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中村俊三 ブログ

中村ギター教室内のレッスン内容や、イベント、また、音楽の雑学などを書いていきます。

<茨城交響楽団水戸芸術館公演  8月30日(日) >

 今日水戸芸術館で茨城交響楽団の公演を聴きました。 曲目は次の通りです。



ベートーヴェン : フィデリオ序曲

プロコフエフ : ピーターと狼 (語り 日向ひまわ)

ベートーヴェン : 交響曲第6番「田園」

  ★アンコール曲  モーツァルト : ロマンス(セレナードK525より)


指揮 : 井口聖一







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 おそらく編成はこのホール(ATMホール)に合わせて、いつもより小編成にしてあるのではないかと思いますが、ベートーヴェンの時代のオーケストラは、だいたいこれくらいの規模ではないかと思いますので、ちょどよい編成なのではと思いました。 なお指揮者の井口聖一さんは、本業は皮膚科、形成外科のお医者さんだそうです。

 通常のフル・オーケストラに比べて弦楽器がやや少なめなので、その分、管楽器がよく聴こえますが、トュッティ(全奏)での弦の迫力もなかなかでした。

 プロコフィエフの「ピーターと狼」は、日向ひまわりさんの語り付きで演奏されました。 ひまわりさんの話は、講談師独特の言い回しで、ちょっとしたミス・マッチかも知れませんが、それがかえって面白いところでした。 内容もよくわかり、たいへん楽しめました。

 ベートヴェンの「田園」は、CDではよく聴いているのですが、改めて”生”で聴いてみると、どこでどの楽器が入るか、などがよくわかって、とても興味深かったです。 特にこの田園では管楽器が活躍し、第2楽章の最後で、フルート、オーボエ、クラリネットで、小鳥たちの鳴き声を真似るところなど、たいへん面白く聴けました。

 
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<中村ギター教室発表会  9月13日(日) 14:00~ ギター文化館>


 9月13日に石岡市ギター文化館で中村ギター教室発表会を行います。 出演者と曲目は以下の通りです。



1. 大きな古時計(ワーク)      藤原時泰  藤原 優  
2. カチューシャ(ロシア民謡)           藤原時泰
3. イタリア風舞曲(ノイジトラー)         藤原 優
4. 琵琶湖周航の歌(小口太郎)         久保田敬一
   アメイジング・グレイス(伝承曲)
5. この広い野原いっぱい(森山良子)      河井由美子
   アレグレットト長調(カルカッシ)
6. コンドルは飛んでゆく(ロブレス)        真分 昭
7. ノクターン(ヘンツェ)               奥山 論
8. エチュード(コスト)                鈴木恵一
9. 月光(ソル)                    小池清澄
10. 禁じられた遊び(A.ルビラ他)         赤沼増美
11. ノクターン(ショパン)              澤畑敦史
12. ワルツ(ソル)                  根本 滋
13. グリーン・スリーブス(カッティング編)    甲斐 洋




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14. トロイメライ(シューマン)           清水和夫
   夜想曲(フェレール)         
15. 枯葉(コスマ)                  鈴木俊彦
16. ワルツ(タレガ)                 関 義孝
17. 二つのメヌエット(バッハ)          有我 等
    ブーレ ~リュート組曲第1番より(バッハ)
18. ラリアーネ祭(モッツアーニ)         石川博久
19. サンバースト(ヨーク)             及川英幸
20. サラバンド(ヘンデル)             佐藤智美
21. 涙のパヴァーン(ダウランド)         佐藤眞美
22. アルマンド ~リュート組曲第1番より(バッハ)
   メキシコ民謡(ポンセ)              米沢洋樹
23. ありのままで(アナと雪の女王より)     中村俊三
   序奏とカプリッチョ(レゴンディ)
  



 入場は無料ですので、ぜひご来場下さい。
<バッハ:シャコンヌ再考 9  ~バッハの変奏曲>



バッハのチャコーナって、他にないの?

 ところで、バッハはチャコーナ(シャコンヌ)を1曲しか作曲しなかったのだろうか? 「バッハのシャコンヌ」と言えば、ほとんどの人(クラシック音楽に興味のある)は、テーマとなっている無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番ニ短調の「チャコーナ」しか思い出さないでしょう。 

 これがフーガやプレリュードだったら、相当たくさんあって、その数を数えるのは、なかなか大変だと思います(その勇気はないが)。 チャコーナはフーガなどと同様に、バロック時代の重要な音楽形式とされていますが、なぜか、バッハはあまり作曲しなかったようです。



もう1曲のバッハのチャコーナ

 私が知る限りでは、その有名なチャコーナ(Vnパルティータの)以外に知っている唯一のバッハのチャコーナとして、カンタータ第150番の終楽章の合唱があります。

 このカンタータはかなり初期の作品らしく、現存するものとしては最も早い時期に作曲されたものとも言われています。 ヴァイオリン2部にファゴットと通奏低音という編成で、かなり”こじんまり”した曲です。 偽作の可能性もあるようです。

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バッハのカンタータ第150番の終楽章の合唱。 ロ短調で、低音主題は「シ―ド#ーレーミーファ」となっている。



ブラームスが交響曲第4番の終楽章にその主題を用いている

 上記の編成のオーケストラ(と言える?)と4声部の合唱による曲ですが、譜面のとおり、はっきりと ”ciaccona” と書かれています。 3分ほどのあまり長くない曲で、この曲が一般に知られている(?)理由としては、ブラームスが交響曲第4番の終楽章にこのチャコーナの主題を用いていることがあります。


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ブラームスの交響曲第4番の終楽章の冒頭。 上のチャコーナの主題を用いているが、低音主題としてではなく、上声部にそのテーマを用いている。 また半音階的な変更もあり、最初の小節が主和音でないところも、ある意味凄い!  曲全体としては、重厚な作品だが、バロック的というより、やはりロマン派的。



ブラームスの音楽は一筋縄ではいかない

 それほど目立つ曲でもなさそうなのですが、こんな曲に注目するあたりも、ブラームスらしいところですね。 ちょっと譜面のほうが見にくいかも知れませんが、ブラームスのほうではホ短調に移調し、音価も変え、4小節の主題を8小節にしています。

 「ラ」を半音上げて半音階風にしてあるのも目立ちますが、なんといっても低音主題を高音部の旋律として用いていることがバッハの原曲と全く違うところでしょう。 さらに最初の上声部、つまりテーマの音は「ミ」で、当然のことながら最初の小節は主和音、つまりEmになるはずですが、楽譜をよく見ると、和音としては、なんとAmで、低音は「ド」つまりⅣの和音の転回形となっています。

 そう言えば聴いた感じ、荘厳ではあるが、何か落ち着かない出だしですね、追い立てられているような・・・・・・ そんなこと聴いただけでわからなければならないところですが、今回初めてわかりました。 ほんとに一筋縄ではいかないブラームスですね、ブラームスの音楽は迷路のような感じなので、これ以上深入りはやめておきましょう。



音楽も複雑だが、性格も複雑

 ブラームスは、音楽も複雑なら、その性格も複雑な人だったらしく、人よってかなり印象が違うようです。 大声で喧嘩をしたりするタイプではなかったようですが、少なくとも、相当な皮肉屋ではあったようです。 クララやその子供たちなど、シューマン家の人たちにとってはたいへん気さくな人柄に映ったようですが、時には再起不能になるくらい強烈なダメ出しを、若い音楽家にすることもあったようです。

 同じ人物でも、見る人によって印象も変わるのでしょうが、 ブラームス自身でも、人によって接し方が違ったのかも知れません。 まあ、偉人というのはいろいろな面を持っているのでしょうけど ・・・・・おっといけない、本題に戻りましょう。 

  ・・・・・・でも、さらに一言、このブラームスの交響曲第4番は私自身では、若い頃からたいへんよく聴いている曲で、愛聴曲の一つです。 4つの交響曲の中でも、最もブラームスらしい曲ではないかと思いますが、この”まわりくどさ”には共感を持てるのかも知れません。

 

4小節の主題だが

 話がちょっとそれてしまいましたが、このチャコーナ(バッハの原曲)は、4小節の主題で、低音主題は「シ―ド#ーレーミーファ」と、上昇する音階で出来ています。 1小節目は主和音で、4小節目は属和音となっています。 ということは、例のごとく、同じ和音が続かないようになっていますが、最後は主和音で終わらなければなりませんから、曲の終わりで、1小節付け加えなければなりません。

 したがって、全体の小節数は4の倍数にはならないことになり、こうしたことはバッハの曲としては少ないのではないかと思います。 この曲は基本的に声楽曲なので、あまりこだわらなかったのか、あるいは初期の作品なのでこうした形になったのでしょうか(あるいは別人の作品かも)。  しかし一方では 「同じ和音の小節を続けない」 ということは相変わらずこだわっているようです。



同じ和音を2小節続けないのはドイツの伝統?

 前述のとおり、ヘンデルやヴィターリ、パーセルなどのシャコンヌでは、「同じ和音の小節を続けない」 と言ったことには特にこだわらず、各変奏が切り替わるところで、同じ和音(主和音)が2小節続くようになっています。 これははやりドイツの作曲独特のこだわりなのでしょうか。

 そう言えば前述のブラームスの場合でも最初の小節をⅣの和音にすることで、結果的に同じ和音が2小節続くことが避けられています。 それが意図的なのか、結果的になのかはわかりませんが、ブラームスのような人だったら意図的と考えるほうが自然かも知れません。 ともかくドイツの作曲家は、チャコーナにおいて、同じ和音が2小節続くことは絶対に避けるのは確かなようです。



転調してゆく

 このバッハのチャコーナ(カンタータ第150番の)を少し先まで見てゆくと、曲が始まって4回ほど前述の低音主題が繰り返されると、「レーミーファ#-ソ#-ラーシード」と言ったようにニ長調(平行調)に転調します。 さらに嬰ヘ短調(F#m 属調)、 ホ長調(下属調の同名調)となって、またロ短調の「シ―ド#ーレーミーファ」に戻ります。



チャコーナでも転調することはある

 チャコーナは 「低音主題よって作曲される変奏曲」 ということなので、転調することは基本的にないのではないかと思いましたが、ヴィターリのチャコーナでも、主調はト短調ですが、変ロ長調(平行調)、 ヘ短調、 さらに主調からは遠いイ短調まで転調しており、チャコーナでも転調してゆくことはあるようです。

 しかしどちらかといえば、ヘンデルやヴァイスの作品のように長調から同主短調に変わることはあっても、転調はしない方が主流でしょう。 因みにバッハのVnパルティータのチャコーナの場合も中間部で同主長調に変わりますが、転調はしていません。

 

 
バッハ:シャコンヌ再考 8  ~いろいろなシャコンヌ 7

<ヘンデルのシャコンヌト長調>





プレスティ&ラゴヤも録音している
 
 私たち、ギターをやるものにとって、ヘンデルのシャコンヌといえば、1960年代に、伝説のデュオと言われた、プレスティ、ラゴヤが演奏した「シャコンヌト長調」が、まず思い浮かぶと思います。



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伝説のデュオと言われたプレスティとラゴヤ。 ヘンデルのシャコンヌト長調を録音している(このCDではないが)。 チェンバロの演奏に比べると装飾などは少な目だが、やはり凄いテクニックだ。 繰り返しの際の2度目は、チェンバロでは装飾を加えたりするが、このデユオの演奏ではその代わりに音色を変えている。 




原曲はチェンバロ(イギリスではハープシコード)

 原曲はチェンバロのための曲で、組曲などには属しない曲のようです。 テーマは8小節ですが、繰り返しがあって、16小節になっており、 繰り返しの場合、単純にリピート記号になっているところと、2回目は装飾を加えるなど、何らかの変化を加えて書いてある場合とがあります。

 おそらく繰り返し記号にしたがって演奏する際にも、演奏者が2回目は若干変化させて演奏することを前提としているのかも知れません。 全体はテーマと21の変奏となっています。



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装飾的なパッセージが目立つが、さらに装飾を加えて演奏されることが多いようだ



基本的に2拍目にアクセント

 テーマは譜面のとおり、装飾的な譜面となっていますが、実際の演奏ではさらに装飾を加えたるするチェンバリストが多いようで、さらに装飾的に聞えます。  テーマと各変奏は、基本的に2拍めにアクセントが置かれる形ですが、変奏によっては3拍目にアクセントがつく場合もあります。



主和音が2小節続くが

 低音主題を持つというより、定まった和声進行のもとで各変奏が作曲されているようです。 曲全体としては装飾的に書かれている部分も多く、華麗で、技巧的な曲と言えます。

 各変奏の1小節目は当然、主和音(ト長調の主和音=Gメジャー)ですが、8小節目も主和音で、次の変奏に移る際にはこの主和音が2小節続くことになりますが、ヘンデルの場合はそのことにはあまりこだわりがないようです。



音楽的にはシンプルだが、聴き映えはする

 聴いた感じからすると、この曲はたいへん華やかで、初めて聴いた場合、バッハのチャコーナよりも、むしろ印象深いのではないかと思いますが、音楽構成などは比較的シンプルです。

 確かに演奏効果の高い作品だなと感じますが、こうした曲を聴く限りでも、生存中にヘンデルの評価がたいへん高かったのがうなずけます。 バッハの平均律やゴールドベルク変奏曲などに比べると、へンデルの鍵盤作品はあまり聴かれないようですが、なかなか面白いものだと思います。 


 
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このシャコンヌト長調、および15のハープシコードのための組曲他が収録されたCD4枚組のアルバム。 バッハもいいが、ヘンデルもわるくない Brillant盤 演奏Michael Borgstade



バッハやヴァイスの作風とはやや異なる

 ヘンデルはドイツに生まれて、イタリアで音楽を学び、イギリスに渡って高い評価を得るようになったわけですが、バッハやヴァイスのような生粋のドイツの音楽家とは一線を画し、言わば「国際派」の音楽家と言えるのでしょう。

 したがって、バッハやヴァイスなどにみられる 「ドイツ的なこだわり」 はあまりないようです。 曲名も「ciaccona」ではなく、「chaconne」となっています (ただし英語では「シャコンヌ」ではなく「シャコン」)。




次回からはいよいよ本丸に迫りたいところだが

 さて、これまで、一般的にシャコンヌとはどういいう曲か、また同時代の他の作曲家はどんなシャコンヌを書いていたのかということを書いてきました。 

 一般的なシャコンヌについての情報もある程度得たところで、いよいよバッハのチャコーナにと迫りたいところですが、 ちょっと待った! その前にバッハはこの記事のテーマである、無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番ニ短調の終楽章「チャコーナ」 以外にチャコーナは作曲しなかったのか、またさらにパッサカリアなど同種の変奏曲はどうなっているのか、などについて考えてゆかなければならないでしょう。

 城内には入ったが、まだ本丸に迫るには早い! まずは二の丸、三の丸を攻めねば!
<フィリップ・トーンドゥル オーボエ・リサイタル>

 8月11日(火)19:00   水戸芸術館ATMホール




    <プログラム>

シューマン : アダージョとアレグロ Op70

ラヴェル : ソナチネ

ボンキエッリ : カプリッチョ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

プーランク : オーボエ・ソナタ

ニールセン : 2つの幻想的小品

ケクラン : 11のモノディより「ティテュロスの休息」 ~オーボエ・ダモーレ・ソロ

パスクッリ : ドニゼッティの歌劇「ラ・ファヴォリータ」の主題による協奏曲

  *アンコール曲  シューマン : 幻想小曲集より、    ドラティ : 蝉と蟻、子守唄 

ピアノ : 加藤洋之  




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フランスが生んだ若きヴィルトーゾ、 水戸室内管弦楽団のメンバー

 水戸芸術館でコンサートを聴くのは久々となりますが、ちょうど教室の方もお盆休み中だったので、聴きに行きました。 このオーボエ奏者の名前は初めて聴きますが、水戸室内管弦楽団のメンバーの一人だそうです。

 パンフレットによればトーンドゥル氏はフランス生まれで、15歳でパリ・コンセルバトワール入学、18歳でシュトゥットガルト放送交響楽団首席、20歳で小澤征爾氏に請われ、水戸室内管弦楽団に加わったそうで、その経歴を読む限りでは、まさに早熟の天才オーボエ奏者で、若きヴィルトーゾと言えるでしょう。



やや地味だが歴史は古い

 オーボエと言う楽器はオーケストラにはなくてはならない楽器ですが、しかし木管の中では、フルートやクラリネットなどに比べてやや地味な印象があります。 しかし、その起源は古く、ギリシャ時代にも遡るのだそうで、また、18世紀にオーケストラが誕生した際にも、フルートやクラリネットに先駆けて取り入れられていました。 
 


硬派な木管

 オーケストラの中でも、オーボエはクラリネットやフルートのように音楽に彩を添えると言うより、管楽器群を”締める”、硬派な役割があるように思います。 硬派な音楽を書いたベートーヴェンには「運命」や「英雄」などでオーボエがたいへん重要な役割を果しますが、 モーツアルトの曲ではどちらかといえばクラリネットの方が印象的に使われます。



そう言えば

 リサイタルが始まってから、ふと、10年くらい前に宮本文昭さんの演奏を聴いたのを思い出しました。 その時のコンサートはリサイタルではなく、水戸室内管弦楽団の定期演奏会のソリストとして、モーツァルトの協奏曲を演奏したと思います。

 他にもモーツァルトの管楽器のための協奏曲が演奏されましたが、宮本さんのオーボエ協奏曲は特に記憶に残っています。 オーボエと言う楽器がこれほど表情豊かなものかと、改めて驚きました。 

 宮本さんはこのコンサートの後、演奏家としての活動を終えることになる、特別なコンサートだったようですが、その後指揮者として活動を再開したらしいです。
 


率直な表現

 話がそれてしまいましたが、 今日のコンサートのトーンドゥルさんの演奏は、この会場いっぱいにオーボエの音をたいへん美しく響かせ、満席の観客を、十二分に、有り余るほど魅了していました。 トーンドゥルさんの表現は、たいへん率直なもので、作曲家の書いた音楽を、ストレートに観客に届けるといった感じもしました。 



飽き足らない?

 プログラムを見ると、前半は本来オーボエ以外の楽器のために書かれた作品、後半がオーボエのためのオリジナル作品となっています。 「オーボエには数多くのレパートリーがあるので」とトーンドゥルさんは言っていますが、そのオーボエのための作品だけでは飽き足らない、貪欲な音楽家なのでしょう。 こういった点でも共感が持てます。



日本でのファンも増えそう

 プログラム全体にほぼ初めて聴く曲が多く、また20世紀の作品も多いわりには、聴いてすぐ馴染める曲も多く、親近感を持ちやすいものとなっています。 まだ25歳だそうですが、妙に力が入り過ぎたりすることもなく、自らの力量をアピールすることよりも、観客とともに音楽を楽しむといった姿勢が感じられるリサイタルでした。 彼のファンは、我が国でもいっそう増えてゆくことでしょう。
バッハ:シャコンヌ再考 7  ~いろいろなシャコンヌ 6



<トマソ・ヴィターリのシャコンヌ>



バッハの次に有名なシャコンヌは

 一般にバッハのシャコンヌの次に有名なシャコンヌとしては、ヴィターリ(Tomaso Vitali 1665~?)のト短調のシャコンヌが知られています。 たいへんロマンティックな曲で、バッハのシャコンヌよりも好きだという人もいます。

 この曲が一般に知られるようになったのは、19世紀に、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲の初演で知られているフェルナンド・ダヴィードのヴァイオリン曲集に収められていたことによります。



偽作?  あまりにもロマンティックなので

 曲の感じはあまりにもロマンティックなので、一時期、ダヴィード自身がバロック時代の作風を模して作曲したのではないかという疑惑も持たれていました。 しかし現在ではその疑いも晴れたようで、バロック時代の作曲家、トマーソ・ヴィータリのオリジナルに間違いないとされています。


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 曲はヴァイオリンと数字付の通奏低音の形で書かれています。 掲載した譜面は出どころ不明で、実筆譜なのか、写譜なのかわかりませんが、見た感じではオリジナルに準じたものではないかと思います。 ト短調の曲ですが、当時の習慣に従って、♭1個で書かれています(現在の書き方では、♭2個)。

 私のCDコレクションでは、イタリア出身の名ヴァイオリスト、ジノ・フランチェスカッティのものがあります。 この演奏では、フランチェスカッティ自身により独奏ヴァイオリンとオーケストラのために編曲されていて、ヴァイオリン協奏曲のような形になっています。


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クセになりそうな

 ヴァイオリン・ソロのパートは上の譜面通りですが、聴いた感じではバロック音楽とは聴こえず、ヴィニャフスキーとブルッフなどのロマン派のヴァイオリン作品のように聴こえます。 何回か聴くと、ちょっとクセになりそうな曲でね、ウワサでは元首相の小泉純一郎氏も好きだとか・・・・・

 フランチェスカッティは、私自身好きなヴァイオリストの一人で、大変ロマンティックに演奏したこのCDもなかなか面白いのですが、比較的原曲に忠実な演奏も聴いてみたいところです。 ただCDなどはあまりは出ていないようですね。




<ヘンリー・パーセルのシャコンヌ>



しっとりとした曲

 イギリスの作曲家ヘンリー・パーセル(Henry Purcell 1678~1741)のシャコンヌト短調も、やや知名度は下がるかもしれませんが、バロック名曲の一つとされています。

 しっとりとした情緒を感じる、なかなか魅力的な曲で、この曲が好きな人も少なくないでしょう。 7分ほどの曲で、ほぼ定まった低音主題のもとに作曲されていますが、特に中間部ではその低音主題が変質したり、またバス以外の声部に移ったりしています。


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ヴァイオリン3声部と通奏低音

 <4声のシャコンヌ>ということですが、オリジナルでも譜面のように通奏低音と3つのヴァイオリンのための曲だったのかどうかは、はっきりわかりません。 第3ヴァイオリンは、ヴァイオリンにしては音域がちょっと低すぎるような気もしますが、ヴァイオリンの最低音は「ソ」なので、オリジナルどおりなのかも知れません。





小胎編のシャコンヌは?

 因みに、ドレミ出版の「ギター名曲170選」の中に小胎剛氏編曲の「パーセルのシャコンヌ」が収められています。 音型や音価などはこの「4声のシャコンヌト短調」とよく似ているのですが、全く別の曲です(短調ではなく、長調)。 こちらの原曲についてはよくわかりません。

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バッハ:シャコンヌ再考 7   <いろいろなシャコンヌ 5>



ルイ・クープランのシャコンヌ ~リュート音楽を継承した

 この「シャコンヌ再考」の記事もやや久々となりましたが、今回からはリュート以外の楽器、および編成のために書かれたシャコンヌについて話してゆきます。 しかしシャコンヌがスペイン以外のヨーロッパの国、あるいは地方に広まった17世紀初頭、つまりバロック時代の始め頃は、器楽の中ではリュートが非常に大きな役割を果たしていて、特にチェンバロの音楽はリュート音楽を継承したものとなっています。


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 そうしたもの代表例としてフランスのルイ・クープラン(Louis Couperin 1626~1661)が挙げられます。 ルイ・クープランはリューティストと両ゴーティエなどとともにフランス宮廷で活躍した音楽家で、クラブサン(チェンバロ)やオルガン曲などを残しました。 

 ちなみに、普通、クープランというとルイの甥にあたるフランソワ・クープラン(Francois Couperin 1668~1733)の方を言い、「神秘の障壁」や「夜鳴き鶯」などのクラブサンの有名な曲は、”大クープラン” と呼ばれたこのフランソワの作品です。



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レオンハルトによるルイ・クープランの組曲集


変奏曲ではなく、ロンド形式になっている

 ルイ・クープランのクラブサンのための組曲は、同時代のリューティストの作品とかなり近く、その中にいくつかシャコンヌがありますが、これらは前にもちょっと触れましたが、変奏曲ではなく、ロンド形式的な作品になっています。 つまりドイツのケルナーやヴァイスなどのチャコーナとは全く別物ということです。


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大クープランと呼ばれたフランソワ・クープランのクラブサン曲を収めたCD(演奏 Olivier Baumont)


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ルイ・クープランのニ短調のシャコンヌ。 最初の8小節が何回か繰り返され、ロンド形式になっている。


 確かに、シャコンヌを舞曲として考えれば、変奏曲よりは、ロンド形式の方ほうが使い勝手がよいのでしょう。 変奏曲形式だと、自然に作曲者や演奏者の力量をアピールするものになる傾向があり、どちらかと言えば ”踊る音楽” というより、 ”聴く音楽” といった面が強くなるでしょう。



ドイツには伝わらなかった

 ドイツの音楽家たちは、いろいろな意味でフランスの音楽の影響を受けていますが、この ”ロンド形式のシャコンヌ” は誰も受け継がなかったようです。 つまりドイツの音楽家たちはシャコンヌを舞踏音楽と捉えたのではなく、あくまでも純粋器楽形式と考えたのでしょう。 もちろんその延長線上にバッハの ”チャコーナニ短調” があるわけです。



ルイ・クープランの曲はあまり聴かれないが

 ちなみに、このルイ・クープランのクラブサン曲はリュート音楽を踏襲しているといっても、やはりクラブサンはリュートよりも音域も高く、また制約の少ない。 したがって同時代のリュート音楽に比べて明るく、クリヤーで、耳になじみやすいのは確かです。

 またルイ・クープランの音楽はフランソワ・クープランに比べて、確かに古風な感じはしますが、底に流れている基本的なテイストは共通しているような気がします。 一般にあまり聞かれる音楽ではないのでしょうが、なかなか面白いです。

 音楽をあまり国籍で考えてはいけませんが、 こうして聴いてみると、ヴァイスやバッハの音楽がベートーヴェンやブラームスにつながり、両ゴーティエや両クープランの音楽がショパンやドビュッシーにつながってゆくのは、やはり自然なものと感じられます(ショパンはポーランド出身だが)。