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中村俊三 ブログ

中村ギター教室内のレッスン内容や、イベント、また、音楽の雑学などを書いていきます。

バッハ:平均律クラヴィア曲集 32


グレン・グールド 2



ウウーン、寒い!

 寒いですね!  我が家では1週間前に降った雪がまだ相当残っています。 先日の雪はテレビなどでは水戸市は19㎝と言っていますが、それほどは積もらず、10㎝ちょっとといったところです。 同じ水戸でも場所によってかなり異なるようです。

 雪もさることながら、その日以来ずいぶんと寒い日が続いています。 我が家ではボイラーから台所の蛇口まで、水道管は外に出ているので、夜間気温が下がると凍って出なくなってしまいます。 

 そうならないように、気温が下がりそうな夜は時々水を流して凍結を防がなければなりません。 幸い(?)私が寝るのは2時か3時ころなので、まずその時間にしっかりと水を流しておき、 家内が朝6時頃また水を流すようにしています。




連日 -5度を下回っている

 本当に寒い時など、2時頃水を流そうとしても、その時点ですでに凍結してしまうこともあります。 そうした時、ほんのちょっとでも水が流れる状態であれば5~10分くらいそのままにしておけばなんとか水が流れ出しますが、1度完全に出なくなると、復活するまでに半日、あるいは、まる1日くらいかかってしまうこともあります。

 その水道管が凍結するのが、だいたい-5度くらいで、このところ、その-5度を連日下回っていて、凍結要注意の日が続きます。  地球温暖化とはいえ、やはり寒い時は寒いようですね。 もっとも日本の方に寒波がやってくる時には、逆に北極の方は気温が上がるそうです。      ・・・・別に寒さを分けてもらいたくはない!
 




 ゴールドベルク変奏曲





ゴールドベルク変奏曲を抜きには語れない

 1955年の録音され、1956年に発売されたグールドのゴールドベルク変奏曲、 このゴールドベルク変奏曲を抜きにグールドは語れなし、また現在のバッハの演奏も語れない。 ということで本題からちょっと離れますが、今回はグールドのゴールドベルク変奏曲の話となります。



若干地味で、当時は人気のある曲ではなかったが、グールドには合っていた

 グールドは10代後半からコンサート活動をするようになり、カナダやアメリカでは評価されていました。 当時のレパートリーは比較的一般的なもので、特に個性的なものではなかったようです。 このゴールドベルク変奏曲をリサイタルなどで弾くようになったのは1950年前後からのようですが、いろいろな意味でグールドには合っていたようです。

 グールドはすでに優れたピアニストでしたが、その能力はショパンやベートーヴェン、あるいはリストといった、派手にピアノを鳴らすヴィルトーゾ的な作品よりも、バッハの音楽のような対位法的に入り組んだ複雑な音楽を演奏するほうに向いていたようです。

 また、当時はゴールドベルク変奏曲はあくまで勉強のための曲で、一般の人向けの曲ではないといったイメージがあり、バッハの傑作にも拘わらず、リサイタルなどで演奏されることはほとんどなかったようです。



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1955年盤のLPジャケット(復刻CDによる)。 グールドはそのふるまいや演奏姿勢が独特で、そうした写真がジャケットのデザインとなっている。



一躍時代の寵児へと

 1956年に発売されたグールドのゴールドベルク変奏曲のLPは、世界中の音楽ファンに大きな衝撃を与え、それまでカナダ、アメリカでは話題になっていたとは言え、世界的には全くの無名だったグールドを、一躍時代の寵児に変貌させることになります。




速めのテンポとノン・レガートで溌剌とした音楽、各声部ともクリヤーに聴き取れる

 この1955年盤は、かなり速めのテンポ(1:53)でテーマが演奏され、 続く第1変奏のテンポも速く、またノン・レガート奏法によって溌剌と演奏されます。

 次の変奏はそれよりやや遅めになりますが、各声部の分離がたいへんよく、曲の内容がわかりやすくなっています。 これは、どちらかと言えば上声部よりも中声部やバスのほうをしっかりと弾くグールドの弾き方にもよりますが、不必要な残響などが全くない録音の仕方にもよると思います。




スリリングで、最後まで興味を持って聴きとおすことが出来る

 いずれにしても、たいへんスリリングで、興味を失わずに全曲最後まで(約38分)聴きとおすことが出来ます。 長くて退屈な曲といった、それまでのイメージは完全に払拭されています。




難解で専門家向けの曲が、収益に貢献する人気曲に

 また、それまでこの曲はあくまで専門家向けの曲で、一般の音楽ファンには受け入れ難いものという概念がありましたが、グールドの演奏により、多くの人が好んで聴く曲の一つと考えられるようになりました。

 何といってもレコード会社の収益に大いに貢献する曲とも考えられるようにもなりました。 もちろん今ではバッハの人気曲の一つということで、多くのピアニストやチェンバリストにより演奏され、録音されています。




録音は4種類残されている

 グールドは晩年の1981年に再度このゴールドベルク変奏曲を録音しますが、他に1954年のラジオ放送用の録音、1959年のライブ録音などが残されています。 しかし今現在でもグールドのグールドベルク変奏曲といえば、この155年録音のもとなるでしょう。 それだけ話題となり、またグールドらしい演奏とも言えます。




グールドの遺品の中から

 1954年のラジオ放送用の録音は、グールドの死後、彼の遺品の中からその録音テープが見つかったと言うことで、発表されたのはグールドの死後となります。




1000円ちょっとで他の貴重な録音とともに


 この録音は今現在では1950年代の録音を10枚組にしたCDセットに収められ、他に前述のカラヤンとのベートーヴェン:ピアノ協奏曲第3番や、55年録音のゴールドベルク変奏曲など貴重な録音が多数収録されていて、1000円ちょっとの価格で入手出来ます。



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グールドの1950年代の録音を集めたCDセット。 2種類のゴールドベルクの他、カラヤンとの協奏曲なども入っていて、1000円ちょっと。



54年盤は55年盤よりも全体に遅め

 この54年盤は、テンポは全体に55年盤よりもやや遅く、各変奏のテンポの差もあまり大きくありません。 55年盤では 1:53 で弾いているテーマも 2:43 ということで、55年盤よりはだいぶ遅いですが、というより他のピアニストやチェンバリストが弾く、一般的なテンポともいえます。




個性的ではないが、率直で清楚な演奏


 また55年盤では 6:30 もかけていた第26変奏も 4:24と、これも他の奏者が演奏する一般的なテンポと言えます。 また、55年盤と同様にノン・レガート的に弾いていますが、それほど短く音を切っているわけではなく、あまり違和感はありません。

 つまり、このゴールドベルク(54年盤)は、たいへん自然で、個性的な演奏というより、繊細で清楚な演奏、 率直な演奏ともいえます。

 言葉を変えると ”わりと普通” ともいえますが、しかし、これはこれでなかなか良い演奏だと思います。 55年盤よりもずっと良い、と言う人がいても全く不思議ではないでしょう。




グールド嫌いは減ったかも

 おそらく55年盤のかわりにこの54年盤が世に出ていたら、グールドにたいする一般の印象もだいぶ違っていたでしょう。 グールドが嫌いと言う人は間違いなく少なかったと思いますが、一方ではグールドの演奏が、現在のように多くの人に影響をあたえることもなかったかも知れません。




両者の違いの要因は?

 ところで、この54年盤と55年盤の、両者の違いは、何なのか? ということですが、 グールドの1年間での心境の変化というのもあるとは思いますが、それ以上に大きいのがライブ(ラジオ局のスタジオでの録音だが、編集なしという点ではライブと同じ)演奏と、編集の違いによるものと思われます。




ライブ録音とスタジオ録音の違いとも言えるが

 つまり演奏をしている時のグールドと後から自分の演奏を聴いているときのグールドとは違うグールドがいるのかも知れません。 55年盤はスタジオ録音ですが、全曲を一気に弾きとおしたわけではなく、各変奏ごとに何種類ものテイクをとり、後から熟慮しながら、時間をかけて組み合わせたものとされていいます。

 確かに、ライブの演奏では流れに沿って弾くわけですから、各変奏ごとにテンポや弾き方などを極端に変えて弾くのは難しいことかも知れません。 その点、各変奏ごとに弾けばテンポや音量など、前後の変奏とは全く関係なく弾けるわけです。




演奏者グールドとプロデューサー・グールドの違い

 また人間である以上、演奏している時の心理状態と演奏中ではないリラックスした状態ではだいぶ異なるはずです。 つまりこの両者の違いは、演奏者としてのグールドと、音楽プロデューサーとしてのグールドの違いということになるのかも知れません。
 
 
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バッハ:平均律クラヴィア曲集 31


グレン・グールド(1932~1982 トロント)  1962~1971年録音





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20世紀を代表するピアニストの一人、グレン・グールド。 グールドのバッハは多くのピアニストに影響を与えた。



私たちはグールド世代?

 これまで何度か話に出てきましたが、このカナダ生まれの奇才ピアニスト、グレン・グールドのことを抜きに、20世紀後半以降のバッハの演奏は語れません。 私の古い友達の中にもグールド・ファンは多く、 「オレはバッハはグールド以外は聴かない」 と言いきる友人もいました。

 我が国では、グールドは特に1960~70年代に話題となり、その時代に10代、20代、今現在で言えば60~70歳代のクラシック音楽ファンの多くはグールドの洗礼を受けました。 つまり私たちの世代は ”グールド世代” とも言えます。




これほど本に書かれるピアニストはいない

 また、いわゆる ”グールド本” といった、グールドに関する本なども非常にたくさん出版されていて、これだけ本に書かれるピアニストはおそらく他にはいないでしょう。 

 そして、何といっても、グールドの演奏は多くの人に大きな影響を与え、今現在バッハを演奏するピアニストで、、全くグールドの影響を受けない人は皆無といってもよいかも知れません。





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このような、いわゆる ”グールド本” は数知れず出版されている





当然ながら天才少年

 と言った訳で、グールドについては、いろいろなところで書かれているので、あえて私が書く必要もないところですが、一応かいつまんで紹介しておきましょう。

 グールドのようなピアニストとなれば、当然のことかも知れませんが、幼少時を優れた才能を発揮し、少年期においても初見でほとんどの曲は正確に演奏でき、また1回で暗譜し、覚えた後は忘れることはなかったと言われています。




コンクール優勝歴などはないが


 少年期を別にすれば、コンクール優勝歴などはないようですが(コンクールは嫌いだったらしい)、プラヴェートなリサイタルなどで高い評価を受け、10代後半からカナダやアメリカでは話題となり、ラジオやテレビなどに出演していたようです。 




極端な寒がりで、演奏姿勢も独特


 話題となった理由の一つに、グールドの奇行、というか、人とちょっと違ったところもあったようです。 低いイスに座って、常に体を動かし、口ではハミング(レコードなどにも音が入っている)しながらピアノを弾く。 録音のプレー・バックを聴く時にはまるで踊りを踊るように指揮をしていたそうです。 また極端な寒がりで、夏でもセーターやマフラー、手袋などをしていたと言われています。




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独特の演奏姿勢のグールド



1956年のゴールドベルク変奏曲のLP発表は、世界中にセンセーションを巻き起こした

 グールドが世界的に有名になったのは1956年に発表したバッハのゴールドベルク変奏曲のLPによって、この録音は今現在でも名盤とされ、多くの人に聴かれています。 このLPは日本でも発売されましたが、その時点では特に話題にはならなかったようです。

 ただ、音楽評論家の吉田秀和氏はその当時からこのLPを絶賛していました。 我が国においてもグールドの演奏が評価され、一般の人にも聴かれるようになったことには、吉田氏の影響が大きいようです。




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1955年録音のゴールドベルク変奏曲のLPジャケット。 発表時には世界中にセンセーションを巻き起こしたが、今現在でも多くの音楽ファンに聴かれている。




世界的なコンサート・ピアニストとなる

 そのゴールドベルク変奏曲をきっかけにグールドは新進の天才ピアニストとして世界的にコンサート活動を始めます。 そしてバーンスタインやカラヤンなど、世界的な指揮者とも共演するようになります。




ベルリン・フィルの常任になったばかりのカラヤンと

 1957年にはカラヤンと=ベルリンフィルと共演し、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番を演奏しています。 そのライヴ録音は現在CDとして入手出来ますが、ベルリンフィルの常任指揮者に就任したばかりのカラヤンと、まさに売り出し中の新進ピアニストとの共演ということで、たいへん気の気合入った演奏で、まさに火花を散らしあうような演奏と言えるでしょう。 




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後に音楽界の帝王となるヘルベルト・フォン・カラヤン。 グールドとは不思議と ”うまが合った” ようで、何度か共演している。



レガートに歌わせている

 この時のグールドの演奏は極めてレガートで、歌わせるべきところはちゃんと歌わせるといったように、いわば真正面からベートーヴェンに挑んでいる感じです。 後の「熱情」の録音に見られるような奇抜なアイデアなどは全く顔をのぞかせていません。 グールドはもともと迫力にあるピアニストではないようですが、軽快で繊細な第3楽章の冒頭などたいへんすらしい。

 カラヤンの指揮はたいへん引き締まったもので、ベルリン・フィルを3年前までフルトヴェングラーのもとで演奏していたものとは、全く別のものにしています。 音の出や、ダイナミックスなども非常に細かくコントロールしている感じがします。 この時、すでにベルリンフィルはカラヤンのオーケストラになっていたのかも知れません。




意外と”うまがあった”

 この二人の共演は他にもあったようですが、少なくとも今現在聴くことの出来るものは、この録音のみのようです。 まさに一合一会というか、奇跡の一枚といえるでしょう。 因みにこの二人はライバル心むき出しに意地を張りあったのかと思いきや、たいへん ”うまがあった” ようで、グールドのヨーロッパ滞在中は親しくしていたそうです。 

 このカラヤンとの共演があった1957年はグールドとしてはコンサート・ピアニストとして絶頂期だったようで、後には心身症とも言える状態になったグールドもこの時には心身ともに健康で、よく食べ(グールドにしては)、またよく練習もしたそうです。




リサイタル・ドロップ・アウト

 しかしその状態は長くは続かず、翌年からは心身ともに調子の悪い状態が続くようになります。 かつては絶賛調だったコンサート評も次第に論調も変わり始め、何といってもグールド自身がコンサートでは本来の自分の音楽が出せないとと思うようになってゆきます。

 そしてついに1964年に一切のコンサート活動を今後行わないことを宣言し、音楽活動としては録音のみを行ってゆくことになります。 グールドは自宅に録音スタジオを作り、また録音エンジニアも個人で雇い、自分の好きな時に録音を行うようになり、 そして、ここで、初めて私たちが知る ”世紀の奇才ピアニスト、グレン・グールド” が誕生することになります。


 さて、そのように1950年代後半から1960年代前半まで ”売れっ子ピアニスト” として世界を股にかけて活躍していたグールドですが、1964年になって一切のコンサート活動を辞めて音楽活動としては録音のみを行ってゆくようになります。

 
バッハ:平均律クラヴィア曲集 30



 ヘルムート・ヴァルヒャ (Helmut Walcha 1907~1991 ドイツ)  1959~1963年録音





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ヘルムート・ヴァルヒャの13枚組のCD  この平均律曲集を始め、パルティータ、イギリス組曲、フランス組曲、ゴールドベルク変奏曲など、主要なバッハの鍵盤作品がチェンバロにより収録されている。



戦前にワンダ・ランドフスカがチェンバロでバッハを録音していたが


 第2次大戦以前にはワンダ・ランドフスカというポーランド出身の女流のピアニスト兼、チェンバリストがバッハの作品をチェンバロ(バッハの時代のものや、現在使われているものとはだいぶ違うらしいが)で録音していますが、この平均律曲集は録音していないようです。 おそらく戦前にはチェンバロでの平均律曲集の全曲録音は存在しないのではと思います。




ヴァルヒャの録音は1960年代を代表するもの

 チェンバロでの平均律曲集の全曲録音は、やはり戦後になってからと思われますが、その中で当時、特に知られていたのが、このヘルムート・ヴァルヒャの録音です。 チェンバロによる世界初の全曲録音かどうかはわかりませんが、それに近いものと思われます。 ヴァルヒャの演奏は、1960年代では厳格で、正統的なバッハの演奏として高く評価されていました。 



個々の曲のテンポの差が小さい

 ヴァルヒャの演奏は、全体にテンポはいくぶん遅めですが、個々の曲ごとのテンポの差があまりないのが特徴です。 それはそうですね、もともと速度指定はないわけですから。




厳格なイン・テンポ


  さらに、かなり厳格にイン・テンポを守っていて、曲の終りでほんの少しリタルダンドをかける他はほとんどテンポを変えずに弾いています。 最近のチェンバリストはもう少し柔軟に演奏しており、ヴァルヒャの演奏は、あまりイン・テンポ過ぎて逆に違和感を感じるくらいです。




楽譜に書かれていないことは一切行わない

 もちろんチェンバロの演奏なので、基本的に強弱は付けられない訳ですが、アーティキュレーションなどもほとんど行っていません。 一般的はスタッカートで弾くような音型でも特にスタッカートは用いていないようです。 つまりレガートとか、ノン・レガート、スタッカートなどの区別も、ほぼしていません。

 ともかく、譜面に書かれていないことは、一切行わないといったことを徹底した演奏スタイルで、現在ではよく行われる、装飾音を加えるなどということもありません。 かなり禁欲的な演奏とも言えるでしょう。





バッハの音楽って禁欲的? 色気を付けるなど、もっての外!


 もっとも、当時はバッハの音楽は基本的に禁欲的な音楽と思われていたのも確かです。 確かに私たちもかつて(1970年代前半)は 「バッハを演奏する時は、楽譜に書かれていないことは何もやってはいけない。 音符を変えてはいけないだけでなく、ヴィヴラートやグリサンドなどで色気を出すなど、もっての外! 音色や、微妙なニュアンスなどにこだわるのも本質的ではない!」 なんて思っていたものです。



正しいバッハの演奏とは

 要するに、この時代は、このように楽譜に書かれていない余計なことを一切しないのが ”正しい” バッハの演奏法と思われていた訳です。 こうしたことはこのヴァルヒャだけでなく、当時バッハの演奏で評価の高かったカール・リヒター、ヴァイオリンのヘンリク・シェリング、チェロのピエール・フルニエといった演奏家たちも、多少の差はあっても、基本的には同じスタンスだったと言えます。




今思えばカラヤンもベームも


 さらには ”楽譜に忠実に演奏する” といった意味では、この1950~60年代においては、バッハの演奏に限らず、クラシック音楽全体的な風潮だったとも言えます。 そういった意味では指揮者のカール・ベームや、ヘルベルト・フォン・カラヤンなどもその範疇に含まれると思われます。

 当時はカラヤンとベームは全く正反対の演奏で水と油みたいに思われていたのですが、今現在からすれば、たいへんよく似た演奏スタイルで、いわば”1960年代的演奏”とも言えます。 




バッハの時代の演奏について研究が進むのは1970年代以降
  
 1950~60年代の音楽家たちが、”楽譜にかかれた通りに” バッハを演奏といっても、その楽譜の読み方、あるいは解釈は依然として19世紀的だったと思います。 最近ではバッハの時代と19世紀以降の時代の楽譜の読み方、演奏の仕方に違いについてかなり研究されてきましたが、当時はそうしたものが不十分でした。



付点音符の解釈はバッハの時代と19世紀でが異なる

 例えば、付点音符(通常の点1個のもの)は19世紀以降においては、あくまで主音符の1.5倍となりますが、バッハの時代には状況により二重付点音符(1.75倍)であったり、また3連符的(3分の2)だったりします。 このことは、リヒターの管弦楽組曲第2番の序曲の演奏を、最近のコープマンなど、オリジナル楽器系の演奏と比べるとよくわかります。




真摯にバッハの音楽と対峙する姿勢は、今でも多くの人に共感を与える

 確かに、当時(1950~60年代)のバッハの演奏は、今日からすれば正しくなかった点はありますが、しかしその時代は、バッハの音楽を出来る限り忠実に再現しようという強い意思があったことは確かです。 そうしたことが、次の時代へと繋がって行き、よりバッハの時代の演奏に近いものへという現在の流れに繋がったのでしょう。

 かつて名演中の名演とされたリヒターのマタイ受難も、現在ではバッハの時代にはそのようには演奏されなかったとされていますが、しかし、今だに多くの人を魅了し続けている演奏でもあります。 多少方法が違ったとしても、その真摯な演奏スタイルには誰しも共感を覚えるのでしょう。 もちろんヴァルヒャの演奏にも同じことが言えるでしょう。



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カール・リヒターのマタイ受難は、現在ではバッハの時代の演奏と異なる点もあると指摘されているが、その真摯にバッハの音楽に対峙する姿勢には、いまだに多くの人が共感している。




13枚組のセット

 ヴァルヒャのCDの話に戻りますが、録音としてはLPステレオ録音の初期ということになり、比較的音質も良くなっているのですが、やはり今現在の録音とは若干違います。

 また、私が持っているものは写真のとおり、平均律曲集第1巻、第2巻を含め、パルティータ、イギリス組曲、フランス組曲、ゴールドベルク変奏曲など、バッハの主要な鍵盤音楽が13枚のCDとなって発売されているもので、価格もかなりリーズナブルなものです。

 

Fの音がちょっと変?

 ヴァルヒャの使用している楽器の音は、今現在のチェンバロとはちょっと違うようです。 現在のチェンバロはたいへんきれいな音がしますが、ヴァルヒャの使っている楽器はちょっと金属的な音がします。 さらになぜかF(ファ)の音が特に金属的に響き、ちょっと異質な音となっています。 




まさに正座して聴く音楽?

 歴史的な価値を考えれば、そうしたことなど取るに足りないこととは思いますが、耳にはやや辛いところも少しあるのは確かです。 しかし逆にそうしたこともバッハの音楽の威厳にもつながったでしょう。 厳格なイン・テンポだけでなく、音色的にもやはり禁欲的なのでしょう。  


  ・・・・・・・・まさに正座して聴く音楽と言うところでしょうか。      ・・・・・一応、西洋音楽だけれど。




  
バッハ:平均律クラヴィア曲集 29





<CD紹介 2>    ロサリン・テュレック (Rosalyn Tureck 1914~2003 アメリカ)  1952~1953年 モノラル録音






ロサリン・テュレック = 1950年代にバッハの演奏などで評価されていた


 SP録音時代、つまり1940年代までには、平均律曲集の全曲録音は、おそらく前回書いたエドウィン・フィッシャーのもののみだったと思われます。 1950年代になってLP録音が一般化されるようになると、チェンバロやピアノなどで全曲録音がなされるようになります。




 その代表的なものとして、このロサリン・テュレック(1914~2003 アメリカ)が1952~1953年に録音したものがあり、現在でもCDとして発売されています。 テュレックはピアノ以外にチェンバロも弾き、当時はバッハの演奏などで高い評価を受けていたようです(そうでなければ全曲録音など出来ない!)。





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グレン・グールドに影響を与えたピアニストとして知られている


 しかし今現在、このテュレックといえば、グレン・グールドが少年時代によく聴き、影響を受けたことの方が有名かも知れません。 今現在その録音がCDとして発売されていることも、そのことに無関係ではないでしょう。

 音質は1950年代のモノラル録音からの復刻CDなので、現在のものとはだいぶ異なりますが、リマスターによりかなり聴きやすくなっており、ノイズなどもほとんどなくなっています。





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テュレックといえば、グレン・グールドが少年期によく聴き、影響を受けたことで有名






テンポはゆっくり目だが、グールド同様にスタッカートを多用している


 テンポは全体的にゆったり目ですが、聴いてみると、確かにグールドが影響を受けたことがよくわかります。 特に16音符が連続するところなどで、通常(19世紀的な演奏)であればレガートに弾くところを、スッカート、あるいはノン・レガートで弾いています。 グールドのノン・レガートはこのテュレックにヒントを得たものかもしれません。 




その一方で伝統的な奏法も継承している

 こうしたことはテュレックがチェンバロを学んだことによるものと思われますが、しかし一方ではやはり19世紀からの伝統的な演奏法も感じられます。 曲によってはピアニッシモではじまり、クライマックスではフォルテッシモまで音量を増大してゆく方法もとられています。 当然のことながら幼少時にはそうした伝統的な奏法の指導を受けてきたのでしょう。




有名な第1番では

 有名な第1巻第1番のプレリュードでは、低音をしっかりと鳴らし、アルペジオの高音部に行くにしたがって音量を減らし、最j高音はかなり軽く弾いています。 グールドがこの高音部をスタッカートで弾いているのは有名です。

 テュレックの場合、スタッカートまでは使っていませんが、かなり軽く弾いているので、似たような印象はあります。 やはりグールドの演奏は、このテュレックを参考にしたものなのでしょう。




トリルがゆっくりなのは

 またグールドはトリルなどをゆっくり目に弾きますが、これもテュレックを参考にしたようです。 一般にピアニストはトリルなどをゆっくり目に弾くのを嫌うようです。 日本の著名なピアニストのマスター・クラスを聴講した時、そのピアニストが 「トリルはもっと速く弾きなさい、でないとピアノが下手そうに聴こえてしまう」 と言っていました。

 グールドは特にヴィルトーゾ的な弾き方を嫌ったので、トリルをゆっくり弾いたのかも知れませんが、テュレックの場合、全体が遅めなので、自然にトリルも遅くなったということでしょうか。




第1巻第4番嬰ハ短調、同第8番変ホ短調などはかなり遅めに

 遅いといえば、第1巻第4番嬰ハ短調、同第8番変ホ短調のプレリュードとフーガなどはかなり遅いテンポで弾いています。 なおかつ冒頭などはかなり弱音で始めています。 どちらも前に書いたとおり、声楽的なテーマを持つ堂々としたタイプのプレリュードとフーガなので、その大きさを出すためということなのでしょう。




第22番変ロ短調も印象的

 さらに特徴的なのは第22番変ロ短調です。 この曲はプレリュードもフーガも短くて、どちらかと言えばあまり特徴がある方ではないのですが、プレリュードもフーガもかなり遅めのテンポをとり、なお且つ出だしは弱音出はいり、だんだんにクレシェンドをしてゆき、曲の後半ではかなり音量を増してクライマックスを形成しています。

  こうした方法はまさに19世紀的な解釈ですが、ただフィッシャーと違う点はヴィルトーゾ的ではないという点でしょう。 このような演奏法は今現在も、またバッハの時代にも行われなかったことですが、 この曲(第22番)など、テュレックの演奏ではたいへん印象的な曲になっているのも確かです。
 



伝統的なものと新しいものが混在している

 まとめて言えば、テュレックの演奏は19世紀的な演奏法も継承しながら、同時に現在行われているような演奏法、つまりバッハの時代に行われたいたと思われる奏法も一部取り入れているといったものといえるでしょう。 1950年代ということを考えると、かなり進んだバッハの演奏法と考えられ、19世紀的な演奏と現代のものとの過渡期的な演奏とも言えるでしょう。

 


フィッシャーの方が評価されていた

 私自身では19650~60年代の状況はあまりよくわからないのですが、おそらく当時はフィシャーの演奏ほどはこのテュレックの演奏が評価されていたわけではなさそうです。 おそらく当時のピアノの先生は、自らの生徒さんには、このテュレックのものより、フィッシャーの演奏の方を参考にするように薦めたでしょう。 何といっても譜面(当時使われていた)に従って弾いている訳ですから。



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あまりありがたいとは思っていなかった?

 因みに、テュレックはグールドに影響を与えたピアニストとして知られるようになったわけですが、本人としてはそのことにあまり好感を抱かなかったと言われています。

 テュレックからすれば、グルードのような ”カゲキ” な演奏には違和感を感じたのでしょう。 テュレック自身は、特にこれまでの古い演奏習慣を打ち破るとかといった意識は特なく、むしろ伝統的なスタイルを重んじたのかも知れません。 この両者は表面上は似た部分がありますが、中身としては全く正反対のものかも知れません。




グールド派にもアンチ・グールド派にも

 グールドの件は若干置いておくことにしても、このテュレックの演奏はなかなか味のあるものです。 極めて繊細な味わいともいえるかも知れません。

 確かにフィッシャーや、ある意味グールドのようなハイ・テンションの演奏ではありませんが、しみじみとしていて、心和む演奏です。 こうしたバッハの演奏もあってよいのでしょう。 グールドが好きな人はもちろん、そうでない人にも満足のゆく全曲アルバムだと思います。
2018年の予定



平成もあと1年半で

 明けましておめでとうございます。 この前2000年になったと思っていたら、もう18年経つのですね。 平成生まれは新人類なんて言われていましたが、その平成もあと1年半くらいで終わってしまうようですね。   ・・・・・こんな感想は年取った証拠かな?

 さて、これも毎年恒例となりましたが、年頭にあたりまして、中村ギタ―教室、および水戸ギターアンサンブル、私個人などの今年の予定をお知らせしておきましょう。

 


無題





3月11日(日) 

<宮下祥子マスタークラス> 

   中村ギタ―教室スタジオ



 当教室で宮下祥子さんのマスター・クラスを行います。 受講者は5名の生徒さんに決まっていますが、聴講者を約10名ほど募集します。 私とは、また違った指導、あるいはお話となると思いますので、聴講はたいへんためになるのではと思います。







3月25日(日)

<中村俊三 ミニ・コンサート>

   ひたちなか市 アコラ 



 とりあえず、今年の私の個人的なコンサートは、今のところ決まっているのはこれだけです。 今年もどちらかと言えばコンサートよりもCD製作の方に重点を置きますが、今年後半にはミニ・コンサート的なものを行うかも知れません。 他に秋頃、かつての茨大クラシック・ギター部の仲間とコンサートを行う話もあります。

演奏曲目 : アストゥリアス、入り江のざわめき、カタルーニャ奇想曲、サンブラ・グラナディーナ、朱色の塔(アルベニス)他






4月7日(土曜日)

<中村ギタ―教室発表会>

   水戸市笠原  茨城県総合福祉会館 コミュニティ・ホール

 今年の教室の発表会は、9月に水戸ギター・アンサンブル演奏会を控えている関係で、ちょっと時期が早くなりました。 昨年はかなり多くの出演者がありましたが、今年もぜひ多くの生徒さんに出演してほしいと思います。








5月3~4日(木、金 連休)

<シニア・ギターコンクール>

   石岡市ギター文化館

 これも毎年恒例となっていますが、昨年より、2日間、4部門でもコンクールとなっています。 今年は4部門とも審査を仰せつかっています。






7月(日にち未定)

<水戸市民音楽会>

  水戸芸術館 ATMホール


 昨年も29団体と、ますます出演団体も多くなり、4時間にも及ぶイヴェントとなっていますが、今年は第50回目記念ということで、県内出身の著名な音楽家によるゲスト演奏も予定されています。 




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9月24日(月曜日 振替休日)

<水戸ギター・アンサンブル>

  ひたちなか市文化会館 小ホール


このところ、ひたちなかギター合奏フェスティヴァルと交互に行っていますが、今年は水戸ギター・アンサンブル演奏会の年となります。 10数名による合奏の他、小編成のアンサンブルなども行います。 プログラムのうち、半数以上の曲はまだ練習に入っていませんが、予定としては次の通りです。




<全体合奏>
スカボロフェア
恋は水色
オリーブの首飾り
くるみ割り人形より4曲(チャイコフスキー)



<小合奏>
カノン(パッフェルベル)
コーヒー・ルンバ
アダージョ(アランフェス協奏曲)
スペイン舞曲第1番(ファリャ)





それでは、本年もよろしくお願いします。