久々ですが
久々の「ギター上達法」です。1年以上も間が空いてしまいましたが、これからも飽きずに続けてゆきます。さて、しばらくぶりの今回は「楽譜を読む」というタイトルです。前にも「読譜力」というタイトルで記事を書きましたが、今回は同じ楽譜を読むと言っても、初見力を付けるといったことではなく、音楽的な内容や、作曲家の意図を読み取るといったような観点で話を進めてゆこうと思っています。
と言ったように2週間ほど前から下書きを書き始めたのですが、いざ書き始めてみると、このテーマは音楽にとって本質的、かつ重大なもので、私などにはあまりにも荷が重過ぎることを実感しました。別のテーマにしようかとも思ったのですが、言ってしまった以上(まだ言っていなかったかな?)というか、書き始めてしまった以上、やぶれかぶれで、開き直ってやってしまおうと思います。まあ、研究論文というわけでもないし、本にするわけでもないし、とりあえずブログですから(失言、こんな言い方はない!)。当記事は正しい内容を書いたものというより、どこにでもいそうな一人のギタリスト、あるいはギター教師が、楽譜についてこのように考え、このように楽譜を読んでいるということを多少なりともわかっていただければと思います。以下、不正確な部分や、少なからぬ誤り等もあるとは思いますが、ご容赦下さい。

動かない絵
いきなり昔話からで恐縮なのですが、私の小学校低学年の頃は、まだ各家庭にはテレビは普及していませんでした。映画も特別な時でもない限り、見られませんでした(他の家ではどうだったかわかりませんが)。そんな当時、学校では時々先生が授業時間に紙芝居やってくれました。テレビはもちろん、映画などもほとんど見たことのない私たちですから、それをとても楽しみにしていました。動かない絵に先生の語りが付くだけなのですが、私たちはもうすっかりお話の中に入っていってしまい、目の前にあるのが動かない絵だとか、聴こえてくるのは先生の声だとかということはすっかり忘れ、赤ずきんちゃんの悲鳴が聞こえ、恐ろしい狼が襲ってくる様子が見えたのです。
その時の先生のお話がとても上手だったのだろうと思いますが、その時の私は先生のせりふの読み方についてなど、全く考えたこともありませんでした。今思えばですが、その先生はこのお話がどういう内容かということをしっかりと把握し、その上で登場人物(動物?)のキャラクターを先生なりに作りあげ、それに応じて声色や言い回しを工夫していたのでしょう。しかし私(たち)の心に残っているのは先生の紙芝居のやり方ではなく、そのお話そのものです。多分その先生の意図したとおりにそのお話は、私たちの記憶に刻まれたのでしょう、その生徒の一人が、こうしてまだ覚えている訳ですから。
ふくろうのお医者さん
またちょと話が変わりますが、小学1年生の時だったと思いますが、学芸会で劇をやりました。確か「ピノキオ」だったと思います、ちょっと頼りない記憶ですが。私は”ふくろう”だったか”からす”だったか、そんなお医者さんの役でした。本番では舞台に一回だけ登場して、一言せりふを言うことになっていました。稽古の時、登場の仕方を何度もやらされた記憶があります。先生からいろいろな注文が付けられるのですが、私はさっぱり意味がわからず、何回やってもOKが出ません。
「・・・・・ような感じで入ってみて」と先生に言われ、私はとぼとぼと舞台中央(と言う設定になっている)のほうに歩いてゆきます。すると先生は「そうじゃなくて、・・・・のようにね」。私は「はい」と返事するとまた同じようにとぼとぼと歩いてゆきます。「そうじゃないでしょ、・・・・・のようにだってば! 」 ・・・・「違うでしょ!! 」
結局先生は最後に「じゃあ、ぐるぐる回りながら入ってみて」と言い、私は相変わらずなんだかよくわからないままに、言われたとおりにすると、先生は相変わらず不満そうな感じで、「じゃあ、いいわ、それで」ということで、本番はそんな感じで舞台に入ることになりました。
ダイジョウブデス ダイジョウブデス
私は、後にも先にも舞台で役を演じるなどということはこの時が最初で最後です。当時小学校の学芸会というと、大勢の父兄などが見に来るのですが、私は特に緊張するとか「あがる」などということは全く感じませんでした。第一その頃は「あがる」などという言葉の意味さえわからなかったかも知れません。また上手く出来るかそうか心配しようにも、何が上手くいって、何が上手くいかないかもわかりませんでしたから、心配しようもありません。
私たちの劇が始まり、私の出番になると、練習の時に先生に言われたとおり、おぼつかない足取りで、舞台そでのほうから、意味不明にぐるぐる回りながら舞台中央へと進み、ピノキオ(多分?)の寝ているベットの脇に立つと、おそろしい程の棒読みで、「・・・・ダイジョウブデス・・・・ ダイジョウブデス・・・・ シンデイナイカラ・・・・ ダイジョウブデス・・・・ 」と言うと、会場の父兄から一斉に大爆笑が起きました。
大爆笑
その時私は驚いたというか、全く意味がわかりませんでした。というよりせっかく一生懸命にやっているのなぜ笑われなければならないのか、とても気を悪くしました。もちろん今の私がそこに居合わせたら、他の父兄といっしょにお腹を抱えて笑ったでしょう。もし器用で、なまじ演技力のある子がやったら、おそらくそんなに受けなかったと思いますが、そのいかにも不器用そうな動作と、恐ろしいまでの棒読みでは、もう笑いころげるしかないでしょう。
その学芸会が終わってから多少わかったことですが、そのフクロウ(またはカラス)のお医者さんは、重体患者や、とても心配している周囲の人たちを前にしても、助手たちが手に負えないほど陽気にはしゃぎまわるといったキャラクターのようだったようです(最近の言葉で言えば、「無駄に明るい」、とか「KY」といったところでしょうか)。とはいえその本番の舞台に立つまでは、その劇がどんなストーリーで、自分の役がどんなキャラクターかなど全くわかりませんでしたし、また興味も全くなかったのも確かでした。
第一回目は無駄話で終わってしまいましたが、この二つの話で私が何をお話したいのか分かりの方もいるかも知れません。でもそれはまた次回にしましょう。
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