マチネの終りに 2
平野啓一郎
フィクションなだけに背景や細部はリアルに
この本について、もう一言。 この小説ではギターのこと以外でも経済問題、国際問題など内容が多岐にわたっています。 基本的にこの小説は恋愛ものなのですが、その背景についても克明に描かれています。
小説である以上、基本はフィクションなのですが、逆にその背景はリアルに、正確に描写されています。 そのことにより、ストーリーにリアリティを持たせているのでしょう。
また一見話の本筋にはあまり関係ないように思われることでも、しっかりとストーリーに関連付けられており、全く無駄なことは書いていないようです。
ギョーカイ人としては
さて、前回も書いた通り、ここで話の ”本筋” については詳しく書くことは出来ませんので、そうした背景についての話を、もう少ししましょう。
その中で、私たち ”ギョーカイ人” にとっては音楽事務所にかかわることとか、またその内紛などにはちょっと興味をそそられるところです。
音楽産業の苦境
この話は今から12年前ということですが、その頃リーマン・ショックなどというものがあり、世界的に経済が落ち込んだ時期です。
またそれだけではなく、音楽はCDからネット配信などと言う時代になり、特にクラシック部門でのCDの売り上げは落ち込んだ時期です。
そうしたことによる音楽産業の苦境といったところにも触れています。
天才ギタリストも立ち止まってしまう?
主人公の天才ギタリスト、蒔野聡史が、アンコールとして弾いた「大聖堂」の第3楽章の途中で先が全くわからなくなってしまい、立ち止まってしまうという話も出てきます。
こんな話私たちにとっては極めて現実的ですね。 幸にも私の場合、本当にステージ上で立ち往生してしまったことはないのですが、リサイタルなどをやる度に、そうしたことはいつも心配になります。
フリーズしてしまう夢を見る
よくステージでの演奏の途中で、先がわからなくなってしまって、うろたえている夢などを見ます。 夢から覚めると心臓がドキドキしていて、夢でよかったと胸をなでおろします。
私の場合、多少上手く弾けないくらいはあまり気にしないのですが、さすがに演奏の途中でフリーズしてしまうのは恐怖です。

幸にもステージ上で ”立ち往生” してしまったことはないが、そんな夢はよく見る
人並み外れた記憶力を持っているはずだが
確かに一流の演奏家たちの記憶力は並外れていて、普通の状態であれば、曲の途中で、先がわからなくなってしまうことはあり得ないのですが、やはりステージというのは別世界だと言うことでしょう。
こうした事は記憶力の欠如から来るものではなく、ほとんどの場合精神的なものと言えます。
この小説の中でも、絶好調だったコンサートの最後に弾いたアンコール曲で、来るはずだった洋子の姿が客席に見えなないので、そのことに気持ちを奪われ、突然記憶が全く失われたとされています。
止まり方も具体的に書いてある
この蒔野聡史の ”止まり方” もかなり具体的にかかれています。 「ベースラインの半音ずつの上昇を経て、最初の主題に戻ろうとするとき」 と言う訳ですから、譜面上ではここでとまったことになります。

小説の中で、蒔野聡史は矢印のところ、つまり最初に戻るところで譜忘れしたことになっている。
ここではあまり止まらないと思うが
このあと最初の部分に戻る訳ですが、でもここでわからなくなるということは普通、あまり考えられません。
何といっても低音がラ#まで来てしまっている訳ですから、仮に意識をなくしても自然に指がその上の「シ」に行ってしまいそうです。
それに、ここから最初の部分に戻るので、その最初の部分がわからなくなる可能性は極めて低いと考えられます。
現実的に、この大聖堂の第3楽章で譜忘れするとしたら、その前の2番目のエピソードの真ん中あたりか、またはテーマの後半部分かなと思います。
普通ではあり得ないことが起きたことを示すため?
作者がこの箇所で譜忘れしたことにしているのは、普通では全く考えられない箇所で譜忘れしたというこを強調するためかも知れませんね。
そう考えると、この小説、本当にマニアックですね!
CDが発売されている
この本に登場する曲目がCDとして発売されています。 もちろん演奏者は蒔野聡史、いや福田進一です。
曲目のほうはアランフェスやイェスタディ、大聖堂などと、小説の中で登場するギター曲の中でも比較的馴染みやすい曲となっています (じゃないと売れない?)。
ブラームスの間奏曲の編曲はあくまで作者の頭の中?
小節の中では、ブラームスの間奏曲をアレンジして弾いていて、洋子も 「とても素晴らしかった」 と言ってのですが、これは入っていません。
どんなふうにアレンジしているのか聴いてみたかったのですが、やはり現実にギターで演奏するのはなかなか難しいのかも知れません。 この曲は、あくまで作者のイメージの中のものかも知れません。
架空の名曲が実在の名曲に?
この小説の中で重要な役割を果たす架空の映画音楽の名曲 「幸福の硬貨」 のテーマは 「林そのか」 という作曲家によって作曲され、このCDにも収録されています。
小説発表時には曲名だけあって、全く中身がなく、あくまでも ”架空” の名曲だったのですが、おそらく来年公開の映画でも演奏されると思いますので、”実在” の名曲となるかも知れません。 ・・・・「嘘から出た実」を地でゆくような!
「マチネの終りに」とは
この本のタイトルになっている 「マチネの終りに」 という言葉は、蒔野がニューヨークでもリサイタルの最後に 「それでは、今日このマチネの終りに、みなさんのためにもう1曲、特別な曲を演奏します」 と言っているところからとられています。
「マチネ」 という言葉、クラシック音楽ではよく聴くのですが、実は私も正確にその意味を知りませんでした。 午後のコンサートのことなんですね。
平野啓一郎
フィクションなだけに背景や細部はリアルに
この本について、もう一言。 この小説ではギターのこと以外でも経済問題、国際問題など内容が多岐にわたっています。 基本的にこの小説は恋愛ものなのですが、その背景についても克明に描かれています。
小説である以上、基本はフィクションなのですが、逆にその背景はリアルに、正確に描写されています。 そのことにより、ストーリーにリアリティを持たせているのでしょう。
また一見話の本筋にはあまり関係ないように思われることでも、しっかりとストーリーに関連付けられており、全く無駄なことは書いていないようです。
ギョーカイ人としては
さて、前回も書いた通り、ここで話の ”本筋” については詳しく書くことは出来ませんので、そうした背景についての話を、もう少ししましょう。
その中で、私たち ”ギョーカイ人” にとっては音楽事務所にかかわることとか、またその内紛などにはちょっと興味をそそられるところです。
音楽産業の苦境
この話は今から12年前ということですが、その頃リーマン・ショックなどというものがあり、世界的に経済が落ち込んだ時期です。
またそれだけではなく、音楽はCDからネット配信などと言う時代になり、特にクラシック部門でのCDの売り上げは落ち込んだ時期です。
そうしたことによる音楽産業の苦境といったところにも触れています。
天才ギタリストも立ち止まってしまう?
主人公の天才ギタリスト、蒔野聡史が、アンコールとして弾いた「大聖堂」の第3楽章の途中で先が全くわからなくなってしまい、立ち止まってしまうという話も出てきます。
こんな話私たちにとっては極めて現実的ですね。 幸にも私の場合、本当にステージ上で立ち往生してしまったことはないのですが、リサイタルなどをやる度に、そうしたことはいつも心配になります。
フリーズしてしまう夢を見る
よくステージでの演奏の途中で、先がわからなくなってしまって、うろたえている夢などを見ます。 夢から覚めると心臓がドキドキしていて、夢でよかったと胸をなでおろします。
私の場合、多少上手く弾けないくらいはあまり気にしないのですが、さすがに演奏の途中でフリーズしてしまうのは恐怖です。

幸にもステージ上で ”立ち往生” してしまったことはないが、そんな夢はよく見る
人並み外れた記憶力を持っているはずだが
確かに一流の演奏家たちの記憶力は並外れていて、普通の状態であれば、曲の途中で、先がわからなくなってしまうことはあり得ないのですが、やはりステージというのは別世界だと言うことでしょう。
こうした事は記憶力の欠如から来るものではなく、ほとんどの場合精神的なものと言えます。
この小説の中でも、絶好調だったコンサートの最後に弾いたアンコール曲で、来るはずだった洋子の姿が客席に見えなないので、そのことに気持ちを奪われ、突然記憶が全く失われたとされています。
止まり方も具体的に書いてある
この蒔野聡史の ”止まり方” もかなり具体的にかかれています。 「ベースラインの半音ずつの上昇を経て、最初の主題に戻ろうとするとき」 と言う訳ですから、譜面上ではここでとまったことになります。

小説の中で、蒔野聡史は矢印のところ、つまり最初に戻るところで譜忘れしたことになっている。
ここではあまり止まらないと思うが
このあと最初の部分に戻る訳ですが、でもここでわからなくなるということは普通、あまり考えられません。
何といっても低音がラ#まで来てしまっている訳ですから、仮に意識をなくしても自然に指がその上の「シ」に行ってしまいそうです。
それに、ここから最初の部分に戻るので、その最初の部分がわからなくなる可能性は極めて低いと考えられます。
現実的に、この大聖堂の第3楽章で譜忘れするとしたら、その前の2番目のエピソードの真ん中あたりか、またはテーマの後半部分かなと思います。
普通ではあり得ないことが起きたことを示すため?
作者がこの箇所で譜忘れしたことにしているのは、普通では全く考えられない箇所で譜忘れしたというこを強調するためかも知れませんね。
そう考えると、この小説、本当にマニアックですね!
CDが発売されている
この本に登場する曲目がCDとして発売されています。 もちろん演奏者は蒔野聡史、いや福田進一です。
曲目のほうはアランフェスやイェスタディ、大聖堂などと、小説の中で登場するギター曲の中でも比較的馴染みやすい曲となっています (じゃないと売れない?)。
ブラームスの間奏曲の編曲はあくまで作者の頭の中?
小節の中では、ブラームスの間奏曲をアレンジして弾いていて、洋子も 「とても素晴らしかった」 と言ってのですが、これは入っていません。
どんなふうにアレンジしているのか聴いてみたかったのですが、やはり現実にギターで演奏するのはなかなか難しいのかも知れません。 この曲は、あくまで作者のイメージの中のものかも知れません。
架空の名曲が実在の名曲に?
この小説の中で重要な役割を果たす架空の映画音楽の名曲 「幸福の硬貨」 のテーマは 「林そのか」 という作曲家によって作曲され、このCDにも収録されています。
小説発表時には曲名だけあって、全く中身がなく、あくまでも ”架空” の名曲だったのですが、おそらく来年公開の映画でも演奏されると思いますので、”実在” の名曲となるかも知れません。 ・・・・「嘘から出た実」を地でゆくような!
「マチネの終りに」とは
この本のタイトルになっている 「マチネの終りに」 という言葉は、蒔野がニューヨークでもリサイタルの最後に 「それでは、今日このマチネの終りに、みなさんのためにもう1曲、特別な曲を演奏します」 と言っているところからとられています。
「マチネ」 という言葉、クラシック音楽ではよく聴くのですが、実は私も正確にその意味を知りませんでした。 午後のコンサートのことなんですね。
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