中村俊三ギター・リサイタル 4月25日(土) 4
バッハ : シャコンヌ(無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番ニ短調BWV1004より)

これまでのシャコンヌの記事のまとめとして
このブログでは、 バッハのシャコンヌの話をたくさん書いてきましたので、さらにお話することもなくなっているのですが、一応これまで書いた話の ”まとめ” として書いておきましょう。
バッハは 「シャコンヌ」 とは書かなかった
通常この曲は 「シャコンヌ」 と呼ばれ、また日本語(カタカナ)ではこのように表記されます。 ・・・・当たり前?
しかし厳密に言えば、バッハはこの曲を chaconne つまり シャコンヌ とは表記せず ciaccona つまり チャコーナ と表記しています。
chaconne はフランス風の表記で、ciaccona はイタリア風の表記ですが、 一般的に、おそらくこれらは特にはっきりした区別がある訳ではなく、イタリア人はチャコーナと呼び、フランス人はシャコンヌと呼んだというだけのことではないかと思います。
しかしバッハはこうした言葉は厳密に区別していて、この曲はフラン風の「シャコンヌ」ではなく、イタリア風の「チャコーナ」だという訳です。
チャコーナとシャコンヌはどう違う?
ではイタリア風の「チャコーナ」とフランス風の「シャコンヌ」ではどう違うかということですが、 フランス風の「シャコンヌ」は、リューティストのエヌモン・ゴーティエのシャコンヌのように変奏曲形式で書かれたものもありますが、ルイ・クープランのクラブサン曲など、変奏曲形式ではなく舞曲的なものが主流だったようです。
それに対し、イタリア風のチャコーナはほぼ変奏曲形式となっています。またシャコンヌは舞曲的、チャコーナは声楽的ということも言えるかも知れません。
舞曲的な面は希薄
そういったところで、バッハはフラン風のシャコンヌではなく、イタリア風のチャコーナと表記したのでしょう。もっともこのパルティータの他の曲名もイタリア風の表記となっています。
つまりこの曲は舞曲的な面よりも変奏曲としての性格が強いということを言っているのだと思います。
何といっても当時、フランスは舞踏の国で、イタリアは言わずと知れた歌の国と言えるでしょう。
ややこしいので
と言ったことで、このバッハの作品は 「シャコンヌ」 というより、「チャコーナ」と言うべきなのかも知れませんが、もちろん我が国では通常「シャコンヌ」とよばれ、世界の多くの国々でもそのように呼ばれていると思いますので、これ以降、当記事でも「シャコンヌ」と表記してゆきます。 ・・・・・曲名にこだわっているとややこしいので。
もちろん私のリサイタルのチラシなどでもシャコンヌと表記しています。
と言った訳で、この曲は変奏曲なのだが
さて、このシャコンヌは変奏曲ということで、8小節、あるいは4小節のテーマに31の変奏、あるいは63の変奏が付いて、計256小節の長い曲となっています。
また変奏の中には、ほぼテーマの再現というのもあります。
でもずいぶんいい加減な説明ですね、テーマが8小節なのか4小節なのかはっきりしないなんて。
でもそこがこの曲の特徴でもあります。確かに冒頭のあたりでは、はっきりと8小節のまとまりとなっていますが、次第に4小節が一つの単位なる個所が多くなります。
”たてまえ” としては30の変奏だが
”たてまえ” 上は、おそらくゴールドベルク変奏曲のようにテーマが最初と最後に表れ、その間に30の変奏があるといった形なのでしょうが、ゴールドベルク変奏曲のように各変奏がはっきりと独立している訳ではありません。
また、”256” 小節というのも、決して偶然の数字ではなく、最初から意図された数字でしょう、256というのは4の4乗ですね。
なぜちゃんとした変奏曲にしなかった?
ところで、なぜバッハはこの曲をはっきりとした変奏曲にしなかったのか? ということについて考えてみましょう。
通常シャコンヌに限らず変奏曲というんは各変奏が独立していて、前後の変奏とはそれほど関係はありません。
強いて言えば、あまり似たような変奏を隣り合わせにしないようにするといったところでしょう。 したがって、変奏の順序を入れ替えても別に問題ないことも多いようです。
タレガのグラン・ホタでは
若干飛躍するかも知れませんが、タレガに 「グラン・ホタ」 という曲があります。 この曲はタレガがコンサートの際にかならず演奏していた曲で、それだけに譜面も中身の異なるものが何種類か残されています。
おそらくタレガは弾く度に変奏の順番を入れ替えたり、省略したり、場合によっては即興で演奏したりと、非常に自由に演奏していたと思われます。
そこまでは極端ではないとしても、変奏曲というのはそうした自由度もあるのが普通です。
おそらくバロック時代のリュート奏者などもシャコンヌなどの変奏曲では、演奏する度に変奏の順番を入れ替えたり、あるいは付け加えたり、省略したりなどは行っていたのではないかと思われます。
256小節で一つの生命体
バッハが自らのシャコンヌをはっきりとした変奏曲にしなかったのは、このような事情なのではないかと私は考えています。
つまりバッハは各変奏の自由度を嫌ったわけです。 各変奏が独立するのではなく、256小節で一つの完成した作品となることを意図したものと考えられます。
このバッハのシャコンヌの変奏の順番を変えたり、また新たに変奏を付け加えたり、あるいは省略したりなど絶対に出来ないことはだれしも理解できることでしょう。
この曲は256小節で一つの作品というよりも256小節で一つの生命体となっているのではないかと私は感じます。
まだまだ話は続きますが、ここまでお話しただけでも、この曲が極めてプレミアムな曲であることは感じていただけたのではないかと思います。
バッハ : シャコンヌ(無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番ニ短調BWV1004より)

これまでのシャコンヌの記事のまとめとして
このブログでは、 バッハのシャコンヌの話をたくさん書いてきましたので、さらにお話することもなくなっているのですが、一応これまで書いた話の ”まとめ” として書いておきましょう。
バッハは 「シャコンヌ」 とは書かなかった
通常この曲は 「シャコンヌ」 と呼ばれ、また日本語(カタカナ)ではこのように表記されます。 ・・・・当たり前?
しかし厳密に言えば、バッハはこの曲を chaconne つまり シャコンヌ とは表記せず ciaccona つまり チャコーナ と表記しています。
chaconne はフランス風の表記で、ciaccona はイタリア風の表記ですが、 一般的に、おそらくこれらは特にはっきりした区別がある訳ではなく、イタリア人はチャコーナと呼び、フランス人はシャコンヌと呼んだというだけのことではないかと思います。
しかしバッハはこうした言葉は厳密に区別していて、この曲はフラン風の「シャコンヌ」ではなく、イタリア風の「チャコーナ」だという訳です。
チャコーナとシャコンヌはどう違う?
ではイタリア風の「チャコーナ」とフランス風の「シャコンヌ」ではどう違うかということですが、 フランス風の「シャコンヌ」は、リューティストのエヌモン・ゴーティエのシャコンヌのように変奏曲形式で書かれたものもありますが、ルイ・クープランのクラブサン曲など、変奏曲形式ではなく舞曲的なものが主流だったようです。
それに対し、イタリア風のチャコーナはほぼ変奏曲形式となっています。またシャコンヌは舞曲的、チャコーナは声楽的ということも言えるかも知れません。
舞曲的な面は希薄
そういったところで、バッハはフラン風のシャコンヌではなく、イタリア風のチャコーナと表記したのでしょう。もっともこのパルティータの他の曲名もイタリア風の表記となっています。
つまりこの曲は舞曲的な面よりも変奏曲としての性格が強いということを言っているのだと思います。
何といっても当時、フランスは舞踏の国で、イタリアは言わずと知れた歌の国と言えるでしょう。
ややこしいので
と言ったことで、このバッハの作品は 「シャコンヌ」 というより、「チャコーナ」と言うべきなのかも知れませんが、もちろん我が国では通常「シャコンヌ」とよばれ、世界の多くの国々でもそのように呼ばれていると思いますので、これ以降、当記事でも「シャコンヌ」と表記してゆきます。 ・・・・・曲名にこだわっているとややこしいので。
もちろん私のリサイタルのチラシなどでもシャコンヌと表記しています。
と言った訳で、この曲は変奏曲なのだが
さて、このシャコンヌは変奏曲ということで、8小節、あるいは4小節のテーマに31の変奏、あるいは63の変奏が付いて、計256小節の長い曲となっています。
また変奏の中には、ほぼテーマの再現というのもあります。
でもずいぶんいい加減な説明ですね、テーマが8小節なのか4小節なのかはっきりしないなんて。
でもそこがこの曲の特徴でもあります。確かに冒頭のあたりでは、はっきりと8小節のまとまりとなっていますが、次第に4小節が一つの単位なる個所が多くなります。
”たてまえ” としては30の変奏だが
”たてまえ” 上は、おそらくゴールドベルク変奏曲のようにテーマが最初と最後に表れ、その間に30の変奏があるといった形なのでしょうが、ゴールドベルク変奏曲のように各変奏がはっきりと独立している訳ではありません。
また、”256” 小節というのも、決して偶然の数字ではなく、最初から意図された数字でしょう、256というのは4の4乗ですね。
なぜちゃんとした変奏曲にしなかった?
ところで、なぜバッハはこの曲をはっきりとした変奏曲にしなかったのか? ということについて考えてみましょう。
通常シャコンヌに限らず変奏曲というんは各変奏が独立していて、前後の変奏とはそれほど関係はありません。
強いて言えば、あまり似たような変奏を隣り合わせにしないようにするといったところでしょう。 したがって、変奏の順序を入れ替えても別に問題ないことも多いようです。
タレガのグラン・ホタでは
若干飛躍するかも知れませんが、タレガに 「グラン・ホタ」 という曲があります。 この曲はタレガがコンサートの際にかならず演奏していた曲で、それだけに譜面も中身の異なるものが何種類か残されています。
おそらくタレガは弾く度に変奏の順番を入れ替えたり、省略したり、場合によっては即興で演奏したりと、非常に自由に演奏していたと思われます。
そこまでは極端ではないとしても、変奏曲というのはそうした自由度もあるのが普通です。
おそらくバロック時代のリュート奏者などもシャコンヌなどの変奏曲では、演奏する度に変奏の順番を入れ替えたり、あるいは付け加えたり、省略したりなどは行っていたのではないかと思われます。
256小節で一つの生命体
バッハが自らのシャコンヌをはっきりとした変奏曲にしなかったのは、このような事情なのではないかと私は考えています。
つまりバッハは各変奏の自由度を嫌ったわけです。 各変奏が独立するのではなく、256小節で一つの完成した作品となることを意図したものと考えられます。
このバッハのシャコンヌの変奏の順番を変えたり、また新たに変奏を付け加えたり、あるいは省略したりなど絶対に出来ないことはだれしも理解できることでしょう。
この曲は256小節で一つの作品というよりも256小節で一つの生命体となっているのではないかと私は感じます。
まだまだ話は続きますが、ここまでお話しただけでも、この曲が極めてプレミアムな曲であることは感じていただけたのではないかと思います。
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