fc2ブログ

中村俊三 ブログ

中村ギター教室内のレッスン内容や、イベント、また、音楽の雑学などを書いていきます。

またまたシャコンヌ 6




新緑の季節

 新緑の季節ですね。 いつもの年であれば、今頃は最も季節的に快適な時期です。6月くらいになると蚊が発生してゆっくりと外に居られなくなるのですが、今はそうした心配もなく、また寒くもなく、ささやかな庭にもいろいろな花が咲き、我が家では最もよい季節となります。  ただ今年はゆっくりと新緑を眺める心境にはなりにくいところですが、とりあえず画像だけでも。




CIMG2444.jpg
隣の空き地の栗の木も新緑に染まりつつある。




CIMG2451.jpg
レッスン・スタジオの前に植えられた花。私自身はこうしたものに全く興味がないので、何の花か分からない。



CIMG2445.jpg
中庭というか、スタジオへの通路と言うか、そこに置かれた鉢植えなど。だんだんいろいろな花が咲きそうだ。





無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番ホ長調

 本題に入りましょう。前回、前々回と無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第1番と第2番の話をしましたね、今日はもう一つの無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番ホ長調の話をしましょう。

 私たちギターをやるものにとっては、この曲は 「リュート組曲第4番ホ長調」 と言った方がわかりやすいですね。




リュートのために編曲された

 原曲にあたるヴァイオリン・パルティータの方は1720年に完成とバッハ自身の手で記されているとのことですが、このリュート版のほうは1735~1740年頃書かれたもののようです。

 この版はバッハ自身の手で書かれた2段譜が残されていますが、タイトルページが失われてしまい、後年には何の楽器のための作品か分からなくなってしまいました。

 形に上では鍵盤楽器的になっていますが、内容的に鍵盤楽器ではあり得ないということで、一時期ハープのための曲ではないかとも言われましたが、今現在ではリュートのための曲ということに落ち着きました。




「リュート組曲」と言われてはいるが

 ところで、一般的に呼ばれている 「リュート組曲第4番」 ですが、この 「第4番」 というのは20世紀前半にリュート奏者のハンス・ダーゴベルト・ブルーガーが付けた(勝手に?)番号なので、あまり客観性はなく、最近では 「第4番」 とはあまり言われなくなりました。

 また、原曲は「パルティータ」 だったわけで、けっして 「組曲」 ではなかったのですが、 タイトル・ページが残されていなかったので 「組曲」 とされてしまったのでしょう。 そうしたことから最近では 「組曲」 とはせず 「パルテータ」 と表記されることも多くなりました。

 


バッハが書いた譜面ではリュートは弾けない

 ところで、この曲はリュートのための曲とはなっていますが、この譜面をそのままリュートで弾くことは出来ません。 他のバッハのリュートのための作品と同様、こうした譜面が書かれた理由は二つ考えられます。

 一つはバッハが特注したリュートの音が出せるチェンバロである ”ラウテンヴェルク” で演奏するため。 もう一つはこの譜面をもとにリュート奏者がタブラチュアに書き直して演奏してもらうことも考えていたのでしょう。

 しかし、このパルティータのホ長調という調は、当時の一般的な調律法からすればたいへん弾きにくい調なので、特殊な調律法をとるか、または弾き易い調に移調しなければなりません。

 とすれば、この曲をリュートのタブラチュアに直せるリューティストは相当レヴェルの高い人でなければならないということになります。もちろん演奏も決して容易ではありません。




ヴァイスに関係があるのか、ないのか

 このリュート版が書かれたとされる1735~1740年には当時ドレスデンで活動していたリューティストのシルビウス・レオポルド・ヴァイスがバッハの居るライプチヒを訪れた時期と一致しています。

 そうしたころから、この譜面はそのヴァイスの訪問とならかの関係があるのではとも憶測されています。 ヴァイスにこの曲のタブラチュアへの書き直しと演奏を依頼したとか、あるいはラウテンヴェルクでバッハが自ら演奏してヴァイスに聴かせたとか、など。

 バッハの周辺で最もレヴェルの高いリューティストと言えば、このヴァイスを置いて他にはいないでしょう。 可能性としては十分にありそうです。

 そんなとこ空想してみるのもなかなか楽しいことかも知れませんね。 ただし残念ながらヴァイスがバッハの作品をリュートで演奏したという記録も、またタブラチュアに書き直した譜面も残されていません。    ・・・・・・一応頼んでみたけれども 「これは難し過ぎて私の手には負えません」 と断られた、何てことも・・・・




イタリア協奏曲的で華麗なプレリュード

 さて、話はリュート版の方になっちゃいましたが、このパルティータの特徴としては、何といってもそのプレリュードにあります。 このプレリュードはバッハのヴァイオリン曲の中でもたいへん華麗で技巧的になっています。 協奏曲のソロ・パートのような感じと言ってもいいでしょう。

 その圧倒的なプレリュードに比べると後続の曲はやや印象が薄くなってしまいますが、でも3曲目の 「ロンド風ガヴォット」 はヴァイオリンでもギターでも人曲となっています。




前のめり型

 パルティータ第2番は最後の曲であるシャコンヌが圧倒的な存在感を示している訳ですが、この第3番はその逆の形といえるでしょう。 

 第2番が最後に重厚な曲を置く ”下半身安定型” とすれば、この第3番は冒頭の曲に大きなウエイトを置く、 ”前のめり型” とでもいえるでしょうか。 

 そういった意味では第1番ロ短調は特に突出した曲はなく、4曲とも平均的で、 ”ずんどう型” となりますね。




イタリア風ともフランス風とも言えない

 組曲とパルティータは違うと言っても、第1番と第2番には組曲の定番曲であるアルマンド、クーラント、サラバンドなどが入っているのですが、この第3番んはそれらの曲がなく、最後のジグ以外はガヴォット、メヌエット、ブレーなどの任意の曲が入っています。

 またプレリュードは明らかにイタリア・コンチェルト風なのですが、第2曲は「ルール」という古いフランスのゆっくりした舞曲となっています。 第2番は曲名などイタリア風に統一しているのですが、この第3番は特にそうしたことにはこだわってはいないようです。




自由な作風で未来志向型

 こうしてみると、バッハにとってパルティータとは特に形にとらわれないで自由に作曲するものといったところなのかも知れません。 

 鍵盤曲の 「6つパルティータ」 もそうですが、 組曲とせずパルティータとした作品はやや未来志向型なのかなと私には感じられます。  やはり個性の光る曲が多いですね。




1964年のウィリアムスの録音は衝撃的

 この曲のギターでの演奏についても触れておきましょう。 この曲の出会いはやはりジョン・ウィリアムスです。 ジョン・ウィリアムスは1964年にCBSのデビュー・アルバムとしてこの曲を録音しました。

 このLPは大学のギター部時代に先輩の家で聴かせてもらいましたが、当時よく先輩の家などにレコードを聴きに行っていました。

 おそらく内心迷惑な後輩だと思ったでしょうが、諸先輩方は特にそれを表に出さず、むしろ歓迎してくれました。古き良き時代でしたね。

 その時の印象は今でも記憶に残っています。 ガヴォット以外は当時初めて聴くものでしたが、その淀みない演奏には、よくわからないながらもたいへん感動しました。



CCI_000018.jpg




このパルティータのギターでの全曲録音としては世界初(おそらく)

 当時はまだ 「ギターは楽譜どおりには弾けない楽器なんですよ」 と普通に言われていた時代です。

  こんな難しい曲をこれだけ正確に、クリヤーに、また速いテンポで弾ける人がいるんだというとに、まず驚きました。 そして何といってもその音色はとても清楚で、清潔感の塊のような音でした。

 また、当時はバッハの曲でもごく一部の限られた曲しかギターでは演奏されていなかった時代です。 おそらくこのパルティータを全曲演奏しているギタリストはいなかったのではと思います。 少なくともギターでの録音としては、初めてのものと思われます。

 ウィリアムスはその後バッハのリュートのための作品全曲を録音していますが、それでもこの1964年の録音は格別のインパクトがありました。 私だけでなく当時ギターを弾いていた多くの人を虜にした演奏であることは間違いないでしょう。




メチャクチャ速い10代のヴィドヴィッチ

 この曲の演奏で印象に残る演奏と言えば、10代でナクソス・レーヴェルに録音したアンナ・ヴィドヴィッチでしょうか。

 このナクソス盤ではなと3分22秒でプレリュードを演奏しています。 先ほどのウィリアムスの演奏にくらべると1分以上も短い演奏時間です。ウィリアムスの演奏も決して遅いものではありません。 またヴァイオリンの演奏に比べても速いものと言えます。
 
 また、その音も10代の女子とは思えない極めて力強いもので、10代でこれだと、将来はとても恐ろしいギタリストになるのでは (どちらかと言えばあまり聴きたくない方で) と思いましたが、ヴィドヴィッチはその予想(期待?)を見事に覆してくれました。

 ヴィドヴィッチはその後ー変し、外見上もたいへん美しい女性になりましたが、音楽はそれ以上に美しくなったと思います。 おそらく音楽というものを一から勉強しなおした結果なのでしょう。



CCI_000019.jpg





他にも名演奏が続々

 他にイェラン・セルシェル、 マヌエル・バルエコ、 福田進一、 スコット・テナント、 デビッド・ラッセルなどの名演奏がありますが、コメントはまた別の機会にしましょう。 そうそう渡辺範彦さんにも全曲録音が残されていますね、これもすばらしい演奏です。

 原曲のヴァイオリンでは、五嶋みどりさんの演奏が特に素晴らしいと感じたことは前に書きました。 従来は現代奏法の五嶋さんが、古楽器的なノン・ヴィヴラート奏法で演奏し、またそのノン・ヴィヴラートがたいへん美しい。 「スッピンの美しい美女のよう」 なんて書いたかな。
 
スポンサーサイト



またまたシャコンヌ 5




無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第1番ロ短調

 ブログを更新する度に状況悪化、そんなことがずっと続いています。特にこのところその速度が上がっているようです。 毎回この話から入るのも何なのですが、でも誰しも今、最も気になることであるのはやむを得ません。 

 さて、前回は何の話だったかな? そうそう、無伴奏ヴァイオリン・パルティータの話でしたね。 前回はシャコンヌの入っている第2番について書きましたが、他の二つのパルティータについても若干触れておきましょう。

 第1番ロ短調は 「アルマンダ」 、「コレンテ」、 「サラバンド」、 「テンポ・ディ・ボレア」 の4曲にそれぞれ 「ドゥーブル] が付いています。 ドゥーブルとは要するに ”変奏” ということです。




なぜサラバンドは Sarabanda ではなく Sarabande ?

 アルマンダとコレンテはアルマンドとクーラントのイタリア語表記で、これは第2番と同じです。 コレンテもフランス風の”クーラント”ではなくイタリア風のコレンテ(無窮動風の)となっています。

 その流れからすればサラバンドは「サラバンダ」になるところですが、少なくとも私が持っている譜面(ベーレンライター~音楽の友社版)ではそのように記されています。

 よく曲名などは出版の際などに変わってしまうこともあるのですが、CDなども皆同様に表記されているので、やはり最初からこのように記されていたのかも知れません。 因みに、サラバンドには、特にイタリア風とフランス風の違いはなさそうです。




テンポ・ディ・ボレア?

 最後の曲は 「ブレー」 ではなく 「テンポ・ディ・ボレア」、 つまり 「ブレーのテンポで」 と記されています。

 バッハはなぜそう書いたのでしょうか。 譜面を見た限り、典型的なブレーで、特に ”まがい物” てきなブレーには見えません。 ブレーは主に2分の2拍子で、四分音符1個分のアウフタクトを持ちますが、この曲もその通りになっています。

 なぜ素直に 「ブレー」 と書かずに 「この曲は、本当はブレーじゃないんだけど、、とりあえず、ブレーのテンポで弾いてくださいね」 なんてバッハは回りくどい表記をしたのでしょうか。     ・・・・ ”とりあえず” とは言わなかったと思うが。



CCI_000016.jpg
なぜ Tempo di Borea ?



バッハに聴かないと分からないが

 そんなことバッハに聴かないとわかりませんね、でもそう言ってしまうとおしまいなので、無理やりにでも推測してみましょう。 こんなこと考えるのも結構楽しいものです。

 先ほど 「楽譜を見ただけでは」 と書きましたが、問題はやはり 「聴いた感じ」 でしょうね (楽譜を見ただけで強の感じが分かる人もいるが)。



聴いた感じからすると

 この曲を聴くとなんだか、やはり他のブレーとはちょっと違う感じもする。 普通ブレーは軽快で陽気な感じがします(チェロ組曲第3番のように)。 でもこの曲はなんか劇的というか、悲壮感漂うというか、気持ち前のめりというか、そんな感じがします。

 そう言えばバッハにとってロ短調は特別な調だなんて言われていますね。 「ミサ曲ロ短調」 とか 「管弦楽組曲第2番」 だとか。平均律曲集の最後がロ短調で終わるとか。 

 確かにこの曲はブレーにしては悲劇的過ぎ? 




素直に読めば

 そんな感覚的なことで言うより、「テンポ・ディ・ボレア」 の表記を素直に読めば、わりと答えは簡単かも知れませんね、 「テンポだけはブレー」 と言っている訳です。 

 ではテンポ以外の、何がブレーではないのか? もう一度ブレーの特徴を考えると、ブレーとは 「テンポの速い2拍子系の舞曲」 ということでしたね。




この曲で踊ってはいけない?


 つまり 「テンポ以外のもの」 とは 「2拍子系の舞曲」 となりますね。 もちろんこの曲は2拍子で書かれているので、否定出来る部分は 「舞曲」 しかありません。

 結果、「この曲は舞曲ではない」 といっているのですね。 もっと簡単にいうと、 「この曲は一応ブレーだが、しかし決してこの曲で踊ってはいけない!」 とバッハ言っているのかなと思います。

 そのバッハの禁を破って、この曲でブレーを踊った人がいるかどうかわかりませんが、確かにあまり踊りたくなる曲でもなさそうですね。



最終的な答えは演奏で

 ではなぜ、舞曲ではいけないのか? やはりバッハにはこの曲を舞曲にしたくない何かがあったのでしょうね、 その答えは演奏で示すしかないでしょう。 皆さん、答えを探してください。


  




サラバンドはよくギターでも弾かれるが

 このパルティータ第1番のサラバンドは、ギターでも比較的弾き易くギタリストにも愛好家にも人気の曲の一つです。

 サラバンドなのでもちろん華やかな曲ではありませんが、バッハらしい渋みのある曲です。 後続のドゥーブルも技術的にそれほど難しくなく、セットで演奏すれば、なお効果も上がるでしょう。   ・・・・・・・もちろんそのように書かれていいるのだが。



一見変わった曲には見えないが

 この曲、一見変わった曲ではなさそうなのですが、曲が始まって、2個目、つまり最初の小説の2拍目の和音から驚かされます。 

 私が若い頃、和声法などやっと覚えかかった頃、この曲の和声構造を考えてみようと思った時、この2個目の和音でもう分からなくなってしました。



教科書には書いていない?

 この2個目の和音はコードネームで言えば Em7 ということになります。 マイナー・セヴンだったら、別にそんな変わっている訳ではないじゃないかと、言われそうですが、当時の私のように和声法をかじったばかりの人には理解出来ない和音といっていいでしょう。

 古典的な和声法では、「属和音には7度の音が付加され、下属和音には6度の音が付加される」 となっていて、下属和音の7度の音が入った和音についてなどは、和声法の本にはどこにも書いてありません。
 


CCI_000017.jpg
普通、Ⅳの和音には7度の音は加えないが




答えは平行調のⅡ7だが

 でも、バッハの音楽と和声法に詳しい読者の皆さんはもうお分かりですね、 そうです。この2個目のEm7はロ短調の平行調のⅡの和音と考えられ、つまり平行調からの借用和音と言うことになる訳です。

 Ⅱの和音であれば7度の音が付加されることは教科書にもしっかりと書いてあります。 その場合は通常 Ⅱ7 ⇒ Ⅴ7 ⇒ Ⅰ (ニ長調で) となり、要するにトゥー・ファイブの進行となります。

 「何だ、それだけの事か、やっぱり教科書通りの進行なんじゃないか」 とお思いでしょうが、よく考えてみて下さい、この和音が出てくるのは最初の小節の2拍目です。



最初の小節から転調が始まっている!

 確かに1拍目はロ短調の主和音(Bm)がしっかりと鳴らされるのですが、次の瞬間にはもう転調が始まっているのです!

 古典の曲だったら、曲が始まったら1小節どころか、だいたい4小節くらいは主和音が続いても不思議ではありません。 まして転調などとなると10小節以上進まないと始まらないのが普通です。もちろん中には転調などしないまま終わる曲もあります。

 サラバンドというと、通常はゆっくりとした落ち着いた曲なのですが、このサラバンドは動的で、情熱的とも言えるのでしょう。



自宅は落ち着かない?

 まった違う観点から言えば、ロ短調と調はバッハにとってもたいへん緊張感の高い調で、余り長居は出来ず、落ち着いた平行調(ニ長調)に進みたかったのかも知れません。 自宅よりは別荘の方が落ち着くみたいな。  ・・・・別荘があればですが。