中村俊三 ブログ

中村ギター教室内のレッスン内容や、イベント、また、音楽の雑学などを書いていきます。

バッハ:平均律クラヴヴィア曲集 4



第1巻を完成させても、まだ満足しなかった?

 バッハは24の調によるプレリュードとフーガからなる第1巻が完成してからも、この形で作品を書くことの意欲は衰えず、さらに第2巻をまとめます。第2巻の完成時期は不明なようですが、晩年の1740年代と考えられています。

 それにしても凄いですね、24の調でのプレリュードとフーガ、計48曲による 「平均律クラヴィア曲集第1巻」 を書いても、まだまだ物足りなく、さらにもう一度同じ規模の第2巻を完成させたわけですから。 バッハの作曲意欲というのは、最近の言葉で言えば  ”ハンパない” ですね。



第2巻は、1冊の本のようにはなっていない

 この第2巻は第1巻のように音楽帳の形にはなってなく、したがって巻頭の言葉もありません。 それぞれの曲が1枚の紙の裏表に書かれており、個々の作品についての作曲年代も若い時のものから晩年のものまで、かなりの幅があるようです。 



曲集としてのまとまりは第1巻に分が

 第2巻は、個々の作品については第1巻よりも内容の濃いものがあるとしても、1冊の音楽帳にはなっていない分だけ、やはり24曲全体のまとまりは、第1巻に比べるとやや希薄かも知れません。



最後のロ短調は超重量級な第1巻に比べると、かなり軽い

 第1巻においては、プレリュードもフーガもシンプルなもので始まり、最後のロ短調はプレリュード、フーガ共に長大で、この曲集を締めくくるのに相応しいものになっています。 その一方で第2巻の最後のロ短調のプレリュードとフーガは、24曲を締めくくるにしては、拍子抜けするくらい軽く、短いものになっています。



私自身では第2巻の方をよく聴くが

 長大な内容のものが2つあるということで、やはり一般的にも第2巻の方が印象が薄くなるのはやむを得ないところかも知れません。 バッハ愛好者でも、第2巻の方に親近感を持つ人は少数派でしょう。 ただ、私自身としては特に最近は第2巻を聴くことの方が多くなっています。



抜粋して個々の曲の話も

 今回の記事は作品について語るというより、CDを聴いた感想を主に書きたいと思いますが、それでも一応個々の曲のことも書いておきましょう。 といっても、計96曲の曲集ですから全部書いていたのではたいへんなので、印象的な曲、あるいはオススメの曲だけを書くことにしましょう。




第1巻の第1番ハ長調

 やはり最初の第1巻、第1番ハ長調は触れておかないといけないでしょう。ハ長調のプレリュードはご存じのかたも多いと思いますが、全曲アルペジオで出来ていて、19世紀の音楽家、グノーがこのプレリュードの上にメロディを付け加え「アベ・マリア」としています。



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第1巻 第1番ハ長調のプレリュード  全曲アルペジオで出来ている



グノーの「アベ・マリア」の原曲

 確かに原曲ではアルペジオのみなので、言ってみれば ”伴奏だけ” みたいな曲です。 主旋律がないので、確かに付け加えたいという気持ちもわかります。 因みにシャルル・グノーは19世紀のフランスの作曲家で、代表作としては、オペラ「ファウスト」などですが、このアベ・マリアの方が有名でしょう。


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アメリカのギタリスト、クリストファー・パークニングはキャスリ・バトルとこのグノーのアベ・マリアを録音している。 このCDには他にヴィラ=ロボスの「ブラジル風バッハ第5番」や、グラナドスの「ゴヤの美女」なども録音している。




和声の移り変わりがすべて

 もちろんバッハの傑作を単なる伴奏扱いにしてしまうのは、今現在なら考えられないところですが、でもこういったはっきりとした主旋律のない曲はどう聴けばよいのか、ということになります。 

 結局、こういった曲では “和声の変化” がすべてで、それを楽しむと言うことになるのでしょう。 もちろんそれが楽しめる人とそうでない人がいるとは思いますが。



最もシンプルな形から作曲を始めた

 バッハとしては、この長大な計画の第一歩はハ長調という、もっともシンプルな調で、アルペジオのみという最もシンプルな音楽を書いたと言うことなのでしょう。 シンプルではありますが、しかし音楽的には深い内容の、レヴェルの高い曲と言えるでしょう。 もちろん私もこの曲を聴き始めた頃は、その良さはあまりわかりませんでした。




ギター・バージョン

 因みにこの第1番ハ長調のプレリュードは、クリストファー・パークニングを始め、いろいろなギタリストが弾いています。 私もアレンジを試みたのですが、原曲のハ長調ではなかなか難しく、ニ長調にアレンジしてみました。 バッハは調にこだわったわけですから、移調するのはあまりよいことではないかも知れませんが、背に腹は代えられないということで。



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第1番のプレリュードのギター・バージョン(私の編曲)  ハ長調で弾くのが最もよいとは思うが、最後のほうは、かなりりキツイ。オクターブ下のドがあればよいのだが、⑥弦をドにしてしまうと、他のところがたいへん。




 ハ長調とニ長調でどちらが弾き易いかということですが、譜面としてはハ長調の方が読みやすいですが。特にド(⑤弦)の1オクターブ下の音が出せないので、音域がかなり狭くなってしまいます。 ⑥をドに下げてしまう方法も考えられますが、それでは他の和音が弾けなくなってしまいます。




⑥弦をレにしてニ長調にしたほうが

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6弦をレにしたニ長調バージョン  ニ長調にしてもそれほど弾き易くはならないが、最後のところが楽で、原曲に近い響きとなる。




どうせ頑張るなら

 ニ長調にして⑥弦をレにすることで、音域の確保が出来ますし、まあまあ弾き易くなります。 でもあまり簡単ではないので、どうせ頑張って弾くなら、他のバッハの曲にしておいた方がいいかなとも思います。 ギターでは簡単そうで、簡単ではない曲といえるでしょうね。

 
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バッハ:平均律クラヴィア曲集 3




前回は平均律の話で終わってしまったが

 前回はなんと、平均律の話のみで終わってしまいましたね、このままではいつ本題に入れるかわかりません、今回こそはちゃんと本題に入りましょう。



第1巻と第2巻があり、ハ長調からロ短調まで半音ずつ上がってゆく

 バッハの数々の鍵盤作品の中でも、名曲中の名曲である、この 「平均律クラヴィア曲集」 は第1巻と第2巻があって、それぞれ24の調でプレリュードとフーガが書かれています。 ハ長調から始まり、それに同主短調のハ短調が続き、嬰ハ長調、嬰ハ短調と半音ずつ上がってゆきます。 そして最後はロ短調ということになります。 この曲の並びは第1巻、第2巻とも全く同じになっています。




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第1巻 第1番はハ長調




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第1巻 第24番はロ短調




調の数は24

 なぜ24の調か、ということについてはおそらくこのブログを読んでいる人なら説明は不要かも知れませんが、1オクターブは12の半音で出来ていて、その12の半音それぞれを主音とした音階、すなわち“調”が可能となります。 そして音楽(少なくとも古典的な音楽では)は長調と短調から出来ているので、それで、調は24個となる訳です。




名前だけなら24以上ある


 若干補足すると、 「ド#」 と 「レ♭」 は同じ音ですが、それぞれの音を主音とした調は 「嬰ハ長調」、 「変ニ長調」 となり、同じ調でも違った名前で呼ぶことが出来る訳です。  したがって、実質上は24個の調しかないのですが、名前だけで言えば24個以上あるということになります。



普通は#などの数が少ない方で書くが

 因みに嬰ハ長調は#が7個付き、変ニ長調は♭5個です。 こうした場合、一般的には#や♭が少ない方、つまり変ニ長調とすることが多いのですが、バッハの平均律曲集第1巻では、♯7個の嬰ハ長調の方で書かれ、 第2巻では逆に変ニ長調で書かれています。 

 さらに、第1巻の第8番では、プレリュードが変ホ短調(♭6個)、フーガが嬰ニ短調(♯6個)と、プレリュードトフーガで違った書き方がされています。 これは練習する人が混乱すると言うことで、以前は変ホ短調に統一している譜面も出ていますが、最近の譜面ではバッハが書いた通りにしてあることが多いようです。




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第1巻の第3番は嬰ハ短調で表記されている。




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第2巻 第3番は変ニ長調で表記されている。 もちろん実質は同じ調。 バッハがなぜこのように違った表記で曲を書いたのかは私にはよくわからないが、状況によってどちらの表記もあり得るということのメッセージなんだろうか。



計96曲で、4~5時間くらいかかる

 24の調でそれぞれプレリュードとフーガがあり、それが2巻ある訳ですから、曲としては96曲と言うことになります。それぞれの曲の長さとしては、平均3分弱といったところで、演奏者にもよりますが、全曲演奏すると4~5時間くらいになります。 



第1巻はケーテン時代に完成

 第1巻が完成したのが1722年のケーテンの宮廷に勤めている頃で、バッハ37歳の時となります。 個々の曲としては、それ以前に書かれたものが多いと思いますが、この1722年までにまとめられたということでしょう。




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バッハが約5年間務めていたケーテン宮の入り口。 現在は記念館のようになっているらしい。 バッハはここに勤めている間に数々の器楽の名曲を書いた。




 バッハはその生涯の大半を教会関係の職場で過ごしましたが、このケーテン時代というのは、ほぼ5年間という比較的短い期間でしたが、協会音楽から離れ、器楽作品の方に力を注ぎました。 この時期にこの平均律クラヴィア曲集第1巻をはじめ、ブランデンブルク協奏曲などの多数の協奏曲、無伴奏のヴァイオリン曲、およびチェロ組曲など、私達にとって親しみのある作品が数々生まれました。



インベンションにも平均律曲集と同じような発想が

 24の調を対等に扱い、それぞれの調で作品を書くという発想をする音楽家は、当時バッハ以外に存在したかどうかわかりませんが、このように完成された形で残したのは、おそらくバッハ以外にはいないのではないかと思います。 こうしたことは、バッハの音楽に対する考え方の一つを表していると思われます。

 バッハはその翌年1723年、「2声のインベンション」、および「シンフォニア(3声)」をまとめます。 こちらも平均律曲集同様、ハ長調から半音ずつ上がってゆく形で曲が並んでいますが、24ではなく15の調となっています。

 教育的な作品ですが、家族や、弟子たちなど、音楽を志す者なであれば、これら“ほぼ”すべての調の作品を練習する必要があると考えていたのでしょう。
  


弟子に3回も全曲演奏した

 この第1巻の計48曲は、基本的に ”曲集” であって、一つの音楽作品、つまり連続して演奏するということはあまり想定てはいないのかも知れませんが、逸話とあいて、バッハのある弟子に、3回もバッハ自身でこの第1巻の48曲を最初から最後まで連続して聴かせたそうです。

 これはいろいろな意味で凄いですね、この曲集を続けて演奏すれば、2時間以上はかかりますが、それを一人の弟子の教育のためだけに、しかも3回も行ったと言う訳です。 その弟子はどんな気持ちで聴いていたのでしょうか、今の私たちには全く想像を超えた贅沢です。 




お尻が痛くなったから早く終わってくれないかな?


 ・・・・・案外、もうお尻が痛くなって来たから、早く終わってくれないかな、 なんて、    ・・・・・まあ、そんなことはあり得ないでしょうね、この話が残されているのは、おそらくその弟子由来だろうと思われますので、その弟子本人もバッハに3回にわたって全曲演奏してもらったということは、極めて光栄なことと感じたのでしょう。 だからこの話を後世に残したのではないかと思います。

 多忙なバッハが、あえてそのようなことをしたと言うことは、それだけ弟子の教育に熱心だったと言うこともありますが、やはりこの平均律クラヴィア曲集が重要な作品だと思っていたからなのでしょう。 さらには、バッハはこの曲集を演奏するのが好きだったのでしょう。 もしその弟子が本当にバッハの演奏を楽しんだとしたら、間違いなく、それはバッハ自身の楽しみでもあったのでしょう。




バッハ:平均律クラヴィア曲集 2 



曲の概要



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対象楽器としては鍵盤楽器全体だが、主にはチェンバロか

 バッハの「平均律クラヴィア曲集」という作品がどういうものかは、Wikipediaで検索していただければ済む話ですが、そう言ってしまっても何なんで、一応おさらいしておきましょう。 

 この曲集のタイトルを、ややていねいな表現にすると、「平均律で調律された鍵盤楽器のための曲集」ということになるでしょか。 鍵盤楽器とはピアノ、チェンバロ、オルガン、クラヴィコードなどの総称ですが、バッハの時代にはピアノはまだ生まれたばかりでほとんど普及していませんでしたので、実質的な対象としては、チェンバロ、クラヴィコード、オルガンの3つと考えられます。

 クラヴィコードはピアノと同じく弦を叩いて音を出す鍵盤楽器ですが、音量は小さく、あくまでプライヴェートに楽しむ楽器だったようです。 オルガンで演奏しても全く問題ありませんが、この譜面には足鍵盤譜がなく、特にオルガンに特化した譜面ではありません。 

 また、オルガンは基本的に協会に一つしかなく、日常的に演奏出来る人は限られます(教会専属のオルガニストなど)。 そう考えると、結局、第1義的な対象としてはチェンバロということになるのでしょう。おそらくバッハとしても、この曲集は、まずはチェンバロで演奏されることを念頭に置いたと思われます。




平均律とは

 平均律というのは1オクターブ内の12の半音を、等比数列的に音程を定めたもので、今現在の楽器はすべてこの方式で調律されます(もちろんギターも)。 しかしバロック時代くらいまでは、この方式ではなく、ミーン・トーンなどと呼ばれ、平均律とはちょっと違った方法で調律されていました。
   


ミーン・トーンは長3度を正しく5倍音とする調律法

 この調律法の違いについて書くとたいへん長くなるので(そもそもよく知らない!)、詳しいことは省略しますが、この方法は長3度を正確な5倍音にするのが特徴で、このようにすることで、とても澄んだ響きの長3和音(ドミソなどの)が得られます。

一方、平均律だとこの長3度を5倍音よりもやや高めに設定することになり、長3和音はやや濁った感じになります。この違いについては、ギターの⑥弦の開放弦と③弦の1フレットのソ#で確かめることが出来ます。



違いをギターで確かめることが出来る

 チューナーで正しく調律したギターの⑥弦の開放と、③の1フレットのソ#を同時に弾いた場合、よく聴くと少し濁って聴こえます(ギターを長年やっている人なら、そう感じてほしい)。 ③弦を少しずつ下げてゆくと、澄んだ響きになると思います。それが5倍音というもので、純正律的な長3度ということになり、かつてはこのように長3度の音程を決めていました。



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通常にチューナーで合わせた状態で⑥弦の開放の「ミ」と、③弦の1フレットの「ソ#」を同時に弾いてみる。 よく聴くと少し濁っている。



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次に、③弦を少し下げる。




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適度に③弦を下げてもう一度⑥弦の「ミ」と③弦の「ソ#」を弾くと、きれいに響く。 そのきれいに響いたところが5倍音というもので、ミーン・トーンの場合は、③弦をこのように取るらしい。




このソ#が常に第3音であればいいのだが

 しかし、この長3度、つまりソ#がいつも和音の中の第3音であれば、いいのですが、別の和音に用いられて、根音とか第5音とかになった時には、いろいろと問題になります。

 特に転調には弱く、転調した場合には主和音そのものがかなり濁ってしまうことになり、したがって簡単には転調は出来ないと言うことになります。 つまりミーン・トーンで転調する場合は、かなり限られた調にしか転調出来ぜ、ある程度遠い調に転調する場合は不協和度が強くなることを覚悟しなければなりません。




16~17世紀のチェンバロ、及びバージナルのコンサートで

 10年くらい前、友人の娘さんのチェンバロ、およびバージナルのコンサートが、私の母校の県立栃木高校でありました。 もともとその友人も、娘さんも東京出身で、栃木高校とは特に関係ないのですが、たまたま栃木市主催のイヴェントに呼ばれたということのようです。



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友人のチェンバロなどのコンサートが行なわれた県立栃木高校の講堂。 栃木市は江戸時代には水運で栄え、現在も 「蔵の街」 として知られている。 私の母校の栃木高校にはこのような明治時代からの建物がいくつか残っている。




 奇遇と言えば奇遇です。 おかげで、私も何十年かぶりに母校に行く機会を得ました。 意外と変わってなく、かつての教室やら、よく転んでひざを擦りむいたサッカー・グランドもそのままでした。



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バージナル  16~17世紀頃の鍵盤楽器  バッハの時代には、すでに使われなくなっていた



途中で調律が狂ってしまったのかな? と思ったら

 当時からあった、というより、明治時代からある木造の講堂でコンサートが行われ、演奏されたのは、ルネサンス末期からバロック時代初期のウィリアム・バードなどの鍵盤音楽でした。 その演奏で、ある曲の途中、チューニングが狂ったように聴こえ、「あれ? どうしたのかな?」 と思ったら、曲の冒頭に戻った時、全くおかしくなく、きれいな響きに戻りました。 

 そこで、バロック以前は今とは違った調律法を用いていたことを思いだし、なるほど、これがこの時代(16~17世紀頃)の調律法なのかと納得しました。 この調律法は主調で演奏している時はよいが、短調などに転調した時には、私たちの感覚では調律が狂っているように聴こえるようです。




これをギターで実感するには

 これをギターで実感するには、先ほど③弦を少し下げて⑥弦のミとソ#がきれいに響くようになったものを、③弦を開放弦にして⑥弦のミと③弦のソ(ナチュラル)を同時に弾いてみるとわかります。 先ほどの長3度はきれいに響いたと思いますが、ソ(ナチュラル)の短3度の方はかなり濁って聴こえると思います。



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先ほど③弦を下げて⑥弦の「ミ」と、③弦の「ソ#」がきれいに響くようにした状態で、今度は押さえている指を離し、「ミ」と「ソーナチュラル」で弾いてみると、いつもの響きよりもかなり濁って聴こえる。 つまり長3度を正しく5倍音にしてしまうと、短3度はかなり濁ってしまう。




 実際のミーン・トーンはかなり複雑で、時代や、地域、音楽家、楽器製作者などによりかなり異なるようで、このような単純なことで説明はできませんが、だいたいで違いを感じていただければと思います。




バロック時代半ば頃までは、短3和音では曲が終われなかった

 そう言えば、バロック時代の半ば頃までは、例え短調の曲でも、最後は長調の和音にして終わる習慣がありました。つまり短調の和音で終わってはいけないということですね。 どうしても長調の和音で終わりたくない場合は第3音を省き、長3和音か、短3和音かわからない形にしていました (ホ短調の曲ならミ―シ、 またはミ―ミ)。

 つまり、ミーン・トーンにおいては、短3和音はかなり不協和音となるので、この和音では曲を閉じることができなかったわけです。
バロック時代の後半、つまりバッハの時代になると、次第に短3和音で終わる形も出てくるわけですが、それとミーン・トーンの欠点を修正し、平均律的な調律法に近づく時期と、ほぼ一致しています。




現在では長3和音は明るく、短3和音は暗いとなっているが

 今現在、つまり平均律において、長3和音と短3和音の違いは、どちらが美しいかではなく、明るいか、暗いかの違いとなるでしょう。 もっとも、現在の長3度は本来濁って聴こえるのですが、私たちはいつもこの”ちょっと濁った” 長3度を聴いているので、慣れてしまって濁った感じには聴こえないのでしょう。 昔の音楽家が聴いたら、即座に 「音程が狂っている」 とクレームをつけるでしょう。

 また、このちょっと、本来の5倍音より高めの音程が、むしろ響きの明るさを増長させているのでしょう。 先ほど聴いてもらった(たぶん)純正な長3度、つまり5倍音によるものは、澄んだ響きではあるが、あまり明るいとは感じないのではと思います。



ミーン・トーンでは美しいか、美しくないかだった

 逆にミーン・トーンの場合は長和音は絶対的に美しく響き、短和音は濁った響きになります。 つまりミーン・トーンでは長3度を用いた和音、長3和音は、絶対的に美しく響く、”正統的な” 和音だが、短3和音は美しく響く和音ではなく、いわば ”異端的” な扱いをされると言うjことになります。



平均律は24の調を対等にすると同時に、長調、短調の関係も対等にした

 私たちは、ドから始まる音階も、ド#から始まる音階も、どの音から始まる音階も (すべて長音階であれば)、 全体の高さが違うだけで、全く同じように聴こえると思っています。 それは当然のことと思い、普段そんなことを考えることもないでしょう。 しかしそれはあくまでも平均律で調律されているからで、ミーン・トーンであれば、調ごとに違ったものに聴こえることになります。

 そのように、平均律では、24の調がすべて同じように聴こえることを目指したものなのですが、同時に長調と短調、長3和音と短3和音の関係も対等にし、またそれぞれの特徴を際立たせることになったわけです。 現在、私たちがもつ音楽へのイメージも平均律というフィールドがあってこそなのでしょう。
 


単純に 「平均律」 とは直訳出来ないらしいが

 バッハが曲集のタイトルに書いた Wohltemperierte という言葉は、「平均律」 と訳されますが、厳密には 「よく調律された」 と言ったような意味にとるのが正しいとされ、現在用いている平均律に直結するものではないとされています。 バッハが用いていたのは現在の平均律そのものではなく、ミーン・トーンの問題点をバッハなりに改善したものだそうです。 

 


バッハ:平均律クラヴィア曲集 ~こだわりの名曲 1



コンサート会場でのアンケートでは

 一昨年のコンサートで、会場で「ギターのコンサートで聴いてみたい曲」ということでアンケートを行いました。結果栄光の(?)第1位となったのが、「アランブラの想い出」や「禁じられた遊び」などのギター名曲や、映画音楽や、Jポップなどを退けて、なんと、バッハの作品!

 確かに私の生徒さんや、学生時代のギターの仲間などにはバッハ好きが結構多かったのですが、こんなにはっきりと数字に出たのは意外でした、何といってもバッハ自身はギター曲など1曲も書いていないわけですから。




家でバッハを聴くなんて、考えられない

 その一方で、若い頃同じ音楽教室で教えていたピアノの先生たち(ほとんど女性だが)の話を聴いていると、 「学生時代のバッハのレッスンはとても辛かった。 パルティータとか、イギリス組曲とか、ホントに嫌だった」 とか、 「大学で散々バッハを練習させられたから、家で聴くなんて、絶対にありえない」 なんていう言葉が次々と出てきました。 この差って、いったい何でしょう? 





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ピアノの先生たちは意外と体育会系?  見た目は清楚でおしとやかな感じだが、ピアノの前にすわると豹変する





ピアニストはリストがお好き?

 因みに、そうしたピアノ先生たちが好きな曲はショパンとリストのようでした。 したがって、発表会などではショパンやリストの曲を取り上げることが多く、時によってはリストが何曲か続くこともありました。

 とてもきらびやかな衣装を身に付け、リストの音符を、全身全霊で鍵盤に打ち付け、満場の拍手を浴びながらそでに戻ってくるその顔には、やり切った荘快感が表れていました。 バッハやモーツァルトでは、間違ってもそうしたものは味わえないのかも知れません。



おかげで、すっかり

 しかし、どうも、当時の私にはそれらの音が、何か暴力的なものに感じられて、おかげですっかりとリストが嫌いになってしまいました。その後、たまにリストの曲を聴くと、 「そんなに悪い曲じゃないな」 と思うのですが、残念ながら今日まで日常的にリストの曲を聴くには至っていません。




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アンドレ・ワッツのリスト・ピアノ・アルバム  たまにリストを聴くとなかなかよい!




小さい頃からピアノを習った人にはバッハ好きは少ない

 ピアノの先生や、小さい頃からピアノを習っている人などで、バッハが好きな人は少ない最大の理由としては、音楽大学などで厳しいレッスンにあるようですが、バッハの音楽は直感的ではなく、理屈ぽいところも嫌われる理由の一つかもしれません。 また、苦労した割にはあまりウケないということもあるのでしょう。



ギター愛好家の場合は、バッハを嫌いになるきっかけがない

 一方、ギターを習う人は、ギター教室でバッハを教材とすることはそれほどなく、バッハの曲のレッスンを受ける場合は、たいてい生徒さん自身の希望によることが多いと思います。 ソルやカルカッシの練習曲などは、時には生徒さんの意志に反してレッスンが行われることもありますが、バッハの曲を生徒さんの意志に反してレッスンを行うことはあまりないでしょう。



弾きたくても弾かせてもらえない?

 むしろ生徒さんの方がバッハの曲のレッスンを希望しても、先生の方が 「あなたにはバッハはまだ難し過ぎます。 カルカッシやソルの練習曲や、他の作曲家の作品などで基礎をしっかり身に付けてからにしましょう」 などと断られることもあるのではないかと思います。 このように、ギター愛好家の場合は、バッハを嫌いになるきっかけがあまりないと言えます。



バッハが好きな人は

 また、私の経験などでは、バッハが好きな人は、どちらかと言えば男性に多く、さらには文系の人よりも、理系の人の方がバッハ好きなようです。 また、一般的に言って男性のほうが理系の割合が多いと思われます。

 ピアノを習う人やピアノの先生は、ご存じのとおり、圧倒的に女性が多いのですが、ギターに関しては男性の方が多くなっています。 音楽のいろいろなジャンルの中で、はっきりと男性の方が多いと言えるは、ギターのくらいかなと思います。 これは日本だけの現象ではなく、世界全体的な現象のようです。




公式化すると


 また、これも私の経験則からなのですが、ギター好き、あるいはギターが上手な人は文系よりも理系の人が多いようです。 これらのことを式で表すと、




クラシック・ギター愛好家 = 理系男性

バッハ好き = 理系男性

 したがって

クラシック・ギター愛好家 = バッハ好き




完璧な論理

 見事に(?)数式化出来ましたね、一点の曇りもない論証です。 これでクラシック・ギターをやっている人は、バッハが好きということがはっきりと証明されました。 その結果が必然的に一昨年のアンケートの結果となったわけです。 すばらしい論理展開!




ピアノの先生が、皆、リストの音符を鍵盤に叩きつけているわけではない?


 ・・・・・・・ん?  こういうのを屁理屈?   バッハが好きな文系・女性だってたくさんいる?   ピアノの先生が皆、リストの音符を鍵盤に叩きつけているわけじゃない?   リストだって繊細な音楽を書く?   え、何ですって? カルカッシやソルの練習曲だって、ちゃんと弾けば名曲?   別にカルカッシの曲がつまらないなんて言った覚えはないが!




「ワカメを食べれば・・・・」 程度の真実?


 ごもっとも、ごもっとも。 まあ、まあ、お怒りはごもっとも。 あまり深く考えないで、ちょっとした冗談ですよ、冗談。 「A型の人は几帳面」 だとか、 「ワカメを食べると毛が生える」、 といった程度の真実と思っていただければ・・・・・




とりあえず、本題に

 ちょっとややこしくなってきたので、本題に入りましょう。 当ブログにおいて、たいへん好評だった(?) 「シャコンヌ再考」 に引き継ぎ、今回からまた読者待望(?)のバッハ関連第2弾を書いてゆきます。

 今回のタイトルは 「こだわりの名曲シリーズ」 として、私自身、最近聴く頻度がますます多くなっている 「平均律クラヴィア曲集」 について書いてゆこうと思っています。



あくまで鑑賞する立場として

「シャコンヌ再考」の場合は、どちらかと言えば演奏する立場で語りましたが、この平均律曲集は自分で弾くことはないので(第1巻、第1曲のプレリュードを別にすれば)、あくまでも鑑賞する立場として書くことになります。

 この曲集は非常にレヴェルの高い作品なので、作品の内容自体についてはあまり語れませんが、いろいろなCDを聴いた感想などを中心に書いてゆきたいと思います。

本題は次回からで、今回はとりあえず “枕” いやイントロということで。  ・・・・・・今回は落語ではない!



水戸市民音楽会  7月9日(日)  水戸芸術館




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たいへんバラエティに富んだコンサート


 今日水戸芸術館で水戸市民音楽会が行われました。 今回の出演団体は29ということですが、琴、オカリナ、各種管楽器アンサンブル、ピアノ独奏、二胡、ギター、マンドリン、ハンドベルなど、たいへんバラエティに富んだ内容でした。



 今日は気温の方もだいぶ上がり、出演者の方々はじめ、水戸市文化振興課、水戸芸術館、及び実行委員の方々、講師の鈴木先生、皆さまたいへんお疲れだったと思います。 今回も特に大きな問題もなく音楽会を実行することが出来ました、ありがとうございました。



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開演前の実行委員の打ち合わせ(本部室で)



 内容がバラエティに富んでいるだけでなく、たいへんレヴェルの高い演奏もあり、客席でじっくりと聴くことは出来ませんでしたが、なかなか面白く、また興味深いコンサートだったと思います。





ちょっと空席が目立つ?

 ただ、出演者数のたいへん多いコンサートにもかかわらず、客席には若干空席も見られ、少々残念なところもありました。 基本的に出演者は出番まで客席で他団体の演奏を聴き、また自分の団体の演奏が終わってからも他の団体の演奏を鑑賞することになっているのですが、特に出演者に割り当てられた席には、かなり空席が見られました。




 私などが申し上げることではないかも知れませんが、音楽をやるものにとって、他のジャンルの音楽や演奏を聴くことはたいへん重要なことと思います。またプロの演奏だけでなく、アマチュアどうししで、お互いの演奏を聴き合うことはたいへん勉強になることと思います。