中村俊三 ブログ

中村ギター教室内のレッスン内容や、イベント、また、音楽の雑学などを書いていきます。

 前回お話した4月10日(日)のアコラでのコンサートはチャリティ・コンサートとして実施することになりました。ひたちなか市内のライフ・ラインも、どうにか復帰し始め(ガスはまだのようですが)、またガソリン事情も当日くらいまでには良くなっているのでは、ということで予定通り実施することにしました。

 地震の影響で水戸芸術館や、県民文化センターなど、水戸市付近で行われる主な演奏会はことごとく中止といった状況で、ろうそくの炎のようなささやかなイヴェントですが、ほんの少しだけでも明かりを点せればと思います。

 私の演奏曲目は前回書きましたが、予定のものより、若干聴きやすいものにしました。またAM.10:00~の愛好者の演奏曲目は「白い恋人たち」、「アリアと変奏(フレスコバルディ)」、「アリエッタ(クレンジャンス)」、「ジャルダン・スクレ(レーモン)」などとなっています。

 会費は1500円で予約が必要です。予約は私の方でも受け付けます。また場所がよくわからない方はアコラのホームページを見るか、私の方に問い合わせるかして下さい。なお聴くだけでなく、演奏することも出来ますので、演奏する方は事前に言って下さい。

 先ほど言いましたとおり、水戸芸術館、茨城県民文化センター、水戸市民会館などで行われるイベントは当分の間中止ということで、毎年7月の行われている水戸市民音楽会も中止という連絡が、今日(もう昨日になってしまいましたが)入りました。本当に今度の地震の影響は計り知れないですね。

 私たちの出来ることなど、本当に極微の世界で、「チャリティ」などとするのも気が引けるところですが、何もしないよりは・・・・といった気持ちです。
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 今日は地震後初めて外出しました(免許証の更新のため)。10日間以上外出しなかったことになりますが、私としては特に珍しいことではありません。毎週火曜日に行っている常陽藝文学苑がしばらく休みになってしまったので結果的にそうなってしまいました。

 茨交バスで水戸駅近くの水戸警察署まで行ったのですが、バスは通常どおり走っているようです。通りはいつもよりは車が若干少なめですが、ほぼ普通といった感じです。途中2軒ほどのガソリン・スタンドは休業していて、1軒だけ営業しているスタンドには車の長い列があり、何人かの警備員が整理していました。列の長さはざっと見て、3~400メートルといった感じですが、おそらく一時期よりは短くなっているのでしょう。

 水戸警察署と前述の仕事場の常陽藝文センターは隣あわせにあります。藝文センターの玄関の張り紙を見てみると、「しばらくの間休館」とか「3~5月の講座は休み」と書いてありました。警察署のほうは特に問題ないようです。

 歩道橋は通行禁止になっていたり、歩道のあちこちには段差が出来ていたり、古い建物のガラスが割れていたりと地震の爪あとはあちこちに見られます。



4月10日のコンサート

 ところで、4月10日にアコラででジヴェルニー・サロンが予定され、そのゲストとして私が演奏することになっていました。今度の地震で、予定どおりに行われるかどうかは今のところはっきりしていません。熊坂さんの方からはライフ・ライン等に問題がなければ、出来るだけ予定通りに行いたいということでした。

 またそのコンサートは震災復興のためのチャリティ・コンサートにしようということにもなりました。具体的なことは近日中に決まると思います。

 まだ若干流動的なところもありますが、詳細がきまり次第、当ブログで案内させていただきます。またアコラのホーム・ページのほうもご覧になって貰えればと思います。またそうした趣旨に合わせて演奏曲目の方も、予定のものを若干変更して次のようなものにしたいと思っています。



アプト~メルツ編 : 燕が家路に翔る時
 
メルツ : 吟遊詩人の調べより 「ロマンス」、「不安」、「フィンガルの洞窟」、「愛の歌」

ハインリッヒ・アルベルト : ソナタ第1番ホ短調(全3楽章)

フェルナンド・ソル : モーツアルトの「魔笛」の主題による変奏曲

アンドリュー・ヨーク : サンバースト

日本古謡~横尾幸弘 : さくら変奏曲



 あれから一週間以上経ちましたが、今だ全貌のつかめない東北の惨状、相変わらず続く福島原発の危機的状況などは、むしろ皆さんの方が詳しいかも知れません。こんな時に身近な話で恐縮なのですが、こういった状況の時には、ギター教室というのはどうしたらよろしいのでしょう? 他のギター教室の先生などはどのような対応をしているのでしょうか?


 そんな悠長なことを言っている場合ではない、といった状況の教室もあるでしょうし、また前代未聞の出来事ですからそれぞれの先生が違った対応をとっているのは当然かも知れません。因みに、知り合いのギター教室の先生は、しばらくの間休みにしたそうで、また毎週火曜日に行っている常陽藝文学苑の方も、しばらくの間全講座休講ということになり、いつ再開のなるかは不明となっています。


 私もどのようにしてよいか手探りの状態で、地震の翌日の土曜日(12日)はとりあえず休みにしました。もっとも連絡つかない人が半分くらいいましたが、レッスンには来なかったので実質上休みになりました。


 次の月曜日(14日)にレッスン予定の生徒さんに、「今日は来るのがたいへんでしょうから、レッスンの方は休みにしましょうか」と電話してみると、大半の人からは「わかりました、そうします、とても行ける状況ではないので」といったような返事が返ってきましたが、逆に「いえ、大丈夫です、行けます」と言う人もいて、そうした人にはぜひレッスンに来てもらうことにしました。


 それから今日土曜日まで、全面的には休みにはせず、来られる人、あるいは来たいという人はレッスンを行い、来られない、あるいは来る気持ちになれないと言う人は、レッスンを後日に振り替えたり、あるいは、しばらく休みにする、ということにしました。


 つまり今回のことに関しては、すべてそれぞれの生徒さんの都合や、希望に沿う形でレッスンを行うということにしました。同じ地震でも、受けた被害はその場所、その人でかなり違いがありますし、その受け止め方もそれぞれ異なります。このような時にはギター教室に行っている場合ではない、というのは当然ですし、また逆にこういう時だからこ、いつものとおりレッスンに行きたいという人もいます。私としてはそのどちらの気持ちも大切にしたいと思いました。


 といった訳で、このところレッスンは1日に一人か二人ということなのですが、そのおかげで私自身の練習量は増えました。もっとも今日は5人の人がレッスンに来てくれて、かなり普通の土曜日に近くなりました。


 私は相変わらず家の中にいるのですが、家内の方は時々市内のほうに出かけ、今日は地震後初めてテニスをしに行きました。テニスには結構たくさんの人が来ていたそうです。また市内を走る車の数も増え、スーパーなどにもそれなりに商品が並んでいるそうです。相変わらずガソリン・スタンドには多くの車が並んでいますが、長時間がんばればなんとか給油は出きるそうです。


 まだまだこれからも東北など厳しい状況、あるいは危機的な状況は続くのでしょうが、この水戸市では、ほんの少しずつですが日常が回復しつつあるようです。

 あれから4日以上たちましたが、県内ではまだ電気や水道などが通っていないところもあるようです。またJR線や自動車道もほとんど復旧していないというか、復旧のめどもたっていないようです。地震そのものも凄かったのですが、その後遺症もかなり深刻です。


 こうしてブログを書いている間も余震が続いています。確かにもう慣れてしまいましたが、それにしてもしつこい余震です、ほとんどひっきりなしに続いています。余震といっても本振のすぐ後の2回の余震は、揺れも大きく、長さも長く、かなり恐怖心を誘うものでした。今も相変わらず余震が続いていますが、あまり強い余震はなく(慣れでそう感じているのかも知れませんが)怖いと言った感じはないのですが、ただ鬱陶しいというか、「いい加減にしてくれ」と言った気になります。


 私のところ(水戸市石川町)は比較的早めに、翌日の正午頃には電気や水道が復旧したのですが、日立市など、まる3日以上電気も水道もガスも来なかった地域もかなりあるようです。私の場合はそれほど難儀をせずに済んだのですが(こんなブログを書いている余裕も若干あるくらいですから)、たいへんな思いを現在もされている人たちはまだまだ多いと思います。


 水戸市内は電気、水道、ガスなどはだいたい復旧したようなのですが、今一番深刻な問題はガソリンが入れられないということのようです。スタンドの前には長蛇の列が出来、それでもなかなか入れられないようです。ガソリンがないために外出が出来ない、あるいは控えているという人は多いようです。またスーパーなどに人が殺到し、食料品なども店の棚にはほとんどないとのことです。


 ただこうした問題は道路や鉄道などが復旧すれば自然に解消されてゆくのではないかと思います、若干の辛抱は必要ですが。幸いにも当家では妻が日頃から食料品などを溜め込む性格なので、贅沢さえしなければ買出しなどしなくても、しばらくは家にあるものだけで済ますことが出来ます。


 地震から4日以上経っていますが、事態はだんだん良くなっているどころか、相変わらず最も被害の大きかったところはほぼ手付かずの状態。まだ被害の全貌もよくわからず、少なくとも1万人以上の死者が出ているとのこと。また被災者の避難所生活が長引けば身体的にも、精神的にも苦痛がそれだけ大きくなる。


 被災者だの、避難所だのという言葉は、これまで他人事のように感じていたのですが、私の場合も何かちょっと条件が変っていたらそうした生活をしていたかも知れませんね。


 しかし今なんと言っても深刻な問題になっているのは福島の原発問題。地震と津波だけも未曾有の大惨事だったのに、それに加えてとても深刻な放射能漏れが現実となっていしまいました。詳しいことはわかりませんが、今後事態は収束してゆくのか、あるいはさらに悪化し、最悪の事態もあるのかとても不安です。外国の専門家は「今度の事故はスリーマイル以上、チェルノブイリ以下」と言っているようです。


 原発は確かにリスクはあるが、温暖化や、コストの問題を解決するための極めて「手っ取り早い」手段だったのかも知れません。しかし多少の不便や経済的な負担があったとしても、こんなリスクは不要なのでは。
 


 皆さん、いかがですか。たいへんな目にあった人もいると思いますし、まだ停電や断水、あるいは避難所など通常の生活とは程遠い人もいるかと思います。私のほうでは今現在(14日AM.0:55)は電気も(だからブログが書けるのですが)、水道も通ってます。水道の方は通常の3分の1くらいの水圧で、若干濁りもありますが、なんとか使えます。


 11日の段階では地元のAM放送(茨城放送)しか聴けなく、東北地方のほうが被害が大きかったということは多少わかったのですが、県内では大きな人的被害はなかったようなので、それほど大きな被害が出たとは思いませんでした。12日になってテレビが見られるようになってから、津波の映像や被害の情報など、想像を絶する災害であることがわかりました。



 地震があった時には、私は妻と共に水戸市内原のイオン・モールにいたのですが、それぞれが別々に買い物をし、2時50分に建物の出口付近で待ち合わせることになっていました。私はその待ち合わせ時間よりも若干早めに自分の買い物を済ませ、エスカレーターで1階の入り口に向かいました。

 エスカレーターで半分くらい降りた時に、エスカレーターがガタガタと妙な揺れ方をしました。その時にはまだ地震だとは思わず、「なんかこのエスカレーター調子悪いな」と思いました。1階のフロアーに着くと店内の人達が何かざわざわしています。ほとんどの人が上の方を見上げています。何かイヴェントでもやっているのかなと私も上を見たのですが(まだ地震だとは気付かない!)、特に何もなく、その代わりにゴーゴーと妙な響きがして、その音はだんだん強くなってきます。

 エスカレーターから降りて10mくらい出口に向かって歩いた頃でしょうか、その頃になって、さすがに私も足元が揺れていることに気付き始めたのですが、その時にはもう強い揺れが始まりだしました。地震だとわかるまでにだいぶかかりましたが、地震だとわかった瞬間、また初期微動がエスカレーターのときから始まっていると理解した瞬間、これはとんでもない地震だと気付きました。

 その時、妻が私を見つけ、手をとり合いましたが、揺れがいっそう強くなり、何か物が落ちる音などがすると、店内は騒然となりました。照明も消え、出口のドアが凄い揺れをしています。悲鳴を上げながら多くの人達が出口に向かって走り出しました。一緒に走り出そうとする妻に「走っちゃダメ、大丈夫」と平静を装ったものの、揺れがピークの時には「建物が崩れるんじゃないか」とか「出口が塞がってしまうんじゃないか」とか、また一瞬ではありますが「もしかしたらここで・・・・・」などということも頭をよぎりました・・・・

 

 テレビを見ると、まだまだ被害状況の全貌は掴みきれておらず、本当に大きな災害が訪れた時にはこんなふうになってしまうのでしょうか、まだレスキュー隊も入れないところがたくさんあるようですね。と思っても私にはただじっとしているしか出来ません。


 私の住む茨城県では、人的被害は比較的少なかったとは言え、まだまだ電気も水道も通らず、また主要な交通網もほとんど寸断され、物流も滞っているようです。


 私の家も、また私自身も、今は特に何も問題ないので、明日(14日 月曜日)は来られる人だけでもレッスンしようかと思っています。