またまたシャコンヌ 6
新緑の季節
新緑の季節ですね。 いつもの年であれば、今頃は最も季節的に快適な時期です。6月くらいになると蚊が発生してゆっくりと外に居られなくなるのですが、今はそうした心配もなく、また寒くもなく、ささやかな庭にもいろいろな花が咲き、我が家では最もよい季節となります。 ただ今年はゆっくりと新緑を眺める心境にはなりにくいところですが、とりあえず画像だけでも。

隣の空き地の栗の木も新緑に染まりつつある。

レッスン・スタジオの前に植えられた花。私自身はこうしたものに全く興味がないので、何の花か分からない。

中庭というか、スタジオへの通路と言うか、そこに置かれた鉢植えなど。だんだんいろいろな花が咲きそうだ。
無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番ホ長調
本題に入りましょう。前回、前々回と無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第1番と第2番の話をしましたね、今日はもう一つの無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番ホ長調の話をしましょう。
私たちギターをやるものにとっては、この曲は 「リュート組曲第4番ホ長調」 と言った方がわかりやすいですね。
リュートのために編曲された
原曲にあたるヴァイオリン・パルティータの方は1720年に完成とバッハ自身の手で記されているとのことですが、このリュート版のほうは1735~1740年頃書かれたもののようです。
この版はバッハ自身の手で書かれた2段譜が残されていますが、タイトルページが失われてしまい、後年には何の楽器のための作品か分からなくなってしまいました。
形に上では鍵盤楽器的になっていますが、内容的に鍵盤楽器ではあり得ないということで、一時期ハープのための曲ではないかとも言われましたが、今現在ではリュートのための曲ということに落ち着きました。
「リュート組曲」と言われてはいるが
ところで、一般的に呼ばれている 「リュート組曲第4番」 ですが、この 「第4番」 というのは20世紀前半にリュート奏者のハンス・ダーゴベルト・ブルーガーが付けた(勝手に?)番号なので、あまり客観性はなく、最近では 「第4番」 とはあまり言われなくなりました。
また、原曲は「パルティータ」 だったわけで、けっして 「組曲」 ではなかったのですが、 タイトル・ページが残されていなかったので 「組曲」 とされてしまったのでしょう。 そうしたことから最近では 「組曲」 とはせず 「パルテータ」 と表記されることも多くなりました。
バッハが書いた譜面ではリュートは弾けない
ところで、この曲はリュートのための曲とはなっていますが、この譜面をそのままリュートで弾くことは出来ません。 他のバッハのリュートのための作品と同様、こうした譜面が書かれた理由は二つ考えられます。
一つはバッハが特注したリュートの音が出せるチェンバロである ”ラウテンヴェルク” で演奏するため。 もう一つはこの譜面をもとにリュート奏者がタブラチュアに書き直して演奏してもらうことも考えていたのでしょう。
しかし、このパルティータのホ長調という調は、当時の一般的な調律法からすればたいへん弾きにくい調なので、特殊な調律法をとるか、または弾き易い調に移調しなければなりません。
とすれば、この曲をリュートのタブラチュアに直せるリューティストは相当レヴェルの高い人でなければならないということになります。もちろん演奏も決して容易ではありません。
ヴァイスに関係があるのか、ないのか
このリュート版が書かれたとされる1735~1740年には当時ドレスデンで活動していたリューティストのシルビウス・レオポルド・ヴァイスがバッハの居るライプチヒを訪れた時期と一致しています。
そうしたころから、この譜面はそのヴァイスの訪問とならかの関係があるのではとも憶測されています。 ヴァイスにこの曲のタブラチュアへの書き直しと演奏を依頼したとか、あるいはラウテンヴェルクでバッハが自ら演奏してヴァイスに聴かせたとか、など。
バッハの周辺で最もレヴェルの高いリューティストと言えば、このヴァイスを置いて他にはいないでしょう。 可能性としては十分にありそうです。
そんなとこ空想してみるのもなかなか楽しいことかも知れませんね。 ただし残念ながらヴァイスがバッハの作品をリュートで演奏したという記録も、またタブラチュアに書き直した譜面も残されていません。 ・・・・・・一応頼んでみたけれども 「これは難し過ぎて私の手には負えません」 と断られた、何てことも・・・・
イタリア協奏曲的で華麗なプレリュード
さて、話はリュート版の方になっちゃいましたが、このパルティータの特徴としては、何といってもそのプレリュードにあります。 このプレリュードはバッハのヴァイオリン曲の中でもたいへん華麗で技巧的になっています。 協奏曲のソロ・パートのような感じと言ってもいいでしょう。
その圧倒的なプレリュードに比べると後続の曲はやや印象が薄くなってしまいますが、でも3曲目の 「ロンド風ガヴォット」 はヴァイオリンでもギターでも人曲となっています。
前のめり型
パルティータ第2番は最後の曲であるシャコンヌが圧倒的な存在感を示している訳ですが、この第3番はその逆の形といえるでしょう。
第2番が最後に重厚な曲を置く ”下半身安定型” とすれば、この第3番は冒頭の曲に大きなウエイトを置く、 ”前のめり型” とでもいえるでしょうか。
そういった意味では第1番ロ短調は特に突出した曲はなく、4曲とも平均的で、 ”ずんどう型” となりますね。
イタリア風ともフランス風とも言えない
組曲とパルティータは違うと言っても、第1番と第2番には組曲の定番曲であるアルマンド、クーラント、サラバンドなどが入っているのですが、この第3番んはそれらの曲がなく、最後のジグ以外はガヴォット、メヌエット、ブレーなどの任意の曲が入っています。
またプレリュードは明らかにイタリア・コンチェルト風なのですが、第2曲は「ルール」という古いフランスのゆっくりした舞曲となっています。 第2番は曲名などイタリア風に統一しているのですが、この第3番は特にそうしたことにはこだわってはいないようです。
自由な作風で未来志向型
こうしてみると、バッハにとってパルティータとは特に形にとらわれないで自由に作曲するものといったところなのかも知れません。
鍵盤曲の 「6つパルティータ」 もそうですが、 組曲とせずパルティータとした作品はやや未来志向型なのかなと私には感じられます。 やはり個性の光る曲が多いですね。
1964年のウィリアムスの録音は衝撃的
この曲のギターでの演奏についても触れておきましょう。 この曲の出会いはやはりジョン・ウィリアムスです。 ジョン・ウィリアムスは1964年にCBSのデビュー・アルバムとしてこの曲を録音しました。
このLPは大学のギター部時代に先輩の家で聴かせてもらいましたが、当時よく先輩の家などにレコードを聴きに行っていました。
おそらく内心迷惑な後輩だと思ったでしょうが、諸先輩方は特にそれを表に出さず、むしろ歓迎してくれました。古き良き時代でしたね。
その時の印象は今でも記憶に残っています。 ガヴォット以外は当時初めて聴くものでしたが、その淀みない演奏には、よくわからないながらもたいへん感動しました。

このパルティータのギターでの全曲録音としては世界初(おそらく)
当時はまだ 「ギターは楽譜どおりには弾けない楽器なんですよ」 と普通に言われていた時代です。
こんな難しい曲をこれだけ正確に、クリヤーに、また速いテンポで弾ける人がいるんだというとに、まず驚きました。 そして何といってもその音色はとても清楚で、清潔感の塊のような音でした。
また、当時はバッハの曲でもごく一部の限られた曲しかギターでは演奏されていなかった時代です。 おそらくこのパルティータを全曲演奏しているギタリストはいなかったのではと思います。 少なくともギターでの録音としては、初めてのものと思われます。
ウィリアムスはその後バッハのリュートのための作品全曲を録音していますが、それでもこの1964年の録音は格別のインパクトがありました。 私だけでなく当時ギターを弾いていた多くの人を虜にした演奏であることは間違いないでしょう。
メチャクチャ速い10代のヴィドヴィッチ
この曲の演奏で印象に残る演奏と言えば、10代でナクソス・レーヴェルに録音したアンナ・ヴィドヴィッチでしょうか。
このナクソス盤ではなと3分22秒でプレリュードを演奏しています。 先ほどのウィリアムスの演奏にくらべると1分以上も短い演奏時間です。ウィリアムスの演奏も決して遅いものではありません。 またヴァイオリンの演奏に比べても速いものと言えます。
また、その音も10代の女子とは思えない極めて力強いもので、10代でこれだと、将来はとても恐ろしいギタリストになるのでは (どちらかと言えばあまり聴きたくない方で) と思いましたが、ヴィドヴィッチはその予想(期待?)を見事に覆してくれました。
ヴィドヴィッチはその後ー変し、外見上もたいへん美しい女性になりましたが、音楽はそれ以上に美しくなったと思います。 おそらく音楽というものを一から勉強しなおした結果なのでしょう。

他にも名演奏が続々
他にイェラン・セルシェル、 マヌエル・バルエコ、 福田進一、 スコット・テナント、 デビッド・ラッセルなどの名演奏がありますが、コメントはまた別の機会にしましょう。 そうそう渡辺範彦さんにも全曲録音が残されていますね、これもすばらしい演奏です。
原曲のヴァイオリンでは、五嶋みどりさんの演奏が特に素晴らしいと感じたことは前に書きました。 従来は現代奏法の五嶋さんが、古楽器的なノン・ヴィヴラート奏法で演奏し、またそのノン・ヴィヴラートがたいへん美しい。 「スッピンの美しい美女のよう」 なんて書いたかな。
新緑の季節
新緑の季節ですね。 いつもの年であれば、今頃は最も季節的に快適な時期です。6月くらいになると蚊が発生してゆっくりと外に居られなくなるのですが、今はそうした心配もなく、また寒くもなく、ささやかな庭にもいろいろな花が咲き、我が家では最もよい季節となります。 ただ今年はゆっくりと新緑を眺める心境にはなりにくいところですが、とりあえず画像だけでも。

隣の空き地の栗の木も新緑に染まりつつある。

レッスン・スタジオの前に植えられた花。私自身はこうしたものに全く興味がないので、何の花か分からない。

中庭というか、スタジオへの通路と言うか、そこに置かれた鉢植えなど。だんだんいろいろな花が咲きそうだ。
無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番ホ長調
本題に入りましょう。前回、前々回と無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第1番と第2番の話をしましたね、今日はもう一つの無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番ホ長調の話をしましょう。
私たちギターをやるものにとっては、この曲は 「リュート組曲第4番ホ長調」 と言った方がわかりやすいですね。
リュートのために編曲された
原曲にあたるヴァイオリン・パルティータの方は1720年に完成とバッハ自身の手で記されているとのことですが、このリュート版のほうは1735~1740年頃書かれたもののようです。
この版はバッハ自身の手で書かれた2段譜が残されていますが、タイトルページが失われてしまい、後年には何の楽器のための作品か分からなくなってしまいました。
形に上では鍵盤楽器的になっていますが、内容的に鍵盤楽器ではあり得ないということで、一時期ハープのための曲ではないかとも言われましたが、今現在ではリュートのための曲ということに落ち着きました。
「リュート組曲」と言われてはいるが
ところで、一般的に呼ばれている 「リュート組曲第4番」 ですが、この 「第4番」 というのは20世紀前半にリュート奏者のハンス・ダーゴベルト・ブルーガーが付けた(勝手に?)番号なので、あまり客観性はなく、最近では 「第4番」 とはあまり言われなくなりました。
また、原曲は「パルティータ」 だったわけで、けっして 「組曲」 ではなかったのですが、 タイトル・ページが残されていなかったので 「組曲」 とされてしまったのでしょう。 そうしたことから最近では 「組曲」 とはせず 「パルテータ」 と表記されることも多くなりました。
バッハが書いた譜面ではリュートは弾けない
ところで、この曲はリュートのための曲とはなっていますが、この譜面をそのままリュートで弾くことは出来ません。 他のバッハのリュートのための作品と同様、こうした譜面が書かれた理由は二つ考えられます。
一つはバッハが特注したリュートの音が出せるチェンバロである ”ラウテンヴェルク” で演奏するため。 もう一つはこの譜面をもとにリュート奏者がタブラチュアに書き直して演奏してもらうことも考えていたのでしょう。
しかし、このパルティータのホ長調という調は、当時の一般的な調律法からすればたいへん弾きにくい調なので、特殊な調律法をとるか、または弾き易い調に移調しなければなりません。
とすれば、この曲をリュートのタブラチュアに直せるリューティストは相当レヴェルの高い人でなければならないということになります。もちろん演奏も決して容易ではありません。
ヴァイスに関係があるのか、ないのか
このリュート版が書かれたとされる1735~1740年には当時ドレスデンで活動していたリューティストのシルビウス・レオポルド・ヴァイスがバッハの居るライプチヒを訪れた時期と一致しています。
そうしたころから、この譜面はそのヴァイスの訪問とならかの関係があるのではとも憶測されています。 ヴァイスにこの曲のタブラチュアへの書き直しと演奏を依頼したとか、あるいはラウテンヴェルクでバッハが自ら演奏してヴァイスに聴かせたとか、など。
バッハの周辺で最もレヴェルの高いリューティストと言えば、このヴァイスを置いて他にはいないでしょう。 可能性としては十分にありそうです。
そんなとこ空想してみるのもなかなか楽しいことかも知れませんね。 ただし残念ながらヴァイスがバッハの作品をリュートで演奏したという記録も、またタブラチュアに書き直した譜面も残されていません。 ・・・・・・一応頼んでみたけれども 「これは難し過ぎて私の手には負えません」 と断られた、何てことも・・・・
イタリア協奏曲的で華麗なプレリュード
さて、話はリュート版の方になっちゃいましたが、このパルティータの特徴としては、何といってもそのプレリュードにあります。 このプレリュードはバッハのヴァイオリン曲の中でもたいへん華麗で技巧的になっています。 協奏曲のソロ・パートのような感じと言ってもいいでしょう。
その圧倒的なプレリュードに比べると後続の曲はやや印象が薄くなってしまいますが、でも3曲目の 「ロンド風ガヴォット」 はヴァイオリンでもギターでも人曲となっています。
前のめり型
パルティータ第2番は最後の曲であるシャコンヌが圧倒的な存在感を示している訳ですが、この第3番はその逆の形といえるでしょう。
第2番が最後に重厚な曲を置く ”下半身安定型” とすれば、この第3番は冒頭の曲に大きなウエイトを置く、 ”前のめり型” とでもいえるでしょうか。
そういった意味では第1番ロ短調は特に突出した曲はなく、4曲とも平均的で、 ”ずんどう型” となりますね。
イタリア風ともフランス風とも言えない
組曲とパルティータは違うと言っても、第1番と第2番には組曲の定番曲であるアルマンド、クーラント、サラバンドなどが入っているのですが、この第3番んはそれらの曲がなく、最後のジグ以外はガヴォット、メヌエット、ブレーなどの任意の曲が入っています。
またプレリュードは明らかにイタリア・コンチェルト風なのですが、第2曲は「ルール」という古いフランスのゆっくりした舞曲となっています。 第2番は曲名などイタリア風に統一しているのですが、この第3番は特にそうしたことにはこだわってはいないようです。
自由な作風で未来志向型
こうしてみると、バッハにとってパルティータとは特に形にとらわれないで自由に作曲するものといったところなのかも知れません。
鍵盤曲の 「6つパルティータ」 もそうですが、 組曲とせずパルティータとした作品はやや未来志向型なのかなと私には感じられます。 やはり個性の光る曲が多いですね。
1964年のウィリアムスの録音は衝撃的
この曲のギターでの演奏についても触れておきましょう。 この曲の出会いはやはりジョン・ウィリアムスです。 ジョン・ウィリアムスは1964年にCBSのデビュー・アルバムとしてこの曲を録音しました。
このLPは大学のギター部時代に先輩の家で聴かせてもらいましたが、当時よく先輩の家などにレコードを聴きに行っていました。
おそらく内心迷惑な後輩だと思ったでしょうが、諸先輩方は特にそれを表に出さず、むしろ歓迎してくれました。古き良き時代でしたね。
その時の印象は今でも記憶に残っています。 ガヴォット以外は当時初めて聴くものでしたが、その淀みない演奏には、よくわからないながらもたいへん感動しました。

このパルティータのギターでの全曲録音としては世界初(おそらく)
当時はまだ 「ギターは楽譜どおりには弾けない楽器なんですよ」 と普通に言われていた時代です。
こんな難しい曲をこれだけ正確に、クリヤーに、また速いテンポで弾ける人がいるんだというとに、まず驚きました。 そして何といってもその音色はとても清楚で、清潔感の塊のような音でした。
また、当時はバッハの曲でもごく一部の限られた曲しかギターでは演奏されていなかった時代です。 おそらくこのパルティータを全曲演奏しているギタリストはいなかったのではと思います。 少なくともギターでの録音としては、初めてのものと思われます。
ウィリアムスはその後バッハのリュートのための作品全曲を録音していますが、それでもこの1964年の録音は格別のインパクトがありました。 私だけでなく当時ギターを弾いていた多くの人を虜にした演奏であることは間違いないでしょう。
メチャクチャ速い10代のヴィドヴィッチ
この曲の演奏で印象に残る演奏と言えば、10代でナクソス・レーヴェルに録音したアンナ・ヴィドヴィッチでしょうか。
このナクソス盤ではなと3分22秒でプレリュードを演奏しています。 先ほどのウィリアムスの演奏にくらべると1分以上も短い演奏時間です。ウィリアムスの演奏も決して遅いものではありません。 またヴァイオリンの演奏に比べても速いものと言えます。
また、その音も10代の女子とは思えない極めて力強いもので、10代でこれだと、将来はとても恐ろしいギタリストになるのでは (どちらかと言えばあまり聴きたくない方で) と思いましたが、ヴィドヴィッチはその予想(期待?)を見事に覆してくれました。
ヴィドヴィッチはその後ー変し、外見上もたいへん美しい女性になりましたが、音楽はそれ以上に美しくなったと思います。 おそらく音楽というものを一から勉強しなおした結果なのでしょう。

他にも名演奏が続々
他にイェラン・セルシェル、 マヌエル・バルエコ、 福田進一、 スコット・テナント、 デビッド・ラッセルなどの名演奏がありますが、コメントはまた別の機会にしましょう。 そうそう渡辺範彦さんにも全曲録音が残されていますね、これもすばらしい演奏です。
原曲のヴァイオリンでは、五嶋みどりさんの演奏が特に素晴らしいと感じたことは前に書きました。 従来は現代奏法の五嶋さんが、古楽器的なノン・ヴィヴラート奏法で演奏し、またそのノン・ヴィヴラートがたいへん美しい。 「スッピンの美しい美女のよう」 なんて書いたかな。
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