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中村俊三 ブログ

中村ギター教室内のレッスン内容や、イベント、また、音楽の雑学などを書いていきます。

 今回から具体的な「アガリ」対策話となりますが、内容的にはステージ対策とも言えると思いますので、発表会かコンサートなどに役立て手いただければと思います。



極度の場合は医師や薬剤師に相談

 前にお話したとおり、ステージに立ったとき、指の震えや、激しい動悸などを抑える薬は確かにあるようです。薬などについての話は私には出来ませんが、極度に指が震えたり、動悸が激しくなったりする人は、お医者さんや薬剤師の方などに相談してみるとよいでしょう。意外とこれが最も確実な方法かも知れません。極度のアガリ性の人は、身体的な要因もあるかも知れません。

 薬である以上その効果は人によって違うと思いますが、仮に効き目が弱かったとしても、そういったものを服用することで、指が震えなくなると思うだけでも、かなり落ち着いて演奏できるのではと思います。うまくゆけば精神的なものと、身体的な部分と両方に効き目が期待できるかも知れません。



ステージではストライク・ゾーンは広く

 ここからは皆さん自身の努力で解決する問題ということになりますが、まずステージで演奏する時の心構えとして、ステージ上では、あまり細部にはこだわらず、なるべく大まかに考えるようにします。つまりストライク・ゾーンを広くとるわけです。

 それにはあくまで練習を完璧にしていることが前提ですが、ステージに立った時に、あまり細部にこだわったり、小さいミスを怖がると、かえって大きなミスをしてしまうことがよくあります。練習ではきちんと出来ていても、ステージでは多少の”ほころび”は必ずあるものと考えるべきでしょう。

 ステージでは自分のミスには寛大になるべきで、演奏の自己採点をなるべく甘くしてあげましょう。また多少のことはミスとは考えずに、また多少のキズなどライブ感があってかえってよいくらいに考えるのも一つです。ステージではいかにゆったりと構えられるか、縮こまらずに弾けるかどうかが結果に大きく関ってきます。

 本番のステージではミスなく弾くということよりも、曲の内容や表現の方に気持ちを置くほうがよい結果に繋がります。また演奏とは自分が上手であることをアピールするためのものではなく、その曲の内容を聴衆に伝えるものと考えるべきでしょう。



されど練習は厳しく

 ステージでは「細かいことは考えずに、ミスをしても気にしないで」と言いましたが、しかし練習の段階では自分の演奏を厳しく見る必要があるでしょう。仮に練習で10回のうち1回だけミスする部分があるとすると、そうした箇所はステージではその“1回”が出ると考えてよいでしょう。また練習で、実際にはミスにはならないが、ミス“しそうになる”部分も、はやりステージではミスに繋がる可能性が高くなります。

 ミスについては以前の「ギター上達法」でも述べましたが、その可能性を減じる方法はいくつかあると思います。また「ミスは必ずあるもの、ミスをなくすのではなく、ミスしても弾けるようにするのが重要」といったことも書きましたが、ミスの可能性をなくしてゆくと同時に、ミスをした時の対処も心がけておくべきでしょう。

 もちろん演奏において、最も大事なことは、その演奏の“内容”ですから、その曲がどう出来ているのかとか、どのように演奏するべきか、といったことがよりいっそう重要です。そのためには日頃、音楽を総合的に学び、聴く耳を育てなければならない、などということはあらためて言うことでもないでしょう。仮にノー・ミスの演奏でも伝わる内容が何もなければ演奏とは言えません。



お前のバット、よう振れとる 

 ちょっと厳しい言い方になってしまいましたが、よく甲子園大会の常連校のベテラン監督などは、練習ではいつも厳しい顔で怒ってばかりいるが、本大会のベンチではいつもにこやかで、仮に選手が緊張のあまり三振しても、「お前のバット今日よう振れとる。ええ振りや。ピッチャー、ビビッとるで・・・・  その調子や。次も思いっきり振ってゆけ!」 なんて言ったりしているのでは・・・・

 本番はやさしく、されど練習は厳しく・・・・  これが何事においても鉄則!


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創のフランス留学とリタイヤ

 前回は40代半ばくらいからはステージでは、特に右指が上手くコントロール出来なくなったことをお話しましたが、そうしたことを契機に私は積極的にコンサートなどを行わなくなりました。ちょうどそのことと重なるように創がコンクールで入賞するようになり、私に代わって演奏活動をするようになりました。

 しかし創が高校を卒業してフランスに留学すると地元ではあまりコンサートを行わなくなり、少しずつ私が演奏する機会が増えました。そして創のリタイヤということになるのですが、それはもちろん残念なことではありますが、私自身でも肩の荷が下りたのか、少なくともそれまでよりは積極的にコンサートを行うようになり、現在に至っています。


アガらなくなったわけではないが

 そうしたことには県立図書館やアコラ、ギター文化館などで演奏する機会を頂いたことが大きな要因で、あらためて自分の演奏をいろいろな人に聴いていただくことの喜びを実感することが出来るようになりました。

 とは言っても、最近はあまりアガらなくとか、若い頃のようにステージでは練習の時より上手く、あるいは練習と同じように弾けるようになったわけでもありません。まして練習で弾けていない曲など絶対にステージでは弾けません。

 相変わらずコンサートが始まって10~20分くらいは右手が不安定(結構長い!)で、右手の難しい曲はコンサートを始めてから20分以上経たないと弾けません。練習ではわからなくなることなどあり得ない曲が、演奏中は記憶が飛びそうになります。幸いに完全に記憶がとんでしまったことはありませんが、部分的には時々曖昧になります。また演奏前は飲食出来ないことも相変わらずです。



まとめると

 以上で私の「アガリ暦」は終わりです。確かに最近は私も結構アガるようになってきているのですが(年齢の関係?)、客観的にみれば、おそらく私のアガリ具合は平均的なのではないかと思います。アガって全く弾けなくなるほどではないが、かといって全く平常心で弾いている訳でもない。

 私も「本当は皆さんが思うより私の実力はもっと高いのだけれど、ステージでそれが証明出来ないだけ・・・・」と言いたいところなのですが、私よりアガリ症の人はたくさんいると思いますので、残念ながらそうした言い訳はあまり使えないでしょうね。



損なのか、徳なのか?

 ビジュアル的に言えば私の演奏中のアクションは少なめなので、かなり緊張している場合でも見た目はそうは見えないようです。ということはステージで上手く弾けないのはアガっているせいではなく、元々弾けていないように見えるということでしょうね。徳なのか損なのかよくわかりませんが・・・・



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最近の私の演奏。自分ではアガって弾けないと思っているのだが、
聴いている人はただ実力が足りないだけと思っているかも・・・・
 




次回からは具体的に

 しばらく個人的な話しになってしまいましたが、次回からは具体的に“アガリ対策”について話を進めてゆきます。
 前回までの話で、私はもともとはあまり人前でもアガったりするほうではなかったのですが、この仕事に就くようになってからステージでの緊張度も増し、普段弾けている曲が弾けなくなるなどの本格的な「アガリ」を感じるようになったことを書きました。また緊張するのはステージに上がったから、あるいは演奏会当日だけでなく、かなり前から緊張するようにもなり、当日は朝から飲食などがあまり出来なくなりました。


 しかし暗譜に時間をかけて完璧にすることにより、ステージでの演奏も、また精神状態もある程度安定させることが出来るようになりました。それというのも、この頃はアガったとしても指が震えるなど、指への影響はあまりなかったということが言えます。足が震えることがあっても指はあまり震えることはなく、仮にそうしたことがあっても不思議と演奏には差し障りありませんでした。本番直前は「今日は本当に弾けるのだろうか」と不安になっても、演奏を始めると、少なくとも指の方は問題なく普段どおりにコントロール出来ました。



状況が変ってきた

 体というものは年齢とともに変化してゆくものなのでしょう、40代半ばくらいから若干様子が変ってきました。次第に指に影響がくるようになったのです。若い頃はレッスン室などでの少人数でのリハーサル的な演奏では、ほとんど、緊張したりすることはなかったのですが、この頃になるとそうした場でも、あるいはそうした場だからこそ指が震えるなどして、弦が上手くつかめなくなったりするようになりました。



負の連鎖

 そいうことが一度起きると「負の連鎖」というやつで、「弦がつかめなくなるのでは」と思うと、本当にそうなってしまいます。ある程度長い時間のステージなどで弾く場合でしたら、時間の進行と共に段々と通常の状態に戻ってゆくのですが、演奏を始めてから10~20分くらいはコントロールの出来ない状態が続いてしまいます。



そんなに練習すると弾けなくなるよ

 その頃合奏で曲の冒頭にやや複雑なアルペジオがあって、それは私が弾くことになっていました。複雑といっても練習で弾く分には全く問題のないものですが、しかしステージではこれが全く弾けなくなり、2回くらい演奏したと思いますが、2回ともその箇所が全然弾ませんでした。私が何度もその部分を練習していると、創に「お父さん、そんなに練習すると余計弾けなくなるよ」と言われた記憶もあります。



オクターブ・ハーモニックスが弾けなくなる

 またオクターブ・ハーモニックス(右手のみで行なうハーモニックス奏法)もステージでは上手く出来なくなり、当時練習していたリョベート編の「エル・メストロ」の3音のオクターブ・ハーモニックスも、ステージでは弾くことが出来なくなり、音を減らしたり、通常の弾き方にせざるを得ませんでした。もちろん練習の時には全く問題のないものです。



これはもう立派なアガリビト!

 この時期が私の最も不調の時期だったかも知れませんが、普段弾けているものがステージでは“全く”弾けなくなるという、これはもう立派な「アガリ性」以外の何ものでもないでしょう。そうなると当然のごとく演奏することをなるべく避けるようになります。もっともその頃私があまり演奏をしなくなったのは、もう一つの理由があります。



演奏しなくなったもう一つの理由

 5歳からギターをやっていた長男の創(はじめ)は、その頃にはコンクールなどで入賞するなど活躍が目立ってきました。実力もあっという間に追い抜かされるどころか、私のはるか彼方にいってしまいました。中学3年生では受験もあってあまり練習もせず(1日やっと1時間)、試しに出場したクラシカル・ギター・コンクールでいきなり優勝してしまいます。



運転手兼マネージャー

 創の関係で当時いろいろなギター関係者とお会いする機会も多くなりましたが、どこに言っても「創君のお父さん」と呼ばれるようになり、私自身でも「中村創の父親です」と名乗っていました。また創のことは地方紙でも紹介されたこともあって、地元でも私よりも創の方を知る人の方が多くなってきました。

 当然のごとくコンサートや、演奏を依頼されるのは私ではなく創の方で、私といえば創の運転手兼マネージャーというところでした。たまに“オマケ”として「よければお父さんも・・・・」と創と一緒に演奏することがあった程度です。




   ブログ

1997年、NTT水戸店でのコンサート。これも創との”バーター”。
この時創は入試直後で、どちらかと言えば私の独奏の方が多かったが、評判イマイチ。




気分は引退

 創が演奏を積極的にしていた数年間は、教室の発表会とか、創との“バーター”で出演するコンサートなどを除いて、私はほとんど演奏をしていませんでした。少なくとも自分で積極的にコンサートを企画して行うことはなく、それまで2~3年おきには行なっていたリサイタルもこの時期には全く行なわず、自分自身でも演奏は創にまかせて自分は指導に専念し、「演奏は引退した」と考えるようなりました。たまに演奏を依頼されることがあっても断ったりしていました。

(前回の続き)


記憶が飛ぶのが一番怖い 

 前回書いたとおり、学生時代までは多少はアガるといっても、ステージでも普段の練習とはそれほど変らず、場合によっては練習の時よりもよく弾ける時もありました。しかしこの仕事に就いてからはステージ上ではだいぶ緊張するようになり、普段弾けている曲が弾けなくなるなど、”本格的”にアガルようになりました。

 特にステージに立った時、普段の練習では何の問題もなく暗譜出来ていた曲の記憶が曖昧になり、完全に記憶が飛ばないにしても、その不安からミスをしたり、テンポが不安定になったりするようになりました。幸いにもステージ上で完全に記憶が飛んでしまったことはありませんが、よくそんな夢を見たりします。

 やはり一番怖いのが記憶が飛んでしまうことですが、しかしそれは対策を立てることも可能だと思い、ステージで演奏する場合は、まず暗譜を完璧にするように務めました。



考えなくても弾ける=考えると弾けない

 皆さんももそうだと思いますが、ある程度の期間練習している曲でしたら、普通楽譜を見ずに弾くことが出来ます。さらに練習を続けるとあまり考えなくても指のほうが勝手に動いてくれて、別のことを考えながらでも引けるようになります。

 それくらい練習した曲だったらステージで多少緊張しても忘れたりすることはないと思われがちですが、そうした曲のほうがかえってステージでド忘れしやすいということは経験者ならわかると思います。「考えなくても」弾ける曲は、逆に「考えると」弾けなくなるということです。


譜忘れ対策を徹底した

 その頃から「ただ弾く」だけの記憶法では不完全だということがわかるようになり、暗譜のための対策を立てるようになりました。そのことに関してはこの「ギター上達法」の「暗譜」ところでも詳しくお話しました。そこで書いたことは基本的に私のこうした経験をもとにしたものです。  

 具体的には、時間と労力は必要だが最も確実な方法として、演奏予定の曲を五線紙に書く方法です。次にギターを持たずに頭の中だけで弾く方法、この時は音も運指もどちらも思い浮かべます。もう少し手短な方法としては部分的に弾いたり、また曲を逆にたどったりしする方法です。


その頃から5線紙に書くようになった

 そうしたことの効果が最も発揮されたのが、1983年(私が32歳の時)の時のリサイタルで、この時バッハのリュート組曲第2番BWV997をプログラムに入れました。当時の私としてはかなりの大曲であるのは間違いありませんが、特に「完璧な暗譜」といった点では難しい曲です。練習などで何となく楽譜を見ずに弾けたとしても、緊張した状況で、記憶に全く混乱を起こさないで演奏するのはなかなか困難です。


暗譜対策を完璧にした結果

 しかし逆に言えば記憶さえ完璧なら、それなりの演奏が出来るのではと、暗譜についてはかなりの時間を費やしました。その頃は私としては最も練習していた頃で、平均1日5~6時間は練習していましたが、それに加えて毎日2時間くらい暗譜のために五線紙に音符を書いていました。それを演奏会の半年くらい前からずっとやっていたわけですが、演奏会の直前にはどの部分の音でもすぐに言える(書ける)ようになっていました。

 おかげでリサイタル当日のステージでは記憶の不安は全くなく、かなり落ち着いた精神状態で演奏することが出来ました。後からテープを聴きなおしてみても、少なくとも不安定に聴こえるところはなく、練習の成果を十分に出すことができました。


クラベトリース 002

1983年のリサイタル。バッハのリュート組曲第2番などを演奏した。
少なくとも記憶の混乱は全くなかった。楽器はH.ブッフシュタイナー




寝れず、食べられず

 もちろんそのことと演奏内容の良し悪しとは関係ありませんが、長い時間かけて準備したものが、ステージでの緊張感のために台無しにしてしまうことは避けられました。ただしこの頃からだと思いますが、演奏会の1~2ヶ月くらい前から緊張感を感じ始め、前の晩などは寝付かないとか、当日は飲食が出来なくなるなどの症状(?)が出はじめました。

 そういった意味では年齢や経験と共に、ステージでのプレッシャーは、むしろいっそうかかるようになってきました。以前のようにあまり弾けていない曲や、練習の不十分な曲を人前で演奏するなどといったことは出来なくなってきました。ただし結果的に”弾けない曲”になってしまうことは、残念ながらしばしばあります。



 
昨日のCDコンサート

 昨日(6月5日)前にお知らせしたCDコンサート「21世紀のギタリストたち」を私の教室のスタジオで行ないました。当教室の生徒さんなど9名の方に来ていただきました。若干コアな内容だったのでとまどった方もいたかも知れませんが、「こんなギター曲もあったのか」と思っていただければと思います。

 こうしてさまざまなギタリストによる、いろいろな曲を聴いてみると、本当にギターの音楽というのは幅広いなと、しみじみ感じます。一つの楽器からこれだけ多彩な音楽が表現可能ということはあらためて驚きです。

 昨日聴いていただいた若いギタリストたちの優秀さは何度も強調しましたが、もちろんこれらのギタリストは「氷山の一角」ということで、他にも優れた若いギタリストは世界中にたくさんいることでしょう。昨日も閉めの言葉として使いましたが、 間違いなく ”ギターの未来は明るい!”





私のアガリ暦

「アガリ方いろいろ」の続きとして、そのアガリ方を一番よく知っている私自身を例にとって経験や年齢によってアガリ方がどのように変って行くかを書いてゆきましょう。
 


高校生までアガリ知らず

  私の場合、若干「オクテ」の方か、子供の時はギターの演奏に限らず、人前で何をするにも「アガった」という記憶はありません。もっとも生徒会などとは縁のなかった方なので、全校生の前で挨拶などという経験はありません。

 初めて人前でギターを弾いたのは中学卒業直前の謝恩会の時だったと思いますが、始めての経験の割には「アガった」という記憶は全くありません。というより当時の私は“人前でギターを弾くとアガる”といったこと自体が理解出来なかったのではと思います。

 肝心の演奏内容には相当問題があったでしょうが、弾いている時の心境としては、家で一人で弾いている時とほとんどかわりませんでした。むしろ聴いてくれる人がいるので普段よりずっと気持ちも入り、また気分も良かったと思います。



初アガリ

 私が初めてアガる経験をしたのは、茨城大学のギター部に入部した時ですが、申し込み用紙に「ギター暦6年 (8年だったかな?)」と書いたら、そこにいた上級生に何か弾くように言われて、「アランブラの思い出」を弾きました。

 足台がなかったので、代わりにテーブルの横木に足を乗せたのですが、演奏を始めるとその足が震え出し、演奏が終わるまで止まりませんでした。指の方には特に影響せず、また記憶が飛んだり、曖昧になったりということもなかったのですが、この時初めて人前でギターを弾くと、普段と変る、つまり「アガる」ということを知り、また経験しました。

 その時の私の心理状態として、それまでわけもわからず一人でギターを弾いてきたが、本当にギターがわかる人が聴いたら、私のギターはどう聴こえるのだろうか、相当ひどいものなのだろうか・・・・・ といったようなことでかなり緊張したのだろうと思います。実際には私の演奏を聴いた先輩たちに、「とても上手だね」と言ってもらって(おそらく入部祝いも込めて)、とても安心した覚えがあります。


それでも本番には強かった(思い込み?)

 その後は部内の発表会などでは若干緊張はしたものの、特に弾けなくなるというわけでもなく、むしろ誰かが聴いていてくれるほうが良い演奏が出来るような気がしました。

 大学2年生の時の定期演奏会で初めて大きなホールで独奏をするわけですが、さすがにこの時は出番前にかなり緊張しましたが、本番の演奏自体は練習やリハーサルの時よりもずっと良く弾けたように感じました。ただし3年生の時の独奏では弾きなおしをしていて、さすがの私も若干「オトナ」になったのかも知れません。

 大学生になってからは多少はアガるようにはなったのですが、それでも上記のとおり、普段弾けている曲がステージは弾けなくなるといったほどではなく、場合によっては練習でもあまり弾けていないような曲を、平気で発表会などで弾いたりもしていました。

 また練習やリハーサルよりも本番の方がよい演奏だったということもよくあり、自分で言うのは何ですが、どちらかと言えば本番には強い方、少なくとも自分ではそう思っていました。


本格的なアガリ

 私が本格的にアガるようになったのは、ギター教室の講師をするようになってからで、当時はまだ大学生でしたが、市内の音楽教室の講師をやるようになりました。音楽教室の発表会では「講師演奏」、つまりプロのギタリストとして演奏することになります。

 その「プロ」という響きは私に十分すぎるくらいプレッシャーをかけたのでしょう、「魔笛」第1変奏のスケールは思いっきり空振りするし、バッハの「ブレー(ロ短調の)」は譜面(頭の中の)が飛びそうになったりしました。



足の震えが止まらない

 またその頃、ピアニストなどのプロの演奏家が複数出演するジョイント・コンサートに出してもらったことがありますが、この時も途中で足が震え出し、なかなか収まりません。その時木製の足台を使っていたので、足台がガタガタと音を出してしまうのでは気が気でありませんでした(前述のとおり)。とりあえず一旦ステージ袖に戻って、足の震えが収まるのを待って、残りの曲を演奏しました。



練習には時間をかけるようになった

 さすがの私も、だんだんとステージの怖さを知るようになってくるわけですが、結局のところプレッシャーに打ち勝つには練習しかないと、この頃になるとコンサートに向けては学生時代よりもたくさんするようになりました。しかしそのおかげでコンサート前になると練習しすぎで腕が痛くなり、かえって練習出来なくなったりしていました。そうならないためにと、だんだん早い時期から練習をしっかりとやるようになりました。


(次回に続く)