ミゲル・リョベット (1878~1938年) アメリアの遺言で有名なギタリスト、タレガの高弟 今回はカタルーニャ民謡「アメリアの遺言」などで有名なミゲル・リョベットの録音の紹介です。あまり重要なことではないかも知れませんが、普通リョベットは「ミゲル・リョベート」とカタカナ表記されるのが一般的ですが、「Miguel Llobet」と言う綴りからすると、少なくとも「リョべート」とは発音されないでしょう。
本当は「ジョベット」かも知れないが もっともスペイン語では「L」は「ラ行」的な発音ではなく、「ジョ」に近い発音ですから、なるべくスペイン語に近い表記となると「ジョベット」あるいは「ジョベッ」といいた感じになるのでしょうが、「ジョベッ」では誰だかわからなくなってしまいますので、ちょっと中途半端な表記ですが、ここでは「リョベット」と表記しておきます。最近ではこの表記が多くなっているようです。
諸外国ではあまり気にしないようだが 若干脇道にそれてしまいますが、タレガの伝記を書いたエミリオ・プジョール(Emilio Pujol)もスペイン語では「プホール」と発音され、本来そのように表記すべきところなのでしょうが、長年この表記を用いているので、浜田滋郎訳のタレガ伝記でも「プジョール」と表記されています。もっともプジョールはイギリスにも住んでいたことがあって、英語圏の人でしたら間違いなく「プジョール」と呼んでいたでしょうから、この呼ばれ方にはそれほど違和感はなかったのではと思います。
最近の日本ではこうした外国語の固有名詞についての表記にこだわるようになっているのですが、以外と欧米ではそうしたことはほとんど気にせず、人名などでも自国流に堂々と発音しているようです。因みにアルゼンチンの作曲家、Maximo Pujolについては最初から「マキシモ・プホール」と表記しています。もちろん本来同じ発音のはずです。結果的に、Emilio Pujolは「プジョール」。Maximo Pujolは「プホール」とわかりやすくてよいかも知れません。
彫刻家の息子に生まれ さて道草が長くなってしまいましたが、リョベットは1878年にスペインのバルセロナで、彫刻家の息子として生まれ、その家庭環境もあって、幼少より美術や音楽の才能をのばしていったそうです。ギターのほうは1889年、つまり12才の時よりアントニオ・ヒメネス・マンホン(後年南米でも活動した当時著名なギタリスト)に師事し、1894年よりバルセロナ市立音楽学校でタレガに師事するようになったとのことです。
教わるというより・・・・ 一般的にはリョベットはタレガの高弟とされ、タレガ奏法の後継者というイメージがありますが、リョベット自身では「教わるというより、自分で演奏技術を試していた」と言っているようです。リョベットがタレガに師事した時には16歳になっていて、才能豊かなリョベットとしてはすでにギタリストとして完成している部分もあったのでしょう。タレガもそれを認めていて、基礎的なことから細かく指導したわけではなかったのでしょう。
もっとも日本でもかつては芸事にしろ、職人技にせよ、師匠が手取り、足取り教えるのではなく、弟子たちが師匠の身の回りに世話などしながら”技術を盗む”というのが普通だったようですから、こうしたことは特別なことではなかったのでしょうね。そういえばセゴヴィアもリョベットの師事したことになっていますが、全く同じようなことを言っていて、セゴヴィアはリョベットから「ほんの短い間リョベットから助言を求めた」とだけ言っているようです。
1925年~1929年の録音 さて本題のリョベットの録音のほうですが、1925~1929年にかけてバルセロナとアルゼンチンで録音をしています。その時代ですからSP盤ということになりますが、そSPがCDとなり写真のとおり、Chanterelleから発売されています。ただHMVや各ギター専門店のサイトを見てもリスト・アップされていないので、今現在は入手が難しいのかも知れません。このCDの収録曲目は以下のとおりですが、録音場所、年代等の詳しいデータはありません。
バッハ : サラバンド(パルティータBWV1002より) ~2種類
ソル : メヌエットOp.11-12
ソル : アンダイテーノOp.2-3
ソル : 月光 ~2種類
コスト : エチュードOp.38-23 ~2種類
カタルーニャ民謡~リョベット編 : アメリアの遺言、 商人の娘、 哀歌、 先生
ヴィラール : レオンの歌
P.Quljano : アルゼンチン民謡
ポンセ : 小鳥売りの娘、 わが心よ君ゆえに
<マリア・ルイス・アニードとの二重奏>
メンデルスゾーン : 5月の風
アルベニス : エヴォカシオン
アギーレ : Huella
バリオスよりは聴きやすい 前回のバリオスの録音とはほぼ同じ年代ですが、全体的にバリオスの録音よりは聴きやすいものになっています。ただし曲によってはノイズを大幅にカットしたために”つまり気味”音になってしまったものもあります。これ以外に録音した曲はなかったのかどうかはわかりませんが、おそらく入手出来たもののすべての音源ということになるのでしょう。
このCDに収められた音源は、原盤のようなものが残っていて、そこからCDにしたものではなく、実際に市販されたSP盤を、その所有者から借り受け、CDにしたようです。そのSPの所有者がブックレットに書かれています。こうしたものは本当に貴重なものだったのでしょう、それなりの知識人やお金持ちしか買わなかったのでしょうね。またこうしたものの情報なども、特に日本などではなかなか入りにくかったでしょう、本当に今は便利になりましたね。
リョベットもかなり速弾き バリオスのところでも、この時代の大ギタリストは”速弾き”が多いということを言いましたが、このリョベットもその一人のようです。最初のサラバンドも、サラバンドとしては比較的速く、2:53と2:31で弾いています。後の録音のほうが音質がよく、おそらくこちらは1929年のバルセロナかも知れません。演奏はやはりセゴヴィアの演奏と似ています。いや本当は逆ですね、セゴヴィアの演奏がリョベットに似ているんですね。
速いといえば、コストのエチュードはもの凄い速さです。ある程度速く弾いても2分半から3分はかかる曲ですが、リョベットはなんと1:44と1:27で弾いています。トレモロ的な感じを出すためなのでしょうが、それにしてもすごい速さです。「最近の若いギタリストは速く弾きすぎる」などと言う言葉を時々聞きますが、昔だって、速弾きのギタリストは少なくなかったようですね。
ソルは録音しているが リョベットはフェルナンド・ソルの曲を3曲、計4回録音していますが、これはタレガが全くソルの曲を弾かなかったのと対照的です。そういえばリョベットは師のタレガの曲を一曲も録音していません。たまたま録音していなかっただけなのかも知れませんが、タレガに関係する作品も書いていません。ソルに関してはソル作曲の「スペインのフォリア」による変奏曲も作曲しています。
師の曲を弾いてもおかしくないと思うが 一方バリオスは「アラビア風奇想曲」を2度にわたり録音し、「ラグリマ」をテーマにして変奏曲も書いています。その時代と、タレガの高弟といった関係からすれば、リョベットはタレガの曲の録音を残したり、タレガに因む作品などを書いても何の不思議もなかったのではないかとも思います。
本当に余計なことかも知れませんが、タレガとリョベットにの間には、なんとなく微妙な空気が流れていたのでしょうか。この ソル → タレガ → リョベット の関係はちょっと面白いですね ・・・・・面白がってはいけませんが。因みにタレガのほうはリョベットに「前奏曲第2番」を献呈しています。
ワシは誰の世話にもなっとらん またリョベットとセゴヴィアにも似たようなものがあったのかもしれませんね、セゴヴィア自身は「リョベットにはほんのちょっとしか習わなかった、自分は独学でギターを学んだ」つまり「ワシは誰の世話にもなっとらん」と言っているようですが、こうして録音を聴いてみると、セゴヴィアはしっかりとリョベットのスタイルを継承しているの感じです。さらにはその背後のタレガの奏法も引き継いでいるといってよいでしょう。やはりセゴヴィアはタレガ奏法の継承者の一人と考えてよいのでしょう。