中村俊三 ブログ

中村ギター教室内のレッスン内容や、イベント、また、音楽の雑学などを書いていきます。

譜例 10

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 「譜例10」はナポレオン・コストのト短調の練習曲です。ギターではこのフラット2つのト短調は弾きにくいので練習曲などは非常に少なく、比較的やさしいものとしては唯一この曲くらいかも知れません。この曲はそういったギターでは珍しい調を用いているので、短い曲ですが独特の響きがしてなかなか印象的です。コストはソルの後継者といった人で、ソル同様にはっきり声部分けした楽譜の書き方をします。



低音だけ長い音符で書き、和音であることを暗示する

 最初の小節を見ると、最初の音(⑥弦のソ)は付点4分音符で書かれていて、その小節の半分まで音を保持するように書いてあります。次の「シ♭」は形の上では8分音符で書かれていますが、前後関係を考えると、弾いてすぐには放さず、次の「レ」まで保持する、つまり「4分音符」と考えないといけません。その結果として、3音目の「レ」を弾いた段階で「ソ、シ♭、レ」の和音が響くようにします。確かに譜面上では長く伸ばすのは最初の「ソ」だけですが、次の「シ♭」も長い音符で書くと楽譜が煩雑になってしまうので8分音符で書いてあると考えるとよいでしょう。実際に本当に譜面どおりに「ソ」を付点4分音符で弾いて、「シ♭」を8分音符で弾くほうがかえって弾きにくいと思います。


一人二役

 2小節目など他の小節も同様ですが、この曲は譜面上ではほぼ単旋律の曲となっていますが、メロディが同時に和音にもなっていて、一つずつ音を弾きながらも和音とメロディがどちらも聴こえるようになっています。ギターではピアノなどと違い、同時にたくさんの音を弾くのは難しいので、一つの音にメロディと和音と両方の役割を持たせることがよくあります。仮に楽譜上ではそれが旋律か和音かということがはっきり書いていなかったとしても、その役割を譜面上から判断して演奏しなければならないでしょう。



譜例 11

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 「譜例11」は私がアレンジした「愛の賛歌」ですが、初級の教材なので伴奏の音はかなり少なくなっています。1小節目(最初の不完全小節を除いた)も伴奏、つまり和音としては2拍目の「ド、ミ」しかありませんが、後半のメロディの「ミ、ソ#、シ、レ」はちょうど「E7」のコードになっていて弾いた音を残してゆくと実際はメロディしか弾いていなくても、和音が聴こえるようになっています。3小節目の後半の「ファ、ラ、ド、ミ」も同様で、こちらは「Fメジャー7」になっていて、指的にも押さえたまま(順番に押さえてゆくが、押さえたら4つの音を弾き終えるまで放さない)のほうがかえって弾きやすくなります。こうした部分がコードとして聴こえるかどうかで、この曲もだいぶ違って聴こえると思います。もっともメロディ自体をレガート弾くことも大切です。


譜例 12

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 「譜例12」はカルリの「アンダンテ」で、以前にも例として用いました。初級の教材としてよく用いられる曲です。この譜面もオリジナルの譜面がないので、カルリが実際に書いた譜面がこのとおりなのかどうかはよくわかりません。前回の曲同様低音は、はっきりと長さが示されていなくて、上声部と「棒」て繋がっているだけかも知れませんが、普通私たちが見るのはこのような譜面です。因みにこの譜面は全音出版の「フェルナンド・カルリ 45の練習曲集 人見徹編」から写したもので、強弱記号などは省いています(これも、もともとあったかどうかは、わかりません)。



休符=消音ではない

 ちょっと気になるのは7小節目(最初の不完全小節は数えない)で、低音の「レ」と「ミ」がそれぞれ4分音符になっていて、その後に4分休符が付いています。前述のとおり、もともとこのように書かれていたかどうかは、はっきりしません。もしこれを楽譜どおりに弾くとすると、下がってくる音階の3つ目の「ミ」を弾く時に、同時に低音を親指で消音しなければならず、これは初級者としては難しい技術になると思います。カルリがそのようなことを要求するとは考えられず(初級者に”やさしい”のがカルリの特徴ですから)、ここは実質上2分音符と扱ってよい、つまり消音の必要はないと思います。その2つの音符(低音の「レ」と「ミ」)が2拍ずつ伸びたとしても、特に問題になるようなことはありません、むしろそう弾くべきでしょう。


 普通に初級者(ギターを始めて1~3年程度の)が弾いたら、あえて消音したりはしないでしょうが、上級者、あるいは潔癖症的な人がこの曲を弾いたりする時、この「消音」に強くこだわる人もいます。しかし諸状況を考えると消音の必要などありません、つまり「休符=消音」ではないのです。もし低音の消音が得意な人でしたら、3小節目から4小節目にかけてなどの、低音が⑥弦の「ミ」から⑤弦の「ラ」に変わるところを消音したらよいでしょう、確かに⑤と⑥弦が同時になってしまったりすると多少不快な音になります。もちろん初級者の場合はその限りではありません。



なぜここだけ低音が先?

 話がちょっと変わりますが、この曲の場合1小節目のように、低音は拍の裏側、つまり3度の和音の後に出てきます。ほとんどの小節がそうなっていますが、15小節目のところだけ、なぜか低音が先に、つまり拍の表に出てきます。またまたですが、なぜだと思いますか? 

 当然何か理由があると思います。少し先を見るとなんとなくわかると思いますが、次の小節の4分休符にはにはフェルマータが付き、曲は一時停止となります。そして15小節目の4拍目の低音にはシャープが付いています。この曲(の前半)の低音はここ以外シャープなど全くなく、開放弦でないのもここだけとなっています。いろいろ見ると、ここが特別なところだということがわかると思います。音楽用語的に言うと、ここは属和音で終わる「半終止」というところで、一応終わったような感じにはなるのですが、本当の終わりと違ってちょっと落ちつかない終わり方をします。



ねこ? たぬき? でもよかった轢かなくて

 また変な例えで申し訳ありませんが、車に例えると、24小節目のような本当の終わりは、家のガレージに車を止めるような感じと言えるでしょうか。家の少し前から減速して、いつものように静かに止まる感じです。それに対してここの終わり方は広い道路を快調に走っていて、急に何かが飛び出してきたので、急いでブレーキを踏んだ、そんな感じでしょうか。でも早めの判断とブレーキにより、なんとか飛び出してきたその小動物を無事やり過ごすことができたので、何事もなくまた発進した・・・・ といった感じだと思います。つまり自然に減速するのではなく、思いっきり足に力を入れてブレーキを踏んで止まる、と言う感じです。車の場合踏ん張るのはブレーキを踏む足ですが、この曲の場合は低音となります。15小節目の4つの低音にはしっかりと力を入れて踏ん張らないといけないのですが、特に4拍目の「レ#」には力を入れます。ここは裏拍の「ラ」、「ド」と合わせて「減7」という緊張感のある和音にもなるからです。



拍の裏表がひっくり返ってしまう

 もう低音を拍の表にした理由がおわかりと思いますが、もし低音は他と同じ裏拍だったら踏ん張ることが出来ません、仮に裏拍のまま強く弾けば拍の裏表がひっくり返って聴こえてしまいます。といったように、若干音楽用語的に言えば、「ここは減7の和音を経て、半終止となるので、その前のところより音量が必要となる。特に低音を強く弾く必要があるので、それまで裏拍だった低音を表拍に変えた」 ということになるでしょうか。因みに、16小節目の休符に付いったフェルマータは、「この休符を通常より長くする」と考えるよりも、「ここで曲が一時停止する」と考えたほうがようと思います。



最も大事なことは

 以上のような話をしておきながら、何ですが、この練習曲を練習するにあたって、最も大事なことは、低音の消音でも、半終止の仕方でもなく、ごく基本的なことの、非常に単純な反復練習にあると言えます。譜面上同じような音形がたくさん続き、さらにリピート・マークやダ・カーポなどが付いているのは、なるべくたくさん反復練習をするようにといった意味に考えられると思います。アル・アイレ奏法(カルリの時代にはアル・アイレ奏法しかなかったと思いますが)による音階、imによる3度の練習、さらに低音の付いた音階練習などですが、初級者にとっては音階を美しい音でクリヤーに、さらにレガートに弾くのは決して簡単なことではありません。また3度の和音となるとさらに音が貧弱になったり、2つの音がそろって聴こえなかったりします。やはり大事なのはそうしたことで、一見この曲を簡単に弾けると思っている中級者や上級者と言えど、それらがクリヤー出来ているとは限りません。この練習曲の本当の狙いはその辺にあるといえるでしょう、少なくとも私はそのような考えでこの曲をレッスンに用いています。
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今日(4月25日)つくば市カピオ・ホールで「第9回ギターフェスティヴァル in つくば」が行われました。出演団体は以下のとおりです。



ギターアンサンブル”ルピナス”
ホーム・ギターアンサンブル
すみギターアンサンブル
守谷ギターアンサンブル
ギターアンサンブル・リベルタ
玉里ギターフレンズ
筑波大学ギター・マンドリン部
アコラ・フレンズ


ゲスト演奏 : 東京ギターカルテット



 今回は私のところ(水戸ギター・アンサンブル)は出演しませんでしたが、各団体とも昨年よりメンバーも充実していて、この1年しっかりとした活動をしていたのではと思います。演奏内容も特にアンサンブルの乱れ等もなく、たいへんよくまとまっていて、今日のフェスティヴァルのために真摯に練習に取り組んだ様子が伺えます。



 若干余談ですが、一般にギターの音色は、「独奏や二重奏ではたいへんよいのだが、大勢の合奏となるとイマイチになる」、などと言われることもあります。しかし合奏であっても、メンバーの一人ひとりがそれぞれ自らの音を磨き上げれば、当然美しい音色の合奏が出来上がるはず。さらには一人一人のギタリストが独自の音色をもつように、個々のアンサンブルが独自の音色や響きを目指すのも、また大切なこと。私たちもそのように考えて、今秋(11月14日)の水戸ギターアンサンブル演奏会に臨みたいと思います。


 フェスティヴァルの実行委員の皆さん、本当にご苦労様でした。今回もスムーズなコンサートになったと思います。

フェルナンド・カルリ


譜例 5

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 「譜例5」は初級のテキストなどによく登場するフェルナンド・カルリの「ワルツ」です。私たちが普段目にするのはこのような譜面なのですが、カルリの場合、パガニーニなどと同じく”声部分け”をしなかったと言われるので、もしかしたら元は「譜例6」のような書き方だったかも知れません。この曲のオリジナルの譜面を見たことがないので、はっきりとは言えませんが、カルリには少なくともこのような書き方をした曲があるのは確かです。仮に「譜例6」のように書いてあったとしても低音は、前回の弾き語りのアルペジオの時同様に、その和音が続く範囲、つまりその小節内は左指を押さえたままにしておいて、余韻を残すようにしなければなりません。


譜例 6

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アルペジオか音階か

 ある程度ギターが弾ける人でしたら、無意識にそのように弾くかも知れませんが、やはりどこまで低音を伸ばすかは意識したほうが良いでしょう。ちょっと気を付けなければならないのは、短調になる中間部、つまり17小節からの部分で、低音はもちろんその小節の最後まで残しますが、17~18小節のようにアルペジオ、つまり和音になっている箇所は和音として聴こえるように「ラ」や「ド」も押さえたままにして音を残さなければなりません。しかし19~20小節のように音階的な場合は、仮に弦が変わったとしても音を残さないように弾きます。17~18小節と19~20小節では楽譜の書き方上は同じなのですが、演奏する人はそれがアルペジオなのか、音階(メロディ)なのかを判断して演奏しなければなりません。ただ「先生にそう言われたから」というだけではちょっと寂しいかなと思います。



元は同じなのに

 また”ついで”ですが、このワルツには変奏が付いていて、その第1変奏の短調の部分(17~24小節)は「譜例7」のようになっています。どのように変えたかは一目瞭然で、17~18小節がこのように違った形のアルペジオになることはよいとしても、音階だった19~20小節も同じようにアルペジオになり、特に20小節など17~18小節と全く同じになっていて、3小節同じアルペジオが続きます。ある意味かなり大胆な簡略化と言えますが、これも練習する人のことを考えてのことでしょう、「見た目」のわりには初心者にも弾きやすくなっています。なんといっても初心者に優しい(易しい?)のがカルリの特徴です。しかしなぜか19小節と23小節はもともと同じだったはずなのに違う形の和音になっています、ちょっと不思議だと思いませんか?


譜例 7

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やさしい=いい加減、ではない

 何事も疑問に思うことは大事だと思います。19小節は、「ミ、ソ#、シ(省略)、レ」の和音になっていますが、このうち「レ」は1音下がって「ド」にしか行けない音(限定進行音)なので、20小節のような和音には進めるが、24小節のような形には進めません。つまり「レ→ラ」とは進めないわけです。そこで24小節のように「ラ」を二つ重ねて終わる形にするには、23小節のように、「ミ、ソ#、シ」の和音の形にして、どの音も「ラ」に進める形にした訳です(「シ→ラ」とは進める)。初心者のために徹底して簡略化した曲を書いても、ちゃんと締めるべきところは締めているのがフェルナンド・カルリのやりかたなのでしょう、易しい曲を書いても、しっかりと和声法に基づいた作曲をしています。 



パガニーニの場合

譜例 8

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 「譜例8」は教本などお馴染みのパガニーニの「ソナチネ」の後半部分です。パガニーニについてはCD紹介のところでも話しましたが、一般には伝説のヴァイオリニストと知られていて、ギターの作品を書いたということはあまり知られていないようです。しかし前にも書いたとおりギターの作品はかなりの量が残されていて、パガニーニの残した作品のうち、ギターを含む作品、およびギター独奏曲はかなりの割合を占めています。

 この譜面のほうは溝渕編のカルカッシギター教本から写したもので、オリジナルの譜面を見たことはないのですが、おそらくパガニーニの書いた譜面は、だいたいこのようなものと考えられます。見てわかるとおり、特に低音は高音と”棒”でつないであるだけで、正確な長さが書いてありません、一見8分音符のように書いてありますが、決してこれらの音符は本当に8分音符ではなく、「長さが明記されていない音符」と考えてください。現在の一般的な書き方、つまり声部分けした書法からすれば「譜例9」のようになるでしょう。


譜例 9

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 実際にこのように書き直された譜面も出版されているかも知れませんが、でもこの譜面(譜ずら)だとパガニーニらしく見えませんね。パガニーニのこの大雑把な譜面には、パガニーニの豪放で、細かいことにはかまわず、結果がよければよいというパガニーニの雰囲気が出ているように思います。やはりパガニーニの譜面は「譜例8」のようでなければならない気がします。また、もしかしたら「仮にもギターを弾くものなら、その程度のことは当然わきまえていること」と言ったメッセージなのかも知れません。
 
 


 前回はちょっと抽象的な話になってしまいましたが、今回はもう少し具体的に話を進めたいと思います。楽譜といっても時代により、また作曲者やジャンルなどにより様々で、ほとんどメモ書き程度のものから、非常に詳しく、書かれているものまであります。今日の私たちが見ているようなト音記号とヘ音記号を中心とした楽譜はだいたいバロック時代くらいからのようですが、それでもバロック時代の作品を演奏するには私たちが普通持っている楽譜を読むための知識だけでは不十分で、当時の音楽一般や演奏法、特に装飾音などに関する知識が必要と言われています。しかしそのようなことについて私が詳しく話せる訳もなく、そうした事柄については現代ギター社から出ている「正しい楽譜の読み方 = 大島富士子著」や、最近出版されたもので「トン・コープマンのバロック音楽講義」などを読んでいただければと思います。どちらもそれほど厚いものではありません。
  

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 そうした難しい話は置いておいて、ここではギターの譜面に限定し、まず、私たちにとっては日常的で、身近な問題ではあるが、あまり語られない問題、ひょっとしたらギターを弾く人にとっては当たり前すぎて議論にならない問題ではあるが、しかし確認しておかなければならない問題などについての話から始めようと思います。
 

譜例 1

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弾き語りの譜面


 最初の譜面(譜例1)は尾崎豊の「I LOVE YOU」のギターの弾き語りの譜面です。ちょっと古い曲ですが、今でも人気のある曲ですね。市販されているこうした楽譜は、普通、五線譜の他にタブ譜が付き、さらにコード・ネームが付いています。というより、たいていの人はコード・ネーム、またはタブ譜を見てギターを弾き、五線譜の方が「オマケ」というところで、五線譜の付いてないものもあるでしょう。


譜例 2

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 ちょっと見にくいと思いますので五線譜の部分を書き直してみました(譜例2)。別になんていうことのない普通のアルペジオの譜面で、多少ギターが弾ければ特に問題なく弾けると思いますし、大部分の人はこの譜面に特に疑問は持たないのではないかと思います。しかし私たちはこれを意識的しろ、無意識にしろ、正確に譜面どおりに弾くことはありません。もしこのようにパソコンに楽譜を打ち込んで音を鳴らすと意外なことが起きます。お分かりとは思いますが、この楽譜では音が1個1個ばらばらに聴こえてきて、アルペジオには聴こえないのです。実はこの譜面は、本来は「譜例3」のように書かなければなりません。これが私たちがアルペジオを弾いている時の正しい楽譜なのです。



譜例 3

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いつもこんな書き方をされたらたまらない

 でもどうです、これ、くどいでしょう? いつもこんな書き方をしていたら書くほうも、弾くほうもたまりません。そこで普通「譜例2」のような省略した書き方をするわけです。このように書いてもアルペジオの場合、普通左手の方は押さえたまま弾きますから(ギターのレッスンの時にそう言われていると思います)、当然音は重なって聴こえるわけです。弾き語りの場合、ほとんどの人は

 ギター = 伴奏 = コード(和音) = アルペジオ = 押さえたまま弾く

といった考えがあるので、「譜例2」のような譜面を見ても、特に意識をせずとも同じコードが続くところでは、押さえたまま弾き、ちゃんと和音になるように弾いているのです。一つ一つの指を放し、音を切って弾くほうがかえって難しいでしょう。この譜面などの場合、五線譜のほうはあまり重要でないので、省略した書き方をしているということは確かに出来ますが、クラシックの曲と言えども同じような書き方はよくあります。



譜例 4

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クラシックの曲でもだいたい同じ

 もっとも、クラシックギターの場合では「譜例4」のように、低音だけ正しい音価、つまり正しい長さで書かれることが多いようです。もちろんこれでも正確ではないのですが、低音の長さを正しく書くことにより、「これはアルペジオだから押さえたまま弾き、すべての音を響かせる」とうことを暗示し、他の音も伸ばして弾くことを示しているわけです。つまり暗黙の了承というか、ギタリストの常識といったものを前提に楽譜が書かれていると言えるでしょう。



テンションを意識した?

 ・・・・ちょっと余談になりますが、この譜面(譜例2)、4小節目の3拍目の「ファ#」だけは2分音符、つまり2声部に分け、正しい長さで書かれています。他の音符が省略して書かれているのに、この音符だけ正しい長さで書かれているのはちょっと違和感もありますが、やはりこの部分はこの楽譜を書いた人(アレンジャー?)がなんらかの意識をしたところなのだろうと思います。この小節は3拍目からコードが「E7」に変わるので、確かに低音が必要なのですが、でも他の音符と同じように8分音符的な書き方もできたはずです。 私の勝手な想像になりますが、この「ファ#」というのは楽譜に書かれている「E7」のコードから外れた音で、この「ファ#」が入ることでコードが「E7」ではなく「E9」となります。このコードは「E7」よりもずっと不協和音度が高く、ポピュラー音楽では「テンション・コード」と言われています。オリジナルがどうだったのかはよくわかりませんが、少なくともこの譜面を書いた人はここが「テンション・コード」になっている、あるいはテンションをかけることを意識したのは確かなのではと思います。そんな気持ちの表れが、ぽつんと目立つ2分音符になっているのではと思います。 ・・・・・ちょっと考えすぎかな。


 
クラシック音楽  =  ヨーロッパの伝統的、芸術的音楽  =  楽譜により発展した音楽


 前回の話では、「クラシック音楽は過去に作曲された曲を演奏することが多いので、楽譜との関係が深い」といったようなことを書きましたが、しかしクラシック音楽と楽譜の関係はそのような現実的なことだけでなく、その成り立ちから発展に至るまで、本質的なところで密接な関係があるように思います。言ってみれば、クラシック音楽とは ”楽譜に書かれた音楽” あるいは”楽譜にに書かれることによって発展した音楽”と言ってもよいのではないかと思います。



キリスト教的発想が楽譜を生み、発展させた

 クラシック音楽、つまりヨーロッパの伝統音楽は中世のキリスト教の音楽にさかのぼる事が出来ます。キリスト教においてはミサなどの儀式や行事に音楽は欠くことが出来ないもので、たいへん重要なものと考えていました。しかし当時の社会を考えると、音楽の地域ごとの差は決して小さいものではありませんでした。キリスト教の歴代の指導者たちはそのことを嫌い、どの地域でも、あるいはいつの時代にも同じ典礼の音楽が演奏されるように努めました。初期の楽譜は歌詞に旋律の上げ下げを記す程度だったのですが、時代と共により詳しく、正確に記するようになりました。


 
音楽情報を次世代に引き継ぐ

 おそらく音楽などと言うものは人類の発生と同時に生まれ、地球上のどの民族にも音楽はあり、また発展もしていったと考えられますが、このヨーロッパの音楽は、音楽を「記する」ことにたいへんこだわった音楽だと思います。楽譜を用いることにより、ヨーロッパ全体としてそれほど地域差もなく(ある程度はあったでしょうが)比較的同じような音楽が演奏されていました。楽譜の存在により、ヨーロッパ全体が一種の「音楽共同体」化されていったのではと思います。さらに大きな事として、楽譜により作品を正確に(その度合いは時代によって異なります)次の世代に残すことが出来、次の世代がその音楽的情報を基にさらに肉付けしてまた次の世代にというように、音楽を発展させてゆくことが可能になっていたわけです。



音楽の視覚化 = 音楽を思考する

 もう一つ重要なこととして、楽譜を用いることにより音楽を「視覚化」したことです。音楽を耳で聞くだけでなく、「視覚化」したことにより、音楽を感じるだけでなく、「考え」、「構成」することが可能になった、いや、自然とするようになったのだと思います。「聴覚」は人間の感性とのつながりが深いと思いますが、視覚はなんといっても知性とのつながりが深いものだと思います。もし楽譜がなかったら、間違いなくベートーヴェンは「運命」を*書かなかったでしょう。またマーラーやブルックナーが1時間を越える交響曲を書くこともなく、シェーンベルクが12音技法を創始することもなかったでしょう。

 

ベートーヴェンはいつも見ていた

 *作曲することを「書く」などという表現すること事態、クラシック音楽と楽譜の関係の深さを証明しています。ご存知のとおり、ベートーヴェンが作曲の時に用いていたメモ帳が残されていますが、そのメモ帳により、推敲に推敲を重ねた「交響曲第5番」の創作過程がよくわかります。ベートーヴェンはこのメモ帳をとても大事にしていて、いつも持ち歩いていただけでなく、よく見ていたようです。晩年になってからも若い頃のメモをよく見ていて、作曲のヒントにしていたようです。
 

クラシック音楽 = 楽譜を基にした音楽

 最近のギターのレパートリーでは、クラシック音楽とポピュラー音楽の垣根がずいぶんと低くなってきました。
クラシック・ギターのレパートリーでもポピュラー系のリズムやコードを使った曲が多くなり、人気も高まっています。クラシック音楽、あるいはポピュラー音楽と言っても音楽には違いないので、それらにはっきりとした線を引くのは難しいことなのですが、その難しいことをあえて行うなら、「クラシック音楽」とは「楽譜を基にした音楽」と言えるかも知れません。



新しくても「古典音楽」?

 クラシック音楽と言っても決して古い作品だけを対象にしているわけではなく、「新しく作曲されたクラシック音楽」というのもあります。現在でもクラシック音楽の作曲家という職業の人もいるわけです(ただし職業として成り立っている人はごく少数と言われています)。しかし何といってもクラシック音楽では、演奏されるほとんどの曲は過去の作曲家の作品で、同時代の作品、つまり現在生存している人の作品を演奏することは決して多くはありません。



現代音楽では客が入らない

 過去において、すなわち19世紀初頭くらいまではクラシック音楽(このような呼び方はありませんでしたが)といえど、演奏される曲はほとんどが同時代の作品でしたが、19世紀の中頃からベートーヴェンや、ハイドン、モーツアルト、バッハなどの過去の大家の作品を盛んに演奏するようになり、20世紀になってそうしたことがいっそう顕著になりました。そして現在ではご承知のとおりクラシックのコンサートではほとんどの曲目が過去の作品となっていて、時折現代音楽のコンサートや現代音楽を含むコンサートなどがありますが、その頻度や人気の点では圧倒的に過去の大家の作品のほうが上回っています。



楽譜しかない

 過去の作曲家の残した音楽作品は、当然ながら楽譜として残されているわけで、過去の音楽を再現するということは、すなわち残された楽譜を読んで、演奏するということになります。情報としては文章として書かれたものなどもあるとは思いますが、実際に演奏するとなれば、仮にそれが不完全なものであったとしても、その楽譜を基にして演奏する以外にありません。といったようにクラシック音楽とは「過去の作曲家が残した楽譜を、音に再現するもの」と言うことが出来ると思います。



習性

 クラシックの音楽家にそうした考えが定着すると、仮に同時代の作品であったとしても、同様にその作曲家の書いた楽譜を基に演奏することになります。作曲家のほうも曲を作るということは、すなわち楽譜を書くということで、演奏者に直接会って情報を伝えることが出来たとしても、演奏に必要な情報はすべて楽譜に書き入れることになります。つまり仮にその両者が時代的に遠く離れていたとしても、また非常に緊密な関係だったとしても、クラシック音楽においては、作曲者と演奏者は常に楽譜を通じて情報のやりとりをするわけです。



同じ楽譜でも

 楽器店の楽譜棚にはクラシック関係の譜面、すなわちベートーヴェンやモーツアルトのオーケストラ・スコアやピアノ譜などの他に、最新のヒット曲や、人気アーティストの譜面も置かれています。しかしこの両者は根本的なところで違いがあります。モーツアルトやベートヴェンの譜面は(若干修正されたりすることもありますが)紛れもなくその作曲家本人が書いたもの。一方、最新のヒット曲については、曲そのものは、そのアーティスト(作詞、作曲、演奏をすべて兼ねていることが多いですが)が作曲したとしても、その棚に置かれている「楽譜」そのものは作曲者自身が書いたものとは限らず、実際には別の人が、そのアーティストが演奏したCDなどからいわゆる「耳コピー」をして出版したものが多いようです。こうした譜面は一般に「コピー譜」と呼ばれています。



音楽は現場で起こる

 ポピュラー音楽に於いても楽譜に書いて作曲したり、楽譜を見ながら演奏したりはするでしょうが、クラシック音楽の場合とは意味合いはかなり異なると思います。CDの製作現場や、コンサートのリハーサルの様子などについてはよくわかりませんが、少なくとも演奏される音楽のすべてが紙に書き表されているといったことはあまりないのではないかと思います。ポピュラー系のミュージシャンは、音楽の勉強にしても、楽譜を読むことからではなく、優れたアーティストなどの演奏をコピーすることから始まると言われ、演奏技術や理論も、多くの場合コピーすることから身に着けているのでしょう。



深い仲

 楽譜が誕生した最も大きな理由としては、「記憶が失われないため」ということになると思いますが、ポピュラー音楽についてはレコードやCDなどに直接音で記録されるため、そういった点では楽譜が絶対必要ということにはなりません。クラシック音楽は楽譜と密接な関係にありますが、ポピュラー音楽の場合はレコードなどの録音媒体、あるいはラジオや、テレビといったマス・メディアと深い関係があると言えるでしょう。



おまけ ・・・・バリオス、リョベット、ヴィラ・ロボス、タレガ

 ・・・・・・若干脇道ですが、同じクラシック音楽でも、クラシック・ギターに関しては、音楽的情報として、楽譜以外に、作曲者自身が残したレコードなどもあります。特にバリオスなどは自身が優れたギタリストだったので、特に重要です。ただ、音質は同時代のセゴビアの録音などと比べるとかなり悪いもので、曲によってはノイズの彼方にかすかにギターの音が聴こえるといった感じのものもあります。また残された楽譜とレコードで違いのあるものも多く、そんな場合はかえって困ってしまいます(特に「ワルツ第3番」など)。最近の傾向としては演奏の方を重要視しているギタリストが多いようです。

 ヴィラ・ロボスも「前奏曲第1番」を録音していますが、リピートの仕方などが現在の譜面と違っていて、演奏の方が長くなっています。そのせいかどうか、SP盤の制限時間に収まりきらず、途中で終わってしまっています。リョベットの録音もあり、入手可能だと思います(もちろんCDで)。音質はバリオスよりは聴きやすいです。また現代ギター誌の記事によればタレガの残した演奏もあるそうです。曲目は「マリーア」だったと思いますが、ある収集家が持っているもので、一般には手に入らないようです。これが出回るようになるとタレガのイメージも変わるかも知れません。