中村俊三 ブログ

中村ギター教室内のレッスン内容や、イベント、また、音楽の雑学などを書いていきます。

 今年も、残すところあと1日とちょっとになりました。早いものですね・・・・などというののはやめておきましょうか。


この3週間ギターは弾いていない

 私としては今年のコンサート予定など、ひと通り終わったところで、この3週間ほどは久々にギターをあまり弾いていません。これは腕などの疲れを取る意味もありますが、それよりも、この1年くらい自分の演奏の方に集中していたので、その他の仕事などがたまってしまったこともあります。



教材の手入れ

 まず何といっても教材の”手入れ”で、最近のレッスンではほぼ100パーセント自分で作った教材を用いているので、その整備を常にしていなければなりません。

 パソコン・ソフトで教材を作るようになってから10数年ほどになりますが、その間に作った教材は数千ページになると思いますが、ギター教室の場合、ギターを習う人は、年齢、趣味、音楽的環境など、非常に様々で、それぞれの人にあった教材が必要となり、結果的にこのように多くの教材を用意する必要があるわけです。



同じ曲でも3、4種類のバージョンを作る

 時々その教材を拡充する必要もありますし、またアレンジなど修正の必要も出てきます。同じ曲でも、そのレッスンの段階によって3、4種類くらい書き分けたりもします。どちらかと言えばなるべく易しく弾ける教材の方がたくさん必要となってきます。

 上級者であれば、市販の教材を使っても問題ありませんし、また自分に合った譜面を選ぶことが出来るので、それほど教材にこだわる必要はないのですが、やはり問題となるのは初級者や中級者です。特に年齢が高くなってからギターを始めた人の場合は、なかなか適切な譜面が市販されてなく、また自分で、自分に合った譜面を選ぶことがなかなか難しいものです。



自らの指導能力の低さを教材でカヴァーする

 もっとも私が教材に強くこだわる理由は、じつはレッスンの仕方が上手くないからというのが正しいでしょう。レッスンの仕方が上手いギターの先生であれば、教材などあまり良くなくても、あるいは生徒さんのほうが選んだ教材といったものでも、十分にレッスンすることが出来、また生徒さんを満足させることも出来るのでしょう。

 また技術的な指導だけでなく、豊富な人生経験や、話の面白さ、人間的な魅力などで生徒さんたちから親しまれ、あるいは慕われ、尊敬されたりする指導者もいるでしょう。



何かあるとすぐ教材のせいにする

 もちろん私にはそんな離れ業的な技術も、人間的な魅力も無縁ですので、技術的な指導が上手く行かなくなれば、即レッスンが行き詰まってしまいます。そんな時に私の場合教材にその責任を押し付けるわけです。

 教材さえその生徒さんに合っていれば、私のような稚拙な指導技術でもレッスンが出来るのではないかというわけです。したがって、レッスンが行き詰まるたびに教材を手直しし、補充し、また曲の順番を変えたりしてゆくことになります。

 これは私がギター教室を始めた頃から、手書きで行なっていましたが、パソコン・ソフトで楽譜が書けるようになってからいっそうその傾向が強くなりました。



システム全体も常に考え直してゆく

 教材を自分で作るということは、1曲、1曲の譜面を書くだけでなく、レッスンの・システムそのものを作るという事で、私のレッスン・システムはかなり細かく作られています。しかもそのシステムは1本の線ではなく、何本かの線になっていて、なおかつそれらが途中で枝分かれをするようになっています。

 前述のとおりギターを習う人というのは本当に様々なので、なるべく多くの人をこのシステムの中に取り入れようということで、基本的な線はある程度決めておいて、さらにレッスンの状況に合わせてアレンジしてゆくといったようなことをしています。



多様性と統一性の間で

 だんだんに自分が作ったシステムが複雑になりすぎて、そのうち自分でわからなくなってしまうこともあります。こうして教材に手を入れるということは補充したり単純ミスを直したりする他、自分で作ったシステムを再検証するといった意味もあります。

 ギターの場合、何と言っても”多様性”ということが要求されるわけですが、同時に私としては”音楽は一つ”と考えているところもあるのでしょう。その「多様性」と「統一性」という矛盾した言葉の中でもがいているのが、私かも知れませんね。

 ただ、あまり自分の考えに固執しすぎると何事も上手くは行かない、常に、頭の柔軟性は絶対に必要!!


・・・・・・・・・・・・


またまたこだわってしまったが、2012年のイヴェントのまとめをしておきましょう

 年末のまとめをしようかと思って書き始めた今回の記事ですが、結局”教材”にこだわってしまいましたね。今年は昨年の震災の影響を残しながらも、まあまあ、穏やかな年だったでしょう。



5月4日 シニア・ギター・コンクール

 私、及び中村ギター教室イヴェントとしては、まず、このところ毎年恒例となりましたが、5月4日にギター文化館で行なわれたシニア・ギター・コンクールの審査員を務めました。ミドルの部では北海道の佐々木さん、シニアの部ではひたちなか市の熊坂さんが優勝しました。



6月15日 県立図書館コンサート

 6月15日に久々に茨城県立図書館でコンサートを行いました。このコンサートは特にギターやクラシック音楽に興味のない方にでも楽しんでいただけるような内容でコンサートを行いました。演奏終了後には何人かの方から面白かったと声をかけていただきました。

 また、その時茨城大学クラシック・ギター部の後輩のIさん(女性)からお花を頂いたのですが、連絡先がわからないので、お礼がいえません。このブログ当然読んでいないと思いますが・・・・  ありがとうございました!



6月16日 オーシャン・パル・ギター・コンサート

 その次の日の6月16日には東海村のリコッティでオーシャン・パル・ギター・コンサートに出演し、アルベニスなどの曲を弾きました。



7月15日 市民音楽会

 7月15日には水戸芸術館での市民音楽会に水戸ギター・アンサンブルが出演し、モーツァルトの「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」からを演奏しました。今回からはコーラス部門が別のコンサートに移り、器楽関係のみのコンサートとなりました。いろいろ様子が変り、私も実行副委員長と言うことになり、演奏よりも裏方の方がたいへんというイヴェントとなりました。熱中症で救急車出動などというこもありました。



9月15日 第15回水戸ギター・アンサンブル演奏会 

 9月15日(今年は15日にコンサートが多い)に第15回水戸ギター・アンサンブル演奏会を行ない、今年はモーツァアルトの曲を中心のプログラムでした。


10月27日 アコラ・ミニ・コンサート

 10月27日アコラで行なわれたジヴェルニー・サロンのゲストとしてミニ・コンサートを行い、ヘンデルやスカルラッティなどのちょっと”懐かしい”バロック編曲作品を演奏しました。


12月8日 中村俊三バッハ・リサイタル

 12月8日はギター文化館で中村俊三バッハ・リサイタルを行ないました。私が行なった最近コンサートとしては最も内容が濃いというか、難度の高いもので、練習もなかなかたいへんでした。もちろん満足の行くところまでは弾けませんでしたが、とりあえず、そこそこというところかな・・・・ 来年もまだ少しフォローしたいところです。


 ちょっと長いまとめとなってしまいましたが、皆さんよいお年を!!
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昨日の東京国際ギター・コンクールの結果はもちろん皆さんおわかりのことと思いますが、一応書いておきましょう。それにしてもびっくりですね! こんなこともあろうかとは思ってはいましたが。



1位 Sanel Redzic(ボスニア・ヘルツェゴヴィナ)

2位 Tariq Harb(カナダ)

3位 Florian Larousse(フランス)

4位 Andry Parfinovich(ロシア)

5位 小暮 浩史(日本)

 *Marko Topchii は順位なし





 上記の順位だったようですが、私の印象とはほとんど真逆の結果でしたね。何といっても小暮さんの5位は全くの予想外! 強い表現がかえって敬遠されたのでしょうか。でもたいへんすばらしい演奏で、とても共感度が高かったのは確かです。間違いなく優れたギタリストへと成長していると思います。海外の国際コンクールにもぜひ挑戦していって下さい。演奏者と客席との距離が最も短かった演奏でもあったのも確かです(審査員席とは遠かったかな?)。
 


 Redzicの上位受賞はあるとは思っていましたが、1位はどうかとは思っていました。やはり問題は「思い出の音楽」だと思いますが、この演奏が高く評価されたのでしょう。どうも私にはメンデルスゾーンと前衛的な音楽は最善の組み合わせとは思えませんが、ここでは曲の問題ではなく、演奏者の技術の評価ということなんでしょうね、当たり前のことですが。そう考えれば確かにこの結果は”なくはない”といったところでしょうか。



 もっと意外だったのが2位のHarbで、確かにジュリアーニなどまさに”ジュリアーニらしい”弾き方なのですが、私にはその音楽の魅力が全然伝わってきませんでした。これは私の脳内受容体の関係でしょうか。またコシュキンの曲を集中して聴く気になれなかったのは、ただの私の”わがまま”といったところでしょう。課題曲も確かに強弱など、メリハリのはっきりした演奏ではあるのですが、私には・・・・



 Larousseの3位もちょっと意外。確かに物足りなさはありましたが、やはり音楽がすばらしいのは確か。課題曲などもこの人に合った曲だと思いました。懲りずにまた来てください、楽しみにしています・・・・


 ・・・・・もっと濃厚なプログラムを期待しています。




 
 今日(12月16日)東京上野の東京文化会館で第55回東京国際ギター・コンクール本選会を聴きました。その前に今日は衆議院選挙でしたね、もちろん出かける前に投票所には行って来ました。投票所はやや静かな感じでした。

 先ほど家に帰ってからテレビを見ると、ニュース等で予想されていたとおりの結果の、あるいはそれ以上の結果のようです。前回の選挙とは真逆の結果というところですが、このところ日本は地震ではないですが、左右に揺れすぎかなとちょっと心配です。まあ、日本の家屋は揺れには強いようですが・・・・・


今回の結果を聞かずに

 さて、コンクールのほうですが、私は昨年同様、結果を聞かずに帰ってしまったので、順位などはまだわかっていません。もちろんもうすでに結果は出ているので、検索などすればわかるとは思いますが、これも昨年同様に結果を知らずにレポートをしてしまいましょう。その方が先入観なしに書けるかも知れません。


1.Marko TOPCHII(Ukraine)
  プレリュード~プレストBWV996(バッハ)、 課題曲=無名碑に奉げる哀歌(小川崇)、 
  6つの変奏曲Op.49(ジュリアーニ)、 悪魔の奇想曲(テデスコ)、 ベニスの謝肉祭(タレガ)

2.小暮 浩史(日本)
  課題曲、 ファンタジア(ダウランド)、 涙の賛美、セレナーデ(シューベルト~メルツ編)、
  スペイン舞曲第1番「メヌエット」、同第12番「アラベスカ」(グラナドス)、 舞踏の旋回(リベラ)

3.Florian LAROUSSE(France)
  ソナタ二短調K.208、同二長調K209(スカルラッティ)、 ソナタOp.61(トゥリーナ)、 
  セビーリャ(アルベニス)、 課題曲
 
4.Tariq HARB(Canada)
  サラバンド、ジグBWV1007(バッハ)、 ソナタ・エロイカ(ジュリアーニ)、
  アッシャー・ワルツ(コシュキン)、 課題曲

5.Andrey PARFINOVICH(Russia)
  朱色の塔(アルベニス)、 課題曲、 ソナタト長調K377、 ソナタよりⅠ、Ⅱ、Ⅳ楽章(ホセ)

6.Sanel REDZI(Bosnia Herzegovia)
  課題曲、 カプリース第31番、 ソナタK377(スカルラッティ)、 思い出の音楽(モー)
 



 以上が本選に出場したギタリストと演奏曲目です。先週私のコンサートにゲスト出演してくれたクレムケは残念ながら予選通過できなかったようです。やはり今回はというか、今回もと言うべきか、たいへんレヴェルの高いコンクールです。クレムケは予選7位と言う事で、惜しいところでしたが、課題曲で先週のような大きなトラブルはなかったようですね。


Topchii ~音が遠いな

 さて最初のTopchii(どう読むのかよくわかりませんが)ですが、私もこの会場で久々にギターを聴いたせいか、音がかなり小さめ。私の席は前から10列前後のといったところで、距離にすれば8~10メートルくらいでしょうか。でもそれ以上に距離を感じます。

 最初のバッハは美しく、軽い音質で、なかなかレガートな演奏です。譜面上の短い音はあまり詰めないで弾いています。課題曲は初めて聴く曲ですが、Topchiiは視奏(譜面を使用)していました。題名のとおり瞑想的といった感じの曲です。ダイナミックスの変化もあって、なかなかよい演奏です。

 ジュリアーニはとても軽快な音でちょっと線は細いが、爽やかな感じと言ってもよいでしょう。「悪魔の奇想曲」もメロディをよく歌わせ、音量の変化にも富んでいます。「ベニスの謝肉祭」はやや速めの軽快な演奏でした。

 まだ最初の一人を聴いただけですが、最初からなかなかの実力者のようで、この人が1位でもおかしくないなと思わせる演奏でした。でもこのギタリストが1位だと何かちょっと物足りないなというのも確かで、私のメモには「軽快」と言う文字がいくつか並んでしまいました。



小暮浩史 ~ステージまでの距離が縮まった

 次は昨年3位になった小暮さんですが、課題曲が始まると、急にステージとの距離が縮まった感じです。前の演奏者のあの距離感はいったい何だったんだろうと思いました。またイマイチよくわからなかった課題曲も全く違った感じに聴こえてきます。

 西洋の伝統音楽というのは、中世以来、基本的に横の線によって成り立つのだろうと思いますが、日本の音楽は武満のようにその瞬間瞬間の響きを最も大事にする。この曲もはやりそうなんだろうなと思えます。そうした点を小暮さんはたいへんよく掘り下げているように感じました。また当然のことかも知れませんが、この曲も暗譜で弾き、前の演奏者に比べ、その作品に取り組む姿勢や、作者の意図を重んじるといった姿勢がまるで違うようにも思えました。

 ダウランドは対位法的な処理に気を配ると同時に、曲の終盤ではヴィルトーゾ的な感じも出していました。昨年とはだいぶ変った感じです。シューベルトは、まさにロマン派の音楽らしい表現で、巧みに歌わせたかと思うと、クライマックスをしっかり盛り上げ、時には非常に大胆にルバートをしていました。とても積極的な表現です。一つ間違えれば崩壊しかねないところまでやっていると思いますが、まさに「超攻撃的」表現といったところでしょうか。

 グラナドスでは非常に重厚な音を引き出し、同じ楽器で弾いているとは思えないほどです。まさにピアノ的な音でした。最後のリベラの曲も初めて聴きますが、3曲からなるようで、それぞれの特徴が初めて聴いてもよくわかる演奏でした。

 この人は意外と(?)引き出しを多く持っているなと改めて思いましたまたたいへん知性的なギタリストでもあると思います。全曲弾き終わって拍手を受ける時には、顔に「やりきった感」が溢れていました。



Florian Larousse ~今回はかなり冷静だが

 3人目は前回記憶のトラブルなどで2位なったフローリアン・ラルースです。当ブログでも何度か登場しましたから、あえて紹介の必要はないと思いますが、GFAで優勝していても、この東京国際には結構こだわりがあるようです。

 今回の演奏ではもちろん前回のようなトラブルもなく、また変に気負うところもなく、ある意味たいへん落ち着いた演奏だったのですが、全曲聴き終えてみると妙に印象が薄い。いろいろあったけど昨年のほうがインパクトはつよかったな。

 今回の演奏はどこといって問題もなく、相変わらず音は美しいし、技術も完璧。はやり人並みはずれた感性がこのギタリストにはある、それは十分にわかるのだけれど・・・・・ 何か、世界の超一流3つ星レストランで前菜のみを食べて帰ってくるような(実際に食べたことはないが)、そんな物足りなさも感じてしまいます。

 この人にはもっと凄いところがたくさんあったはずだ、なんで今日はこんなに出し惜しみするのだろう。とはいってもはやり課題曲など美しい、またトゥリーナでは音の増減のしかたが巧み、というか音楽的・・・・



Harb ~確かにジュリアーニらしい演奏なのだが

 次はカナダのHarbと言うギタリストで、バッハのチェロ組曲第1番のサラバンド、ジグから演奏を始めました。装飾音などかなり多めにつけて、一見華やかな感じなのですが、でもどうも何か普通・・・・ 前の二人が個性的だったからでしょうか。

 ジュリアーニの「ソナタ・エロイカ」もとてもジュリアーニらしい演奏なのですが、それ以上というと、やはりジュリアーニだし、となってしまうのだろうか。アッシャー・ワルツもアンコール曲として聴くと結構面白いし、またウケル曲だと思いますが、やはりこの場で弾くべき曲なのかどうか・・・・



Parfinovich ~昨年4位

 5人目のParfinovichは昨年4位のギタリストです。いきなり「朱色の塔」から始めましたが、出だしのアルペジオなど出だしに関らずほとんど”もたつき”もなく弾き始めました。確かに指のよく裁ける人のようです。しかしそれに反してというか、メロディを歌わせている感じが伝わってこない。確かにメロディはアルペジオの音よりもはっきりと弾いているのですが、なぜかそれが歌には聴こえてこない。

 課題曲なども、確かに音量の変化など音楽を構成しようと言う意図は感じるのだけど、奥行きのようなものは感じられない。スカルラッティも一つ一つの音形がやや無機的かな・・・・・ 

 なんて思っていたら、ホセのソナタが始まるとちょっと様子が変った。やはりホセのソナタはすばらしい、この曲に関してはやはり深い響きがする。ホセのソナタがいいのか、演奏がいいのかわかりませんが、Parfinovichはホセのソナタを弾いたことで、かなり順位を上げたのではないかと思います。



Redzic ~かなりの実力者だと思うが

 6人目はボスニア・ヘルツェコヴィアのRedzicというギタリストです。この人も初めて聴きましたが、これがなかなかの実力者のようです。課題曲から始まりましたが、なかなか感性が豊かで、この曲から多彩なイメージを引き出しています。ただ低音がちょっとこもり気味に聴こえます。

 レニャーニとスカルラッティの比較的軽めの曲を弾いた後、かなり長めの(おそらく20分くらい)「思い出の音楽」を演奏しました。この曲名どこかで聴いたことがあると思ったら、ナクソスのローリエイト・シリーズでマルティン・ディラが弾いていた曲です。曲全体としては前衛的な曲と言えますが、それにメンデルスゾーンの曲のメロディが入ってきます。

 ロマン派と現代音楽の融合と言ったところかも知れませんが、どうも私には相性がよいようには思えません。私の音楽を聴く力に問題があるのでしょうけど、私にはどう聴いてよいのかわかりません、少なくとも今のところ・・・・



順位予想?

 といいたところで、最終的な順位は、皆さんすでにわかっているわけですから、本当は予想なんてしなくてよいのですが、でもやはりやっておきましょう。多分外れていると思いますが。


強い表現意欲、たいへん多い引き出し

 やはり1位に一番近いのは小暮さんだと思います。本当にいろいろな引き出しを持った、たいへんクレバーなギタリストだと思います。また音楽表現にかける意気込も、とても強く感じられました。また聴いてみたい演奏です。


今日はオードブルだけ?

 ラルースはこれまで何度も言ったとおりたいへん優れたギタリストであるのは間違いないのですが、オードブルだけで優勝を持ち帰ることが出来るのでしょうか。



モーの音楽、演奏をどう評価

 3番目の候補としては最後に演奏したRedzicがあげられますが、モーの音楽の演奏を審査委員はどう評価するのでしょうか。もちろん他の3人のギタリストの中から優勝者が出ることも十分に考えられます。
いつもレポートに画像がありませんが、今回はせっかく熊坂さんが撮ってくれたので、のせておきましょう。
先日のバッハ・リサイタル(12月8日)の画像です。、




バッハ・リサイタル
多分リハーサル中(チューナーが付いているので)




nakamura.jpg
ゲスト演奏の紹介




クレムケ
Smuel Klemuke




kuremuke.jpg
レゴンディの「序奏とカプリッチョ」を見事に決めたところかな?




 当日は確かに、ちょっと寒かったのですが、次の日曜日に比べると、5度くらい暖かかったようです。角君の尾尻さんのコンサートのほうがたいへんだったでしょうね。
昨日の中村俊三バッハ・リサイタルに来ていただいた方々、たいへんありがとうございました。

 今回のコンサートはバッハのみのプログラムという、どちらかと言えば自分の趣味に走った形のコンサートでしたが、東京、千葉県、栃木県など県外の方も含めて、思ったより多くの人に来ていただきました。本当にありがとうございます。

 2009年にはアルベニスのコンサートを行ない、今回のバッハのコンサートはその流れともいえます。「バッハは1曲もギターの曲をさっきょくしていない」と昨日も言いましたが、そういえば、アルベニスも1曲もギターの曲を作曲していませんね。次に作曲を絞ったコンサートをやる時にはぜひ、ギタリストの曲、あるいは実際にギター曲を作曲した人に焦点をあてましょう。

 今日のコンサートのためにほぼ1年間かけて練習してきましたが、曲の内容からすると、もちろんまだまだ不十分な点も多く、どの曲ももう少し練習を続け、また演奏する機会を作りたいと思います(前回も同じようなこと言ってしまいましたが)。

なお、アンコール曲はソルの「モーツァルトの主題による変奏曲」でした。

 

サミュエル・クレムケのゲスト演奏

 私のコンサート終了後にゲスト出演として、サミュエル・クレムケの演奏がありました。クレムケはドイツの若手ギタリストで、来週(12月15、16日)東京文化会館で行なわれる東京国際ギター・コンクールに出場する予定になっています。すっきりとした美しい音で、ダイナミックス・レンジも広い、確かに世界の第一線で活躍、あるいは活躍を目指しているギタリストだなといった感じでした。

 レゴンディの「序奏とカプリッチョ」ではヴィルトーゾぶりを十分に発揮し、アンコールとして演奏された「タンゴ・アン・スカイ」はとてもおしゃれな演奏でした。コンクールでの上位入賞が期待されます。

 ・・・・・2次予選課題曲のバッハの曲(私も同じ曲を弾いたが)では迷走気味になってしまったが、大丈夫かな・・・・ でも、おそらく世界中のいろいろなコンクールにエントリーしているので、課題曲の練習はこれからの予定なのかも知れませんね、きっと来週のコンクールではまるで違う演奏になっているのでしょう。


 クレムケの演奏曲目は以下のとおりです。

ソル : シシリエンヌ作品33-3
バッハ : プレリュード、サラバンド、ジグ(パルティータ997より)
ヘンツェ : 3つのテントス
レゴンディ : 序奏とカプリッチョ

 *アンコール曲 ディアンス : タンゴ・アン・スカイ
明後日リサイタル


自分を投影?

 前回の記事では、バッハのリュートに対する思いや、当時のリュートの状況などを、バッハの周辺にいたかもしれない、架空のリュート弾き(どちらかと言えば、ちょっとイマイチの)になりきって書いてみたのですが、いつの間にかに自分を投影してしまったかも知れませんね、ちょっとワルノリかな。因みに話し相手は相棒のガンバ弾きです。



ハイドン、モーツァルトの時代は目の前

 最近ではスマホやケータイなど通信機器ではめまぐるしい変化をしていますが、音楽に関してはバッハの時代のほうが時代の移り変りは速かったようです。それまでたいへん重要な楽器であったリュートもバッハの時代、すなわち18世紀初頭にはその黄昏時を迎えることになります。

 バッハは自分ではあまり弾けたとは思えないこの古の楽器、リュートには深い関心があったわけですが、リュートだけでなく、バッハが特に力を入れて作曲していたフーガなどの厳格な対位法の音楽も次第に廃れてゆく時代となり、誰でも簡単に親しめるような音楽が求められるようになってゆきます。ハイドンやモーツァルトの時代はもう目の前です。



好奇心の強かった人

 このように書くと、バッハはとても後ろ向きの作曲家のように思われがちですが、バッハはとても好奇心の強い人だったようで、さまざまなことに関心を向けていたようです。当時出来たばかりのピアノ・フォルテにも強い関心を持っていましたし、他の音楽家の作品(ヴィヴァルディなど)にも深い関心を持っていました。



コヒー・カンタータまで作曲してしまった

 また音楽以外の一般教養も一通り身に付け、務めていた学校では神学も教えていたようです。バッハの作曲の仕方からすると自然科学などにも精通していたのではないかとも想像できます。また当時流行り出したコーヒーにもはまり、それが嵩じてユーモアたっぷりの「コヒー・カンタータ」なる曲まで作曲しています。バッハとて肖像画で見るようなしかめ面を常にしていたわけではなさそうです。



100年以上の深い眠りに

 リュートに関して言えば、架空のリューティストが嘆いたように、18世紀末ころまでには廃れてしまい、19世紀に入ると人々から完全に忘れされれてしまいます。もちろんそのリューティストの息子たちも別の楽器に持ち替えたか、あるいは別の職業に就いたことでしょう。

 リュートの弦が人々の前で再び鳴らされるようになるには20世紀を待たなければならず、100年以上にわたって深い眠りにつくことになります。リューテストにとってはたいへん便利だったリュート用のタブラチュアも、読める人がいなくなり、「まるでタブラチュアのよう」とはわけのわからない文字や文章を例える言葉となってゆきました・・・・・



暖かい支度を

 明後日はギター文化館で私のリサイタルということですが、当日の会場はちょっと寒いかも知れませんので、いらっしゃる方はなるべく暖かい支度をしてきて下さい。なお前日(7日)までにご連絡いただいた方は予約ということで、前売り扱いさせていただきます。気の向いた方はご連絡下さい。


アリア ~管弦楽組曲第3番BWV1068より(中村編)


「G線上のアリア」と呼ばれているが

 一般には「G線上のアリア」として知られている曲ですが、これはウィルヘルミというヴァイオリストが、ヴァイオリンの最も低い弦のG線のみで演奏出来るように編曲し(もちろんピアノの伴奏付き)、それが有名になったので、このように呼ばれるています。ただし、今回の演奏ではヴァイオリンでも、また「G線のみ」で演奏するわけではないので、単に「アリア」とだけしておきましょう。


音が伸びないのはちょと辛いが

 もともと4声部の弦楽合奏のための曲なので、それをギター独奏(伴奏なしの)で演奏するのはあまり簡単なことではありません。さらに、ギターでは冒頭の部分など、持続音が出せないのは正直辛い。

 それならこの曲をプログラムに載せるべきではないのでしょうが、しかし何といってもこの「アリア」は美しく魅力的な曲、この名曲をギター独奏で弾いたらどうなるか、ということで今回弾いてみることのしました。





リュートのためのパルティータイ短調BVW997 ~リュート組曲第2番(原曲ハ短調)

 Ⅰ.プレリュード  Ⅱ.フーガ  Ⅲ.サラバンド  Ⅳ.ジグ  Ⅴ.ドゥーブル




鍵盤譜の写しとリュート用のタブラチュアが残されている

 このパルティータ(組曲(suite)と表記されることもある)にはバッハの自筆譜は残されてなく、いくつかの写しと、当時のリュート奏者(ヴァイラウフ)によるタブラチュアが残されています。そのタブラチュアはプレリュード、サラバンド、ジグの3曲のみとなっていて、フーガとジグは除かれています。

 そのフーガとドゥーブルがリュート用のタブラチュアに記されなかった理由は明らかで、フーガとドゥーブルは実際のリュートでは演奏不可能と考えたからでしょう。これはこのタブラチュアの筆者のヴァイラウホの技量の問題というより、それが当時の一般的なリュートの演奏技術だったのでしょう。



実際にリュートで演奏されていた

 このタブラチュアが残されているということは、少なくともこのプレリュードとサラバンドとジグはバッハの生存中より実際にリュートで演奏されいたということを示しています。

 4つの組曲など、現在バッハのリュートのための作品とされている曲のすべてが、実際にリュートで演奏されてはいなかったとしても、一部の曲はこのようにバッハの周辺のリューティストによりタブラチュアに書き直されて、実際にリュートで演奏されていたのでしょう


当時のリューティストには弾けなかった?

 現在では、リューティストにしろ、ギタリストにしろ、このパルティータを演奏する時はフーガやドゥーブルも含めて全曲演奏するのが常識となっています。当時のリューティストにしても、おそらく全く弾けなかったというわけではなく、このパルティータのフーガやドゥーブルを演奏するには、それなりの練習時間が必要だったのでしょう。当時としては一つの曲を演奏するのに、何ヶ月間も練習するという発想はあり得なかったのでは。



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この前カントールに

 この前、カントールに「今度、リュートのために曲を書いたから、弾いてみなさい」と譜面を渡されてね。 ・・・・いやタブラチュアじゃなくて鍵盤譜のほう。 ・・・・そうそう、カントール・バッハはリュート用のタブラチュアは書けないから。

 相変わらずカントールの曲は難しいね、ヴァイオリン1台でもフーガ弾いちゃうくらいの人だからしょうがないけどね。カントールはリュート曲だって言い張っているけど、何しろ鍵盤譜だし、ありゃリュート曲じゃないよね、どうみてもチェンバロ曲だ。

 リュートと言えば、結構いいリュート持っているよ、カントールは。あれ、作りもいいし、結構したんじゃないの。 ・・・・ホントのところ、カントールはたいして弾けないんだから、ちょっともったいないと思うけどね。

 この前、カントールがそのリュートを自慢しながら、ちょろちょろと弾き始めたんだけど「こりゃダメだ」といってすぐやめちゃった。オレがリュート弾きだっていうこと気が付いたんだと思うけどね。楽器は何でもこなすカントールだけど、さすがにリュートだけはダメみたいね、そりゃそうだよね。



奥さんもたいへんだよね

 カントールはかなりの”しまり屋”のくせに、楽器と子供の教育にだけは糸目をつけない感じ、奥さんもたいへんだよね。 ・・・・そう、その若い奥さん。なんでも、カントールの前の職場でソプラノ歌ってたて聞いているけど、そこで見初めたんだろうね。今でも家では歌っていてね。・・・・そう、いい声だよ、なかなか、結構かわいいしね。 

 カントールは何といってもカントールだからね、それなりの収入だと思うけど、食べるものなんかはオレ達のとあまり変らないみたいだね。なんと言っても大家族だしね、内弟子もたくさんいるし、客人もよくいる。

 おっといけない、オレもよく晩ごはんご馳走になっている。仕事でもだいぶ世話になっているし、まあ、オレもカントールには足を向けて寝られない方だね。



オレたちプロはだませない

 そういえば、先月だったか、カントールのところに行ったら、リビングのとなりの部屋からリュートの音が聴こえてくるじゃない、それもかなり上手い感じ! 最初はどえりゃリュート弾きが来ているのかなと思ったんだけど、でもよく聴くとちょっと変! そおっと部屋に入ってみるとカントールがリュートでなくて、チェンバロ弾いているじゃない。

 そこで思い出したよ、なるほど、これが前に言っていたリュート・チェンバロってやつかって。確かにリュートっぽい音だ、しかもカントールはリュートっぽく聴かせるために、時々崩し気味に弾いたり、難しそうな和音の前でわざと間を開けたりしてね。オレたちリューティストが弾くような弾き方で弾いているつもりなんだろうね、おかしくなっちゃうよね。

 カントールにはオレたちのリュートがあんなふうに聴こえているのかも知れないね。ちょっとがっかりかな。でもよく出来ているよ、あのチェンバロ。素人が聴いたら本当にリュートだと思うだろうね。そりゃ、オレたちプロはだませないけど。

 それにしても不思議だよね、なんでカントールはあんなにリュートにこだわるんだろ? あのリュートの音の出るチェンバロだって、相当かかっているはずだね、普通のチェンバロよりもずっと手間かかるし。カントールはかなり細かいところまで注文付けて作らせたみたいだね。



でも、どうなんだろうね、リュートってさあ・・・・

 でも、どうなんだろうね、リュートってさあ・・・・ 最近あまり使われないじゃない。オレなんかガキのころから親父に仕込まれたけど、最近の若いのでリュート弾いているの、そんなにいないじゃない。 ・・・・・オヤジ厳しかったな・・・・ 稽古さぼってよく殴られたよ。晩メシ食わせてもらえない時もあってさ。そんな時オフクロがオヤジに内緒でそおっとスープ持ってきてくれてさ ・・・・・もっと孝行しておきたかったなあ。

 オレの息子たちにも多少はリュートはやらせたけど、商売にはさせたくないね。リュートなんかやってもメシ食えないし。最近ではどの教会や、どの殿様のところでもリュートだといい顔されないしね。やはり時代遅れかな・・・・・

 時代遅れと言えば、去年ハンブルクに行った時、ガキの頃からの友達が、最近ではウチのカントールの曲みたいな、やたら入り組んでいて、しちめんどくさい曲は時代遅れだって。今のハンブルクではもっとわかりやすくて、誰が聴いても楽しい曲が流行っているてさ。 ・・・・そう、そのテレマンとか。



本当にリスペクトしているってば!

 ・・・・いや、いや、オレはそんなこと思っていないよ、絶対に! そいつが言ってるだけだって。 ・・・・オレはカントールのことは人間としても、音楽家としてもリスペクトしてるよ。たとえ時代遅れだって、本当だって。

 カントールの曲が凄いのはオレだってよく知っている、まあ、よくわかんない曲もあるけど。それにオルガン弾かせたら、この辺じゃウチのカントールの右に出るものがいない、なんてことは誰もが言ってるじゃない!

 ただリュートに関して言えば、オレがプロで、カントールがシロウトってこと。そりゃ間違いない。わりぃけど。 


  


  ・・・・・・以上、勝手な妄想でした。