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中村俊三 ブログ

中村ギター教室内のレッスン内容や、イベント、また、音楽の雑学などを書いていきます。

 前回、および前々回の記事で、この「セゴヴィアと同時代のギタリストたち vol.12」に収録されている録音からタレガ自身の録音、およびタレガの親密な弟子だったダニエル・フォルテア、ホセフィーナ・ロブレドの録音についてコメントしましたが、今回は他の録音にも触れておきましょう。


リョベットの4曲は以前紹介したもの

 このCDに最初に収録されているのはリョベットの演奏による4曲ですが、これは1925~1929年に録音されたもので、以前に紹介したCDに収録されていたものと同じものです。



マジョルカ島出身で、タレガ弟子

 Bartolome Calatayud(1882~1973)というギタリストのオリジナル曲(ハンガリー行進曲、ガヴォット)2曲が収録されています。このギタリストはマジョルカ島の生まれで、バレンシアでタレガに師事したと紹介されています。2曲とも舞曲らしく切れよく演奏しています。「ガヴォット」の方はタレガの「マリーア」に似た部分が出てきます。



「タレガの生涯」の著者でもあるプジョールは古楽の研究でも知られている

 「タレガの生涯」の作者でもあるエミリオ・プジョールの演奏は、独奏が3曲(ミランのパバーナ)、歌曲の伴奏が3曲(ミランなど)、ギター二重奏が2曲(ファリャの粉屋の踊り、スペイン舞曲第1番)が収録されています。もちろんプジョールも若い頃からタレガの指導を受けたギタリストですが、その後ビウェラ音楽などの古楽の研究に進んだこともあってか、この演奏からはタレガ的なところはあまり感じ取れません。



本来の主役であるセゴヴィアの演奏は2曲

 もともとこのCDの企画はセゴヴィアの中心としたものですが、その主役セゴヴィアの演奏は2曲だけ(ファリャの「ドビュッシー賛」、リョベットの「エル・メストレ」)収録されています。


現在では作曲者として知られているレヒーノ

 レヒーノ・サインス・デラ・マーサの演奏は2曲(タレガの「マリーア」、バッハの「ブーレロ短調」)収録されています。1931年の録音ということですが、「マリーア」はタレガの演奏が脱落が多く、ほとんど曲になっていないので、その埋め合わせかも知れません。タレガ自身のものよりは速めに弾いていますが、SP盤の収録時間の関係か、曲全部を丸ごとリピートしています。



驚異のテクニックのローデス

 Roita Rodes(1906~1975)はリョベットの弟子のようですが、セゴヴィアよりも13歳若く、このCDに納められたギタリストの中では最も若い(最近のと言うべきか)ギタリストのようです。タレガの2曲(グラン・ホタ、アランブラの想い出)を演奏していますが、「グラン・ホタ」は2分台の聴いたことのないバージョンで、私たちしているものよりもかなりテクニカルなものです。タレガの異稿なのか、演奏者のアレンジなのかはわかりません。


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     ロシータ・ローデス


 「アランブラの想い出」はかなり速く、イエペスの演奏よりも4秒(3:01)ほど速く演奏していますが、きれいに粒が揃っています。相当なテクニシャンのようです。もしリョベットがタレガの曲を弾いていたら、こんな感じで弾いていたのでしょうか。



ワックス・シリンダーによる録音がもう一つ

 このCDの最後はすでに紹介したタレガ自身の録音が収められているわけですが、その前にもうひとつ蝋管による録音が収録されています。


ソルの練習曲?

 演奏はSimon Ramirezというギタリストで、「ソル(F.Sort)作曲練習曲と紹介されているようですが、曲は要するに「禁じられた遊び」です。録音時期は1897~1901年頃となっていますが、ノイズの彼方からかすかに「禁じられた遊び」のメロディが聴こえてきて、伴奏部分はほとんど聴こえません。

EdisonPhonograph.jpg
   エジソンが発明した蝋管蓄音機


この曲はこの時代でもよく演奏されていたようだが、この頃から作曲者が曖昧になっていた

 おそらくギターの録音として世界初のものだろうと紹介されていますが、確かにそんな感じです。それにしてもこの「禁じられた遊び」、この時代から有名な曲だったことが確認されます。それと同時に、少なくともスペインでは、この曲の作曲者が曖昧になってきているのも確かなようです。おそらくイエペスも誰の作品かわからず演奏していたのでしょう。
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タレガの愛弟子たちの録音

 前回は「セゴヴィアと同時代のギタリストたちVol.12」のCDからタレガ自身による蝋管録音の紹介をしましたが、今回はタレガ音楽的DNAを受け継ぐダニエル・フォルティア、ホセフィーナ・ロブレドなどの録音を紹介しましょう。



「リョベット、及びセゴヴィアの演奏から三角測量的に・・・・」と書いたが

 以前「タレガの演奏スタイルはリョベット、及びセゴヴィアの演奏から三角測量的に推し量るしかない」と書いたことがあります。しかしリョベットはタレガと出合った時にはすでに自分の演奏スタイルを確立していて、リョベット自身も「タレガからは若干のアドヴァイスを得ただけ」と言っていますし、セゴヴィアに至っては直接タレガの演奏を聴いてはいないし、合ってもいません。

 リョベットやセゴヴィアはタレガの弟子というより、同時代のギタリスト、あるいは強く影響受けたギタリストと言うべきで、測量データとしてはやや信頼度の低いものになってしまいます(それでも有用なものだが)。

 今回このCDが発売されたことによって、直接タレガの演奏が聴けるわけなので、これまでのように間接的に推し量る必要もなくなるはずですが、しかしいかに貴重な録音であれ、この断片の寄せ集めの「マリーア」の演奏からタレガのスタイルを知るには、さすがに情報量が少なすぎます。



より精密な数値が得られる

 しかしこのCDには、まさにタレガの愛弟子と言うべく、幼少時からタレガからきめ細かい指導を受けていたホセフィーナ・ロブレド、またタレガの晩年のリサイタルでは、タレガの二重奏の相手も務めたダニエル・フォルテアの録音が収められており、これらのギタリストの演奏を聴くことで、そうした情報量の少なさを補うことが出来ます。

 つまり、このCDにより、タレガの演奏スタイルの正確な位置や質量を測定するためのデータが、これまでよりは格段に精密な数値で得られるということです。





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ダニエル・フォルテア(1882~1953)

 ダニエル・フォルテアは、プジョールによればフォルテアが20歳の時に、嵐の中、ずぶぬれになりながらタレガの演奏に聞き入り、それがきっかけとなり入門したそうです。タレガの晩年には二重奏の相手を務めていましたから、タレガも信頼を寄せていた弟子だったのでしょう。

 そのフォルテアの演奏は、自作2曲とタレガの「アラビア風奇想曲」、グラナドスの「スペイン舞曲第5番」がこのCDに収められています。1932年の録音とされており、SP盤として市場に出されたものと思いますので、この演奏を聴いたことのある方や、何らかの形でこの音源を所有している人もいるかもしれません。

 私もどこかでこの録音を聴いたことがあるように思いますが、演奏内容などはあまり覚えてなく、実質初めて聴く感じです。音質はこの時代の録音としてはなかなかよいもので、鑑賞する上では全く問題ありません。


イントロの32分音符はあまり正確な音価にこだわらなくても

 「アラビア風奇想曲」はSP録音と言うこともあって、リピートなどは省略し、3:13で演奏しています。テンポは全体にやや速めですが、イントロの最後の32分音符のスケールはそれほど速くは弾いていません。タレガの初稿では32分音符ではなく16分音符で書かれていたようですが、この部分は厳密に音価をまもる必要はなさそうです。

 グリサンドは速いものからゆっくりしたものまでいろいろ使い分けているようで、おそらくタレガもそうしていたのではないかと思われます。「スペイン舞曲第5番」は現在よく演奏されるリョベット編ではありません。






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ホセフィーナ・ロブレド  デビー時(15歳)の写真と思われる



ホセフィーナ・ロブレド(1897~1972)

 ホセフィーナ・ロブレドは少なくとも1904年(7歳)にはタレガのレッスンを受けていたようで、15歳ではコンサート・デビューしています。天才美少女ギタリストの元祖とも言えるでしょうか。私たちが知るタレガの弟子としては、最も若い、あるいは幼い時からタレガの指導を受けていたギタリストと言えるでしょう。



最も感性豊かな時期に間近でタレガの演奏を聴いて育った

 多感な時期に間近でタレガの演奏聴いて育ったわけですから、タレガの音楽は体に浸み込んでいると考えてよいのではないかと思います。おそらくタレガの演奏スタイルを最も忠実な形で後世に伝えた人と言ってよいのではと思います。

 ロブレドはタレガの死後アルゼンチンに渡り、1924年には再びスペインに戻りましたが、スペインにもどってからはコンサート活動をしていません。


自宅でのプライヴェートな録音

 そのロブレド演奏録音からは、タレガの「前奏曲第1、2、5番」、「アラビア風奇想曲」の4曲が収められています。これらはロブレドの夫が自宅でプライヴェートに録音したものだそうです。録音は1959年だということなので、おそらく磁気テープ・レコーダー(モノラル)によるものと思われます。

 残念ながらあまり音質のよいものではありませんが(SP盤に比べても)、このタレガの演奏のDNAを確実に継承していると考えられる女流ギタリストによる、たいへん貴重な録音と言えるでしょう。これまで市場に出されたことのあるものかどうかはわかりませんが、どのような形であれ、このギタリストの録音が残されたのは幸運でしょう。

 「アラビア風奇想曲」は演奏時間4:56で、セゴヴィアよりはやや速く、中庸なテンポと言えるでしょう。聴いた印象としてもたいへん自然なテンポです。イントロの32分音符をそれほど速く弾いていないところはフォルテアと同じですが、グリサンドの仕方などは若干違っています。



グリサンド奏法に関しては必聴!

 イントロが終わって、最初のテーマが出てくるところは①弦の1フレット(ファ)からグリサンドするのではなく、③弦の2フレット(ラ)から弦をまたいでグリサンドしています。また二長調のところで、再度テーマが出てくる直前にスラー奏法によりパッセージがありますが、そのパッセージの最後の音(ラ)からテーマの最初の音(2弦の「ラ」)にかけてはスラー奏法ではなく、グリサンド奏法で弾いています。

 タレガは様々なニュアンスのグリサンドを使い分けていたと言われていますが、このロブレドの演奏を聴くことによって、そうしたものを推察することが出来るように思います。



タレガの生き写し?

 このロブレドのタレガの4曲の録音を聴くと、確かに音質の関係で詳しいことはわからずとも、たいへんすばらしい演奏で、本当にタレガが演奏しているような錯覚を覚えます。スケールや半音階はたいへんレガートに演奏され、全体に気品溢れる演奏といってよいでしょう。



ミスらしいミスもない

 編集などは考えられない録音ですが、ミスらしいミス、あるいはミスとは言えるかどうかのちょっとしたコントロール・ミスもほとんど感じられません。この時点(1959年)で、30年以上にわたってコンサート活動から遠ざかっていたギタリストとは思えない演奏です。

 この時、ロブレドは62歳になるはずですが、年齢による技術の衰えも全く感じさせません。音楽性だけでなく、演奏技術もかなり優れていたギタリストのようです。

 もし、このギタリストがその生涯にわたって演奏活動を持続し、録音なども多数残していたとしたら、ギター史も少し変っていたかも知れません。
タレガ自身の幻の録音が、ついにCDとなって発売された!


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セゴヴィアの同時代のギタリストたち vol.14  リョベット、プジョール、ダニエル・フォルテア、ロブレド、レヒーノ・デラ・マーサ、ローデスなどの他、タレガ自身の演奏(蝋管による録音)も収められている。


現代ギター誌より一足早く!

 待望ともいえる以前話をしたことのある、タレガ自身の幻の録音が発売されました。おそらく現代キギター誌でも紹介されると思いますが、一足早く、当ブログで紹介してしまいましょう。

 以前現代ギター誌にタレガ自身の録音が残されていると言うことが記事になっていましたが、そんなもの本当にあるんだろうかと思っていたら、ついに発売となったようです。



SP録音ではなく、ワックス・シリンダー

 録音といってもいわゆるSP録音ではなく、蝋管(wax cylinder)によるもので、曲はマリーア(ガヴォット)です。録音データは1899年、あるいは1908年のグラナダで、Mariano Gomez Montejano と言う人のコレクションだそうです。

 本当にタレガ自身の演奏なのかどうかといった疑問はあるかも知れませんが、状況的にはタレガ自身のものである可能性は高いのではないでしょうか。

 演奏の前に、「Gavota para guitarra por Don Francisco Tarrega」 とアナウンスされていますが、私には「Guitarra」と「Tarrega」しか聞き取れません。因みにタレガ自身の声ではないそうです。



聴けるはずのないタレガ自身の演奏が聴ける! 思わず合掌!

 音質云々というより脱落している部分が多く、飛び飛びに「マリーア」が聴こえてく感じで、特に後半はほとんど抜け落ちています。かろうじてエンディングは聴くことが出来ます。

 しかし、どういった録音であれ、断片的であれ、実際に聴くことはありえないと思っていたタレガの録音ですから、その”ありがたみ”は格別なものです。心の中で合掌をしながらでないと聴けない録音でしょう。



演奏の特徴はつかみにくいが、あまり違和感のない演奏

 ともかく途切れ、途切れに聴こえてくる感じなので、演奏の特徴をつかむのは難しいのですが、まずテンポは中庸といったところで、特に速くも遅くもないといった感じです。ルバートなども比較的自然であまり違和感はありません。音色などは全くわかりませんが、ポルタメントはよく聴き取れ、ややゆっくりめにかけているようです。



その演奏スタイルは正しく継承されてきた

 演奏全体としても、これまで描いていたこの曲のイメージと特に変った点はありませんから、おそらくセゴヴィアなどのスペイン系のギタリストの演奏と比較的近いのだろうと思います。つまりタレガ以後のギタリストたちは、ある意味正しくその演奏スタイルを継承してきたということなのでしょう。

 タレガ自身の録音はこの「マリーア」1曲のみですが、他にタレガの”内弟子”ともいえるホセフィーナ・ロブレドや、コンサートでタレガの二重奏の相手もしていたダニエル・フォルテアの演奏も入っていて、タレガの演奏スタイルを知る上では、これらのギタリストの貴重な演奏を聴くのはたいへん有用なことと言えます。


このCDの裏テーマは「タレガ」

 このCDは、「セゴヴィアと同時代のギタリスト」というタイトルになっていますが、実質はタレガとその弟子、およびタレガに強く影響を受けたギタリストによる演奏といったものが”裏テーマ”となっているようです。

 仮にもタレガの曲を演奏しようと思っている人は、”絶対に”聴かなければならないCDであるのは間違いありません。このたいへん貴重な音源のCD化に尽力された方々に深く感謝いたします。関係者にも合掌!

 その貴重なロブレド(プライヴェートな録音)、フォルテアなどの演奏についてもコメントしたいと思いますが、それはまた次回に。
聴きに来ていただいた方々、本当にありがとうございました。

 昨日(7月21日)水戸市民音楽会が行なわれました。前回の記事で演奏時間を13:00~17:00くらいと書いてしまいましたが、実際は13:00~18:30で、出演団体数33という、本当に長いコンサートとなりました。出演団体、および関係者のみなさん、本当にお疲れ様でした。また聴きに来ていただいた方々、本当にありがとうございました。

 こういったイヴェントが特に大きな混乱もなく終えることが出来たのも、当音楽会にたずさわる多くの人の力と思います。特に今回出演団体がかなり多くなり、この音楽会の認知度も高くなってきたのかなとも思いますが、聴きに来る人が増えればさらにすばらしいことと思います。

 終演後後片付け、反省会などがあり、館を出たのは21時ちょっと前となりました。その反省会では、

①開演時に客席で聴いている人が非常に少なく、他団体の演奏を聴かない団体が多い。
②人数の多い団体が続くと、そでや通路が混乱する。楽器の置き場所も困る。
③あまりにも演奏時間が長すぎる。

 などといったことが実行委員会、水戸市教育委員会事務局、水戸芸術館の方々から挙がりました。次回は多少なりとも改善されればと思います。

 因みに、当音楽会に出演した団体のうち、ギターに関るものとしては、私のところのギター・アンサンブル、マンドリン合奏が3団体(ジュピター、アマービレ、アクアブレットロ)、他にギターとフルート(谷島崇徳さん他)と、計5団体ありました。今後こうした団体も増えてゆくかも知れませんね。
明日は水戸芸術館で水戸市民音楽会


 明日(7月21日 日曜日)、水戸芸術館で水戸市民音楽会があり、私のところの水戸ギター・アンサンブルも出演します。

 出演するのは水戸市内で音楽活動をしている団体で、オカリナ、ハンド・ベル、マンドリン、木管管楽器、ピアノ、ブラス・バンドなど約30団体です。時間は13:00~17:00.入場は無料。時間のある方はお出かけ下さい。


・・・・・・・


Q : 最近ギター合奏のサークルに入りました。パート譜などは特に問題なく弾けるの出来るのですが、他の人となかなか合いません。上手く合わせたり、正しいテンポで弾けるようになる練習というのはあるんでしょうか。

                    
  50代 男性 会社員



A : その4 実践編   



 これまでの話では、まずビート感をつかみ、4分音符、8分音符などの基本的な音符の長さを正確に取るということでしたが、今回の話は、実際のギター・アンサンブルで、他の人と”ずれない”ための実践的な話をしましょう。たいへん即効性のある話なので、合わせることに多少なりとも不安を持っている人は、ぜひ読んでみて下さい。



速くなるのは意欲の現われ?

 最初の質問によれば、質問者はいつも「早いです」と言われているそうで、おそらく他の人よりもやや早いタイミングで音を出しているようです。こういった傾向にあるギター愛好家は少なくありませんが、こうした人の多くはギターを弾くのがとても好きで、たいへん意欲的にギターに取り組んでいる人が多いようです。

 逆に、ギターを弾くのあまり意欲的出ない人は、他の人より速く弾いてしまうことは少ないようです。いろいろな意味で、まわりを気にしながら弾く傾向にあるからです。

 したがって速く弾いてしまう、あるいは早いタイミングで音を出してしまうということは、ギターへの強い意欲の現れともいえるかも知れません。しかし”意欲の現われ”といっても、実際のアンサンブルではたいへん困ってしまい、そんなことは言ってられなくなります。



ちゃんと合っていると思って、気持ちよく弾いている

 アンサンブルといっても、同じパートを複数の人で弾く場合と、各パート一人ずつの、いわゆる”重奏”の場合がありますが、ここでは同じパートを複数の人で演奏している場合と仮定しておきましょう。

 最初の質問に「ちゃんと合っていると思って、気持ちよく弾いていると」と書いてありましたが、質問者には同じパートの人の音が聴こえていないので、”ちゃんと合っている”と感じているようです。

 なぜこの質問者には他の人の音が聴こえないかというと、まず基本的な傾向として他の人の音を聴かずに自分の音だけに集中する傾向があることが考えられます。これまで独奏しかやってこなかったとしたら、当然そうなるかも知れません。やむを得ないところもあるでしょう。

 次にこの質問者の音が大きいこと。ギターのキャリアも長く、弾くことについては問題ないようで、さらに「気持ちよく弾いている・・・・」といったあたりからも、質問者の音が大きいことが伺われます。



自分が早いと他の人の音が聴こえない

 さらに決定的な要因として、質問者が他の人よりも早いタイミングで音を出していることが考えられます。仮にテンポそのものは合っていたとしても、すべての音が他の人よりも早いタイミングで出ている可能性があります。

 合奏の場合、早いタイミングで弾いている人は、少し遅れて弾いている人の音は聴き取りにくく、逆に後から弾いている人には先に弾いている人の音がよく聴き取れます。もちろん耳の良い人や、合奏に慣れている人はこの限りではありませんが、合奏に慣れていない人の場合、こういった傾向にあります。



周りの人からすると明らかなのだが

 確かに困った状況です。自分が早いタイミングで音を出していると、他の人と合っているかどうかわからないというわけですから。周りの人からすると「何であの人は一人で早く弾いているんだろう」と不思議に感じると思います。誰が聞いても一人だけ早いのは明らかではないかと。

 この早く弾いている本人は、仮に自分が他の人とずれていることがわかったとしても、自分が早いのか、遅いのかはよくわからないこともよくあります。逆に遅くなっていると勘違いしてよりいっそう速く弾き、さらにずれてしまうこともよくあります。



どうしたらこの悪い状況から脱却出来る?

 このように一人だけ早い場合は、周囲の人は皆その人が早くなっていることがよくわかっているのですが、その本人だけはずれていることも、早くなっていることもわからないといったこまった状況が生まれます。では、この状況からどうしたら抜け出せるのか・・・・

 まずは、周りの音を聴く、あるいは聴けるようになるしかありません。「いつも早くなるから、なるべくゆっくり弾く」、「さっきは早いと言われたから、今度は遅く弾く」などいったことでは問題は絶対に解決しません。



周りの音を聴くことだけに集中する

 ともかく自分で弾くことよりも「周りの音を聴く」ことだけにに集中する。それでもなかなか周りの音が聴こえてはこないかも知れませんが、そういった意思があるだけでもあまり早くならなくなります。仮に自分のパートが弾けなくなっても全く問題ありません、ともかく他の人の音に集中してみましょう。



なるべく小さな音で弾いてみよう、それでもだめなら弾く真似?

 それでもなかなか周囲の音が聴こえてこなかったら、なるべく小さな音で弾くようにしてみて下さい。自分の音を小さくすれば、当然他の人の音が聴こえやすくなります。また小さく弾こうと思うだけでも遅めのタイミングになる傾向があります。

 それでも自分のギターに集中してしまい、周りの音が聴き取れないとしたら、実際には音を出さないで、ギターを弾く真似だけをするようにしましょう。  

 ・・・・指揮者などに「もっと大きな音で弾いてください」とか、「ちゃんと弾いてください」とか言われたら、とりあえずその時だけ大きな音で弾いてください。間違っても「当ブログに書いてあったから」などとは絶対に言わないで下さい。


周りの音が聴けるようになれば、だんだん合わせられるようになる

 結論としては、ともかく周りの音が聴けるようにすることが最優先。そのためには上記のようないろいろな方法を取ってみてください。多少なりとも周りの音が聴こえるようになれば状況は改善し、だんだんと他の人の音に合わせられるようになるでしょう。

 

他のパートの音を聴き取るには

 次に、他のパートの音が聴き取れるかどうかという件ですが、これは担当するパートによっても異なるでしょう。高音と低音では聴きやすさが違い、低音パートを弾いている人には高音のパートがよく聞き取れますが、高音パートを担当している人には低音のパートは聴き取り聴くくなります。

 普通、高音パートが主旋律を担当し、低音パートが伴奏、あるいは副旋律と言うことが多いので、そういったことを考えてもそのような傾向となります。


合奏に慣れるまではなるべく低音パートを担当

 とすれば、ある程度合奏に慣れるまでは、なるべく低音パートを担当した方がよいということになります。おそらく質問者はギターのキャリアの長いとうことで、主旋律パートを担当しているのではないかと思われます。もしそうだとすれば、リーダーなどの方に言ってパートを変更してもらうのも一つの方法でしょう。

 そう言えば私の場合も、大学のギター部の合奏で1stパートを担当するようになったのは、やっと5年生(?)になってからでした。諸先輩方にいろいろ配慮していただいたのでしょう。



低音パート(伴奏パート)は遅くなりがちになる。

 ただし低音パートの場合、逆に遅くなってしまう傾向もあります。これは低音を弾くことそのもので、高音の場合よりも遅くなりやすく、また仮に同時に音が鳴っても、人の耳には高音のほうが先に聴こえる傾向があるからです。さらに高音パートをじっくり聴いてに合わせようとすると、自然に遅くなります。

 つまり高音(主旋律パート)は早くなりやすく、低音(伴奏パート)は遅くなりやすくなります。高音パートはじっくりと低音パートを聴いて、気持ち”ため”気味に弾き、低音パートはしっかりとビートを感じて弾く、このように出来ればよいアンサンブルとなるでしょう。
マーティン・フォーゲル マスター・クラス&ミニ・コンサート


昨日(7月15日)水戸市見川のFelice音楽教室でスウェーデンのギタリスト、マーティン・フォーゲル氏のマスター・クラスとミニ・コンサートが行なわれ、ミニ・コンサートを聴きにゆきました。


 <演奏曲目>

バッハ : アダージョ、フーガ(無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番ト短調より)
メルツ : ハンガリー幻想曲
バリオス : フリア・フロリダ、 ワルツ第4番
リョベット : 盗賊の歌、 聖母の御子
マッカートニー(武満編) : ミッシェル、イエスタディ

* アンコール曲 
ノイマン : 愛のワルツ
マイヤーズ : カヴァティーナ
フォーゲル : オリジナル作品
 

 プログラムがなかったので、演奏曲目は私の記憶によるもので、もしかしたら間違えているかも知れません。バッハの2曲を演奏した後、軽妙な日本語でトークを始めたのにはびっくり、日本には6年間ほどいたそうです。


 フォーゲルさんの演奏はよく考えられ、必要な響きと不必要なものとをきっちりと整理の付けられたものです。最近のギタリストは確かに皆そうですが、アーテキュレーションにはかなり気を配っています。ギターの音色も明るいものですが、歌わせるところもじっくりと歌わせ、ヴィヴラートのかけ方にも共感がもてます。

 アンコール曲では、「私はスウェーデン人なので、ノイマンの「愛のワルツ」は弾かなければならない。この曲はもともと映画音楽だが、この映画はスェーデン人も知らない。曲は皆知っているが」といった話には会場から笑い声も。

 最後にオリジナル曲を演奏しました(曲名はよく聴き取れず)。様々な技法を用いたものですが、いわゆるアコースティック・ギター風で、比較的聴きやすいものでした。



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Q : 最近ギター合奏のサークルに入りました。パート譜などは特に問題なく弾けるの出来るのですが、他の人となかなか合いません。上手く合わせたり、正しいテンポで弾けるようになる練習というのはあるんでしょうか。

                      50代 男性 会社員


A : その3



応用練習

 前回の話は、まず何といっても一定の間隔で刻む拍の感覚、つまり”ビート感”を感じてもらうトレーニングでした。本来はさらに付点音符、16分音符、三連符、8分の6拍子などの練習をしないといけませんが、長くなりますし、また文章だけでは限界があるので、それらは省略しましょう。

 そのかわりに応用曲を2曲ほど例を挙げておきましょう。曲はなんでもよいのですが、なるべく易しい曲の方がよいと思います。また前回も話したとおり、絶対的にタイミングが合えばよいというより、しっかりとビートを感じる、つまり拍子をとることのほうが重要と思って練習してみて下さい。


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 「ドレミの歌」はタイミングは比較的取りやすいと思いますが、ギターを始めてばかりの人だと左手はやや難しいかも知れません。「峠の我が家」のほうは意外と拍子が取りにくく、正しいタイミングで弾けない人は決して少なくありません。何箇所か出てくる付点音符を正しく弾けるかどうかがポイントです。



メトロノームを使ったほうがよい?
 
 正しいテンポで演奏するためにはメトロノームを使ったほうがよいと、一般に言われますが、全く拍子が取れない状態ではほとんど役に立ちません。少なくとも拍の表裏をちゃんと取れる状態にないと、メトロノームを使っての練習は効果がありません。


より正確なタイミングを取るために用いる

 確かにメトロノームを使っての練習は場合によってたいへん重要ですが、これはある程度正しくタイミングが取れる人が、よりいっそう正確なテンポ、タイミングで演奏するために用いるものと考えて下さい。またメトロノームを使って練習するためには、メトロノームの使い方そのものも練習する必要があるでしょう。


Q : 最近ギター合奏のサークルに入りました。パート譜などは特に問題なく弾けるの出来るのですが、他の人となかなか合いません。上手く合わせたり、正しいテンポで弾けるようになる練習というのはあるんでしょうか。

                      50代 男性 会社員


A : その2




物理的な正確さよりもビート(拍)を体で感じることのほうが重要

 今回は正しくタイミングが取れるようになるためのトレーニングについて話をしてゆきます。まず、結果的に正しいタイミングがとれるようになる前に、拍=ビートを感じること、つまり”ビート感”を身につけなければなりません。演奏においては、物理的に正確なタイミングを刻むことよりも、むしろこのビートを感じることのほうが重要といえるでしょう。ビートのない音楽はほぼ存在しないといってよいでしょう。



本当にリズム感のない人はいない

 音楽においてはタイミングを極めて正確に感じ取れる人と、そう出ない人がいて、現実にはその差はかなり大きなものといえるでしょう。しかし音楽以外のことで考えると、全然時間的な感覚のない人とか、すべてのタイミングがとれないなどという人はいません。


一定の速さで歩くことが出来ない?

 例えば一定の速さで歩くことができず、いつの間にかすごい速さで歩いていたとか、左足がまだ地面に付かないうちに右足が前に出てしまう人とか(これは相当難しい!)、見たことも、聴いたこともありません。


飛んでくるボールが打てるなら

 またほとんどの人は自分に向かってきたボールをよけることも、キャッチすることも、またバットで打ち返すことも出来ます。飛んできたボールを打ち返すには、相当微妙なタイミングが感じとれなければ出来ません。むしろ音楽の方がそんな美妙なタイミングは必要ないのではと思います。



問題は情報の伝達

 基本的には、ほとんどの人は微妙なタイミングで感じることが出来、また一定の間隔でビートを刻むことも出来るわけです。それなのになぜ音楽になると出来る人とそうでない人に分かれるのかと言うと、それは脳の中での情報の伝達に差があるからなのでしょう。これから行なうトレーニングは、タイミングに関して、脳の中での情報のやり取りをするためのトレーニングといってもよいでしょう。



まずは、足で拍子を取ってみる

 拍子は、実際に体を使って取ります。本来は体のどの部分でも用のですが、ギターを弾く場合、手は両方ともふさがっていますので、足を使うのが最もよいでしょう。特に足は普段から一定の速さで動かしていますから(歩く時には当然そうする)それを考えても最も適当でしょう。

 他に口で拍を数えると言う方法もあり、確かに長い音符の場合はたいへん有効ですが、短い音符の場合は不向きでしょう。


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かなり易しいものだが

 上の譜面は私の教室で、入門時に行なう拍子のとり方のトレーニングで、文字通りギターを始めたばかりの人
にやってもらっています。おそらくこの質問者の場合はやさし過ぎるかも知れませんが、ともかく拍子を取ることに集中してもらうため、最初はこのような易しいものから始めるのがよいと思います。


例えギターが弾けなくなっても

 譜面の方に足の上下の矢印を書きましたが、必ず一定のスピードで、最初のうちはなるべくゆっくりやってみて下さい。よく足を動かすとギターが弾けなくなるという人もいますが、例えギターが弾けなくなっても、足は動かして下さい。

 これは”弾く”練習ではなく、あくまで拍子をとる練習、つまり足を正しく上下する練習と考えてください。拍子が取れない人に限って、こうした練習を避ける傾向にありますが、決して出来ないことではないので、最初は出来なくても、あきらめずに練習してみて下さい。


全部の音で足を下げないように、足が上がる時にも弾くのがポイント

 No.1は4分音符なので、足が下る時のみ音を出します。これは比較的やりやすいでしょう。NO.2は8分音符なので足が下がる時と、上がる時と両方で音を出します。

 NO.3、NO.4は4分音符と8分音符の混合です。この場合、すべての音で足を下げてしまう、つまり足の動きが一定の速さでなくなってしまう人もいますが、これは絶対にいけません。

 NO.5、NO.6は、NO.3、NO.4と同じですが、3拍子なので若干感じが違います。2拍子、4拍子に比べて間違いやすいところもあります。



応用

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 NO.1~6で音を出すことと足で拍子を取ることが一致したら、その応用として7~10をやってみて下さい。矢印は書いてありませんが、NO.1~6と同様に行なってください。くれぐれも音を出すことだけに集中しないように。


裏打ちの練習

 11.12.は”裏打ち”の練習です。足が下る方を拍の”表”、上がる方を”裏”と言います。この裏のほう、つまり足が上がる時に正しく弾けるように練習してください。この”裏”が正しく取れるようになれば今後あまり問題は起きないでしょう。


表と裏を逆転させると、全く違う曲になる

 8分音符というのは、表と裏で性質が異なり、表の場合は重たく、裏の場合は軽くなります。そんも違いを感じるのが音楽においてはたいへん重要になります。中には表と裏を反対に取って、つまり表の音を足が上る時、裏の音を足が下る時に弾いても、全く平気な人もいますが、これは同じ曲でも全く違った曲になってしまいます。

 
合わせられない


Q : 最近、ギター合奏を主にやっているサークルに入りました。20~30代の頃約10年間ほどのギターを習っていたので、パート譜などは特に問題なく弾けるの出来るのですが、他の人となかなか合いません。

 同じパートの人とでもずれてしまうようですし、他のパートとは合っているかどうか、よくわかりません。自分ではちゃんと合っていると思って、気持ちよく弾いていても、リーダーの人にすぐ止められて「〇〇さん速いです。ちゃんと合わせてください」とか、「〇〇さん、1拍ずれています。他のパートの音をよく聴いてください」などと、いつも言われてしまいます。

 サークルに入って初めてわかったのですが、私の場合他の人と合わないだけでなく、4分音符や8分音符などの長さが正確に取れないようです。

 以前習っていた頃は合奏とか、二重奏とかやったことがなかったので、そういったことはわかりませんでした。またレッスンの時にも、時折「音の長さが違っている」と言われることはありましたが、音符の長さを取る練習などは特にやりませんでした。

 他の人と上手く合わせられたり、正しいテンポで弾けるようになる練習というのはあるんでしょうか。あるいはこうしたことは先天的なもので、今からでどうにかなるものではないのでしょうか? せっかく入ったサークルなので、何とか他の人に迷惑かけない程度にはなりたと思います。

 因みに私には高2と大学1年の娘がいて、二人ともピアノを習わせました。私が言うのは何ですが、二人ともピアノはかなり上手で、発表会などでも、他の子とひと味違った演奏でした。その証拠に、演奏が終わった後の拍手も、いつも他の子よりはずいぶん大きな感じです。

 特に高2の娘のほうは今でも習っていて、本人もやる気なので、音大を受けさせようかと思っています。その娘からは、私がギターを弾いていると、「お父さん、そこちょっと変だよ」とよく言われてしまいます。娘は私が弾いてる曲など他で聴いたことありませんから、間違っているなんてわからないはずです。何でわかるんでしょうか、やはり天才的な耳をしているのでしょうか?
                          

                                     50代 男性 会社員 




A : 


 たいへん力の入った質問ですね。確かに教室入学の問い合わせでも、質問は二の次でご自分の現状を切々と訴えるといった方もいます。ともかく誰かに聞いてほしいということなのでしょう、そういったこともギター教師の仕事のうちかも知れません・・・・


ギター教室の発表会くらい?

 音楽において一定の速さで演奏することは、あまりにも当前のことで、私たちが音楽を聴く時、特に意識することはありません。今現在、CDやテレビ、さらにスマホ、電気製品に至るまで様々なところから音楽が聴こえてきますが、それらからテンポの狂っているものなど聴く機会は皆無といってよいでしょう。もしそれを聴ける機会があるとすれば、ギター教室の発表会くらいでしょうか(・・・・ジギャク?)。

 一定のテンポで演奏することは、いわば空気のようなものですが、しかし空気のようなものだとすれば、それがなくなったら音楽が窒息死してしまうということでしょう。

 

私も出来なかった

 質問者のように独学などでギターを練習していて、ギターの合奏サークルなどに入った場合、音符の長さが正確にとれなかったり、また他のパートの音を聴くことが出来ずに、他の人と合わせられないということは、確かによくあるケースです。また場合によっては、質問者のように長年ギター教室で習っていた人でも、こうしたことがあります。

 私も長く(7~8年)独学でギターをやっていたので、大学のギター部に入った時、他の人と上手く合わせられませんでした。メトロノームに合わせて音階を弾くことも出来なかったし、他のパートと合っているかどうかもよくわかりませんでした。

 でもギター合奏がとても楽しかったので、必死に練習し、2~3ヶ月くらいでそうした問題をある程度解消出来ました。また譜面を読みながら弾くことも、入部当初は出来なかったのですが、これも2~3ヶ月で出来るようになり、比較的簡単なものなら初見演奏も出来るようになりました。本当にまる一日中ギターを弾いていた頃です。



コメントする立場ではないが

 娘さんの耳が”天才的”かどうかをコメント出来る立場ではありませんが、日頃音楽に親しんでいれば、初めて聴く曲でも音符の長さなどが正確かどうかはある程度わかるでしょう。それにしても娘さん及びご家族への愛情のにじみ出た質問ですね、たいへん幸せなご家庭であることが窺われます。



演奏における時間的諸問題

 本題に入る前に、まず言葉の問題ですが、上記のような事柄を正しい”テンポ”が取れないとか、”リズム”が取れないとか表現すると思いますが、正確に表現すれば「演奏における時間的諸問題」ということで、基本的に”タイミング”と表現してゆきます。また文脈によって、テンポ、拍子、リズムといった言葉も用いてゆきます。

 

先天的?

 さて、この”タイミングが取れない”ということが先天的な問題かどうかということですが、確かにそういった点はあるでしょう。同じような環境で音楽をやっていても(あるいはやっていなくても)、タイミングに全く問題ない人と、そうでない人はいるでしょう。



それ以上に大きいのが、音楽を始める年齢

 しかしそれ以上に大きく関係するのは音楽を始める年齢ということになるでしょう。必ずしも小さいうちからギターを始めると上手になるというわけではありませんが、音程やタイミングの取り方などに関しては、やはり小さいうちから始めるほうがより有利です。ただし個人差はかなりあります。



成人してからでも、根気よくやれば

 年齢が高くなってから音楽を始めると、確かにこうしたことはだんだん難しくなるわけですが、それでも正しい方法で根気よくトレーニングすれば、成人してからギターを始めても、特に難しいものでなければ、タイミングは取れるようになると思います。

 この質問者の場合、ギター教室でギターを始めた段階で、こうしたトレーニングを十分にやっておけば、あまり問題にはならなかったかも知れません。



ギター教室の先生がちゃんと教えなかったせい?

 では、質問者が正確なタイミングが取れないのは、最初に習った先生がちゃんと指導しなかったからなのか、ということですが、確かにそういった面を否定することは出来ません。しかしこの先生には、やはりそれなりの考えがあってこのようなレッスンを行なっていたのではないかと思います。

 ギター教室というのは、その先生によってかなり教え方が違うということは以前にも言いました。確かにこういった基本的なことを徹底して指導する先生もいると思います。しかし少なくともカルチャー・センターや楽器店などに併設されているギター教室、いわゆる”街のギター教室”では、基礎を徹底的に指導する先生というのは、私の知る限りではむしろ少数派のようです。



苦痛を伴うレッスンは避ける傾向にある

 こうした”街のギター教室(私の教室もこのジャンルに入りますが)”では、プロのギタリストを目指し、厳しいトレーニングを期待して習いに来る人は決して多くはないでしょう。こうした人たちは、基本的に趣味として習うわけで、余暇を楽しむためとか、仕事の疲れをとり、リラックスするためといった目的が主でしょう。

 一般にこのような教室の指導者としては、自らの生徒さんたちに、たとえそれがたいへん重要な問題であったとしても、本人にとって苦痛を伴うようなトレーニングはなるべく避ける傾向にあります。そしてなるべく本人が希望する曲や内容のレッスンを行なう場合が多いようです。その曲が正しく弾けるかどうかも二の次になることもあります。


結果的にギターへの愛情を失うことはなかった

 質問者の先生としても、もしこの質問者が元々タイミングにそれほど問題がなかったら、逆にそういったことをちゃんとレッスンしていたかもしれません。実際にこの質問者にはそれを徹底しなかったのは、この質問者がタイミングを取るのがかなり苦手そうで、仮にそれを行なうとなるとレッスンに膨大な時間が必要となり、この質問者にも相当の労力、忍耐力、持続力を課することになると思ったからでしょう。

 質問の内容からしても、この先生が質問者のタイミングの問題を気にしていたことがわかりますが、しかしこの先生は自らの生徒さんに苦痛を伴うようなレッスンをすることは自分の仕事とは考えなかったのでしょう。

 結果からしてもその先生の考えどおり、この質問者はギターを10年習うことが出来、またギターへの愛情も失うことがなく今日に至ったのではないかと思います。  
Q : 大学の時からクラシック・ギターをやっています。今は「大聖堂」、「ハンガリー幻想曲」、「タンゴ・アン・スカイ」などを弾いていますが、「練習曲をやらないと上手くならない」というのは本当でしょうか。
                
                       20代 男性




A : その4



ソルの「練習曲作品31-4 ロ短調」

 え? 特に言うことない? ご理解いただけたようで。 いやそう意味ではない? 


 質問者の先生もソルの練習曲を薦めていましたが、今回はソルの練習曲についてお話しましょう。現在、教育的な作品としてソルの練習曲集を重要視するギタリストはたいへん多いと思います。



ブログ 109


 上の譜面はソルの「練習曲作品31-4 ロ短調」です、レヴェルからすれば中級といったところでしょうか。でもあまり弾きやすい曲ではありません。


演奏と作曲は表裏一体

 ソルの練習曲への考え方としては、ギターの演奏技術の習得と共に、作曲を学ぶためのものといいたところがあります。当時の習慣、あるいはソルの考え方としては演奏と作曲は表裏一体のものとしています。ギタリストはただ黙って他の人が書いた譜面を、書かれたとおりに弾くだけということは考えられなかったようです。


和声法への強いこだわり

 そうした面が上の練習曲にも表れているわけですが、ソルは特に和声法にこだわったギタリストといえ、弾きやすや、表面的な演奏効果よりも和声法など、音楽の構築性を重視した作曲家ともいえます。

 ソルを「ギターのベトーヴェン」と例えられることもありますが、そういった点では、時代は少し違いますがバッハの方に近いかも知れません。ベートーヴェンはどちらかと言えば表現手段よりも表現すべき内容のほうにこだわった感があります。


掛留音

 この短い練習曲の中にも和声法にこだわったところはたくさんありますが、それが典型的にでているのが、第2小節目でしょう(ちょっと譜面が見にくいかも知れませんが)。2小節目の最初(1拍目)にファ#、シ、ド#の和音が出てきますが、この中で「シ」は和音から外れた音で、前の小節からそのまま残ってしまったような音になっています。

 この和音から外れた「シ」を掛留音と言い、次に半音下って「ラ#」に進まなければなりません。この「ラ#」を解決音と言います。



緊張感のある響き → 落ち着いた響き

 演奏の際には、1拍目は不協和音なので緊張感のある音で、2拍目では掛留音が半音下って「ラ#」に解決し、協和音(ロ短調の属和音)となるので落ち着いた響きで弾かなければなりません。また1拍目で弾いた④弦の「ファ#」は2拍目でもしっかりと響いていて、ちゃんと和音を成立させなければなりません。

 同様なことが4段目の2小節目にもあらわれますが、ここでは掛留音が上声部と中声部に出てきます。


ソルの練習曲を演奏するには、和声法の習得が必要

 ソルの練習曲に取り組むためには、まず何といっても古典的な和声法が理解できなければなりません。確かに和声法を正しく理解するのはたいへん難しいことですが、基本的なことがある程度理解できれば、後はこうした曲を真剣に学ぶことにより、いっそう理解が深まるのではと思います。

 つまりソルの練習曲を学ぶということは、和声法などの音楽理論も学ぶということになるのでしょう。ソルの練習曲が正しく演奏出来るということは、そうしたものが身に付いていることを示します。そうしたことが多くのギタリストに高く評価されている理由なのでしょう。

  

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答えは「イエス」だが

 遅ればせながら最初の質問にお答えしましょう、質問者の怒りも頂点になっている頃でしょうし、 ・・・・いや、もうとっくにあきらめた? 

 「練習曲を練習する必要があるか」ということですが、単刀直入に「イエス」とお答えするべきでしょう。ただし練習曲を独学で学ぶのは限界があり、やはり適切な指導者につくことが前提でしょう。どういった練習曲を学ぶかということも指導者の指示に従って、あるいは相談の上となるでしょう。



同時にレヴェルに合った様々な曲を練習する必要がある

 また、この質問者が中級程度の曲をあまり練習せずに、限定された難易度の高い曲のみを練習していたとすれば、練習曲以外にも、あまり難易度の高くない曲をなるべくたくさん練習すべきと思います。この場合、練習曲などのレッスンを受けているのであれば、独学でもよいかも知れません。



レヴェルの高い曲を練習すればレヴェルが上がるわけではない

 実際にこの質問者の演奏を聴いてみないとよくわからないところはありますが、話からすれば、質問者のかつての先生は何か不足しているものを感じたのは確かでしょう。そうしたことが「練習曲をやらないと・・・・」といった言葉になったと思われます。決して、レヴェルの高い曲を練習したから、自分のレヴェルが上がるというものではないでしょう。