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中村俊三 ブログ

中村ギター教室内のレッスン内容や、イベント、また、音楽の雑学などを書いていきます。

アンドレス・セゴヴィア グラナダ  1963年録音

アグアード : 8つの練習曲
ソル : 4つの練習曲(セゴヴィア番号10、15、19、6、)
ポンセ : わが心、君ゆえに(3つのメキシコ民謡第2曲)、カンポ(南のソナチネ第1楽章)
アルベニス : グラナダ
タンスマン : マズルカ
グラナドス :スペイン舞曲第5番


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セゴヴィアのLPの紹介の続き ~1963年の録音、セゴヴィア70歳

 このセゴヴィアのLPの紹介もコンサートなどでだいぶ中断しましたが、残りも10枚程度になってきました。ここまできたので何とか最後の一枚まで続けてゆきましょう。

 セゴヴィアのLPは1957年よりステレオ録音となり、また1960年からは使用楽器もホセ・ラミレスに変りました。この1963年にはセゴヴィアは70歳となります。

 セゴヴィアの演奏は60年代に入ると、だいぶ落ち着いた感じになってきました。依然として小品集的なLPも発表していますが、一人の作曲家などに絞ったLPや大曲を収めたものも次第に多くなってきます。この60年代には、セゴヴィアは現在ギター界でも重要なものとされる作品を次々と発表してゆきます。



練習曲とメロディックな曲の組み合わせ

 この「グラナダ」と題されたLPはA面はアグアードとソルの練習曲、B面は近代以降のメロディックな作品と言う形となっています。ソルの練習曲はこれまでにもかなり録音してきましたが、アグアードの練習曲は初めてです。

 セゴヴィアは1954年ころから自らが編集した「ソル20の練習曲」の曲を少しずつ録音してきましたが、このLPがその最後のようです。最終的にセゴヴィアは20曲全部録音したのでしょうか、かつてセゴヴィア自身の演奏による「ソル:20の練習曲」全曲を収めたLPを聴いたことがあるのですが(先輩などから借りて)、復刻CDのほうでは全曲揃っていません。ジョン・ウィリアムスが20歳前後で全曲録音していて、そのLPは持っています(CD化はされていない?)

 練習曲といえば、セゴヴィアは1970年頃に自らの語りを納めた2枚のLPにもアグアード、ジュリアーニ、コストなどの練習曲を録音しています。


リョベットの影もそろそろ

 このLPの後半、つまりB面には上記のリストのポンセ以降の曲が収められていますが、前半の練習曲集に対して、こちらはメロデッィクで聴きやすい曲が収録されています。

 ポンセの「3つのメキシコ民謡」の第2曲「わが心、君ゆえに」はリョベットも録音していますが、リョベットよりずっとテンポもゆっくりで落ち着いた感じで、じっくりと歌わせています。さすがにセゴヴィアの演奏の中からリョベットの影は次第に薄くなりつつあるようです。因みに第3曲は1954年に録音されていますが、第1曲は録音されていません(多分)。

 「南のソナチネ」から第1楽章のみを録音しています。セゴヴィアはポンセのソナタを全曲通して録音する場合と、このように一部の曲を録音する場合があります。



グラナダは3度目の録音

 アルベニスの「グラナダ」はタイトルにもなっている曲ですが、セゴヴィア3度目の録音となり、また最後の録音ともなっています。テンポは1944年の録音に比べると1分以上も遅くなって、だいぶ落ち着いた感じになっています。もちろん録音状態もかなり良くなっていて、たいへん聴きやすいのは確かです。



タンスマンのマズルカ

 タンスマンの「マズルカ」は、常に8分音符、または4分音符の持続低音が流れていて、軽快でユーモラスな感じの曲です。タンスマンの作風は決して前衛的な作品ではなく、古典やロマン派の音楽の延長とも言えますが、臨時記号などは多く、派手ではありませんがシンプルな曲ではありません。弾きこなすにはかなり技術が必要でしょう。


ちゃんと付点音符を弾いている?

 この時期のセゴヴィアは、こうした新しい曲を演奏する時には、不要なテンポや強弱のデフォルメはあまり行なわず、楽譜、あるいは作曲者の意図になるべく忠実に演奏する姿勢が感じとれます。確かにこの演奏も、曲の内容がよく伝わるものになっています。

 この曲では付点音符も正確な長さで演奏されています。これまでセゴヴィアは曲によって、付点音符を全く付点音符として弾いて否こともよくあります。この曲では、むしろ所によっては付点音符でないとこも付点音符で弾いています(正確な付点音符で)。



1965年にも録音している

 セゴヴィアは1965年には9曲からなる「ポーランド組曲」を録音していますが、その際にこの「マズルカ」を中に挟みこんでいます。もちろん別テイクで、65年の録音ではリピートを省略しています。両者を比べると、65年の時のほうがよりセゴヴィアらしく、メリハリの利いた演奏と言えます。決して崩し気味に弾いているわけではありませんが65年のほうが”彫”は深くなっています。
 

スペイン舞曲第5番は4回目の録音

 グラナドスの「スペイン舞曲第5番」は4度目の録音で、まさにセゴヴィアの愛奏曲といえるでしょう。グラナダ同様テンポは以前の録音と比べるとずっと遅くなり、1944年には3分台だったのが5:08で演奏しています。その代わりに音色の変化など、細かいニュアンスに意識がいっているようです。またそうしたものがよく聴き取れる録音となっています。
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本日はたいへんありがとうございました

 今日ひたちなか市「アコラ」でのジヴェルニー・コンサートにおいて、愛好者の演奏に引き続き、私のミニ・コンサートを行ないました。曲目等は前の記事で書いたとおりです。なおアンコール曲としては、

ハイドン : 「メヌエット」~交響曲第96番「奇跡」より(セゴヴィア編曲)
ラモー  : 「メヌエット」~オペラ「プラテー」より


以上の2曲でした。




「あまり無理すんなよ」と・・・・

 今日のプログラムは、バッハの曲を除けば難曲と言える曲はあまりなかったのですが、でも練習すればするほど、あるいはコンサートが近づくほどもっと練習期間が欲しかったなと感じます。もっとも練習などというのはきりのないもので、「これで十分」などということはないのでしょう。

 近いうちにまた練習し直して再演したいなとは思うのですが、その一方ではこれまで演奏したこのない曲にも挑戦してゆきたいとも思っています、困ったものですね。「オマエ、もうそこそこいい歳なんだから、あまり無理するなよ」と、どこからともなく聴こえてきそうですが・・・・・

 そうこうしているうちに次はバッハ・リサイタルです。明日から、というよりもう今日これからすぐにでも練習に取り掛からないと・・・・



先生が変ると公式が変る?

 コンサートの後二人の方のワン・レッスンを行いましたが、おそらく今までの先生と言っていることがまるで違うので困惑したかも知れませんね。数学の授業だったら先生が変ったからといって、公式や定理が変ったりすることは絶対ありえないと思いますが、ギターのレッスンの場合は、教える方が変ると、今まで正しいと言われていたこが正しくなくて、間違いと言われていたことが正しい、つまり”白が黒”と言われることも十分ありえます。

 他の楽器や、他の芸術分野でも同じことかも知れませんが、ギターの場合は、特にその振幅が大きいかも知れません。また個人で違うだけでなく、ギターの場合、10年、20年すると、演奏に関する常識そのものも変ってしまいます。

 習う側からすれば、これはちょっと困った問題ではあると思いますし、教える側からすれば考えなければならないことでもあると思います。でも裏を返せば、ギターというのはクラシック音楽界の中でも数少ない”現在進行形”の分野なのだと思います、つまりまだまだ発展の可能性のある分野とも言えるのでしょう。
ヘンデル : メヌエット

 ヘンデルの3曲目はタレガ編のヘンデルの「メヌエット」です。原曲はオラトリオ「サムスン」からの曲だということですが、私は原曲を聴いたことがありません。タレガの編曲は生前(1907~1909年頃)に出版され、セゴヴィアは1952年に録音しています。軽快でなかなか魅力的な小品ですが、「アイレスフォードの8つの小品」のメヌエットよりもやや長めです。




バッハ : リュートのためのプレリュード、フーガ、アレグロ


ホントにリュートのための曲?

 今回のコンサートの最後の曲はバッハのリュートのための作品からです。バッハには「リュートのため」とした作品がいくつかありますが、これらには若干説明が必要で、単純に「リュートのための作品」と言えないところもあります。

 バッハの遺品の中にはリュートも含められ、バッハがリュートを所持していたのは確かです。また上記のとおり「リュートのため」と記された作品を編曲も含めれば組曲4つ以上書いており、リュートには深い関心があったのも確かです。


バッハはリュートが弾けた?

 バッハは作曲だけでなく鍵盤楽器や弦楽器などの名手としても知られていましたから、リュートもある程度弾けたことは想像出来ますが、一方で、自らの作品を弾けるほど技術があったどうかは否定的です。そうしたものを身に付けるのは、バッハといえどそれなりの時間が必要となるでしょうから、バッハにそういった時間があったとは考えにくいところです。


実際には鍵盤用の譜面になっている

 前述のとおりバッハの作品の中には「リュートのために」と書かれた作品がいくつか残されているのですが、バッハが実際に書いた譜面は、当時リューティストが普通使っていたリュート用のタブラチュアではなく、鍵盤用の2段譜となっています。

 これらの曲の一部はリュート用のタブラチュアとして書かれているものも残されていますが、これらは主に同時代のリュート奏者などが鍵盤譜から書き換えたものです。


当ブログでも時々話題となるラウテンヴェルク

 バッハはリュートに似た音が出せるチェンバロの「ラウテンヴェルク」を考案し楽器職人に作らせています(これも遺品として残されている)。現在ではこれらのバッハの作品は、この「ラウテンヴェルク」のための作品とされています。

 したがって、これらの作品はリュートのための作品というより、鍵盤楽器のための作品ということになるのでしょう。しかし”本物”の鍵盤用の曲とは違って、リュートで演奏を想定して書かれた印象は確実にあります。例えばこれらの曲には複数の声部が16分音符などで忙しく動き回るなどという部分は出てきません。上声部が細かい音形で書かれているところはバスなどは比較的おとなしく動いています。そうでなければ”リュートっぽいチェンバロ”で弾いてもリュートっぽく聴こえないでしょう。


一応リュートでも弾くことを想定した

 おそらくバッハとしては多目的に「出来ればリューティストによりリュートのタブラチュア譜面に書き換えてリュートで演奏してほしいが、それが出来なければリュートに似た音の出せるチェンバロの 『ラウテンヴェルク 』で弾けばよい」と考えていたのではないかと思います。

 実際にそのように他のリューティストがタブラチュアに書き換えて演奏したであろうと思われる曲もあるのですが、それらはバッハの「リュートのために」と書かれた曲の一部の曲で、フーガなどの難しい曲はほとんど手付かずの状態だったようです。バッハとしてはリュートの特性を考えてかなり”手加減”したつもりなのでしょうが、やはり難しすぎたようです。もっとも現在ではバッハのリュートのための作品はリューティストもギタリストも当たり前のように弾いています。


リュートも弾けることを自慢した?

 因みに、話によると、バッハは客人などがいる時に、カーテンごしにこのラウテンヴェルクで自らの作品を弾き、リュートを弾いているように見せかけたそうです(本当かどうかはわかりませんが)。もしかしたらリュートも弾けることを自慢したかったのかも知れませんね・・・・


このプレリュード、フーガ、アレグロは2段譜で書かれたバッハの実筆譜が残されている

 さてこの「リュートのためのプレリュード、フーガ、アレグロ」はバッハの実筆譜が、鍵盤用の2段譜の形で残されていて、そこに「リュートのために」と書かれています。ただし最後の部分はオルガン用のタブラチュアの形になっています。これは紙面が足りなくなったためのようです。


エコ? それともケチ?

 紙をもう一枚用意すれば済むことなのですが、バッハは5線紙をたいへん節約して使う傾向があり、紙を中途半端に使うことを嫌ったのでしょう。バッハは作曲の際、スペースが少しでも余ると、そこに別の曲を書いたりしています。

 エコと言えばエコなのでしょうが、バッハは自らの貴重な名作を、別の曲で余った紙のスペースのあちこちに書き、結果的に名曲の途中部分などが散逸してしまうこともあったようです。バッハの子だくさんとケチは有名ですが・・・・・


現代のリュート、ギター・ファンへのプレゼント

 確かにこの「プレリュード、フーガ、アレグロ」は鍵盤曲的で、ギターやリュートで弾くにはかなり難しいのですが、しかしそれなりの技術があれば不可能ではないでしょう。おそらくバッハの生存中リュート(本物の)で演奏されることはなかったようですが、現在の私たちギタリストへのバッハからの最高のプレゼントと考えましょう。
<10月27日アコラ・ミニ・コンサートの曲目紹介>

ロベルト・ド・ヴィゼー : エントラーダとジーグ


セゴヴィアの改作とセゴヴィアの自作

 10月27日に予定しているアコラでのミニ・コンサートの曲目紹介の続きです。この「エントラーダとジーグ」はバロック時代のフランスのギタリストのロベルト・ド・ヴィゼーの作品となっていますが、セゴヴィアのLPの紹介のところでもお話したとおり、これには若干説明が必要です。

 私がこのような形で表記したのは、1944年のセゴヴィアの録音によるもので、実際には、「エントラーダ」はド・ヴィゼーの二短調組曲のメヌエットⅠをセゴヴィアがアレンジしたもの、「ジーグ」の方はセゴヴィア自身の作曲です。

 「エントラーダ」とは「イントロダクション」つまり導入部ということで、おそらくセゴヴィアが改題したものと思われます。メヌエットは本来は軽快な舞曲ですが、セゴヴィアは若干音を厚くし、テンポも遅めにとっています。1944年の録音では、この「エントラーダ」と自作の「ジーグ」を組み合わせて演奏しています(どちらもド・ヴィゼー作曲として)。


セゴヴィア自身3回録音している愛着の強い曲

 「ジーグ」の方はセゴヴィアは3度録音していて、最初(1939年)はフローベルガー作、2度目(1944年)はド・ヴィゼー作、そして3度目(1961年)は作者不明とし、曲名の「ジーガ・メランコリア」としています。さすがに3回目は他の作曲家の名を借りるのは気がひけたのでしょうか。細かく見ると3度目の「ジーガ・メランコリア」のほうは以前のものに比べ、1小節ほど長くなっています。

 セゴヴィアには「光のない練習曲」など正式に自分の作品としたものもあるのですが、セゴヴィア自身では正式に”認知”していないこの「ジーグ」の方にいっそう愛着があるようです。


バロック時代の様式を踏まえて作曲されている

 今回は前述のとおり、1944年の録音に従って、この2曲を演奏します。因みに「ジーグ」はバロック持代の作曲様式を踏まえ、対位法的に書かれていて、小品ですがなかなか魅力的な曲です。なおどちらの曲も正式に出版されておらず、現在出ている譜面はセゴヴィアの演奏のコピー譜と思われます。




フリードリヒ・ヘンデル : ソナタ二短調

 ヘンデルはドイツに生まれ、イタリアで修行し、イギリスで名声を得たバロック時代の作曲家ですが、当時はバッハなどよりも評価が高かったのではないかと思います。ヘンデルはバッハのようにリュートのための作品は書いていませんが、ハープシコードなどの作品のいくつかはギターにアレンジされて演奏されています。


かつて渡辺範彦さんの演奏で聴いた

 「ソナタ二短調」はセゴヴィアがギターにアレンジした「アイレスフォードの8つの小品」に含まれるものです。セゴヴィアは1967年に録音していますが、私自身では8年ほど前に亡くなった渡辺範彦さんのデビュー・アルバムで聴き、その印象が鮮明です。

 渡辺範彦さんについては、私と同世代の愛好者でしたら説明の必要がないと思いますが、1969年に日本人として初めてパリ国際ギターコンクールで優勝したギタリストです。荘村清志さんなどと同世代ですが、1989年を最後に演奏活動をしなくなり、2004年に世を去りました。今でもその美しい音に魅せられた多くのファンがいるのではないかと思います。


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渡辺範彦さんのデビュー・アルバムの復刻CD(現代ギター社盤) フレスコバルディの「アリアと変奏」、ヘンデルの「ソナタ二短調」、「サラバンド」などが入っている


 渡辺さんはこのようなバロックの小品をよく演奏していましたが、その中では私にとってこの「ソナタ二短調」がもっとも印象的でした。この「ソナタ二短調」も最近ではあまり演奏されることが少なくなりましたが、なかなかメロディの美しい曲です。渡辺さんの演奏のようにはゆかないかも知れませんが・・・・・




ヘンデル : サラバンド

 ギターでもよく演奏されるこの「サラバンド」は「ハープシコード組曲第11番」からのもです。おそらくギターに詳しくない方でもどこかでこの曲、あるいはこのメロディは聴いたことがあるのではないかと思います。


よく知られたメロディ

 このメロディはヘンデルが作曲したというより「スペインのフォリア」として有名なもので、いろいろな人の作品の中に取り入れられています。前述のド・ヴィゼーの「二短調組曲」の「サラバンド」も同じメロディを使っています(映画「禁じられた遊び」にも使われている)。


ほぼ原曲どおり

 ヘンデルの作品ではそのサラバンドに二つの変奏が付いています。私が今回演奏するのはピアノ用の譜面から編曲したものですが、ハープシコード曲としては比較的音が少なく、また音域も狭く、ほとんど原曲どおりにギターで弾くことが出来ます。
昨日(10月19日)横浜市鶴見サルビア・ホールで松田晃演ギター・リサイタルを聴きました。プログラムは以下のとおりです。


L.S.ヴァイス : ロジー伯の墓に
F.ソル : 練習曲作品31-19、 作品35-22、 アンダンティーノ二短調
ポンセ=バッハ : 前奏曲二長調
M.M.ポンセ : 小さなワルツ、 南のソナチネ


スペイン民謡 : 聖母の御子、 プラニー、 レオネーサ
F.M.トロバ : アルバータ
M.C.テデスコ : つばめ、 夕べの鐘~「プラテーロと私」より
F.タレガ : アデリータ、 メヌエット、 パバーナ、 アラビア風奇想曲
I.アルベニス : サンブラ・グラナディーナ、 セビーリャ

 *アンコール曲 ラグリマ(タレガ)、 前奏曲(バッハ~チェロ組曲第3番)


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もうすぐ80歳

 松田先生のリサイタルは、これまで1973年、1980年に聴いていて、今回32年ぶり3回目となります。プロフィル等に先生の生年月日が出ていないので、はっきりとはわかりませんが、先生からのメールによれば、もうすぐ80歳になるのだそうです。


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横浜市鶴見サルビア・ホール  演奏中は撮影出来ないので休憩中にステージだけを撮影


足取りも軽く、情熱的な演奏

 しかしステージ上での軽やかな足取りからはほとんど年齢は感じられません。最初の曲はバロック・リュートの名手、レオポルド・シルビウス・ヴァイスが書いた知人の死を悼む曲ですが、松田先生の演奏はこの冒頭の曲から力強く、情熱的な演奏です。

 この最初の曲からして、見事に予想を裏切られました。先生の年齢からして、また曲の内容からして静かな、落ち着いた演奏を勝手に想像していたのですが、30数年ぶりに聴く松田先生の演奏は、とても熱く、また表情豊かで、音色の変化に富む演奏でした。


右手のポジションを12フレット付近からブリッジまで変えて音色の変化を出す

 特に、音色の変化などはかなり大胆に行なっていて、右手は12フレット付近からブリッジまでかなりの範囲を行ったり来たりしています。またかなり力を込めて発する音も目立ちます。時には多少のトラブルもものともせず、音に気持ちを込めているようにも思えます。



ポンセのすばらしさはセゴヴィア譲り

 今日のプログラムにはポンセの曲が3曲入っていますが、やはりポンセの演奏にはすばらしいものがあります。まさにセゴヴィア譲りと言うべきでしょうか。因みに「南のソナチネ」の第2楽章は本来の第2楽章です(ソナタ第3番の第2楽章ではなく)。


かつてレッスンの合間にに弾いていたアルバータが記憶に残っている

 トロバの「アルバータ=特性的組曲より」を聴くと、東京の目黒でレッスンを受けていた時、松田先生がレッスンの合間に冒頭の部分を弾いていたのを思い出します。とても切れのよい演奏です。「プラテーロと私」はやはり名曲、特に「夕べの鐘」はとても美しく演奏されていました。


アントニオ・トーレス使用

 楽器はトーレスを使用していますが、同じトーレスでもギター文化館のトーレスとはだいぶ違う感じで、特に低音など重厚な響きがします。私がレッスンを受けていた時は、先生はホセ・ラミレスⅢ世を使っていて、その後ハウザーⅡ世になり、現在はアントニオ・トーレスということで、私自身ではこの3つの楽器とも先生のリサイタルで聴いたことになります。

 この中ではやはり最初に聴いたというか、レッスンでも使われていたラミレスⅢ世が一番印象的でした。最初にレッスンを受けたとき、単なる開放弦がとても美しい音で鳴らされ、とても驚きました。当時は開放弦は汚い音に決まっていると思っていました。


相変わらず強い表現意欲、まだまだご活躍

 こうして30数年ぶりに松田先生の演奏を聴いてみると、若い頃感じた印象とちょっと違った点も感じましたが、先生のとても元気な姿、そして相変わらず強い表現意欲を改めて感じました。まだまだご活躍なされることと思います。




ほんのちょっと前まで暑すぎたのに・・・・

 1ヶ月ほど前までは30度を越す日がまだまだ続き、いったい、いつ夏が終わるんだと思っていたら、このところ涼しさを通り越して、ずいぶんとひんやりとしてきました。もともと寒がりの私には、そろそろ暖房が恋しい・・・・ でもこの涼しさというか、チョイ寒というか、この気温にも多少体が慣れたせいか、鼻炎のほうはやや治まってきました。

 さて、先月(9月15日)は水戸ギター・アンサンブル演奏会がありましたが、今月は27日にアコラでミニ・コンサート、そして12月8日はギター文化館でバッハ・リサイタルと、私にとってはコンサート・シーズンともなってきました。



10月27日(土) ジヴェルニー・サロン

10:00~11:30 一般愛好者の演奏

11:30  中村俊三 ミニ・コンサート


 演奏曲目

 チマローザ : ソナタロ短調
 ラモー : メヌエット
 スカルラッティ : ソナタイ長調K322、 ソナタホ短調K11
 ド・ヴィゼー : エントラータ、ジグ 
 ヘンデル : ソナタホ短調、サラバンド、メヌエット
 バッハ : プレリュード、フーガ、アレグロ 

    ひたちなか市アコラ  参加費1500円(要予約)



正統派バロックではないが

 今回のコンサートはご覧のとおり、バロック時代の作品となっていますが、バロック時代の作品といってもバロック時代のギターのための作品ではなく、チェンバロなど他の楽器の曲の編曲となっています。言ってみれば、正統派バロック・ギターではなく、”わけあり”バロックといったところしょうか。ただそれぞれ耳にはたいへんなじみやすい曲であるのは間違いありません。

 最近ではこれらの曲はあまり演奏されなくなっていますが、1960~1980年代くらいまではセゴヴィア、ジュリアン・ブリーム、またわが国では故渡辺範彦さんや荘村清志さんなどがよく演奏していた曲で、私と同年代くらいのギター・ファンでしたら、ついつい懐かしんでしまう曲ではないかと思います。

 

ソナタロ短調(ドメニコ・チマローザ ~小胎剛編曲)

 最初の曲はハイドンより17年後に生まれ、モーツァルトの10年後になくなったイタリアの作曲家、ドメニコ・チマローザ(1749~1801)のソナタロ短調です。年代からすれば”立派に”古典派時代の作曲家なのですが、このソナタなどは、なぜかバロック時代の作品扱いされたりもします。

 チマローザは主にオペラを作曲しており、サリエリの後任としてウィーンの宮廷楽長になっています。代表作としては「秘密の結婚」などがありますが、他にスカルラッティ風の単一楽章のソナタなども残しており、そうしたことがこの作曲家がバロック時代作曲家のような印象をあたえるのでしょう。

 この「ロ短調のソナタ」は20世紀の音楽家によりオーボエ協奏曲に編曲され、一般に知られた曲となりましたが、ギターでは1960年代にジュリアン。ブリームより録音されています。またマヌエル・バルエコなども録音しています。曲全体は装飾音風の音形で出来ていて、確かに古雅な感じがします。



メヌエット(ジャン・フィリップ・ラモー ~アンドレス・セゴヴィア編曲)

 ラモーの「メヌエット」と言えばイエペスが映画「禁じられた遊び」の中で弾いた曲が有名ですが、このメヌエットはそのメヌエットとは別の曲です。原曲はクラブサン(チェンバロ)のための曲で、アンドレス・セゴヴィアがギターの編曲し、1944年に録音しています。ショット社から譜面も出版されており、もう一つのメヌエットに劣らず、なかなか親しみやすい曲だと思います。

 ジャン・フィリップ・ラモー(1683~1764)はバッハやヘンデルなどと同じバロック時代末の作曲家で、フランス宮廷に仕え、主にバレエ音楽付きのオペラなどを作曲しました。「禁じられた遊び」に使われた方のメヌエットは、オペラ「プラテー」の中のバレエ音楽で、セゴヴィアも録音していますが、編曲はセゴヴィアではないようです。


ソナタイ長調K322、ソナタホ短調K11(ドメニコ・スカルラッティ)
 
 スカルラッティのチェンバロ用のソナタは数百曲ほどあり、さらに番号もロンゴ番号(L)とカークパトリック番号(K)と両方あり、なかなか1曲1曲はわかりにくいところです。どちらかに統一してほしいものですが、最近ではほぼ作曲年代順に番号が付けられているという、カークパトリック番号が主流のようです。

 はっきりとはわかりませんが、ギターでスカルラッティのソナタを最初に演奏したのはセゴヴィアのようで、セゴヴィアはこの曲を1944年に録音しています。この曲は原曲はハ短調で確かにギターによく合う感じで、カークパトリック番号からするとスカルラッティの初期の作品のようです。セゴヴィア以外にもイエペス(私が始めて聴いたのはイエペスの演奏)、ブリーム、ウィリアムス、わが国でも渡辺範彦さんや荘村清志さんなどが演奏していて、1960~1970年代ではたいへん人気のあるギター曲でした。



私も昔よく弾いていた

 私自身でも20代前半頃はよく演奏していて、最初のリサイタル(1976年)でも演奏した記憶があります。でもその最初のリサイタルを最後に、以後演奏した記憶はなく、今回の演奏は36年ぶりということになるのでしょうか。スカルラッティのソナタは現在でも多くのギタリストに演奏されていますが、この「ホ短調」は最近ではあまり演奏されないようです。時代を感じさせるからでしょうか、確かに「昔懐かしいスカルラッティ」といえるでしょう。


「ソナタイ長調」ではセゴヴィアはウィリアムスの編曲を使用

 「ソナタイ長調」のほうは明るく軽快な感じの曲で、セゴヴィアも1967年に録音していますが、編曲はジョン・ウィリアムスとなっています。弟子の編曲を使って録音したということでしょうか。今回私が演奏する譜面は直接そのウィリアムス編ではないのですが、その編曲を参考にしたと思われるいくつかの国内版をもとに、原曲のピアノ演奏により若干修正したもので演奏します。

 
アンドレス・セゴヴィア  <プラテーロと私>Ⅰ    1962年 1~2月録音


C.テデスコ : 「プラテーロと私」より
         プラテーロ、憂愁、夕べの鐘、つばめ、子守り

フレスコバルディ : パサカリア、コレンテ
ヴァイス : ファンタジア
ソル : 練習曲イ長調作品6-2、 ホ短調作品6-11
ドノステア : 悩み
ドビュッシー : 亜麻色の髪の乙女
 

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小品集からまとまった作品へ

 この時代のギターのLPと言えば、各時代や様々な作曲家の作品を集めた小品集が主で、セゴヴィアのLPも小品集が中心的でした。しかしセゴヴィアは1950年代半ばころより、徐々に一人の作曲家の作品や、片面を1曲で占めるような大曲を中心としたLPを発表するようになります。

 特に1960年代からは、現在の重要なギターのレパートリーとなる作品をLP上で発表してゆき、このテデスコの「プラテーロと私」もその後、現在に至るまで多くのギタリストに演奏されています。


スペインの詩人が書いたロバと少年(作者の少年時代)の物語 

 この「プラテーロと私」はスペインの詩人ヒメネスが書いた詩集で、プラテーロと言う名のロバと少年(作者)を主人公にしたものです。その中の28編をイタリアの作曲家カステルヌオーヴォ・テデスコがギターと朗読のために音楽を付けました。

 このLP(1961年)に録音されたのはその中から上記の5曲で、1964年にさらに5曲録音し、結果的にセゴヴィアは28曲中、10曲を録音したことになります。これらのLPは朗読はなく、ギターの演奏のみとなっています。


多作家テデスコの傑作ギター曲

 テデスコの作風は、20世紀の作曲家ですがあまり不協和音等を多用するような前衛的な作風でなく、古典的、あるいはロマン派的なものといえるでしょう。そうした作風には、このロバの死を悼む少年の心を描いた作品にはたいへんよく合うようです。

 テデスコはかなり多作家で、ギター曲だけでもかなりの量がありますが、それらの中でもこの「プラテーロと私は」は特に優れた作品と言えるでしょう。ヒメネスの詩がテデスコの傑作を引き出させたのでしょう。


音楽の内容を真摯に引き出そうとしている

 各曲のコメントは控えますが、豊かな音によるセゴヴィアの演奏は掛け値なしの名演といえると思います。セゴヴィアはテデスコの書いた音楽を尊重し、最大限それを音で表現しています。これまでのような、ともすれば恣意的に走るところは見られず、端正ともいえるような演奏です。

 またテデスコが書いた楽譜をとても丁寧に読み取っているようにも思えます。セゴビアはリサイタルでもこの曲をよく取り上げていますが、楽器(ホセ・ラミレスⅢ)も曲や演奏スタイルによく合っています。




「コレンタ」は本来曲の一部分

 このLPのB面にあたる残りの曲もなかなか興味深いものです。フレスコバルディの曲はリサイタルでもよく取り上げていますが、「コレンタ」は以前紹介した「アリアと変奏」の最後の変奏で、本来単独で演奏する曲ではありませんが、以前の録音でこのコレンタのみ録音しなかったので、ここに収録したのでしょう。


オオカミ少年?

 ヴァイスの「ファンタジア」一般にもよく演奏される曲で、セゴヴィアはこれまでポンセ作の「偽ヴァイス」の作品をたくさん録音してきましたが、こちらの方は「本物」のほうで、よく聴けば作風がまったく違うのがわかると思います。セゴヴィアは70年代にも「本物のヴァイス」の作品を録音しますが、これまで「偽ヴァイス」の作品をたくさん録音してきたので、「今度は本物と」言われても、「オオカミ少年」的に、やはり疑ってしまうでしょうね。


ソル、ドノステア、ドビュッシー

 ソルの練習曲はセゴヴィア番号では3番と17番にあたります。ドノステアの「悩み(ドロール)」は1970年代にも「バスク風前奏曲」として録音され、なかなか美しい小品です。最後に一般にもよく知られたドビュッシーの名曲、「亜麻色の髪の乙女」を収録していますが、アンコール曲といったところでしょうか。