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中村俊三 ブログ

中村ギター教室内のレッスン内容や、イベント、また、音楽の雑学などを書いていきます。

<ひたちなかギター・マンドリン合奏フェスティヴァル> 
  10月17日(土) 13:30   ひたちなか市文化会館小ホール
  入場無料




 当ブログでも何度かお話しましたが、<ひたちなかギター・マンドリン合奏フェスティヴァル> も、もうすぐとなりましたので、改めて案内させていただきます。

 当フェスティヴァルは茨城県内でギター合奏、及びマンドリン合奏を行っている団体による合同演奏会です。 当初、どれくらいの団体に出演してもらえるのか不安だったのですが、下のように9団体、出演者数にして延べ100人以上の出演が決まりました。  

 最近、こうした音楽活動をしているサークルは増えてきたようです。 出来れば今後隔年の形で行ってゆきたいと思っています。 出演団体、および出演者名、 各団体紹介、演奏曲目など記しておきます(実際の演奏順)。




1.水戸ギター・アンサンブル            指揮  中村俊三

  ラヴェル : 亡き王女のためのパヴァーヌ
  ケテルビー : ペルシャの市場


<団体紹介>
 水戸ギター・アンサンブルは水戸市の中村ギター教室の生徒によって、1982年に結成されました(当初は中村ギター・アンサンブル)。 これまでおよそ2年に1回のペースで、このひたちなか市文化会館を中心に演奏会を行っています。 昨年まで約10名程だったメンバーも、今年は22名と大幅に増えました。これまでとちょっと違った水戸ギタ―・アンサンブルをお聴きいただければと思います。

中川眞理子  有我等  佐藤智美  米沢洋樹  萩野谷稔  市毛和夫  鈴木俊彦  清水和夫  後関信一  石川博久  赤沼増美  澤畑敦史  鈴鹿貢  及川英幸  赤岡伸雄  深作純子  山縣慈子  奥山論  甲斐洋  根本滋  関義孝  佐藤眞美




2.アクアプレットロ・マンドリンアンサンブル
 
  湯浅 隆(御崎恵 編曲) : 南蛮渡来  
  マネンテ : 詩人の瞑想
  アンダーソン(武藤理恵 編曲): ラッパ吹きの休日


<団体紹介>
アクアプレットロ マンドリンアンサンブルは、2011年に水戸市吉田市民センターマンドリン教室のメンバーにより結成されました。プレットロはイタリア語でピックを意味します。アクアは水を意味する言葉ですが、水面に落ちる水滴の響きのような音を出したいという想いから名付けました。練習は月2回で、アンサンブルと共に教則本や独奏曲なども練習しています。11月15日の当教室の発表会にもぜひお越しください。

岡野健太郎   宮入千春   有阪加奈子   武曽ふき子   高橋恵子   川又寛




3.ギターアンサンブルSIT

  ビゼー : ハバネラ、セギディーリャ、間奏曲、闘牛士の歌 ~「カルメン組曲」より 


<団体紹介>
ギターアンサンブルSITは、昨年末に結成しましたギターカルテットSITに新たに3名メンバーが加わり、今年の春に結成。メンバーは、角圭司先生と門下生6名です。グループ名の由来は、角先生、メンバーの出身地の茨城、東京のそれぞれの頭文字を取ってSITです。結成1年目ではありますが難曲にチャレンジします。どうぞお楽しみ下さい。

角圭司   坂本亮   細谷寛子   村上尚代   長塚彰   太田雅幸   山本英雄




4.音和102

ペローニ(千葉慶博 編曲):コーヒー・ルンバ    千葉慶博:春の足音
とまりれん(千葉慶博 編曲):氷雨         菅野よう子(千葉慶博 編曲):花は咲く


<団体紹介>
平成15年に10名で結成した若いクラブです。千葉先生の指導で、クラシック中心のレッスンをしてきました。最近はラテンや演歌も増えてきました。 仕事を持って入る方でも参加できるようにと、日曜日をレッスン日にしています。ギター好きの皆さんの入会を期待しています。

千葉慶博  金子孜  武子紀男  本島美穂子  三村まさ子  中島博幸  常井昌江  軽部健二  大山秀子  大久保邦男




5.水戸ジュピターマンドリンクラブ            指揮  鈴木和雄

  アメリカ民謡 : ペンシルバニア・ポルカ
  ジュリアン : 牧場にて


<団体紹介>
 水戸ジュピターマンドリンクラブは1962年に発足し、今年で創立53年を迎えます。水戸市芸術祭を始めとし、地域イベントへの参加、他グループとのジョイント・コンサート等により、演奏のレベルアップを目指し活動をしております。小人数ですが、ポピュラー、クラシック、マンドリン・オリジナル曲など幅広い曲を練習しながら、アンサンブル演奏を楽しんでいます。部員を募集しています。男女を問わず、加入を歓迎致します。

井坂良昭  山田修一  宮入睦彦  堀野辺直  寺門悦夫  飯田好光  市毛哲  今橋正博  




6.ブリランテ・ギタークラブ

  さだまさし(千葉慶博 編曲):秋桜 
  アルフォード~三枝(千葉慶博 編曲):クワイ河アトム
  パガーノ(千葉慶博 編曲):黒猫のタンゴ  
  ベートーヴェン(千葉慶博 編曲):愛しのエリーゼ


<団体紹介>
ひたちなか市大島コミュニティセンターの主催事業から、自主活動へ移行したギターサークルです。ギター演奏の経験が無い、自己流で弾いていたメンバーが殆どで、講師の千葉先生の気の長い、丁寧なご指導のお蔭で、このようなステージでの演奏も楽しめるようになってきました。今では、年間数回の海浜公園主催の演奏会や施設での行事等で演奏させていただいています。これからも音の重なりをみんなで楽しみながら演奏していきたいと考えています。

千葉慶博  安西玲子  大内崇敬  笹島麻利子  谷政則  奈良佳代子  根本亮二 羽田利子  宮崎弘之  渡辺秀也  




7.マルバ・ギター同好会                     指揮  荒堀彰夫

  J.S.バッハ:G線上のアリア
  イタリア民謡(伊東福雄 編曲):ヴェニスの謝肉祭変奏曲
  米山正夫(牧野哲人 編曲):津軽のふるさと  
  フィルポ(斉藤勇 編曲):夜明け
  ロドリゲス(上原富士夫 編曲):ラ・クンパルシータ


<団体紹介>
茨城県水戸生涯学習センターの「ギター入門講座」OBが母体となって結成したクラシックギター合奏の同好会です。「ソロはちょっときついけど、アンサンブルを楽しもう」をモットーに、現在14名の部員が荒堀先生の指導のもと毎月2~3回の練習を重ね、クラシック、ラテン、タンゴ、歌謡曲など幅広く取り組んでいます。なお、「マルバ」とはスペイン語のMalva(葵)ですが、丸に葉で「葵紋」の意味もあります。

常井昌江  木下慎一  吉澤孝雄  石井謙蔵  宮崎弘之  大山秀子  永長武司  赤沼増美  前田安  高野貞治
上野芳夫  真分昭   軽部健二




8.アマービレマンドリンクラブ                 指揮  外岡久子
  デンバー : カントリー・ロード 
  シャンソン・メドレー


<団体紹介>
 アマービレマンドリンクラブは、老人施設の慰問演奏、市民音楽祭やサロンコンサートの参加、又定期演奏会を行うなど、水戸を拠点として、県内幅広く活動しております。アマービレとは、イタリア語で「優しい」「愛らしい」という意味です。クラブのメンバーは、様々な職業を持つ社会人で構成されおり、多様なジャンルの音楽を楽しんでおります。

高橋恵子  山縣滋子  須田春子  宇留野由利子  浜田愛子  小林裕子  川又寛  宮下啓子  鈴木勝美  荒堀彰夫 市橋瑛子  海老沢信一  小林健輔  上野芳夫  笹沼甚一




9.ラ・ジュネス                         指揮  魚津信一

  中島みゆきメドレー(魚津信一 編曲)
  ドリーブ(魚津信一 編曲) : 前奏曲とマズルカ ~「コッペリア」より


<団体紹介>
 私達のクラブは、マンドリンやクラシックギターを中心とした社会人合奏クラブです。平成15年1月に「ラ・ジュネス」としてひたちなか市に誕生しました。クラブ名の「ラ・ジュネス」はフランス語であり、青春という意味です。マンドリンやギター音楽をこよなく愛し、楽器を夢中になって奏でるその姿は、正に青春そのものであります。クラブのモットーは、弾いて楽しみ,聴いて頂く方にも楽しんでもらうことです。現在初心者大歓迎でクラブ員を大募集中。

三宅喜美子  鈴木和子  高羽澄江  川瀬利之  加藤紀子  城戸明子  皆川千佐子  武曽ふき子  荒井千晶
有阪加奈子  永井敬子  杉山富美子  山田修一  宮入睦彦  秋葉敬子  宮下啓子  鈴木和雄  宮入千春 
小田木香織  高野貞治  大内秀毅  常井昌江  谷津登喜子  黒澤拓也  城戸寛子  上野芳夫  須田修平  
蛭田正直
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<バッハ・シャコンヌ再考 11   バッハの変奏曲 3  ゴルトベルク変奏曲>



この曲についてはあまり語れないが

 バッハの変奏曲といえば、これまで話したチャコーナやパッサカリアよりも、まずは何といっても、この鍵盤のための長大な変奏曲である 「ゴルトベルク変奏曲」 に触れなければならないでしょう。  しかしこの曲はあまりにも大きすぎて、私にはとても語ることなど出来ません。



32×32小節

 そのようなわけで、まずは一般の曲目解説にあるようなことを書いておきましょう。  

 ・・・・・この曲はバッハが晩年の出版した一連の「クラヴィア練習曲集」の第4巻目にあたり、1741年に出版されました。 32小節のアリアが最初と最後にあり、その間に30の変奏がります。 つまり全体では32×32小節となります。 チャコーナの場合は8×32=256と、バッハの場合は4、または8の累乗数にこだわっているのは、前に書いた通りです。



3の倍数で・・・・

 それらの変奏のうち、第3、第6、第9など、3の倍数の変奏はカノンとなっており (以前そんな感じのギャグがあったような?)、 同度から2度、3度となり、最後は9度のカノンとなっています。

 その流れで行くと、第30変奏は10度のカノンになるはずですが、その第30変奏はカノンではなく、二つの違った歌を同時に歌う 「クオドリベット」 というものになっています。 この「クオドリベット」というのは、バッハ家で代々宴会などの際によく行ったものと言われています。



テーマはアンナ・マグダレーナの音楽帳にも載っている

 テーマとなったアリアは「アンナ・マグダレーナの音楽帳」にもマグダレーナの手によって記されていますが、ゴールドベル変奏曲が書かれる前なのか、その後に記されたのかはよくわからないそうです。

 つまり、バッハがマグダレーナのために書いた曲を基にゴルトベルク変奏曲を書いたのか、あるいはマグダレーナが自分で演奏するために、ゴルトベルク変奏曲のテーマを写し取ったのかは、はっきりしないようですが、どちらかと言えば後者の説の方が有力とされています。

 

伯爵の不眠症の為に書かれたと言われるが

 この曲に「ゴルトベルク変奏曲」という名が付いたのは、ある伯爵が不眠症に悩まされ、その伯爵のもとに仕えていたゴルトベルクという若い音楽家の為に書いた曲という逸話があるからですが、 ただこの話はあまり信憑性はないようです。 

 しかし、最初のアリアはたいへん美しく、気持が和む感じなので、気持ちよく寝付けそうな感じはします。 確かに、一般的な人が聴くと、特に刺激的な曲ではないので、寝付くにはちょうどよい曲かも知れませんが、 職業的な音楽家や、音楽に詳しい人が聴くと、逆に寝つくどころではないでしょう。 

 因みに、出版された譜面のどこにも、ゴルトベルク云々と言ったことは書かれてなく、出版譜の表紙には、 「クラヴィア練習曲集。 2段の手鍵盤のチェンバロのためのアリアと様々な変奏曲からなる。 音楽愛好家の心の慰めのために、ポーランド国王兼ザクセン選帝侯宮廷作曲家、楽長、ライプチヒ合唱音楽隊監督ヨハン。 セバスティアン・バッハ作曲。 ニュルンベルクのバルタザル・シュミットより刊行」  と書かれています。
 
 「ポランド国王兼・・・・・・」といった肩書は、どちらかと言えば名目的なもので、バッハの実際の仕事は「ライプチヒ・・・・」のほうです。 
 



チャコーナやパッサカリアの同一線上

 この曲は変奏曲といっても、古典派以降の変奏曲のように、各変奏が最初のアリアの旋律をもとにしているわけではなく、 基本的にはチャコーナやパッサカリアのように低音主題をもとに、その上に旋律を作曲する形になっています。 したがって、チャコーナやパッサカリアなどと同一線上にあるのは確かです。



一般の変奏曲とは別次元

 しかし、その低音主題をもとにしながら、さらにカノンにするなどと言うのはかなり高度な作曲技術が必要でしょう。 ヘンデルやヴァイスには申し訳ないが、この変奏曲は低音主題の上に装飾的なパッセージをのせた変奏曲とは全く別次元の変奏曲といえるでしょう。

 カノンといっても有名な 「パッフェルベルのカノン」 などとは比べ物にならないくらい複雑で、 低音部も単純に同じ和声を刻んでいる訳ではなく、文字通り一つの声部となっています。 2度とか、3度とか、音程関係の違ったカノンになっているだけでなく、上行と下行が逆になったものとかもあります(反行カノン)。



譜面通りに演奏すると1時間を軽く超える

 アリア、およびそれぞれの変奏は16小節ずつ前後半に分かれていて、それぞれ繰り返しがあります。 ということは32×32×2となり、計何小節になるのかな?  電卓がないと計算出来ませんが、どうやら ”2048小節” になるようです。 ということはチャコーナの8倍の長さがあると言うことになります。

 このとおりに演奏すると70~80分くらいかかりますが、最近でのCDでは収録時間的に問題ないので、このとおりリピートを付けて録音していることが多くなりました。 かつてのLP時代ではグールドやレオンハルトなどのように、リピートを省略して録音するのが普通でしたが、それでも35~40分くらいで、ちょうどLP1枚分の時間となります。   ・・・・・これで寝付けなかったら、不眠症も相当重症ですね。

 1950年代くらいまで、このような曲は本当ににごく一部の専門家しか聴いたり、演奏したりはしなかったのでしょうが、1950年代にカナダの奇才ピアニスト、グレン・グールドが録音して話題となり、以後一般の音楽愛好家にも聴かれるようになりました。

 最近ではテレビCMにも使われるくらい、バッハの鍵盤曲としては知られた、あるいは人気のある曲となりました。 そう言えばギター二重奏で演奏しているCDもありますね。 譜面も出ているようですが、私はまだ聴いていません。 興味のある方はぜひ買ってみて下さい。 



男は、やるときはやる?

 このように、バッハはあまり変奏曲は書かなかったが、書く時にはチャコーナやゴルトベルク変奏曲のような、もの凄い、とんでもない曲を書いたというわけです。 滅多に怒らない人が怒ると怖いとか、 いつも無口な人も、酒が入るとしゃべりが止まらなくなるとか、そういったことかな?   ちょっと違う?   まあ、男は ”やるときにはやる”  というやつでしょう。

 それにしても、なぜ、バッハは変奏曲をあまり書かなかったか?  そして、それを書いた時には質的、量的に他の作曲家の同種作品をはるかに凌駕するような作品書いたのか?  どうやらそれには、はっきりした理由があるようです。 決して偶然、たまたまではないでしょう。



バッハはチャコーナが嫌いだった?

 バッハの弟子のフォルケルによれば 「(変奏曲は)基本の和声が常に同じなので、バッハはそれ(変奏曲を作曲すること)をつまらない仕事だと思っていた」 のだそうです。 

 つまり低音主題を決めて、それに装飾的なパッセージをのせるなど、誰にでも出来ることで、そんなことは自分の仕事とは思っていなかったのでしょう。 自分の仕事は ”バッハしか出来ない曲” を作曲することと考えていたのかも知れません。 要するに、バッハはチャコーナや、パッサカリアなどの変奏曲を作曲するのが嫌いだった・・・・・




チャコーナ・モドキ

 下の譜面を見て下さい。 これは私が作った ”チャコーナ・モドキ” です (パッサカリア・モドキでもよかったのだが)。


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 もちろんどうしょうもない曲ですが、ちょっと聴いた感じではそれっぽく聴こえるでしょう?  どうです?   ・・・・・・・そう聴こえなくても、ここはウンと言ってほしいところ・・・・    えっ、なんか、どっかで聴いたことがありそう?    パクリじゃないかって?    まあ、まあ・・・・




フーガだと、モドキも難しい

 もちろんこれは極端な例ですが、和声進行や低音旋律を決め、その上にメロディをのせてゆくということは、作曲技法的には比較的簡単なのは間違いありません。 だからこういった音楽形式が出来たという面もあるでしょう。

  しかしこれがフーガとなると、そうはゆきません。 フーガなどいうのは”行き当たりばったり”で作曲出来るものではなく、相当な綿密な計算も要るでしょう。 やはり高度な作曲技術を身に付けた人のみが作曲できる形式といってよいでしょう。 冗談に ”フーガ・モドキ” を作ろうと思っても、そう簡単には出来ません。

 つまり同じバロック時代を代表する音楽形式といっても、フーガとチャコーナではまるで違うのです。 このあたりが、バッハには数えきれないくらいフーガがのこされているのに、チャコーナなどの変奏曲は数えるほどしかないことの最大の理由でしょう。




バッハのチャコーナは、なるべくしてこのようなチャコーナになった

 バッハは自分自身が作曲のプロ中のプロという自意識はあったでしょう。 プロが作曲するのは、何といっても、まずフーガで、 もし変奏曲を書くとすれば、それは、これまでの変奏曲の概念を超えたものでなければならなかった。 

 したがって、バッハの「チャコーナ」や、「パッサカリアとフーガ」、そして「ゴルトベルク変奏曲」が、このような形で今日に残されたのは、バッハ的な発想からすれば当然のこと言えるのかも知れません。 つまり、今回のテーマである、バッハのチャコーナは、”なるべくして” 私たちが知っている、あの 「チャコーナ」 になったのでしょう。

 

それが大きなヒント

 ”バッハは(あまり)変奏曲を書かなかった”  あるいは ”バッハはチャコーナが嫌いだった” という逆説的ことが、チャコーナを考える上で、大きなヒントとなるのかも知れません。
 

 

今朝、6時ころ



 今朝、6時頃家内に起こされました。 私が寝るのはいつも2~3時頃なので、この時間は最も気持ちよく寝ている時間です。

    「お父さん。 なんか停電みたいなだけど」

    「ウーン、 えっ、 テーデン? 」

 雷が聞こえる感じもなく、雨も降ってはいないようです。

    「停電かどうかは、近所の家の様子見れば、なんとなくわかるんじゃない?」

    「ちょっと待ってね・・・・・・・・    なんか停電じゃないみたい」

    「じゃあ、ブレーカー見てみたら」

 私はまだ布団の中です。

    「ちょっと待ってね・・・・・   なんだか、みんな上がっているみたい」

    「その、右のほうじゃなくて、 左のほう、 左のほうに二つスイッチがあるだろ」

    「よくわかんない」




やっぱりな


 それ以上布団の中にいるわけにもゆかず、私はしぶしぶと布団から抜け出しました。 私の家ブレーカーのスイッチは(みなさんの家のブレーカーも同じかも知れませんが)、右のほうに各部屋などに別れたスイッチがあり、左のほうに大小二つのスイッチがあります。 案の定、右側のスイッチのうち、小さいほうが落ちています。

 そのスイッチを上げると、瞬間的にまた落ちてしまいます。 そこで一旦右側の各部屋に分かれているスイッチを全部切ると、その左側の落ちていたスイッチが入りました。 そして各部屋のスイッチを順に入れてゆくと、「スタジオ・エアコン」と書いてあるスイッチを入れた時に、左側のスイッチが切れてしまいました。


   「ああ、やっぱりな。 スタジオのエアコンの室外機の中に、またナメクジが入ったんじゃない」

   「ナメクジ?」



なぜ手際がいいのか

 なんで私が、こんなに手際が良かったかといえば、実は1カ月ほど前に全く同じことが起きたからです。 この段階では、ブレーカーが落ちた原因が、はっきりナメクジと決まったわけではないのですが、エアコンの室外機に問題が発生したことは間違いありません。

 とりあえず、ブレーカーの「スタジオ・エアコン」のところだけスイッチをオフにしたら、他は問題なく通電していて、特に生活に問題ありません。 だいたい原因もわかったので、まずは新聞を読みながらいつものとおり、コーヒーとパンだけの軽い朝食をとりました(いつもに比べるとかなり早い時間だが)。



前回は修理に8000円+税金を支払った

 少し落ち着いたところで、蚊取り線香に火をつけ(家の周りには蚊が多い)、ドラバー・セットを持って室外機のところに行きました。前回は修理の人を呼んだのですが、結局ナメクジが室外機の配線部分に入り込み、ショートしてしまったことがわかりました。 こうしたことは時々あるそうです。 ドライバーなどでそのナメクジをとってもらい、修理代として8000円+税金を支払いました。



前回と全く同じところに

 その時、室外機のカバーの外し方などをよく見ていたので、今回は自分でもあまり迷わずカバーを外すことが出来ました。 そして前回ナメクジがいた配線部分を見てみると、前回と全く同じところに、同じようにナメクジの残骸があるではありませんか!

 それにしても、1か月前にみた光景と待った同じです。 ナメクジはべとべととくっついていて、取るのにちょっと手間取りましたが、そのナメクジの残骸を取り除くと、全く問題なく通電しました。 カバーを開け始め、ナメクジを取り除き、カバーを完全に元に戻すまで、30分とはかかりませんでした。 



時給16000円?

 少なく見ても30分で8000円の稼ぎ、時給にすると16000円です。 自分ながらによく稼いだなと思います。 勢いで、壊れかけていたトイレのノブも交換しました。   ・・・・・今日は早朝からよく働いたな。



停電の場合は、まず、ナメクジを疑おう

 みなさん、この季節、ナメクジには気を付けましょう!  停電だと思ったら、まずナメクジを疑いましょう!




<中村ギター教室発表会  9月13日(日)14:00 ギター文化館>




 昨日(9月13日)、ギター文化館で中村ギター教室発表会を行いました。 昨年に引き続いてのこの会場での発表会ですが、初めての発表会と言う方を数名含む、22名(私を含む)が演奏しました。 



  
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 私の教室のレッスン室のほうが。この会場よりずっと狭いのですが、ここの方が音が大きく聴こえるから不思議ですね。 昨年の演奏に比べると、格段に上達したと思える生徒さんもいて、ちょっと嬉しい気もしました。



  
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 ”慣れ”もあるでしょうが、何歳になっても気持ちさえあればギターは上達するのでしょう。




    
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 今回、私はアナ雪から「ありのままで」と、レゴンディの「序奏とカプリッチョ」を演奏。 最後のポジション移動の激しいところでは、ネックが揺れ動いてしまい、ちょっと困った。 こうした曲はギター・レストだと難しいかも。


<中村ギター教室発表会  9月13日(日)14:00 ギター文化館>



明日は教室発表会


明日(9月13日 日曜日)は、石岡市ギター文化館で中村ギター教室の発表会を行います。 曲目、および演奏者などは前に書いた通りで、私、および約20名の生徒さんがギター独奏を行います。



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入場無料ですので、ぜひのぞいていただければと思います。  終演は16:30 くらいでしょうか。
<バッハの変奏曲 2   パッサカリアとフーガ ハ短調 BWV582>



バッハの変奏曲

 バッハの変奏曲としては、この記事のテーマとなっている無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番の 「チャコーナ」 以外には、オルガンのために書かれた 「パッサカリアとフーガ ハ短調BWV582」 、 そしてバッハの変奏曲中最大の、あるいは音楽史上最大のといってよいかもしれない 「ゴールドベルク変奏曲」 があります。

 他にオルガンのために書かれた4曲の 「コラール・パルティータ」 と1曲の 「カノン風変奏曲」 などがあります。 「パルティータ」とは 「組曲」 と言った意味もありますが、 「変奏曲」 といった意味もあります。 「コラール・パルティータ」の方はバッハの作品の中でも初期のものとされています(15~17歳のリューネブルク時代)。

 これらの中で、内容からすれば、やはり 「パッサカリア ハ短調」 と 「ゴールドベルク変奏曲」 がたいへん重要な作品と考えてよいでしょう。 


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  オルガンのための 「パッサカリアとフーガ ハ短調BWV582」 



低音が主和音を鳴らしているにも関わらず

 「パッサカリア ハ短調」は譜面のようにペダル(足鍵盤)よる8小節の低音主題から始まります。 上声部はその8小節の低音主題の後から入りますが、3拍目裏で始まり、ペダルで主和音を鳴らしているにも関わらず、すぐに属和音へと変わってしまいます。 



ヘンデルなどとの手法の違い

 このパッサカリアも、冒頭の部分から、何やら ”ただならぬ” 音楽であることが感じられます。 確かに前述のヘンデルの「シャコンヌ」も冒頭から激しい感じがしますが、それは主に演奏技巧的な装飾パッセージによるもので、和声的、あるいは構造的なものではありません。

 それに比べてバッハの「パッサカリア」では装飾的な技法は用いず、主に和声的なインパクト、及びリズムによって緊張感を表しています。 バロック時代の両巨匠と言われるバッハとヘンデルですが、その手法にはかなりの違いがあるようです。 もちろんヘンデル的な手法の方が、当時一般的だったのでしょう。 シャコンヌにせよ、パッサカリアにせよ、当時これらの変奏曲は、基本的に”装飾の音楽”と考えられます。 



低音主題は、ほぼそのまま繰り返される
  
 バッハのパッサカリアでは、冒頭の低音主題は、少なくとも5回は全くそのまま繰り返され、その後も若干変化を加えたり、また上声部に移動したりはしますが、21回ほど、ほぼ繰り返しています。 3拍目から始まりますが、最初と最後の小節は共に主和音となっていて、この曲では 「同じ和音を2小節続けない」 と言うことにはこだわっていません。



フーガは長大なコーダ、ベートーヴェンやブラームスも踏襲した

 後半では8小節の低音主題を4小節に縮小してフーガの主題としています。 前半のパッサカリアも、後半のフーガもそれぞれ充実した曲ですが、パッサカリアの方がやや長く、どちらかと言えばパッサカリアの方が主となっているのではないかと思います。 つまりフーガはパッサカリアの長大なコーダとも考えられるでしょう。 

 変奏曲の最後をフーガにするということは、後にベートーヴェンやブラームスなども行うわけですが、こうした曲の影響なのではと思います。 この 「パッサカリアとフーガ ハ短調」 はバッハが作曲したオルガンのための作品でも特に優れた作品の一つであるのは間違いないでしょう。 



もともとはそんなに緊張感の高い曲でも、壮大な曲でもなかったはずだが

 シャコンヌ、あるいはパッサカリアというと、私たちにはバロック建築の壮大な大聖堂のようなものをイメージしてしまうのですが、そうしたイメージはバッハの二つの作品、つまり 「チャコーナ ニ短調」 と、「パッサカリアとフーガ ハ短調」からきているのかも知れません。

 これまで見てきた、他の作曲家の作品からすれば、チャコーナやパッサカリアはそんなにシリアスな曲ではなく、のんびり聴ける曲というか、いわゆる”癒し系”の曲的だったようです。 このバッハの2作品はそうしたイメージを変えてしまうほど、インパクトの強い作品だともいえるかも知れません。



バッハの作品がパッサカリアとシャコンヌのイメージを変えてしまった

 音楽辞典にも 「どちらかと言えば、パッサカリアのほうが低音主題を厳密に守る」 と言ったことがかかれていますが、このことはあくまでバッハの2作品について言えることであって、バロック時代全般には特に言えるものではないように思います。

 いずれにせよ、私たちのイメージも、また音楽辞典の記述内容も、この2曲のバッハの作品が変えてしまったのかも知れません。