中村俊三 ブログ

中村ギター教室内のレッスン内容や、イベント、また、音楽の雑学などを書いていきます。

 今回はプジョールの「タレガの生涯」やリウスの「フランシスコ・タレガ」に描かれているタレガの人物像を具体的に追ってみたいと思います。



中肉中背、長い髭
 
 タレガの体格は文章や集合写真によると、身長は高くもなく、低くもなく、痩せても、太ってもいない、いわゆる「中肉中背」といった感じです。タレガのトレード・マークともなっている長い髭は、少なくとも19歳では伸ばしていたようです。

 幼少時にベビー・シッターにより下水に投げ込まれてしまい、以来目に問題を生じ、常に失明の危機を感じていたようです。とくに「逆さまつげ」といって、まつげが眼球の方に向かって伸びてしまうために、常にまつげを抜かなければならず、まつげが目に刺さるとたいへんな痛みを感じたようです。

 しかし晩年に至るまで楽譜や手紙を読んだり、書いたりしていましたから、幸いにも失明したり、視力が極端に弱くなったりはしなかったようです。



        tarrega.jpg



ヘビー・スモーカー

 食生活については、特にグルメといった感じでもなく、またお酒に関する記述もあまりありません。しかしかなりのヘビー・スモーカーだったようで、練習中も写真のようにタバコを吸い、内輪のコンサートではタバコを吸いながら演奏ということもよくあったようです。

 タレガが使用していたトーレスにもタバコの灰で焦がした痕があるそうです。タバコの銘柄にもこだわっていたようで、タバコがタレガの唯一の贅沢だったのかも知れません。しかしそのタバコが、タレガの寿命を縮めることになった脳塞栓症に関係あった可能性もあります。



ちょっと弾きにくそうに見えるけど・・・・

 この写真を見るとネックがかなり下りめになっていて、右肩が上がり、体の中心線も左に傾いているように見えます。タレガのどの写真を見ても大体このようになっていますから、たまたまというわけではないようです。

 私たちの感覚ではこの姿勢で長い時間ギターを弾くと体が辛いのではと思いますが、長年こうした姿勢でギターを弾いているので、タレガにとってはこの姿勢が一番弾き易いのでしょう。左手がかなり低めになっているので、左手の疲労は少ないかも知れません。


アポヤンド奏法が主

 右手首は下方に若干曲げられ、親指以外の指が弦に対して直角に近くなっています。ご存知のとおり、最近ではこのフォームで弾くギタリストは少なくなりました。

 このフォームの利点としてはアポヤンド奏法の時、人差し指と中指の指先が揃い易いということがあります。現在の主流のように弦に対して斜めに、アポヤンド奏法で音階などを弾くとどうしても中指を曲げて指先を揃えなければなりません。

 現代ではアルアイレ奏法が主に用いられるので、この「斜め」のフォームが主流となったのでしょう。



金属的な音は徹底して嫌った

 普通の人がこのタレガのように指を弦に対して直角に弾くと、音が硬くなったり、ノイズが多くなったりしてしまいますが、もちろんタレガの場合はこのフォームから美しい音を出していたのでしょう。

 本の中でもタレガは金属的な音は徹底して嫌ったと書いてありますが、この写真を見ても右手はかなり左の方で、ほとんどフレットにかかっています。私たちはタレガの”生”の音を聴く事はできませんが、たいへん柔らかい音が中心だったのは確かでしょう。


基礎練習は欠かさない

 ギターの練習にはかなり時間をかけたようで、音階練習などの基礎的なトレーニングは晩年に至るまで欠かすことはなかったようです(ちょっと耳が痛い!)。教則本の出版も考えていたようですが、残念ながらタレガの死により未完となってしまいました。

 しかしその教則本に組み込まれ予定だった譜面などが若干残され、現代ギター社からも出版されており(タレガ練習曲集)、そのトレーニング法などを知ることが出来ます。



髭の間から顔を出すタバコ

 写真が不鮮明で恐縮ですが、くわえたタバコが長い髭の間から顔を覗かせています。今にもタバコの火が髭に燃え移りそうでちょっと怖い感じがしますが、おそらくいつもの風景なのでしょう。

 場所は自宅ではなく、背景からすると宮殿のようなところみたいで(写真に場所は記されていません)、コンサート、あるいはその前後かも知れません。

 写真などからすると、当時のスペイン人の成人男性はほとんど髭を生やしていたので、髭そのものは珍しくはなかったでしょうが、その長さは特徴的だったようです。
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 タレガといえば、昨年は没後100年ということで、おそらく世界中でその記念のイヴェントやコンサートがあったのではないかと思います。私も何かやろうかとは思ったのですが、もう一人、ギターでは重要な作曲家のアルベニスも同じ年に亡くなっていて、私としてはアルベニスの作品の方がこれまで演奏する機会が多かったので、そちらの記念コンサートを行いました。タレガに関するコンサートはギター文化館などでも他のギタリストが行う可能性も高いでしょうが、アルベニスの記念コンサート、特にアルベニスだけでコンサートを行う人はあまりいないのではと考え、「中村俊三アルベニスを弾く」ということで、アルベニスの没後100年のコンサートを行いました。


 しかし私がアルベニスのコンサートを行ったのは昨年の12月13日、タレガが亡くなったのは12月15日と、日にちからすれば当然タレガのコンサートを行わなければならない時期だったでしょう。因みにアルベニスは同年(1909年)の5月18日に亡くなっています。当日はアルベニスの曲の演奏の前に2曲だけタレガの曲を演奏しましたが、しかし近代ギターの父とも言われるタレガに十分な敬意を払えなかったことは否めません。その埋め合わせにならないかも知れませんが、ここでタレガの話をしておきたいと思います。



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タレガの二つの本

 前述のとおり昨年はタレガの没後100年というこもあって、現代ギター社では特集号(7月増刊号)を出したり、しばらく絶版になっていたエミリオ・プジョール著、浜田滋郎訳の「タレガの生涯」が改訂版となって復刻されました。また2005年にはドリアン・リウス著、手塚健旨訳の「フランシスコ・タレガ」が出版されています。


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 タレガの伝記といえば何といっても1960年に出された、タレガの晩年の弟子で、著名なギタリスト兼ギター研究家のエミリオ・プジョールの書いた、前述の「タレガの生涯」が有名です。リウスの著書もそのプジョールの著書を基に、さらに当時の新聞記事や書簡などで補完したものと言え、多少ニュアンスが違うとしても両者でタレガ像が異なるといったことはありません。



 ・・・・この本(プジョール)の著者まえがきに、「かの天才芸術家に寄せる、打ち震える讃仰と和やかな優しさに満ちた本『アンナ・マグダレーナ・バッハによる小年代記』を閉じたあと、私は長いこと瞑想にふけっていた(浜田訳)・・・・・」と書いてあります。もしかしたら「例の」偽マグダレーナの本のことでしょうか(当ブログ「本の薦め」参照)。とすればこの本(偽マグダレーナの)は、こうした大ギタリスト兼、音楽研究家をも感動させる、優れた著書かも・・・・・・



驕らず、 媚びず、 妬まず、 蔑まず、 拒まず

 プジョールの本を読んで、真っ先に感じたのは、そこに書かれているタレガは私たちが(私が?)これまで無意識に描いていたギタリストの理想像にぴったりとあてはまる、ということです。地位や、名誉、富には目もくれず、ただ、音楽とギターと、家族と弟子と、自らの周囲のすべての人を愛する。他人を攻撃することも、さげすむことも、媚びることも、拒むこともなく。タレガが抱くトーレスの名器からはなたれる音はあくまでも美しく、その演奏は聴く人に感動と幸せをもたらす・・・・・

 よく考えてみると、かつて私がギターを始め、ギターに熱中し、ギターの道に進んだのも、なんとなくこんなギタリストに憧れたからではないか。もちろん当時タレガのことは詳しく知りませんでしたが、若い頃、無意識に持っていたギタリスト、および音楽家、あるいは芸術家の理想像、「ギタリストたるものこうあってほしい」といったイメージに、ここに描かれているタレガは見事に合致しています。



音楽家は皆そうではないけれど

 タレガは生前からギタリストとしてたいへん高い評価を受けていました。幼少の頃は決して裕福な家庭で育ったわけではないので、そうした世間の高い評価を足掛かりに、地位や、富を求める行動に出ても何の不思議もないところですが、そうしたものを積極的に求めた形跡は認められません。

 優れた音楽家や芸術家が皆そううだったなどということはありません。それどころか私たちが知る大作曲のほとんどが社会的地位やお金には、結構執着していたようです。もっともそうした地位や富を求めることが優れた作品を生み出す原動力にもなっていたことも否定できないでしょう。



大ホールよりも

 コンサートはスペイン国内を中心にそれなりの頻度で行っていましたが、あまり好きではなかったようで、生活のためと考えていたようです。スペイン以外では隣国のフランス、イタリア、イギリスなどで若干コンサートを行っていました。アメリカ行きの話もありましたが、実現はしませんでした。

 タレガが最も気持ちの入る演奏は自宅や、小さなサロンなどで少人数の前で弾く時のようで、バロセロナなどの自宅ではタレガが家にいる時は毎晩のように、弟子や、友人、愛好者などを前に、にわかコンサートが始まったようです。勿論入場料などありません、それどころか「聴きたい」といえば知らない人でも家に入れてくれたようです。タレガの演奏はコンサートホールでのリサイタルなどより、こうした場での演奏のほうがずっとすばらしかったと言われています。



こんな手紙を書くタレガ

 レッスンもタレガにとって大きな収入源だったはずで、いろいろな弟子がいて、中には「内弟子」的にほぼ毎日タレガの家に来ていた弟子もいたようです。ただしその弟子たちがちゃんとレッスン料を払っていたかどうかは、定かでなく、支払われなかったことも多かったようです。タレガのほうからレッスン料を請求するなど、言及することもあまりなかったのかも知れません。タレガは弟子の母親からのレッスン料の送金の返事を、とても申し訳なさそうに書いています。この手紙にはタレガの性格がよく現れているように思いますので、引用しておきます。


 ホセ・マリア・ロブレド様

 親愛なる友
 
 25ペセタ同封された手紙を受け取ったにもかかわらず、返事が遅れて申し訳ありません。あなたの勤勉で優れた娘さんからレッスン代を受け取るなどということはたいへんな苦痛を覚えます。それは私にとって不本意なことですが、生活を支えるために悪戦苦闘している状態をお察し下さい。妻の病気がひどく、私自身動揺している有様です。数日前から私はコンサート活動しておりますが、それを終える6月末にパルマに出かける予定です。もうすぐ合えますね。ホセフィナはあせらず、根気よく練習すると、どこまでも上達します。ゆっくり練習することが上達の近道で、もしそれを怠ると、たとえ3世紀生きたとしても良い演奏を身に付けることは不可能です。芸術家の水平線はどこまでも続き、限りはありません。

 ・・・・・・・・ フランシスコ・タレガ

 
 今回はホ長調の「ワルツ Op.32-21」ですが、この曲も「ギャロップ」、「月光」と並び、ソルの曲としては発表会や、教材で馴染みの深い曲です。先日のシニア・ギター・コンクールの課題曲にもなりましたので、そのことにも若干触れつつ、話しをしてゆきます。


譜例17

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 譜例17は現代ギター社の「標準版ソル・ギター曲集(中野二郎監修)」からです。前にも触れたとおり、この譜面は原典に非常に忠実なものと考えられますので、この譜面を基に考えてゆきます(シニア・ギター・コンクールでは別の譜面が指定されました)。



さっぱりした譜面

 見てわかるとおり、たいへんさっぱりとした譜面で、運指はもちろん、強弱記号は表情記号などほとんど付いていません。ある意味、たいへん困った譜面です。何も付いていないから何もしなくてよい、あるいは逆に何をしてもよい、などということはもちろんありません。演奏者は「常識」、あるいは当時の「演奏様式」を踏まえた上で演奏しなければなりません。決して感性や思いつきだけで弾くことは出来ないでしょう。




基本はロー・ポジション

 運指については特に難しい曲ではないので、それほど問題ではないと思います。中級以上くらいの人ならだいたいわかると思いますし、運指の付いた譜面もあり、それらはそれほど大きな違いはないでしょう。ソルの曲の場合、基本はロー・ポジションで、特に指定のない限り最も低いポジションを選択しなければなりません。タレガなどの場合は音色等の関係で、1弦でも弾ける音を、あえて2弦や3弦のハイ・ポジションを用いて弾いたりしますが、ソルの場合は、基本的にそのようなことはしません。

 ハイポジションは、弾きやすさの関係で用いる場合がほとんどで、3段目の2小節目と6小節目の「ミ」に「0」と開放弦の使用が指定されていて、特に6小節目のほうは2弦の音(ソ#)のほうが高い音を弾くようになっています。弦の関係が逆になっていますが、これは音色にこだわったというより、弾きやすさの関係と考えられます。




問題はアーティキュレーション

 この曲を弾く場合、最も気を付けなければならないこととしては、アーティキュレーション、つまり音を切ったり、繋げたりすることだと思います。この時代(19世紀初頭)であっても、ピアノなどではそうした指示が楽譜に細かく記されるほうが普通なのですが、ギター曲の場合はそうしたものがあまり楽譜に書き入れられません。演奏者が判断しなければならないということでしょうか。

 この曲は「ワルツ」というタイトルになっていますから、当然舞曲的な性格が出るように弾かなければなりません(この曲でワルツを踊った人がいるかどうかはわかりませんが)。全体的には「弾んだ」感じが必要ですが、「弾んだ感じ」といっても全部の音をスタッカートで弾くなどということではありません。音を切ったり、繋げたりするには「当時の習慣」、あるいは「クラシック音楽の常識」が存在し、それに従って演奏しなければなりません。


譜例18

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同音反復はスタッカート

 「譜例18」にはこの曲の前半部分のアーティキュレーション、つまりスタッカートとレガートの記号を書き入れてみました。1小節目の2拍目と3拍目は同音である関係もあって、必ずスタッカートとなるでしょう。同音を反復する場合は、仮に舞曲でなかったとしてもスタッカートになることが多くあります。ただしあまり短く切りすぎると不自然になりますので、ある程度余韻の長さを保って切ったほうがよいでしょう。

 スタッカートは原則として、その音の長さを半分にし、残り半分を休符にするとされていますが、半分より少し長めでも良いかもしれません。この部分で言えば、少なくとも16分音符分は音を響かせなければならないということです。もちろんスタッカートをした時、トータルの長さが短くなって、”前のめり”になっては絶対にいけません。


繋留音はレガートに解決音に

 今の話とは逆に、2小節目の1拍目から2拍目にかけての「ミ-レ」は必ず”レガート”に弾かなければなりません。というのも「ミ」は和音から外れた音で「繋留音」と言い、「レ」はその「解決音」と言います。この場合はクラシック音楽の「常識」でレガートに弾かなければならないのです。また強弱関係も「ミ」よりも「レ」のほうを小さく弾かなければなりません(「レガート」ということにそのことも含まれます)。

 4小節目と6小節目の矢印のところも同様に繋留音なので、同じように演奏します。6小節目の1拍目の低音と内声(「ラ」と「ド#」)は、「譜例17」では8分音符になっていますが、厳密には「譜例18」のように解決音、つまり1弦の「ラ」のところまで音を響かせておかなければなりません。つまり上声部の「ラ」の音が和音の中に吸収されるように弾かなければならないということです。


審査のポイント、要注意事項

 以上のようなことは当然コンクールでの審査の対象となります。このようなところをどう弾くかで、その出場者が正しく音楽を学び、正しく理解しているかどうかがよくわかるからです。もしかしたら間違えずに最後まで弾けるかどうかよりも関心が高いかも知れません。特に予選などの場合はよく注意して練習したほうがよいでしょう。




強弱記号もあまりないが

 「譜例18」には強弱記号も書いておきましたが、こちらの方はいろいろな考えが成り立つので、あくまで「一例」というところです。原曲には下から3段目のところに「p」記号があるだけで、他に一切強弱記号がありませんが、曲全体をよく考えながら適切な強弱の変化を補う必要はあるでしょう。

 曲全体を考えればこの曲は「明るく、軽快な曲」と言えると思いますので、やはり冒頭は「f」でよいと思います。長調の部分、つまり16小節目までは「f」でよいとは思いますが、9小節目のところは「冒頭と同じ事をしない」、また音形にあわせ。クレシェンドするために、若干音を弱めて(mf)始まるとよいと思います。しかしその場合でもフレーズの後半は「f」でしっかり弾かないと、全体の印象を弱めてしまいます。またワルツらしい明快な音で弾んだ感じを出すのはとても重要です。それぞれの小節の1拍目、特に1小節目の4弦の「ミ」や、3小節目の「レ#」などはっきり弾く必要はあるでしょう。
 
 17小節目(譜例17の4段目の3小節目)からは短調になるので、普通音を弱めて始まります。しかし短調の部分を全部「p」で弾くわけにも行きませんから、どこかで音量を上げることも必要ですが、これがなかなか難しいところです。楽譜によっては下から3段目の最後のオクターブの4つの8分音符に「f」を付けてあるものもあります。また下から2段目の2小節目からを「f」にする方法もあるでしょう。



「エトゥフェ」 て何のこと?

 上から5段目の最後の小節のところに「etouffez.(エトゥフェ)」と書いてあります。この「etouffez.」というのはフランス語で、辞書などを引くと、「窒息する」とか「息苦しい」といったような意味ですが、ソルは教則本の中で「エトゥフェのためには・・・・・ 通常よりは力を抜き加減に、しかしハーモニックスを出す時ほどは軽くせず押さえる ~渡辺臣訳」と言っています。


中途半端に押さえて弾け、と言うのだが・・・・

 要するに弦を中途半端に押さえてミュート音を出すということですが、実際にやってみると、これがなかなか難しい。ハーモニックスが鳴ってしまったり、ノイズ(いわゆるビリつき音)が出てしまったりで、なかなかそれらしい音が出ません。一般的には右手をブリッジに添えて弾く「ピッチカート奏法」で代用したりしますが、ただし困ったことには、ソルは教則本の中で「etouffez.には決して右手は使わない」と言っています。

 このワルツでも、どの範囲まで「etouffez.」で、どこから通常の弾き方なのかがはっきりしません。おそらく「シ」をオクターブで弾いているところについて言っていると考えられますが、それが1回目だけなのか、2回ともなのかは判別する根拠がありません。弾く人の判断にまかせるしかないでしょう。

 また、曲によってはこの「etouffez.」が長い範囲に及ぶ場合もあり(当然開放弦もある)、実際に教則本に書いてある通りに弾くのはたいへん困難です。ただ少なくとも「ミュート的」な音を要求しているのは間違いないでしょう。因みにコンクールの時には、この「etouffez.」の弾き方については審査の対象としないということになりました。


 
譜例14  ソルの月光  

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見慣れた譜面だが、よく見ると「棒」の向きが上向いたり、下向いたりして、意外とわかりにくい

 今回は「月光」ですが、これも皆さん御馴染みで、譜面の方もよく見ていると思います。「譜例14」は一般に出版されている譜面で、現在出されているものには大きな違いはないでしょう。「月光」という名前とリピート・マークは付いていないもの、原典とそれほど変わりはないものと思います。

見慣れた譜面だとは思いますが、よく見ると結構変わっています。普通「棒」が上向いているのが主旋律で、下向きが伴奏などのように書くのですが、この譜面は単純にそうはなってなく、ちょっと複雑です。

一般的には「譜例15」のように書いたのうがすっきりし、この譜面で弾いたとしても、そう問題はないでしょう。また簡略化せず完全な形で書くなら、多少複雑ですが「譜例16」のようになるでしょう。パソコンで音を出す場合は「譜例16」のように書かないと実際の演奏と同じになりません。



譜例15  普通ならこんな感じ

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譜例16  ちゃんと書くならこんな感じ、こう書かないとパソコンでは実際の演奏どおりにならない

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ソルのソルたる所以

 譜例15、16のどちらの書き方もしなかったのが、ソルのソルたる所以でしょうが、しかしなぜソルは結果的にこのわかりにくい書き方をしたかということも、やはり考えなくてはなりません。

 この若干わかりにくい書き方をしたのは、おそらくこの曲が、「譜例15」のように単に「メロディに和音が付いた曲」とはしたくなかったからではないかと思います。

 つまり各声部の書き分けにこだわり、この曲が「4声の曲」であることを強調したわけです。この曲を演奏する人が主旋律だけでなく、各声部の動きにも注意して弾くように、ということを暗示しているものと思われます。

 


最も大事なものを

 「4声の曲」といいながらも、最初の小節で低音(5弦のシ)を弾くとしばらく低音、つまりバスの声部はお休みになってしまい、実質3声でしばらく進みます。

 ソルはギター教則本の中でも「和声は低音に支えられる」ということを力説していますから、低音は和音の中で最も大事な音と考えているはずです。その大事な低音を省略ということには、それなりの理由が当然あるはずです。



無重力感

 和音の中で、その低音を抜くと、どうなるかは、その17~24小節を弾けばわかると思いますが、文字通り「足が地に着かない」状態で、なんとも”ふわふわ”した感じになります。いわゆる「無重力感」といったものでしょう。

 また、冒頭のところは最初に5弦の「シ」を弾いていますから、その後の方でも実際には聞こえなくなってしまっていても、なんとなく気持ちの中に残響として残り、実際には聞こえない「保持低音」とも解釈できるかも知れません。



和音が変化する

 25小節からは曲の感じが、がらっと変わりますが、もちろんそれまでなかった低音が入ってくるからです。さらにもう一つ違うのは、それまでほとんど和音が変わらなかったのに (ほとんど主和音と属和音しかない! )、ここからの8小節は1小節ごとに和音が変わってゆきます。

 また主和音からはだいぶ遠い和音も出てきます。もちろんそのことと低音が付いていることとは深いつながりがあり、低音がなければ和音の変化も感じ取れなくなります。逆に言えば、そこまでは和音が変わらないので、低音がなくても大丈夫だったとも言えます。



出し惜しみ?

 この25小節からの低音は、言ってみればソルの「とっておき」の低音なのです。ここで音楽を全開させるために、本来なくてはならない低音を「出し惜しみ」したわけです。

 ところで28小節目のところは低音が小節の最初ではなく、1拍目のウラ、つまり2つ目の8分音符になっています。おそらくこれはこの和音がギターを練習中の人 (中級くらい?)にとっては低音とメロディを同時に押さえるのが難しいからなのでしょうが、このことによりタイミングをずらしてても低音をちゃんと弾いてほしいという、ソルの低音へのこだわりが伺えます。

 演奏の際には、低音が和音やメロディをしっかり支えられるように、また低音の流れがしっかりと聴き取れるように弾かなければならないのは言うまでもありません。ここは重力感のある、文字通り「足が地に着いた」演奏が必要でしょう。

 41小節からまた低音が現れますが、さらにここからはメロディも①弦の「シ」(7フレット)まで上がってゆきますが。それまでメロディは決まった音域の中でしか動かなかったので印象的です。最後はメロディと低音の両方でクライマックスを作っています。

 


ソルが名付けたわけではないが

 この「月光」という名前はもちろんソル自身が付けたものではなく、後に付けられたものです。正式名称としては「練習曲ロ短調 作品35-22」ということになります。

 しかし誰が付けた曲名かはわかりませんが、決して的はずれな曲名ではないでしょう、よく曲のイメージに合っています。確かにメロディが淡い光に浮かび上がったような感じがします。

 また月の光と言えど、慣れてくると、特に満月の場合はかなり明るく見えます。子供の頃満月の下で近所の子供たちと鬼ごっこをした記憶があります。25小節からの低音の付いた部分はそんなところかも知れません。そして最後はそのメロディが淡い光の中に、そっと遠ざかって消えてゆくのでしょうか。
 
昨日(5月4日)石岡市のギター文化館で第5回シニア・ギター・コンクールが行われました。私は昨年に引き続き、審査員を務めました。結果は次のとおりです。



<シニア・エイジ部門 (55歳以上)>


1位 長塚 彰

2位 上野恵子

3位 種谷信一

4位 菅原貞司

5位 森 早苗

6位 古都 隆

7位 伊倉雅之



<ミドル・エイジ部門 (35歳以上)>


1位 村上尚代

2位 佐々木みこと

3位 西村淳一

4位 上原 淳

5位 土方康之

6位 佐舗政男

7位 坂本 亮

8位 塩崎奉冶



入賞なされた方々、本当におめでとうございます。


 予選課題曲はシニア・エイジが「愛のロマンス」、ミドル・エイジがソルの「ワルツOp.32-2(ホ長調)」ということだったのですが、「愛のロマンス」の方は皆さん十分に弾き込まれた曲だと思いますので、特にメロディは十分に歌わせている人も多かったのですが、和音、特に低音にも、もっと配慮出来ればと感じました。非常にシンプル(構造的には)な曲ですが、美しいメロディとそれを支える和音と両方があって成り立つ曲なのではと思いました。


 ミドル・エイジの「ワルツ」に関しては、細かい音符もあり、コンクールのような緊張した場ではなかなかちゃんと弾くのは難しい曲かなと思いましたが、全体的には、あまりくずれてしまう人も少なく、そういった意味では皆さんたいへんよく弾けていました。ちょっと気になる点としては、リズムが明瞭でない方が多いように思いました。この譜面には、確かにあまり細かい記号などは付いていないのですが、それは「常識的に」判断するということだと思います。楽譜をしっかりと読めば、区切るのか、レガートに弾くのかといったアーティキュレーションも判断できるのではないかと思います(ギター上達法の続きみたいですが)。


 ミドル・エイジの方は実力伯仲して、審査もたいへん難しかったことは報告しておきましょう。

こだわり屋~理科系?

 今回はフェルナンド・ソルの楽譜の話です。ソルについては皆さんもよくご存知のことと思いますが、昨年現代ギター社から1830年に出版されたソルのギター教則本の全訳が出されました。教則本といっても入門者のためのエチュード集のようなものではなく、ソル自身のギター論を展開するといったものです。若干理屈ぽい感じもあり、日本語に翻訳されていても、読みやすいといったものでありません。例えばギターの持ち方の説明で、「テーブルの角でギターを支えて持つ」といったようなことが、

 「その角の一つと第12フレットが垂線の横で並び、ギターの点Bを少し開いた右膝の上に、そして点Cをテーブルの角D・・・・・」

といったように、ほとんど数学の教科書のようです。また腕の動かし方の説明に「運動量云々」といった物理学の授業のような言葉が飛び交い、ソルはかなり「理科系な」人のようです。またギターの演奏についてだけでなく、楽器製作に関することや、ギター以外の音楽全般について、あるいは他の一般教養などについての自らの豊富な知識をアピールしている部分も感じます。

 しかし仮に書いてあることすべてが理解出来なかったとしても、あるいはギターを弾く上で特に重要なことでなかったとしても、この教則本により、すくなくともフェルナンド・ソルという人の性格などはよくわかるのではと思います。確かにかなりの「こだわり屋」のようですが、そうしたことはソルの楽譜を読む上ではたいへん参考になると思います。



譜例13

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 さて、ソルの最初の譜面は有名なト長調の「ギャロップ」です。ギター教室の教材や発表会の演奏曲として、かなりポピュラーな曲ですが、学生やアマチュアのギター・コンクールの課題曲にもよくなります。「譜例13」は中野二郎編の現代ギター社版ですが、初版(Heugel版)を忠実に再現されたものとされています。この現代ギター社版が出されたのは1972年頃で、今から40年近く前ですが、原典に全く手を加えずそのまま再現という、当時としては画期的なことで、ギターにおける原典主義の先駆けとなったものではないかと思います。私たちよく見る譜面はこれに運指が付いたものがほとんどですが、音的にはそれほど変更されてはいないようで、運指も譜面によってそれほどは違いがないでしょう。


スタッカート・マーク

 この譜面をよく見ると、最初の2小節の4つの8分音符にスタッカート・マークが付いています。これは「ギャロップ」という飛び跳ねる感じ、あるいは疾走する感じを出すために必要なもので、5、6小節も1,2小節と同じ部分ですから当然そちらにも付くはずですが、「当然のこと」として省略されています。ソルの場合、当然と思われることはあえて書かないのでしょう。しかしこのスタッカートをあまり短く弾いてしまうとその音が鳴り切らなくなってしまうのであまり短く切ってしまうのはよくないでしょう。なんといっても拍の表ですからある程度響かせる時間は必要です。一般にスタッカートは書かれた音符の半分くらい音を響かせるのですが、少し長い位でも良いでしょう。全体のテンポが速ければ、「次に音を残さない」くらいの感じでもよいかも知れません。もちろん「前のめり」になってテンポを乱しては絶対にいけません。



4分音符の箇所も

 さらに拡大して読めば、この4箇所のスタッカート・マークにより、この曲が全体に「歯切れよく」といったことも示していると考えられます。特に9、10小節目のように3度の和音が二つ続くところは、常識的に考えてもスタッカートになるでしょう。ただし12小節目の4分音符の「レ、シ」は決して8分音符の間違いではなく、意図的に4分音符にしてあると考えられるので、譜面どおり4分音符で、なおかつレガートに弾くべきでしょう。

 短調に変わる17、18小節の上声部(メロディ)は8分音符で書かれています。短調になってもやはり「歯切れよさ」は継続しているわけです。ギャロップは「馬の駆け足」ですから軽快な足取りを表しているものと思います、さらに若干スタカート気味も考えられるでしょう。市販されている譜面の中には、ここを4分音符に変更してあるものも見かけますが、あってはならない変更でしょう。



フレーズの最後はレガートで閉める

 19小節の「シ」は8分音符ではなく、4分音符で書かれていますが、ここも12小節同様、意図的なものと考えられます。この曲は確かに全体的には「歯切れよく」ですが、フレーズの最後は「レガート」で閉めるようになっていて、それにより「まとまり」を出しているわけです。そう考えると、23小節目の上声部の「ソ」と「ファ」は4分音符の可能性も出てきますが、断定はできません。

 譜面の一番下のほうの30小節目の最初のところに⑥弦の「ミ」がありますが、前後関係を考えると誤植の可能性が高いと思われます。実際に弾いている人はあまりいませんが、楽譜どおりこの音を入れるとちょっと違和感はあります。ただ100パーセントミスとも言い切れないところもあり、ソルの場合このように意図的なものなのか、単なるミスなのか判断が難しいところがよく出てきます。しかしこの箇所についてはミスの可能性が非常に高いので、生徒さんには省くように言っています(今のところ)。



2箇所だけ強弱記号

 強弱記号についてですが、下から2段目のところに「f」と「p」が付いていて、他にはありません。ソルの場合、強弱記号は曲によって付いていたり、全く付いていなかったりなのですが、おおよそで言えば大曲には付いていて、小品には付いていない傾向があるようです。そういう意味ではこの曲は2箇所付いているだけ「付いているほう」とも言えます。もちろん付いているところだけ強弱を付けるというわけではなく、他の箇所も「常識の範囲内」で強弱を付けなければなりません。「ギャロップ」ということからすれば、全体には明るく、はつらつ、元気よく、といった感じですから音はあまり小さくなく、となりますが、この曲は各フレーズとも上がって、下がるようになっていますから、それぞれのフレーズがクレシェンドして、デクレシェンドとなります。仮にメロディが上がってゆくのに音量が小さくなれば、聴いている人の期待感をはずしてしまうことになります。また全く音量が変わらなくても、もの足りなく感じるでしょう。



高らかに鳴り響くファンファーレ?

 16小節目の後半(16分音符の「ソ」「ファ」)からは短調になるので、「常識的」には音量を押さえて始まります。しかし短調の部分全体を小さく弾くというより、「気分が変わったのをはっきりさせる」くらいに考えればよいと思います。やはりメロディの上、下行にあわせたクレシェンド~デクレシェンドは必要でしょう。前述のとおり24小節目の後半(「シ」「シ」)にはフォルテ記号が付いています。ソルがあえて書き入れたわけですから、ここの強弱ははっきりさせる必要があるでしょう。このfの部分はファンファーレ的なものかも知れません。また音色の変化も考えられます、ソル自身も右手のポジションによる音色の変化は行っていました(前述のギター教則本によると)。 



一滴の水も加えない
  
 あえて言うまでもないことかも知れませんが、最後の区切り(大楽節)のところのリピート・マークが脱落しています。ここも他の区切り同様、リピート・マークが当然付くはずですが(ほとんどの譜面には書き入れてある)、こうしたところも修正しないといった、出版社、あるいは編者の姿勢には共感できます。こうしたことにより、微細なことも原典どおりと言ったことが証明されるからです。まさに「一滴の水も加えない」といったところでしょうか。