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中村俊三 ブログ

中村ギター教室内のレッスン内容や、イベント、また、音楽の雑学などを書いていきます。

プログラムの作り方 9

<アンドレス・セゴヴィアのプログラム 2>



ヴィンツェンツォ・ガリレイ : 6つの小品 (セゴヴィア編曲)

  1. プレリュード
  2. 白い花
  3. パサカリア
  4. クーランテ
  5. カンション
  6. サルタレッロ

ロベルト・ヴィゼー : 6つの小品 (組曲第9番ニ短調より、 12のみ組曲第12番ホ短調  セゴヴィア編曲)

  7. メヌエット(ロンド)
  8. アルマンド
  9. ガヴォット
  10. サラバンド
  11. メヌエット
  12. メヌエット

J.S.バッハ (セゴヴィア編曲)

  13. フーガイ短調 (原曲ト短調)BVW1000
  14. ロンド風ガヴォット (組曲ホ長調BVW1006bより)

   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

フランツ・シューベルト (セゴヴィア編曲)

  15. メヌエット (ピアノ・ソナタト長調 D894より) 


アレキサンドル・タンスマン : カヴァティーナ組曲

  16. プレリュード
  17. サラバンド
  18. スケルツィオ
  19. バルカローレ
  20. ダンサ・ポンポーザ

エイトール・ヴィラ=ロボス

  21. 前奏曲第3番イ短調
  22. 前奏曲第1番ホ短調

マリオ・カステルヌオーボ・テデスコ

  23. セゴヴィアの名によるトナディーリャ Op.170-5
  24. タランテラ Op.87-1

<アンコール曲>
 
エンリケ・グラナドス
  25. スペイン舞曲第10番「悲しき舞曲」


  *1955年8月28日 エジンバラ・フェスティヴァル  フリーメースン・ホール




オススメのライブCD

 このプログラムは現在セゴヴィアのライブ盤としてイギリスのBBCからCDが発売されているもので、 モノラル録音ですが、音質もたいへんよく、何といってもセゴヴィアの絶頂期と言った感じで、演奏も素晴らしいものです。 セゴヴィア・ファンならずともオススメの一枚と言えるでしょう。

 上の曲目表記はなるべくCDに記載されている通りにしましたが、当日配られたものそのものではなく、CD制作の際に補足、修正したものではないかと思います。 このCDについては以前にもは当ブログで紹介しましたが宅に最初のガリレイとド・ヴィゼーの作品(とされている)については曲目表記などに大きな問題があります。



はっきりと時代順に並んでいる

 その曲名表記については、後で触れることにして、このプログラムは前半はレネサンス時代、バロック時代の作品、 後半はロマン派の作品と近現代の音楽と、はっきり時代順に並んでいます。 なお前半、後半に分けたのは私の判断ですが、おそらく間違いないでしょう。

 前回も書いたとおり、1930年代からセゴヴィアはこのように作品を時代順に演奏するようになりました。 それは他のクラシック音楽のコンサートの影響と思われますが、 この後1980年頃まではギターのリサイタルといえば、このように作品をその時代順に並べるのが常識となっていました。



技術的に易しい曲から始めている

 ルネサンスやバロック時代の曲が必ずしも技術的に平易というわけではありませんが、セゴヴィアのプログラムでは、やはり古い作品は比較的易しいものが多いようです。 こうしたことも作品を時代順に演奏する理由の一つなのでしょう。 前半では二つのバッハの作品あたりで難しくなり、この辺が最初のヤマ、つまり”魚料理”といったところでしょうか。 



後半はロマン派、および近、現代

 後半はシューベルトの編曲にタンスマン、ヴィラ=ロボス、テデスコの作品となりますが、この中でセゴヴィアとしてはおそらくタンスマンの「カヴァティーナ組曲」にウエイトと置いていたのではないかと思います。

 何といっても組曲の全曲(ダンサ・ポンポーザを含む)演奏ですし、1951年に作曲されたばかりで、この年(1955年)にセゴヴィアはスタジオ 録音しています。 確かにこのカヴァティーナ組曲は素晴らしい演奏で、音質、演奏内容ともそのスタジオ録音に勝るものと言えるでしょう。 



最後はスペインものではなくテデスコの作品

 最後はスペインものではなく、テデスコの作品となっていますが、自分のために作曲された曲(トナディリャ)と華やかな曲(タランテラ)を弾いています。

 その代わりにアンコールでグラナドスのスペイン舞曲を弾いているわけですが、 おそらくアンコール曲は他にもあったと思われます。 しかしこのCDでは時間等の関係でこの曲のみの収録となったのでしょう。




正しい曲名表記

 さて曲名表記のほうですが、最初の6曲を正しく表記すれば次のようになるでしょう。


16世紀のイタリアノリュートのための作品より キレソッティ編曲 : 6つの作品
  1.アリア
  2.白い花
  3.ダンツァ
  4.ガリャルダ
  5.カンション
  6.サルタレッロ

 

 ヴィンツェンツォ・ガリレイは有名なガリレオ・ガリレイの叔父にあたる人だそうで、リュートを弾いていたのは確かだそうです。 この6曲の中のいずれかはこのヴィンツェンツォの作曲である可能性はゼロではないとしても、その確証はなく、一般には「作者不詳」とされています。 また「白い花」はチェザレ・ネグリの作品と断定されています。





 ド・ヴィゼーの作品はもっと複雑ですが、なるべく正確に書くとすれば次のようになります。

ロベルト・ド・ヴィゼー : 組曲ニ短調より
  7.第1メヌエット
  8.アルマンド
  9.ブーレ
  10.サラバンド
  11.第2メヌエット(組曲ホ短調のメヌエットを中間部として挿入)

マヌエル・ポンセ : 組曲ニ長調より
  12.クーラント




なんと、ド・ヴィゼーの作品ではない

 なんと、12.はド・ヴィゼーの作品ではなく、20世紀のメキシコの作曲家マヌエル・ポンセの作品です。 おそらくセゴヴィアはヴィゼーの作品がやや暗いので、明るく華やかな曲が最後に欲しいと言うことで、このポンセの作品をヴィゼーの作品であるかのように装い、プログラムに入れたのでしょう。



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マヌエル・ポンセの組曲ニ長調の「クーラント」  バロック風といえばバロック風だが、ヴィゼーの作品とはだいぶ違う感じ



 この曲は1967年に5曲からなる「組曲ニ長調」として出版されますが、同じ組曲の中の「プレランブロ」をヴァイス作、「ガヴォット」をアレッサンドロ・スカルラッティ作としてセゴヴィアは発表しています。



ばらばらにして再編成?

 メヌエットのほうも複雑で、本来ダ・カーポ形式で組み合わせて演奏すべき第1、第2メヌエットをばらばらにし、なおかつ第2メヌエットのほうは別の組曲のメヌエットと組み合わせて演奏しています。 その事からすれば低音などを追加して本来軽い感じの曲を重厚なものにしているなどあまり問題ないことかも知れません。



ブーレをガヴォットと間違えた? でもそう間違えてもおかしくない

 「ブーレ」を「ガヴォット」と表記したのは単純ミスかも知れませんが、セゴヴィアはこのブーレの最初の二つの音を本来の8分音符から4分音符に変更していて、確かにこれではガヴォットに聴こえてしまいます(ガヴォットとブーレの区別が出来人なら)。 おそらくナポレオン・コストの影響と思われますが、 ナルシソ・イエペスも「禁じられた遊び」の中で、同じように弾いています。



セゴヴィアにとっては曲名や作曲家名は重要でなかった?

 セゴヴィアにとっては曲名とか作曲者名など重要なことではなかったのでしょうが、 でもこれではリサイタルを聴きに来た人やCDを買った人は混乱してしまいますよね。 特に真面目な人ほど。

 「ド・ヴィゼーの最後のメヌエットすごくいい曲だと思うんだけど、楽譜どこから出ているのかな?」 と思ったとしてもそう簡単には見つかりませんね、 まさか別の作曲かの作品だとは思わないでしょうし ・・・・賢明な愛好者だったらヴィゼーの作品にしてはおかしいと思うかもしれないが。

 なお他の曲の方は特に大きな問題はありません。
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プログラムの作り方 8

<アンドレス・セゴヴィアのプログラム>



1. A) ソナティナ     ・・・・・・・・・・・・・・  ジュリアニ
   B) 主題による變奏曲 ・・・・・・・・・・・・・  ソール 
   C) 組曲キャステラナ
        (セゴヴィアの為に作曲) ・・・・・・・トルロバ  
     (イ) プレリュウド
     (ロ) アラダ
     (ハ) ブウレスク
   D) エボケイション   ・・・・・・・・・・・・・・・・ タレガ

2. A) プレリュウディオ
   B) アレマンデ
   C) サラバンド
   D) クウランテ
   E) ガボッテ      ・・・・・・・・・・ 以上 J.S.バッハ
   
   F) グラシュウス   ・・・・・・・・・・ チャイコフスキー

 
     《  休  憩  》

3. A) セヴィラナ(セゴヴィアの為に作曲) ・・・・・・ テュリナ
   B) ト調ダンツァ   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ グラナドス
   C) カディス
   D) セレナータ
   E) セヴィラ  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・以上 アルベニス


      1929年11月20日   大阪 朝日会館



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1920~1930年代のアンドレス・セゴヴィア



セゴヴィアの初来日、実質デビューから13年のプログラム

 上のプログラムはセゴヴィアの初来日、つまり1929年の大阪でのリサイタルのプログラムです。 以前にもこのリサイタルの話は書きましたが、プログラム構成と言った点でもう一度検証してみようと思います。

 アンドレス・セゴヴィアは1893年の生まれで、1908年、セゴヴィア15歳の時に演奏活動を始めました。 しかし、しばらくの間は特に高い評価も得られず、いわば”鳴かず飛ばず”の状態だったようです。 1915年にバルセロナのリョベットのところに行ったのをきっかけに翌年からスペイン全土で演奏活動をするようになり、高い評価を受けるようになりました。 それがおそらくセゴヴィアの実質的なプロ・デビューとなるのでしょう。

 そのデビューから13年後の1929年に日本公演を行った訳ですが、もちろんこの時にはセゴヴィアは世界を代表するギタリストの地位をゆるぎないものにしていました。 そして、まだ音楽的には未開の地だった日本で演奏を行うなど、セゴヴィアは積極的に演奏活動を行っていました。




当時のまま書き出した

 デビュー当時のリサイタルのプログラムの詳細などはわかりませんが、比較的早い時期のプログラムとして1929年の初来日時のプログラムを挙げておきました。

 上のプログラムは当日配られたと思われるものを、なるべく当時のまま記したものです。 もちろん今現在の曲目表記とは異なりますが、当時の雰囲気が感じられるので、なるべく当時のまま記しました。 カタカナ表記などもちょっと変な感じはしますが、意外と原語の発音に近いものもあります。




<オリジナル> <編曲> <スペイン> の三部構成

 全体は三部構成となっていますが、休憩は一回なので二部構成的だったのでしょう。 それでも3部構成のプログラムとしているのは、第1部はギターのオリジナルlの作品、 第2部は編曲作品、 第3部はスペイン音楽としているからなのでしょう。

 セゴヴィアのプログラムはほとんどの場合、時代順に作品を並べるのですが、このプログラムではそうはなっていません。 たまたまこのリサイタルの時だけそうだったのかどうかはわかりませんが、少なくとも1930年代以降はほとんど時代順に作品を並べています。

 しかしその代わりにはっきりと3つのグループに分け演奏するなど、このプログラムでもはっきりとしたコンセプトがあるのが特徴です。



第一部は古典とモレーノ・トロバの新作にアランブラ

 最初のジュリアニの「ソナティナ」はどのソナチネなんでしょうか、「ニ長調作品71-3」 などが考えられますが、セゴヴィアの場合、4楽章全曲演奏することはあまりないので、その中の一つの楽章でしょうか、あるいは全く別の作品でしょうか。  ソールの「主題と變奏」は「モーツァルトの『魔笛』の主題による変奏曲」と考えてよいでしょう。

 「キャスラナ組曲」 は現在では 「カスティーリャ組曲(ファンダンゴ、アラーダ、ダンサ)」と表記されますが、この当時まだ本当に作曲されたばかりで、超現代音楽と言ったところでしょう。 「エボケイション」は「アランブラの想い出」と考えられます。



バッハは一つの組曲からではない

 バッハの作品についてははっきりとどの曲かわかりませんが、少なくとも一つの組曲からではないでしょう。 その当時のSP録音などから推測すると、「プレリュウディオ」 は「リュートのための小プレリュード」か「チェロ組曲第1番」のプレリュード。 

 「アルマンデ」は「リュート組曲第1番」より、 「サラバンド」も同じリュート組曲第1番、もしくは無伴奏バイオリン・パルティータ第1番ロ短調」。 「クウランテ」は無伴奏チェロ組曲第3番。 「ガボッテ」 は「無伴奏バイオリンパルティータ第3番」、 あるいは「無伴奏チェロ組曲第6番」からと考えられます。

 チャイコフスキーの「グラシュウス」はよくわかりませんが、「喜び」といったような意味なんでしょうか。




セゴヴィアはほとんどの場合、スペインものを最後にしている

 プログラムの最後はスペイン音楽で閉めていますが、これはセゴヴィアが終生行ってきたことで、その後多くのギタリストがそれを踏襲しています(私もそうしていることが多い)。



「カディス」はその後あまり演奏していない

 「セヴィラナ」はトゥリーナの「セビーリャ幻想曲」ですが、これも作曲されたばかりだったでしょう。 「ト調ダンツア」はスペイン舞曲第10番」と考えられます。 アルベニスの「カディス」が演奏されたようですが、セゴヴィアはこの曲の録音を残していません。 ニ長調のタレガ編を使用したのでしょうか。

 アルベニスの「セレナータ」はどの曲だったのでしょうか、タレガの場合は「グラナダ」、あるいは「カディス」だったのですが、やはり「グラナダ」の可能性が強いでしょう。 あるいは「朱色の塔」かも知れません。 「セヴィラ」でリサイタルを閉めるのも、セゴヴィアが終生行ってきたことです。 この頃はまだ「アストゥリアス」は弾いていなかったかも知れません。



タレガのリサイタルからまだ30年ほどしか経っていないが

 このセゴヴィアのリサイタルは前回のタレガのリサイタルから30年弱ということになりますが、 ずいぶんプログラムの組み方が違っているのがわかると思います。 タレガの場合は”今、まさに目の前にいる聴衆をいかに楽しませるかということに主眼を置いてプログラムを作っています。



評論家やジャーナリストを意識している

 もちろんセゴヴィアにしても目の前にしている多くの聴衆を喜ばせることは大事なのですが、プログラムの構成などを見ると決してそれだけを考えてリサイタルを行っている訳ではないように思えます。

 セゴヴィアにとって演奏の対象は音楽をより深く聴き取る専門家であったり、またジャーナリストであったりもするのではないかと思います。 つまりセゴヴィアは目の前の聴衆を満足させるとともに、後日ジャーナリズムにより、どのように紹介され、評価されるかというこを意識したのではないかと思います。



単なるエンターティメントではない方向に向かっている

 タレガとセゴヴィアのプログラム構成に違いは、もちろんそのギタリストの個性の違いということもありますが、時代の流れといったものも大きいでしょう。 当時の(クラシック)音楽界全体が、徐々にエンターティメント性以外のものを指向してゆくようになり、 クラシックのコンサートは、より ”クラシック音楽” らしいコンサートになってくるわけです。

 ちょうどそんな時代にアンドレス・セゴヴィアが登場したわけで、今日のギターリサイタルのプログラムの原型はセゴヴィアが作ったわけではないとしても、この時代につくられたのは確かでしょう。
プログラムの作り方 7  

<フランシスコ・タレガのプログラム(2)>




「スペイン幻想曲」とか「スペインの調べ」なんて聴いたことがないけど?

 タレガのプログラムの続きです。 前回1889年と1904年のプログラムを記載しましたが、曲目はそちらを見てください。
タレガが演奏した曲は、ギターのオリジナル作品は少なく、ほとんどがギター以外の作品からの編曲だと言うことを書きました。

 1889年と1904年の両方のプログラムに、タレガ作として「スペイン幻想曲」と「スペインの調べ」という曲が入っています。 どちらも両方のプログラムに入っているのですから、タレガにとっては重要な作品に間違いないと思いますが、でも皆さん、タレガにこういった曲があるなんて知りませんよね?

 もしかしたら失われたタレガの名作?   ・・・・ではなく、これは今日「グラン・ホタ」と呼ばれている曲です。  どっちがですって? いや、どちらもです。   ・・・・だから、「スペイン幻想曲」も、「スペインの調べ」もどちらも「グラン・ホタ」だということです。



そんなのあり?

 意味がわからない?  確かに。  現在の常識で考えれば、意味が解りませんね、一つの曲に二つの別な曲名が付いていて、それが同じリサイタルのプログラムにそれぞれ載せてある、 つまり同じ曲に違った曲名を付けて2回演奏するなんて   ・・・・そんなのあり?

 タレガは特にこの「グラン・ホタ」を愛奏し、リサイタルでは必ず演奏していました。 それだけに曲名もたくさんあり、上記の3つ以外にも「大衆的スペインの歌メドレー」、 「スペイン民謡のメドレー」、 「ホタ」と題されているものにも「ホタ・アラゴネーサ」、 「ホタ変奏曲」などがあります。



タレガ



原曲は師、アルカスの作品

 これらの曲名からもわかるとおり、この曲はスペインの民謡(フラメンコの曲と言った方がいいかも知れませんが)を基に、タレガが変奏曲を作曲したもので、ギターの様々な技法が駆使され、”見た目”だけでも興味をそそるように出来ています。 おそらくリサイタルでは聴衆の受けもよかったのでしょう。



こんな形で同時代ギタリストの作品を演奏していた

 その変奏のいくつかはタレガの師であるフリアン・アルカスのものだそうで、アルカスの作品の再アレンジという面も持っているようです。 また今日「グラン・ホタ」として残されている譜面のイントロは、スペインのギタリスト、ホセ・ヴィーニャスの作品の一部だそうです。 タレガは同時代のギタリストの作品は公式には全く演奏しなかったのですが、実はこんな形で演奏していたようです。




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グラン・ホタの序奏部 ホセ・ヴィーニャスの作品を基にしている




固定されたものではなかった

 これらの曲は曲名は違っても、基本的には同じ曲ではありますが、タレガのことですから、おそらく演奏するごとに内容は違っていたのでしょう。 その日の気分や状況で演奏する変奏を選び、変奏の数なども固定してはいなかったのではと思います。 

 特に同じコンサートで2回演奏した場合は、曲名を変えるだけでなく、演奏する変奏も変えていたとも考えられます。 つまり一つの曲を二つに分けて演奏していた面もあるのかも知れません。 今日この「グラン・ホタ」の譜面は少なくとも4種類残されているそうですが、こうした事情を考えれば当然の事といえるでしょう。
  



「グラン・ホタ」と「ベニスの謝肉祭による変奏曲」は対

 「ベニスの謝肉祭による変奏曲」と「パガニーニの主題による変奏曲」も同一曲で、この曲もタレガが必ずリサイタルで演奏した曲です。 つまり「グラン・ホタ」と「ベニスの謝肉祭による変奏曲」はタレガのリサイタルでは必ずセットで演奏されていたということになります。



「ベニスの謝肉祭」の方がクラシック音楽的

 グリサンド奏法による「猫の鳴き声」など、両方の曲に共通する変奏もありますが、あえてこの両者の違いに注目すれば、「ベニスの謝肉祭」の方はメロディを歌わせることに主眼をおいた、やや伝統音楽、つまりクラシック音楽的で、 「ホタ」のほうはエンターティメント性の高いものと言えるかもしれません。 いずれにせよ、タレガは終生この2曲をかならずリサイタルで演奏していたようです。



他の作品も他の音楽家の作品をテーマにしたもの

 他にタレガ作として演奏されている曲は、他に「ゴットシャルクの大トレモロ」、「演奏会用練習曲」がありますが、どちらも他の作曲家の作品からの編曲、あるいは主題をとったものです。 「演奏会用練習曲」はタールベルクの作品から主題を取っています。 またどちらの作品もトレモロ奏法が用いられています。



やはり、だんだん盛り上がるようになっている

 プログラムの前半、後半の構成としては、前後半ともそれぞれ同じような構成になっているのが特徴です。 ほとんどの場合、メンデルゾーンやシューマンなどのやや”おとなしい”曲で始め、最後は自作の「グラン・ホタ」や「ベニスの謝肉祭」など華やかな曲で終わるといったような構成です。



二次会が本番?

 タレガは偉大なギタリストであるのもかかわらず、”あがり症”だったらしく、やはり後半にかけてだんだん調子上げてゆくタイプだったのでしょう。 おそらくアンコール曲あたりが絶好調だったのではと思います。

 さらにタレガの場合、コンサート終了後、お店などで”二次会”があったらしく、そこではもう、タレガのギターが止まらなかったようです。 タレガの親しいギター愛好家たちにとっては、こちらの方が”本番”だったのかも知れません。
 

 次回はアンドレ・セゴヴィアのプログラムです
プログラムの作り方 6

  =フランシスコ・タレガのプログラム=




<第1部>

1. ヴェルディ : メロディ(シチリア島の夕べの祈りより)
2. アリエータ : マリーナの小品
3. タレガ : スペイン幻想曲
  * 声楽家による独唱 
4. メンデルスゾーン : 無言歌
6. タールベルク : 葬送行進曲
  * 独唱



<第2部>

  *独唱
1. ゴットシャルク : グラン・トレモロ
2. タレガ : ベニスの謝肉祭による変奏曲
  *独唱
3. タレガ : 演奏会用練習曲
4. タレガ : スペインの調べ

  <アンコール曲>
  ゴットシャルク : グラン・トレモロ
  アルベニス : タンゴ・カディス
  ニーナ・パンチャ : チューラの子守唄
  アフリカーナのモチーフによる幻想曲

      1889年7月13日 バレンシア 商業協会




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写真は1906年のコンサート



<第1部>

1. メンデルゾーン : ロマンス
2. シューマン : 子守唄
3. アルベニス : セレナータ
4. シューベルト : メヌエット
5. タレガ : 演奏会用練習曲
6. タレガ : スペイン幻想曲


<第2部>

1. アルベニス : スペインのセレナード
2. ショパン : マズルカ
3. ショパン : ノクターン
4. マラッツ : スペインのモチーフ
5. モーツァルト : メヌエット、 パストラーレ
6. タレガ : パガニーニの主題による変奏曲
7. タレガ : スペインの調べ

  <アンコール曲 ~ダニエル・フォルテアとの二重奏>
  モーツァルト : メヌエット
  ビゼー ~タレガ : 「アルルの女」の主題による変奏曲
  ベートーヴェン : メヌエット(ピアノ・ソナタ第20番より)
 
     1904年10月20日 カステリヨン 参事会室




36才と51才の時のリサイタル

 アドリアン・リウスの「フランシスコ・タレガ」に記載されているプログラムを二つほど書き出してみました。 タレガは1852年11月21日の生まれですから、それぞれ36才と51才の時のリサイタルです。

 なるべく若い頃のプログラムも挙げておきたかったのですが、曲目が完全に記載されているものとしては、この1889年のものが最初です。 この1889年のものはタレガの独奏の間に4曲ソプラノの独唱があります(ピアノ伴奏)。 こうしたことは当時よく行われていたのでしょう。




「アランブラの想い出」も、「アラビア風綺想曲」も入っていない

 この二つのプログラムは、大ざっぱに言えばほぼ同じような構成で、リウスの書からすると、タレガの場合若い頃から晩年に至るまで、プログラムの作り方としてはあまり変わらなかったようです。

 この二つのプログラムでみなさんが真っ先に気付くのは、まずこのプログラムの中に私たちがタレガの作品としてよく知っている「アランブラの想い出」や「アラビア風綺想曲」、 さらに「ラグリマ」、「アデリータ」、「マリエッタ」などと言った曲は全く見られないことでしょう。

 このうち「アランブラの想い出」は1899年頃に作曲されたようで、演奏されたとしてもそれ以降となりますが、少なくともタレガがこの「アランブラの想い出」として自ら演奏したという記録は確認出来ないようです。  「アランブラの想い出」がタレガの代表作として知られるようになったのは、やはりタレガの没後と言うことになるでしょう。

 「アラビア風綺想曲」は1889年ころ作曲され、1902年に出版され、タレガの生存中から多くの愛好者などに演奏されいたようですが、これもタレガ自身によって演奏された記録は見当たらないようです(別の曲名で演奏されている可能性はあるが)。 
 
 愛好者に人気のある 「ラグリマ」、「アデリータ」といった小品はタレガとしてはおそらく教材、あるは愛好者のための作品と考えていて、自らコンサートで演奏することは考えていなかったのでしょう。



純粋なオリジナル曲はない

 上の二つのプログラムからもわかるとおり、タレガは自らのリサイタルでは自らのオリジナル曲よりも、他の作曲家の作品を編曲して演奏することが多かったようです。 またオリジナル曲といっても、このプログラムに載せてあるものは全て、他の作曲家の作品からテーマをとっており、ある意味純粋なオリジナル曲はありません。



ソルやアグアードなど、他のギタリストの作品は演奏しなかった

 また自分以外のギタリストの作品が全くないというのも、大きな特徴でしょう。 タレガも若い頃はソルやアグアードなどの練習曲などを弾いていたことはあると思いますが、このソル、アグアードに加え、ジュリアーニ、コスト、メルツといった過去のギタリストの作品も、あるいは同時代のギタリストの作品もタレガが弾いたと言う記録はないようです。



聴衆に受け入れられることを優先した

 と言ったように、タレガのプログラムは今現在のギター・リサイタルとはだいぶ違ったものなのですが、 こうしたプログラムを組んだ大きな理由としては、 まず何といっても聴衆に受け入れられること、聴衆を楽しませることを最優先したからなのでしょう。



サルスエラからの編曲は人気があったと思われる

 タレガの編曲作品は当時流行したサルスエラ(スペインのオペレッタ)からのもの、そしてベートヴェン、ショパン、シューマンなどクラシック音楽の大家の作品からとなっています。 特にサルスエラからの曲は当時のスペイン人なら誰でも知っているもので、おそらく人気を博したと思わrます。 

 また当時中流以上の家庭ならどこにでもピアノが置いてあり、ショパンやシューマンの言った作品もよく親しまれていたのでしょう。 またこれらの作品をギターにアレンジして演奏すると言うことはタレガのこうした音楽家たちへの敬意の表れともいえるでしょう。



晩年には大作曲家の作品が中心になっていった

 この二つのプログラムで、多少違いがあるとすれば、1889年のもにはそのサルスエラからの曲(アリエータ、バンチャ)があるが、1904年のものには1曲もありません。 タレガの最晩年のリサイタルでもそうしたものはなく、オリジナル以外はすべてショパンやメンデルスゾーン、シューマンなど、ギター以外の大作曲家の作品の編曲となっています。

 タレガは年とともにこうした過去の大作曲家への敬意を強く持つようになったのかも知れません。 あるいは聴衆を啓発しようといった意識を持つようになったとも思われます。


 
  

<プログラムの作り方 5>



2008年  中村俊三ギター・リサイタル

パガニーニ : カンタービレ、 ソナタホ短調

ジュリアーニ : 大序曲

バッハ : ガヴォット、 シャコンヌ

・・・・・・・・・・・・・

アルベニス : アストゥリアス、 グラナダ、 カディス、 朱色の塔、 コルドバ、 セビージャ
 
 *アンコール曲   リョベット:盗賊の歌、 ホセ・ビーニャス:独創的幻想曲、 タレガ:アデリータ




後半はアルベニスのみ

 後半のプロはアルベニスの曲6曲ですが、これもかなり早い段階から決めていて、多少考えたとするなら、曲数を何曲にするかといったことだけでした。 6曲というのはやや少な目といえますが、前半のプロが重たいので、後半はやや少な目にしました。

 何といっても前半のプロは難曲揃いなので、演奏者にはもちろん、聴衆にも負担がかかるのではということで、 後半の曲は私自身が自信をもって演奏出来、また聴く人の気持ちも掴みやすいものと言うことで、こうしたものとなりました。

 つまり②の 「聴衆の好みに合う曲」 でもあり、また 「練習しなくても」 とか 「確実に」 とまではゆきませんが、まあ一応弾ける曲と言うことで、やや⑥かな・・・・



曲順はチューニングと曲のテンポなどで

 6曲の演奏順については、曲の親しみやすさ、性格、チューニングなどを考えると、やはりこの順にするのが最もよいでしょう。 6曲中ではやはり最初の「アストゥリアス」が最も知名度も高く、人気も高い曲ですので、これを最初に弾くのが”筋2といったところでしょう。 前半のプロには馴染めなかった人も、この曲でなんとか挽回してもらうと言った意味もあります。

 6曲のテンポとチューニングを順に書くと次のようになります。 テンポと言っても1曲の中で遅くなったり、速くなったりする曲もありますが、だいたいの印象で書いてあります。


1.アストゥリアス   速   ⑥=ミ
2.グラナダ    遅   ⑥=ミ 
3.カディス    速   ⑥=ミ
4.朱色の塔   速   ⑥=レ
5.ミコルドバ   遅   ⑥=レ 
6.セビージャ   速   ⑤=ソ  ⑥=レ



徐々に変わるようになっている

 チューニングについては見てわかるとおり、徐々にチューニングが変わるようになっています。 ⑥弦を「ミ」のものと、「レ」のもを交互に演奏したりするとチューニングに時間がかかってしまいますし、また前述のとおり、曲の途中でチューニングが狂ってきたりします。 また⑤と⑥弦とを両方変える「セビージャ」を真ん中に持ってくるのもたいへんです。

 テンポのほうでは2曲目と5曲目にややゆっくりした曲を置いていますが、これも妥当なところでしょう。 最後の「セビージャ」はチューニングからしても、曲の感じからしても最後にするのが常識かも知れません。



前半がスリリング過ぎた?

 当日の演奏は、録音を後から聴いてみても、凄く良い演奏とまではゆかなくとも、聴き易いというか、「ああ、ギターのコンサートだな」と言った感じで、自分でもリラックスして聴けます(前半がスリリング過ぎた?)。 たぶん会場の人にも楽しんでいただけたのではと思います。



リサイタルを静かに閉じるために

 アンコール曲の方はリサイタル直前まで曲がはっきり決まらず、ハイドンの「メヌエット」、 ヴィラーロボスの「ショールス第1番」、 シューマンの「トロイメライ」、 アルベニスの「タンゴ」、 マラッツの「スペイン・セレナード」 などいろいろ候補が変わりましたが、 リサイタル1か月くらい前から指や腕の疲労がひどくなり、結局のところ負担の少ないものということで上のようになりました。

 この3曲のアンコール曲は、確かに美しい曲ではありますが、やや”地味”といった印象的はあったでしょう。 もっと華やかな曲の方が良かったかも知れませんが、リサイタル本体の印象を薄くしないためには、結果的によかったのではないかと思います。 





次回はタレガのプログラム

 と言ったところで、私のリサイタルのプログラムの組み方についての話を終わりにします。 途中でプログラムの作り方というより反省会みたいになってしまいましたね・・・・   さて、次回は気を取り直して”近代ギターの父”と言われるフランシスコ・タレガのリサイタルのプログラムについてです。