<バッハ:シャコンヌ再考 9 ~バッハの変奏曲>バッハのチャコーナって、他にないの? ところで、バッハはチャコーナ(シャコンヌ)を1曲しか作曲しなかったのだろうか? 「バッハのシャコンヌ」と言えば、ほとんどの人(クラシック音楽に興味のある)は、テーマとなっている無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番ニ短調の「チャコーナ」しか思い出さないでしょう。
これがフーガやプレリュードだったら、相当たくさんあって、その数を数えるのは、なかなか大変だと思います(その勇気はないが)。 チャコーナはフーガなどと同様に、バロック時代の重要な音楽形式とされていますが、なぜか、バッハはあまり作曲しなかったようです。
もう1曲のバッハのチャコーナ 私が知る限りでは、その有名なチャコーナ(Vnパルティータの)以外に知っている唯一のバッハのチャコーナとして、カンタータ第150番の終楽章の合唱があります。
このカンタータはかなり初期の作品らしく、現存するものとしては最も早い時期に作曲されたものとも言われています。 ヴァイオリン2部にファゴットと通奏低音という編成で、かなり”こじんまり”した曲です。 偽作の可能性もあるようです。
バッハのカンタータ第150番の終楽章の合唱。 ロ短調で、低音主題は「シ―ド#ーレーミーファ」となっている。ブラームスが交響曲第4番の終楽章にその主題を用いている 上記の編成のオーケストラ(と言える?)と4声部の合唱による曲ですが、譜面のとおり、はっきりと ”ciaccona” と書かれています。 3分ほどのあまり長くない曲で、この曲が一般に知られている(?)理由としては、ブラームスが交響曲第4番の終楽章にこのチャコーナの主題を用いていることがあります。
ブラームスの交響曲第4番の終楽章の冒頭。 上のチャコーナの主題を用いているが、低音主題としてではなく、上声部にそのテーマを用いている。 また半音階的な変更もあり、最初の小節が主和音でないところも、ある意味凄い! 曲全体としては、重厚な作品だが、バロック的というより、やはりロマン派的。ブラームスの音楽は一筋縄ではいかない それほど目立つ曲でもなさそうなのですが、こんな曲に注目するあたりも、ブラームスらしいところですね。 ちょっと譜面のほうが見にくいかも知れませんが、ブラームスのほうではホ短調に移調し、音価も変え、4小節の主題を8小節にしています。
「ラ」を半音上げて半音階風にしてあるのも目立ちますが、なんといっても低音主題を高音部の旋律として用いていることがバッハの原曲と全く違うところでしょう。 さらに最初の上声部、つまりテーマの音は「ミ」で、当然のことながら最初の小節は主和音、つまりEmになるはずですが、楽譜をよく見ると、和音としては、なんとAmで、低音は「ド」つまりⅣの和音の転回形となっています。
そう言えば聴いた感じ、荘厳ではあるが、何か落ち着かない出だしですね、追い立てられているような・・・・・・ そんなこと聴いただけでわからなければならないところですが、今回初めてわかりました。 ほんとに一筋縄ではいかないブラームスですね、ブラームスの音楽は迷路のような感じなので、これ以上深入りはやめておきましょう。
音楽も複雑だが、性格も複雑 ブラームスは、音楽も複雑なら、その性格も複雑な人だったらしく、人よってかなり印象が違うようです。 大声で喧嘩をしたりするタイプではなかったようですが、少なくとも、相当な皮肉屋ではあったようです。 クララやその子供たちなど、シューマン家の人たちにとってはたいへん気さくな人柄に映ったようですが、時には再起不能になるくらい強烈なダメ出しを、若い音楽家にすることもあったようです。
同じ人物でも、見る人によって印象も変わるのでしょうが、 ブラームス自身でも、人によって接し方が違ったのかも知れません。 まあ、偉人というのはいろいろな面を持っているのでしょうけど ・・・・・おっといけない、本題に戻りましょう。
・・・・・・でも、さらに一言、このブラームスの交響曲第4番は私自身では、若い頃からたいへんよく聴いている曲で、愛聴曲の一つです。 4つの交響曲の中でも、最もブラームスらしい曲ではないかと思いますが、この”まわりくどさ”には共感を持てるのかも知れません。
4小節の主題だが 話がちょっとそれてしまいましたが、このチャコーナ(バッハの原曲)は、4小節の主題で、低音主題は「シ―ド#ーレーミーファ」と、上昇する音階で出来ています。 1小節目は主和音で、4小節目は属和音となっています。 ということは、例のごとく、同じ和音が続かないようになっていますが、最後は主和音で終わらなければなりませんから、曲の終わりで、1小節付け加えなければなりません。
したがって、全体の小節数は4の倍数にはならないことになり、こうしたことはバッハの曲としては少ないのではないかと思います。 この曲は基本的に声楽曲なので、あまりこだわらなかったのか、あるいは初期の作品なのでこうした形になったのでしょうか(あるいは別人の作品かも)。 しかし一方では 「同じ和音の小節を続けない」 ということは相変わらずこだわっているようです。
同じ和音を2小節続けないのはドイツの伝統? 前述のとおり、ヘンデルやヴィターリ、パーセルなどのシャコンヌでは、「同じ和音の小節を続けない」 と言ったことには特にこだわらず、各変奏が切り替わるところで、同じ和音(主和音)が2小節続くようになっています。 これははやりドイツの作曲独特のこだわりなのでしょうか。
そう言えば前述のブラームスの場合でも最初の小節をⅣの和音にすることで、結果的に同じ和音が2小節続くことが避けられています。 それが意図的なのか、結果的になのかはわかりませんが、ブラームスのような人だったら意図的と考えるほうが自然かも知れません。 ともかくドイツの作曲家は、チャコーナにおいて、同じ和音が2小節続くことは絶対に避けるのは確かなようです。
転調してゆく このバッハのチャコーナ(カンタータ第150番の)を少し先まで見てゆくと、曲が始まって4回ほど前述の低音主題が繰り返されると、「レーミーファ#-ソ#-ラーシード」と言ったようにニ長調(平行調)に転調します。 さらに嬰ヘ短調(F#m 属調)、 ホ長調(下属調の同名調)となって、またロ短調の「シ―ド#ーレーミーファ」に戻ります。
チャコーナでも転調することはある チャコーナは 「低音主題よって作曲される変奏曲」 ということなので、転調することは基本的にないのではないかと思いましたが、ヴィターリのチャコーナでも、主調はト短調ですが、変ロ長調(平行調)、 ヘ短調、 さらに主調からは遠いイ短調まで転調しており、チャコーナでも転調してゆくことはあるようです。
しかしどちらかといえば、ヘンデルやヴァイスの作品のように長調から同主短調に変わることはあっても、転調はしない方が主流でしょう。 因みにバッハのVnパルティータのチャコーナの場合も中間部で同主長調に変わりますが、転調はしていません。