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中村俊三 ブログ

中村ギター教室内のレッスン内容や、イベント、また、音楽の雑学などを書いていきます。

中村俊三ギター・コンサート 

  3月25日(日) 13:30

  ひたちなか市アコラ
 
 入場料 2000円  (予約お申し込みは、中村ギター教室、またはアコラ)




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        <  曲   目  >

バルベルデ~リョベット編 : クラベリトス(カーネーション)

カタルーニャ民謡~リョベット編 : 盗賊の歌  エル・メストレ  糸を紡ぐ娘

ベートーヴェン~タレガ編 : アダージョ (ピアノ・ソナタ 「悲愴」 より)

ショパン~タレガ編 : 雨だれ前奏曲

アルベニス~中村俊三編 : アストゥリアス  入り江のざわめき  カタルーニャ綺想曲  サンブラ・グラナディーナ  朱色の塔 

 *他に愛好者による演奏などがあります。





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昨年発売した「アルベニス作品集」収録曲と、今年録音予定のタレガ、リョベットの編曲作品

 今月の25日(日曜日)にアコラでコンサートを行います。 曲目は上記のようにタレガとリョベットの編曲作品と、アルベニスの作品です。 タレガとリョベットの編曲作品は今年録音予定の曲で、アルベニスの作品は昨年発売したCDの曲に、今年録音予定の朱色の塔と、入江のざわめきとなっています。




タレガはベートヴェンの作品を多数編曲しているが

 タレガはベートーヴェン作品を意外なほどたくさんギターにアレンジしていますが、現在、実際にギタリストによって演奏されることはあまり多くはありません。 

 当然といえば当然かも知れませんが、技術的に難しく、また表現上もやはりベートヴェンの音楽はギターには収まりきらないといったところがあります。




等身大のベートーヴェン

 そうした中でも、このピアノ・ソナタ嬰ハ短調「悲愴」第2楽章、「アダージョ」は、両端楽章の激しい感じと対照的に安らぎを感じる曲なので、比較的ではありますが、ギターには合っている方かなと思います。 こうしたクラシックの名曲もギターで演奏することにより、より身近に感じ、いわば等身大のベートーヴェンといった感じになるかなと思います。




ギター愛好者にはリンゼーの「雨だれ」のほうが有名だが


 ギターで「雨だれ」と言えば、普通リンゼーの曲の方を思い出しますが、一般的に「雨だれ」といえば、ショパンの前奏曲第15番のほうが有名でしょうね。 というよりリンゼーの雨だ「雨だれ」はギターを習っている人しか知らないでしょうね。

 「雨だれ」らしさといえばリンゼーの方に若干分があるでしょうね、確かに聴いた感じ雨だれぽいですね。 ショパンのほうは言われてみないとわかりません。 それはそうですね、「雨だれ」という曲名はショパンが付けたわけではありませんから。




それほど雨だれぽくはないが、メロディの美しい曲

 このショパンの「雨だれ」のほうは、雨だれぽさというより、メロディの美しさが魅力的な曲といえます。 24曲の前奏曲中、最も長く(たぶん)ショパンとしても力を入れた作品だと思います。 

 タレガの編曲は原曲の感じからはやや遠くはなっていますが、たいへんチャーミングなギター曲といった感じになっていると思います。 ベートーヴェンの編曲作品同様、かつてはあまり演奏されなかったのですが、最近ではこうしたタレガ編のショパンもかなり演奏されるようになっています。




 「カタルーニャ綺想曲」、 「サンブラ・グラナディーナ」も美しい曲


 リョベットの編曲作品とアルベニスの曲は、昨年12月にギター文化館で演奏した曲と、ほぼ重複します。 アルベニスの「朱色の塔」 と 「入り江のざわめき」 は、私自身よく演奏する曲で、いわば”愛奏曲”といったところですが、昨年発売したアルベニス作品集のCDには曲数の関係で収録出来なかったものです。

 「カタルーニャ綺想曲」、 「サンブラ・グラナディーナ」 はアルベニスの作品としては演奏頻度の少ないものですが、たいへん美しい曲です。

 
 
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バッハ:平均律クラヴィア曲集 36


グレン・グールド (1962~1971年録音) 6



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音楽評論家によるランキングでは他を圧倒しての1位

 バッハの平均律の話よりも、グールドの話になってしまいましたが、もう少しグールドの話を続けましょう。 グールドのバッハの演奏は、バッハの音楽の本質をより明確に表現するものとして、専門家たちの評価がたいへん高いものです。 

 2000年頃音楽之友社から出版された  「20世紀の名曲名盤~究極の決定版100」 において、「イギリス組曲」、 「フランス組曲」、 「パルティータ」、 「インベンション」、 「平均律曲集」、 「ゴールドベルク変奏曲」 の6つのバッハの代表的な鍵盤音楽で、2位以下を圧倒して、すべて第1位となっています。




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2000年頃に出版された 「20世紀の名曲名盤~究極の決定版100」 による平均律曲集のランキング(複数の音楽評論家による)。     「イギリス組曲」、 「フランス組曲」、 「パルティータ」、 「インベンション」、 「ゴールドベルク変奏曲」 などでもグールドは他を圧倒しての1位となっている



 これは、ピアノのみではなく、チェンバロの演奏も含めたもので、 グールドの演奏は、バッハの鍵盤音楽において、まさに音楽評論家たちの圧倒的な支持を得ていると言えます。




一般の音楽ファンからも絶大な人気があった

 さらに、そうした音楽の専門家たちだけでなく、一般の音楽ファンからも絶大な人気がありました。 私自身は当時、特にグールドの演奏が好きだったわけではありませんが、グールドが好きな友人は多数いて、 「オレはグールド以外でバッハは聴かない」 などと言いきる友人もいたことは、以前話した通りです。

 こうした一般の音楽ファンたちは、雑誌などにより、そうした専門家たちの評価に影響された部分もあるかも知れませんが、でもやはり一般の音楽ファンを魅了する何かがグールドの演奏にあったのは確かでしょう。




どういう人たちがグールドのファンになったか、なぜファンの気持ちを掴んだのか

 では、グールドの演奏のどういったところがファンの心を掴んだのか、あるいはどういった人たちがグールドのファンになったのかを、改めて考えてみましょう。

 グールドの演奏で、最も特徴的、あるいは目立つ点と言えば、ほとんどの音をスタッカート気味に弾くことでしょう。 そして残響などを一切付けない録音で、それがいっそう強調されます。




元々のクラシック音楽ファンなどは違和感を感じたかも

 グールドの演奏は、ちょっと聴いただけでも他のピアニストの演奏と異なることがわかり、ショパンやシューマンなど、典型的なピアノ音楽に馴染んでいる音楽ファンだったら、グールドの演奏は音がポツポツと余韻もなく、まさに”砂を噛む”ような味気ない演奏に感じるのではないかと思います。




弾き方も、音質もなんとなくジャズぽい?

 でも、このグールドの「ポツ、ポツ」と言った感じのピアノの音は、どこかで聴いたことがあるような感じがします。 そうです、ジャズ・ピアノの音ですね。 確かに録音の仕方もジャズぽい感じがします。 クラシック音楽の録音はコンサート会場のような残響豊かなところで行いますが、ポピュラー系の音楽は吸音材に囲まれたスタジオで行います。

 戦前から戦後にかけて国内外でジャズが流行していました。 当時、教養ある成人男性であれば、ジャズをたしなむのは当然、あるいは一種のステータスとなっていたようなところもあります。 今現在に比べればジャズ人口は圧倒的に多かったと思います。




ジャズ・ピアニストがバッハを弾いていた

 そうした日頃ジャズ・ピアノに親しんだ耳からすると、グールドのピアノは全く違和感がなかったのかも知れません。 また当時ジャズ・プレーヤーがバッハを演奏することが、一つの流行ともなっていました。 そうした風潮にも助長されたかも知れません。




ピアノ教育に携わる人たちからは敬遠されていた

 しかし一方で、ピアノの教育に携わる人たちからはたいへん評判は良くなかったようです。  私が20~30代の頃、仕事の関係でピアノの先生たちと会食、あるいは宴会などを行うこともありました。 そうした場では音楽の話はほとんどないことは以前にも言いましたが、ごく稀にグールドの話が出ることがあっても、それはたいていは否定的なものでした。

 それはそうですね、グールドの演奏はその先生たちが教えていること、あるいは大学などで習ってきたことと、まさに真逆のことをしている訳ですから、グールドの演奏を肯定することは、自の仕事を否定することにもつながりかねません。




知り合いに女性が少ないせい?


 ところで、グールド好きな私の友人にははっきりとした特徴があります、それはそうした友人はすべて ”男性” であることです (ただ私の知り合いや友人に女性が少ないだけ?)。

 そしてそれらの友人たちのほとんどは幼少期にピアノなどは習ってなく、高校や大学などある程度成長してから音楽に興味を持つようになった人たちです。 前述のようにジャズや、当時流行し始めていたロックなどからクラシック音楽に興味を持つようになった人たちもいます。
 



この話、どこかでしたような

 これと同じような話、前にしたような記憶があります、そうです、バッハ・ファンの話です。 バッハ・ファンの多くは男性で、幼少期などにピアノを習っていなかった人に多いという話でしたね。 これがグールド・ファンと見事に一致しましたね!




再び方程式が成立する

 となれば、 バッハ=グールド という方程式は完璧に成り立ちますね。 なるほど!  ついでに バッハ=グールド≒男性 なんて式も成り立つのかな? 




結論としては

 と言ったところで、結論として、グールド・ファンは、主に男性で、それまでそれほどクラシック音楽に触れてこなかった人、特にジャズなどが好きな人、音楽大学などには行かなかった人、 ある程度大人になってから音楽に興味を持ち始めた人・・・・・・・・・   なんて感じでしょうか。 

   ・・・・・・・・いえ、いえ、もちろん女性のグールド・ファンもたくさんいると思います。  これはちょっとした傾向というか、まあ特に根拠のないことと言うか、 ええ、決して男女格差なんて、 ええ、ほんのジョークで、 ホントに。

  ・・・・・・・・こんな言い訳、前にしたような?


 
バッハ:平均律クラヴィア曲集 35


グレン・グールド 5





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カンタービレなプレリュードと重厚なフーガは

 グールドは 」第1巻の第4番嬰ハ短調」 や、 「同第8番変ホ短調」、 「第2番の第14番嬰へ短調」 のような、声楽的なプレリュードとフーガの曲は、比較的速いテンポで、やや淡泊とも思える弾き方で弾いています。 こういったこともグールドの平均律曲集に於ける演奏の特徴といえます。




一般的にはプレリュードは気持ちを込めて歌わせ、フーガは重厚に弾く


 これらの曲は、以前紹介したとおり、プレリュードはたいへん美しいアリアのように出来ており、またフーガもやや古風に声楽的なテーマで、どちらかと言えばオルガンが似合いそうな悠々とした曲となっています。  従って、一般にこれらの曲は、ゆっくり目のテンポで美しく歌い、また堂々とした落ち着いた感じで演奏されるのが普通です。




第2巻第14番嬰へ短調などは典型的

 グールドはこうした曲では、まさに一般的な弾き方とは真逆な弾き方をしていると言えます。 これらの中で、特に美しいメロディをもつ 「第2巻第14番嬰へ短調のプレリュード」 などは顕著に表れています。




あたかも感傷的な表現を毛嫌いするかのように

 スタッカートを多用するグールドですが、ことさらこのプレリュードでははっきりとしたスタッカートで弾いています。 歌わせるとか、気持を込めるといった感じはなく、メロディをポツリ、ポツリといった感じで弾いています。 まるで 「感傷的な演奏なんて、最低さ!」 とでも言っているかのようです。



グルードは情感で表現するピアニストでなく、あくまで客観的で知性的!

 確かにこの平均律曲集全体として、感傷的な表現は避けられているようです。 そして、私たちは 「なるほど、グールドというピアニストは音楽を個人的な感情などでは表現せず、あくまでも客観的に捉える知性派なのか」 と改めて納得する訳です。 




でも、ちょっと待った!

 しかし、そう断言するのはちょっと待ってほしい! 以前紹介したグルードの1950年代の録音をまとめたアルバムに、4曲ほど平均律曲集からの録音があります。 1954年に録音したもののようで、ライブ録音、もしくはラジオ放送用の録音と思われます。




50年代の録音は、まるでリヒテルのよう

 その4曲の中にこの第2巻14番嬰へ短調があります。 これを聴いてみると、まさに驚きです、スタッカートなどは全く用いず、ゆっくり目のテンポで、もちろんレガートに、しかもテンポも多少揺らしながら、まさに「歌っている」ではありませんか! 

 速めのテンポでポツポツと音を切りながら、全く歌わない1960年代の録音とはまさに真逆の演奏です。 黙って聴いているとリヒテルか、なんかの演奏じゃないかと思うくらいです。 もっとも、たくさんの平均律の曲集の中からこの曲選んだ時点で、もともとこうした曲が好きなのではと考えられます。




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50年代の録音を集めたアルバムには、1954年に録音した4曲の平均律曲集からのプレリュードとフーガが収録されている。 これらの録音は後の全集盤とは全く異なる演奏で、ちょっと聴いたら同じ人が弾いているようには思えない。




こっちの方が本物のグールド?

 ゴールドベルクのところでも話しましたが、やはりグールドはもともとこうしたロマンティックというか、感傷的というか、じっくりと気持ちを込めて音楽を歌わせるタイプだったのでしょう。 前にも言った通り、この1960年代(全集の方)の録音は、まさにこうしたロマンティックでセンチメンタルな自分の音楽へのアンチテーゼといえるでしょう。




永遠の反抗期少年? しかも天才!

 確かに全く歌わせないように弾いているこの60年代の録音を聴くと、自分自身が底なしのセンチメンタリズムに陥らないように、必死に抵抗しているようにも聴こえるかも知れません。

 まあ、例えると、心優しく、本当はとても母親想いの子が、友達が家に遊びに来た時など、声変わりしたばかりの声で、 「うぜえな! あっちに行ってろよ! おふくろ! 」 なんて突然悪態をつく思春期の中学生みたなものかな?  グールドは永遠の反抗期少年? しかも天才!




メルヘン・チックな情感が漂う

 さらにこの50年代の録音の4曲の中に第22番変ロ短調も入っています。 この22番のプレリュードも以前紹介しましたが、何か懐かしさを感じる素朴で美しい曲です。 これもこの50年盤ではグールドは気持ちを込め、メルヘン・チックとでも言えそうな情感を添え、美しく歌わせています。 



 
 

 
バッハ:平均律クラヴィア曲集 34




グレン・グールド 4  




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グレン・グールド バッハ:平均律クラヴィア曲集第1巻、第2巻 1962~1971年録音





およそ10年間を費やして

 またいろいろ遠回りをしましたが、やっと本題のグールドの平均律曲集の話に戻ります。 グールドは第1巻を1962~1965年に、第2巻を1967~1971年に録音しています。 約10年かけてこのバッハの作品を慎重に録音したと言えます。





残響などを排し、中音域中心の音質

 10年の開きがあるので、録音機器の進歩により音質などは年代と共に若干変わっていますが、基本的な音質はほぼ統一されています。 グールドにはこうした録音された音質などにも強いこだわりがあるようです。

 グールドの録音は、聴いてすぐにグールドの音だとわかるように、他のピアニストの音とはかなり違うものになっています。 グールドの録音は残響がほとんどなく、また高音域を増幅させず、中音域が中心の音となっています。

 これは、まずペダルを全く使用しない(私はピアノを弾かないのではっきりとはわからないが)ということと、コンサート会場のような残響のある環境ではなく、スタジオでの録音であること、もちろん電気的な残響も付けていません。

 また専門的なことはわかりませんが、グールドの使用するピアノ自体の音も、そう言った音なのでしょう。




一般的な美しいピアノの音とは違うが

 従って、一般に聴かれるような豊かなピアノの響きにはなりませんが、その代りに一つ一つの音が濁らずに明瞭に聴こえてきます。おそらくそれがグールドの狙いなのでしょう。 グールドのピアノの音をクリヤーで美しい音と聴くか、なんかボソボソとして、味気ない音と聴くかは、もちろん聴く人次第です。




スタッカート奏法はグールドの専売特許?

 グルードの演奏の最大の特徴と言えば、何度か話に出てきた”スタッカート奏法” ですが、これは第1番のプレリュードによく洗われています。 この第1番のプレリュードはアルぺジオで出来ています。

 通常の考え方であれば、「アルペジオである限り、アルペジオ、つまり和音として聴こえなければならい。 当然音を切って弾くことはあり得ない」 となります。




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グールドはアルペジオの後半4個の音をスタッカート奏法で弾いている。 通常こうした箇所はスタッカートで弾くことはあり得ないので、たいへん目立つ。  ”グールド=スタッカート奏法” ということを一般に植え付けた演奏とも言える。




通常ではスタッカートでは弾かないところをスタッカートで弾くのがグールドの真骨頂

 実際、グールド以外のピアニストの場合はほとんどこの第1番のプレリュードに関してはスタッカートで弾いてはいません。 バッハの曲にスタッカート奏法を用いることは別に特別なことではなく、バッハ自身の演奏も特にレガートには弾かなかったとも言われており、バッハの作品をスタッカート、あるいはノン・レガートで弾くことはよく行われることです。 しかしグールドの場合は、通常ではあり得ないところでスタッカート奏法を用いていることが特徴です。




スタッカートを用いない3小節がある

 グールドがこのようにアルペジオの音をスタッカート奏法で弾く理由として、「個々の音が和声の中に埋没してしまうのではなく、それぞれの音に独立性を持たせた」 と言ったような解説も読んだことがあります。 ただ不思議なことに、このプレリュードの25、28、29小節に限ってはスタッカート奏法は用いていません。




ライブ録音であれば何の不思議もないが


 これがライブ録音とかであれば、そうしたことは別に不思議でもなんでもありません。 予定と違う弾き方、普段とちがう弾きなどは誰でも行うことではないかと思います。 しかしこの録音は1回限りのライブ録音ではなく、スタジオで録音され、おそらく何度もプレー・バックを行い、時間をかけて編集されたものです。 グールド自身も何度も自らの演奏聴き直し、最終的にスタッフにOKを出したものと思われます。

 上記の3小節は、どう考えても、なにか特別な個所とは思えません。 なんとなくレガートになってしまった、それはいいとしても、こだわりやのグールドが、なぜここを編集しようと思わなかったのかが、なんとも不思議です。 





理詰めで弾いている訳ではない?


 もっとも 「こだわりや」 と言うタイプの人は、普通の人が全く気にしないようなことをすごく気にして、その代わりに普通の人が気になるようなことには全く無頓着、ということがよくあります。 グールドにとっては、このようなことは 「別にどっちでもいいよ」 ということなのだろうか。

 一つの結論として、グールドと言えども、理屈だけで弾いている訳ではないということなのでしょうか。




スケールの場合でも

 第1番のフーガのように8分音符と16音符で出来ている曲の場合、通常8分音符のほうはスタッカート、あるいはノン・レガートで弾くことはあっても、16分音符はレガートに演奏されます。 実際に他のピアニストの場合、すべての音をレガートに弾くか、あるいは8分音符や付点8分音符はスタッカート、もしくはノン・レガートで弾いて、16分音符はレガートに弾いています。



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主に8分音符と16分音符によるスケールで出来た第1番のフーガ。 グールドは一般の弾き方とは逆に16分音符の方をスタッカートで弾いている



 グールドの場合は8分音符などはややノン・レガート(結構レガートに近い)に弾き、逆に16分音符のほうは誰が聴いてもわかるような、はっきりとしたスタッカートで弾いています。

バッハ:平均律クラヴィア曲集 33


グレン・グールド 3


ゴールドベルク変奏曲



1981年盤 ~世を去る1年前の録音

 グールドは亡くなる1年前の1981年に再度ゴールド・ベルク変奏曲を録音します。 まさに白鳥の歌といったところでしょうか。 CDジャケットで見る写真は、まだ年齢が50歳に満たないとは思えないほどだいぶ変わっていました。 

 もちろん演奏もだいぶ変わり、55年盤とは正反対と言ってもよい演奏かも知れません。 特にテーマはかなり遅く、55年盤では 1:53 でしたが、81年盤では3:05 となっています。 繰り返しを省略していますから、他の演奏者と比べてもかなり遅い方といえます。



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81年録音のゴールドベルク変奏曲  55年盤では38分ほどだった演奏時間も50分を超えている(一部のへんそうでは前半のみリピート) 風貌もだいぶ変わった。




これ以上小さく弾けないくらい

 録音なので絶対的な音量のことはわかりませんが、雰囲気からすれば、テーマは遅いだけでなく、かなりの弱音で弾かれているようです。 もともと音量が大きいとは言えないグールド、これ以上小さな音では弾けないというくらい小さな音で弾いているようにも思えます。

 第1変奏以降も55年盤に比べるとかなり遅いですが、一般的にはこれくらいのテンポで弾く奏者も少なくないので、普通と言えば普通です。 この81年盤には55年盤では一切行っていなかったリピートを、いくつかの変奏では前半のみ行っています。




間を取らずに次の変奏に移る


 55年盤では速い変奏と遅い変奏の差が大きかったですが、この81年盤では全体が遅めなので、その差は大きく感じません。 音量なども変奏によってかなり変えていることは同じですが、この81年盤では変奏と変奏の間を全く取らずに次の変奏に移るので、そうした差はより大きく感じます。

 このゴールドベルク変奏曲ではそれぞれの変奏は独立しているようになっているので、ほとんどの奏者は変奏と変奏の間は、少し空けて演奏しています。 グールドも54年盤、55年盤ではそのように間をあけて演奏していますが、この81年盤では、全体で一つの作品ということで、全く間を取らずに演奏しているのだと思います。




さらに遅く、小さく

  変奏30のクオドリベットのあとに再度テーマが現れる訳ですが、グールドはこの最後のテーマを、冒頭よりもさらに増して遅く、またさらに小さな音で、本当に消え入るような音で演奏しています。 まさにグールド・ファンへの、また現世との惜別の歌と言った感じです。


 
グールドのバッハ演奏は

 グールドのバッハの演奏を簡単にまとめるとすると、まず、19世紀ロマン派的な演奏スタイル(エドウィン・フィッシャーに代表されるような)から脱し、また、当時浸透し始めていた厳格主義(ヘルムート・ヴァルヒャに代表されるような)からも距離を置き、さらに当時、コンサート・ピアニストには当然のごとく必要とされていたヴィルトージティも拒否するもので、自らの知性と感性に従って演奏すると言ったものであると言えます。



アンチテーゼなピアニスト

 別の言い方をすれば、グールドというピアニストは ”アンチテーゼ” からなっていた、とも言えます。 ロマン派的な演奏、 厳格主義、ヴィルトーゾ偏重、そうしたものへのアンチテーゼとしてグールドの演奏はあるのかも 知れません。




アンチテーゼの対象は何といっても自分自身

 しかしそのアンチテーゼは、何よりも自分自身にむけられているように思います。 1960年頃に録音されたブラームスの間奏曲集には、私たちがバッハやベートーヴェンで知っているグールドの姿はありません。 非常にロマンティックに、またレガートに演奏しています。 これが本当のグールドの姿だと言う人もいます。



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1960年録音のブラームス間奏曲集  ここには私たちがゴールドベルクや平均律で知っているグールドとは全く違うグールドがいる。




81年盤は55年盤のアンチテーゼ?

 とすれば、溌剌としたテンポ、情感を込めるよりもクリヤーに発音するためのスタッカート、不自然な流れも厭わない変奏ごとの極端なテンポや音量の変化、こういった55年のゴールドベルクは、浪漫的であり、感傷的な、そうした自分の音楽へのアンチテーゼとも考えられます。

 また、音楽を感じる自分と考える自分。 演奏中の自分とプレーバックを聴く自分。 昨日の自分と今日の自分。 グールドにはこうしたそれぞれ対立した”自分”がいるようです。 この81年録音のゴールドベルクは、この世への惜別の歌とも考えられますが、単に55年盤へのアンチテーゼであるだけとも考えられます。
 



情熱の全くない「熱情」?

 グールドはバッハ以外にもモーツァルトやべーとーヴェンのソナタも録音しています。 全く優雅でも軽快でもないモーツァルト、全く情熱を感じさせない「熱情」、 ヴィルトージティを完全に否定した「皇帝」。 こうしtら録音を発表して世間を驚かせました。 これらも、やはりバッハの演奏同様、これまでの演奏習慣や価値観への反抗ともいえます。

 グールドのバッハは前述の通り、発表と同時に世界にセンセーションを巻き起こし、また多くのピアニストに影響を与えました。 しかしこれらのベートヴェンやモーツァルトに関しては、驚き以外のものはあまり残さなかったようです。




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1966年録音のストコフスキーとの「皇帝」  通常華麗に弾かれる冒頭のカデンツァを非常にゆっくり弾いている。 ストコフスキーとの共演になったのは、レナード・バーンスタインがこの遅いテンポを拒否したからともいわれている。




バッハの作品の演奏は多様なスタイルが可能であることを示した

 この違いは何だったのか? グールドの技術や音楽がバッハに合っていたと言うことも出来ますが、やはりそれぞれの作曲家の音楽の内容にその違いがあるのでしょう。

 グールドはバッハの演奏に関して、スタッカート奏法を導入したと言うことだけでなく、バッハの作品の演奏には多様な演奏スタイルが可能であることを示したと言うことなでしょう。 バッハの演奏は、その時代の演奏習慣などを学べば済む問題でも、また固定した演奏法がある訳でもない。




モーツァルトやベートーヴェンで成功しなかったのは

 逆に言えば、モーツァルトやベートヴェンの作品の演奏にはそれほど多くの多様性がある訳ではない、といったことも言えるのかも知れません。 そうしたことが。グールドの演奏に関してはバッハの作品のみが評価され、他の作曲家の作品に関してはあまり顧みられない要因とも言えるのでしょう。