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中村俊三 ブログ

中村ギター教室内のレッスン内容や、イベント、また、音楽の雑学などを書いていきます。

マルタ・アルゲリッチ 子供と魔法   オリビエ・ペラミー著  藤本優子訳  音楽之友社



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今年の5月に出版された本

 マルタ・アルゲリッチについてはクラシック音楽ファンならよくご存知のピアニストと思います。アルゲリッチは1941年生まれなので、今年70歳になりますが、今現在でも最も人気の高い女流ピアニストの一人と言えるでしょう。この本は今年の5月に出版されたもので、アルゲリッチのこれまでの生涯を書いたものです。アルゲリッチに関しての本は他にも出版されているとは思いますが、読みやすく、よくまとまっていて、また入手もしやすいものと思います。



人並みはずれた技術、記憶力、表現力

 「天才」などという言葉を乱用してはいけませんが、このアルゲリッチに関しては他の言葉で表現するのは難しいでしょう。ピアノの演奏技術、記憶力、表現力などは、優れた演奏者たちの中でも、さらに人並みはずれたものがあるでしょう。

 10代で受けたブゾーニ・コンクールにおいて、本選課題曲を予選通過が決まってからさらいだしたとか(それでも優勝!)・・・・ 隣の部屋で練習しているのを聴いているだけでその曲を覚えてしまったとか・・・・ 一度覚えたら絶対に忘れないとか・・・・ その天才ぶりを語る逸話は数知れません。

 因みにアルゲリッチの記憶力は関しては、音楽だけに限定されたものではなく、人の話や、本の内容なども一度で正確に記憶してしまうそうです。もっとも、一般に優れた音楽家には、当然のごとく優れた記憶力が備わっているようです。私としてはちょっと耳の痛い話ですが、私の場合”優れた”音楽家ではないので、特に気にする必要はないかも。




恋多き

 またアルゲリッチは私生活や、性格なども個性的で、数々の恋、及び三度の結婚(それらの結婚はあまり長続きすることはなかったようです)。アルゲリッチは人を好きになりやすい性格だったようですが、孤独がとても嫌いでもあったようです。アルゲリッチの自宅は、玄関の鍵はかけられることなく、絶えず様々な人が出入りしていて、誰でもがその著名人の家主と親しくなることができたようです。



キャンセル魔

 アルゲリッチは私生活でも孤独が嫌いでしたが、ステージ上の孤独はもっと嫌いで、1980年半ば頃より独奏は行わなくなりました(録音もほとんどなくなる)。その後のアルゲリッチの演奏活動は、協奏曲や室内楽、ピアノ二重奏などに限定されています。

 その人並みはずれたピアニストとしての能力とは裏腹に、ステージをとても怖がり、頻繁にコンサートのキャンセルすることでも知られていました。いつしか音楽関係者の間では、アルゲリッチは気まぐれで、気難し屋といったレッテルが貼られてしまいましたが、それは音楽にたいする厳しい態度の表れとも言われています。常に自分に最上級の演奏内容を課し、それが実現できないことを常に恐れていたようです。

 一方でファンにとってはそのキャンセル癖も、アルゲリッチの一部として受け入れられていたようです。常にキャンセルの可能性があるからこそ、本当にアルゲリッチの演奏を聴くことが出来た時のファンの感激は、例えることが出来ないほど大きかったのでしょう。アルゲリッチのキャンセル癖は、アルゲリッチのカリスマ性を増大させることはあっても、その人気を減らすことにはならなかったようです。



日本びいき

 そんなたいへん奔放なアルゲリッチですが、日本や日本人に関しては若干違った面があるようです。アルゲリッチの性格などからは正反対のように思われる、几帳面な日本人に対してたいへん好感を持ち、1998年より自ら総裁となり別府アルゲリッチ音楽祭を立ち上げています。

 これは世界の著名な音楽家や地元の音楽家たちによる音楽祭ですが、発足以来毎年必ず行なわれ、ここでは「キャンセル魔」は完全に返上しています。また長時間にわたる「マラソン・コンサート」も行い、アルゲリッチはいろいろな人と共演するために頻繁にステージに登場しています。また地元の合唱団の伴奏なども行なっており、本来のアルゲリッチは、気さくで音楽好きであることが窺われます。




震災チャリティのCD

 また今年の震災については、とても心を痛め、5月に東京の墨田トリフォニー・ホールで行なわれた協奏曲のコンサートのライブのCDを震災チャリティとして発売しています。曲はシューマンとショパンの第1番の協奏曲で、入手しやすいCDですので皆さんもぜひ取り寄せてみて下さい。私はまだ聴いていませんが、名演であることは間違いないでしょう。



のだめのモデル?

 アルゲリッチの後の性格や演奏技術を形成することになる幼少時代のことについても、この本では詳しく書かれています。当ブログで以前「アルゲリッチは”のだめ”(『のだめカンタービレ』の)のモデルでは?」と書いたことがありますが、確かに幼少期のことや、コンクールの逸話などには若干の共通点があります。しかしこの本を読んでみると、現実のアルゲリッチに関しての方がずっと極端で、むしろ「のだめカンタービレ」のほうが控えめになっています。



コミックよりもリアリティがない?

 おそらく「のだめ」のほうでは、あまり話を極端にするとリアリティがなくなるので”そこそこ”に話をまとめたのだろうと思います。つまり現存のピアニスト、マルタ・アリゲリッチは、コミックの主人公「のだめ」よりずっとリアリティがないと言えるのでしょう。



次回以降アルゲリッチのCDを紹介

 あまり適切にこの本の内容を紹介出来ませんでしたが、気になった方はぜひ読んでみてください。なかなか面白いと思います。なおこの機会に次回以降、アルゲリッチのいくつかのCDも紹介したいと思います。いずれも名盤中の名盤と言えるでしょう。
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うっかりと忘れて・・・・

 当記事は8月23日に書いたものなのですが、うっかりと下書きのまま、公開するのを忘れてしまいました。「アガらない薬」のシメに当たるものなのですが、1ヶ月遅れとなってしまい、つじつまもわかりにくくなってしまったでしょう。今頃になって何ですが、せっかく書いたものなので一応公開しました、申し訳ありません。 




今月号(=9月号、1ヶ月遅れ!)の記事 ~暗譜について

 本題に入る前に、9月号の現代ギター誌に「プロ・ギタリストの練習法」と記事がありました。福田進一、村治佳織、デビット・ラッセルなど9人のギタリストが練習法などについて語っているのですが、その中で暗譜の仕方について「細かく区切って覚える~セルシェル」、「最後の小節から覚える~福田、ラッセル」、「視覚的に覚える~ヴィドヴィッチ」など、当記事でも書いたようなことが書かれています。

 セルシェルの「細かく区切る」ということは「ド忘れした時のため」と、私の話と近いニュアンスで言っています。福田、ラッセルの「最後の小節から覚える」は私の話とは若干意味合いが違いますが、これは音楽がどう出来ているかということを理解することに深い関係がありそうです。確かに一つの方法なのでしょう、和音の進行などは逆算的にできていますから。

 「視覚的に」と言う意味はその曲を指の動きだけでで覚えるのではなく(それはそれで覚えなければいけませんが)、純粋に音で覚えると言った意味だと思いますが、いずれにしてもその音楽を理解することと、記憶するということには深い繋がりがあります(その話も「東京ドームで音階を弾く」という例えで話をしました)。

 「紙に書く」と言うことを言ったのはスコット・テナントだけでしたが、確かにこのようなギタリストたちは紙に書くことをすべて頭の中だけでできるのでしょう。しかし一般の愛好者には「書く」のは有効な方法だと思います(頭の中だけで行うのはかえって難しい!)。

 また村治さんは暗譜に関して「苦労したことがないので、特にコツがない」と言っています。確かにそのとおりなのでしょう。でも私たちは村治佳織ではないので、いろいろな工夫や努力は必要でしょう。


 パヴェル・シュタイドルは練習は以下の4つの方法があるとしています。

1.ギターと楽譜で
2.ギターなしで楽譜だけ
3.楽譜なしでギターだけ
4.ギターも楽譜もなしで


 なるほどだと思いますが、「4」の「何もなしで」練習が出来るようになれば「一人前」かも知れません。タンゴの巨匠アストル・ピアソラもコンサート前のリハーサルは頭の中だけで行なうのだそうです(前に話したかな?)。


 練習時間の話もしていますが、だいたいまとめるとほとんどのギタリストは、今現在3~6時間といったところのようです。コンクールなどを目指していた頃はさらに多かったと言っています。また練習は常にギターを持って行なうわけではないということも、どのギタリストも言っています。また基礎トレーニングの話もありますが、いずれ当「上達法」でも取り上げたいと思っています。




最終回 ~左手については

 「譜忘れ対策」、「右手の安定性」と話してきたので、次は左手ということになりますが。私の経験では左手については右手と違い、練習でちゃんと出来ていれば、本番でもだいたい弾けるものです。トラブルがあるとすれば譜忘れに関係することが多く、暗譜さえしっかり出来ていれば大丈夫ということではないかと思います。

 若干トラブルがあるとすれば、特に譜面を見ながら演奏する場合のポジション移動などでしょう。この話も「視奏」のところでお話しましたが、フレット(実際はポジション・マーク)を見るタイミングなどを普段の練習のときから決めておくべきでしょう。またギターを持つ角度などが普段とちがったりするとポジションを見間違えることもあります。

 スラー奏法なども本番で力むと出なくなったりしますので、練習の際に最小限度の力で行なうようにするとよいでしょう。セーハの場合は逆に本番では無意識に力が入るので、本番のほうがかえってよく出ます(力を入れすぎないように注意)。



確かに困った存在だが

 以上で「アガリ対策」の話は終わりなのですが、最初にも言いましたとおり、普段何気なく出来ているものがいざ本番となると全然出来なくなってしまうというこの「アガリ」というのは、私たちギターを弾くものにとっては(プ、アマ、初心者、上級者を問わず)たいへん困った存在です。



でもやはり存在理由はある

 しかしこれも前にお話した「ミス」と同じくそれなりの存在理由、あるいは存在意義はあるはずです。「ステージでは上手く弾けないかもしれない」ということが私たちのいろいろな工夫や努力を引き出していると言った面もあるのも確かです。私たちが常にステージでも普段どおりに弾くことが約束されていたら、そうした努力や工夫は少ししか行なわれないでしょう。



シマウマがライオンに飛びかかる?

 重大な場面に遭遇した時、心拍数があがったり、発汗したりというのは人間だけでなく、動物すべてに備わった生理現象です。動物が危機的状況に置かれたとき、普段以上の特別な力を発揮するための現象なのでしょう。普段はおとなしい草食動物も、わが子を守るために果敢にライオンなどに立ち向かってゆく映像などを目にすることがあります。そういった状況では普段以上の力が出ると共に、恐怖心さえも克服できるのでしょう。



別に危機的状況ではないが

 ギターを弾くことはその「危機的状況」とは本来無縁なはずなのですが、人間の脳のどこかで交錯してしまうのかも知れません。頭の中では似たような状況が生まれてしまうのでしょう。本来は特別な力を出すための機構が、逆に普段どおりのことをすることを妨げてしまっているわけです。



マイナスをプラスに変えられる人だけが

 もちろんそのような理屈を述べたところでステージで上手く弾けるというわけでもありませんが、この「アガる」ということを、それが持つ本来の存在理由である「特別な力を出す」ことに繋げているギタリストのことを、私たちは“ヴィルトーゾ”と呼んでいるのでしょう。


10月1日(土曜日) ギター文化館で予定しています第28回中村ギター教室発表会の最終的なプログラムが決まりましたので記しておきます。




1.ジュピター(ホルスト)               吉田真知子
  威風堂々(エルガー)               深作 純子
                              甲斐  洋
                              中村 俊三


2.楽しき農夫(シューマン)             藤原  優
  おおスザンナ(フォスター)


3.夜空のムコウ(川村結花)             塙 京一郎
  世界に一つだけの花(槙原敬之)


4.ラルゴ(ドボルザーク)               奥山  諭
  グリーン・スリーブス(イギリス民謡)


5.アメイジング・グレイス(イギリス民謡)      真分  昭


6.イエスタディ(マッカートニー)           関  義孝
  エスパニョレッタ(サンス)


7.愛の歓び(マルティーニ)             庄司  汪


8.雨だれ(リンゼー)                 小池 清澄


9.イエスタディ・ワンスモア(R.カーペンター)   甲斐  洋


10.ミッシェル(マッカートニー)            佐藤 智美
  オブラディ・オブラダ(マッカートニー)      中村 俊三


・・・・・・・・・・・・・ 休   憩・・・・・・・・・・


11.ワルツ(カーノ)                   根本  滋


12.ロンド二長調(ソル)                石神俊一郎


13.アランブラの想い出(タレガ)           吉元 保暉
  タンゴ(タレガ)


14.エストレリータ(ポンセ)              佐藤 智美


15.カヴァティーナ(マイヤーズ)           伊藤 邦雄
  もしも彼女がたずねたら(レイス)


16.オリエンタル(グラナドス)             岩田 英典
  入り江のざわめき(アルベニス)


17.アンダンテ 作品39(コスト)           鈴木 幸男
  音楽の小箱(サビオ)


18.レット・イット・ビー(マッカートニー)       中村 俊三
  日曜 朝 曇り(ヨーク)  
  蜜蜂(バリオス)





 基本的に私の教室の場合、発表会に出場するかどうかは本人の希望と言うことなので、今回も私の教室デギターを習っている人のうちの、約半数くらいの生徒さんが出演します。生演奏ですから上手く弾けることもありますし、普段どおりに弾けないこともあると思います。しかしいずれにしても日頃人前でギターを弾くことの少ない生徒さんたちにとっては、たいへん貴重な経験だと思います。


 10月1日当日は14:00開演で、13:30開場、入場無料です。ぜひ覗いていただければと思います。
 昨日(9月18日) ひたちなか市アコラで宮下祥子さんのリサイタルを聴きました。プログラムは以下のとおりです。



D.スカルラッティ : ソナタK146、 K380

F.ソル :グランド・ソナタ作品22

N.コスト : ポロネーズ第2番作品14

 
   ・・・・休  憩・・・・
 
L.ブローウェル : ソナタ

D.アグアード : エチュード24番

F.タレガ : 夢

I.アルベニス : アストゥリアス、 朱色の塔

        
  
 スカルラッティのソナタの「K146」はト長調でトリルで始まる曲、「K380」はホ長調で「行列」と呼ばれる曲で、どちらも秋らしく明るく爽やかな曲、および演奏です。もっとも今日も秋とは思えない暑い日でしたが。




 ソルの「ソナタ」は4楽章のかなり古典的、かつ大規模に作られた曲です。比較的初期の曲で、古典派のギターの巨匠と言われるソルも、こうした多楽章の本格的なソナタは意外と少なく、他に「作品25」があるのみです。

 楽譜などはよく見かける曲ですが、なにぶん大曲、難曲ですので演奏される機会は割りと少なく、特に生で聴く機会は少なく、今回は貴重な機会です。特に第1楽章は堂々として規模も大きいものですが、作曲法自体は比較的定型的なものとなっています。

 宮下さんの演奏では、第2楽章では予期したものと違う曲が聴こえてきました。どうやらハ短調のメヌエット(作品24-1)のようです。次に演奏されたのは第4楽章の「ロンド」でした。つまり、本来の第2楽章「Adagio」と第3楽章「Minuetto-Allegro」の代わりに「メヌエットハ短調作品24-1」を演奏し、

① ソナタ作品22 第1楽章「アレグロ」 
② メヌエットハ短調作品24-1
③ ソナタ作品22 第4楽章「ロンド-アレグレット」

といった形で演奏されました。本来の形で演奏すると聴く人の負担が大きいと考えたのかも知れません。




 コストの「ポロネーズ第2番」はパヴェル・シュタイドル(宮下さんの師と言ってよいのでしょうか?)のナクソスに録音している曲で、ホ短調のイントロダクションとホ長調のポロネーズから出来ています。なかなか充実した曲で、宮下さんの演奏は、この曲持ち味を十分に引き出した、たいへん優れた演奏でした。




 ブローウェルの「ソナタ」は2週間前の大萩君のリサイタルでも聴き、最近ではたいへんよく聴く曲となりました(ソルの「ソナタ」よりもずっと多い!)。大萩君の演奏はとても美しい(ブローウェルらしからぬ?)演奏でしたが、宮下さんの演奏では以前にも書いたとおり、作品の内容を正確に聴衆に伝えるといった演奏に感じました。

 確かに難しい(鑑賞するのが)曲ですが、第1楽章はスペインの舞曲が基になっていることがおぼろげながらにわかります。そこに装飾的なパッセージなどが挟まれるといった感じなのですが、聴いているだけではやはりベートーヴェンとどう関係があるのかはわかりません(もちろんなぜ「田園」かも)。

 第2楽章は「スクリャービン風」、第3楽章は「パスキーニ風」ということになっているのですが、漠然と聴いた感じでは、やはりブローウェル風。




 アグアードの「エチュード」はト長調で、アルペジオに乗せてメロディを歌わせるタイプの曲。アグアードのギター教本の第3部の「27のエチュード」の中の曲のようです。なかなか美しい曲です(もちろん演奏によりますが)。

 タレガの「夢」はトレモロによる曲で、おそらくタレガ自身もコンサートで演奏していた曲でしょう。宮下さんのトレモロはたいへん美しい、文字通り夢心地・・・・・・   おっといけない、本当に夢心地になってしまう!




 最後はアルベニスの2曲で、「アストゥリアス」の伴奏部の速い3連符はクリヤーで美しい。強弱関係などは原曲と若干変えているようです。アンコールはグラナドスの「スペイン舞曲第5番」が演奏されました。

 宮下さんについては、当ブログでも何度か登場しているので紹介等は省略しましたが、「現在の日本を代表する女性ギタリストの一人」ということだけでよろしいでしょう。今回も他県などから熱心なファンが聴きに来ていました。また今回の演奏曲の大半は宮下さん自身初めて弾く曲だということです。確かに今までとは一味違った感じのコンサートでした。




 ・・・・・・・・・・・・・・



 コンサート終了後、熊坂さんと鈴木幸男さんのレッスンがありました。熊坂さんのレッスンは「森に夢見る」で、先週の谷島さんのコンサートでも聴きましたが、かなりよくまとまっています。上声部、つまりトレモロの部分だけでなく低音部もよく歌っていて、高音部のトレモロと低音部の「二重唱」といった感じに聴こえてきます。宮下さんのレッスンではトレモロや和音の音色の整え方などが主でしたが、たいへん適切で、また効果の高いものだと思いました。


 鈴木さんはコストの「アンダン作品39」で、比較的珍しい曲です(10月1日の発表会でも弾きます)。宮下さんの演奏した作品14など、最近では今まであまり演奏されなかったコストの作品がいろいろ演奏されるようになりました。「鈴木さんによく合っている曲ですね」と宮下さんは言っていました。
昨日=9月10日(土) 水戸市にある茨城県民文化センター小ホールで、谷島崇徳、谷島あかね夫妻のピアノとギターのコンサートを聴きました。プログラムは以下のとおりです。



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<第一部 ギター・ソロ  谷島崇徳>

F.ハンド : Celtic tale
Missing her
Elegy for a king

L.ブローウェル : 舞踏礼賛

佐藤弘和 : ベイビーズソングより「結」、「萌真」

吉松隆 : 水色のスカラー



<第二部 ピアノ・ソロ 谷島あかね>

吉松隆 : 4つの小さな夢の歌、 緑のワルツ、 虹色の薔薇のワルツ

チャイコフスキー : 「四季」より「松雪草」、「舟歌」、「秋の歌」

カプースチン : 8つの演奏会用練習曲より「プレリュード」、「夢」、「トッカーティナ」



<第三部 ギター&ピアノ>

ジュリアーニ : ロンドⅠ、Ⅱ

ボッケリーニ :ファンダンゴ

佐藤弘和 : はかなき幻影

壺井一歩 : バラの組曲より「粉鐘楼」、「わかな」 (谷島夫妻への委嘱曲)


 上記のようにかなり盛りだくさんの内容で、日本人の作品を中心とした個性的なプログラムです。また開演前に熊坂勝行さんの独奏(森に夢見る)と熊坂、谷島崇徳両氏による二重奏(長岡克己:ルイ)も演奏されました。

 水戸市近辺のコンサート会場は震災の影響でまだ使用不可のところが多いのですが、この県民文化センターの小ホールは健在のようです。私も1970~80年代には教室の発表会やリサイタルなどで毎年のように使ったホールなのですが、久々に来てみると、さすがに古いせいか、残念ながら音響がよくない。

 しかしそうした若干のハンディも乗り越えて、演奏にはたいへん力の入ったもので、その準備等も含め、演奏に対する二人の熱意が感じられる内容でした。


ギター・ソロ

 F.ハンドの曲はジャズ風と言えると思いますが、ケルトの音楽の影響があるようです。「現代音楽は昔勉強したけれど、ちょっと聞きずらいかも知れません」と言って始まったブローウェルの「舞踏礼賛」はゴツゴツした感じのリズムではなく、軽快なものでむしろ聴きやすい感じでした。また前半の部分ではアクセントやテンポの取り方など独特の感じでしたが、アーティキュレーション(音を切る、伸ばす)にも細心の注意を払い、また適切なものと感じました。

 吉松隆の「水色のスカラー」は5つの小品からなり、それぞれ親しみやすい曲です。5曲目の「ロンド」はなかなか難しそうですが、技術的に何の問題もない演奏でした。



ブログ 008


ピアノ・ソロ

 ピアノの演奏では、このホールでも十分に音が通ります。吉松の「4つの小さな夢」は春夏秋冬に因んだ4曲からなりますが、もともとはハーモニカとギターのための曲だそうです。それぞれ和む感じの曲で(「8月の歪んだワルツ」は5拍子?)、谷島あかねさんは出産を間近に控えているとのこと、お腹の赤ちゃんもお母さんのピアノを聴いて和んでいることでしょう。

 チャイコフスキーの曲になるとピアノの響きも一転して、とてもクラシック音楽的な響きとなります。今回のコサートではこうしたロマン派的な曲が少なかったので、逆に特徴的です。カプースティンと言う作曲家はロシア系の人と思われますが、内容はかなり「ジャズ的」です。快演でしたが、かなりエネルギーを要する曲ということで、身重のあかねさんには負担が大きすぎたようで、演奏終了後しばらく立ち上げれないというシーンもありました。



ギター&ピアノ

 ギターとピアノの二重奏では、ホールの関係上どうしてもギターの響きが今一つ客席まで届かないといったところもありますが、演奏自体は当然のごとく息の合ったもの。ジュリアーニの2曲はなかなか珍しい曲だと思いますが、それぞれ長調と短調の曲でした。ボッケリーニの「ファンダンゴ」は比較的馴染みのある曲(ジュリアン・ブリーム編?)で、フラメンコ風でスリリングな曲です。

 「バラの組曲」は夫妻のために作曲された曲だということですが、本来は4曲あり、今回演奏したのはそのうち2曲で、ピアノとギターが交互に語り合うような作品です。来年ギター文化館で全曲演奏する予定と言っていました(そのほうがずっと曲の内容が伝わると思います)。



 今回のコンサートは、あかねさんにとっても、近々生まれてくる二人目のお子さんにとってもたいへん重要な時期と重なってしまいました。ぜひ無事に出産なされることをお祈りいたします。
 
昨日=9月4日(日)、ギター文化館で大萩康司ギター・リサイタルを聴きました。


   <第1部  独奏>

J.S.バッハ : サラバンド(リュート組曲第1番)
バリオス : 最後のトレモロ
アーレン~武満編 : オーヴァー・ザ・レインボー
マッカートニー~武満編 : イェスタディ
レオ・ブローウェル : ソナタ
レイ・ゲーラ : 12月の太陽


   <第2部  二重奏 2ndギター:松尾俊介>

アンドリュー・ヨーク : イヴニング・ダンス
イサーク・アルベニス : イヴォカシオン(組曲イベリアより)、入り江のざわめき、椰子の木陰
アストル・ピアソラ : タンゴ組曲


<アンコール曲> セルジオ・アサド : ファーウェル~映画「夏の庭」より



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 ギター文化館で毎年行なわれる大萩君のリサイタルで、当ブログでも何度かレポートしました。相変わらずの人気で、会場はいつものとおり満席状態です。今回は松尾秀介君との二重奏もあります。


バッハのサラバンド

 最初の曲はバッハの「リュート組曲第1番ホ短調」の中から「サラバンド」でしたが、ふんだんに装飾を加えた演奏です。大萩君の演奏は、相変わらず音も美しいが、それ以上に「響き」が美しい。バロック時代の装飾は基本的に音楽に変化を与えるたりとか、”間延び”を防ぐために行なうものですが、大萩君の装飾は、持ち前の響きの美しさをさらに増すためのもののように感じます。なぜ組曲の中からこの曲だけを、しかも今日のコンサートの1曲目に選んだのかがわかる気がしました。

 そういえば大萩君の最初のCDアルバムにフランスのバロック時代のリュート奏者の「ル・コック」の組曲を入れていて、それがとても印象的、というより衝撃的だったのですが、このバッハの「サラバンド」の演奏もその延長上なのでしょう。もちろんその時よりも演奏はいっそう美しくなっています。 



武満編12の歌

 武満編の「12の歌」から2曲演奏されましたが、これらの曲は本来タイトルどおり、基本的には「歌わせる」ための曲なのですが、技術的にはかなり難しい編曲で、かなりの実力がないとそれがなかなか出来ません。大萩君の演奏は当然のごとくメロディを美しく歌わせながら、なおかつ武満が織り交ぜた即興的な部分でも聴衆を十分に楽しませてくれます。この両方とも出来る人は少ないのでしょう。



ブローウェルのソナタ

 ブローウェルの「ソナタ」は「ファンダンゴとボレロ」、「スクリャービンのサラバンド」、「パスキーニのトッカータ」の3つの楽章からなっています。第1楽章の終わり頃では、突然ベートーヴェンの「田園」の一節が現れます。「バロック時代のスペインの作曲家アントニオ・ソレルとベートーヴェンの音楽の融合」といった意味のようです(なぜ「田園」なのかはわかりません ~以前に誰かに説明してもらったような?)。

 3つの楽章ともそれぞれ過去の作曲家からインスピレーションを得ているようですが、聴いた感じでは間違いなくブローウェルの音楽といった感じです。聴き手にとってはやや難しい曲の部類ですが、大萩君の演奏では響きや音色の美しさ、変化などで、とても楽しめる曲になってます。


二重奏 ~松尾俊介君

 第2部では同時期にパリ:コンセルバトワールで学んだという松尾俊介君との二重奏が行なわれました。私が松尾君の演奏を生で聴くのは1999年の東京国際ギター・コンクール以来だと思います(この時3位受賞)。あれからすでに12年経つということになります。松尾君には息子がパリにいる頃、いろいろお世話になりました。大萩君に劣らず礼儀正しい好青年です。

 二人は10数年来の親交ということもあって、当然のことながら息の合った演奏。それでもお互いの個性はちゃんと聞き取れます。松尾君の音は清潔感、清涼感のある美しい音です(ホセ・ロマニロス使用?)。


ヨーク、アルベニス

 ヨークの「イヴニング・ダンス」は始めて聴く曲ですが、やや古風な感じのする曲です。アルベニスの3曲は、表記などはありませんが、ミゲル・リョベートの編曲と思われます。アルベニスの最高傑作と言われる組曲「イベリア」は技術的に難しいこともあってギターではあまり演奏されませんが、この「イヴォカシオン」はなかなかギター二重奏にも合うと思います。二人の演奏では和音の変化も感じさせながら、メロディをしっとりと歌わせています。

 ギター独奏でよく演奏される「入り江のざわめき」は、あらたにパッセージなどが付け加えられ、いっそうフラメンコ風の華やかな曲になっています。「椰子の木陰で」はハバネラ風のメロディの美しい曲です。



ギター二重奏の名曲「タンゴ組曲」

 アストル・ピアソラが残した唯一のギター二重奏曲(オリジナルとしては)の「タンゴ組曲」は、現在ではギター二重奏の名曲として定着しています。とても人気のある曲ですが、誰でも弾ける訳ではないところが欠点。パーカッション奏法から始まりますが、このギターのボディを叩く音がなぜか(?)美しい。CDで聴いてもすばらしい
曲ですが、生で聴くとずっとスリリング(このDuoに関してはさらに”美しい”が加わる)。



毎年暑い時期になってしまいますが

 大萩君の、このギター文化館でのリサイタルは種々の理由から毎年暑い時期になってしまい、本人もちょっとたいへんそうですが、やはり大萩君演奏はCDではなかなかその本領がわからないところもあり、こうしたリサイタルはとても貴重なものと言えます。また大萩君、および大萩、松尾のDuoの演奏にはこのホールの音がよく合うようで、とても楽しめたコンサートでした。