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中村俊三 ブログ

中村ギター教室内のレッスン内容や、イベント、また、音楽の雑学などを書いていきます。

短縮語

 最近ではいろいろな短縮語が使われているのは言うまでもありません。「パソコン」、「エアコン」、「ケイタイ」・・・・・ こういったものは、ほとんどが今や立派な普通名詞となっていて、「パーソナル・コンピューター」とか「エアー・コンデショナー」などと言うとかえってなんだかわからなくなってきます。

 「ケイタイ」も「携帯電話」などと呼ぶと、今現在では電話として使うことの方が少ないでしょうから、かえって内容を正確に表さないことになってしまいます。やはりケイタイはケイタイなのでしょう、強いて言えば「携帯総合情報端末」といったところでしょうか。ただし私の場合は本当に「携帯電話」です。
 
 「モバゲー」などと言うのは、言葉だけは聴くのですが、実態はよくわかりません、「モバイル・ゲーム」ということなのでしょうか。もう少しすると使われるかもしれない「アケオメ」や「コトヨロ」などは、使い方を間違えれば相手の怒りを買うことになるでしょう。



メンチャイ、マラゴ

 あまり流行には縁のなさそうなクラシック音楽界にも短縮語は横行しています。メンデルスゾーンのバイオリン協奏曲は「メンコン」。CDやLPではよくチャイコフスキーとメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲がセットになりますが、そうしたアルバムを「メンチャイ」、何か中華の食材みたいですね。

 マーラーやブルックナー、ドボルザークなどの交響曲も「マラゴ」、「ブルナナ」、「ドボハチ」などと呼ばれているようです。いくら呼びやすいからといっても作曲家が心血を注いだ作品をこのように呼んだのでは若干敬意が感じられないようにも思いますし、また作品の重厚さも感じとれなくなります。これらの曲は、何といっても長大な曲なのですから、作品番号や調性などは省いたとしても、作曲者名くらいはちゃんと呼びたいものです。

 さらにモーツアルトのレクイエムが「モツレク」、バルトークの管弦楽のための協奏曲は「オケコン」、作品のシリアスさが感じられなくなりますね。意外とベートーヴェンの曲は短縮されないようですね、「ベトコン」とか「ベトゴ」とかはあまり聴きません。やはりベートーヴェンには敬意を表しているのでしょうか。



トバす?

 もっともこれらの短縮はいわゆる「業界用語」的な要素もあり、あえて「シロウト」にはわかりにくい言い方をしているとも言えるでしょう。だいぶ前のことになりますが、かつてヴァイオリンやチェロなどの弦楽奏者の方々とコンサートをやったことがあり、リハーサルの合間にこんな会話がありました。



 チェロ奏者 「この前、○響のリハ、長くて疲れちゃった」

 ヴァイオリン奏者 「そう、たいへんだったね、何やったの?」

 チェロ奏者 「ドボハチ。 ところで今度の曲(ハイドンのカッサシオン)のテープ聴いてみた? どう? トバしてた?」

 私 「いや、特に速くはなかったと思いますが」

 ヴァイオリン奏者 「いえ、あの、『トバす』と言うのは、テンポのことではなくて・・・・ 『弓をトバす』、つまりスタッカートのことで、弦楽関係者独特の表現で・・・・」

 チェロ奏者 「ウフフフ・フ」




ロボコン、ボケソナ

 ギター関係ではあまり業界用語とか、短縮語とかはあまり使われていなくてよかったなと思います。「アランフェス協奏曲」のことを「アラコン」とか、ヴィラ・ロボスのギター協奏曲のことを「ロボコン」などと呼んでいる人は、幸いにも今のところ見当たりません。さらに「ボケソナ」とか、「ナンソナ」、「タンスカ」、「マテヘン」、「ヘンヘン」などとは間違っても呼んでほしくはありません。

 でも若い人たちはアコースティック・ギターを「アコギ」、クラシック・ギターを「クラギ」と呼んでいるようです。「アコギ」などと言うと、お代官様と越後屋なんかが出てきそうであまりよいものではありませんね。「クラギ」と言うも何か海水浴場にぷかぷかと浮かんでいそうで、ちょっと気持ち悪いと言うか、刺されると痛そうですね。 え? なんですって、 刺されても、 大丈夫? クラシックだけに、 デンキはない? 

 ・・・・お後がよろしいようで。
 

 
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今日(11月21日)ギター文化館で福田進一ギター・リサイタルを聴きました。

プログラムは以下のとおりです。



バッハ~グノー(タレガ編) : アベ・マリア

バッハ(福田編) : 組曲ト長調(原曲無伴奏チェロ組曲第3番ハ長調)

ソル : モーツアルトの主題による変奏曲


 ・・・・・・休憩・・・・・


オアナ : ティエント

トゥリーナ : セビリア風幻想曲

バリオス : 大聖堂、 情熱のマズルカ、 パラグアイ舞曲第1番

ヴィラ・ロボス : 前奏曲第1番、 ワルツ・ショーロ、 ショルス第1番



アンコール曲

ジョビン : ガロート

ポンセ : エストレリータ

ヴィラ・ロボス : マズルカ・ショーロ



 うっかりとリサイタルの日にちを間違えて記憶してしまって、もう少しで聴き損なうところでしたが、木下さんに言われて何とか聴くことができました。相変わらず客席は多くのファンで満席です。

 1曲目のタレガ編の「アベ・マリア」はこれまであまり演奏されることがなかった曲ですが、福田先生のCD発売と共に人気急上昇といったところです。今月号の現代ギター誌にも楽譜が掲載され、今後弾かれることも多くなるのではと思います。福田先生の演奏は音色の変化を巧みに使った美しい演奏でした。



    福田 001


 「チェロ組曲第3番」はギターでもたいへんよく演奏される曲ですが、主にギターではセゴビアが演奏しているように6度上げてイ長調で演奏されています。私個人的には、前からこの調ではちょっと高すぎるので、5度上げる「ト長調」あたりが最もよいのではないかと考えていました。

 今日のコンサートでは、5弦、6弦を「ソ」と「レ」に下げたチューニングで、そのト長調での演奏です。音的にはイ長調版よりも落ち着いた感じになりますが、福田先生の演奏はテンポも速く、活気ある演奏といった感じです。

 急遽追加になったオアナの「ティエント」は「スペインのフォリア」を基にした作品ですが、無調的で、緊張感のある和音による曲となっています。1970年代には演奏されることも多かった曲ですが、今日久々に聴いた感じです。いわゆる「現代音楽」といった曲ですが、ちょっと懐かしい感じもしました。

 「セビリア風幻想曲」はフラメンコ的な曲ですが、福田先生の演奏は、華麗さの中にも”艶かしさ”があり、まさにマホとマハ(伊達男と美女)の踊りといった感じで、特に印象に残りました。

ありがとうございました


 昨日の水戸ギター・アンサンブル演奏会に来ていただいた方々、本当にありがとうございました。いろいろな方々に演奏を聴いていただきまして、たいへん感謝しています。特に今回はこの演奏会に初めて来ていただいた方も多く、こうした機会に、さらにギターに親しんでいただければ幸いです。


 いつもは一つのコンサートに2年間くらいかけて練習してゆくのですが、今回のコンサートのための練習は今年に入ってから、約10ヵ月間でした。そうしたこともあって個々の曲の演奏につきましては、まだまだ不十分な点や、改善の余地など多かったのは確かですが、一方、曲によっては、あるいは部分によっては比較的イメージに近づけることができたものも多少あったかなと思います。


 また出演者以外にも、現在休んでいるメンバーやメンバー以外の教室の生徒さんなどにいろいろな仕事を手伝っていただき、今回のコンサートはスムーズに進行できました。さらにかつての生徒さんたちや、大学のギター部時代の先輩の方々などにも久々に再会できたのも、私にとってはとても嬉しかったことでした。


 何といってもアマチュアのコンサートですので、技術的な点につきましては限度もありますが、今後もギターを弾くことの楽しさが伝わるような演奏をしてゆければと思います。



 なお追加演奏は、

フェルナンド・ソル作曲  練習曲イ長調 Op.6-2、 練習曲ロ短調 OP.35-22「月光」
         演奏者 佐久間力


 アンコール曲は 

アルフォード作曲 「ボギー大佐」 (映画「戦場にかける橋」に使われ、「クワイ河マーチ」とも呼ばれる)  

 以上でした。
 次の日曜日(11月14日)、ひたちなか市文化会館小ホールで、「第14回水戸ギター・アンサンブル演奏会」を行います。プログラム、およびメンバーはは次のとおりです。


グレー 005


<合奏>

  ルーマニア民族舞曲  (B.バルトーク~中村編)
   

<ギター独奏>   中村俊三

  ラ・パロマ      (イラディエール~タレガ編)     
  奥様お手をどうぞ   (L.エルビン~中村編)        
  ラ・クンパルシータ  (G.H.M.ロドリゲス~中村編)

   
<ギター二重奏>   佐藤智美   中川真理子


  エリート・シンコペーション  (S.ジョプリン~中村編)
  サマー・タイム        (G.ガーシュウィン~中村編)
  ラグタイム・ダンス      (S.ジョプリン~中村編)


<独奏>   丹 朋子

  ベニスの謝肉祭  (F.タレガ)
       

<二重奏>   中村俊三   丹 朋子
    

  セレナード ト長調作品96-3   (全3楽章 F.カルリ)
           

<合奏>   

  組曲「展覧会の絵」より  (M.ムソルグスキー~中村編)
     プロムナード、 古城、 ビドロ、 バーバ・ヤーガの小屋、 キエフの大門




  (ステージ向かって左より)

アルト・ギター      丹 朋子   佐藤智美     

プライム・ギター1    中川真理子  佐藤眞美

プライム・ギター3    市毛和夫            

コントラ・バス・ギター  後関信一

プライム・ギター4    石川博久   及川英幸     

プライム・ギター2    中村俊三



「ルーマニア民族舞曲」、「展覧会の絵」

 今回の合奏バルトークの「ルーマニア民族舞曲」とムソルグスキーの「展覧会の絵」です。バルトークの曲はピアノ曲からの編曲ですが、バルトークの作品としてはたいへんよく演奏される曲です。独特の雰囲気をもったメロディは、なかなか印象深いもので、最後の方はテンポも速く、ノリのよい曲となっています。

 本来はピアノ独奏曲ですが、オーケストラの名曲としても知られている「展覧会の絵」からは5曲抜粋して演奏します。かつて山下和仁さんが驚異のテクニックで、ギター独奏で演奏し、話題になったことは記憶にある方も多いでしょう。セゴビアも「古城」を演奏していました。「バーバ・ヤーガの小屋」から「キエフの大門」にかけてはオーケストラの”鳴らしどころ”なので、音量の小さいギター合奏でそのイメージを出すのはなかなか難しいのですが、少しでもオーケストラのイメージに近づけられればと思います。



「ラ・パロマ」、「奥様お手をどうぞ」、「ラ・クンパルシータ」

 私の独奏はタンゴ3曲ですが、私の曲材用のCDに収録したものの中からですです。それらのCD(4種類)は当日会場でも販売します。「ラ・パロマ」は現在でもタンゴの名曲として知られていますが、19世紀に作曲され、ギタリストのフランシスコ・タレガがギター独奏に編曲しています。「奥様お手をどうぞ」と「ラ・クンパルシータ」もタンゴの名曲と知られていますが、こちらは20世紀の作品で、アレンジは私のものです。



        10水戸GE

「ポピュラー・ギター・ミュージックⅡ」のCD  「奥様お手をどうぞ」、「ラ・クンパルシータ」などの他、映画音楽やタンゴなどのポピュラー曲が入っている。



ベニスの謝肉祭

 パガニーニの原曲をもとにタレガが作曲したものですが、タレガは自らのコンサートでは必ずといってよいほどこの曲をプログラムに入れていて、タレガの愛奏曲中の愛奏曲と言えます。譜面は何種類か残されているようですが、今回の演奏では阿部保夫編を用います。現代ギター社の譜面は1920年頃アリエール社から出版されたものをもとにしていますが、この阿部編はそれとは別の譜面をもとにしているようです。

 この阿部編はアリエール社のものより変奏の数も少なく(8つ)、確かに実用的かも知れません。ただし2つの変奏を形のうえだけ1つの変奏のように書いてあるところもあり、実質上はもっと変奏の数は多くなっています。デビット・ラッセルもこの版で弾いています。

 各変奏はハーモニックスやピッチカート、グリサンド、トレモロなど特殊技法(あまり特殊ではないが)を用いた”技術系”の変奏と、ギターという楽器を究極まで歌わせるための変奏とに分けられます。やはり何といっても難しいのは”歌わせる”変奏で、今回の演奏者の丹さんと一緒に、「タレガならどんな風に演奏しただろうか」などと考えながら、練習してきました。



エリート・シンコペーション、サマータイム、ラグタイム・ダンス

 佐藤智美さんと中川さんの二重奏はスコット・ジョプリンのラグタイム2曲とガーシュウィンの「サマータイム」です。ラグタイムは19世紀末から20世紀初頭のアメリカで流行した、ピアノ音楽です。ステップを踏むようなリズムが特徴の、軽快で楽しい感じの音楽ですが、1920年頃にはあまり演奏されなくなったようです。1970年代に映画「スティング」に使われ、それを契機にまた人気が復活し、最近でもよく聴かれるようになりました。

 ジャズの前身とも言われますが、即興性はあまりなく、どちらかと言えば書かれた楽譜通りに演奏する音楽のようです。今回のギターへのアレンジもオリジナルのピアノ曲に沿ったものです。

 サマータイムは原曲はガーシュウィンのオペラ(ボーギーとベス)の中で歌われる歌ですが、いろいろな楽器でも演奏され、クラシック、ポピュラーを問わずいろいろな音楽家に歌われ、演奏されている曲です。今回のアレンジは10数年ほど前、私がギター五重奏のためにアレンジしたものを、さらに二重奏にアレンジしたものです。チョーキングやブルー・ノート・スケールを用い、ブルース風になっています。



 セレナード ト長調 作品96-3

 私と丹さんの二重奏は、フェルナンド・カルリの作品96の「3つのセレナード」からです。「3つのセレナード」の第1番はイ長調で、昨年の6月の水戸ギター・アンサンブルの演奏会で、私と鈴木幸男さんで演奏しましたので(第2、3楽章のみ)、その続編的ですが、今回は「第3番ト長調」を演奏します。

 この「第3番ト長調」は「第1番イ長調」ほどは演奏されませんが、なかなか軽快で楽しい曲です。かつて、伝説のデュオといわれるプレスティ&ラゴヤの名演奏があることもご存知の方も多いのではと思います。「第1番」同様に3つの楽章からなりますが、第3楽章では第2楽章が調が変って再び登場します。この第2楽章は主題と変奏になっていますが、そのテーマはハイドンの交響曲「驚愕」の第2楽章に似ています。



 


    第14回水戸ギター・アンサンブル演奏会

    2010年 11月14日(日) pm.6:00   ひたちなか市文化会館小ホール

    入場無料 



ご来場お待ちしています
 前回に引き続きヴィラ・ロボスのギター独奏曲ですが、今回はいくつかの曲についての感想です。


前奏曲第1番

 まずこ前奏曲集からですが、「第1番」は前述のとおり、イン・テンポを基調としたもので、それに楽譜の指示に従った形でルバートをしています。普通なら当然のことですが、これまでの多くのギタリストはそうした指示を注意深く考慮しているとは限りません。ルバートをすると言うより、音符の長さをデフォルメして演奏していると言う感じもあります。また聴き手のほうもそうした演奏に慣れ親しんできました。

 このMiolinは、直感的ではなく、楽譜を深く読み込み、ある意味正しい演奏をしていると言ってもよいかも知れませんが、この世に正しい演奏などというものは存在しないとすれば、前にも言ったとおり、ヴィラ・ロボスの他の管弦楽作品などと整合的な演奏をしていると言った方がよいでしょう。



rit.とrall. どう違うの?

 もっとも、「楽譜の指示に従った正しい演奏」といってもそれほど簡単ではありません。確かにこの曲にはテンポの変化に関してかなり細かく指示が入っているのですが、一方では不明な点もかなりあります。

 例えばテンポを遅くする指示として、ヴィラ・ロボスは「リタルダンド(rit.)」、「ラレンタンド(rall.)」、「アラルガンド(allarg.)」と3種類を使っています。このうち「アラルガンド」は「音を強めながら、だんだん遅く(クレシェンド+リタルダンド)」と言った意味で、これは確かにこの曲の中でもそのような意味に使われ、特に問題はありません(ただし実行しているギタリストは多くはない!)。

 「ラレンタンド」は「だんだん遅く」と言った意味で、音楽辞典などには「リタルダンドと同じ」と書いてあります。しかしこの楽譜ではこの言葉が両方用いられており、どうも違った意味に使われているようです。少なくともヴィラ・ロボスの中ではこの両者は何か違ったニュアンスのものなのでしょう。



rall. は普通の「リタルダンド」、ではrit. は?

 「rit.」と「rall.」の使われ方の違いとすると、「rall.」のほうにはその後に必ず「a tempo」が付いており、これは私たちが普通つかっているリタルダンドと同じ使われ方のような気がします。それに対し「rit.」のほうには「a tempo」があったりなかったりします。さらに「rit.」の場合は比較的狭い範囲に、またフレーズのピークに付いていることがおおいようです。「rall.」の方はフレーズの終わりの方についており、そういった点でも普通使われるリタルダンド的です。

 ということは、どうも「rit.」のほうが普通に使われる「だんだん遅く」と言った意味と少し違った意味に使われている可能性があります。前後関係から推測すると、ヴィラ・ロボスの「rit.」は「だんだん遅く」ではなく、「その周辺を遅く弾く」、あるいは「『rall.』よりいっそう遅くする」と言ったような意味に考えられるかも知れません。「前奏曲第2番」などでは「rall.」が付いたすぐ後に「rit.」が現れ、曲の流れからして「rit.」の部分が最も遅くなるようになっています。


前奏曲第3番 ~非常に、たいへんゆっくり、悲しみをたたえて

 「第3番」についてですが、曲は前半が「Andante」で、後半が「Molto adagio e(dolorido)」となっています。「Molto adagio e(dolorido)」は「非常にゆっくり、悲しみをもって」と言ったような意味でしょうか。「Adagio」だけでも「かなりゆっくり」と言った意味ですが、それに「非常に」といった意味の「Molto」が付いていますから、「最上級」の遅さです。さらに「e(dolorido)」で、「苦痛を感じながら」と言っていますから少なくとも「快適な」テンポではいけないようです。

 前半の「アンダンテ」は16分音符で始まりますが、ギタリストによってはこれがかなり遅く、後半の「モルトー・アダージョ・エ・ドロリード」のほうと同じようになっている演奏もあります。ヴィラ・ロボスの速度指定から考えると、前半と後半ではかなり速度を変えるべきなので、本来それはありえないことなのでしょう。


指的には易しいが

 確かに技術的(指的?)に言えばこの「第3番」は曲集の中でも易しいほうかも知れませんが、演奏速度に関しては難しいところもあります。第一、イン・テンポで弾こうと思ってもイン・テンポを守るのがなかなか難しい点もあり、また速度設定や、途中の速度変更などの指示に忠実に従うのも簡単ではありません。

 しかしこれまでこの曲に関しては、音色や音響的な面だけを考え、演奏速度と言うことに関してはあまり注意を払わない演奏も多かったのではないかと思います(自己反省を含めて)。適切なテンポ、あるいはテンポの変化をとれるかどうかということが、この曲の演奏の良し悪しに大きく関ることなのでしょう。もちろんこのMiolinは適切なテンポで弾いています。

 また「rit.」と「rall.」の違いに関して、この曲の場合も前述のことが当てはまると思います。


練習曲第1番

 練習曲第1番はご存知のとおりアルペジオの練習曲です。確かにコンサートのための曲というよりトレーニングのための曲といった感じです。イエペスなどはかなりのスピードで弾いており、かつては私もそのイエペスのスピードに追いつこうと、ひたすらスピード・アップだけを目指して練習したものです。

 しかし譜面をよく見るとテンポの指定は「Allegro non troppo」で、それほど速いテンポを要求しているわけではありません。強いてメトロノームの数字で言えば4分音符が110~130といったところでしょう(イエペスの場合は160くらい)。もちろんこのMiolinの演奏で適切なテンポ(130前後)になっています。


 ただ純粋に指のトレーニングと考えれば、指定されたテンポより速く弾いてみることもあるとは思いますが、逆に60~80くらいのゆっくりしたテンポで弾いてみるのも有効だと思います。これが簡単なようで、簡単ではなく、一音一音しっかりと発音し、音色や長さをコントロールするのはなかなか難しいものです。かえって速く弾き飛ばした方が楽なくらいです。

 この曲はエシック社の初版ではかなりのミスがあったのですが、その後全集として出されたAmsco Publicationsのものでは修正されています。また最後に出てくるハーモニックスの表記はヴィラ・ロボス独特のもので、よく練習する人を悩ますものですが、最後の方に一般的な表記の仕方で記されています。


練習曲第10番

 この第10番はEschig社のものも、その後のAmsco Publications社のものも、どちらも約2ページ分の脱落がありました。相当大きな脱落だったのですが、これまで脱落したまま多くのギタリストが演奏し、また録音していました。比較的最近その脱落部分が発見され、十数年ほど前頃現代ギター誌のほうに記載されました。

 これまでの譜面でも、よく見ると意味不明のグリサンド記号があり、注意深く譜面を読んだり、弾いたりすれば何となくおかしいというこは気がついいたのかも知れませんが、もちろん私自身も現代ギター誌の記事を読むまで、そのようなこと考えてみたこともありませんでした。

 私が初めて完全な形の「第10番」を聴いたのはフェルナンデスの演奏だと思いますが、それまでは誰もが特に疑問もなく不完全な「第10番」を弾いていたわけで、私が持っているCDも、このMiolin以外は脱落したままの「第10番」となっています。
 
 このMiolinの演奏を聴いてみると、曲の長さがかなり違うせいもあってか、他のギタリストの演奏とはかなり違う感じがします。確かに「フル」に聴く第10番はなかなか充実した曲といった印象です。さらに、これまで、この曲は(他の曲もある程度同じですが)前衛的で、激しく、技巧的な曲といったイメージでしたが、Miolinの演奏では、奇をてらった曲でも、技巧的な曲でもなく、もっと素朴で自然な感じの曲に聴こえます。

 特に後半の上声部がスラーで、下声部が2分音符を中心の部分など特にそう感じます。ここは決してスラー奏法を聴かせるところではなく、素朴な旋律をスラー奏法で装飾している部分なのだと思います。そういった感じの部分は他のオーケストラ曲でも聴かれ、そういった作品のイメージとも矛盾しません。



練習曲第11番

 この曲にも装飾部分の追加があるようなのですが、このMiolinの演奏では採用されていません。確かにちょっととって付けたような感じもあり、別になくてもよいようです。

 この曲も私自身特に若い時にはよく演奏した曲で、当時はその前衛的な響きなどに惹かれてこの曲に取り組んだわけですが、一方では素朴で美しいのメロディの曲とも言えます。このメロディもやはりこれまでオーケストラ曲などでよく聴かれる感じのもので、いわば「ヴィラ・ロボス的」なメロディと言えるようです。

 「ヴィラ・ロボス的メロディ」というのを具体的に表現すると、まずその多くは第6,7音を半音上げない「自然短調」で出来ているといったことでしょう。ちょっと聴くと教会旋法的に聴こえますが、はっきりとそうはなっていないようです。自然短調による、素朴で、郷愁を誘うほの暗いメロディ、といったものがヴィラ・ロボスの特徴らしく、それによりヨーロッパの音楽と一つの線を引いているのかも知れません。

 また長めの音符を用い、ゆったりとした感じに聴こえるのも特徴でしょう。また細かい音形やパッセージが続くところでも、低音域などで、このゆったりとしたメロディが歌われています。ギター曲でもそういった感じのところはよく出てきて、この「第11番」、「第10番」などはその例でしょう。



まとめ

 他のギター曲については省略しますが、ヴィラ・ロボスのいろいろなジャンルの作品を聴いてからギター曲を聴いてみると、あるいは弾いてみると、当然のことながら、また違った印象を受けます。私たちが聴いてきた、ギターの作品の中でのヴィラ・ロボスというのは、もちろんヴィラ・ロボスの特定の一面であるのは確かです。ヴィラ・ロボスの音楽に取り組もうとしている人は、なるべくたくさんギター曲以外のヴィラ・ロボスの作品を聴くべきというこは言うまでもないことですが、幸いにも現在ではその気にさえなれば結構簡単にそれが出来ると思います。またそれほど多額の費用がかかるものでもありません。


 まだ一つ目のアルバムなのに、だいぶ長くなってしまいましたが、何とか最後まで、交響曲や弦楽四重奏の曲の話もがんばって、やってゆきましょう・・・・