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中村俊三 ブログ

中村ギター教室内のレッスン内容や、イベント、また、音楽の雑学などを書いていきます。

またまたシャコンヌ 4




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記事には全く関係ありませんが、今年は花見どころではなかったと思いますので、とりあえず桜の写真から。




さらに状況が悪化しているが

 前回の更新時からさらに状況が悪くなりましたね、特に東京など首都圏では大変なことになっています、今朝の新聞では、お笑いのレジェンド、志村けんさんが亡くなったと出ていました。

 我が茨城県も感染者が2桁になってしまい、このところ関連ニュースに一喜一憂する日々が続いています。 と言っても 「喜」 のほうは殆んどありませんが。

 この状況ではそう簡単に収束するのは難しそうで、まさに世界的な大事件に発展してしまったようです。



過去においては

 ちょっと気になって、歴史上の伝染病について検索してみました。 何といっても凄まじかったのは14世紀のペストで、当時ののヨーロッパの人口の約半数が亡くなったと言われています。

 そうしたことは遠い昔の事ともいっていられなくて、20世紀においても、第1次世界大戦中の流行した 「スペイン風邪」 は全世界で数千万人の人が犠牲になったそうで、第1次大戦で死亡した人の数をはるかに上回ったそうです。




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非戦闘員を含め2000万人近くが犠牲になったと言われている第1次世界大戦。 しかしその戦争中に流行した「スペイン風邪」による死者数はそれをはるかに上回ったそうだ。こんなことが100年程前に起きている。



 こうなると 「風邪」 なんてなまやさしいものではないですね、今で言えば鳥インフルエンザの一種だそうです。 因みに 「スペイン風邪」 と言っても、スペインが発祥地ではないそうです。スペインの方々の名誉のために。

 こんどの新型コロナ・ウィルスはそれらに比べれば毒性は低いようで、そうした大きな被害は出ないとは思いますが、でも当時とは世界も大きく変わっていて、感染拡大に関係して、これまでにない現象をいろいろ引き起こしていますね。




またまたシャコンヌ

 さて、これまで書いてきたシャコンヌの話ですが、リサイタルの曲目紹介として書いてきたのですが、何といってもそのリサイタルがなくなってしまったので、まさに振り上げた拳をどこに収めてよいか分からなくなってしまった状態です。

 でも、せっかく書き始めたので、この記事はそのまま書いてゆこうかなと思います。 と言ってもこれまで2回にわたってシャコンヌの話を長々と書いてきたのですが、「またまたシャコンヌ」 とカテゴリを変えて続編を書いてゆきましょう。

 シャコンヌは弾くのも楽しいけど、しゃべるのも楽しいです。  ・・・・・・ 「またまたまたシャコンヌ」 もありそうだけど。




来年は無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番全曲を

 まだはっきりはしていませんが、来年前半にはリサイタルをやり直そうと思いますが、その際1年間ほど期間があるので、シャコンヌを単独でなく、無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番全曲 (アルマンド、クーラント、サラバンド、ジグ、シャコンヌ)を演奏したいと思っています。



パルティータとは

 今日はそのパルティータについて話をしようと思います。 一般にパルティータは日本語では 「組曲」 と訳されます。 しかしパルティータにはもう一つ、「変奏曲」 と言う意味もあるようです。

 特にイタリアではパルティータは 「パルテ」 (英語のパート) の複数形ということで変奏曲として認識されているようです。 ギターで有名なフレスコバルディの 「アリアと変奏」 も、各変奏は 「バリエーション」 ではなく、 「パルテ」 とされています。



変奏曲としてのパルティータも作曲している

 3曲の 「無伴奏ヴァイオリン・パルティータ」 は ”組曲” 的ではありますが、以前に書いた通り、バッハは 「スィーテ(Suite、組曲と訳されるが)」 と 「パルティータ (Partita)」 を区別しています。 

 バッハはそうしたもの以外に ”変奏曲としてのパルティータ” も作曲していて、オルガン曲の 「コラール・パルティータ」 は変奏曲となっています。




Suite でもいいんじゃない?

 この 「無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番ニ短調」 も強いて言えば 「組曲」 と言え、「アルマンド」、 「クーラント」、 「サラバンド」、 「ジグ」 の4曲のあとに 「シャコンヌ」 が置かれています。

 シャコンヌを除く先行の4曲は 「Suite」 の基本の曲だということは前に言いました。 とすれば、レギュラー・メンバー4人しっかりと入っているのだからこの曲はパルティータではなく 「Suite」 でいいんじゃないかと思いますが、バッハにはこの曲が 「Suite」 でない何かのこだわりがあるのでしょう。 




どの曲から作曲始めた?

 また、作曲の経緯なども全くわかりませんが、1曲目のアルマンドから書き始め、シメにシャコンヌを作曲していたら、気持ちが乗ってきて長大な曲になってしまった・・・・・  などというより、やはり先にシャコンヌを書き、その後で先行する4曲を書いたと考えるほうが自然な気がします。  ・・・・・気がするだけで、根拠は全くありませんが

 本来、シャコンヌだけでよかったのかも知れませんが、バッハとしては6曲無伴奏のヴァイオリンのための作品を揃えるために、シャコンヌを作曲した後にアルマンドなどの先行4曲を作曲し、組曲、いや正しくはパルテータとして形を整えたのかなとも思います。



シャコンヌの圧倒的な存在感

 シャコンヌに先立つ4曲もたいへん素晴らしい曲なのですが、シャコンヌの圧倒的な存在感からすると、やや ”露払い” 的な感じは否めません,、4曲束になっても・・・・ というところでしょうか。  ・・・・ゴメンナサイ、サラバンドやジグの皆さん!



なんか似ている

 それにしてもこのパルテータの5曲、何となく似ていますよね、うっかりするとアルマンドなどシャコンヌの一部分かなと思うくらいです。 

 同じ調ですから似ているのは当たり前かも知れませんが、他の組曲、パルティータなどと比較しても、5曲ともたいへんよく似た雰囲気をしていると思います。

 その辺を楽譜で見てみると、冒頭での低音の動きは4曲ともほぼ同じなのがわかると思います。

 

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アルマンドの冒頭(原曲の譜面)


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クーラントの冒頭



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サラバンドの冒頭


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ジグの冒頭



 御覧のとおり、赤丸で示した低音はどの曲も  レ ー ド# - レ  となっていますね、シャコンヌのほうも同じです。



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シャコンヌの冒頭




変奏曲的な概念も少しある

 アルマンドの場合は レ - ド# だけになっていますが、次の小節に低音を入れるとするとやはり 「レ」 になります。

 もちろんこれは意図的に行ったものと考えられます。 つまりこのパルティータに関しては、基本的には 「組曲」 的なのですが、同時に変奏曲という概念も若干含まれているといえるでしょう。



屁理屈言わなくても?

 いずれにしても、のヴァイオリン・パルティータ第2番ニ短調ははっきりと全体の統一感があり、最後のシャコンヌに集約されて行くと言ったように作曲されています。

 もっともそんなことは屁理屈をこかなくても、聴けばわかる?






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中村俊三ギター・リサイタル中止


  4月25日(土) ひたちなか市文化会館小ホール 予定




本当に残念ですが

 皆さまご周知のとおり、コロナ・ウィルスの件で、かなり厳しい状況が続き、なかなか好転も望めないところで、本当に残念なのですが、ほぼ1か月前となっていた私のリサイタルを中止することにしました。

 ほんの数日前まで何が何でもリサイタルはやるつもりでいたのですが、この2、3日茨城県内でも感染者が相次ぎ、また3月中の各地のコンサートはほぼすべて中止の状態で、4月分についても、その多くが中止となっています。




この数日の状況からすると

 この数日の状況からすると、やはり予定異通りリサイタルを行うのは極めて困難で、またあえて決行するとなれば、多くの方々にご心労をおかけすると判断し、中止を決断しました。 

 これまで様々な方から 「今度のリサイタル楽しみにしている」 といった声もいただいていて、返す返す残念に思います。

 何分、こうした事は自分の気持ちだけで行うことは出来ませんし、確率は低いかも知れませんが、万が一のことでもあれば、それこそ 「ごめんなさい」 では済まないことになるでしょう。




来年ぜひご来場下さい

 リサイタルのほうは、中止以外にも、2~3か月くらいの延期も考えられますが、やはり一度気持ちが折れると2~3か月では立ち直りにくいですし、またウィルスの状況もまだまだ先の見えない状態です。

 それなら、ということで完全に仕切り直しをして、また、来年さらに内容を充実させて行う方が良いかなと思い、来年5~6月頃にでも行おうかなと思っています。

 これからまた1年、皆さまに良い演奏を聴いていただけますよう最大限努力してまいりますので、ぜひ皆さま、来年会場に足をお運びいただければと思います。




仕切り直しリサイタルでもシャコンヌは弾くので

 大きな問題ではないのですが、このブログもこれまでリサイタルを決行するつもりで曲目解説など行ってきましたが、宙ぶらりんになってしまいました。

 特にシャコンヌの話は途中段階ということで(何度も書いているが)、シャコンヌの件だけはとりあえず書いてしまいましょう。 来年行う予定の ”仕切り直しリサイタル” でも必ずプログラムに入れたいと思います。

 それでは皆さま、誠に残念なことですが、ご了承下さい。
中村俊三ギター・リサイタル4月25日(土) 6


シャコンヌ 3



収束はまだまだだが

 まだまだコロナ・ウィルスの蔓延は収束には至らないようですね。 当リサイタルも実行出来るかどうか不安なところですが、でも当記事は予定通り行うつもりで書いてゆきましょう!
 
 確かに、こういう時ネットはいいですね、どんなにコミュニケーションをとっても飛沫が飛ぶこともないし、感染することはない。   
  
 ・・・・・人は感染しなくてもパソコンが感染する? 別のウィルスに。



シャコンヌは2拍目から始まる?

 さて、またまたバッハのシャコンヌについて書いているところでしたね。 このバッハのシャコンヌはいろいろな意味で当時の平均的ななシャコンヌではなく、バッハも意識的にそうした曲を作曲したことを書きました。

 もっとも、通常単旋律しか弾かないヴァイオリンのためにシャコンヌを書いたということだけでもフツーじゃないですね。

 ではどこがフツーではないのか、ということは以前の記事でも書きましたが、あらためていくつか書いていておきましょう。

 まず、冒頭です。 ご存じのとおり(?)この曲は3拍子の2拍目から始まっています。 昔どこかの解説に、「シャコンヌはこのように2拍目から始まる舞曲・・・・・」といったことを読んだ(あるいは聴いた)ことがあります。

 その結果、私自身なんとなく一般的にシャコンヌというのはこのようなリズムの曲といった先入観を持ってしまいました。 きっとそう思っている人も少なくないのではと思います。

 私もつい最近まで、10年ほど前にこのブログでシャコンヌの記事を書くまでそんな風に思っていたのは確かです。





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バッハのシャコンヌはこのように2拍目から始まるが、シャコンヌって、皆そうなんだろうか?





他にそんなシャコンヌはない

 しかし、何でも疑ってかかるのは大事なことで、バッハ以外の作曲家による当時のシャコンヌがどんなリズムで出来ているかいろいろ調べてみました。

 調べると言っても私の出来る範囲ではせいぜい10数曲といったところなのですが、その10数曲の中にこのバッハのシャコンヌと同じように2拍目から始まる曲は殆んどありませんでした。

 最も多いのは1拍目から始まるもので、ヴァイス、ケルナー、エヌモン・ゴーティエなどのリュート曲、ヘンデル(ハープシコード)、ヴィターリ(ヴァイオリン曲)、ヘンリー・パーセル(合奏曲)など、有名なものはみなこの1拍目から始まっています。 

 ルイ・クープランのクラブサン曲にはいくつか1拍目以外からはじまるものもありますが、ほとんど3拍目、あるいは3拍目裏からとなり、2拍目から始まるシャコンヌは、結局私が知る限り(かなり狭い範囲ですが)では見つかりませんでした。

 つまりバッハのシャコンヌのように2拍目から始まるシャコンヌは定型というより、異例に近いようです。 




落ち着いた感じの曲が多い

 前述のようにほとんどのシャコンヌは1拍目から始まる訳ですが、1拍目から始まるということは大変落ち着いた、安定したリズムとなる訳です。

 確かに聴いた感じでもほとんどのシャコンヌは緊張感漂うというより、とてもリラックスした、落ち着いた感じの曲が多いようです。

 雰囲気でいえばヴィターリのシャコンヌは他のシャコンヌとは異なり、たいへんん情熱的な曲となっていて、バロック音楽というより、まるでロマン派の曲のように聴こえます。

 そのせいで、一時期この曲はヴィターリの真作ではなく、後世に書かれた偽作ではないかとも言われましたが、今では疑いも晴れ、バロック時代の音楽家、トマス・アントニオ・ヴィターリの真作とされています。 

 いつの世も個性的な作曲家はいるものですね、この曲のファンの方も多いようです。



バッハに聴くしかないが

 では、なぜバッハは自らのシャコンヌを2拍目から始めたかということですが、もちろんそんなことバッハに聴かなければわかりません。 しかしバッハに聴く訳にもゆかない以上、勝手に想像(妄想?)するしかありません。



256小節へのこだわり

 私が考えられること(妄想できる?)としては二つの点があります。 まず一つはこの曲の256小節という小節数です。 ご存じの通り、256という数字は4の4乗です。

 もちろん偶然の数字ではなく、おそらく曲を書く前からこの小節数は決まっていたのでしょう。

 バッハのこうした数字へのこだわりは知られているとおりです。すべての曲を小節数ににこだわって作曲したというわけではありませんが、少なくともこの曲に関しては小節数への強いこだわりが感じ取れます。



8×32=256 じゃないの?

 もっとも、テーマが8小節で、その後に変奏を31付ければちょうど256小節となって、何の問題もないじゃないかということになりますね。

 ところが簡単にそうは行かないのです。 まず8小節で一まとまりしなければなりませんから、テーマ、およびそれぞれの変奏の最初と最後の小節は主和音となります。 もちろんバロック時代ですから属和音で始まったり、終わったりは出来ません。

 そうすると、テーマから第1変奏に進む時に主和音の小節が2小節続きます。 当たり前ですね、最初と最後の和音が同じなのですから。



同じ和音が2小節続くのを嫌った

 それがどうした? と言いたいところですが、特にドイツ系の作曲家はこの同じ和音が2小節続くということが許せなかったようです。

 というのも、ヴァイスやケルナーなどのシャコンヌは一つの変奏が8小節ではなく、7小節にしています。 つまり前の変奏の最後の小節は、次の変奏の最初の小節を兼ねると言った形にして、主和音による小節が2小節続くのを避けた訳です。





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ヴァイスのシャコンヌ(原曲ハ短調)。 よく見ると各変奏は7小節となっている。これは各変奏の最後の小節と最初の小節を1小節にまとめたことによる。 因みにこのシャコンヌはギターでもよく演奏されるが、実はリュート独奏曲ではなく、フルートとリュートのための作品のリュート・パートで、完成された作品ではない。 確かに和音だけの、いかにも伴奏らしい変奏もある。 フルートのパート譜は未発見のようだ。




ドイツ人らしい発想?

 おそらく主和音の小節が2小節続くと音楽が停滞してしまうと感じたのかも知れませんね。

 因みにヴィターリなどのイタリア系の作曲家は別にそのことにはこだわらず、各変奏は8小節となっています。

 まさに国民性とは恐ろしいものですね、まさにドイツ人らしい発想といえるでしょう。 音楽に国境はないが、文化の違いはあると言ったところでしょうか。



それでは256小節にはならない

 この流れからするとバッハの場合も7小節の変奏になるところですが、そうすると先ほどの256小節という小節数にはなりません。

 主和音の小節を連続したくはないけど、小節数は揃えたい! その解決策として行われたことが、この ”2拍目から” 曲を始めるったことです。



詳しく知りたい人は以前の記事を読んで下さい

 では2拍目から始めると、なぜ主和音を連続せずに小節数を揃えられか、ということですが、それは以前の記事でも詳しく書いたので、というより説明しているとメンドクサイので、今回は省略します。

 気になる方は自分で考えるか、当ブログの以前の記事を読んで下さい。

 ともかくこの方法により、同じ和音の小節を連続させずにテーマ、および一つの変奏を8小節(4小節となっているところもあるが)とすることが出来、最終的に曲全体の小節数を256小節にすることが出来る訳です。

 こうした解決法もまさにバッハらしいですね (と言っても私が勝手に妄想しているだけだが)。

 
中村俊三ギター・リサイタル 4月25日(土) 5



バッハ : シャコンヌ



緊急再入院!

 更新にちょっと間が空いてしまいましたね。  実は先月の28日金曜日、突然手術した箇所(前立腺)から大量出血が起こり、あっという間に血尿で尿道が詰まってしまいました。

 急いで女房に病院に連れて行ってもらい、緊急で止血の処置をしてもらったのですが、1回で出血が止まらず、数時間してまた出血して同じように尿道が詰まってしまいました。




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水戸済生会病院の病室から見た風景。 この風景をまた見ることになってしまった!




大安売りのことではない!

 1日で2回大出血(大安売りのことではない!)と閉尿と、その処置をやってしまった訳です。

 私のような年代の男性ですと、閉尿を経験した人も少なくはないかも知れませんが、これは結構辛いものです。

 特に車で病院に着くまでが死の苦しみで、こんな時に誰かに殺されそうになっても、たぶん抵抗しないでしょう。

 手術前にもそれを2度やっていて、計4回閉尿を経験したと言うことになります。



慣れは恐ろしい

 こういった時には病院では尿道に管を入れるのですが、これは結構痛い! 何といっても無理やりこじ入れる訳ですから。

 でも、それを何回かやっているうちにいつのまにか慣れてしまい、だんだん痛みとか違和感とか、あまりなくなくなってしまいました。 慣れは恐ろしいものですね。

 

再び5泊6日の入院

 結局手術の時と同じく5泊6日の入院となり、先週の水曜日(4日)に ”2度目” の退院をしました。

 最初の退院(手術後の)の時には、「これでもう全快」 なんて気分だったのですが、今度は 「また再発しないかな」 なんて、ちょっとビビッています。




国内外、コロナ・ウィルスで

 さて、そんな、こんなでリサイタルに向けての練習も中断となってしましたが、それよりも世の中、国内も国外もコロナ・ウィルスの件で騒然となっていますね。入院前よりも深刻さを増しているようです。

 3月中のイヴェントは各種コンサートを含め、中止が相次いでいます。 私のこのリサイタルもどうなるか分からないところもあります。



決行するつもりで

 中止の可能性も決して小さくはないでしょうが、今のところはこれ以上状況が悪化しない限り、決行するつもりでいます。 最終決断は4月上旬になるでしょうか。

 決行した場合、着席の際はなるべく間隔をあけて座って下さい。 

  ・・・・・・・・・幸い、私のリサイタルは空席が多いので。 

 でもこちらの意志に関わらず、文化会館のほうからストップがかかる可能性もありますね。

 いろいろありますが、練習の方は予定通り行うつもりで、気を抜くことなくやってゆきたいと思います。また当ブログでも予定通り曲目の紹介など行ってゆきます。




シャコンヌの話をしていましたね

 前回はシャコンヌの話をししましたね、いろいろな意味でこのバッハのシャコンヌは特別な曲だと言ったようなことを書きました。 

 もっとも、無伴奏のヴァイオリンのためにシャコンヌを書くこと自体が特別なことでしょう。

 このシャコンヌはバッハの作品の中でもたいへん人気があって、バッハの代名詞のようなところもあります。



バッハは他にシャコンヌを書いていない

 それではバッハはこのシャコンヌという形式の曲を、もう一の代名詞であるフーガのようにたくさん書いたかというと、実はこの曲以外にほとんどシャコンヌは書いていません。

 かろうじてカンタータ150番にシャコンヌがありますが、初期の作品らしく、またバッハのオリジナルでない可能性もあるようです。

 シャコンヌとよく似た形式のパッサカリアも有名なオルガン曲 「パッサカリアとフーガハ短調BWV582」 以外にはほとんど作曲していないようです。



バッハはシャコンヌが嫌いだった?

 バッハの弟子(誰か忘れましたが)の一人が、バッハは変奏曲を作曲するのが嫌いだったということを言っています。

 その理由として、一般に当時のシャコンヌなどの変奏曲は和声進行、あるいはバスの進行が決まっていて、それに装飾的な音をかぶせるだけと言ったようなところもあります。




変奏曲など作曲に入らない?

 その程度のことであれば、バッハならあえて作曲などしなくても即興でいくらでも演奏出来たでしょう。 変奏曲の場合、特に高度な作曲技法を身に付けなくても作曲が可能です。

 それに比べ、フーガを作曲するには高度なレヴェルの技術が必要で、バッハとしてはフーガなどの方がより作曲意欲を掻き立てることが出来たのでしょう。

 実際にフーガの方は文字通り数えきれないくらいバッハは作曲しています。




バッハのシャコンヌが常識はずれなのは意図的

 バッハにとっては変奏曲などと言うものは素人が書くものといった認識があったのかも知れません。

 となると自分でシャコンヌなどの変奏曲を書くとすれば、これまでのシャコンヌの常識を超えたシャコンヌを書かなければならないといった意識はあったのではないかと思います。

 バッハのシャコンヌが他の作曲家のシャコンヌと大きく違うのは、結果的にではなく、最初から意図したものであったのかなと思います。