<音楽基礎講座 on Blog> 速度標語 16
モデラート はその言葉どおり ”中くらい” と言うことだが、やや速め
モデラートはその言葉どおり中くらいということですが、いくぶん速めに演奏されることが多いようです。 聴いた感じでは速いとも、遅いとも感じないくらいというのが一番よいようです。 この速度標語も、18世紀半ば頃(古典派以降)から使われていて、ハイドンなどもよく使っています。
モーツァルト、ベートーヴェンは過激な作曲家
しかし、ここでもモーツァルトやベートーヴェンはほとんど使わなかったようです。 両者とも ”中途半端” な速さの曲は、あまり好きではなかったようです。 一方、ラヴェルやドビュッシーなどのフランス系の作曲家は好んで、このモデラート(フランス語で ”モデレ” と表記したが)を使用していました。
速さそのもは全く違うのですが、性格的にはラルゴと共通するところもあるのでしょう。 それにしてもモーツァルトとベートーヴェンは”個性的” というより ”過激な” 作曲家だったのですね。
アレグロ クラシック音楽の標準形 音楽は楽しくなければならない
アレグロはクラシック音楽にとっては最も普遍的な速度標語で、古典派時代からロマン派時代にかけては、交響曲や協奏曲、ソナタ、室内楽などの第1楽章はほぼアレグロに決まっていました。 また何の速度標語も書かれていない場合、基本的にアレグロと考えるのが常識でした。
本来の意味は前に書いたとおり、「陽気な」 とか、「楽しい」 と言った意味になります。 つまりこの時代、音楽は楽しくなければならなかったのですね。 もちろん ”悲しいアレグロ” つまり短調のアレグロもあった訳ですが、やはりその数は少ないものでした。
短調の交響曲は少ない
例えば、モーツアルトには40数曲(はっきりはしていない)ほど交響曲がありますが、そのうち短調のものは2曲しかありません。 もっとも、その2曲ともト短調で書かれた人気作品で、特に40番の方は、モーツァルトの作品を代表するものになっています。
しかし割合からすると、モーツァルトは5%しか短調の交響曲を作曲しませんでした。 協奏曲や室内楽などもほぼ同じです。 「運命」など短調の作品をよく書いたように思われるベートーヴェンでさえ、9曲の交響曲のうち、短調の作品はその第5番「運命」と第9番の2曲しかありません。 協奏曲も7曲中、1曲のみとなっています。
長調と短調のアレグロ楽章が同等に作曲されるようになるのは19世紀半ば以降で、ブラームスは長調、短調、ほぼ同数の交響曲と協奏曲を書いています。 ブルックナーとマラーの場合はそれぞれ9曲の交響曲のうち、短調が6曲と逆転しています。
世の中が平穏になってくると
18世紀から19世紀にかけては、ヨーロッパもまだまだ戦争や病気、貧困などがまん延し、、けっして明るく、平和な時代とはいえなかったようです。 ならばせめて音楽の世界だけでも楽しくしたいということだったのでしょうか。 確かに19世紀もだんだん後半になって、暮らしもよくなり、医学も進歩してくると、だんだん短調の曲も多くなってきたようです。
速度標語が付けられるようになったのは、バロック時代からだが
さて、アレグロはクラシック音楽では、最も普遍的な速度標語だということを言いました。 音楽は明るいだけでなく、軽快でなければならないということでしょう。 音楽に速度標語が添えられるようになったのはバロック時代、つまり17世紀以降となりますが、この時代から本格的に器楽音楽が始まったと言ってよいでしょう。
速度標語を含めた音楽用語がイタリア語であることからしても、この時代はイタリアの音楽が主流だったと言えます。 アレグロといえば、この時代、コレルリやヴィヴァルディなどの協奏曲が思い起こされるわけですが、これらの協奏曲は主に4分音符~16分音符で出来ていることが多く、4分音符を1拍とすることが一般的になりました。
アレグロの場合も時代を経るごとに速くなって行く
これらの協奏曲のアレグロ楽章(第1、第3楽章)は、今現在4分音符=80~120くらいで演奏されています。 当時もこのテンポで演奏されていたかどうかはわかりませんが、演奏者や聞き手のことを考えると、ほぼ同じくらいだと考えられます。 速いと言っても「快適」ということですから、遅すぎてもいけませんが、あまり速すぎると快適ではなくなってしまいます。
これが古典派、ロマン派と時代の経過と共にだんだん速くなってくる傾向にあります。 つまり速い曲と遅い曲の差がだんだん大きくなって来たということになります。 こうしたことは演奏の際によく考慮しておく必要があるでしょう。
言葉が付け加えられるようになる
古典派時代以降になってくると、アレグロという速度標語に「アレグロ・モデラート」 や 「アレグロ・ヴィヴァーチェ」、 「アレグロ・マエストーソ」 など補助的な言葉が添えられるようになります。 音楽がいろいろ多様化したことが主な理由と思いますが、 それに従い、アレグロと言う意味が「楽しい」ということよりも、単純に「速い」という意味に変わってきたのでしょう。
”コン・ブリオ” はベートーヴェンの専売特許?
このアレグロに添えられる言葉は、それぞれの作曲家によって好みが異なります。 ベートーヴェンの場合は、何といっても 「アレグロ・コン・ブリオ」 を好んで使用し、9曲の交響曲のうち 第1番、第2番、第3番『英雄』、第5番『運命』 の第1楽章と 第7番の第4楽章に、この 「アレグロ・コン・ブリオ」 が付けられています。
「コン・ブリオ」の意味としては「生き生きと」とか「活気づいて」といった意味ですが、ベートーヴェンの場合、さらにもっと「力強く」 とか 「精神を集中して」 といったような意味も込められているように思います。
あるいは、私たちが 「アレグロ・コン・ブリオ」 というと、いやでもベートヴェンの 「運命」 や「英雄」を思い出しますから、私たちにとっては ”コン・ブリオ=ベートヴェン的な曲” というイメージになってしまうのでしょう。

いかにも ”コン・ブリオ” な感じの肖像画。 ベートヴェンの肖像画といえば、だいたいこの角度で、この角度がベートーヴェンのベスト・アングルなのかも。 。
”ワルツ第4番” にも付けられている
ギターの方では、バリオスの 「ワルツ作品8-4」 にこの 「コン・ブリオ」 が付けられています。 「コン・ブリオ」 は、アレグロの中でも、かなり速い速度を言ってるので、テンポはなるべく速いほうが良いのですが、それに加えて、ダイナミックさ、つまり強弱の大きな変化も要求されているといってよいでしょう。
走り去る悲しみ
モーツァルトはよく「モルトー・アレグロ」という速度標語を用います。 「モルトー」 は「出来る限り」といった意味ですが、速い曲が好きだった(と思われる)モーツァルトらしい速度標語ですね。
有名な「交響曲第40番」などに付けられていて、この曲は短調でメロディの美しく、悲しい曲。 演奏者は当然ややゆっくり目に演奏したいと思うところですが、モーツァルトは、演奏が可能であれば、出来るだけ速く演奏するようにと言っている訳です。
要するにモーツァルトはこの曲を感傷的に演奏することを好まなかったのでしょう。 誰かが言っていたような気がしますが、まさに ”走り去る悲しみ” といったところでしょうか。
ジュリアーニはアレグロ・マエストーソ
ギターのほうでは、ジュリアーニが比較的 「アレグロ・マエストーソ」 を好んで使用していました。 「大序曲」や 「協奏曲第1番」などがこの「アレグロ・マエストーソ」となっています。 堂々として、華やかな音楽を好んだジュリアーニらしいですね。
因みに「アレグロ・マエストーソ」 はそれほど速く演奏することを言っている訳ではなく、アレグロとしては中庸、単純に速度だけで言えば「アレグロ・モデラート」とだいたい同じと考えられます、もちろん曲の感じはだいぶ違います。
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ジュリアーニは ”マエストーソ” な音楽家を目指したのか。 ソルの肖像画とよく似ているが、ソルは反対向き。
プレスト 速いけど、ちょっと軽い
ヴィヴァーチェ 速いだけでなく、にぎやか
アレグロよりも速い速度標語としては、Presto と Vivace があります。 プレストは速いけれども、ちょっと軽い感じもあります。 したがって、第1楽章などに付けられることはあまりなく、終楽章などに主に付けれらます。
モーツァルトの 「第40番」の第1楽章 もなぜ 「プレスト」 ではなく 「モルトー・アレグロ」 なのかと言うこともそのあたりに理由があるようです。 やはり交響曲の第1楽章は「アレグロ」でなければならないのでしょう。
アウトバーンを走るメルツェデス?
ヴィヴァーチェは 「忙しく」 とか 「せわしく」 と言ったような意味ですが、「にぎやか」と言った意味もあり、静かな曲には、あまり付けられないようです。 代表な曲としてはベートーヴェンの 「交響曲第9番」 の第2楽章が挙げられます。 かなり速く演奏されますが、速いだけでなく、非常に力強く、まるで戦車かブルトーザーが高速で走っているようだ、などと前に書きました。
モーツァルトの 「交響曲第41番『ジュピター』」 の第1楽章は「アレグロ・ヴィヴァーチェ」となっています。 こちらはベートヴェンの「第9」ほどではないとしても、やはり力強く、なおかつ高貴さも漂います。 こちらは ”4000CCのメルツェデス・ベンツ” といったところでしょうか。
まとめのまとめ
これで、当ブログをちゃんと読んだ人は、速度標語について完璧に理解できたと思います。 特にそれrぞれの測度標語の性格、キャラクターと言ったものをしっかりと把握できたのではないかと思います。 こうしたことは実際に曲を演奏する際に絶対必要な知識です・・・・・・・・・
例題の ”わけあり社員” のように家庭のちょっとした問題から、会社の重大問題まで Prsto に片付けてくれる人がいたら、本当に助かりますね。
「あなたは Lento な人ですね」 などと軽々しく人に向かって言ってはなりません。 自分に対して 「私はちょっと Lento なもので」 とかいうのは、謙譲語としてよいでしょう、ショパンのワルツのように。
Grave な明日香ちゃんのお母さんと、Adagio なシュンちゃんのおばあさんとは、どこか性格が似ていますね、なんとなく、ちょっと ”ねちっこい” ところが。 ただ明日香ちゃんのお母さんのほうがちょっと ”きつめ” かな。
Allegro な日がずっと続けば言うことないのですが、 でもやはり Allegro な日は走り去ってしまうものですね、モーツァルトの曲のように。 翔くんと香澄ちゃんは、その後どうなったのでしょうか? 翔くんの思う方向に進んだのでしょうか?
Largo な性格のミタ・センパイは、後輩たちに、たかられようが、いじられようが、そんなことは気にしません。 後輩たちが楽しそうに食べて、飲んでいる姿を見れば、それで嬉しいわけです(自分ではお酒は飲めないが)。 また次の柔道大会の応援に駆けつけてくれるでしょう。
モデラート はその言葉どおり ”中くらい” と言うことだが、やや速め
モデラートはその言葉どおり中くらいということですが、いくぶん速めに演奏されることが多いようです。 聴いた感じでは速いとも、遅いとも感じないくらいというのが一番よいようです。 この速度標語も、18世紀半ば頃(古典派以降)から使われていて、ハイドンなどもよく使っています。
モーツァルト、ベートーヴェンは過激な作曲家
しかし、ここでもモーツァルトやベートーヴェンはほとんど使わなかったようです。 両者とも ”中途半端” な速さの曲は、あまり好きではなかったようです。 一方、ラヴェルやドビュッシーなどのフランス系の作曲家は好んで、このモデラート(フランス語で ”モデレ” と表記したが)を使用していました。
速さそのもは全く違うのですが、性格的にはラルゴと共通するところもあるのでしょう。 それにしてもモーツァルトとベートーヴェンは”個性的” というより ”過激な” 作曲家だったのですね。
アレグロ クラシック音楽の標準形 音楽は楽しくなければならない
アレグロはクラシック音楽にとっては最も普遍的な速度標語で、古典派時代からロマン派時代にかけては、交響曲や協奏曲、ソナタ、室内楽などの第1楽章はほぼアレグロに決まっていました。 また何の速度標語も書かれていない場合、基本的にアレグロと考えるのが常識でした。
本来の意味は前に書いたとおり、「陽気な」 とか、「楽しい」 と言った意味になります。 つまりこの時代、音楽は楽しくなければならなかったのですね。 もちろん ”悲しいアレグロ” つまり短調のアレグロもあった訳ですが、やはりその数は少ないものでした。
短調の交響曲は少ない
例えば、モーツアルトには40数曲(はっきりはしていない)ほど交響曲がありますが、そのうち短調のものは2曲しかありません。 もっとも、その2曲ともト短調で書かれた人気作品で、特に40番の方は、モーツァルトの作品を代表するものになっています。
しかし割合からすると、モーツァルトは5%しか短調の交響曲を作曲しませんでした。 協奏曲や室内楽などもほぼ同じです。 「運命」など短調の作品をよく書いたように思われるベートーヴェンでさえ、9曲の交響曲のうち、短調の作品はその第5番「運命」と第9番の2曲しかありません。 協奏曲も7曲中、1曲のみとなっています。
長調と短調のアレグロ楽章が同等に作曲されるようになるのは19世紀半ば以降で、ブラームスは長調、短調、ほぼ同数の交響曲と協奏曲を書いています。 ブルックナーとマラーの場合はそれぞれ9曲の交響曲のうち、短調が6曲と逆転しています。
世の中が平穏になってくると
18世紀から19世紀にかけては、ヨーロッパもまだまだ戦争や病気、貧困などがまん延し、、けっして明るく、平和な時代とはいえなかったようです。 ならばせめて音楽の世界だけでも楽しくしたいということだったのでしょうか。 確かに19世紀もだんだん後半になって、暮らしもよくなり、医学も進歩してくると、だんだん短調の曲も多くなってきたようです。
速度標語が付けられるようになったのは、バロック時代からだが
さて、アレグロはクラシック音楽では、最も普遍的な速度標語だということを言いました。 音楽は明るいだけでなく、軽快でなければならないということでしょう。 音楽に速度標語が添えられるようになったのはバロック時代、つまり17世紀以降となりますが、この時代から本格的に器楽音楽が始まったと言ってよいでしょう。
速度標語を含めた音楽用語がイタリア語であることからしても、この時代はイタリアの音楽が主流だったと言えます。 アレグロといえば、この時代、コレルリやヴィヴァルディなどの協奏曲が思い起こされるわけですが、これらの協奏曲は主に4分音符~16分音符で出来ていることが多く、4分音符を1拍とすることが一般的になりました。
アレグロの場合も時代を経るごとに速くなって行く
これらの協奏曲のアレグロ楽章(第1、第3楽章)は、今現在4分音符=80~120くらいで演奏されています。 当時もこのテンポで演奏されていたかどうかはわかりませんが、演奏者や聞き手のことを考えると、ほぼ同じくらいだと考えられます。 速いと言っても「快適」ということですから、遅すぎてもいけませんが、あまり速すぎると快適ではなくなってしまいます。
これが古典派、ロマン派と時代の経過と共にだんだん速くなってくる傾向にあります。 つまり速い曲と遅い曲の差がだんだん大きくなって来たということになります。 こうしたことは演奏の際によく考慮しておく必要があるでしょう。
言葉が付け加えられるようになる
古典派時代以降になってくると、アレグロという速度標語に「アレグロ・モデラート」 や 「アレグロ・ヴィヴァーチェ」、 「アレグロ・マエストーソ」 など補助的な言葉が添えられるようになります。 音楽がいろいろ多様化したことが主な理由と思いますが、 それに従い、アレグロと言う意味が「楽しい」ということよりも、単純に「速い」という意味に変わってきたのでしょう。
”コン・ブリオ” はベートーヴェンの専売特許?
このアレグロに添えられる言葉は、それぞれの作曲家によって好みが異なります。 ベートーヴェンの場合は、何といっても 「アレグロ・コン・ブリオ」 を好んで使用し、9曲の交響曲のうち 第1番、第2番、第3番『英雄』、第5番『運命』 の第1楽章と 第7番の第4楽章に、この 「アレグロ・コン・ブリオ」 が付けられています。
「コン・ブリオ」の意味としては「生き生きと」とか「活気づいて」といった意味ですが、ベートーヴェンの場合、さらにもっと「力強く」 とか 「精神を集中して」 といったような意味も込められているように思います。
あるいは、私たちが 「アレグロ・コン・ブリオ」 というと、いやでもベートヴェンの 「運命」 や「英雄」を思い出しますから、私たちにとっては ”コン・ブリオ=ベートヴェン的な曲” というイメージになってしまうのでしょう。

いかにも ”コン・ブリオ” な感じの肖像画。 ベートヴェンの肖像画といえば、だいたいこの角度で、この角度がベートーヴェンのベスト・アングルなのかも。 。
”ワルツ第4番” にも付けられている
ギターの方では、バリオスの 「ワルツ作品8-4」 にこの 「コン・ブリオ」 が付けられています。 「コン・ブリオ」 は、アレグロの中でも、かなり速い速度を言ってるので、テンポはなるべく速いほうが良いのですが、それに加えて、ダイナミックさ、つまり強弱の大きな変化も要求されているといってよいでしょう。
走り去る悲しみ
モーツァルトはよく「モルトー・アレグロ」という速度標語を用います。 「モルトー」 は「出来る限り」といった意味ですが、速い曲が好きだった(と思われる)モーツァルトらしい速度標語ですね。
有名な「交響曲第40番」などに付けられていて、この曲は短調でメロディの美しく、悲しい曲。 演奏者は当然ややゆっくり目に演奏したいと思うところですが、モーツァルトは、演奏が可能であれば、出来るだけ速く演奏するようにと言っている訳です。
要するにモーツァルトはこの曲を感傷的に演奏することを好まなかったのでしょう。 誰かが言っていたような気がしますが、まさに ”走り去る悲しみ” といったところでしょうか。
ジュリアーニはアレグロ・マエストーソ
ギターのほうでは、ジュリアーニが比較的 「アレグロ・マエストーソ」 を好んで使用していました。 「大序曲」や 「協奏曲第1番」などがこの「アレグロ・マエストーソ」となっています。 堂々として、華やかな音楽を好んだジュリアーニらしいですね。
因みに「アレグロ・マエストーソ」 はそれほど速く演奏することを言っている訳ではなく、アレグロとしては中庸、単純に速度だけで言えば「アレグロ・モデラート」とだいたい同じと考えられます、もちろん曲の感じはだいぶ違います。
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ジュリアーニは ”マエストーソ” な音楽家を目指したのか。 ソルの肖像画とよく似ているが、ソルは反対向き。
プレスト 速いけど、ちょっと軽い
ヴィヴァーチェ 速いだけでなく、にぎやか
アレグロよりも速い速度標語としては、Presto と Vivace があります。 プレストは速いけれども、ちょっと軽い感じもあります。 したがって、第1楽章などに付けられることはあまりなく、終楽章などに主に付けれらます。
モーツァルトの 「第40番」の第1楽章 もなぜ 「プレスト」 ではなく 「モルトー・アレグロ」 なのかと言うこともそのあたりに理由があるようです。 やはり交響曲の第1楽章は「アレグロ」でなければならないのでしょう。
アウトバーンを走るメルツェデス?
ヴィヴァーチェは 「忙しく」 とか 「せわしく」 と言ったような意味ですが、「にぎやか」と言った意味もあり、静かな曲には、あまり付けられないようです。 代表な曲としてはベートーヴェンの 「交響曲第9番」 の第2楽章が挙げられます。 かなり速く演奏されますが、速いだけでなく、非常に力強く、まるで戦車かブルトーザーが高速で走っているようだ、などと前に書きました。
モーツァルトの 「交響曲第41番『ジュピター』」 の第1楽章は「アレグロ・ヴィヴァーチェ」となっています。 こちらはベートヴェンの「第9」ほどではないとしても、やはり力強く、なおかつ高貴さも漂います。 こちらは ”4000CCのメルツェデス・ベンツ” といったところでしょうか。
まとめのまとめ
これで、当ブログをちゃんと読んだ人は、速度標語について完璧に理解できたと思います。 特にそれrぞれの測度標語の性格、キャラクターと言ったものをしっかりと把握できたのではないかと思います。 こうしたことは実際に曲を演奏する際に絶対必要な知識です・・・・・・・・・
例題の ”わけあり社員” のように家庭のちょっとした問題から、会社の重大問題まで Prsto に片付けてくれる人がいたら、本当に助かりますね。
「あなたは Lento な人ですね」 などと軽々しく人に向かって言ってはなりません。 自分に対して 「私はちょっと Lento なもので」 とかいうのは、謙譲語としてよいでしょう、ショパンのワルツのように。
Grave な明日香ちゃんのお母さんと、Adagio なシュンちゃんのおばあさんとは、どこか性格が似ていますね、なんとなく、ちょっと ”ねちっこい” ところが。 ただ明日香ちゃんのお母さんのほうがちょっと ”きつめ” かな。
Allegro な日がずっと続けば言うことないのですが、 でもやはり Allegro な日は走り去ってしまうものですね、モーツァルトの曲のように。 翔くんと香澄ちゃんは、その後どうなったのでしょうか? 翔くんの思う方向に進んだのでしょうか?
Largo な性格のミタ・センパイは、後輩たちに、たかられようが、いじられようが、そんなことは気にしません。 後輩たちが楽しそうに食べて、飲んでいる姿を見れば、それで嬉しいわけです(自分ではお酒は飲めないが)。 また次の柔道大会の応援に駆けつけてくれるでしょう。
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