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中村俊三 ブログ

中村ギター教室内のレッスン内容や、イベント、また、音楽の雑学などを書いていきます。

セゴヴィアの生い立ち~自伝が出版されていたが

 セゴヴィアの生い立ちについては1970年代に自伝が出版されていて、それを読んでみるのがベストなのですが、この本は現在入手不可能となっています。残念ながら私も持っていなくて、従って読んでいません。CDのブックレットなどに書かれているセゴヴィアの幼少時や青年期のことについては、この自伝がもとになっているようです。

 何と言っても歴史的な大ギタリストの自伝ですから、いずれはまた入手出来るようになることを期待します。またアルベニスやタレガのように、客観的な資料などを基にした研究者による伝記等も書かれるようになればさらによいと思います。


アンダルシア地方の出身

 さて、手元のいくつかの資料によると(現代ギター誌、音楽ノ友社「ギター基礎講座」他)、アンドレス・セゴヴィアは1893年の2月21日に、スペインのアンダルシア地方(スペイン南部)のリナレス市で生まれています。タレガやリョベットがカタルーニャ地方出身であるのに対して、セゴヴィアはフラメンコの盛んなアンダルシア地方に生まれています。


叔父夫婦に育てられる

 父は大工で、あまり豊かな家庭ではなく、3歳の時に叔父夫婦に預けられ、幼少時はこの叔父夫婦によって育てられたようです。そうした状況からすると、セゴヴィアはスペインの民衆の音楽、つまりフラメンコが常に鳴り響く環境で幼少時を過ごしたようです。もちろんそのことがいろいろな意味で後のセゴヴィアに大きな影響を与えたのでしょう。


物乞いのギター弾きからギターを習う

 幼少時にヴァイオリン教師からソルフェージュなどを習ったこともあるようですが、それはすぐに放棄し、6歳の時に物乞いのギター弾きからギターを少しだけ習ったようです。1ヶ月くらいでそのギター弾きから習うことはなくなり、その後は独学でギターを続けることになります。この時点でセゴヴィアが弾いていたのはフラメンコということになるのでしょう。ギタリストとして世に出てからも若い時にはフラメンコを弾くこともあったようです。


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セゴヴィア10才頃の写真。 この頃まではセゴヴィアはフラメンコ・ギターを弾いていた



10才頃からクラシック・ギターに目覚める

 10才頃からソル、ジュリアーニ、アルカス、タレガなどのクラシック・ギターに目覚めたとうことですが、叔父夫婦の反対や近くに適切な指導者もいなかったこともあって、相変わらず独学だったようです。おそらく楽譜などを読んで弾くようになったのはこの頃からなのでしょう、後にギターの楽譜に最初に出会った時の苦労などを語っています。



1909年、16歳グラナダでデビュー・リサイタル。 マドリッド・デビューは苦い思い出

 16歳の時、1909年にグラナダで内輪のコンサートを行い、こらがセゴヴィア初のコンサートとされています。この年にタレガが亡くなり、セゴヴィアがタレガの演奏を聴くことは、結局なかったようです。1912年にはギター製作家のマヌエル・ラミレスから楽器を贈られます(1937年まで使用、その後はハウザーⅠ世、1960年からはホセ・ラミレスⅢ世)。マドリッドでもコンサートを行ったようですが、反響は今一つだったようです。


1915年バルセロナで成功

 1915年にミゲル・リョベットと知り合うことになりますが、リョベットはこの当時、タレガ亡き後の第一人者といえるでしょう。その年からリョベットのホームとも言えるバルセロナでいくつかのコンサートを行い、絶賛を得ます。さらに1917年頃からはマドリッドをはじめ、スペイン各地で演奏を行い、その評価を確かなものとします。1912年のリベンジと言えるでしょうか。




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1915年頃と思われる写真。左上アンドレス・セゴヴィア(22歳)。右上ミゲル・リョベット。左下ダニエル・フォルテア。右下エミリオ・プジョール。 


タレガの再埋葬に参列、タレガ門下の一員に?

 上の写真はアンドレス・セゴヴィア、 ミゲル・リョベット、 ダニエル・フォルテア、 エミリオ・プジョールとタレガの高弟たちと一緒に写っています。おそらく1915年のタレガの再埋葬の時の写真と思われます。セゴヴィア22才の時ですが、これを機にセゴヴィアもタレガ一門に加わったのでしょうか? おそらく「リョベットの弟子」ということで参列しているのではと思います。

 セゴヴィアのギタリストしての実力が認められるようになるのと、このイヴェントへの参加し、タレガ門下のギタリストなどと知己を得るのとが時を同じくし、おそらくこの二つのことは大いに関係あるものと推測されます。



リョベットの力が関与していると思われるが

 この時代、つまり1915年~1919年頃の間に、セゴヴィアはなんらかの形でリョベットから指導をうけたようですが、セゴヴィア自身は「リョベットからほんの少し助言を得た」とかなり”控えめに”言っています。結果から見ると、バルセロナでの成功やその後のセゴヴィアのギタリストとしての活動に、リョベットの力がかなり関与しているのではと想像出来ますが、そういったことについてはセゴヴィアはほとんど触れていないようです。

 セゴヴィアの演奏はリョベットの影響を強く受けているということは以前にも書きましたが、それはレッスンと言う形でリョベットから指導されたというより、リョベットの演奏を注意深く聴き、それを自分の中に取り入れていったのでしょう。リョベットとタレガの関係もまさに同じと言えるでしょう。


独学の天才

 独学と言えば、セゴヴィアは10歳の時に小学校に入学したと書かれていますが、その後、学校に関してはなにも書かれていません。中学校や大学どころか、その小学校さえも卒業したかどうかわかりません。かなりの読書家だったようですが、セゴヴィアはギターや音楽知識だけでなく、一般教養も独学だったようです。


国際的な大ギタリストへ

 1919年頃には南米でも演奏を行い、1923年頃からは、パリはじめソビエト(現ロシア)を含むヨーロッパ各地で演奏を行い、高い評価を受けるようになります。1927年にはロンドンでレコーディングも行い、1929年には初来日となります。この時点ではセゴヴィアはリョベットを凌ぐ知名度を得、また高い評価も受けていたのでしょう。一方リョベットは1930年を過ぎるとあまり演奏活動をしなくなり、1937年に世を去ります。

 
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禁じられた遊び」はアントニオ・ルビーラ作曲! ~ご存知とは思いますが

 現代ギター誌を購読している方はすでにご存知とは思いますが。今月号(2012年5月号)に映画「禁じられた遊び」のテーマとして有名な曲の原曲が掲載されています。この曲は元々スペインのギタリストのアントニオ・ルビラの「アルペジオ練習曲」であるということは以前から聴いていましたが、実際にその譜面を見るのは初めてです。

 これまで私自身で演奏する際や、教材として配る場合など、この曲を「作者不詳」としてきました。この譜面が出てきたことで、現代ギター誌が語るとおり、今後は晴れて”アントニオ・ルビーラ作曲”としてゆくことが出来ると思います。また今後のCDや譜面の出版の際にもこの作曲者の名前が明記されてゆくのではないかと思います。


1870年頃の作品

 この曲は1930年代くらいに作曲されたと以前に聞いた事があるように思いますが、実際には1870年前後のようです。思ったよりも古い作品のようです。ルビーラは1825年頃スペインのロルカで生まれ、1890年に没しているとのことで、かなりのギターの名手だったようです。



詳しくは現代ギター誌を読んで下さい

 現代ギター誌に載っている譜面を当ブログに載せるのは問題があるかも知れませんので、譜面のほうは従来のものほうを載せました。現代ギター誌をとっていない方は、この際是非購入して、譜面、及び記事を詳しく読んでみてください。予約購読もよいと思います(ちょっと宣伝しすぎかな?)



現代ギター誌掲載の譜面は載せにくいので、この譜面は従来の「禁じられた遊び」

アルペジオの形が違う、曲名は ESTUDIO

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前半、最後から3小節目の低音は「レ#」



2段目の低音はどちらも「シ」

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終わりから4小節目の低音は「シ」



20世紀初頭の南米では有名な曲

 この曲は20世紀始め頃にアルゼンチンなど出版され、当時南米ではかなり有名な曲だったようです。美しいメロディで、しかもあまり難しくなく、愛好者には特に人気があったのでしょう。因みにアルゼンチンでは20世紀初頭の頃とてもギターが盛んで、愛好者の数もたいへん多かったとのことです。



伝言ゲーム?

 おそらくイエペスもこうした流れで、幼少時からこの曲を知っていたのでしょう。もしかしたらちゃんと譜面を読んで弾いたのではなく、”聞き覚え”で弾いていたのかも知れません。おそらくこの曲は、譜面で広まったのではなく”伝言ゲーム”のように耳から耳へと伝わっていったのかも知れません。もっとも私たちが弾いているのもイエペスの演奏の”耳コピー”なのですから、その伝言ゲームに加わっていたわけです。



1913年アルゼンチンで出版

 さてこの現代ギターし掲載されている譜面は1913年にアルゼンチンで出版されたもので、校訂、運指はエルナンデス(詳細は不明)となっているものです。この譜面自体も作曲されてから40年ほど、作曲者が他界してから23年後のもで、ルビーラの書いたもの、そのものではありません。したがって完全に”オリジナル”とは言い切れませんが、今現在では”最も原典に近いもの”といえるでしょう。



メロディに違いはない

 譜面の方を改めてみてみると、もちろん現在演奏、あるは出版されているものと違いはありますが、「意外と違いは少ない」というのが実感です。特にメロディに関しては私たちが知っているものと全く違いはありません。

 まず違うのがタイトルですが(これは当然だが)、シンプルに”ESUDIO”つまり練習曲となっています。作曲者は”ROBIRA”となっていますが、これは”RUBIRA”の間違い。



一番の違いはアルペジオの順

 一番の違いはアルペジオの順で 、私たちが知っているものは①②③の順で弾きますが、この譜面では①③②と、③弦のほうが先になっています。どちらでも聴いた感じはあまり違いがなく、そのせいで”伝言ゲーム”をやっているうちに順番が入れ替わってしまたのでしょう。ただ、この順(①③②)のほうがメロディとのバランスなどはとりやすいように感じます。


数箇所低音が違う

 前半の終わりから3小節目の低音は「シ」ではなく「レ#」となっていますが、これはこの和音の中に導音、つまり「レ#」がなくなってしまったので補ったのでしょう。またこの方が低音の流れもよくなります。

 後半のほうでは3,4小節目の低音が「ファ#」ではなく「シ」になっています。前からこの「ファ#」は疑問で、普通に考えると、当然「シ」であるべきところなのですが、イエペスが「ファ#」で弾いており、現在の大多数の出版譜もそうなってます。

 そういった事情でちょっと疑問を感じながらも、これまで「ファ#」で弾いてきましたが、これから”大手を振って”「シ」で弾くことが出来ます。


納得!

 終わりから4小節目は、これまで譜面によってB7のコードになっていたり、Eメジャーになっていたりしていましたが、コードはEで低音はB、つまりE/Bがベストなのではと思ってきました。この譜面ではやはりその
 E/Bとなっており、納得です。ただし左手は若干難しくなり、初、中級者では次善の策として従来どおりの低音を「ミ」にした普通のEコードでもよいでしょう。

 後半には繰り返し記号がなく、ダ・カーポもありません。しかしこの通りに弾くと1分そこそこで終わってしまうので、せっかくの名曲が”もったいない”ので、実際に弾く時にはこれまでどおりの繰り返しでよいのではないかと思います。


やはりルビーラは優れた音楽家 

 この譜面全体を見ると、これまで疑問だった点も解消され、音楽的にもかなりしっかりと出来ており、ルビーラが優れたギタリストであることが想像出来ます。おそらく今後は国内外でもこの譜面に准じた演奏がなされるようになりでしょう。また当然ルビーラは他にも作品を書いているはずなので、そうした譜面も世に出される日もくるのではないかと思います。


今後はどういった曲名で

 ところで、今後この曲を弾くときに、どういった曲名で弾くのがよいのかということになりますが、正式にはアントニオ・ルビーラ作曲「エチュード」、または「練習曲ホ短調」といった感じになるでしょうか。しかし「禁じられた遊び」と言う曲名の浸透力は”ハンパ”ではないですから、その名も捨てるわけにはいかないでしょうね、「たかが曲名、されど曲名」でしょうか。


ホントかな?

 最後に現代ギター誌の記事の最後にこの曲の真の作曲者、アントニオ・ルビーラに対して、これまで真の作曲家としてこなかった点や、優れたギタリストとして認識していなかった点などを詫びる「詫び状」が載っています。「金一封を添えて」とも書いてありますが、本当かな?
今日(4月22日)つくば市のカピオ・ホールで行われた「ギターフェスティヴァルinつくば」を聴きに行きました。出演参加団体とゲスト演奏は以下のとおりです。


ギターアンサンブル”ルピナス”
ホーム・ギターアンサンブル
すみギターアンサンブル
守谷ギターアンサンブル
ギターアンサンブル・リベルタ
玉里ギターフレンズ
筑波大学ギター・マンドリン部
アコラ・フレンズ

ゲスト演奏:クアトロ・パトス



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 昨年は震災の影響で中止となり、2年ぶりのフェスティヴァルとなりましたが、会場には多くの人たちが聴きに来ていました。各団体とも、曲目はポピュラー系の親しみやすい曲が多くなっていますが、前回などに比べ、いろいろ工夫なども見られます。

 特にパーカッションを用いたり、またギターのパーカッション奏法を使用したりなどが多くなっていますが、最近の傾向のようです。

 最近では、ギター合奏に限らず、ギター愛好家の年齢が次第に高くなってきていますが、そういった点では、唯一若い年代の筑波大学ギター・マンドリン部は貴重な存在でしょう。

 アコラ・フレンズの演奏した「レディー・ガガ フーガ」は曲も演奏もなかなか面白いものでした。原曲を知らないのがちょっと残念です(さすがに「レディ・ガガ」の名前だけは知っているが)。

 ゲストの「クアトロ・パトス」は男性4人によるギター4重奏ですが、最近のオリジナル作品と、メンバーによる編曲作品の演奏で、なかなか爽快な演奏でした。

 午後1時に始まったフェスティヴァルも、終演がほぼ5時となり、相変わらず熱気溢れるイヴェントでした。
セゴヴィア2度目の来日は1959年

 セゴヴィアの2度目の来日は、初来日から戦争を挟んでの30年後、1959年(昭和34年)となります。この時代ともなると日本のクラシック・ギター界のレヴェルも徐々に上がってきます。現在の東京国際ギター・コンクールの前身となる、日本ギター連盟主催のギター・コンクールもすでに始まり、阿部保夫、大沢一仁、中林淳真といったその後の日本のギター界を担う人たちを輩出するようになります。

 当時の歌謡曲などに積極的にギターが用いられ、日本の映画では、なぜかヒーローたちの背中にギターが登場します。もちろん映画「禁じられた遊び」の影響でギターを始めた人もいたでしょう。このように昭和30年代頃からギターに興味を持つ人も次第に増え、街の楽器店にもクラシック・ギターが並ぶようになります。いわばギター・ブーム前夜といったところでしょうか。


セゴヴィア66歳、普通のギタリストなら晩年だが

 この年(1959年)セゴヴィアは66歳。年齢だけ考えればギタリストとしての活動の晩年にあたると言えますが、しかし私たちはこの時代こそセゴヴィアの絶頂期であることをよく知っています。LPやCDで知っている、わたしたちになじみの深いセゴヴィアの演奏はほとんどこの時期、この来日の10年前から10年後の20年間に録音されています。

 この時期のセゴヴィアは、音楽的にはもちろん、技術的にもますます磨きのかかった頃といえるでしょう。セゴヴィアに関して”晩年”と言う言葉が使えるようになるには、まだ20年ほど年月が必要です。


ギター界を越えた1大イヴェント

 この来日は、の本でのギター熱の高まりと、セゴヴィアの円熟期が重なった、たいへん幸運な出来事だったとも言えるでしょう。この時、セゴヴィアは35日間の日本滞在で、協奏曲を含め、たいへん精力的に11回のコンサートを行いました。当時皇太子だった現天皇陛下もご臨席されたとのことで、ギター界を越えた音楽界の1大イヴェントだったのでしょう。当時の様子が書かれた文章を読むと、関係者の興奮ぶりが伝わってくるようです。


そんなことはつゆ知らず・・・・・

 私といえば、この年8歳、小学3年生ということになります。もちろん当時偉大なギタリストが来日していることなど知る由もありません。私がセゴヴィアの名前を知るようになるだけでも、まだ10年ほどかかります。ギターはほんの少し、「ミ、レ、ド」だけ弾けたかも知れません。



3度目の来日(1980年)

 次の来日(3度目)となるのが1980年。この年には私は29歳、まがりなりにもすでにこの仕事に就いており、生徒さん10名ほどと新宿文化センターに聴きにゆきました。これが世紀のギタリスト、アンドレス・セゴヴィアを聴いた最初で最後の機会です。

 セゴヴィア3度目の来日の話を聴いた時には、とても驚きました。この時セゴヴィアはすでに80歳を越えており、演奏活動はある程度行っているとはいえ、もう日本まで来てリサイタルを行うことはないだろうと思っていたからです。その時点では、アンドレス・セゴヴィアはあくまでレコード上でのギタリストと思い込んでいました。



新宿文化センターでのリサイタル(7月17日)

 80年の来日では計5回のコンサートと、さすがに演奏回数は前回に比べて少なくなりました。私はこのうち、7月17日の新宿文化センターでのリサイタルを聴きました。新宿文化センターは1000人以上は入る、ギターのコンサートではちょっと大きすぎる感じでした。



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1980年の来日時のセゴヴィア。 
楽器はホセ・ラミレス4世かな? ホセ・ラミレスには間違いないが




感動的な拍手、でも音は遠い

 セゴヴィアがステージに現れると客席からはもの凄い拍手が沸いたのを記憶しています。その拍手は巨匠セゴヴィアへの敬意であるとともに、ギター史の現場に立ち会うことの出来るという感激も表していたのでしょう。

 演奏が始まると、会場の関係か、見た目以上にギターの音が遠く感じます。セゴヴィアの演奏を小さなホールで聴きたいなどということは贅沢すぎることなのでしょう。LPなどで聴くダイナミックなセゴヴィアの音は、ここでは聴くことは出来ませんでした。


若干の不安はよぎるが、セゴヴィア・トーンは健在

 巨匠セゴヴィアとはいえ、何分この年齢(87歳)のギタリストのリサイタルを聴くことなどありえないことなので、誰しも若干の不安はよぎるところでしょうが、演奏全体としてはかなり落ち着いた感じでした。これも会場の関係かも知れませんが、細かい音形など多少不明瞭になる部分はあっても、主旋律はさすがによく歌っている感じでした。また「セゴヴィア・トーン」と呼ばれる美しい音も十分に味わうことが出来ました。

 はやりハイドンのメヌエットはいい、セゴヴィアもお気に入りの曲なのだろう。「南のソナチネ」の第2楽章は、はやり「ソナタ第3番」のものを使っている、こちらの方がしっくりくるのだろう。セビーリャは最近になってアレンジを変えたのかな? さすがに若い頃の勢いは影を潜めているが、メロディはセゴヴィアらしく歌っている・・・・・



一つの時代が終わった?

 その後のコンサート評などを読むと、多くの絶賛調のコメントの中に、若干ではありますが、「残念なことに、瞬間の美しさ、変化の精妙さに魅せられても、音楽全体としては、活気ある表情に乏しく、強い緊張感が生まれてこない・・・・・・・」 あるいは「セゴヴィアのまねをするのは非常に危険なのです・・・・・一つの時代が確実に終わったのです」などと、ちょっと微妙な表現も見られます。

 はやり時代は変ったのでしょう、この時代には、セゴヴィアは確かに偉大なギタリストではあるが、あくまで前時代のギタリスト、といった位置付けに変ってきたようです。時代はジュリアン・ブリーム、ジョン・ウィリアムス、そしてバルエコ、セルシェルが台頭し、アサド兄弟も話題にのぼりはじめ、さらに山下和仁、福田進一・・・・・・・



93歳まで演奏活動

 セゴヴィアはさらにその2年後に4度目の来日をしますが、私はこの時は聴けませんでした。セゴヴィアは亡くなる前年、つまり93歳となる1986年までステージに立っており、亡くなる当日の朝もギターを弾いていたそうです。セゴヴィアの偉大さの一つとして、この活動期間の異例の長さがあると思います。このことだけをとってもまさに前代未聞、合掌!



 
セゴヴィアの初来日

 セゴヴィアが1929年、1959年、1980年、1982年の計4回来日しているというのは皆さんもご存知のことと思います。初来日は1929年、昭和4年ということですが、この年セゴヴィア36歳。セゴヴィアは1917年頃から次第に世界的にその名が知られるようになり、2年前の1927年にはSP録音も始まりました。この時代、セゴヴィアは活発に世界中で演奏活動を行い、まさに売り出し中のギタリストといった頃だったでしょう。

 東京および関西方面で計9回のリサイタルを行ったとのことですが、当時の日本のギター界からすれば、桁はずれの演奏レヴェルに誰しもが驚いたそうです。当時の日本ではギターにスチール弦を使用していたとことにセゴヴィアは驚き、またこの時ガット弦の存在を知った日本のギタリストも多くいたそうです(もちろんナイロン弦などまだない)。

 もっともバリオスもスティール弦を使用していたらしいので、ガット弦は、この時代ではヨーロッパ以外ではなかなか入手しにくかったのでしょう。

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初来日(1929年)の頃のセゴヴィア


 セゴヴィア初来日時の、1929年11月2日大阪朝日会館で行われたリサイタルのプログラムをなるべく原文どおりの表記で書いておきます。



  プログラム (第2回)


1.A)ソナティナ・・・・・・・・・・・・ジュリアニ
  B)主題による変奏曲・・・・・・ソール
  C)組曲キャステラナ・・・・・・トルロバ
       セゴヴィアの為に作曲
    (イ)プレリュウド
    (ロ)アラダ
    (ハ)ブカレスク
  D)エボケイション・・・・・・・・・タレガ

 
2.
  A)プレリュウディオ
  B)アレマンデ
  C)サラバンド
  D)クウランテ
  E)ガボッテ・・・・・・・・・・・(以上5曲)J.S,バッハ
 
  F)グラシュウス・・・・・・・チャイコフスキー

3.
  A)セヴィラナ(セゴヴィアの為に作曲)・・・・・テュリナ
  B)ト調ダンツァ・・・・・・・・グラナドス
  C)カディス
  D)セレナアタ
  E)セヴィラ・・・・・(以上3曲)アルベニス



意外と原語の発音に近いカタカナ表記 

 若干時代を感じさせるカタカナ表記で、突っ込みどころもいろいろあるかも知れませんが、意外と現在のもよりも実際の発音に近い表記もあります。セゴヴィアは「セゴヴィア」、タレガは「タレガ」と表記されています。「セゴビア」とか「タルレガ」と表記されるようになったのはその後のようですね。「トロバ」も”その気”になって「トルローバ!」と発音するとスペイン語ぽく聴こえるかも?



イボケイション? 主題による変奏曲?

 第1部で、「イボケイション」とあるのは「アランブラの想い出」のことのようです。セゴヴィアはこの名前でプログラムを送ったのでしょうね、もちろん「アランブラの想い出」と言う名はこの当時からありました。

 「主題による変奏曲」ではなんだかさっぱりわかりませんが、有名な「モールアルトの『魔笛』の主題による変奏曲」のことのようです。セゴヴィアは「モーツァルト」と言う名も「魔笛」と言う言葉も添えなかったのでしょうね。


演奏が始まらないと正確にはわからない

 セゴヴィアが自分のプログラムを細かく、あるいは正確に書かなかったのはこの時でけでなく、その後もずっとだったようです。一応事前にプログラムがわかっていても実際にどの曲が弾かれるかは演奏が始まってみないとわからないということもよくあります。80年代の来日の時もそうでした。

 バッハの曲については、実際にどの曲が演奏されたかは記述等がないのでわかりません。ジュリアニの「ソナティナ」は「ソナタハ長調作品15」の第1楽章「アレグロ・スピリット」。「テュリナ」は「ホアキン・トゥリーナ」。グラナドスの「ト調ダンツァ」は「スペイン舞曲第10番」、アルベニスの「セレナアタ」は「グラナダ」。
 
 プログラム全体を見ると、その後のものと基本的にはあまり変りません。もちろんその後セゴヴィアのレパートリーに加えられた作品も多数ありますが、基本的な部分はこの時代にすでに確立しているようです。日本人のギタリストがこれと同レヴェルのプログラムでリサイタルを行うようになるのはまだまだ先のこと。 

 
CDコンサート行いました

 今日(4月8日)私のギター・スタジオで予定のCDコンサート「バリオス&リョベット」を行いました。駐車スペースの関係上、定員10名ということでしたが、結果的には12名の方に来ていただきました。それにしてもよく車止められましたね、上手くやると何とか止められるものかもしれませんね。でもご近所には若干ご迷惑だったかも、ただほとんど車の出入りするところではありませんが。

 プログラムの方は、今回のコンサート用にあらかじめCDに編集しましたが、やはり聞いて欲しい曲や演奏は多く、かなり絞ったつもりでしたが、時間の関係上、4分の1くらいは省略せざるを得ませんでした。

 ほとんどの人は私のブログを読んだ上で来ていただいたと思いますので、だいたいの内容はすでに把握していたのではないかと思いますが、実際に初期のSP盤の、それこそノイズの彼方からかすかにギターの音が聴こえてくるような録音を聴いてどういった感想を持ったのでしょうか。また同時に現代のギタリストによる演奏も聴いてもらったわけですが、それらとの違いをどう感じたでしょうか。

 今回は終了時間が12:30(開始が10:00)と、食事の時間になり、また午後から別の用事がある方も多く、すぐ解散となってしまったので、終了後の雑談などが出来なかったのは少々残念。


6月3日(日)にセゴヴィアの没後25年記念のCDコンサート

 当ブログのほうではすでにアンドレス・セゴヴィアの話が始まっていますが、今年の6月2日(土)はセゴヴィアの没後25年、つまりセゴヴィアが亡くなってから4半世紀となります。日程的に問題がなければ、翌6月3日(日)にセゴヴィアのCDコンサートを行いたいと思います。
アンドレス・セゴヴィア(Andres Segovia 1893~1987)

 アンドレス・セゴヴィアと言えば、泣く子も黙る(?)20世紀の大ギタリスト。ギターファンの皆さんでしたら、あえてお話することもあまりないかも知れませんが、しかしセゴヴィアを語らずして、この「20世紀の巨匠たち~ギター史を創ったギタリスト」と言うタイトルは成り立たない! そういった訳で今回からはまさに世紀の大ギタリストと言うべき、このギタリストを取り上げます。


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私が巨匠セゴヴィアの存在を知ったのは

 私事で恐縮ですが、私がセゴヴィアの名を知るようになったのは大学のギター部に入ってからのことです。その8年くらい前からギターは一応弾いていたのですが、8年間はこの世紀の大ギタリストの名前すら知らずにいたわけです。最初にその演奏(と言ってもレコードですが)を聴いたのはギター部の先輩のところでだったと思います。

 「今現在、世界で最も有名で、評価の高いギタリスト」と言ったような先輩の言葉もあって、その演奏が優れているとか、そうでないとか、そんなことは一切考えず、ただただ「今、世界で一番のギタリストの演奏というものは、こういうものなのか」と聞き入っていたように思います。


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私が最初に買ったセゴヴィアのLP「プレイズ」。 ハイドンのメヌエットやマラッツのセレナードが入っていて、私が最もよく聴いたセゴヴィアのLP。ジャケットは1960年代後半の再発のもので、初出のものではない。


ただレコードを聴かせてもらうためだけに

 当初は自分でLPを持ってなく、カセットとかMDというものもなかった時代ですから、LPを持っているギター部の先輩の家などに聴かせてもらいに行っていました。そうした先輩たちは、その後輩の来訪を、一応歓迎はしてくれましたが、ほとんどしゃべりもせず、ただLPに聴き入って、時には何回も繰り返させるその後輩に、本当は迷惑していたでしょう。さらに聴くだけ聴くと、さっさと帰ってしまう・・・・・

 その後は自分でもセゴヴィアのLPを買って聴くようになりましたが、もちろん買える枚数には限りがあり、同じLPを何回も何回も繰り返して聴いていました。当然のことながら、セゴヴィアのちょっとした”弾き癖”にいたるまで、その演奏を覚えてしまい、自分でその曲を弾く頃には、ほとんどセゴヴィアのコピーのようになってしまいました。


私の師、松田晃演先生はセゴヴィア直系

 私のギターの師の一人に松田晃演先生がいます。松田先生はセゴヴィアから直接指導を受け、セゴヴィアの高弟と言われています。松田先生の演奏を聴いた人は、おそらく誰しもその演奏にセゴヴィアの影響を強く感じるのではないかと思います。セゴヴィア直系のギタリストといって過言ではないでしょう。

 しかし私は松田先生には学生時代の1972年~1973年にかけて、実質8ヶ月ほどしか習ってなく、私自身では松田先生を通じてセゴヴィアの奏法、およびその音楽を継承しているとは、残念ながら言えません。まあ、形の上だけはセゴヴィアの孫弟子にあたるのでしょうが・・・・・


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私が習っていた頃(1970年代)の松田晃演(まつだあきのぶ)先生


自分のレッスンだけで帰ったのでは

 当時松田先生は演奏家としても、また後進の指導者としてもたいへん評価が高く、先生の東京目黒のマンションには私と同年代(20歳前後)くらいの生徒さんがたくさん来ていました。生徒さんがたくさんいるので、一人あたりのレッスン時間は15分程度だったのではないかと思います(短く感じただけかも知れませんが)。

 私の場合水戸から月に3回、常磐線で通っていましたので、その短い自分のレッスンだけで帰ってしまったのでは割があわない。そこで自分の番が回ってくるまではもちろんですが、自分のレッスンが終わってからもしばらく残り、他の人のレッスンをテキストを見ながら聴いていました。他の人のレッスンを聴いているだけでも、自分がレッスンを受けたような気になれました。いつも3時間くらいは先生のレッスン室にいて、自分のレッスンの前後に他の人のレッスンも聞いていました。



簡単な単旋律でも、細心の注意で表情付け

 実際にレッスンを受けてみると、松田先生のレッスンでは入門者が弾くような、ごく簡単な単旋律でもちゃんと意味合いを考え、出来るだけ表情豊かに弾くということを要求されました。初めてレッスンを受けた時など、全く予想も付かないことばかりの内容で本当に面食らいました。一見何でもなさそうな音形に、音色をコントロールし、間の取り方を変え、強弱を付け、アポヤンド、アルアイレ奏法や、右手のポジションを変えたり。 

 ・・・・・・松田先生のレッスンについてはお話したいことがたくさんありますが、長くなりますのでまた別の機会にいたしましょう。




セゴヴィアは30数枚のLPを残している

 セゴヴィアの残した録音は、かつてのSP盤をLPに復刻したものを含めて、30数枚のLPがあります。最後の録音は1970年代なので、デジタル録音や、最初からCDとして出されたものはありません。今現在私の手元には、それらのうちの約半数、つまり17~8枚ほどあります。それらの中には自分で買ったものではなく、知人などからいただいたものや、よくわからないがいつの間にか私の手元にある、などというものもあります。


ほとんどのものはCDとして復刻されているが

 セゴヴィアが残した録音は、現在ほとんどのもながCDとして復刻されていますが、多くのものは収録時間の関係で曲目などが入れ替えられています。国内盤などでは、演奏されている作品の、時代や作曲者などによって編集し直されていますが、セゴヴィアの全く異なる録音時期のものが同一のCDに入ってしまうのはちょっと違和感があります。


本来はオリジナルの曲順で聴くべきだと思うが

 セゴヴィアのLPの場合、一見統一感のないようなプログラムであっても、やはりセゴヴィアなりのプログラミングあり、一つのLPは、一つのリサイタルのようになっているので、セゴヴィアのCDはやはりオリジナルのLPの曲順で聴くべきでしょう。「作曲家ごとにまとめる」という発想は20世紀末的な考えで、セゴヴィア的とは言えないでしょう。

 一部のLPはオリジナルの曲順、オリジナルのジャケット(縮小した)でCDに復刻されていますが、今後すべてのLPがオリジナルどおりに復刻されるのではないかと期待しています。

 これからそれらのCDを紹介して行くわけですが、次回はセゴヴィアの来日時の話、私が聴いたセゴヴィアのリサイタルのもよう、さらにはセゴヴィアの生い立ちなどについて話してゆこうと思います。



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私が持っているセゴヴィアのCD、全部で30枚ほどある。 セゴヴィアの残した録音のほとんどがカヴァー出来ている思うが、晩年の1970年代の録音がないのが残念。