ギター協奏曲ホ長調
ルイジ・ボッケリーニ ~カサド編曲 : ギター協奏曲ホ長調*
J.S.バッハ : チェロ組曲第3番
*指揮エンリケ・ホルダ シンフォニー・オブ・ザ・エア

チェロつながりの一枚
このLPはセゴヴィアがデッカに移籍してから2枚目の協奏曲の録音となりますが、A面がボッケリーニのチェロ
協奏曲からの編曲、B面はバッハの無伴奏チェロ組曲となっています。”チェロつながり”の一枚と言えるのでしょう。
ボッケリーニの協奏曲はチェリストのガスパル・カサドの編曲ですが、ボッケリーニは自らの弦楽五重奏曲をギター五重奏に編曲していて、その延長としてチェロ協奏曲をギター協奏曲に編曲したのでしょう。
やや印象は弱い
ボッケリーニのチェロ協奏曲は全部で13曲あるそうですが、この曲はその第6番二長調(ギター版ではホ長調)にあたりますが、残念ながら原曲を聴いたことがありません。この録音を聴いた感じでは協奏曲としては若干おとなしい感じで、前に録音したロドリーゴやポンセの協奏曲に比べると、やや印象の弱い感じは否めません。楽譜も出版されているそうですが、今のところ他のギタリストによって演奏されてはいないようです。
ファン待望の「無伴奏チェロ組曲第3番」全曲録音
バッハのチェロ組曲第3番のほうがオリジナルのLPではB面ということになっていますが、このLPの購入者としてはこちらのほうが目当てだったのでしょう。セゴヴィアはこれまでもこの組曲の中からクーラントとブーレ(ルールの曲名でだが)を録音していて、ファン待望の無伴奏チェロ組曲の全曲録音といったところでしょう。なおセゴヴィアがバッハの組曲などを全曲録音(おそらく演奏も)しているのは、この曲のみです。
デュアート版使用だが、海賊版(耳コピー版?)が横行
ギターへの編曲はイギリスの作曲家ジョン・デュアートで、原調ハ長調をイ長調にして編曲しています。1960~70年代にかけて、この編曲譜に近いものが国内で出版されていましたが、いわゆる海賊版的なものだったのでしょう、おそらくセゴヴィアの演奏をコピーしたもののようです。
でもこのイ長調版が世界標準
いずれにしてもこの編曲は、正規のデュアート版を使用するにせよ(少数派だが)、海賊版を使用するにせよ(多くの場合それとは知らずに)、当時多くギター愛好家に親しまれたは確かで、ギターでこのチェロ組曲第3番を弾くということはイ長調のこのアレンジを使うのが常識となっていました。このアレンジは若干19世紀、あるいは20世紀的な響きも感じられますが、ポンセのアレンジ(チェロ組曲第1番のプレリュード)ほど音の追加は多くありません。
一応正規版を買った
因みに私も海賊版使用派でしたが、若干の後ろめたさから最近になってデュアート版を”ちゃんと”買いました。ただし80年代の改訂版ということで、このLPのバージョンとは若干違っています。
現在ではト長調版も
純粋にチェロとギターの音域の違いを考えると、イ長調ではなく、1音低いト長調のほうがベストなのではと思いますが、確かに最近では福田進一氏のようにト長調で弾いているギタリストも出てきました。因みにバッハ自身では、楽器を変えてアレンジする場合、移調するのが常で、原調にこだわる必要は全くないと思います。
年輪を感じる落ち着いた演奏
さて、セゴヴィアの演奏は、当然と言えば当然かも知れませんが、過去のバッハの演奏に比べ、かなり落ち着いたものになっています。テンポもゆっくり目で、これまで何度も録音してきたクーラントも3分21秒で、1944年の録音に比べると36秒ほど遅く弾いています。
演奏も音質もマイルド
またかつては特定の音に付けられた強いアクセントもあまり聴かれなくなり、また録音技術の向上により、音質も当然ながらかなり良くなり、これまでのバッハの録音に比べると、いろいろな意味でマイルドになっています。
ブーレも1954年にタレガ編の”ルール”として演奏されたものに比べると音域が5度低く、さらにテンポもゆっくりになり、かなり落ち着いたものになっています。しかし落ち着いた反面、若干物足りなさを感じる人もいるかも知れません。
セゴヴィアにしてはかなりインテンポ
さらによく聴くと全曲通じて、セゴヴィアの演奏にしてはかなりイン・テンポで演奏されています。特に初めての録音である「サラバンド」や「ジグ」などはほぼ完璧にイン・テンポといってよいでしょう。サラバンドでは付点音符や長い音符でもほぼ正確な長さで演奏されています。
これまでのセゴヴィアの演奏、特にソルなどの演奏からすると考えられないところですが、セゴヴィアとしてはバッハの音楽を最大限に尊重したということなのでしょうか、あるいは時代の流れと言うことなのでしょうか。確かに1960年代のクラシック音楽界では”楽譜に忠実に”ということが盛んに言われていた時代です。
ガンコ親父が・・・・
といった訳で、このバッハの録音はあまり”クセ”がなく、また音質もよく、たいへん聴きやすいものと言えなくもないのですが、その一方で何か物足りなさも感じてしまうのも確かです。頑固一徹のオヤジが、急に周囲の人たちの言うことを聴くようになってしまったような・・・・
セゴヴィアには時代様式だの、楽譜に忠実だのとは言ってほしくない? ちゃぶだいをひっくりかえしてほしい?
ルイジ・ボッケリーニ ~カサド編曲 : ギター協奏曲ホ長調*
J.S.バッハ : チェロ組曲第3番
*指揮エンリケ・ホルダ シンフォニー・オブ・ザ・エア

チェロつながりの一枚
このLPはセゴヴィアがデッカに移籍してから2枚目の協奏曲の録音となりますが、A面がボッケリーニのチェロ
協奏曲からの編曲、B面はバッハの無伴奏チェロ組曲となっています。”チェロつながり”の一枚と言えるのでしょう。
ボッケリーニの協奏曲はチェリストのガスパル・カサドの編曲ですが、ボッケリーニは自らの弦楽五重奏曲をギター五重奏に編曲していて、その延長としてチェロ協奏曲をギター協奏曲に編曲したのでしょう。
やや印象は弱い
ボッケリーニのチェロ協奏曲は全部で13曲あるそうですが、この曲はその第6番二長調(ギター版ではホ長調)にあたりますが、残念ながら原曲を聴いたことがありません。この録音を聴いた感じでは協奏曲としては若干おとなしい感じで、前に録音したロドリーゴやポンセの協奏曲に比べると、やや印象の弱い感じは否めません。楽譜も出版されているそうですが、今のところ他のギタリストによって演奏されてはいないようです。
ファン待望の「無伴奏チェロ組曲第3番」全曲録音
バッハのチェロ組曲第3番のほうがオリジナルのLPではB面ということになっていますが、このLPの購入者としてはこちらのほうが目当てだったのでしょう。セゴヴィアはこれまでもこの組曲の中からクーラントとブーレ(ルールの曲名でだが)を録音していて、ファン待望の無伴奏チェロ組曲の全曲録音といったところでしょう。なおセゴヴィアがバッハの組曲などを全曲録音(おそらく演奏も)しているのは、この曲のみです。
デュアート版使用だが、海賊版(耳コピー版?)が横行
ギターへの編曲はイギリスの作曲家ジョン・デュアートで、原調ハ長調をイ長調にして編曲しています。1960~70年代にかけて、この編曲譜に近いものが国内で出版されていましたが、いわゆる海賊版的なものだったのでしょう、おそらくセゴヴィアの演奏をコピーしたもののようです。
でもこのイ長調版が世界標準
いずれにしてもこの編曲は、正規のデュアート版を使用するにせよ(少数派だが)、海賊版を使用するにせよ(多くの場合それとは知らずに)、当時多くギター愛好家に親しまれたは確かで、ギターでこのチェロ組曲第3番を弾くということはイ長調のこのアレンジを使うのが常識となっていました。このアレンジは若干19世紀、あるいは20世紀的な響きも感じられますが、ポンセのアレンジ(チェロ組曲第1番のプレリュード)ほど音の追加は多くありません。
一応正規版を買った
因みに私も海賊版使用派でしたが、若干の後ろめたさから最近になってデュアート版を”ちゃんと”買いました。ただし80年代の改訂版ということで、このLPのバージョンとは若干違っています。
現在ではト長調版も
純粋にチェロとギターの音域の違いを考えると、イ長調ではなく、1音低いト長調のほうがベストなのではと思いますが、確かに最近では福田進一氏のようにト長調で弾いているギタリストも出てきました。因みにバッハ自身では、楽器を変えてアレンジする場合、移調するのが常で、原調にこだわる必要は全くないと思います。
年輪を感じる落ち着いた演奏
さて、セゴヴィアの演奏は、当然と言えば当然かも知れませんが、過去のバッハの演奏に比べ、かなり落ち着いたものになっています。テンポもゆっくり目で、これまで何度も録音してきたクーラントも3分21秒で、1944年の録音に比べると36秒ほど遅く弾いています。
演奏も音質もマイルド
またかつては特定の音に付けられた強いアクセントもあまり聴かれなくなり、また録音技術の向上により、音質も当然ながらかなり良くなり、これまでのバッハの録音に比べると、いろいろな意味でマイルドになっています。
ブーレも1954年にタレガ編の”ルール”として演奏されたものに比べると音域が5度低く、さらにテンポもゆっくりになり、かなり落ち着いたものになっています。しかし落ち着いた反面、若干物足りなさを感じる人もいるかも知れません。
セゴヴィアにしてはかなりインテンポ
さらによく聴くと全曲通じて、セゴヴィアの演奏にしてはかなりイン・テンポで演奏されています。特に初めての録音である「サラバンド」や「ジグ」などはほぼ完璧にイン・テンポといってよいでしょう。サラバンドでは付点音符や長い音符でもほぼ正確な長さで演奏されています。
これまでのセゴヴィアの演奏、特にソルなどの演奏からすると考えられないところですが、セゴヴィアとしてはバッハの音楽を最大限に尊重したということなのでしょうか、あるいは時代の流れと言うことなのでしょうか。確かに1960年代のクラシック音楽界では”楽譜に忠実に”ということが盛んに言われていた時代です。
ガンコ親父が・・・・
といった訳で、このバッハの録音はあまり”クセ”がなく、また音質もよく、たいへん聴きやすいものと言えなくもないのですが、その一方で何か物足りなさも感じてしまうのも確かです。頑固一徹のオヤジが、急に周囲の人たちの言うことを聴くようになってしまったような・・・・
セゴヴィアには時代様式だの、楽譜に忠実だのとは言ってほしくない? ちゃぶだいをひっくりかえしてほしい?
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