明日は水戸ギター・アンサンブル演奏会
明日(11月30日 日曜日)は、ひたちなか市文化会館小ホールで第16回水戸ギター・アンサンブル演奏会を行います。開場は17:30で、開演は18:00、入場無料です。
お近くで、お時間のある方、是非のお越しをお待ちしています。 明日はお天気のほうはよさそうですね。
Q : ギター教室の先生になるにはどうしたらよいでしょうか?
当時のレッスン時間は10~20分くらい
私がギターの先生をやるようになったのは大学在学中ですが、私の先生(荻津先生)の紹介で音楽教室のギター科講師になる際、それまで大学の後輩などは教えたことはあるものの、一般の社会人は子供たちなどを教えた経験は全くなかったので、荻津先生や、他の先生のレッスンなどを見学させてもらいました。
当時(1970年代の初めころ)はギターを習う人が多く、そうした先生方は、1日20人くらいの生徒さんを教えていました。 そうなると当然一人当たりのレッスン時間は短く、10~20分くらいと言った感じでした。
かつての歯医者さんと同じく
現在ギター教室では、それぞれの生徒さんのレッスン時間が決まっているのが普通ですが、当時はそれぞれの生徒さんのレッスン時間が特に決まっていなく、”来た順”にレッスンを行ってゆく形でした。
そういえば歯医者さんなども今ではほとんど予約制になっていて、診療時間が決まっていますが、かつては予約制でなく、この受付順で、場合によっては2~3時間くらい待たなければならないこともありましたね。
要するにギター教室もそれと同じシステムで、自分のレッスンが回ってくるまで5,6人くらい待つのは普通でした。 つまり1時間以上待って、自分レッスン時間は10分と少々といった感じになるわけです。 もちろん苦情を言う生徒さんもいましたが、ほとんどの生徒さんはその待ち時間に練習したりしていて、そうしたことは当然のことと受け入れていたようです。
雑談の方が長い?
課題とされている曲もだいたい1曲で、生徒さんがその曲を弾き終えた後、先生がコメントを言うと、その後は雑談になる場合が多く、時には雑談の方が長いこともあるようでした。 正味のレッスン時間としてはさらに短くなるわけですが、しかし生徒さんのほうも結構それを楽しんでいるようです。
生徒さんのほうもギター上達のためだけでなく、そうしたふれあいみたいなものを求めて通ってくる人も少なくないのでしょう。 もっともそれにはその先生の人柄とか、人格といったものが必要なのでしょう。
当時は世間話が出来なかった(今も?)
ギターを教え始めた当初の私は(今も?)その雑談や世間話が苦手で、レッスンを始めても、結局レッスン、あるいはギターや音楽の話しか出来ませんでした。 レッスンの際には結構言葉は多く(今でも!)、よくしゃべっている方と思うのですが、でもよく 「中村先生は無口な方ですね」 などと言われることもありました。 要するにレッスンのこと以外はあまりしゃべらない、いやしゃべれなかったということなのでしょう。
レッスン時間は長いが、くどい
当初、私のクラスは生徒さんもそれほど多くなく、その結果一人あたりのレッスン時間は、そうした先生方よりは長くとりました。
先輩各の先生方の場合、生徒さんがまだよく弾けていないと「 じゃあ、今度までにしっかり練習して来てね」 といった感じでレッスンが終わるのですが、私の場合、なぜそこが弾けないか、とか、どんな方法で練習すればよいかとか、くどくどとレッスンを続けることがよくありました。 要するに生徒さんからすれば、ちょっとめんどくさいタイプの先生だったでしょう。
生徒さんが増えないのは時代のせい、それとも不人気のせい?
愛想はない、レッスンはうるさい、人格、人柄最低・・・・ もっともそういった声は直接は聴こえてきませんが、新しく入学する生徒さんはどちらかと言えば私ではない先生を選んでいたのは確かで、私のクラスはあまり生徒さんが増えませんでした。
もっとも私がギター教師になってから2、3年すると、つまり1970年代の半ば頃からは日本全体として、少なくともクラシック・ギターをやる人は徐々に少なくなり、同じギターでもフォーク・ギターとかエレキ・ギターを指向する人が多くなってきました。 誰にでもなれたギター教師の時代から、1970年代半ばを境に、ギター教師の淘汰の時代へと進んでゆくことになります。
街の中心街の音楽教室主導の時代
このように私がギター教室の先生になった頃、つまり1950年代から1970代の前半くらいまでは、ギター教師になるは、まず楽器店などが併設している音楽教室のギター科の講師になることから始まるのが一般的でした。
また、そうした音楽教室で講師をしている先生も、自宅などでギター教室をやっている訳ですが、その場合も「○○音楽教室でギターの先生をやっているから」ということで信頼されていたと思います。
私も当時、見た目はまるで学生みたいでしたが、地元のK音楽院や、全国展開のY音楽教室(Yだけでわかってしまうが)の講師をしているということで、ささやかな信用を得ていたのでしょう。
当時は繁華街や商店街などにある楽器店併設の教室に通う人の方が多く、 住宅地にあるギター教師の自宅の教室に来る生徒さんの方が少なかったようです。 ギター教室においては、いろいろな意味でこの時代は街の中心街にある音楽教室主導の時代とも言えるでしょう。
明日(11月30日 日曜日)は、ひたちなか市文化会館小ホールで第16回水戸ギター・アンサンブル演奏会を行います。開場は17:30で、開演は18:00、入場無料です。
お近くで、お時間のある方、是非のお越しをお待ちしています。 明日はお天気のほうはよさそうですね。
Q : ギター教室の先生になるにはどうしたらよいでしょうか?
当時のレッスン時間は10~20分くらい
私がギターの先生をやるようになったのは大学在学中ですが、私の先生(荻津先生)の紹介で音楽教室のギター科講師になる際、それまで大学の後輩などは教えたことはあるものの、一般の社会人は子供たちなどを教えた経験は全くなかったので、荻津先生や、他の先生のレッスンなどを見学させてもらいました。
当時(1970年代の初めころ)はギターを習う人が多く、そうした先生方は、1日20人くらいの生徒さんを教えていました。 そうなると当然一人当たりのレッスン時間は短く、10~20分くらいと言った感じでした。
かつての歯医者さんと同じく
現在ギター教室では、それぞれの生徒さんのレッスン時間が決まっているのが普通ですが、当時はそれぞれの生徒さんのレッスン時間が特に決まっていなく、”来た順”にレッスンを行ってゆく形でした。
そういえば歯医者さんなども今ではほとんど予約制になっていて、診療時間が決まっていますが、かつては予約制でなく、この受付順で、場合によっては2~3時間くらい待たなければならないこともありましたね。
要するにギター教室もそれと同じシステムで、自分のレッスンが回ってくるまで5,6人くらい待つのは普通でした。 つまり1時間以上待って、自分レッスン時間は10分と少々といった感じになるわけです。 もちろん苦情を言う生徒さんもいましたが、ほとんどの生徒さんはその待ち時間に練習したりしていて、そうしたことは当然のことと受け入れていたようです。
雑談の方が長い?
課題とされている曲もだいたい1曲で、生徒さんがその曲を弾き終えた後、先生がコメントを言うと、その後は雑談になる場合が多く、時には雑談の方が長いこともあるようでした。 正味のレッスン時間としてはさらに短くなるわけですが、しかし生徒さんのほうも結構それを楽しんでいるようです。
生徒さんのほうもギター上達のためだけでなく、そうしたふれあいみたいなものを求めて通ってくる人も少なくないのでしょう。 もっともそれにはその先生の人柄とか、人格といったものが必要なのでしょう。
当時は世間話が出来なかった(今も?)
ギターを教え始めた当初の私は(今も?)その雑談や世間話が苦手で、レッスンを始めても、結局レッスン、あるいはギターや音楽の話しか出来ませんでした。 レッスンの際には結構言葉は多く(今でも!)、よくしゃべっている方と思うのですが、でもよく 「中村先生は無口な方ですね」 などと言われることもありました。 要するにレッスンのこと以外はあまりしゃべらない、いやしゃべれなかったということなのでしょう。
レッスン時間は長いが、くどい
当初、私のクラスは生徒さんもそれほど多くなく、その結果一人あたりのレッスン時間は、そうした先生方よりは長くとりました。
先輩各の先生方の場合、生徒さんがまだよく弾けていないと「 じゃあ、今度までにしっかり練習して来てね」 といった感じでレッスンが終わるのですが、私の場合、なぜそこが弾けないか、とか、どんな方法で練習すればよいかとか、くどくどとレッスンを続けることがよくありました。 要するに生徒さんからすれば、ちょっとめんどくさいタイプの先生だったでしょう。
生徒さんが増えないのは時代のせい、それとも不人気のせい?
愛想はない、レッスンはうるさい、人格、人柄最低・・・・ もっともそういった声は直接は聴こえてきませんが、新しく入学する生徒さんはどちらかと言えば私ではない先生を選んでいたのは確かで、私のクラスはあまり生徒さんが増えませんでした。
もっとも私がギター教師になってから2、3年すると、つまり1970年代の半ば頃からは日本全体として、少なくともクラシック・ギターをやる人は徐々に少なくなり、同じギターでもフォーク・ギターとかエレキ・ギターを指向する人が多くなってきました。 誰にでもなれたギター教師の時代から、1970年代半ばを境に、ギター教師の淘汰の時代へと進んでゆくことになります。
街の中心街の音楽教室主導の時代
このように私がギター教室の先生になった頃、つまり1950年代から1970代の前半くらいまでは、ギター教師になるは、まず楽器店などが併設している音楽教室のギター科の講師になることから始まるのが一般的でした。
また、そうした音楽教室で講師をしている先生も、自宅などでギター教室をやっている訳ですが、その場合も「○○音楽教室でギターの先生をやっているから」ということで信頼されていたと思います。
私も当時、見た目はまるで学生みたいでしたが、地元のK音楽院や、全国展開のY音楽教室(Yだけでわかってしまうが)の講師をしているということで、ささやかな信用を得ていたのでしょう。
当時は繁華街や商店街などにある楽器店併設の教室に通う人の方が多く、 住宅地にあるギター教師の自宅の教室に来る生徒さんの方が少なかったようです。 ギター教室においては、いろいろな意味でこの時代は街の中心街にある音楽教室主導の時代とも言えるでしょう。
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