にも「読譜力」というタイトルで記事を書きましたが、今回は同じ楽譜を読むと言っても、初見力を付けるといったことではなく、音楽的な内容や、作曲家の意図を読み取るといったような観点で話を進めてゆこうと思っています。

 と言ったように2週間ほど前から下書きを書き始めたのですが、いざ書き始めてみると、このテーマは音楽にとって本質的、かつ重大なもので、私などにはあまりにも荷が重過ぎることを実感しました。別のテーマにしようかとも思ったのですが、言ってしまった以上(まだ言っていなかったかな?)というか、書き始めてしまった以上、やぶれかぶれで、開き直ってやってしまおうと思います。まあ、研究論文というわけでもないし、本にするわけでもないし、とりあえずブログですから(失言、こんな言い方はない!)。当記事は正しい内容を書いたものというより、どこにでもいそうな一人のギタリスト、あるいはギター教師が、楽譜についてこのように考え、このように楽譜を読んでいるということを多少なりともわかっていただければと思います。以下、不正確な部分や、少なからぬ誤り等もあるとは思いますが、ご容赦下さい。


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動かない絵

 いきなり昔話からで恐縮なのですが、私の小学校低学年の頃は、まだ各家庭にはテレビは普及していませんでした。映画も特別な時でもない限り、見られませんでした(他の家ではどうだったかわかりませんが)。そんな当時、学校では時々先生が授業時間に紙芝居やってくれました。テレビはもちろん、映画などもほとんど見たことのない私たちですから、それをとても楽しみにしていました。動かない絵に先生の語りが付くだけなのですが、私たちはもうすっかりお話の中に入っていってしまい、目の前にあるのが動かない絵だとか、聴こえてくるのは先生の声だとかということはすっかり忘れ、赤ずきんちゃんの悲鳴が聞こえ、恐ろしい狼が襲ってくる様子が見えたのです。


 その時の先生のお話がとても上手だったのだろうと思いますが、その時の私は先生のせりふの読み方についてなど、全く考えたこともありませんでした。今思えばですが、その先生はこのお話がどういう内容かということをしっかりと把握し、その上で登場人物(動物?)のキャラクターを先生なりに作りあげ、それに応じて声色や言い回しを工夫していたのでしょう。しかし私(たち)の心に残っているのは先生の紙芝居のやり方ではなく、そのお話そのものです。多分その先生の意図したとおりにそのお話は、私たちの記憶に刻まれたのでしょう、その生徒の一人が、こうしてまだ覚えている訳ですから。



ふくろうのお医者さん

 またちょと話が変わりますが、小学1年生の時だったと思いますが、学芸会で劇をやりました。確か「ピノキオ」だったと思います、ちょっと頼りない記憶ですが。私は”ふくろう”だったか”からす”だったか、そんなお医者さんの役でした。本番では舞台に一回だけ登場して、一言せりふを言うことになっていました。稽古の時、登場の仕方を何度もやらされた記憶があります。先生からいろいろな注文が付けられるのですが、私はさっぱり意味がわからず、何回やってもOKが出ません。

 「・・・・・ような感じで入ってみて」と先生に言われ、私はとぼとぼと舞台中央(と言う設定になっている)のほうに歩いてゆきます。すると先生は「そうじゃなくて、・・・・のようにね」。私は「はい」と返事するとまた同じようにとぼとぼと歩いてゆきます。「そうじゃないでしょ、・・・・・のようにだってば! 」 ・・・・「違うでしょ!! 」


 結局先生は最後に「じゃあ、ぐるぐる回りながら入ってみて」と言い、私は相変わらずなんだかよくわからないままに、言われたとおりにすると、先生は相変わらず不満そうな感じで、「じゃあ、いいわ、それで」ということで、本番はそんな感じで舞台に入ることになりました。



ダイジョウブデス ダイジョウブデス

 私は、後にも先にも舞台で役を演じるなどということはこの時が最初で最後です。当時小学校の学芸会というと、大勢の父兄などが見に来るのですが、私は特に緊張するとか「あがる」などということは全く感じませんでした。第一その頃は「あがる」などという言葉の意味さえわからなかったかも知れません。また上手く出来るかそうか心配しようにも、何が上手くいって、何が上手くいかないかもわかりませんでしたから、心配しようもありません。

 私たちの劇が始まり、私の出番になると、練習の時に先生に言われたとおり、おぼつかない足取りで、舞台そでのほうから、意味不明にぐるぐる回りながら舞台中央へと進み、ピノキオ(多分?)の寝ているベットの脇に立つと、おそろしい程の棒読みで、「・・・・ダイジョウブデス・・・・ ダイジョウブデス・・・・ シンデイナイカラ・・・・ ダイジョウブデス・・・・ 」と言うと、会場の父兄から一斉に大爆笑が起きました。



大爆笑

 その時私は驚いたというか、全く意味がわかりませんでした。というよりせっかく一生懸命にやっているのなぜ笑われなければならないのか、とても気を悪くしました。もちろん今の私がそこに居合わせたら、他の父兄といっしょにお腹を抱えて笑ったでしょう。もし器用で、なまじ演技力のある子がやったら、おそらくそんなに受けなかったと思いますが、そのいかにも不器用そうな動作と、恐ろしいまでの棒読みでは、もう笑いころげるしかないでしょう。


 その学芸会が終わってから多少わかったことですが、そのフクロウ(またはカラス)のお医者さんは、重体患者や、とても心配している周囲の人たちを前にしても、助手たちが手に負えないほど陽気にはしゃぎまわるといったキャラクターのようだったようです(最近の言葉で言えば、「無駄に明るい」、とか「KY」といったところでしょうか)。とはいえその本番の舞台に立つまでは、その劇がどんなストーリーで、自分の役がどんなキャラクターかなど全くわかりませんでしたし、また興味も全くなかったのも確かでした。


 第一回目は無駄話で終わってしまいましたが、この二つの話で私が何をお話したいのか分かりの方もいるかも知れません。でもそれはまた次回にしましょう。

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 今日=3月13日(土) ひたちなか市アコラで河野智美さんのミニ・コンサートを聴きました。河野さんは昨年の東京国際ギター・コンクールで第3位を受賞しました。演奏曲目は以下のとおりです。



 吉松隆     : 風色のベクトル

 G.レゴンディ : 練習曲第1番、 夢
 
 J.S.バッハ   : アンダンテ、アレグロ

 D.ボグダノヴィッチ : ソナタより第1,2,4楽章 

 I.アルベニス    : アストウリアス

 F.タレガ      : アルハンブラの想い出


 
 そういえば、最近週に一度仕事で常陽芸文センターに行くだけで、ほとんど外出していませんでした。「今年は近くで行われるコンサートなどには積極的に聴きに行こう」と言っていた割には、このところほとんど引きこもり状態です。昨年、一昨年とちょっとがんばったせいもあるかも知れませんが、この2,3ヶ月間仕事以外で外出したのは、1月のアコラの新年会以来かも知れません。でも意外とこれが楽しい、根っからのイン・ドア派なのでしょうね。もう1,2ヶ月くらいは「引きこもり」たいと思っています。




             河野智美


 と言うわけで、今日は久々のコンサートというか、外出です。河野さんの演奏を聴くのはは1996年のクラシカル・ギター・コンクール時以来だと思いますが、その時の記憶などほとんどなく、実質上は初めて聴くといえるでしょう。今日聴いた河野さんは、そのキャリアが示すとおり、的確な技巧と美しい音を持つすばらしいギタリストと感じました。


 「風色のベクトル」はじっくりとギターの響きを聞かせる部分と、活発な動きの部分とになっていますが、そのギター的な響きの美しさがとてもよく感じられました。特に日本的な素材を使っているわけでもないと思いますが、こうした響きを重んじる音楽は、やはり「日本的」ともいえるように思います。武満徹の音楽にも言えますが。


 レゴンディの曲はどちらも難しい曲ですが、それを感じさせることなく、また前の曲とはうって変わって、ロマン派的な語り口調です。弱音から入るトレモロはたいへん美しい。


 ボグダノヴィッチの曲は吉松隆の曲とほぼ同時代の曲と思いますが、吉松の曲に比べると、リズムの要素が強く、響きも「行間を読む」的ではなく、直接耳に訴えるという感じで、なかなか面白い和音も出てきます。


 バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタからの2曲は、ゆっくりと歌う曲と快速なテンポの曲の組み合わせで、とても楽しめました。アンダンテは表情豊かに歌わせる一方、装飾もいろいろほどこしてあります。「アレグロ」はイ短調というせいもあってか、ギターにはよく馴染む曲(技巧的には難しいが)で、強弱の陰影もつけながら、颯爽と弾いていました。


 「アンコール代わり」と言う2曲、アストゥリアスは速いテンポながら、和音をノイズを出すことなく、きれいに弾いていたのが印象的です。「もう指が痛い」と言って弾き出した「アルハンブラの想い出」もとても美しく、なお且つ「フル・リピート」で弾いていました。「(ミニ・コンサートのわりには)長いコンサート」と言っていましたが、とても短く感じたコンサートでした(実質1時間前後)。



 
 CD22 マキシモ・ディエゴ・プホール:ギター二重奏曲全集   ~ピアソラ風のタンゴ二重奏曲

 マキシモ・ディエゴ・プホール(1957~)はタンゴの巨匠、アストル・ピアソラ風のギター曲を作曲している人です。確かに聴いた感じではピアソラの曲に似ていて、こCDの2曲目の「ミロンガ」などはほとんど「ブエノスアイレスの冬」に聴こえます。演奏者(ジョルジオ・ミルト、 ビクトル・ビジャダンゴス)については情報がありませんが、技量も高く、また音も美しく、この音楽を過不足なく表現しているように思います。ミルトの方は10弦ギター使用とのことです。これも聴いていてとてもくつろげる1枚です。


 
 CD23 カステルヌーヴォ=テデスコ:ギター協奏曲全集   ~テデスコの3曲の協奏曲

 ロレンツォ・ミケーリはイタリアのギタリストと思いますが、ナクソスの方でもタデスコのギター独奏曲集を出していて、テデスコのスペシャリストなのかも知れません。またナクソスとブリラントをまたいで録音しているギタリスト多いようですね、このようなこともこうしたレーヴェルの特徴なのかも知れません。「二つのギターのための」はマッシモ・フェリチとロレンツォ・ミケーリ、「第1番」はミケーリ、第2番はフェリチが演奏しています。曲目リストのほうに3つの協奏曲の他に「変奏曲によるサラバンド」というのがありますが、これは別個の曲ではなく「第2番」の第2楽章のことのようです(でもどうせ書くなら「サラバンドによる変奏曲」?)。

 「第1番」はセゴビア献呈された曲で、明るく、はつらつとしていてなかなか楽しめる曲です。この曲もアランフェス協奏曲に次ぐギター協奏曲の名曲でしょう。「第2番」は確かパークニングのために作曲された曲だったと思いますが、「二つのギターの・・・・」は誰だったかな・・・・。 オーケストラの技量はすごく高いとはいえないかも知れませんが、まず問題はないでしょう。


 
 CD24 ジラルディーノ:超絶技巧練習曲第1集    ~楽譜の校訂で有名なイタリアのギタリストの作品
 
 アンジェロ・ジラルディーノと言えば、楽譜の校訂者として知られていますが、作曲もしていたことはこのCDで初めて知りました。12曲の練習曲が収められていますが、作風としては前衛的(最近この言葉はあまり使われなくなってきたかな)で、無調的、あるいは12音技法的のようです。最近のギター曲に多くみられる、パーカッション的な特殊技法はあまり使われず、純粋な音程関係のみで作曲されています。またポピュラー音楽的な要素やリズムも使われてなく、いわば「正統的な」前衛音楽といったところでしょうか。12曲ともそれぞれ副題が添えられ、バルトーク、ベルク、プロコフィエフ、ヴィラ・ロボスなどの現代音楽の作曲家へのオマージュもあります。なお演奏しているギタリスト(クリスティアーノ・ポルケッド)については詳細はわかりません。



 CD25 ブローウェル:ギター独奏曲集

 いよいよ最後の25枚目は、キューバの作曲家、レオ・ブローウェルの「20のシンプルな練習曲」に、ブロウェルの作品としては人気の高い「黒いデカメロン」と「舞踏礼賛」が収められたCDです。ブローウェルもかつてはギター界における、前衛音楽の旗手などと言われましたが、こうして聴いてみると、すっかり耳に馴染んでいて、普通の(?)ギター曲という感じがします。

 同じ前衛音楽でもシェーベルクなどの無調、あるいは12音技法的ではなく、不規則なリズムに特徴があったり、民謡てきな旋律、あるいは旋律の断片を使っていたりで、強いて言うならストラビンスキーなどの路線に近いのかも知れません。 「黒いデカメロン」や「舞踏礼賛」は今や定番的なギターのレパートリーで、「シンプル・エチュード」は現代音楽への導入として、欠くことの出来ない教材です。ジョヴァンニ・カルーソの演奏は的確で、力強い演奏です。



 次回は「ギター上達法

 一応これで全部紹介し終わったことになりますが、このCDを購入した方も全部聴くのはなかなか大変だろうと思います。もちろん聴きたいCDだけ聴けばよいのだと思いますが、その際、この記事などを参考にしていただければ幸いです。この「格安CD紹介」はいずれまた再開したいと思いますが、とりあえずこの辺でシメておきましょう。次はまた「ギター上達法」を復活しようと思っていますが、じっくり考えないといけないところもあるので、このあとちょっと間があくとは思います。



 *限定15部

 今日、現代ギター社のOさんが私の家に来られ、いろいろな新刊書を紹介した後、「これは残りあと15部しかない貴重なものです、この際、先生1冊いかがですか」とバリオスの洋書を差し出しました。その本は英語とスペイン語で書かれたもので、後ろの方にはバリオスの自筆譜の写真がありました。価格を聞くと2~3万円すると言うので、「考えておきます」と返事をしてしまいました。

 その本を眺めているうちに、前回の「ワルツ第3番」ことを思い出して、その箇所を見てみたのですが(最初から32小節目の2拍目の「シ」~『B』の部分の5小節目)、確かにナチュラル記号は付いていないのですが、付けてある運指からすると、間違いなく「ナチュラル」と考えられます。どうやらこの「シ」の音はナチュラル記号の脱落と考えた方いいようです。ギタリストの作曲した曲は運指の方が信頼できるということもあります。これからこの曲を演奏する人はナチュラルになおしたほうがよいと思います。

 因みに記されている運指ではこの小節全体が「セーハ10」となっています。また冒頭の部分はバリオス自身、8分音符を詰め気味に弾いていて、ほとんど3連符のように弾いています。従って他のギタリストもほとんどの人が3連符で弾いていますが、譜面のほうにはしっかりと「普通の」8分音符で書かれています。つまり一般的な譜面どおりに8分音符で弾いても悪くはないということだと思います。もしかしたら自分以外の人はそう弾いた方がよいと思っていたのかも知れません。

 と言ったように、この本を買わずに立ち読みならぬ「座り読み」して、なお且つ当ブログの記事に活用してしまいました。Oさんごめんなさい。代わりにといっては何ですが、お金に余裕のある人と、バリオスに強く興味がある方はぜひこの本を買って下さい。早く決断しないとなくなってしまいますよ!
CD20 ロドリーゴ : ギター協奏曲集   ~アルフォンソ・モレーノ  ロドリーゴの3つの協奏曲

 そう言えば最初に挙げたCDの曲目リストにこのCDだけ抜けていました(HMVのコメントは間違いが多い!)。曲目は有名な「アランフェス協奏曲」、「ある貴紳のための幻想曲」、「ある宴のための協奏曲」の3曲で、最初の2曲については説明不要と思いますが、「ある宴のための協奏曲」は1982年の作曲ということなので、ロドリーゴが80歳を越えてからの作品ということになります(ホアキン・ロドリーゴ 1901~1999年)。ファリャの「7つのスペイン民謡」に出てくる旋律などを基にしているようです。

 モレーノのパワフルな演奏は、ポンセの協奏曲の場合と同じなのですが、やはり同じく音質はあまりよくありません。録音の関係ということにしておきましょう。



CD21 バリオス : ギター曲集    ~再びフォルホースト

 再びエンノ・フォルホーストの登場ですが、このギタリストはこのコレクションで私が初めて聴く人と思っていたら、私のCD棚に「バリオス・ギター曲集Ⅱ ~ナクソス盤」というのがありました。以前に何枚かのCDと一緒に取り寄せて、後で聴いてみようと思っているうちに忘れてしまったようです。だんだん自分で持っているCDも管理できなくなっているかな? 

 こちらのブリラント盤の方が「バリオス曲集Ⅰ」にあたり、1994年に録音されていて、このギタリストのデビュー盤にあたるそうです。なぜか二つのレーヴェルをまたいでバリオス全集を録音しています。「デビット・ラッセルに関係があるのかな?」と前に書きましたが、確かにデビット・ラッセルに師事したと書かれています。

 演奏内容は、バッハの時と同じく、とてもがっちりとした音楽作りです。曖昧さとか、ごまかしはなく、作曲家が残した音符と、そこから帰結される作曲家の考えやイメージを現実の音にしてゆく、といったタイプのギタリストのようです。また歌わせ方はあくまで自然で、無表情でもなく、また極端な感情移入も避けられています。このバリオスの演奏からはより真面目さが感じとれます。確かにデビット・ラッセルに近い音質や音楽へのアプローチがみられ、「さらに真面目なデビット・ラッセル」といったところでしょうか。もちろんデヴィット・ラッセルもたいへん真摯な態度で音楽に取り組むギタリストですが、それでもまだラッセルの演奏には、多少なりとも「遊び」や「即興性」みたいなものも感じます。このフォルホーストの演奏ぶりは、そのラッセル的な方向性の中から、枝葉的なものを切り捨て、より純化したような音楽に感じます。
 
 一曲目の「ワルツ第3番」はバリオス自身の演奏を基にした譜面のようですが、中ほどで、普通「シ♭」で演奏される音を「シ-ナチュラル」で弾いているところがあります。改めてバリオス自身の演奏を聴いてみましたが、何といっても”ものすごい”音質(もちろん良くない方)で、なお且つその音が2回とも不明瞭に弾かれていて、よくは聞き取れないのですが、やはり「ナチュラル」になっています。 譜面の方もよく見てみると、和声法的にも「ナチュラル」と考えた方が妥当性があるようです。他の部分もバリオス自身の演奏にかなり忠実に弾かれ、そんなところにも「真面目さ」が出ているのでしょうか。因みに、ウィリアムスやラッセルなど他のギタリストのほとんどはその部分を「シ-♭」で弾いています。

 「パラグアイ舞曲第1番」はめずらしい二重奏バージョンで演奏しています(共演は Hein Sanderink)。また前述のナクソス盤の「バリオス曲集Ⅱ」の方にはタレガの「ラグリマ」をテーマにした変奏曲が収録されています。12分ほどの結構長い曲で、初めて聴きますが(本当はもっと前に聴いているはず!)、なかなか面白い曲です。
 
クラシカル・ギター・コレクション、あと10枚なので、一応全部紹介してしまいましょう。



  CD12、13  ソル、コスト : 二重奏曲集  ~ラコートを使用してのオリジナル版

 ジュリアーニの二重奏曲集と同じく、クラウディオ・マッカーリとパオロ・プリエーゼの演奏ですが、使用楽器は作曲者に合わせて当時のフランスの製作家、ルネ・ラコートの3本の楽器が中心となっています。「慰めOp.34」は普通「アンクラージュマン」と呼ばれていて、ウィリアムスのCDの時にも触れた曲です。主旋律が第1ギターのみになっているオリジナルの譜面を使用していると思われますが、聴いた感じではそれほど違いはありません。主旋律以外の音などを抑え気味に弾いているところはジュリアーニの場合と同じです。

 アンクラージュマンの他、「ロシアの思い出」、「二人の友」、「幻想曲」他、教育的な作品も含めて現存するソルの二重奏曲がすべて収録されています。かつて山下和仁、尚子兄妹も全曲録音していました。

 コストの二重奏曲はなななか珍しいもので、今まであまり録音されなかったものだと思います。「グラン・デュオ」はなかかの力作です。なお最初に記載した曲目リスト(HMVのもの)では「コステ」となっていますが、一般には「コスト」とカタカナ表記されます。
 
 
 
  CD14 ポンセ、カルリ、ヴィヴァルディ : ギター協奏曲   ~アルフォンソ・モレーノ、 ヨゼフ・サプカ

 アルフォンソ・モレーノとヨゼフ・サプカという二人のギタリストによる4曲の協奏曲の入ったCDですが、おそらく本来は別の音源だったのでしょう。アルフォンソ・モレーノといえば、1970年代の後半に水戸でリサイタルを聴いた記憶があります。確かパリ国際ギター・コンクールを優勝してすぐの頃だったと思います。メキシコ出身のギタリストで、とてもパワフルな演奏だったのを覚えています。このCDを聴いてもそのパワフルさは健在なようです。ポンセの「南の協奏曲」は、セゴヴィアのために作曲され、セゴヴィアの録音も残されている曲で、ギター協奏曲としては名曲に数えられると思います。録音データなどは記されてなく、多分1980年代の前半くらいのものだろうと思いますが、音質とオーケストラの力量は今一つの感があります。

 カルリの協奏曲はジュリアーニの協奏曲第1番と同じ時期に作曲された曲で、ジュリアーニの曲同様、初版では管楽器も加わった「フル・オーケストラ」版でしたが、後に弦楽合奏に縮小した譜面が出されたようです。このCDでもその弦楽合奏版になっています。曲の方はとても親しみやすい感じで、カルリの曲としては独奏曲より楽しめるのではと思います。またここには収録されていませんが、カルリのもう一曲の協奏曲「協奏曲ホ短調」も魅力的な曲です。

 ヴィヴァルディの「協奏曲ハ長調」は原曲はマンドリンのための協奏曲で、かつて映画「クレーマー・クレーマー」に使われた曲。「二長調」の方はリュートのための協奏曲で、ギターでは大変よく演奏される曲です。
 
 

  CD15 カルッリ : ギターとピアノ・フォルテのための二重奏曲集   ~19世紀の楽器による二重奏

 曲目リストにはギタリストが「アルフォンソ・モレーノ」となっていますが、これは Leopoldo Sarasino の間違いです。蛇足かも知れませんが、楽器の「ピアノ」の正式名称は「ピアノ・フォルテ」と言い、これは弱音も強音も出せるということで、そう名づけられたのだと思います。もちろん今では面倒なので「ピアノ」と言うようになっています。これはおそらく世界中どこでも同じなのだろうと思います。しかし19世紀初頭くらいまではフルネームで呼んでいたと思われ、現在の習慣として、19世紀初頭くらいまでのピアノは「ピアノ・フォルテ」と呼び、19世紀後半くらいのものからは「ピアノ」と呼んでいます。したがってここで書かれている「ピアノ・フォルテ」は19世紀初頭の楽器で、Felix Gross と言う人の作だと記されています。

 ギターの方もオリジナル楽器で前述のマッカリなどと同じくガダニーニを用いています。曲のほうはさすがカルリらしく、どこかで聴いたことの(弾いたことのある)メロディやパッセージが次々と出てきます。現代のグランド・ピアノよりはこのピアノ・フォルテのほうがギターには相性がよいとは思いますが、基本的にはそれぞれ似た音質で、なおかつ音量が全然違うので、やはり難しい点もあるでしょう。



  CD18 ロマンティック・ギターⅠ   ~ダニエル・ベンケー  一人二重奏によるクラシック名曲

 ダニエル・ベンケーというギタリストは1970年代くらいに名前だけは聴いたことがあります(覚えやすい名前のせいか)。中身の方はシューベルトの「セレナード」やリストの「愛の夢」などクラシック名曲の二重奏と、RocamoraやRohなど、初めて名前を聴く作曲家の曲、およびタレガのアラビア風奇想曲などの独奏曲となっています。ギタリストの名前は一人しか書いてないので二重奏の方はオーヴァー・ダビング(一人二重奏)なのでしょう。このCDの前半と後半が全く違う傾向の曲なので、2種類以上の音源を1枚のCDにまとめたものかも知れません。

 前半の二重奏では、馴染みのあるメロディを美しく聴かせ、また初めて聴く作曲家の曲は、曲も演奏もなかなか興味深いものです。ただ1枚のCDとして聴くとやはりまとまりを欠くように思います。またジュリアーニやピッチニーニなどの曲を聴いた後では違和感も感じます。出来れば別なコレクションに入れてもよかったのでは・・・・・というのは余計なお世話かな。


 
  CD19 ロマンティック・ギターⅡ   ~セゴビアの高弟、アリリオ・ディアス

 アリリオ・ディアスは1923年にベネズェラに生まれたギタリストで、レヒーノ・サインス・デ・ラ・マーサとセゴヴィアに師事し、セゴヴィアのシエナでのマスタークラスでは助教もした人です。録音データ等はありませんが、おそらく1960年代の録音で、楽器もラミレスⅢではないかと思います。ディアスの演奏は、セゴヴィアを彷彿させる演奏で、20世紀を代表するギタリストの一人だと思います。「ロマンティック・ギター」とタイトルされていますが、実質的にはスペイン・ギター曲集です(ヴィラ・ロボスの曲も入っていますが)。