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中村俊三 ブログ

中村ギター教室内のレッスン内容や、イベント、また、音楽の雑学などを書いていきます。

バッハ:無伴奏チェロ組曲 8



アルマンド



舞曲の中では最初におかれる、ややゆっくりした曲

 アルマンドは組曲の最初、あるいはプレリュードの次に演奏される舞曲ですが、音楽之友社の新音楽辞典では、「1550年頃現れた緩やかな2拍子系の舞曲」 と記載されています。

 バロック時代の舞曲は、場合によって同じものでも年代や地方によってテンポやリズムが異なることもありますが、アルマンドに関しては、中庸から、やや遅い舞曲と言うことで、ほぼ一致しています。

 アルマンドは比較的早い段階から実際に踊られることはなくなり、少なくともバッハの時代には音楽の形式としての意味合いが強かったようです。

 また、1750年、つまりバッハの没年頃にはあまり演奏されたり、作曲されたりはしなくなるようです。 



バッハのアルマンドは16分音符で書かれることが多い

 バッハのアルマンドに関して言えば、4分の4拍子で、多くの場合16分音符で書かれています。 つまりテンポとしてはゆっくりだが、音は細かく、弾く側からすればそれほど遅いという感じでもありません。

 また、アルマンドは短いアウフタクト(最初の小節の前に置かれた音符)を持つとされていますが、バッハのアルマンドは16分音符で出来ていることが多いので、アウフタクトも16分音符となることが普通です。




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チェロ組曲第1番のアルマンド(私の編曲)  全体が16分音符で書かれ、16分音符のアウフタクトが付くのが特徴。




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ド・ヴィゼーのアルマンド  ヴィゼーやヴァイスのアルマンドは2拍子が多い


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ヴァイスのアルマンド  アウフタクトが4分音符や8分音符になることも多い



繊細でしなやか

 同じ遅い曲でもサラバンドとはだいぶ性格が異なり、サラバンドはバロック時代の音楽らしく重厚な感じがありますが、アルマンドはもっと繊細でしなやか、流動感に富み、絹のような肌ざわりの音楽だと思っています。

 テンポの取り方も遅いというより、落ち着いた感じといえるでしょう。 もちろん慌ただしくなっては絶対にいけません。

 こうした中庸なテンポというのはなかなか難しいものですが、演奏者によってもテンポがかなり異なるのも確かです。

  


アルマンドらしさ

 演奏の際には ”アルマンドらしさ” というものが出ないといけませんが、今現在、日常的にアルマンドを聴いたり踊ったりということは、普通なかなかない訳ですから、”アルマンドらしさ” を理解するのはたいへん難しいことでしょう。

 しかし幸いに現在ではバッハ、および同時代の作品はCDなどで聴くことが出来ますので、こうした作品に取り組む前に、やはりなるべくたくさんそうしたものを聴いて、アルマンドとはどういう曲なのかということを理解するようにしないといけないでしょう。

 また、チェロやギターの演奏だけでなくチェンバロやオルガンなどの、鍵盤音楽、あるいは声楽曲なども聴く必要があるでしょう。



基本が出来ていないと音楽にならない

 それにしても、このアルマンドと言う曲はレッスンが難しい曲ですね。 技術的にはそれほど難しくないことが多く、確かに音だけは出せるのですが、前述のように、アルマンドらしさからはとはかけ離れたものになってしまうことがよくあります。

 まず、技術的に音階をレガートに演奏する能力がなければ、こうした曲は弾けませんが、さらに旋律を柔軟に歌い上げるために、音量の増減や自然なテンポの伸縮も身に付けなければなりません。

 つまり、アルマンドは、音を出すだけならそれほど難しくない曲が多いですが、ギター演奏の基本が出来ていないとなかなか音楽にはならないタイプでしょう。


 ・・・・・そんなこと、アルマンドに限らない話とですね。

 
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バッハ:無伴奏チェロ組曲 7




プレリュード



予告編しかない映画?

 今回はバッハの無伴奏チェロ組曲に含まれる曲の話をします。 まずはプレリュード。 プレリュードは漢字では前奏曲と表され、文字通り組曲などの最初に置かれる曲です。

 前口上とか、前置き、オードブル、つかみ、前フリ、と言ったように、これから本番が始まるということなのですが、”後続曲のない前奏曲” 、つまり独立した前奏曲というのも結構あります。

 ショパンの 「24の前奏曲」 や、 ドビュッシーの「12の練習曲」 などはその例です。

 私がヴィラ・ロボスの前奏曲第1番を知るようになった時、 「前奏曲っていうのに、なんで次の曲がないんだろう? 」 と、とても不思議でした。

 前奏曲と言うのに、次の曲がないということは、予告編だけの映画みたいじゃないかと思いました。 

 私と同じような疑問を持った人は少なくないのではと思います。




元々は即興で弾く指慣らし的な曲

 もともと前奏曲は、器楽奏者が演奏する時、”本編” の曲に入る前に、とりあえず ”指ならし” ということで、即興で音階や、アルペジオなどのパッセージを弾いたことが始まりと言われています。

 今でもたまに、ステージで演奏する際、演奏の前に音階練習などをする人も見かけますが、そういったものを、一応曲の形にしたものですね。

 しかし指慣らしと言っても、やはり人前で弾くわけですから、当然聴く人を意識することになります。

 出来ればその最初の指慣らしで  「おっ、こいつはなかなかやるな!」 と思わせたいところです。

 少なくとも指慣らしで、 「ウーン、イマイチだな、この人の演奏は聴かなくてもいいかな」 なんて思わせてはいけません。



いつの間にかメイン・デッシュに


 そこで実際には演奏者としてはただの即興的な指慣らしや、前置きではなく、事前に十分に練って、内容の充実した ”前奏曲” を作曲して演奏するようになったわけです。

 つまり、「これはただの指慣らしですよ、本当の演奏ではありませんよ」 と言いながらちゃんと作曲した曲を弾く訳です。 試験場で「昨日は一晩中ゲームやっていて、全然勉強してない」 なんて言っているよなものかな?
 
 そして、結果的に、前奏曲=自由な形式で書かれた内容の濃い作品、と言うことになり、次第に前奏曲が独立した作品となってゆくわけです。

 オードブルのはずが、いつの間にかメイン・デッシュに変わってしまった?



やはりバッハの平均律の影響が大きいが

 以上のことは正確ではありませんが、だいたいこのような理由で後続曲のない、独立した前奏曲が書かれるようになったとも言えるでしょう。

 もっとも、ショパンやドビュッシーが前奏曲集を書いたのは、バッハの平均律クラヴィア曲集の影響と考えられます。 

 タレガの前奏曲集はショパンの影響、ヴィラ=ロボスの前奏曲集は、ショパン、およびドビュッシーの影響かも知れません。



バッハの前奏曲は
 
 バッハの前奏曲といえば、やはりこの 「平均律クラヴィア曲集」 となると思いますが、この曲については以前詳しく書いたので、今回は素通りましょう。 でもこの48曲の前奏曲はたいへん素晴らしいものです。

 プレリュードは自由な形式といっても、バッハの場合、ある程度パターンがあります。



アルペジオ系

 まずはアルペジオ系の曲で、前述の「リュートのための前奏曲ハ短調」 や、平均律第1巻のハ長調のプレリュードなどがその例です。

 無伴奏チェロ組曲では、「第4番変ホ長調」 もそれに含まれ、「第1番ト長調」 もやや変形していますが、少なくとも前半はアルペジオ系と言えます。

 指慣らしと言えば、やはりアルペジオですね、チューニングした後、ポロロンとアルペジオ鳴らしたくなりますよね、 指慣らしだけでなくチューニングを確かめる意味もあるし。

 チューニングを確かめるたものアルペジオを高度なレヴェルで繋いでいったものがバッハのこうしたプレリュードと言えるでしょう。

 確かにいかにも前奏曲といった感じがします。




音階系

 アルペジオの反意語は音階といえ、音階系の前奏曲もたくさんあります。 無伴奏チェロ組曲では、第3番がその例です。

 この曲は冒頭から ド ー シ ラ ソ ファ ミ レ ド ソ ミ ソ ドー  (ハ長調なので実際の音のこのとおり) とまさに音階で始まります。

 その後もしばらく音階で音が上下するわけですが、やはり音階だけでは曲になりませんから、中間部には長めのアルペジオの部分もあります。

 しかし最後再び冒頭の音階で終わり、音階で始まり、音階で終わる前奏曲となっています。




アリア系

 アリアのようにメロディを歌わせるタイプのものもあります。

 「平均律第2巻第14番嬰へ短調」 は本当に美しいアリアのようですね。

 チェロ組曲では 「第2番ニ短調」 のプレリュードがそれに近い感じがします。

 この曲は音階系とも言えなくもありませんが、やはりこの曲は ”歌わせる” 曲なのではと思います。

 チェロ組曲の中で、この第2番は人気イマイチですが、 じっくり聴けば味わい深い曲だと思います。




プレリュードとフーガ系

 ”プレリュードとフーガ” 的なプレリュードもあります。 プレリュードだけど、フーガもオマケに付けてしまおうというものですね。

 リュート組曲ホ短調BWV996 などはその例ですが、しかしバッハはこれを ”プレリュード” ではなく ”パッサジオとプレスト” としています。

 「チェロ組曲第5番」 もその例ですが、チェロでフーガを演奏するのはさすがに難しいと思ったのか、後半のプレストは、フーガぽいのですが、フーガにはなっていません。

 プレストの冒頭など、いかにもフーガのテーマらしいもので始まるのですが、フーガのような展開はせず、”なんちゃってフーガ” といったところでしょうか。



何系?

 最後に残った第6番のプレリュードは何系か、と言うことになりますが、この曲は他にあまり例のない形です。

 この第6番は5弦チェロのために書かれているなど、他の曲と違う面がありますが、このプレリュードはカンパネラ奏法を多用しています。

 パッセージの中に開放弦の音を織り交ぜる手法ですね。 

 現在ではこの曲を通常のチェロで演奏することが多いわけですが、そうするとハイポジションを使うことが多くなり、たいへんスリリングな曲となります。

 恐らく無伴奏チェロ組曲全36曲中、最も難しい曲なのではと思いますが、迫力は満点です。

 ギターにもたいへんよく合いますが、もちろんそれなりの技術は必要です。


 何系?  カンパネラ系?  それとも、カンタンデハナイ系?

 
バッハ:無伴奏チェロ組曲 6



数字にこだわったり、言葉の定義を厳密に守るのはバッハ流儀みたいだが

 バロック時代において、Suite(組曲) とは 「アルマンド」、 「クーラント」、 「サラバンド」、 「ジグ」 の4つの舞曲を軸としたもの、といった概念は、当時の音楽家たちにあったのは確かなようですが、ただ常にそれが守られていた訳でもなかったようです。 

 ヘンデルのように自由に曲目を組み合わせていた音楽家も少なくなかったようです。

 しかしバッハは似たようなものでも、 「ソナタ」 と 「パルティータ」、 「組曲」 をはっきりと区別して作曲していました。 

 こうした言葉の定義も厳密に守ったのもバッハらしいところですが、数字へのこだわりについても平均律やシャコンヌなどの記事でお話した通りです。

 当時の多くの作曲家が3~10曲くらいの範囲で組曲を自由に構成しているの対して、バッハはほとんど6曲としています。

 特にバッハの6つの無伴奏チェロ組曲は、基本の4つの舞曲にプレリュード、およびオプショナルな舞曲のガヴォット、ブレー、メヌエット、の中からそれぞれに1曲ずつ加え、すべて6曲です。



もっと自由に作曲した方が良い曲が生まれるのでは?

 ここで基本的な疑問も湧きますね。 「そんな、言葉や数にこだわって、なんか意味があるの? 聴いている方としてはそんなことどうだっていいんじゃない? 音楽って、聴いて良ければいいんじゃない? 」

 確かに、決まった形や、決まった数で作曲すれば名曲が生まれる訳ではありません。

 むしろそのように定型的になればよい作品は生まれなくなることのほうが多いでしょう。

 聴く人を感動させるためにはより自由な発想で作曲した方が良いに決まっています。

 ヘンデルの作品などまさにその通りといえるでしょう。 ハープシコードのための10数曲の組曲を見てもあまり定型と言ったものはありません。 その都度思いついた発想により、かなり自由に作曲されているようです。



それが一つの答え

 理屈からしたら、当然ヘンデルの作品は多くの人に親しまれ、それに比べバッハの無伴奏組曲などは、ごく一部のマニアックな音楽ファンにのみ聴かれる・・・・・・  と言ったことになるはずです。

 しかし、今現在、ヘンデルのハープシコード組曲よりバッハの無伴奏チェロ組曲のほうに親しみを感じているクラシック音楽ファンの方がずっと多いでしょう。

 また、単純にそれぞれのCD発売数で比較しただけでも、その差は歴然とします。

 特にギターをやっている人であれば、実際にギターのレパートリーになっていることもあって、その傾向は大きく、バッハの無伴奏チェロ組曲はよく聴くけど(あるいは弾く)、ヘンデルのハープシコード組曲を(サラバンド以外)聴いたこともないという人も少なくないでしょう。

 バッハがなぜこのような形で作曲したかという事の、一つの答えがこうした事なのかも知れません。



矛盾を実行することが

 シャコンヌの記事でも書きましたが、バッハは矛盾したことを実行するのがとても好きな人のようです。 ・・・・・・単旋律楽器に複旋律の音楽を書く。  ・・・・・・・・定型的な形式で自由な音楽を書く。    などなど。

 複旋律の音楽を書きたければ、当然複数の楽器、あるいは鍵盤楽器をを使えばよい。

 何もヴァイオリンやチェロなどの単旋律楽器のための作曲する必要など全くないはず・・・・・・・

 自由にイマジネーションを膨らませたかったら慣習的な方法にこだわるべきでではない・・・・・・




イリュージョニストなんて書いたけど

 しかしバッハという音楽は、どうやらそのように自ら”縛り”を課した上で、自由に作曲することに快感を得る人のようです。

 自らの体を鎖で縛り付けた上で、密閉された箱の中から脱出するイリュージョニストみたいに・・・・・・  なんて前に書いたかな。

  
バッハ:無伴奏チェロ組曲 5



フランスのリュート音楽の場合


 バッハの組曲などはフランスのリュート音楽の影響があると言われています。 今回はそのフランスのリューティストたちはどのような組曲を作曲していたのかを見てゆきましょう。



有名なド・ヴィゼーのニ短調組曲

 まず、私たちにはなじみの深い ロベルト・ド・ヴィゼー です。 ヴィゼーはリューティストというよりギタリストでしたが、その作品は、内容的にはリュート音楽とあまり変わりなく、実際にリュートでも演奏されていたようです。

 ギターではよく知られている 「組曲ニ短調」 の曲目構成を書いておきましょう。 この曲の 「サラバンド」、「ブレー」 は映画「禁じられた遊び」 にも使われています。



<組曲ニ短調>

1.プレリュード
2.アルマンド
3.クーラント
4.サラバンド
5.ジグ
6.ガヴォット
7.ブレー
8.メヌエット
9.パサカリア
10.メヌエット




セゴヴィアなども演奏しているが

 曲数は多いですが、アンドレス・セゴヴィアはこの中から 「プレリュード」、 「アルマンド」、 「ブレー」、 「サラバンド」、 「ガヴォット」、 「ジグ」 の6曲を演奏しています。

 またギタリスト兼音楽学者として知られている、カール・シャイト の1950年代の出版によれば、 「プレリュード」、 「アルマンド」、 「クーラント」、 「「サラバンド」、 「ガヴォット」、 「メヌエットⅠ、Ⅱ」、 「ブレー」、 「ジグ」 の 8曲となっています。

 シャイト版ではパサカリアが省かれ、2曲のメヌエットが組み合わされて(ダ・カーポ)1曲扱いになっています。



演奏者が曲を選んで演奏するため?

 オリジナルの曲順では、まず最初にプレリュードと4つの基本曲(アルマンド、クーラント、サラバンド、ジグ) が書かれ、その後にメヌエットなどの5つの挿入曲が書かれている形になっています。

 恐らくこの曲順は必ずこの順に演奏しなければならないという訳でなく、 ”最初から5曲目までの曲は必ず演奏し、その後の5曲の中から適宜に曲を選んで挿入する” と言ったようなことではないかと思います。

 ヴィゼーの組曲はこれで完成された一つの作品というより、”曲集”と言った意味もあり、演奏者はこの中から曲を選んで演奏すると言ったようにかかれているのかも知れません。

 そういった意味では、セゴヴィアがこの組曲の中から抜粋して弾いているのは理にかなっているのかも知れません。
 


基本的にはバッハの組曲と同じ

 バッハの組曲からすれば、自由度は高いですが、「アルマンド」、「クーラント」、「サラバンド」、「ジグ」 の4曲が軸となっている点は共通しています。





ガロー、ゴーティエ

 次にフランス宮廷で活躍した、ジャック・ガロー(1600?~1690?)、エヌモン・ゴーティエ(1575~1651)の組曲の曲目構成を見てみましょう。



<ジャック・ガロー : 組曲嬰へ短調>

1.プレリュード
2.アルマンド
3.クーラント
4.サラバンド
5.ガヴォット
6.ジグ
7.シャコンヌ



<エヌモン・ゴーティエ : 組曲ニ短調>

1.プレリュード
2.アルマンド
3.クーラント
4.トンボー
5.ジグ
6.シャコンヌ
7.カナリオス




やはりバッハの組曲はフランスのリュート音楽の影響が強い

 だいたいで言えば、バッハの組曲に近いですね、ただバッハほど厳密ではないようです。

 特に最初の「プレリュード」、「アルマンド」、「クーラント」 の1,2,3番目までは ”不動のメンバー” といえます。 

 シャコンヌなどの変奏曲で終わる場合も多いようです。

 曲数などからすれば、全曲通して弾くのにちょうどよく出来ているので、ヴィゼーのように ”この中から適宜に曲を選んで” ということではないようで、この曲順で演奏することを前提として書かれているものと思われます。 

 確かにバッハの組曲はフランスのリュート音楽の影響が強いと言っていいでしょう。 

 因みに、Suite は国が違っても綴りが変わらずフランス語でもイタリア、ドイツ語でも同じです。

 


それほど守られたわけではない

 結論としては、バッハの時代(バロック時代後期)においては、Suite は、バッハの組曲のように、アルマンド、クーラント、サラバンド、ジグ の4つの舞曲を基本とし、それらにプレリュード、およびガヴォットやブレーなどの舞曲を挿入したものといった認識、あるいは習慣は、フランスを中心に確かにあったようです。

 しかし、そうしたことはそれほで厳密に守られたわけではなく、自由に構成したSuiteもかなり存在したようです。

 特にフランス以外ではそうした傾向がみられます。

バッハ:無伴奏チェロ組曲 4



バッハの場合はSuiteの定義がはっきりしていたが

 私たちが組曲(Suite)というと、比較的短い曲を何曲か、文字どおり ”組み合わせた” ものという認識があると思います。 ギター曲で言うなら、例えば、 タンスマンの 「カヴァティーナ組曲」 とか、モレーノ・トロバの 「カスティーリャ組曲」 と言ったように。

 これらの組曲は特に決まりのようなものはなく、作曲家が自由に組み合わせたものです。

 しかしバッハが組曲(Suite)として作曲する場合は、前回の記事のようにアルマンド、クーラント、サラバンド、ジグの4曲を含む、プレリュードと舞曲によるもの、と定義がはっきりしています。

 プレリュード以外はすべて舞曲で構成されるので、組曲にフーガやアレグロなどは含みません。




バッハ以外の作曲家は?

 では、このバッハの定義がその当時、つまりバロック時代においてはどの程度守られたいたのでしょうか。

 これはあくまで、バッハの作品のみに言えることなのか、それとも当時は他の作曲家も同じように考えていたのかどうかということを検証にてみましょう。




当時バッハよりも評価の高かったヘンデル

 では、まず、バッハと並ぶ、というjか、当時はバッハよりも高く評価されていた大作曲家のフリードリヒ・ヘンデルの作品を見てゆきましょう。

 どちらかといえばオペラやオラトリオなど声楽曲、宗教曲が主だったヘンデルの作品ですが、器楽曲もかなりたくさんあり、バッハ以上に多作家だったと言えます。



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ヘンデルのハープシコード組曲集のCD(4枚組)  ヘンデルの作品はバッハの作品よりも親しみやすさはある。 



サラバンドや調子のよい鍛冶屋が有名だが

 ハープシコード(イギリスではチェンバロのことをこのように呼ぶ)のための組曲は、番号付いたものだけで16曲ほどあり、、他にも7~8曲ほどあるようです。

 この中で、第11番ニ短調には、ギターでもよく演奏される「サラバンド」が含まれます。 また第5番ホ長調のアリアは「調子のよい鍛冶屋」として親しまれ、ジュリアーニもギターに編曲しています。

 このヘンデルのハープシコード組曲の第1番から第5番まで曲名だけを書き出してみましょう。



<第1番イ長調>
1.プレリュード
2.アルマンド
3.クーラント
4.ジグ


<第2番ヘ長調>
1.アダージョ
2.アレグロ
3.アダージョ
4.アレグロ


<第3番ニ短調>
1.プレリュード~プレスト
2.アレグロ
3.アルマンド
4.クーラント
5.アリア
6.プレスト


<第4番ホ短調>
1.アレグロ
2.アルマンド
3.クーラント
4.サラバンド
5.ジグ


<第5番ホ長調>
1.プレリュード
2.アルマンド
3.クーラント
4.アリア





バッハの組曲とはだいぶ違う

以下もだいたいこのような感じで、バッハの組曲とはだいぶ違いますね。

 この中で第1番はアルマンド、クーラント、ジグの3曲を含み、第4番はさらにサラバンドも含み、バッハの組曲と近い感じがありますが、第3番は舞曲を全く含まずバッハであれば 「ソナタ」 としたところでしょう。

 このように、曲目を見た感じでは、ヘンデルの ”Suite” は、バッハの場合のように厳格な定義はなかったようです。

 ヘンデルはSuite について 「任意の曲を組み合わせた作品」 というように考えていたのかも知れません(現在の私たちがそう考えているように)。




作曲の目的や動機が違う

 このヘンデルのハープシコード組曲は、バッハの作品に比べると、変化もあり、メロディも美しかったりで、バッハの作品に優っているかも知れません。

 音楽の密度と言った点ではバッハの作品には比較できないかも知れませんが、それは作曲された目的や、動機の違いとも言えるでしょう。 

 ヘンデルの作品は何といっても聴く人のことを考えた作品ですが、バッハの作品にはさらにまた違った目的と動機があるのでしょう。




バッハと親交のあったヴァイスの場合は
  
バッハと親交のあったリューティスト、 シルビウス・レオポルド・ヴァイス の場合も見てみましょう。 

 ヴァイスの作品は、かつてはLPなどでは ”組曲” として録音されていましたが、ヴァイス自身は組曲とせず、すべて”ソナタ” として書かれています。



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ヴァイスの作品は近年だいぶ録音されたり出版bされたりしているが、まだまだ未出版、未録音の曲のほうが圧倒的に多い。



残された作品の数は膨大だが、一族の作品と区別が付かないものも

 バイスはバッハが生涯の後半を過ごしたライプチヒに比較的近いドレスデンの宮廷に勤めていましたが、ヴァイスにはかなりたくさんの作品が残され、曲数にして1500曲ほど残されているようです。

 少なくとも100曲以上のソナタが残されているようですが、どの曲が、どのソナタに属するか不明な作品も多く、またヴァイス一族はほとんどリューティストで、親族や家族などの作品と区別できないものの多いようです。

 ヴァイスの作品はたいへん多いので、その中で最も有名な(?)第34番ニ短調の曲目構成を書いておきましょう。



<ソナタ第34番(番号は Das Deuthscher Musik による)ニ短調>

1.プレリュード
2.アルマンド
3.クーラント
4.ブレー
5.サラバンド
6.メヌエットⅠ、Ⅱ
7.ジグ




バッハの Suite に近いが

 これは明らかにバッハのSuiteに近いですね、4曲目のブレーを省くとバッハの無伴奏チェロ組曲第1,2番と同じ構成です。

 他のソナタについては、このソナタと同じような構成をとるものもあれば、アレグロやアダージョ、アリアなど、非舞曲系の曲を含むものもあります。

 また一つのソナタに含まれる曲数も3曲くらいのものから、7~8曲くらいのものまであります。




室内ソナタ的だが

 バッハの場合、ソナタというと、アダージョ - アレゴロ - アンダンテ - アレグロ といったような ”教会ソナタ” 的なのですが、 ヴァイスの場合は舞曲で構成される ”室内ソナタ” ということになるのでしょう。

 ヴァイスの場合は、バッハの組曲と近いところもありますが、あえてSuite としなかったのは、曲目構成を、より自由にしたいということなのでしょう。 

 そういった意味ではヴァイスは Suite の定義を十分に認識していたとも言えるのでしょう。

 Suite なのにソナタとしたヴァイス、 Suite でないのに Suite としたヘンデル。 二人の個性が覗かれますね。




 



ラ・ジュネス (マンドリンクラブ) 第13回定期演奏会


  3月3日 14:00 ひたちなか市文化会館大ホール



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傘を忘れて

 ひたちなか市文化会館の駐車場は、ほぼ満車状態でしたが、なとか空きスペースを見つけて、駐車出来ました。

 しかし今日はうっかりと傘を忘れて車に乗ってしまい、出来ればコンビニに傘を買いに行きたかったのですが、そんなことをしていると車が止められなくなり、やむを得ず、若干距離はありましたが、館内まで走って行きました。

 最近走るなんて、久々ですね。 こんな時くらいしかなくなりました、1カ月に1回走ればいいくらいかな?




いつも使っているホールだが

 この「ひたちなか市文化会館」は私の方でも毎年1回以上は使っていて、まさにホーム・スタジアムといったところなのですが、この”大ホール” のほうはあまり入ることがありません。

 なるほど、こうなっているのかと思いつつ会場内に入ると、ほぼ満席に近い状態でした。

 ラ・ジュネスは30名くらいのアンサンブルですが、毎年たいへん積極的な活動をしているようです。

 私の方で主宰している「ひたちなかGMフェスティヴァル」にも出演してもらっています。

 
 
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バランスの良い美しい響き

 プログラムは上の通りですが(見にくい場合はクリックしてください)、 演奏は高音から低音まで、たいへんよくバランスが取れていて、文字通りオーケストラを聴いているような響きです。

 フルートなども、ともすれば浮き上がってしまったりするのですが、たいへんよくマンドリンに溶け込んでいます。




ダイナミックスの変化も大きい

 また音量の変化も大きく、ピアノとフォルテの差もかなり大きく感じました。 

 こうしたことは、演奏者一人ひとりの力もさることながら、指揮者(兼編曲者)の魚津さんの細かい配慮の賜物のなのでしょう。

 「メリー・マンドリン・カルテット」では、アンプを使用していたようですが、たいへん自然に聴こえ、ほとんど生のように聴こえました。



 なお、アンコール曲は 「ロシア民謡メドレー」 と 「ラデツキー行進曲」 でした。