クラシック・ギター名曲選
収録曲紹介

10..アダージョ・カンタービレ ~ピアノソナタ「悲愴」第2楽章 (ベートーヴェン ~タレガ編)
ギターとベートヴェンの相性は最悪?
先に言ってしまうと、ギターとベートヴェンとの相性はかなり悪いです。
ベートヴェンの音楽の特徴は、ダイナミックさ、構成美、論理性といったことになると思いますが、微妙なニュアンスが勝負のギターにとっては、どれも苦手なものです。
おそらく音楽の方向性としては正反対と言ってもよいでしょう。
「ギターは小さなオーケストラである」
「ギターは小さなオーケストラである」 と言った言葉をベートーヴェンは残したとされています。
いつ、どこで、どのようなシチエ―ションでこの言葉を言ったのか、あるいは書いたのかなどといったことはわかりませんが、ともかくそのように言われています。

「ギターは小さなオーケストラだ」 と言ったとか、言わなかったとか。
ジュリアーニ? ディアベリ?
ベートーヴェンが実際にこの言葉を、どこかで言ったとしたら、おそらく優れたギター演奏を聴いた時の感想と考えられます。
ベートーヴェンが聴いた可能性のある優れたギタリストといえば、交響曲第7番の初演にも立ち会ったとされているマウロ・ジュリアーニが考えられますが、確かなことはわかりません。
ベートヴェンの周辺では、他に出版業者として知られているアントン・ディアベリもギターを弾いていましたが、おそらくディアベリではないでしょう。
ギターに対する賛辞と受け止められているが
この言葉は普通、ギターと言う楽器に対して、あるいはギタリストに対してのベートーヴェン流の賛辞と受け取られています。 ・・・・・少なくともギター界では。
しかしちょっとひねくれた解釈をすれば、ベートヴェンにとっては、最良、または最大の音楽形態はオーケストラであることを言っている訳で、それに比べてギターは”小さい”ものであると言っているわけです。
ギターが ”小さいオーケストラ” であるなら、 ピアノは ”大きなオーケストラ” となるのかも知れません。
本当にお世辞を言うつもりだったら
ベートーヴェンが本当にギター、あるいはギタリストにお世辞を言うつもりだったら、 「ギターにはオーケストラには出せない音楽がある」 とか 「ギターは、オーケストラとは全く違う表現が出来る」 など、オーケストラとの質の違いを強調すべきだったのではと思います。
ギターとオーケストラを ”大” ”小” などの量的な言葉で表現すれば、当然のごとくその圧倒的な”量的な差”を表すことになります。
同じ土俵で相撲を取っても
また量的な比較をするということは、その前提として、オーケストラとギターは質的に同じということを言っている訳です。 そりゃあ、オーケストラと同じ土俵で相撲とったら勝てる訳がない!
もっとも、こと言葉を言うきっかけとなったのが、仮にジュリアーニの演奏であったとすると、ベートーヴェンとしてもオーケストラとギターとの質的な差は感じなかったかも知れませんね。
もし、これがタレガの演奏だったら、全く違った感想をいっていたかも知れません。 ・・・・・・時代的にはあり得ませんが。
お世辞は難しい
お世辞って難しいですね、言い方を間違えると全くの逆効果になって、相手の機嫌を損なうこともある! ・・・・・ベートーヴェンのこの言葉で、特に憤慨した人はいなそうですが。
なにはともあれ、ベートーヴェンとギターとの接点は、全くないわけではないが、ベートヴェンとしては、特に関心があったわけではなさそうです。
タレガはベートヴェンの曲をたくさんアレンジしている
話を編曲者のタレガの方に向けると、タレガはギターにはあまり相性が良くないと思われるベートーヴェンの曲をたくさん編曲しています。
ピアノソナタからヴァイオリンソナタ(クロイツェル)、交響曲(第7番)など、それらの多くは技術的はかなり難しくなり、また演奏出来たとしても原曲の内容を越えることもなく、またギターの新たな魅力を引き出すというわけでもなく・・・・・
ベートーヴェンへの敬意の表れ
しかしタレガとしては音楽にたずさわる以上、ベートーヴェンの音楽は避けて通れないと考えたのでしょう。
タレガのこれらのベートーヴェンの作品の編曲は、楽聖ベートーヴェンへの敬意の表れではないかと思います。
「ピアノで弾いた方がいいんじゃない」って言われそうだが
と言った訳で、このタレガ編曲の ベートーヴェン : 「ピアノソナタ第8番ハ短調作品13」 第2楽章 「アダージョ・カンタービレ」 は、一般にはたいへん有名な曲で、楽譜なども入手しやすいわりには、あまり演奏されません。
アマチュアにとってはたいへん弾きにくい曲で、プロにとっては苦労のわりには 「ピアノで弾いた方がいいんじゃない」 と言われかねない曲として敬遠しがちです。
なかなか? そこそこ? ぜんぜん?
今回この曲を私が録音したのは、そうしたことをふまえつつも、 ”怖いもの見たさ” というか、”たまにはいいんじゃない” といったところですが、他のタレガ編のベートヴェンの作品にくらべて、この曲は相対的にギターにおさまりやすいという点もあります。
内容的にも、この曲はベートーヴェンの曲としては穏やかで、結果的に 「ギターで聴いてもなかなか(そこそこ?)いいんじゃない」 と言った感じにはなっているかなと思います。
かなり原曲に忠実
このタレガのアレンジはハーモニックス奏法の使用とか、技術的な点での省略、簡略化などはありますが、基本的にはかなり原曲に忠実なものです。
グリサンド奏法などもかなり少な目で、タレガとしては最大限、原曲の持ち味を出そうとしているように思います。
「月光」も一応弾いてみたが
なお、タレガ編のピアノソナタ「月光」の第1楽章なども一応録音してみたのですが、さすがにこちらは本当に 「ピアノでいいんじゃない」 と言った感じてしまったので、アルバムに含めるのはやめました。 ・・・・もちろん技術的にも難しい。
収録曲紹介

10..アダージョ・カンタービレ ~ピアノソナタ「悲愴」第2楽章 (ベートーヴェン ~タレガ編)
ギターとベートヴェンの相性は最悪?
先に言ってしまうと、ギターとベートヴェンとの相性はかなり悪いです。
ベートヴェンの音楽の特徴は、ダイナミックさ、構成美、論理性といったことになると思いますが、微妙なニュアンスが勝負のギターにとっては、どれも苦手なものです。
おそらく音楽の方向性としては正反対と言ってもよいでしょう。
「ギターは小さなオーケストラである」
「ギターは小さなオーケストラである」 と言った言葉をベートーヴェンは残したとされています。
いつ、どこで、どのようなシチエ―ションでこの言葉を言ったのか、あるいは書いたのかなどといったことはわかりませんが、ともかくそのように言われています。

「ギターは小さなオーケストラだ」 と言ったとか、言わなかったとか。
ジュリアーニ? ディアベリ?
ベートーヴェンが実際にこの言葉を、どこかで言ったとしたら、おそらく優れたギター演奏を聴いた時の感想と考えられます。
ベートーヴェンが聴いた可能性のある優れたギタリストといえば、交響曲第7番の初演にも立ち会ったとされているマウロ・ジュリアーニが考えられますが、確かなことはわかりません。
ベートヴェンの周辺では、他に出版業者として知られているアントン・ディアベリもギターを弾いていましたが、おそらくディアベリではないでしょう。
ギターに対する賛辞と受け止められているが
この言葉は普通、ギターと言う楽器に対して、あるいはギタリストに対してのベートーヴェン流の賛辞と受け取られています。 ・・・・・少なくともギター界では。
しかしちょっとひねくれた解釈をすれば、ベートヴェンにとっては、最良、または最大の音楽形態はオーケストラであることを言っている訳で、それに比べてギターは”小さい”ものであると言っているわけです。
ギターが ”小さいオーケストラ” であるなら、 ピアノは ”大きなオーケストラ” となるのかも知れません。
本当にお世辞を言うつもりだったら
ベートーヴェンが本当にギター、あるいはギタリストにお世辞を言うつもりだったら、 「ギターにはオーケストラには出せない音楽がある」 とか 「ギターは、オーケストラとは全く違う表現が出来る」 など、オーケストラとの質の違いを強調すべきだったのではと思います。
ギターとオーケストラを ”大” ”小” などの量的な言葉で表現すれば、当然のごとくその圧倒的な”量的な差”を表すことになります。
同じ土俵で相撲を取っても
また量的な比較をするということは、その前提として、オーケストラとギターは質的に同じということを言っている訳です。 そりゃあ、オーケストラと同じ土俵で相撲とったら勝てる訳がない!
もっとも、こと言葉を言うきっかけとなったのが、仮にジュリアーニの演奏であったとすると、ベートーヴェンとしてもオーケストラとギターとの質的な差は感じなかったかも知れませんね。
もし、これがタレガの演奏だったら、全く違った感想をいっていたかも知れません。 ・・・・・・時代的にはあり得ませんが。
お世辞は難しい
お世辞って難しいですね、言い方を間違えると全くの逆効果になって、相手の機嫌を損なうこともある! ・・・・・ベートーヴェンのこの言葉で、特に憤慨した人はいなそうですが。
なにはともあれ、ベートーヴェンとギターとの接点は、全くないわけではないが、ベートヴェンとしては、特に関心があったわけではなさそうです。
タレガはベートヴェンの曲をたくさんアレンジしている
話を編曲者のタレガの方に向けると、タレガはギターにはあまり相性が良くないと思われるベートーヴェンの曲をたくさん編曲しています。
ピアノソナタからヴァイオリンソナタ(クロイツェル)、交響曲(第7番)など、それらの多くは技術的はかなり難しくなり、また演奏出来たとしても原曲の内容を越えることもなく、またギターの新たな魅力を引き出すというわけでもなく・・・・・
ベートーヴェンへの敬意の表れ
しかしタレガとしては音楽にたずさわる以上、ベートーヴェンの音楽は避けて通れないと考えたのでしょう。
タレガのこれらのベートーヴェンの作品の編曲は、楽聖ベートーヴェンへの敬意の表れではないかと思います。
「ピアノで弾いた方がいいんじゃない」って言われそうだが
と言った訳で、このタレガ編曲の ベートーヴェン : 「ピアノソナタ第8番ハ短調作品13」 第2楽章 「アダージョ・カンタービレ」 は、一般にはたいへん有名な曲で、楽譜なども入手しやすいわりには、あまり演奏されません。
アマチュアにとってはたいへん弾きにくい曲で、プロにとっては苦労のわりには 「ピアノで弾いた方がいいんじゃない」 と言われかねない曲として敬遠しがちです。
なかなか? そこそこ? ぜんぜん?
今回この曲を私が録音したのは、そうしたことをふまえつつも、 ”怖いもの見たさ” というか、”たまにはいいんじゃない” といったところですが、他のタレガ編のベートヴェンの作品にくらべて、この曲は相対的にギターにおさまりやすいという点もあります。
内容的にも、この曲はベートーヴェンの曲としては穏やかで、結果的に 「ギターで聴いてもなかなか(そこそこ?)いいんじゃない」 と言った感じにはなっているかなと思います。
かなり原曲に忠実
このタレガのアレンジはハーモニックス奏法の使用とか、技術的な点での省略、簡略化などはありますが、基本的にはかなり原曲に忠実なものです。
グリサンド奏法などもかなり少な目で、タレガとしては最大限、原曲の持ち味を出そうとしているように思います。
「月光」も一応弾いてみたが
なお、タレガ編のピアノソナタ「月光」の第1楽章なども一応録音してみたのですが、さすがにこちらは本当に 「ピアノでいいんじゃない」 と言った感じてしまったので、アルバムに含めるのはやめました。 ・・・・もちろん技術的にも難しい。
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