ジョン・ウィリアムス コロンビア録音全集 3
Two Favorite Gitar Concertos

ロドリーゴ : アランフェス協奏曲
テデスコ : ギター協奏曲第1番ニ長調
フィラデルフィア管弦楽団 指揮 ユージン・オーマンディ
録音 1965年12月
トップ・アーティストとの共演
ウィリアムスのコロンビア・レーヴェル3枚目のLPは上記の2大協奏曲です。 ユージン・オーマンディ指揮のフィラデルフィア管弦楽団は、当時コロンビアのドル箱的なオーケストラと言え、こうしたアーティストとの共演は、ウィリアムスがこの歳にして、まさに破格の扱いを受けていたことを証明するものでしょう。
オリジナルのLPが店頭に出ていた期間は短かった
実は、私はこのLPをみたことも聴いたこともなく、LPジャケットもこの再現ジャケットで初めて見ます。 当時でもこのLPはあまり長期にわたってはレコード店の店頭には飾られていなかったと思います。
というのも2年後のウィリアムスはロドリーゴの「ある貴紳のための幻想曲」とドッジソンの協奏曲を録音します。 そしてかなり早い時期に「アランフェス」と、この「ある貴紳」をカップリングして発売され、このオリジナル盤のほうは早い時期に廃盤となっしまったようです。
特にテデスコの協奏曲は市場から消えた
その結果、B面(LPにはA面とB面がある)のテデスコの協奏曲のほうは市場には出回らなくなってしまいました。 「アランフェス」のほうはLP時代には何回か再発され(私はその中の一つを持っていた)、確かに多くの愛好者に聴かれていましたが、 ウィリアムスは75年と84年に再録したこともあって、長い間CD化はされなかったようです。 と言った訳で、この2曲とも、CDではこれまでなかなか聴くことの出来なかったもので、今回入手出来てとても喜んでいます。
粗削りかも知れないが、後の再録にひけをとらない
このアランフェスは評論家などによっては、後の録音に比べ、「若気の至り」 的な評価もありますが、私個人的には、3種類のうち、最も好きな演奏です。 この勢いとか、キレのよさ、とかでは後の演奏では聴けないものがあります。 また、オーマンディのオーケストラも華麗で、とても面白い、こんな演奏あってもよいのではと思います。
ともかく、今回、この2曲の録音を十分に楽しめました。 テデスコの方も、後(77年)に再録していますが、やはりこちらの方が面白い、ウィリアムスはテデスコの音楽によく合っているのではと思います。 ただ、ウィリアムスはこの曲以外のテデスコの曲は録音していません。
この時点でウィリアムスは若き巨匠として完成されていた
それにしても、ウィリアムスはこの20代前半ですでに技術的にも、音楽的にも完成してしまっているようです。 その後多少は経年変化するものの、基本的なところではほとんど変わらないように思います。 晩年になって技術などが衰えたりもしませんでしたが、逆に円熟して若い頃とは全然違った音楽をやると言ったこともない。
ウィリアムスはギター界の江川卓か?
天才と言うものは、たいてい若い頃に完成するものですが、ウィリアムスなど、その典型でしょう。 野球で言えば、高校時代に怪物と言われ、その後大学、プロ野球でもエースとして活躍したが、高校時代こそがピークだったのでは、とも言われる、元ジャイアンツの江川投手といったところでしょうか。

ジョン・ウィリアムスはギター界の江川卓か
高校時代、江川卓投手の投げたボールはバットに当たらなかった
江川卓選手のことを知ったのは学生時代で、当時は自分でテレビを持っていなかったので、新聞で読んだ程度でした。 県予選などでは完封が当たり前で、複数の試合でノーヒット・ノーランだったのではないかと思います。 県予選では得点どころか、ヒットも打たれなかったと記憶しています。 と言うよりバットに当たらなかった。
甲子園大会などの放送は食堂のテレビで見ましたが、江川投手の投げたボールは放物線を描かず、直線のままキャッチャーのミットに収まる感じでした。 甲子園でも江川投手のボールは、やはりほとんどバットに触れることはなく、たまに当たっても飛ぶのはファウル・ゾーンといった感じでした。 ともかく、他の高校野球のピッチャーとは全くの別次元だったと思います。
法政大学を経てプロに入ってからも、調子の良い時にはほとんどヒットは打たれず、完封は当たり前といった時期もありました(その期間は非常に短かったが)。 「江川が投げる時には野球が速く終わる」 などと言われていました。
当時スピード・ガン表示はなかったが
当時の高校野球ではスピード表示はなかったので、高校時代にはどれくらいの速さだったかはわかりませんが、江川投手がロ野球に入ってからはスピードが表示されるようになり、その数字では最高でも148キロくらいだったと思います。 現在のプロ野球では150キロを超すボールを投げるピッチャーは珍しくなく、ご存じのとおり、大谷投手は160キロ超のボールを投げます。
今と当時ではスピードの表示の仕方が違うのかも知れませんが、現在ではこれくらいの球速だと、わりと普通のピッチャーとなります。 高校時代にはさらに速いボールを投げていたという可能性もありますが、でもおそらく江川投手のボールは数字的には大谷投手ほど速くなかったのではないかと思います。
理想的な大谷選手のフォームに比べると
大谷投手は長身で柔軟な体を巧みに使い、足の先から指先にいたるまでしならせ、まさに理想的な美しいフォームで投げます。 それに比べると、江川投手のフォームはちょっと変わっています。 全身の力を使うというより、肩から腕にかけてだけのコンパクトなフォームで、ひょいと投げるような感じです。
バッターの予測を裏切る
このフォームだと普通はそんなに速いボールは投げられないのではないかと思いますが、江川投手のボールはその投げ方のせいで、 打者からみると、実際よりもずっと速く感じるのではないかと思います。 つまり打者から見ると予想よりもボールが速く手元に来てしまう感じになるのでしょう。
何の話だったかな?
でもやはりこのフォームはいろいろなところに過度のストレスをかけてしまうのでしょうね、江川投手の選手寿命が比較的短かったことと、この投球フォームはある程度関係があるのでしょう。 ・・・・・・あれ、なんの話だったかな? そうだ、ウィリアムスの最初のアランフェスの話でしたね。 完璧に脱線しましたね、ま、今日はこれくらいにしておきましょう。
Two Favorite Gitar Concertos

ロドリーゴ : アランフェス協奏曲
テデスコ : ギター協奏曲第1番ニ長調
フィラデルフィア管弦楽団 指揮 ユージン・オーマンディ
録音 1965年12月
トップ・アーティストとの共演
ウィリアムスのコロンビア・レーヴェル3枚目のLPは上記の2大協奏曲です。 ユージン・オーマンディ指揮のフィラデルフィア管弦楽団は、当時コロンビアのドル箱的なオーケストラと言え、こうしたアーティストとの共演は、ウィリアムスがこの歳にして、まさに破格の扱いを受けていたことを証明するものでしょう。
オリジナルのLPが店頭に出ていた期間は短かった
実は、私はこのLPをみたことも聴いたこともなく、LPジャケットもこの再現ジャケットで初めて見ます。 当時でもこのLPはあまり長期にわたってはレコード店の店頭には飾られていなかったと思います。
というのも2年後のウィリアムスはロドリーゴの「ある貴紳のための幻想曲」とドッジソンの協奏曲を録音します。 そしてかなり早い時期に「アランフェス」と、この「ある貴紳」をカップリングして発売され、このオリジナル盤のほうは早い時期に廃盤となっしまったようです。
特にテデスコの協奏曲は市場から消えた
その結果、B面(LPにはA面とB面がある)のテデスコの協奏曲のほうは市場には出回らなくなってしまいました。 「アランフェス」のほうはLP時代には何回か再発され(私はその中の一つを持っていた)、確かに多くの愛好者に聴かれていましたが、 ウィリアムスは75年と84年に再録したこともあって、長い間CD化はされなかったようです。 と言った訳で、この2曲とも、CDではこれまでなかなか聴くことの出来なかったもので、今回入手出来てとても喜んでいます。
粗削りかも知れないが、後の再録にひけをとらない
このアランフェスは評論家などによっては、後の録音に比べ、「若気の至り」 的な評価もありますが、私個人的には、3種類のうち、最も好きな演奏です。 この勢いとか、キレのよさ、とかでは後の演奏では聴けないものがあります。 また、オーマンディのオーケストラも華麗で、とても面白い、こんな演奏あってもよいのではと思います。
ともかく、今回、この2曲の録音を十分に楽しめました。 テデスコの方も、後(77年)に再録していますが、やはりこちらの方が面白い、ウィリアムスはテデスコの音楽によく合っているのではと思います。 ただ、ウィリアムスはこの曲以外のテデスコの曲は録音していません。
この時点でウィリアムスは若き巨匠として完成されていた
それにしても、ウィリアムスはこの20代前半ですでに技術的にも、音楽的にも完成してしまっているようです。 その後多少は経年変化するものの、基本的なところではほとんど変わらないように思います。 晩年になって技術などが衰えたりもしませんでしたが、逆に円熟して若い頃とは全然違った音楽をやると言ったこともない。
ウィリアムスはギター界の江川卓か?
天才と言うものは、たいてい若い頃に完成するものですが、ウィリアムスなど、その典型でしょう。 野球で言えば、高校時代に怪物と言われ、その後大学、プロ野球でもエースとして活躍したが、高校時代こそがピークだったのでは、とも言われる、元ジャイアンツの江川投手といったところでしょうか。

ジョン・ウィリアムスはギター界の江川卓か
高校時代、江川卓投手の投げたボールはバットに当たらなかった
江川卓選手のことを知ったのは学生時代で、当時は自分でテレビを持っていなかったので、新聞で読んだ程度でした。 県予選などでは完封が当たり前で、複数の試合でノーヒット・ノーランだったのではないかと思います。 県予選では得点どころか、ヒットも打たれなかったと記憶しています。 と言うよりバットに当たらなかった。
甲子園大会などの放送は食堂のテレビで見ましたが、江川投手の投げたボールは放物線を描かず、直線のままキャッチャーのミットに収まる感じでした。 甲子園でも江川投手のボールは、やはりほとんどバットに触れることはなく、たまに当たっても飛ぶのはファウル・ゾーンといった感じでした。 ともかく、他の高校野球のピッチャーとは全くの別次元だったと思います。
法政大学を経てプロに入ってからも、調子の良い時にはほとんどヒットは打たれず、完封は当たり前といった時期もありました(その期間は非常に短かったが)。 「江川が投げる時には野球が速く終わる」 などと言われていました。
当時スピード・ガン表示はなかったが
当時の高校野球ではスピード表示はなかったので、高校時代にはどれくらいの速さだったかはわかりませんが、江川投手がロ野球に入ってからはスピードが表示されるようになり、その数字では最高でも148キロくらいだったと思います。 現在のプロ野球では150キロを超すボールを投げるピッチャーは珍しくなく、ご存じのとおり、大谷投手は160キロ超のボールを投げます。
今と当時ではスピードの表示の仕方が違うのかも知れませんが、現在ではこれくらいの球速だと、わりと普通のピッチャーとなります。 高校時代にはさらに速いボールを投げていたという可能性もありますが、でもおそらく江川投手のボールは数字的には大谷投手ほど速くなかったのではないかと思います。
理想的な大谷選手のフォームに比べると
大谷投手は長身で柔軟な体を巧みに使い、足の先から指先にいたるまでしならせ、まさに理想的な美しいフォームで投げます。 それに比べると、江川投手のフォームはちょっと変わっています。 全身の力を使うというより、肩から腕にかけてだけのコンパクトなフォームで、ひょいと投げるような感じです。
バッターの予測を裏切る
このフォームだと普通はそんなに速いボールは投げられないのではないかと思いますが、江川投手のボールはその投げ方のせいで、 打者からみると、実際よりもずっと速く感じるのではないかと思います。 つまり打者から見ると予想よりもボールが速く手元に来てしまう感じになるのでしょう。
何の話だったかな?
でもやはりこのフォームはいろいろなところに過度のストレスをかけてしまうのでしょうね、江川投手の選手寿命が比較的短かったことと、この投球フォームはある程度関係があるのでしょう。 ・・・・・・あれ、なんの話だったかな? そうだ、ウィリアムスの最初のアランフェスの話でしたね。 完璧に脱線しましたね、ま、今日はこれくらいにしておきましょう。
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