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中村俊三 ブログ

中村ギター教室内のレッスン内容や、イベント、また、音楽の雑学などを書いていきます。

マチネの終りに 2

        平野啓一郎





フィクションなだけに背景や細部はリアルに

 この本について、もう一言。 この小説ではギターのこと以外でも経済問題、国際問題など内容が多岐にわたっています。 基本的にこの小説は恋愛ものなのですが、その背景についても克明に描かれています。

 小説である以上、基本はフィクションなのですが、逆にその背景はリアルに、正確に描写されています。 そのことにより、ストーリーにリアリティを持たせているのでしょう。 

 また一見話の本筋にはあまり関係ないように思われることでも、しっかりとストーリーに関連付けられており、全く無駄なことは書いていないようです。  



ギョーカイ人としては

 さて、前回も書いた通り、ここで話の ”本筋” については詳しく書くことは出来ませんので、そうした背景についての話を、もう少ししましょう。 

 その中で、私たち ”ギョーカイ人” にとっては音楽事務所にかかわることとか、またその内紛などにはちょっと興味をそそられるところです。



音楽産業の苦境

 この話は今から12年前ということですが、その頃リーマン・ショックなどというものがあり、世界的に経済が落ち込んだ時期です。 

またそれだけではなく、音楽はCDからネット配信などと言う時代になり、特にクラシック部門でのCDの売り上げは落ち込んだ時期です。

 そうしたことによる音楽産業の苦境といったところにも触れています。



 
天才ギタリストも立ち止まってしまう?

 主人公の天才ギタリスト、蒔野聡史が、アンコールとして弾いた「大聖堂」の第3楽章の途中で先が全くわからなくなってしまい、立ち止まってしまうという話も出てきます。

 こんな話私たちにとっては極めて現実的ですね。 幸にも私の場合、本当にステージ上で立ち往生してしまったことはないのですが、リサイタルなどをやる度に、そうしたことはいつも心配になります。



フリーズしてしまう夢を見る

 よくステージでの演奏の途中で、先がわからなくなってしまって、うろたえている夢などを見ます。 夢から覚めると心臓がドキドキしていて、夢でよかったと胸をなでおろします。

 私の場合、多少上手く弾けないくらいはあまり気にしないのですが、さすがに演奏の途中でフリーズしてしまうのは恐怖です。



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幸にもステージ上で ”立ち往生” してしまったことはないが、そんな夢はよく見る



人並み外れた記憶力を持っているはずだが

 確かに一流の演奏家たちの記憶力は並外れていて、普通の状態であれば、曲の途中で、先がわからなくなってしまうことはあり得ないのですが、やはりステージというのは別世界だと言うことでしょう。

 こうした事は記憶力の欠如から来るものではなく、ほとんどの場合精神的なものと言えます。 

 この小説の中でも、絶好調だったコンサートの最後に弾いたアンコール曲で、来るはずだった洋子の姿が客席に見えなないので、そのことに気持ちを奪われ、突然記憶が全く失われたとされています。




止まり方も具体的に書いてある


 この蒔野聡史の ”止まり方” もかなり具体的にかかれています。 「ベースラインの半音ずつの上昇を経て、最初の主題に戻ろうとするとき」  と言う訳ですから、譜面上ではここでとまったことになります。

 

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小説の中で、蒔野聡史は矢印のところ、つまり最初に戻るところで譜忘れしたことになっている。



ここではあまり止まらないと思うが

 このあと最初の部分に戻る訳ですが、でもここでわからなくなるということは普通、あまり考えられません。

 何といっても低音がラ#まで来てしまっている訳ですから、仮に意識をなくしても自然に指がその上の「シ」に行ってしまいそうです。

 それに、ここから最初の部分に戻るので、その最初の部分がわからなくなる可能性は極めて低いと考えられます。

 現実的に、この大聖堂の第3楽章で譜忘れするとしたら、その前の2番目のエピソードの真ん中あたりか、またはテーマの後半部分かなと思います。



普通ではあり得ないことが起きたことを示すため?

 作者がこの箇所で譜忘れしたことにしているのは、普通では全く考えられない箇所で譜忘れしたというこを強調するためかも知れませんね。

 そう考えると、この小説、本当にマニアックですね!



CDが発売されている

 この本に登場する曲目がCDとして発売されています。 もちろん演奏者は蒔野聡史、いや福田進一です。

 曲目のほうはアランフェスやイェスタディ、大聖堂などと、小説の中で登場するギター曲の中でも比較的馴染みやすい曲となっています (じゃないと売れない?)。



ブラームスの間奏曲の編曲はあくまで作者の頭の中?

 小節の中では、ブラームスの間奏曲をアレンジして弾いていて、洋子も 「とても素晴らしかった」 と言ってのですが、これは入っていません。

 どんなふうにアレンジしているのか聴いてみたかったのですが、やはり現実にギターで演奏するのはなかなか難しいのかも知れません。 この曲は、あくまで作者のイメージの中のものかも知れません。



架空の名曲が実在の名曲に?

 この小説の中で重要な役割を果たす架空の映画音楽の名曲 「幸福の硬貨」 のテーマは 「林そのか」 という作曲家によって作曲され、このCDにも収録されています。

 小説発表時には曲名だけあって、全く中身がなく、あくまでも ”架空” の名曲だったのですが、おそらく来年公開の映画でも演奏されると思いますので、”実在” の名曲となるかも知れません。  ・・・・「嘘から出た実」を地でゆくような!




「マチネの終りに」とは


 この本のタイトルになっている 「マチネの終りに」 という言葉は、蒔野がニューヨークでもリサイタルの最後に 「それでは、今日このマチネの終りに、みなさんのためにもう1曲、特別な曲を演奏します」 と言っているところからとられています。

 「マチネ」 という言葉、クラシック音楽ではよく聴くのですが、実は私も正確にその意味を知りませんでした。 午後のコンサートのことなんですね。










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マチネの終りに  


 ~福山雅治、石田ゆり子で映画化


平野啓一郎 著




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今頃チョット遅いけど

 もしかしたら、この本はギター関係者の皆さんはすでによく知っているものでしょうね、おそらくいろいろなところで紹介されたり、また感想など書かれていたりするでしょう。

 若干 ”遅きに失し” といった感じもありますが、先日新聞の広告に、来年福山雅治、石田ゆり子のキャストで映画が公開されると書いてありましたので、この機会に当ブログでも書いておきましょう。




芥川賞小説家 平野啓一郎氏が2016年に発表

 この小節は、1999年京都大学在学中に書いた小説「日蝕」で芥川賞受賞した平野啓一郎氏が書いたもので、2016年4月に出版されました。

 内容は30代後半の天才ギタリスト、蒔野聡史と、2才年上の国際ジャーナリストの小峰洋子の、大人の恋愛小説と言えます。 私たちギター関係者にとって興味深いのは、もちろん主人公がクラシック・ギタリストだというjことです。

 確かに、時折小節やテレビ・ドラマなどにクラシック・ギターやクラシック・ギタリストが登場したりすることもありますが、 その場合のギターの扱いは、当然ながら特にギター・ファンでなくとも理解できる範囲となっています。




本格的にクラシック・ギターを取り上げている

 ということは、クラシック・ギターを知る人にとっては、たいていの映画や小説ではギターの扱い方に物足りなさ感じているのではと思います。

 しかし、この小節でギターに関して書かれていることは極めて本格的なものです。 

プレリュードとフーガ(コシュキン)、 ソナタ・ジョコーサ(ロドリーゴ)、 ソナチネ(バークリー)、 黒のデカメロン(ブルーウェル) など、この小説に登場する曲目を見ても、その本気度がわかります。


 ”コア” なギター・ファンも、この小説でのギターに関する内容には、おそらく満足できるものではないかと思います。




こちらが心配になるくらい

 しかし一方では、多少ギターをやっていても、このような曲聴いたことがない、ということも少なくないかも知れません。 

 もちろんですが、この小説の中では 「禁じられた遊び」 とか 「アランブラの想い出」 とかは全く登場しません ( 「魔笛」 や 「アストゥリアス」 も)。

 このような曲は、話の本筋にはあまり関係がないので、別にわからなくても大丈夫なのですが、でもこんなにマニアックで大丈夫かな? みんなついてきてくれるかな? なんて心配してしまいます。


 

誰の事かすぐわかる?

 この小説の序文で、作者は 「(登場人物には)それぞれモデルがいる」 と言っています。

 そのモデルとなったギタリスト、つまり蒔野聡史とは誰か? ということは、この小説を読んだ人で、すくなくともクラシック・ギターをやっている人だったら、すぐに見当がついてしまいます。

 そうです、あの人しかいませんね、我が国が誇る世界的ギタリストのF氏! 



息子が長年お世話になった先生

 F氏のことは当家では息子が10年間くらいに渡って指導していただいたので、F先生と呼んでいます。

 息子(創)に関しては、小学生の頃から、パリにわたってギターをリタイアするまで、本当に多忙な身にも関わらず丁寧に御指導していただき、また将来のことなども親身になって相談に乗っていただきました。



あくまでもフィクション(当然だが)

 蒔野聡史の経歴に関しては、細かいところを別にすれば、ほぼF先生の経歴と一致します。

 あまりF先生の経歴に近いので、逆にF先生の経歴が小説に書かれている蒔野聡史の経歴と同じと誤解してしまう人も多いのではと心配してしまうくらいです。

 もちろんあくまで ”近い” というだけで、蒔野聡史の経歴とF先生の経歴とは別物で、 当然のことながら ”小説” なので、あくまでもフィクションと考えるべきでしょう(特に恋愛等に関しては)。

 


道具立てがしっかりしている

 この本の内容は先に言った通り、本質は ”恋愛小説” であって、ギターの方は一つの ”道具立て” に過ぎないわけです。 しかしこの道具立てがたいへんしっかりしていて、通り一遍のものではないというわけです。

 あとがきにも福田進一(これは実名)、大萩康司、鈴木大介の3氏からアドヴァイスを貰ったしてあります。 作者はもともと音楽への理解力に優れているのでしょうけど、さらにリサーチも完璧なのでしょう。 恐れいります。

 道具立てといえば、他にも経済問題、イラク戦争、難民問題、ユーゴスラビア紛争など、さまざまな道具立てが登場します。そうしたしっかりとした道具立ての上で、二人、いや三谷早苗も含めた3人を中心とした恋愛物語ができあがっているのですね。



詳しくは書けないが

 ついつい、その ”道具” のほうの話になってしまいますが、 蒔野聡史と小峰洋子は、最初の出会いから、お互い特別な存在になって、2度目にはそれが強い愛であることを確かめ合う。 そして二人にとっての幸せも目前・・・・・・ 

  チョットまった! そのまま終わったら小説にならない! 当然何かおきるわけですね。 でもこれ以上は書けません、本買って読んで下さい!




福山雅治さんが天才ギタリストの役を

 来年公開予定の映画の方も気になりますね、福山雅治さんが国際的天才ギタリストを演じるわけですが、福山さんに主役が決まった理由の一つとして自身ギタリストであることもあると思います。

 しかし、もちろんクラシック・ギターと福山さんが日頃弾いているポピュラー系のギターとはかなり違います。 おそらく撮影に向けてクラシック・ギター演奏の特訓なども行うのではと思います。 



「おくりびと」では

 映画「おくりびと」では本木雅弘さんがたいへんすばらしいチェロの演奏を ”見せて” くれました。

 本木さんが、かつてのアイドル・グループの一員としか思っていなかった私には、映画の中でもチェロの演奏ぶりには本当に驚きました。 どう見てもプロのチェリストにしか見えませんでした。

 確かに音そのものは別で、本木さんはその音に合わせてただ ”弾く真似” をしているだけなのですが、 ギターなど教えていると、その ”真似” が非常に難しいことがよく分かります。

 決して簡単なことでも、また誰にでも出来るものでもありません。



福山さんがどのようなギター演奏を ”見せて” くれるのか楽しみ

 レッスンの時にも、たまに 「私の真似をして下さい」 などということがあるのですが、でもほとんどの人にはその ”真似” ができません。 真似が出来るくらいなら、たいてい本当に弾けると思います。 

 福山さんの場合もおそらく音に合わせて”映像的に弾く” のではと思いますが、もとより才能豊かな人、どのような ”弾きぶり” を見せてくれるのか、今から楽しみです。
 
 
  
クラシック・ギター名曲選 12



収録曲紹介



アントニオ・ルビラ : 禁じられた遊び




もう書くこともないが

 収録曲紹介も最後となりました。 やはり ”名曲選” を名乗るにはこの曲を外す訳にはゆきませんね。 もちろんこの曲についても当ブログで何度も紹介してきました。 



楽譜の話をしましょう

 もうこれ以上お話することもないかなとは思いますが、やはり何か書いちゃいましょう。 映画のはなしとか、戦争の話とかもいいかも知れませんが、やはりここは ”現場の人間” ということで、楽譜の話にしましょう。 

 ・・・・・・またかその話か、とお思いの方々も多いとは思いますが、やはりクラシック音楽をやるものにとって楽譜は命!



最近では、ルビラの作品だというこも浸透しているが

 この曲が19世紀のスペインのギタリスト、アントニオ・ルビラの作品だということは、少なくともギターをやっている人だったらご存じと思います。 今時、この曲がスペイン民謡だと思っている人は少ないでしょう。

 しかし、イエペスがこの映画のために演奏(録音)した時点では、イエペスは、この曲の作曲家も曲名もわからず、また楽譜も持っていなかったようです。 

 当時ヨーロッパ、特にスペインでは、この曲はそれなりに有名で、ギター愛好家たちに広まっていたようですが、特に楽譜が出版されていた訳ではなかったようです。



おそらく耳コピー的に

 ただ、比較的シンプルな曲なので、おそらく伝言ゲーム的に耳コピーで広まったのではないかと思います。 1900年におそらくギター曲の世界初録音と思われるものが、この曲の演奏となっています。



世界初録音の曲

 これは現在でもCDとして入手出来ますが、何といっても1900年の蝋管(ワックス・シリンダー)による録音なので、いかにも ”凄い”音で、かろうじてメロディが聞き取れるだけで、伴奏部分はほとんどわかりません。 

 しかし少なくともメロディ自体は今日伝わっているものと変わりません。 ただし声による紹介によれば、「フェルナンド・ソル作曲練習曲」 となっています。



南米には正しく伝えられていた

 しかし、南米では20世紀前半に、”ちゃんと” この曲が正しい作曲家名、つまりアントニオ・ルビラ作曲と言う形で出版されていました。 7~8年くらい前になるかも知れませんが、その1920年頃アルゼンチンで出版された譜面が現代ギター誌に掲載されました。


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1920年代にアルゼンチンで出版されたアントニオ・ルビラの「練習曲」の譜面(現代ギター誌に掲載されたもの)。 若干の誤植もあり、また作曲されてから50年ほど経っているので、オリジナルとh言えないが、少なくとも今現在では最も作曲された当時の形に近いものと思われる。




これまで我が国などで出版されていたものはイエペスの演奏のコピー


 もちろんそれ以前からこの曲はたくさん(たくさん過ぎるほど)出版されていましたが、それらは原典を基にしたものではなく、 おそらくイエペスの演奏も耳コピーと思われます。



ビンセント・ゴメスも演奏

 また1930年代に同じ曲をビンセント・ゴメスというスペインのギタリストが別の映画(「血と砂」といった題名だったかな?)で演奏していて、そこからのコピーもあるかも知れません。 少なくとも、Em のコードで始まるイントロはゴメスのものと思われます。

 今現在でもこの「禁じられた遊び」の譜面はそうしたコピー譜なのですが、コピー譜である以上、どうしてもいろいろなコピー譜が出回ってしまうことになります(J-ポップのように)。



現在ではこのような譜面に収束

 確かにかつてはいろいろな、時にはかなり ”怪しい” コピー譜もありましたが、最近ではほぼ以下のような譜面に統一されています。

 
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今現在「禁じられた遊び」として出版されているもの。 アルペジオの形はアルゼンチン版と違っている他、若干低音が違っている。



アルペジオの形が変わってしまった

 今現在、「禁じられた遊び」として録音、出版されているものはほぼこの形です。

 見て分かる通り、アルぺジオの形が違っていますが、実際に弾いたり、聴いたりしている限りでは意外とその違いはわかりにくい。

 だから伝言ゲームのように耳から耳に伝えられているうちに変わってしまったのでしょう。



それはどちらでもよいが、低音がちょっと違うのが

 アルペジオの順番については、どちらでもいいんじゃないかと思いますが、低音が違うのはちょっと気になります。

 特に後半(ホ長調の)の2段目は2小節とも「ファ#」となっていますが、ここは和音的にはB7なので、普通に考えると低音は「シ」になります。

 実際にアルゼンチン版では「シ」になっています。  「ファ#」を低音にすると、和音は「転回形」となってしまい、この転回形は限定された場合のみに用いる形です。 



ここはやはり「シ」にすべき

 第一この形だとB7の和音の根音、つまり最も重要な音が抜けてしまい、厳密にはB7にはならなくなります。 常識的に考えれば、やはりこの形は”誤った低音”といえるでしょう。

 おそらく伝言ゲームのどこかで「シ」が「ファ#」となってしまったのでしょうが、「ファ#」は明らかに和声法から逸脱しており、また何といってもより原曲に近いと思われる資料が「シ」となっている訳ですから、今後はこの音は「シ」に直すべきではないかと思います。



他にもちょっと


 他に2か所ほど低音が違っていて、後半の最後から4小節目は、アルゼンチン版では「シ」ですが、現在の普及版では「ミ」になっています。 これも和声法的に考えると「シ」のほうが一般的です。 つまりこういう時に転回形が用いられるわけです。

 ただ、和声法的に見て、「ミ」で絶対にいけないわけでもなく、こうしたケースで基本形、つまり低音を「ミ」にしたEメジャーも使われます。 

 確かに「シ」にすると技術的に難しくなるので、中級者程度なら「ミ」でもいいのかなと思います。 しかし少なくともプロのギタリストや、上級者を自称知る愛好者だったらアルゼンチン版のように「シ」にすべきかなと思います。

 また、前半の最後から4小節目の1拍目の低音は、アルゼンチン版では「レ#」となっています。 これは低音がその前の小節のと同じく「シ」のままだと和音全体に第3音、つまり「レ#」が抜けてしまうので、それを補ったわけです。



アルゼンチン版は和声法の基本に合致

 要するに、おそらく原典に近いと思われるアルゼンチン版は、和声法的に極めて ”正しく” 書かれています。

 アントニオ・ルビラは、没後あまり語られることがなくなってしまったようですが、当時はたいへん評価の高かったギタリストだったそうです。

 こうしてみると、この曲、簡単技術的には簡単なところもありますが、決していい加減に作曲している訳ではないことがわかります。



やはり正しく後世に伝えなければならない

 やはり過去の音楽家の遺産を引き継ぐ場合は、正しく引き続かなければならないでしょう、将来のギター愛好家のためにも。




かつてはこんな譜面もよくあった

 ところで、この曲、かつては本当にいろいろな譜面が出ていて、こんな譜面もありました。

 若干言いにくいので名前は伏せますが、当時日本ではたいへん評価の高かったギタリストの譜面です。



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1960年代に出されていた譜面。 ツッコミどころ満載と言った感じ。 この譜面で弾いたら、コンクールの予選は絶対に落ちる!




 本当にツッコミどころ満載といった感じですが、これはもうイエペスのコピーではありませんね。

 もっともゴメスの演奏は聴いたことがないのでもしかしたらゴメスの演奏に関係があるのかも知れません。



常識では考えられない譜面

 でも常識、つまり古典的な和声法では考えられないような譜面です。

 最も違和感のあるのは後半の終り、長調の曲がいきなり短調になるなんて聞いたことがありません(その逆はあるが)。



何の和音か全くわからない

 また後半の3、4小小節の低音は「ラ」になっています。

 もしかしたら技術的に易しくするためかもしれませんが、これは絶対にあり得ませんね。

 第7音が低音ということで、ごくまれにそう言ったこともありますが、こうしたシンプルな曲ではあり得ないでしょう。

 また上声部、つまり3弦が「ラ」ではなく「シ」になっているとしたら、多少あり得そうですが、それでも低音の流れとしては不自然でしょう。

 ともかく、この形だとB7ではありえませんね。 B7でないとしたら、いったい何の和音なのでしょうね。

 A6? まあ、相当無理やりですが。でもメロディとの相性は極めて悪いですね、やはりあり得ないでしょう。

 つまりこの形は古典的な和声法を完全に逸脱した形です。



小節の途中で和音が変わるのも不自然

前半の6小節目は3拍目で伴奏が変わる、つまり3拍目でAmに変わるようになっています。

先ほどのように和声法から逸脱知る訳ではありませんが、この曲、基本的にシンプルな曲なので小節の途中で和音が変わるのはやはり不自然でしょう、特にこの小節だけというのは。



余計な音は入れない方が良い

 他に ”つなぎ” として音をいうろいろ付け足したりする譜面もありますが、この曲は何といってもシンプルなところが魅力なので、余計な音を付け足せば、付け足すほど魅力を損なうことになるでしょう。



絶対に落ちる!

 さすがに今現在はこうした譜面は出回っていませんが、昔覚えた人などで今現在でもこの譜面で弾いている人もいます。

 シニア・ギターコンクールなどでも、時折この譜面で弾いている人がいますが、この譜面を使った場合、仮にどんなに演奏が良かったとしても、絶対に予選は通りません(一応譜面の指定もあるので、断言できます)。

 良い子、いや ”良い熟年” の皆さんは、絶対にこうした譜面では弾かないで下さい!





ぜひご購入を!

・・・・・CDの話どっかに行ってしまいましたね。 私のCDでは「禁じられた遊び」として演奏している関係上、やはり皆さんが知っている「禁じられた遊び」のイメージは損ないたくないので、アルペジオの形はこれまで通り①②③の順で弾いています。

 しかし低音のほうはアルゼンチン版を採用しています。 自然な感じに聴こえていると思います。



 未購入の方、ぜひご購入を!



クラシック・ギター名曲選 11



 収録曲紹介


日本古謡 ~横尾幸弘編 : 「さくら」の主題による変奏曲



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横尾幸弘編の「さくら」の主題による変奏曲が入っている初出の国内盤のLPジャケット。 1973年頃の発売だと思うが、写真はちょっと古い。



もとは琴の曲

 日本の歌として世界的にも有名な 「さくら」 は江戸時代に作られたお琴の曲だそうです。 

 お琴のほうでも数々の 「さくら変奏曲」 が作曲され、演奏されていると思いますが、ギターの方でもたくさんの 「さくら変奏曲」 があります。

 私も中学生の頃、その「さくら変奏曲」の一つを弾いていましたが、作曲者の名前などは忘れてしまいました。 



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1970年頃の横尾幸弘氏



今現在ではこの横尾編のさくら変奏曲が最も演奏されている

 しかし今現在ギター界で 「さくら変奏曲」 といえば、ほとんどの場合、この横尾幸弘氏の作品を指すことが多く、それ以外の 「さくら変奏曲」 が演奏されることの方が少ないくらいです。



逆輸入

 そのきっかけとしては、1970年代の始め頃、イギリスの著名なギタリストのジョン・ウィリアムスが演奏し、録音したからなのですが、それ以後この横尾編の「さくら」は、イェラン・セルシェルや、エドアルト・フェルナンデスなど、世界中のギタリストによって演奏されるようになりました。

 そうしたことから、逆に日本でも演奏されるようになった、つまり ”逆輸入” されたわけです。




横尾氏は二重奏曲のアレンジなどでも知られていた


 横尾氏にはこの曲以外にも数々の作曲や編曲がありますが、私たちの世代にとっては、二重奏曲の出版、あるいは編曲で親しまれています。

 「アンクラージュマン」、 「ロシアの想い出」、 「シャイトラーのソナタ」 など、横尾氏の出版物で知った曲もたくさんあります。

 いまは残念ながら故人となってしまいましたが、横尾氏の今日のギター界への貢献はたいへん大きなものがあります。



二つのバージョン

 さて、この横尾氏の 「『さくら』の主題による変奏曲」 は、2種類の版があります。 最初のバージョンは比較的シンプルなもので、詳しくはわかりませんが、おそらく1960年代に出版されたものと思われます。

 もちろんこれは国内限定のもので、その時点では特に話題にはならなかったようで、数ある ”「さくら変奏曲」の一つ” となっていた訳です。



1970年代にジョン・ウィリアムスが録音


 その譜面が来日した際にイギリスの著名なギタリストのジョン・ウィリアムスの手もとに渡り、その曲に興味をもったウィリアムスが横尾氏の方に録音の許可をとるために接触したそうです。

 その際、横尾氏は 「最新版があるから、出来ればこちらを演奏してほしい」 ということで、改訂版の譜面を送ったそうです。



最初のバージョンに新バージョンから一つの変奏を加えた

 結局のところ、ウィリアムスは基本的に最初のバージョンで録音しましたが、改訂版の方から第2変奏のみを付け加えました(ウィリアムスの録音では第3変奏)。

 そういったことで、世界的にはこの旧版に新版の第2変奏を付けくわえた、 ”ウィリアムス版” が普及することになり、フェルナンデスや、セルシェルもこのバージョンで演奏しています。



日本国内では新バージョンの方を演奏することが多いが

 しかし日本国内では1970年代に出版された ”新版” のほうが浸透し、日本人のギタリスト(プロ、アマ問わず)の多くは新版のほうで演奏しています。

 こちらの方が旧版にくらべて長くなっており、また単純に同じメロディを繰り返す形ではありません。 旧版よりも ”凝った” 感じになっていると言ってもよいでしょう。




私のCDは”ウィリアムス版”


 この私のCDでは ”ウィリアムス版” で演奏していますが、横尾氏としては新版で演奏することを望んでいたようですので、そうしたことをふまえると、新版で録音すべきだったかも知れません。

 一方で、ギター文化館には横尾氏の手書きの ”ウィリアムス版” が贈られています。 そうしたことからも、横尾氏は決してウィリアムス版も否定している訳ではなさそうです。 どちらのバージョンもありなのでしょう。 




 
クラシック・ギター名曲選 10



収録曲紹介


マヌエル・デ・ファリャ ~中村編 : 粉屋の踊り~バレエ音楽「三角帽子」より




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マヌエル・ファリャのバレエ音楽

 マヌエル・デ・ファリャ(1876~1946) はスペインの作曲家で、主にバレエ音楽や劇音楽などで知られています。 その中でもこのバレエ「三角帽子」は代表作とされています。

 全体にフラメンコ的な曲で構成されていますが、この「粉屋の踊り」はファルーカの形で書かれ、ギターのラスゲアード奏法を模したものとなっています。

従って、この曲がギターで演奏されるのは必然的なことと言ってよいでしょう。 




オーケストラのスコアから編曲

 しかし、私がこの曲を弾こうと思ったころ(1970年代)、なかなかよい編曲がなかったので、オーケストラのスコアから自分で編曲して弾いていました。 今ではおそらく種々の編曲譜が出版さされていると思います。




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私のアレンジによる「粉屋の踊り」 ラスゲアードには正確な音価と音量とキレが要求される。




正確なタイミングが要求される

 ラスゲアードというと、かつては迫力があればいいみたいな感じでしたが(私もかつてはそんな弾き方をしていた)、ラスゲアードは何といってもキレが大事で、発音のタイミングは絶対に正確でなければならないが、また音の切り方も揃えなければなりません。

 フラメンコは基本的に踊りなので、タイミングが狂うことは絶対に許されないでしょう。 この曲を演奏する場合は、そうしたことを踏まえた上での、音色の変化であったり、音量のコントラストと言うことになるのでしょう。




アチュレランドではない

この曲の最後は踊り狂って終わるようになっていますが。 しかしこれはアチュレランド、つまり少しずつ速くなる訳ではなく、段階的に速くなると言った意味のようで、最期の部分には Ancora piu vivo , ma in tempo と “イン・テンポ” で演奏するように指定されています。



限りなくフラメンコに近いが

 この曲は、聴いた感じでは限りなくフラメンコに近いのですが、しかしやはりクラシック音楽で、基本はオーケストラ曲です。 この曲を演奏する時や、鑑賞する時は、やはりそのことも考えておかないといけないでしょう。




クラシック・ギター名曲選 9



 収録曲紹介


ホアキン・バルベルデ~リョベット編 : クラベリートス(カーネーション)



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カタルーニャ民謡ではないが

 この曲も、前の2曲と同じくリョベットの編曲で、雰囲気としては 「盗賊の歌」 などに近いですが、こちらはカタルーニャ民謡ではなく、スペインの作曲家、ホアキン・バルベルデ(1848~1910)の歌曲です。 

 バルベルデは主にサルスエラ(スペイン風オペレッタ)を作曲していて、おそらくこの曲もサルスエラの中の曲と思われます。 

 街で花を売る少女の歌だそうですが、曲もアレンジも比較的シンプルで、たいへんおおらかな感じがします。



リョベット編としては弾き易い

 リョベットの編曲としては弾き易い方だと思いますが、楽譜のほうはあまり入手しやすくないのかな? 弾いている人はわりと少ないようです。 私は現代ギター誌のオマケの譜面で弾いています。



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バルベルデのクラベリトスの譜面。 リョベット編としてはあまり凝っていなくて、弾き易い。



 速度標語は譜面のとおり ”Allegro” となっていて、イタリアのギタリスト、グロンドーナ(リョベット作品全集を録音している)はかなり速いテンポで弾いていますが、そんなにメチャクチャ速いテンポでなくてもよいのではと思います。






エンリケ・グラナドス~リョベット編 : スペイン舞曲第5番「アンダルーサ」




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アンダルーサ(アンダルシア)地方はフラメンコの盛んなところ




ほとんどギター曲

 ギター曲としてはたいへん有名で、アストゥリアス同様、ほぼギターのオリジナル的な扱いをされています。 多くのギタリスト(プロ、アマ問わず)が演奏していますが、基本的には皆このリョベットのアレンジで演奏していると言ってもよいでしょう。



これ以外の編曲はほぼ存在しない

  CDなどにはそのギタリスト自らの編曲としている場合もありますが、調やポジションの選択、ハーモニックス奏法の使用、繰り返しの際にオクターブ下げる箇所など、ほとんどリョベットのアレンジを踏襲しているものがほとんどです。

 そのギタリストの変更箇所は極めて末端的なことが多く、ほぼリョベット編と言えます。それだけ、このスペイン舞曲におけるリョベット編は完成されたものと言えるのかも知れません。 



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お馴染みのリョベット編のスペイン舞曲第5番の譜面。 ギターで弾くスペイン舞曲第5番といえば、もうこのリョベット編しかない。このアレンジ以外で弾いているギタリストはいないと言ってもよい。



 あまりにも完成し過ぎていて、この曲を編曲作品だとか、リョベットの編曲によるものとか知らずに弾いたり、聴いたりしている愛好者も少なからずいるのではと思います。
 


逆に完璧にリョベット編で弾く人も少ない

 その一方で、運指に至るまで、完璧にリョベット編で演奏するのはなかなか難しく、リョベット編と明記しつつも、ある程度はポジション、運指などを変えて弾くほうが普通といえます。

 本来であれば ”リョベット編”  とした場合、完璧にリョベットの譜面で演奏すべきかも知れませんが、私の演奏でも、ポジションなど、ほんのわずか変更しています。  ・・・・本当にちょっとです。   ・・・・・言い訳ぽい?



編曲よりも弾くほうが難しい?

 リョベットは、このグラナドスの 「12のスペイン舞曲集」 から、他に第7番と10番も編曲しています。 実は私もアルベニスの次はグラナドスかなということで、1、2、3、4、6、7、の6曲を編曲したのですが、編曲しただけでそのままになっています。

 編曲自体はそれほど難しくはないのですが、実際に弾くのは、あるいは自分でも弾けるように編曲するのは難しいですね。
 


クラシック・ギター名曲選  8



収録曲紹介


カタルーニャ民謡~リョベット編 : 盗賊の歌




美しいメロディで、人気のある曲

 盗賊の歌はたいへん美しいメロディで、リョベットのカタルーニャ民謡集の中でも人気のあるものです。

 メロディ・ラインは原曲に忠実になっていて、アレンジもエル・メストレに比べると、ややシンプルです。 このシンプルさがメロディを美しく歌いやすくなっている要因とも言えるでしょう。



自然ハーモニックスのみでメロディを弾く

 グリサンド奏法は、やや控えめで、ハーモニックス奏法も自然ハーモニックス(左手で触れて、右手で弾く)のみで、オクターブハーモニックスは使用していません。

 このオクターブハーモニックスではなく、自然ハーモニックスでメロディを演奏するというのが、この曲のアレンジの特徴とも言えます。

 この自然ハーモニックスの部分は、楽譜ではこのようになっています。




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楽譜だけ見たのでは、どんなメロディかわからない


 これ、どんなメロディだかわかりますか? もちろんこの曲を弾いている人や、よく聴く人はわかると思いますが、楽譜を見ただけでは、どんなメロディかわかりませんね。 「ソーラシレシソラ」 ではメロディになりません。



タレガ、リョベットのハーモニックスに表記の仕方

 例えば、1個目の赤丸は、楽譜上では「ソ」となっていますが、実際に出る音は「レ」です。 タレガやリョベットの自然ハーモニックスの書き方は、実際に出る音を書くわけではなく、使用す弦を表すわけです。

 つまり、③弦の7フレットのハーモニックスは音で言えば「レ」になりますが、③弦を使うので「ソ」と書き、それに7フレットのハーモニックスであることを添え書きするわけです。



弾き方はわかりやすいが

 この書き方は、確かに弦とフレットがはっきり書かれるので、演奏する際にはわかりやすいかも知れませんが、実際に何の音が出るかはわかりにくいことになります。  



以前はこの書き方が標準だった

 最近では、自然ハーモニックスの場合でも実際に出る音を書く場合が主流なのですが、少なくとも19世紀から20世紀の前半くらいまではこの書き方が主流です。 私がギターを始めた頃(1960年代)でも、この書き方が普通でした。

 この部分を、実際に出る音で書くと、次のようになります。



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赤丸がメロディ  



前のところのメロディの繰り返しなのだが

 メロディとしては、前の部分のくり返しですね。同じメロディをハーモニックス奏法でリフレインしたわけです。 レッスンなんかやっていると、これが前のものと同じメロディだということが気が付かないで弾いている人もいます。 それだけ弾くのに一生懸命だとか・・・・・



こんなメロディだと思ってしまう人もいる

また、こんな風なメロディだと思ってしまう人も結構います (1小節目の レーファ# )。


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クラシック・ギター名曲選 7



収録曲紹介


11. カタルーニャ民謡 ~リョベット編 : エル・メストレ「先生」
 



ブログ 034



14曲のカタルーニャ民謡の編曲が有名

 タレガ編の次はリョベットの編曲作品です。 リョベットはいくつかのオリジナル作品を書いていますが、何といっても14曲の「カタルーニャ民謡」 の編曲が有名です。

 これらの旋律は、伝統的なものを忠実に再現しているようですが、近代的な和声法、効果的な演奏法など、リョベット独自のもので、ギター曲としては完成されたものと言えます。



先生を慕う女心を歌ったもの

 この曲の歌詞は、好きになった先生を軍隊に取られて悲しんでいる女の子の歌で、14曲の中最も長い曲となっています。  ・・・・・・それでも3分台ですが。

 リョベット自身でも1920年代に録音(SP録音)を残していて、現在でもCDとして市販されています。 恐らく、 リョベットとしても、自信作、あるいは特に力の入った曲ではないかと思います。



ハーモニックスとグリサンドの多用が特徴

 リョベットのアレンジの特徴としては、近代的な和声法もありますが、何といっても各種ハーモニックス奏法とグリサンド奏法の多用でしょう。

 これらはタレガの技法を踏襲するものとも言えますが、さらに発展させたものでもあります。 ハーモニックス奏法では、何と言っても和音を弾きながら行うオクターブハーモニックス奏法(右手のみで行うハーモニックス奏法)が特徴的です。 



タレガの場合は高い音域を確保するため

 このオクターブ・ハーモニックスは前に書いた「悲愴」など、タレガも用いていましたが、タレガの場合、オクターブ・ハーモニックスを用いる場合は、高い音域を確保するためということが多いようです。

 「悲愴」の場合も、原曲では、メロディが1オクターブ高くなって出てくるところがありますが、このオクターブ高い音は、通常の奏法では出せないので、オクターブ・ハーモニックス奏法を使用したと考えられます。

 他の曲の場合でも、このようなケースが多いと思われます。 つまりタレガの場合は”必要”があって、このオクターブ・ハーモニックスを用いている訳です。



リョベットの場合は、この奏法そのものが目的

 しかし、リョベットはさらに積極的にハーモニックス奏法を使用しており、使う頻度としてもタレガよりもいっそう多くなっています。

 カタルーニャ民謡集では、「アメリアの遺言」、「商人の娘」、「エル;メストレ」などに用いられ、 特に「商人の娘」では曲の半分ほどがこの奏法となっています。

 リョベットとしては、このオクターブ・ハーモニックスを ”必要があって” 使っていると言うより、この奏法そのもを聴かせることを目的に使用していると言えます。、




弦を擦る音の方が大きい?

 そのようなわけで、下の譜面のように、かなり低い音域、あるいは低音弦でこのオクターブ・ハーモニックス奏法を用いています。

 もちろんこれは通常の弾き方でも演奏出来、その方が音が出しやすく、またメロディなどもはっきり出るのですが、音響的な効果により、あえて使っている訳です。

 しかし、この音域、あるいはこの弦でのオクターブ・ハーモニックスは、かなり出しにくく、ちょっとした難所でもあります。 技術がないと、ハーモニックスの音より、弦を擦る音の方が大きくなってしまったりします。



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メロディ、伴奏関係なくグリサンド奏法を使う

 さらに、グリサンド奏法もタレガ以上に多く用いています。 通常グリサンドはメロディどうしの音で行うのが普通、あるいは常識だと思います。

 しかしリョベットはメロディとか、和音とか、低音とか、関係なくグリサンド奏法を使用しています。



わざわざグリサンド奏法を使うために

 運指などを見ると、ポジション移動をしなくても弾けるところを、あえてグリサンドを付けるために、わざわざ遠くのポジションを使用するなどということも少なくありません(2段目の3小節目)。
 



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声部をまたいでのグリサンドなど、常軌を逸している!

 特に ”声部を跨いでのグリサンド” などというのは、やや常軌を逸しているともいえるかも知れません(譜面の3段目の2小節目の「レ#」から「ソ」のかけてのグリサンドなど)。


 これなど、どれがメロディかなど、聴いている人も訳が分からなくなるのではと思いますが、それでもリョベットはグリサンドの音響効果のほうを重視したのでしょう。



目的と手段が入れ替わっている?

 こうなると、グリサンド奏法はメロディを美しく聴かせるためのものではなく、メロディは、グリサンド奏法を行うためのものと言うようにまさに目的と手段が完全に入れ替わっています。



古き良き時代を彷彿させる曲だが

 この「エル・メストレ」は、まさにリョベットらしい曲で、リョベットの編曲作品の中でも傑作といえます。 自身でも好んで演奏したことも納得がゆきます。

 またタレガ、リョベットが活躍した、”古き、良き時代” がよみがえるような作品でもあります (持ちろん、上手く弾ければだが)。

 しかし、間違いなく弾き易い曲ではありませんね!     ・・・・結構苦労しました。