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中村俊三 ブログ

中村ギター教室内のレッスン内容や、イベント、また、音楽の雑学などを書いていきます。

デビット・ラッセル バリオス作品集 1994年録音

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 このCDもウィリアムスの2度目のバリオス作品集と同く1994年にバリオスの没後50年ということで録音されたものです。いわばウィリアムス盤のライバル盤ということでしょうか。曲目は「大聖堂」、「森に夢見る」、「ワルツ第3番」、「同第4番」など、バリオスの代表曲が中心で、半数以上はウィリアムスのCDと同じものになっています。


繊細な表情付けと歌へのこだわり

 ラッセルの演奏は繊細な表情付けと、メロディを歌わせることに重きを置いたものと言えます。ダイナミックでどちらかと言えば直線的なウィリアムスの演奏とは対極とも言えますが、一方では、重厚な音質、強い表現といった意味では共通するものもあります。

 冒頭の「森に夢見る」を聴くと、そうした「繊細な表情付けと、歌への強いこだわり」が実感できると思います。もちろんトレモロ奏法でも、また通常の奏法でもたいへん美しい音を聴かせてくれます。ラッセルの音は美しいだけでなく質感を伴っているのが特徴でしょう。


隠れた難曲

 6曲目の「フリア・フロリダ」は美しいメロディの、人気の高い曲ですが、メロディが中音域にあったり、また副旋律が絡みあったりなど、なかなか歌わせるのが難しい曲でもあります。ラッセルの演奏では入り組んだ音の中でもしっかりと主旋律を歌わせ、またそれぞれの音の役割を弾き分けており、聴き手に曲の美しさと内容を十分に伝えています。なかなかこのように演奏するのは難しい曲だと思います。



なかなかやって来ない春

 8曲目の「春のワルツ(Vals de primavera)」では”なかなかやって来ない、もどかしい春”の感じがよく出ています。この曲をこんな風に感じるには私だけかも知れませんが、この曲は春の喜びを謳歌しているというよりは、春を待つ苦しさを表現しているようにも思えます。ラッセルの演奏では、そんなこの曲のイモーションがよく伝わってきます。



どんな音にも細心の注意

 人気曲の「ワルツ第3番」や「大聖堂」では、バリオスの自演と出版譜(全音などの)を折衷したような演奏です。「ワルツ第3番」では主旋律、低音、中音の刻みなどが絶妙のバランスとなっています。どのような音にも細心の注意を施すラッセルらしい演奏です。「大聖堂」の第2楽章では付点音符のリズムを正確に刻み(バリオスの自演ではやや三連符気味)、また第3楽章の細かい音形も持ち前の重厚な音で演奏され、全体に重量感のある大聖堂となっています。


バルセロナ VS マンU

 この1994年に録音されたウィリアムス盤とラッセル盤、その優劣をつけるのは難しいですが、あえてサッカーに例えれば(・・・・何もサッカーに例えなくてもよいと思うが)、ラッセルの演奏は華麗なボールさばきと、ショート・パスを多用したバルセロナ的な演奏。一方ウィリアムスの演奏は大胆なサイド・チェンジと、そこからのクロス。ロング・パス重視のプレミアム・リーグ的な演奏。対極的だが、どちらもヨーロッパ的なサッカー、いや演奏・・・・


で、 どっちが強いの?

 もちろん本当に試合をやるわけではないので、どちらが強いかなんてわかりませんが、少なくともバリオスの演奏に関しては、この二人のギタリストは現在の双璧であるのは間違ないでしょう。聴く人によって好みは当然分かれるところ、また曲によってはウィリアムスのほうが成功しているものと、ラッセルのほうが勝っているものとがあるでしょう。どちらのCDも聴いた後の満足感は十分なものです。
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 バリオスの作品のCDの紹介と言いつつ、前回はかつてのLPの話で終わってしまいましたが、今回は本当に"
CD"の話です。もちろんバリオスの作品を演奏したCDはたくさんありますが、私が持っている中で、バリオスの「作品集」としてのCD、つまりバリオスの作品だけを収めたCDについてだけ紹介します。


ジョン・ウィリアムスの2枚のCD


  1977年発売のLPのCD化 ~現在でも入手可能


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 このCDは前回紹介した1977年発売(録音年月は不明)のウィリアムスのLPをCD化したものです。このCD自体の発売も20年ほど前になってしまいますが、まだ”現役盤”のようです。このCDにはオマケとしてほぼ同じ時期に録音されたポンセの「スペインのフォリアによる変奏曲とフーガ」が入っていますが、LPには収録されていた「郷愁のショーロ」が抜けています。「スペインのフォリア」を入れるためにこの曲を外したのだと思いますが、まさに”本末転倒”といったところでしょうか。



  1994年 バリオス没後50年記念 デジタル録音

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 こちらは1994年に”バリオス没後50年記念”として録音されたものです。曲目のうち、半数以上は1977年のものと重複しています。この二つの録音は20年近くの隔たりがありますので、いろいろな点で違いはありますが、ただ、演奏の基本的なところはあまり違いがなさそうです。



ウィリアムスの録音の仕方は年代によってかなり違う

 大きく違うのはやはり録音技術ということになると思いますが、やはりデジタル録音となった1994年盤のほうは確かによい音質です。楽器は1977年盤がイグナシオ・フレタ、1994年盤がグレッグ・スモールマンだと思いますが、1994年盤のほうは全体に重厚な音で、高音もきれいに伸びています。


音もファッションも時代につれて?

 もっとも、ウィリアムスの録音に関してはその年代によってかなりコンセプトが違っているようです。1960年代の後半くらいまでのLPは、その端正な演奏スタイルや、ホテルマンのような横分けに黒のタキシード・スタイルが象徴するような、文字通りたいへん清楚な音質で録音されています。


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まるでホテルマンのような20代前半のウィリアムス


 しかし1960年代の末から1970年代の前半くらいにかけては、ギター愛好者の誰もが驚いた、そのサイケ調の派手なファッションと呼応するかのように、一転して残響を多めにつけたり、高音を伸ばすなど、かなり派手めな録音となってきます。


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いきなりサイケ調に変身してファンの度肝を抜いた(カラーでなくて残念)


リアルさの追求?

 そして1970年代後半になるとその反動か、あるいはまたリアルさの追求なのか、今度は残響のほとんどないデッドとも言える音質に変ってしまいます。特にポンセの「スペインのフォリア」などを録音したLPでは、それに加えて録音レヴェルもかなり低く押さえられ、当時私の持っていたプレーヤーでは針から出るノイズのほうが大きくなってしまいました。なかなかよい演奏で、曲目もよかったのですが、残念ながらとても聴きづらいLPでした。

 1977年のバリオスの録音をちょうどそうした時期にあたっていて、ポンセのLPほどではありませんが、残響の少ない録音となっていて、CDで聴いてもやや窮屈に聴こえます。しかしリアルと言えばリアルなのでしょう。その後のデジタル録音になってからはそうした極端なことは影をひそめたようです。



1994年盤の方が華麗

 演奏自体は、大きくは変っていませんが、全体に1994年盤のほうが若干ダイナミックで華やかに聴こえます。「大聖堂」を例に取れば、第1楽章は1994年盤のほうが高音のメロディが伸びがよく、自然に聴こえます。1977年盤のほうはギターらしい音とは言えますが、ややつまり気味に感じます。

 譜面的には全音のベニーテス版とは違う版を使用していると思いますが、1994年盤では第3楽章などさらに変更を加えていて、テンポも速く、いっそう華麗な第3楽章になっています。


1977年盤もやはり魅力的

 「ワルツ第3番」は譜面というよりも前述のバリオスの自演に添った演奏といえますが、やはりこの方が「カッコよく」最近の多くのギタリストがこれに近い形で演奏しています。この曲では1977年盤と1994年盤との、特に譜面上の違いはなく、演奏そのものは1994年盤の方が10秒ほど長い他はほとんど変わりなく、どちらも華麗な演奏です。

 違いははやり音質のほうですが、この曲に関しては1977年盤の方が聴きなれているせいか、私には自然に聞こえます。響きが少ない分だけ低音などはくっきりとしています。1994年盤では伴奏の刻みが気持ち大きいのもちょっと気になります、楽器の違いでしょうか。



持っているとは思いますが・・・・

 その他1曲1曲コメントしていると長くなりますが、あらためて聴いてみても、このウィリアムスの2枚の録音はバリオスの魅力を最大限引き出したものと言えるのは間違いありません。はやり今日のバリオス人気を牽引した録音であるのは間違いないでしょう。バリオス・ファン、およびギター愛好者でしたら当然すでに持っているCDだと思いますが、まだの方は是非購入してみて下さい。どちらも現在入手可能だとと思います。
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バリオス自演の2枚目と3枚目のCD

 このバリオス自演の3枚組のCDの2枚目には比較的あまり演奏されない曲が入っているのですが、残念ながら音質はかなり悪く、3曲目の「ホタ」などなかなか面白い曲なのですが、ノイズが凄いだけでなく、冒頭のところなど、盤が歪んでいるのか音程も変ってしまっています。それでも「Luz mala estilo」、「Mazurca isarita」、「アイレ・デ・サンバ」などは比較的聴ける状態です。


アラビア風奇想曲を2度録音

 3枚目のCDは編曲作品、他のギタリストなどの作品となっています。他のギタリストの作品としてはタレガの「アラビア風奇想曲」を2度にわたって録音していいて、このうち1928年のものは比較的よい状態になっています。SP録音の関係で最初の(ニ短調の)部分はリピートを省略し、全体をやや速めに演奏しています(3:26)。

 当時の巨匠たちの特徴と言えると思いますが、バリオスも速い部分はよりいっそう速く弾く傾向にあります。特に16分音符で書かれた半音階など、2倍位の速さで弾いています。こうしたことで”締まった”感じや、表現の強さが出るのでしょう。セゴヴィアなどにも同様のことがいえますが、バリオスのほうがそうした傾向は顕著です。



バッハのルール?

 バッハの「ルール」として演奏しているのはチェロ組曲第3番の「ブレー」ですが、タレガがなぜか「この「ルール」の曲名でアレンジしており、そのタレガ編のためにこの曲名になっています。「ルール」と「ブレー」では全く違う舞曲なので、なぜタレガがこの曲名にしたのかは、全くわかりません。


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タレガ編バッハの「ルール」。原曲は無伴奏チェロ組曲第3番の「ブレー」。Oberas Escogidas社の初版より。


 タレガ編では原曲のハ長調を9度上げて二長調とし、なお且つ音もかなり加えているので一般的に弾かれるイ長調版に比べると華やかですが、かなり難しくもなっています。バリオスの演奏は、タレガ編にかなり忠実に演奏となっていて、確かにイ長調版よりもスリリングに聴こえます。

 セゴヴィアも1952年にこのタレガ編「ルール」を録音していますが、後にチェロ組曲第3番全曲をデュアートのアレンジで録音しています。もちろんその中では「ブレー」となっています。

 シューマンの「トロイメライ」は5弦、6弦を「ソ」、「ド」としたハ長調で演奏していますが、セゴヴィアの編曲もこの形をとっています。ベートーヴェンの「ト長調のメヌエット」を2回にわたり録音しています。現在では通常のギターのコンサートなどではあまり演奏されない曲ですが、当時は人気があったのでしょう。
 


バリオスの作品の他のギタリストによる演奏

 今回は作曲家としてのバリオスではなく、ギタリストとしてのバリオスを聴いてゆこうということですが、参考として、最近のギタリストによって演奏されているバリオス作品集のCDについてもコメントしたいと思います。

 若干個人的なことになりますが、私がギターの事情などについて多少なりともわかるようになったのは1970年以降なので、1950~60年代のことについてはよくわからないのですが、その年代ではバリオスの作品はまだまだ珍しかったのではないかと思います。

 その時代(1950~60年代)、ギター界で注目の的だったのは何といってもアンドレ・セゴヴィア、そしてナルシソ・イエペス、ジュリアン・ブリーム。いずれもバリオスの作品は演奏していません(晩年にイエペスは大聖堂を録音している)。バリオスの作品がリサイタルのプログラムに載ったり、録音されたりということは非常に少なかったのではないかと思います。



ギターの魔王として恐れられ・・・・

 1969年に出版された音楽之友社の「ギター基礎講座」に小原安正氏がバリオスについて比較的詳しく書いています。その中で、「バリオスはギターの魔王と恐れられ・・・・ セゴヴィアでさえもバリオスを最大の敵とおそれ・・・・ 」と紹介されていたのが印象的でした。

 私がバリオスの名前を知ったのはこの本によってですが、実際にその曲を聴いたのは1972年頃、荘村清志さんのデビュー・アルバムによってです。このアルバムにはバロック作品やスペインのギター曲に混じってバリオスの「郷愁のショーロ」が入っていました。荘村さんリサイタルでも聴きましたが、当時この曲はギター部内でも人気曲となっていました。


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荘村清志さんの東芝EMIからのデビュー・アルバム(1972年)。バロックやスペインものの他、バリオスの「郷愁のショーロ」が収められている。


 この曲には6フレットから1フレットまで指を拡げるところがあり、バリオスという人はとても手の大きい人なんだなと思いました。手の小さい私にはもちろん全く届きませんが、当時は私の周囲にはここを押さえられる人はあまりいなかったように思います。しかし最近では日本人でも、特に問題なく押さえられる人もかなり多くなってきて、それほど特別な箇所ではなくなってきているようです。


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トリビオ・サントスの大聖堂が収められた1976年発売のLP。当時サントスは、このバリオスの他ヴィラ・ロボス、ラウロ、ペルナンブコ、サントルソラ、ブローウェルなど南米の作曲家の作品を多数録音していた。


 「大聖堂」を聴いたのは1976年頃発売されたトゥリビオ・サントスのLPによってですが、サントスも第1楽章の「プレリュード」なしで弾いています。当時はこれが普通だったようです。他に「前奏曲ト短調」も入っていました。当時トゥリビオ・サントスはヴィラ・ロボスの「12の練習曲」を全曲としての世界初録音とか、ラウロやぺルナブコ、サントルソラ、チャベスといった南米の作品を録音するなど、意欲的に南米の作品を紹介していました。私がブローウェルの作品を知ったのもこのサントスのLPからでした。


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ジョン・ウィリアムスの1977年発売のバリオス作品集。ウィリアムスは1994年にもバリオス作品集を録音している。このLPは今日のバリオス人気の火付け役と言える。


 しかし何といっても一般のギター愛好家たちにバリオスの作品が浸透するようになったのは、この1977年に発売されたジョン・ウィリアムスのバリオス作品集。初のバリオス作品集と言えますが、それが当時”飛ぶ鳥も落とす勢い”の超人気ギタリストのジョン・ウィリアムスの録音とあっては注目を浴びないはずはない。

 さらに時を同じくして全音出版からベニーテス編の楽譜も出され、あっと言う間にバリオス・ブーム到来。以後今日までバリオスの作品はギターのレパートリー上でたいへん重要な地位を占めることとなります。
 今日=1月15日(日) ひたちなか市のアコラで北口功ギター・リサイタルを聴きました。プログラムは以下のとおりです。


バッハ : ロンド風ガボット

ソル : グランド・ソナタ第2番作品25

シューベルト~メルツ編 : 「郵便馬車」、「セレナーデ」、「仮の宿」、「影法師」

 ・・・・・・・・・・・・・・ 
 
ファリャ : ドビュッシーの墓に捧ぐ

アントニオ・ホセ : ソナタより第2、第3楽章

モンポウ : コンポステラ組曲より「ゆりかご」、「レシタテーヴォ」、「カンション」

アルベニス : 「アストゥリアス」、「カタルーニャ奇想曲」、「セビージャ」



前半は松村雅亘の楽器による古典、およびロマン派の作品

 プログラムの前半は松村雅亘、後半はアルカンヘル・フェルナンデスの楽器を使用して演奏されました。オードブル代わりに、バッハの小粋なガボットから始まりましたが、松村氏の楽器はすっきりとした、クリヤーな音がします。

 次のソルのソナタは4楽章からなる充実した作品。北口さん自身も「私のギター・ライフの『課題曲』の一つ」とプログラムに書いています。この曲はソルのもう一つの4楽章形式の作品22のソナタと比べても、いっそう内容の濃い作品だと思いますが、そのハ短調の重厚でやや難解とも言える第1楽章にも、北口さんの演奏では起承転結が付けられています。

 このソナタの中心楽章とも言える第2楽章の「アレグロ・ノン・トロッポ」の展開部ではギター曲としては異例なほど転調を繰り返し、遠い調まで行っていて、もちろん技術的にも難しい曲です。この重厚で内容の濃い冒頭の二つの楽章からすると、終楽章はあっけないほど軽いメヌエットとなっていますが、北口さんは「第3楽章の主題と変奏のコーダ的なものと考えた方がよい」と言っていました。

 次のシューベルトの4つの歌曲はリスト~メルツ編ということで、かなり技術的には難しい編曲です。有名な「セレナード」も対旋律を加えるなど、なかなか一筋縄では行かない編曲となっています。北口さんの演奏では郵便馬車など、明るく弾んだ部分から、一気に暗い心境に変化するなど詞の内容が伝わってくるように感じました。



後半はアルカンヘルにより、スペインの作品

 後半はアルカンヘル・フェルナンデスにより、スペインの作曲家の作品が演奏されましたが、このアルカンヘルは、なかなか深い響きの楽器だと感じました。スペイン的な響きとも言えるでしょうが、とても自然な響きでもあります。

 ホセのソナタは中間の二つの楽章が演奏されました。4つの楽章の中ではどちらかと言えばあまり目立たない楽章ですが、このように聴くと、やはりニュアンスに富んだ曲だと感じます。またこのようにモンポウの曲と続けて聴くと、何か共通したものがあるようにも感じられます。

 最後はアルベニスの3曲ですが、プログラムに書かれている「シューベルトの延長とも言える明晰な詩情」、「血がしたたり落ちるかのような真剣さ」、「『許し』を含んだ底抜けの笑み」というのは、それぞれ「カタルーニャ奇想曲」、「アストゥリアス」、「セビージャ」のことでしょうか。
アグスティン・バリオス


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 この3枚組のバリオスの自演のCDのうち、1枚目の20曲は比較的録音状態の良いものが収められています。2枚目は自演で、録音状態のあまりよくないもの、3枚目は編曲、および他の作曲家の曲となっています。したがって、この1枚目のCDが最も重要なものと言えるでしょう。この1枚目のCDに収められている曲を一応書き出しておきます。


1.タンゴ第2番      
2.ドン・ペレス・フレイレ 
3.ペピータ     
  以上1910~1913年録音
   
4.アイレ・デ・サンバ 
   1924年録音

5.パラグアイ舞曲《第1番)
6.クエカ         
7.ロマンサ《第1番》    
8.マシーシ         
9.アコンキーハ
10.マドリガル《ガボット》
11.Contemplacion~深想
12.ぺリオン
13.Confesion~告白のロマンサ
14.森に夢見る
15.ワルツ第3番
16.大聖堂
  以上1928年録音

17.Oracion~祈り
18.ワルツ第4番
19.南アメリカのハーモニー
20.わが母へ
  以上1929年録音


幸いにも

 この中でも1928~9年録音の、5曲目のパラグアイ舞曲以降のものは1~4曲目や、2枚目のCDなどと比べれば、録音状態はよくなっています。といっても一般的に言えば決してよいものではありませんが、それ以外のものを聴くと、これらのものは結構良く聴こえるから不思議です。この比較的録音状態のよいものの中に「大聖堂」、「ワルツ第3番」、「同第4番」、「森に夢見る」などの人気曲が含まれるのは幸いなことです。



昔のギタリストは意外と速弾き?

 演奏については、この時代の録音はギターに限らず速めのテンポをとる場合が多く、このバリオスの演奏も全体に速めのテンポとなっています。これは収録可能な時間が短いSP盤ということで、自然にそうなるのでしょう。

 もっともセゴビアにせよ、この時代の第一線級のギタリストは意外と速弾きだったようです。タレガも速弾きだったという話もあります。ありえそうなことだと思います。

 SP録音のことについてはあまり詳しくはありませんが、1910~1913年の録音はいわゆる「アコースティック録音」。1924年以降のもは「電気録音」ということなのかも知れません。その違いがはやり音質の違いになっているようです。



当然一発録り!

 当時の録音では、当然のことながら編集など出来ませんから、いわゆる「一発録り」ということになります。また費用の関係からしてそう何回もやり直しは出来なかったものと思われます。したがって細かいミスなどはあまりかまっていられなかったでしょうし、もしかしたらコンサート以上に緊張もしたかもしれませんね。



大聖堂

 全部の曲についてコメントは出来ませんから、これらの曲のうち、最も人気の高く、この前私も弾いた「大聖堂」について内容をコメントしておきます。

 何度か言いましたとおり、この「大聖堂」は比較的状態は良いほうですが、あくまでこのCDの他の曲と比べてと言う意味で、最近の録音と比べたら比較の使用がありません。ただSP盤独特の「サー」というノイズはCD化の際に若干減らしてあるようです。



現在の第2、3楽章

 今現在ではこの「大聖堂」は3楽章の形になっていますが、その第1楽章にあたる「プレリュード」はバリオスの晩年に付け加えられたということで、おそらくバリオス自身はこの現在の第2、第3楽章の2楽章の形でしか演奏していなかったのではないかと思います。


意外とイン・テンポ

 バリオスもリョベットやセゴヴィアと同じく、曲によってはテンポや音価を自由に変えて演奏するスタイルですが、しかしこの第2楽章(現在の)に関しては、はかなりイン・テンポを保っています。付点音符がやや三連符気味ですが、途中でテンポを変えることもなく、また音価をデフォルメすることもしていません。敬虔な気持ちを表すためなのでしょう。この時代の巨匠たちも、必要があればイン・テンポで弾くのでしょう。

 全音出版のベニーテス編の譜面と比較すると、和音のオクターブ関係など部分的には多少異なりますが、大きく違うというほどでもありません。なお冒頭の「レ、ファ#」の二つの8分音符は弾いていません。


小さいことは気にしない

 第3楽章はやはり全音版とそれほど違いはありませんが、リピートを省略するなど、少し短くなっています。収容時間を考慮してでしょうか。この楽章はややゆっくり目に始まりますが、終わりに向かってだんだん速くなって行きます。多少の音抜けや弦の”ひっかけ”があるのは、やはり1発録りの関係でしょうか(録音の関係であまり目立ちませんが)。もっともそういったことはこの時代、あまり問題にしなかったのでしょう。


後は想像力で・・・・

 もちろん私たちとってバリオスがどんな演奏をしたかということについては、粗悪な音質ながらも、この録音を聴くしかないのですが、いろいろ状況を考えると、実際の演奏とはかなり違っている可能性もあります。現在のデジタル録音でも”生”と”録音”では印象がだいぶ違ってしまう訳ですから。大事なのはこれらの残された録音を元に、各人が想像力を働かせることなのでしょう。
20世紀の巨匠たち ~ギター史を創ったギタリスト



昨年は21世紀のギタリストを紹介

 昨年は、「21世紀のギタリストたち」ということでナクソスのローリエイト・シリーズをとおして若いギタリストたちを紹介しました。これによって、若干ではありますが、最近の若いギタリストたちの傾向とか、あるいはその根底にある、最近の世界のギターの教育事情などを垣間見た気がします。



作曲家の意図を最重要視。各時代の様式感も考慮

 そうした若いギタリストの音楽的、技術的レヴェルの高さについては重ねて言うまでもありませんが、最近のギタリストは自らの感性や個性などを全面に押し出す前に、その作品を考え、研究し、その作曲家の意図を音にすることを最も重要視しているようです。また各時代の様式感などにも十分配慮した演奏になっています。



美しい音と柔軟な感性

 また音色や響きの美しいギタリストも多いのにもある意味驚かされました。ちょっと聴いた感じでは一見同じように聴こえる演奏も、よく聴くとそれぞれのギタリストの感性の違いなどはやはりはっきりと聴き取れます。個性の違いといっても、最初から奇抜なスタイルで演奏するというのではなく、その音楽に真摯に向き合った結果、それぞれのギタリストの感性などの違いが染み出したといった感じかも知れません。



さらに新しいギタリストが出現

 「21世紀のギタリストたち」の記事を書いてからもうすでに半年以上経ちます。その後このナクソスのシリーズでも何枚か新しいギタリストのCDが発売されています。もちろん世界各地のコンクールなどから、あるいは音楽学校などから続々と若いギタリストが世に出ていることと思います。また何年かしたらこうしたギタリストの紹介を行いたいと思います。



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21世紀のギタリストを紹介したからには

 さて、「21世紀のギタリスト」について紹介したからには、やはり20世紀のギタリストについても紹介すべきでしょう、私の世代の愛好者にとっては、20世紀のギタリストはあまりにも身近過ぎて、特に紹介すべきことではないかも知れませんが、今やセゴヴィア、イエペスといってもあまりピンと来ない愛好者も多くなっているのではないかと思います。

 また20世紀も終わってから10年以上経つわけで、20世紀と言う時代も、そろそろ歴史になりつつあると思います。私などには20世紀のギター史を語ることは出来ませんが、私たちにはとても身近だった20世紀の大ギタリストたちについて、一通りおさらいしておいても良いかなと思います。

 と言ったように「20世紀の巨匠たち~ギター史を創ったギタリスト」というテーマで、20世紀に活躍した大ギタリストを、その残された録音により紹介してゆきたいと思います。ギタリストの紹介というより、CDの紹介として考えて下さい。



タレガの録音ってあるの?

 20世紀のギタリストといえば、20世紀に活動した年数は少なかったですが、その影響力の多さから言って、フライシスコ・タレガを挙げなければならないところです。タレガ自身については昨年紹介しましたが、その録音については、残念ながら今現在入手可能なものはありません。

 以前現代ギター誌に「タレガの録音が残されている」といった記事がありましたが、1909年没ということを考えてると、その信憑性には若干疑問符もつくのではないでしょうか。もちろん可能性がなくはないと思いますが、仮に存在したとしても、実際にタレガ自身が演奏したものかどうかということを判別するのは決して簡単なことではないでしょう。



アグスティン・バリオス

 といった訳で、私が知る限りでは、私たちが入手できる最も古い20世紀のギタリストの録音としては、アグスティン・バリオスということになるでしょう。CDブックレットのデータによれば、バリオスの最も早い録音は1910~1913年ということのようです。


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3枚組のCD。かつてはカセット・テープで出ていた

 上の写真はバリオス自身の演奏の3枚組みCDです。以前カセット・テープの形で発売されていたこのともありますが、音質には相当厳しいものがあります。当時何度か聴いたことはありますが、音質がひどいので買うのは躊躇していました。上のセットは数年くらい前に買ったものですが、CDになったからといってももちろん音質には変りありません。しかし何と言っても作曲家自身の演奏ということで、バリオスの曲を演奏する場合にはどうしても聴いておきたい録音と言えるでしょう。



若干忍耐が必要だけど

 作曲自身の演奏であると同時に、先ほど言いましたとおり、入手出来る範囲のものとしては最も古いギターの録音ということで歴史的な価値もあるでしょう。そう言ったわけで、若干忍耐力も必要ですが、がんばってこのCDを聴いてゆきましょう。

 この3枚組のアルバムにバリオス自身のオリジナル作品が37曲(重複が2曲)、編曲や他の作曲家の作品が17曲(重複が2曲)とバリオス自身の音声が収められています。最も古い録音は前述のとおり1910~1913年、最も新しい(?)もので1942年となっています。もちろんSP盤のCD化で、音質については、残念ながら私が知る限りで最も質の悪いものと言えます。



ノイズの彼方から聴こえてくるギターの音

 全体的に悪い中でも比較的”まし”なものもありますが、ギターの音よりもノイズのほうがずっと大きいものはごく当たり前で、盤が歪んでいるのでしょうか、音程まで揺れ動いてよくわからないものまであります。バリオスの音声ももごもごしていてよく聴き取れません(スペイン語だけれども)。おそらく残されたSP盤から復刻しているものと思いますが、録音状態だけでなく、その保存状態にも大きく影響されているのでしょう。


 ・・・・・続く
明けましておめでとうございます。

 皆さんはどんなお正月をお過ごしですか。私の方はいつもながらの静かなお正月です。私がいつものお正月どおり9時頃起き出すと、家内は台所でおせちの準備をしています。まあ”おせち”と言えるほどのもではありませんが。

 「今年はなんだかお正月らしくないわね」  確か去年のお正月にも同じことを言っていたような気がします。家内にとって”お正月らしいお正月”とはどんなお正月なのでしょうか。多分子供の頃味わった、あの、何とも晴れ晴れしかったお正月が残像として残っているのでしょうか。

 今年も私が厚焼き玉子を焼きました。今年も焦げています。普段お酒を飲まない私ですが、お正月だけは日本酒を飲みます。と言っても二人で半合くらいでしょうか。特に日本酒は日頃飲まないので、とてもお正月らしい味がします。「なんだか酔っ払っちゃった」 ・・・・去年も言っていました。



質量の起源?

 どちらかと言えば、暗い話題が多かった昨年ですが、今日はなるべく明るい話にしましょう。経済や暮らしに関しては世界的にもやや滞り気味ですが、科学、特に物理学や天文学に関しては、近年かなりの進展があるようです。1、2ヶ月ほど前に新聞でヒッグス粒子が検出されたということが載っていました。

 それがどれくらい確定的なのかは私にはわかりませんが、物質の質量の起源に関る粒子ということのようです。最初にこの粒子の名を聴いた時には理論上の仮想粒子のような感じだったのですが・・・・



本当の超光速?

 またある研究機関により、光速を越える粒子(ニュートリノ)が検出されたということも記事になっていました。もちろん疑問視する研究者も多いようですが、何度検算しても光速を超えてしまうそうです。一応現在の物理学では質量のあるものは光速に達することは出来ないということになっています。つまり光速を越える粒子というのはマイナスの質量を持つということになるのか? マイナスの質量ってなに?



本当は10次元?

 またこの宇宙は、本来10.あるいは11次元で出来ていて、今現在は3次元を残してたの次元はプランクの大きさ程度に縮退して(極小になって)しまっている。といった理論があります。

 そんな観測にもかからないほど小さくなっているなどという理論はただの詭弁ではないかと思いますが、最近ではその多次元の影響は0.1ミリくらいの大きさまで及んでいると言う説もあり、この0.1ミリというのは信じられないほど”大きい”サイズと言えます。これくらいだと全く観測出来ない大きさではなく、実際に観測を試みている研究機関もあるようです。



そんなばかな → 定説

 物理学などにおいては、これまで「そんなばかな」といったことが何年かすると常識になっていたりします。近年ではますますそうしたことが頻繁になってきているようです。私たちの暮らしはこのところあまり良くはなっているとは思えないのですが、科学の進歩はさらに加速が付いているようです。 ・・・・そうそう、昨日もBSでやっていたとおり、地球のように生物の棲む太陽系外惑星の発見も時間の問題でしょう。



明るい話といえば、やはりサッカー

 明るい話と言えば、昨年の日本のサッカー界は明るい話題一色でしたね。1月のアジア・カップ、そして何といっても6~7月の女子ワールド・カップ。確かに日本の女子サッカーはそれまでも世界ランキング4位というわけで、優勝圏内にはあったのですが、本当に優勝できると思った人は少なかったのでしょう。

 日本の女子サッカーは男子より1歩先を行ってしまった形になりましたが、でもその女子サッカーに男子が追いつくの意外とそんな先ではないかも知れません。



バルセロナの中心選手が現れるのも

 一昨年から多くの日本人選手がヨーロッパで活躍するようになりましたが、その中でも長友、内田、本田、長谷部、香川選手などの活躍はめざましいですね。特に長友選手はこれまで1年以上にわたってイタリアのビック・クラブでレギュラーの地位を確保し、中心選手の一人となっています。今まででは考えられなかったことです。こうなると、バルセロナやレアル・マドリッドで中心選手として活躍する日本人が出てくるのも、もうすぐかも知れません。


底辺の拡がり

 去年のJリーグ優勝はJ2から上がってきたばかりの柏、また今年の天皇杯はJ2の東京FCということになりました。考えてみれば両チームとも本来はJ1の常連チームですから、これは別に不思議なことではないのですが、やはり日本ではJ1、J2の力の差、あるいはチームごとの力の差があまりないということを示しているのでしょう。

 そういえば高校サッカーでもかつては”サッカーどころ”と言われていた静岡県や埼玉県のチームが優勝していたのですが、最近ではそうした地域差はほとんどなくなり、全国大会に出てくるチームは、どの県のチームもかなりの実力を持っているようです。おそらく出場できなかった他のチームのほとんどは、出場校と変らない力を持っているのではないかと思います。


あやかりたい

 そうした日本サッカー界の全体の”おしあげ”がこのところの日本代表の好成績に繋がっているのでしょう。日本サッカー界には明るい未来を感じます。 ・・・・ギター界も是非あやかりたいところですね。